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鉄道講座受講雑感  くたびれた〜〜!

 この半年近くで工学院大オープンカレッジ鉄道講座1コマ90分を14コマ4講座を受講していまして、毎夜1コマづつを興味深く集中して聴いているのですが、座学はかなり久しぶりで疲れるのなんの、特に土曜日集中講義など出ますとメロメロに疲労困憊!電車で90分弱掛かって帰宅後は食事もそこそこにバタン休!の有様。 学生時代は日に4コマ余、週に21コマの授業をこなして、更に分厚い実験レポート作成と、サークル活動をこなして平気だったのに、わずか2〜3コマで激疲労感というのは体力集中力が酷く落ちてきている「老化現象」なのでしょうかねぇ? 大きな課題は改めて独立ページを建てるとして、以下はアトランダムに個々雑感。曽根悟先生の講義内容の予測(日記#403-2)もあり、自然災害・老朽化系を落としてましたからその対比結果もいずれ記事にしませんと・・・・・・・・。
 受講したのは「トピックス講座」が松本陽前運輸安全委員会鉄道部会長の「事故調査から学ぶ鉄道の安全性向上」が3コマと、講座全体の主宰者である曽根悟工学院大特任教授(東大名誉教授)の「日本の鉄道の安全技術の発達と残された課題」が3コマ、通常講座では「総論」で5コマ、「鉄道車両(ハード)」が5コマ、「鉄道車両(ソフト)」が3コマ+公開講演1の計20コマ+毎講義後交流会10数回といったところです。交流会は課題によっては受講者より講師&スタッフ側の方が多い豪華版w!もありまして、会社派遣受講者は軽め参加に感じられました。
 なお、講師をされた近藤圭一郎氏、須田義大氏、辻村功氏の著書は持っていますが、何となく気が引けて講義後の「著者サイン」はねだってません。残る中村英夫氏(日大情報工学科教授)は頑張ってみましょうかねぇ。曽根先生のサインしか戴いてませんので。(鉄道車両技術入門:近藤圭一郎Ohm社2013/7刊、鉄道メカニズム探求:辻村功著JTBパブリッシング2012/1/1刊、列車制御2010/6/30工業調査会刊&鉄道信号・保安システムが分かる本2013/5/20Ohm社刊:中村英夫著、新幹線50年の技術史2014/4/20ブルーバックス講談社刊:曽根悟著などは元々蔵書です)

AI許容に理論的根拠無しの抵抗感!
but 製造業での品質管理手法は50年前からF検定結果で対応  <1>

 「鉄道車両(ソフトウェアー)」節の2,「次世代の鉄道車両の可能性」の講義を担当した東大生産技術研究所教授で千葉実験所所長の須田義大教授が、「ビッグデーターの蓄積」と、その解析整理から「AIを活用してメンテナンスを行う」「状態監視によるメンテナンス方式(JR東日本E235型通勤電車)」といった将来方向を述べながら、フト漏らした言葉に苦笑!
「我々機械屋はすぐ仮説を想定して微分方程式を立てて系の振る舞いを解析して結論を得ていたモノが、AIになるとそうした理屈は関係なく総合的な結果だけでアクションが決められることになって、かなり抵抗感はある」
というのです。

 詳細な理論解析からは離れるこの手の違和感は実は何種類かありまして、ひとつは大昔の私が社会に出て設計に配属されたときに、全社運動としての直交表を使った実験計画法採用が半強制で勧められて、各自の固有技術による設計を無視してラテン方角/直交表に多項目を割り付けて求めた実験結果を尊重して理論的裏付けの如何を問わずアクションを取ってみることが求められて、当方理論解析設計派としては非常な抵抗感を持ったことと全く重なったからです。

 「帰還制御」も「目標値との誤差を検出して修正する動作」で「制御アルゴリズム追求の放棄!」と指摘して、特性を完全に把握して行う「フィードフォーワード制御」と対比する考え方もあります。

 さらに工程改善で念仏的に云われる「PDCAサークル」(P立案、D実行、C点検、A対応)も、結果の誤差・不具合から修正していく帰還制御型で、「制御アルゴリズムの放棄」型でして、2005年4月発生尼ヶ崎事故の意見聴取会で、JR西日本を代表した陳述で、懲罰的日勤教育有用論を強弁して事故調委員長に厳しくたしなめられた同社丸尾副社長が「現状、PDCAサークルで追求中で今後も有効対策」として強調していたものですが、その丸尾副社長陳述の直前の公述人は、「現在の事故防止策の水準は、事故発生前にリスクを予測して取り去る方向であり、事故発生後に対策するのではない」としていて、「過速度転覆のリスクを予め考えて、JR東海のように必要箇所に過速度ATSを設置するのが現在の安全の考え方」という主旨で述べているのに、その直後の発言で同社の異常が際立ちました。 JR西副社長丸尾氏は前の公述内容と真っ向から対立する「懲罰的日勤教育有用論」と「PDCA活用中論」の強弁=「尼ヶ崎事故を承けてPDCAサークルを廻して対策する(=事故発生後の対策)」というので、JR西日本の傲慢な不勉強体質、馬鹿さ加減が際立って見え、同社で使用中のATSの諸機能を良く知らなかった安全対策室長と共に更迭必至に見えたものです。 自分の発言予定稿読み込みに夢中で他の公述人の発言など聴いてられなかったのでしょうか?

 JR東海技術陣提唱の保線作業量2乗4乗則も学者側には非常に不評なようで、冒頭の例とは別の講師でしたが、講義後に質問したら「バネ上荷重、バネ下荷重を分けて無くて当てにならない」「何を基準に言ってるのか?」と散々の評価であることが分かりました。 しかし現実の東海道新幹線保線作業量の説明としては良く合ってる訳で、「バネ下荷重軽減」の立場からは300系以降での中空車軸採用がどれほど効いているのかを分離して知りたいのは分かりますが、これも根拠理論のまだない、結果データ整理の特性値であることへの学者側の抵抗感でしょう。
 元々は0系新幹線車輌から300系新幹線車輌に置き換えられての軸重と速度の変化と、線路保守費用の相関近似を求めた結果、「速度の2乗と、軸重の4乗に比例する」としたのでしょう。
 そもそもを言えば、戦中は零戦などを作っていて謎の空中分解の原因として翼のフラッター共振を突き止めた航空技術者が航空機製造禁止で鉄道技研に流れてきて、高速車輌開発に当たり2次振動系の制動状態を現す減衰定数 ζ を鉄道界には直には持ち込みがたくてバネ下荷重の軽減荷重のバネ上化を言って高性能国電モハ90系(101系)やこだま型特急モハ20系(151系)など新性能国電をデビューさせ新幹線開発の礎としたものですから、「バネ下荷重値」が直に走行応答特性を規定するパラメターではありません。
バネ上荷重云々は0系でも300系でも区別して扱っていないことは同じで変わらず、特別の特性があったとしても相互比較では誤差が相殺される方向のもので、AIやF検定による対応を受け容れるのなら、取り敢えず2乗4乗則の結果だけを受け容れることはできるでしょう。See→[246]軸重の4乗×速度の2乗に比例!軌道破壊量!

 保線作業量の推定式は、東海道新幹線開業時の保線作業量の見積もりのため、それまでの在来線保線データを鉄道技研に持ち込んで推定式を仮定して貰ったもので、いわゆる「通トン仮説」として、累積の列車通過重量と速度に比例するという単純規則が返されました。 それは鉄道技研に手渡したデータ源である在来線では良く一致していて金科玉条化しましたが、新幹線では金額ベースで5〜6倍の作業量が必要となり、保線量推定式=通トン仮説の修正が必要だったのに、なぜか提唱元の鉄道技研にはその誤差情報が返されず、ひたすら人海戦術で埋めようとしました。 しかし結局は激しい線路損壊を埋めきれず、50回近い半日運休で線路を交換・強化する羽目になりました。 未知の高速領域の推定なのに、実施結果を返して修正しなかった怠慢でもあり、鉄道技研の御託宣を金科玉条化して再検討を求めなかった、研究機関を殺してしまう運用現場側の誤りでもあります。

 新幹線半日運休50回弱により、50T(53kg)レールを60kgレールに換装したことでヒビや軋み割れは数分の1に減少して、それなりの成果にはなりましたが根絶はできませんでした。
 それを「結晶粗大化防止」ということでレール面を約10年間にわたり年間に0.1〜0.08mm研削することで絶滅させたとして山梨大工学部と鉄道総研の共同研究が「平成11年度日本材料学会技術賞」を受けています。
   See→日記#140:レール破損原因は既に確定済み!
 実はそのアイディアは現場のもので、学者のお墨付きがないと実施できなかった!というアングラ情報もながれていて、さもありなむ!(w。 失敗も許容して現場レベルでどんどん改良していった製造業界とは様相が違います。 0系103系の後継改良車種を長期に作れなかったのと同根の国鉄型弱点でしょうか。
 線路が高速走行による撃力破損を受けると考えると、低速度・低荷重では全く破損されず、有る閾値から先に損耗が始まるという折れ線特性は想定されるので、完全比例とする鉄道技研提唱の通トン仮説には元々無理がありました。 近似技術としては「折れ線」は計算が面倒なので、大抵は2乗〜n乗特性の和などとして扱うのが常識なので、JR東海発表の2乗4乗則は「ミニ・ビッグデータ」の中から、そうした近似式検索により得られた結果式なのでしょう。これは学会に受け容れられるべき「実態表現の結果式」だと思います。
 見積もりの5〜6倍の実作業量では、根本的に体制を組み直さないと仕事が回るはずがないのに、成りゆき任せで放置した結果が50回弱の半日運休修理で、管理側の怠慢・無能による事態ですが、これを「新幹線保線物語」(深澤義朗編著、山海堂出版'06/02/20刊)では、枕詞のように「国労の非協力」を言い立てて、著しい誤差のある通トン仮説の修正さえ求めなかった怠慢の正当化を図っていました。 加えて、線路破損撲滅対策に卓効のあったレール面の毎年0.08mm研削の効果まで、自分たちが提唱の軌道強化の成果に見える記事になっていて、個々の単純エピソードを除くと、到底学問的な書籍としては見なせない歪曲政治宣伝の書になっていました。
    See→日記[141].現場式とその理論化

 直交表実験方式も良い結果が出たら取り敢えずは採用して、理論付けは後からでも良く、当面は間違っていても不問という実利主義です。 そのテキストには「意図して割り付けた要因と、それに付随して意図せず付加された特性と、どちらが真の要因なのかは慎重に検討する必要がある」、「割り付けた特性に付加された特性要因で問題解決していたのに、それが突然変わってしまい、原因不明のトラブル化することもある」とか、「棄却率50%の不確かなものでも固有技術による判断から採用することは差し支え無い」とも述べられて、要因の棄却率と、特性値とは別物であることが指摘されていました。 統計的には棄却率0.1%で相違が確かなことでも、特性値そのものではあまり差が無いとか、費用対効果で棄却率が高くてもダメモトで試行の価値がある場合も考えられ、判断に固有技術が必要とか、学校時代の解析モデル(≒等価回路)を仮定して動作解析すれば一義的に決まるものとは大いに勝手が違う、一筋縄ではない品質管理手法に頭の中の再整理が求められて大いに戸惑ったものでした。
 実験に「直交表」を用いて多数の要因を割り付けて、結果に差の無い要因を「誤差」としてまとめ、差のある様に見える要因をF検定により棄却率付きで抽出、真の原因はさておき量産工程で実施可能な要因からアクションを取って結果を見ようとするもので、工程不良率を下げる(≡収率を上げる)生産管理手法としては大変有用なものです。 新生産方式の開発に加え、この経験則の弛まぬ蓄積で、日本は半導体製品不良率などアメリカ製品の1/10といった輝かしい水準を実現しました。See→日米半導体摩擦@1987春
 加えて日本ではZD、マル生など品質管理・生産性運動が労働者を護るべき諸基準・権利を自ら放棄させ、生産最優先・滅私奉公の思想改造を行う道具・運動=労働組合運動弱体化:不当労働行為の道具として使われました。 そこが純技術的だった品質管理手法発祥の地アメリカとは大きく違いました。

 この日本で加えられた滅私奉公思想注入路線に対して直接それに蝕まれる総評や中立労連・電機労連では御用組合が中枢を占めていて支配力が大きくて運動方針を出すことができず、対ZD・QC運動などの方針書が職場の少数派の活動経験を糾合した共産党委員会名で「アメリカ型労務管理との闘い」などとして出版されて広く普及するほど、まともな労働運動側は追い込まれました。 ホントはアメリカ型管理手法に日本で付加された「滅私奉公思想注入運動との闘い=労働組合破壊の不当労働行為との闘い」だったのですが、英文の原典までは辿らなかったのでしょう。 国鉄で「マル生運動」が組合弾圧の不当労働行為として断罪されて国会審議で磯崎国鉄総裁が謝罪に追い込まれたのは希有な例でして、後年に国鉄労働運動が、重なる判例として定着した内容を変える法律制定による国家的な不当労働行為を強行する中曽根分割民営化路線で、様々のフレームアップで攻撃解体される標的とされた基本原因で、そのどさくさ紛れに国民に高利借金利子累積赤字27兆円の付け回しをしたものです。

 ところが我が某社ではそれを「社長命令」で問答無用の絶対的方針とされて、本来適する課題で分けて並列運用されるべき固有技術・設計技術を非常に軽視・卓越させて統計的手法のみの採用を強要する筋違いな運用がされて、設計者としてはうまく立ち回って、その被害回避をどう図るかに腐心するとか、直接は統計データ処理には係わることのないベルトの組立工さん達全員に管理値とF検定計算などの詰め込みを試みて「四則計算もマトモにできない連中」などと中傷・愚弄して対立矛盾を深めて二進も三進もいかなくなり、会社挙げての品質管理の「デミング賞申請」を断念することになりました。 労働組合を一切認めない独裁体制経営の下、裏の滅私奉公思想注入など元々必要なく見えて、全く飛んで本質を外した弊害のみ目立つ状況でした。(その乱暴さで戦闘的な労働組合結成に繋がるのですが。)

 傍で見ていて思ったのは、社長のお声掛かりとは言え、仕事の中心メンバーを品質管理には割けないと、いわば2軍級プレーヤーに担当させたことで、採用推進すべき利点と、固有技術に任せるべき内容の区別も付けられず、集団就職年代の中学卒者が半数だった組立工レベルで参加して貰うべき内容も絞れず、その位置付けが無茶苦茶にのまま力尽くで押しまくって破綻したように見えました。 品質管理運動のリーダー側こそ良く分かってない!と思ったものです。 (後日のJIS9001やJIS14000導入、カンバン方式導入では関連セクションを軸に具体的指導でジワジワ〜〜っと導入して成功させていて、1979年の日本坂トンネル火災事故でトヨタの生産がストップする前に当初のカンバン方式では否定されていた「流通段階の適正在庫」を事実上許容して修正適用していまして、下請け支配力がトヨタよりずっと弱かったこともありますが、労働組合厳禁時代の、デミング賞申請を目指しての、職場の実情を見ない極端に強権的やり方に懲りたのでしょう。)
 ラテン方角/直交表利用と、そのデータ処理法はチャッカリと汎用の計算表にまとめて、それに実験データを書き込んだら計算作業が得意な技術試作係の女性達に割り振って計算して貰ったり、プログラム電卓やデスクトップコンピュータのソフトウェアーにして有り難く活用したもので、何がなんでもの利用強要をうまく回避した適切な使い方であれば大変有用な方法でした。 なまめかしく粉黛かほる美形計算機は無機質のPCを使うよりずっと楽しかったのでありますが、希に計算ミスなどもありまして悩ましかったところです。 統計データ処理の作業分担がしっかりしてれば「美形計算機」活用などあり得なかったのですが、日常の製品サンプル試作業務とはかなり毛色の違う新分野の開発作業の一端として結構楽しんで計算してくれました。 女子寮でそれらの非日常的作業内容が繰り返し話題に登った話はありまして、強要ではなく、興味を持たせ、乗せてしまった方の勝ち! 自社開発の自動組立機群の分解整備を含む油まみれの日常メンテナンスを女性たちに担当させていたのと「女性活用」では同じようなものでした。 女性でも優秀層はベルトコンベア作業での際限の無い単純繰り返し作業の耐性が低い人が多くて、多様な判断力を求められる試作担当やトレース、入出庫、検査・品質保証、事務要員などに「放出」していました。

レール滑走か?制輪子滑走か?元住吉駅追突!
非常制動に電制有効モードを残せ!減速度1/3化=(滑走≒動摩擦化)?  <2>

 豪雪下に起きた東急東横線元住吉駅追突事故(2014/02/14深夜)で、事故調査委員会は、ブレーキシューと車輪間の残存油汚れによるスリップ説を採って、対策としては早めの速度規制の実施と、車輪踏面の清拭を指摘しました。
 しかしながら、それでは加速度も著しく落ちていたことや、元々の雪国では起こらない、雪が希な都会地だけで発生している事故であることの説明は付かず、また、非常停止に電気制動有効モードを残して運転者の選択に任すべきだという論議も無視していて、さらに、安全原則からいえば、豪雪時に通常の減速力の1/3〜1/4に低下している実DATAを踏まえた規制基準「=降雪モード」は必須なのに、それが運輸安全委員会の事故調査報告書にはありませんでした。

 そこで「なぜ降雪モード制定を勧告しないのか?」、「TISに残された記録では、通常は25程度の減速定数がK=8前後(1.11・・・・11 km/h/s)に落ちていて、その状態での一段制動方式の衝突防止にはATCの演算パターン切換が必要なのではないか?」という質問になり、そうした防止対策の一般化が事故調査委員会の受け持ち範囲かどうか?(私は当然に受け持ち範囲と思っていますが・・・・・・)、そういう拡張領域を論議する場として、新たに曽根悟教授による前出トピックス講座「日本の鉄道の安全技術の発達と残された課題」3時限が開講されることとなり、うちの支配者の「金にもならない道楽に!無駄遣い」の白眼視の下、全3コマを受講申請。w

 制動力を落とした原因が、レール−車輪踏面間のスリップなのか、車輪踏面−ブレーキシュー間なのかはTISデータからも推定でき、不自然な速度上昇・下降がないことから速度計軸はレールと粘着していて、ブレーキシュー側の制動力低下と思われ、それならば降雪時の減速パターン切換で車間距離を採ることができて衝突防止可能です。
 また、運転指令から停止を指示されたのは後続1本だけだったそうですから、電制(回生制動)を有効にしたままの制動(常用最大制動)であれば、被害は軽減され、ギリギリ衝突しないで済んだ可能性があります。
 停止距離は制動定数K反比例で、試算しますと、K=8で800mが制動距離(=初速80km/h)なら、衝突しない600m内で止めるにはK=10.7(=8×(800/600))で、その減速度差はKで2.7(減速度で0.375km/h/s=0.104m/s^2)に過ぎません。これは回生制動力で十分吸収できた可能性があり、運輸安全委員会鉄道部会長松本陽氏の非公式個人見解「=降雪時は回生制動を有効にせよ!・・・・・生かせるようにせよ!」に同意です。富士急三つ峠惨事の、パンタグラフを上げて電制を生かしていたら助かっていた可能性の強い前例もあるわけですし。
 雪国の結氷起因のようにレールー車輪間の滑走ですとダメですが、雪国では起こしていないタイプの事故。早め制動など運転の仕方が都会地とは違うのでしょう。

共振試験もしてなかったのか!
コキ106/107江差線ローリング共振脱線!  <3>

 北海道江差線での3件の脱線事故は、新聞ロール紙の偏積載はあっても、基本原因が線路整備不良にあるように思っていましたところ、松本陽前運輸安全委員会鉄道部会長の「事故調査から・・・・・・・・・」の講義で3者3様だったことが指摘されました。

 整備不良とデータ改竄は必要な人員を揃えて真面目にやれ!!ってことですが、JR北海道の保線掛は軌間データだけ改竄して、左右の線路の偏倚データはそのままだったため、事故調査委員会で矛盾データとして改竄を一発で発見されて社長の首の飛ぶ大問題に!左右偏倚の差が軌間の狂いなのに、軌間データだけ直して左右偏倚データはそのまま提出して「矛盾データ」として引っ掛かってバレたってことです。
 線路整備手抜きの基本的原因として、かって国鉄JRに在籍した鉄道講座参加者から出された解説では、
「分割民営化時にJR6社の経営バランスを取るため、赤字必至の3島会社には「経営安定化基金」を抱かせてその運用益で赤字補填し、黒字となる本州会社には見合った負債(借金)を抱かせることで6社の総合バランスを取るスキームでスタートさせたのが、後日の超低金利で基金からの運用益が数分の一に激減して鉄道運営経費を捻出できなくなったもので、降雪・凍結で保守費を削りがたいJR北海道が真っ先のパンク!JR北海道経営陣の経営ミスとは言えない。
 逆に本州3社は利子負担が激減してその分大幅黒字で、リニア新幹線を自前投資でできるほど潤っているのが現状で、JR各社の鉄道経営手腕には大きな違いは無い!」

ということでした。
基金運用益が8%〜10%の時代に見掛けの収益調整として「基金」と「借金」を設定したのが、低金利で3%〜4%になったから経営が立ちゆくはずがない!ということです。 唯一JR九州が上場を狙えるのは鉄道事業以外の事業収益が主であって、様々な観光列車の派手な就航のセイではないという説明は大いに腑に落ちました。虚構のスキームで前提の利子が大きく変わったら、その誤差を埋める再配分が必要なのに放置されて、片や、営業線を半減する「合理化」案が出され、片や「自前資金のリニア開発」を可能にする状況が生まれている訳です。
 国鉄公社で38年(1987−1949)経営で設備投資を法のタテマエに反する高利の借金で行わせて、その利子分が累積赤字となってパンク、JRで既に30年(2017−1987)経過して北海道など地方交通線での見かけ上の「独立採算経営」では、公共交通インフラを維持できないところまで来ていて、線路は道路並に公有化するなどの実態に合わせた政治対応を求められているのですが、これまでの自民党など保守政権は利権の対象、国民運動潰しの機会としか見てこなかったことで出口がなくなっています。
 道路財源について厳密に言えば、道路財源の60%はガソリン税などの受益者負担ですが、残り40%が公的資金注入。鉄道にはそれがゼロだ!という不公平体制の問題で、「道路特定財源を鐵道に注ぎ込め!」という政策主張の根拠となっています。

 偏積載は列車出発前の点検指導が必要で、荷主に対してマニュアルなどで指導しているようですが、旅客線を走るのですから、出発までの間に片積みの計測設備を通すことは必要でしょう。 鉄建公団は青函海峡線両端のJR貨物青森信号場と五稜郭駅に「偏積測定装置」を設置した」と言う記事が2008/03/30刊の書籍にありますから2012年6月の江差線偏積事故発生はこの偏積測定装置が有効利用されてなかった模様(新幹線謎と不思議、梅原淳著東京堂刊p155下段L6〜)。これはいけません。

 え〜〜っ!と驚いたのが比較的新型のコンテナー貨車「コキ106/107」型が軽荷重時にローリングの強い共振周波数を持っていて、それに線路の凹凸が一致して輪重抜け脱線したという、コンピュータによる解析と、実車走行試験結果でした。懸架装置の軽負荷−重負荷切換荷重がコキ106/107型の方が従前のコキ104などより数トン高くて、それが共振領域になったというのです。
 東海道線鶴見事故(1963年11月161人死亡)の切っ掛けとなった2軸有蓋貨車ワラ1型の軽荷重時の走行特性不安定を、就航試験省略で見逃していたことから、曲線出口の緩和曲線部でのカント逓減による捻れで輪重抜けとなり脱線したというのですから、それ以来、走行特性不安定≒(ピッチング)共振には十分注意を払っているもの、別モードの共振であるローリング共振も当然に留意されているものと思ったからです。
 江差線事故2では幸いにして物損事故に留まり惨事化しないで済みましたが、鶴見事故のように複々線以上で起きていたらどんな結果を招いたことか!事故調査報告書には、コキ106/107型貨車の共振シミュレーションを某大学研究室に依嘱して、実車試験でも確かめた結果とあり、そういう振動系の過渡現象シミュレーションなら、工業高校・工業高専から扱っていて現場に近く、もっと簡易なアナログ計算機で十分結論が出たはず!と思いました。 運動方程式自体はデジタルコンピュータに設定したものと基本的に同じなのですから、手を出しやすい装置が有効です。(結果としては、真空管の製造中止と共にアナログ計算機の製品がなくなって久しく、現在は、完成製品としてはほぼ使えないことが分かったのですが、反面、私も1980年以降、過渡現象で詰めた試験を求められるようなJOBは請けてこなかったってことです(w。)

固有技術否定、文字列出典至上主義のwikipedia管理は無理・無茶  <4>

 そこで「アナログ計算機/アナログコンピュータ」でWebを検索してみますと結構見当外れの記事ばかり!ピッタリくる解説がなく、Wikipedia記事に加筆修正を加えましたが、歴史領域での非実用実験品と量産された実用製品を並列的に並べて実用品としての普及実態を無視した記事をガードしていたり、無用の一般化を試みて存在しない製品を解説する執筆者が出まして、そこで執筆争いを始めるとノートで記事の何倍かの反論・解説を試みるなど多大な労力を要して疲労消耗するだけでほとんど意味がなく、まずは自分のサイトにオリジナル記事のページを作った方が早いので、その機能と基本構造中心に以下アナログ計算機.記事を作成。その主機能解説記事は、執筆時に文献調査しただけよりも、たとえ初歩的でもアナログ計算機本体の設計・製作・プログラミングなど設計・運用経験が有った方が具体的で説得力がある記事にしやすいでしょう。
    (参照→ http://www/geocities.jp/jtqsw192/FIG/800anacn/analog.htm

 それを下書き原稿にWikipedia向け削除・修正を図り、先に手を入れた原記事とは別項目として「アナログコンピュータ」項を建てましたが、案の定、記事内容からは全く無用の出典表示要求Tagに晒されまして、正当な出典に乏しく「総論」としては不適切だった元々の「アナログ計算機」@Wikipedia 記事に信頼性表示で逆の差を付けられることになりました。 検索した冒頭に、記事内容ではなくTag貼付者の個人評価である「出典無しTag」ばかりが表示されて閲覧妨害されるのです。 「叙事」や「学説」に「出典」は必須ですが、公知の物理定義・法則、そこから直に導かれる争いのない結論には特定の「出典」は却って不自然で、記事として自己検証される内容であれば成り行きに任せて放置すれば良いものです。 数学の証明に「出典」は要らないのと同じですが、記事内で何通りもの証明を行っていて敢えて外部の出典提示の必要の無い「ピタゴラスの定理」にまで3つの出典提示が・・・・・(w。 簡単に自己検証可能で信用性の点からは敢えて出典は要らず、教科書・参考書・読本など「出典」だらけのものを、一つだけ出典とするには執筆者として抵抗感が強かったので手許の複数出典になったのでしょう。

 争点多数で深刻な争いも多くて特に効率的な論議の求められる民事裁判では、先ずは原告、被告双方の主張にお互いに「認否」を求めて、双方争いのない事実を確定させてから、主張の異なる部分の立証を求めて、それを裁判官が判断して判決することで、手間と時間の掛かる立証作業を減らしているのですが、争いのない科学技術分野・数学分野の良く知られた公理、定理、定義にまで「出典」として立証を求めて無用な作業量を増やし表示妨害するのは異常です。(刑事裁判は微妙に違い、証拠の採否から争います。「無断GPS捜査違法」とされると、それを証拠とした訴追は総て却下!無罪です)

 また、出典同士が内容で対立矛盾を起こしているものも時折あり、その取捨選択は執筆者の固有技術・科学的スキルに依るほかありません。「出典」だけでは解決出来ないのですが、記事内容を読み込まず理解しないままに冒頭に「出典Tag」を貼って検索画面では読めなくしてしまう愚で、記事の信頼感を無用に落としています。

相互に矛盾する「出典」はザラに存在!選択採否は各自の固有技術  <4.2>

矛盾出典の選択は固有技術!

高圧タップ式構造解説「出典」
2変圧器 電気鉄道ハンドブック:コロナ社
制御方式入門Up110:Q-DAT
運転理論(電気機関車)p58交友社(回路図16)
鉄道総研用語事典旧版
誤×1変圧器 鉄道総研用語事典web版&新版
鉄道用語事典山海堂
鉄道用語850所澤秀樹著イカロス
運転理論(電気機関車)p58交友社(解説文)
鉄道の基礎知識p190創元社
鉄道DATA FILE 158-23
(+多くの鉄ヲタ本)
 たとえば鉄道界の大変な権威ある鉄道総研(鉄道総合技術研究所)公開のWeb鉄道技術事典の記事に間違いが有り、鉄オタ本の多くがこの間違い内容で書かれてしまっていて、正確な記述をしている本の方が極少ない項目があるのですが、この場合は、多数を採るべきなのか?執筆者の固有技術で少数でも正しい方を採るべきなのか?Wikipedia管理マニアは「正しいかどうかは関係ない。検証可能性が問題だ」と繰り返し、執筆者の固有技術による解説・選択・判定に「禁止されている独自研究であり削除せよ」と絡んできますが、記事が正しく書かれることは大前提で「関係なく」はありませんで、少なくとも科学技術として納得できる妥当な出典は示せない元記事を削除する必要が有ります。

「高圧タップ式」は2変圧器一体だが、出典書籍では1変圧器が多数派!  <4.2.1>

 既に全車が廃車されていて歴史領域のことになって、実務レベルでは間違いでも関係ありませんが、日本で開発された交流電気機関車の黎明期の構造として「高圧タップ切換式」というのがありまして、鉄道総研Web辞書など広く拡がった多数派の解説では「トランスの(特別)高圧20kV側のタップを切り替えて速度制御する方式」となっていますが、そんなことは実際的には実現不可能で、正しくは「2トランス方式で、特別高圧20kV側に単巻き変圧器を置いて電圧切替して、そこに整流器に繋がる降圧トランスを接続するが、両変圧器の一部磁路を共通にして小型・軽量化している2トランス一体化構造」です。

 出典としては、ごく少数、正しく書かれた書物も近年出版され、「電気鉄道ハンドブック」(同編集委員会編2007/02/28コロナ社刊\30,000.+税)p163「高圧タップ制御」には構造図(図3.92&図3.91)付きで正しく解説されており、もう流通していない鉄道技術用語事典の旧版には正しく「2トランス式」と書かれていまして、運転実務テキストも、その回路図では正しく書かれていますが、対立する出典記事同士のどちらの解説が正しいかの判定は、出典の多数決ではなく、ごく初歩的な接続回路図を読み取る力=執筆者の固有技術に基づく判断に頼るほかありません。 wikipediaの記事としては「電気車の速度制御」の記事の一部「タップ制御」として正しく解説しているので、相矛盾する出典があって、正しい方が少数であることは目立たなくて済み、wikipedia管理マニアの無用な出典攻撃を逃れられていますが、「高圧タップ制御」単独項目にしたらどうなりますでしょうか?
   See→☆日記#153:「一部共通磁路で一体化構造を誤解!高圧タップ切替式の構造」
       ☆日記#151:A.高圧タップ制御
       ☆電気車の速度制御#タップ制御@Wikipedia

「BT饋電結線図」は、変電所帰線書き落とし図が多数派  <4.2.2>

矛盾出典の選択は固有技術!2

BT饋電方式結線構造図「出典」
変電所帰線有り ☆電気鉄道p189図8・11,p146図7.4松本雅行著 1999/04/30森北出版刊\3k.
☆最新電気鉄道工学p165図6.19電気学会電気鉄道における
  教育調査専門委員会編代表持永芳文2000/09/11コロナ社刊\5k+税
☆電気鉄道ハンドブックp530C1図7.104,P571C2図7.211
  編集委員会代表持永芳文'7/2/28コロナ社刊\3万+税
☆電気鉄道概論p62図3-1(2)安藤信三著2003/12/08改訂増補版成山堂書店刊\2.2k
☆鉄道工学P147図 ・ 共著 森北出版刊\2.5k
誤×帰線無 ★鉄道用語辞典P257,BT饋電,久保田博著2003/06/16グランプリ出版刊\2.5k+税
★鉄道工学ハンドブックP114図6-3久保田博著 1995/09/15グランプリ出版刊\2,440+税
★新幹線テクノロジーP167図5.8(b)BT饋電,佐藤芳彦著 2004/03/18山海堂刊\3.2k+税
★BT接続図:旧版Wikipedia(結線図差替訂正済み)
   (共に小倉工場系資料の間違いか?)
BT饋電誤接続@wikipedia BT饋電正接続
変電所部帰線書き落とし↑誤                正確なBT結線↑
 交流電化でのBT饋電法の結線図も相反する出典があって読者・執筆者の固有技術による独自判定が必要になり、Wikipediaの記事も正しい接続回路に訂正されていますが、それを「独自研究」などとするアホな管理人はまだ現れていません。 簡単な回路図なのでトランスの動作が分かれば理解出来るのですが、故久保田博氏ら旧国鉄小倉工場系の著者の回路図に変電所直近の帰線接続を書き落としています。元記事の図は、内容を理解出来ずにコピペしたものでWikipedia「出典至上主義」の適用できない典型例です。See→BT饋電直接給電部の帰線は?

「半可通誤解説」が「出典」とされ、信者の防御もあり間違い訂正に難儀
  現在「信頼性に欠けて出典に採用できない資料」で鉄道分野では排除  <4.2.3>

 ベストセラー鉄道本ライター川島令三氏の著書の鉄道技術解説にあまりにデタラメなものが多く見られますが、読めば判る技術的に当然なことに明文の反論記事などほとんど有りませんから、その訂正をするのに「出典」で氏の単行本の勝ちになって、永らく固有技術による解説では訂正できず「間違いは間違い」と長期論争が続いたのですが、同氏のあまりに酷い尼崎事故本「ボルスターレス台車原因論」(2005年刊)への厳しい反論を故久保田博氏が同年秋の鉄道ジャーナル誌上で行って川島氏がだんまりを決め込んでから風向きが変わり始めて、固有技術で判断しての川島本の内容の間違いが広く信じられるようになり、近年は逆に「信頼性に欠けて出典にしてはいけない資料」←(川島令三氏著書)という扱いが普及して、川島本では出典主張されなくなりました。 その本質は妥当な固有技術的判断が勝って、川島令三本の正統性=文字列出典主義を主張できなくなっているのに、形式として出典至上主義の維持をかたくなに図っているものです。 「信頼性に欠ける資料」、「出典にしてはいけない資料」をwikipediaの誰が認定するのでしょうか?(w。川島令三本の個々の記述が執筆者各自の固有技術に照らして間違い・不正確だから「出典」たり得ないのですが、そういう具体的検討なしに丸ごと排除されていて出典至上も実にご都合主義です。
   See→ ☆日記#81:ボルスターレス台車原因論批判
       ☆日記#95:川島事故本記事批判
       ☆日記#171:ボルスターレス台車原因論批判=メーカー回し者論への反論
 膨大な量のベストセラー執筆者の影響は絶大で、科学技術的に、いくら正しい説明をしてもなかなか巨大レッテルには勝てませんで、執筆者当人が訂正しないで著書が出回っている以上は繰り返し無責任な技術解説の誤謬を指摘して「信頼性に欠ける出典」という負のステータス維持を図りませんと、再びWeb百科事典に誤謬が蔓延る事態に戻ってしまいます。

 出典Tagを貼った管理人は、執筆履歴を見ると、物理定義そのものである「等加速度運動」項にまで記事冒頭に「出典Tag」を張り付けて検索からは記事を読めなくしていまして、おそらくTagを貼るのに記事内容は読み込んでないのか理解できていないのでしょう。
 争いもないのに記事の信頼性を無用に落とすだけのTagを貼り続けるwikipedia管理マニアは事実上執筆者の固有技術を否定してTag優先表示で読者に迷惑を掛けている実に困った存在です。 当該管理者は数千に及ぶ「編集」の見られる活発なwikipedia活動家ですが、有害無用なTag貼りを「善意」で「確信を持って」行っていて全く聴く耳持たないので処置無しです。 その反動として一般・個人サイトが読まれるのは私的な損得から言えば結構なことですが、善意の執筆者をwikipediaから追い払ってしまうのでは「知の共有」を目指したWikipedia設立理念に反する愚行でしょう。

国鉄型ATSの大失敗の総括!
私鉄ATS仕様通達  <5>

 私鉄ATS仕様通達(鉄運昭和47年鉄運第11号通達)が、後の国鉄電気工作局長石原氏の運輸省出向時の仕事で、前年1966年4月、全国鉄で運用を開始した自動列車停止装置の深刻な反省から制定された通達だという曽根悟教授の話は全くのトリビアでした。 戦前の山陽線網干駅急行追突事故1941/09を承けて山陽線の広島以遠で設置工事が始まり、車上装置を準備していた工場への爆撃と戦後のアメリカ占領軍命令で潰えた鉄道省型の自動列車停止装置:ATSは3段の連続速度照査がされて基本的に私鉄ATS仕様通達を満たせるものでしたから、これを戦後の国鉄が放棄し、参宮線事故を契機に危険な「車内警報装置」に走ったのは鉄道省から国鉄に移った鉄道現業組の仕業で、運輸省に残された鉄道省組が鉄道省型ATSの安全の基本を押さえた私鉄ATS仕様通達を出して私鉄だけはそこそこの安全を確保したと思っていたからです。簡単な構造で優れた機能の1号型ATSの京三製作所などは戦前の鉄道省型ATSにも噛んでいました。 ということは、その石原氏が国鉄に復帰しても欠陥仕様ATSにはほとんど手を付けられず、1987年4月の分割民営化では私鉄ATS通達の適用除外にされたことになります。

 日本の鉄道の自動列車停止装置ATSは、国鉄では1966年4月を期して全国で運用が始まりましたが、その動作仕様が停止信号を警報するだけで、運転士が一旦確認操作をすると以降の操作はフリーになってしまい、最悪、最高速度のママ停止信号を冒進できる「目覚まし時計仕様」で、突破事故が頻発、JR東日本副社長、社長・会長歴任の故山之内秀一郎氏はその著書「なぜ起こる鐵道事故」などで「到底自動列車停止装置とは呼べない」と論難していました。
 1967年1月発の私鉄ATS仕様通達(鉄運昭和47年鉄運第11号通達)は、必要十分を押さえた機能通達だったので、各社まちまちのATS/ATCが設置されて百花繚乱!相互乗り入れをする鉄道同士でも違っているのが普通で、例外的に共通になったのは都営地下鉄1号線(都営浅草線)に相互乗り入れする京成系と京浜急行電鉄の「1号型ATS」と、阪神-阪急-山陽電鉄程度でした。
 国鉄は、機関車列車、貨物列車の存在を口実として私鉄ATS通達仕様の採用を拒み、分割民営化時にはその通達の無効化をして欠陥ATSを温存させて事故を繰り返しました。しかしそれは間違った説明で、現実には東武TSPに見られるように、列車の減速性能毎に最高速度を規定して制動距離を揃えれば済んだことですし、国鉄自体が減速度の異なる列車種別毎に最高速度を規定して貨物列車65km/h制限などとして同じ閉塞割りの信号区間で運行しているのですから、安全対策拒否のための素人騙しの言い訳でした。
 この問題を根本的に解消した安全装置のひとつが山手線・京浜東北根岸線・埼京線など首都の国電に装備されたATCでしたが高価に過ぎることと中央・総武の稠密ダイヤの輸送量は捌けないことでATS-B型のまま残されて中央緩行線東中野事故1988/12に到ります。 ATSとして問題解決出来た安全装置が1986年12月供用のH-ATSで、後に「ATS-P」の命名を開発試験中の変周式Pから譲渡されて、停止限界位置を基準に車上演算で限界速度を算出して照査する方式で、東中野事故を機に採用が促進され高密度運用国電区間用として東京圏・関西圏で使われていたATS-B区間と、JR東日本の東京周辺区間、関西の一部幹線がATS-Pに換装され、2005年4月の福知山線尼ヶ崎事故を経て「次の大惨事は東海か!」と指差されていたJR東海が全線をATS-Pに換装しました。
   →鉄道省型の自動列車停止装置:ATS
   →私鉄ATS仕様通達(鉄運昭和47年鉄運第11号通達)
   →国鉄型ATC-1E


集団就職IMG:零落?成功?  <10>

 「歴史街道」誌2017/06号に「高度成長を支えた「集団就職」の意外な真実」p120として、「・・・・・・・・都会の冷たい風に夢破れ、やがては事件に巻き込まれる・・・・。 集団就職というと、暗さや悲哀をイメージする方も多いだろう。 しかし・・・・・・・実像に迫る」 という編集部によるリードが付けられていて、記事の冒頭も一般認識として、新聞報道を辿ると同様の印象を受けるが真相は違う、と記事にしていますが、それは♪嗚呼上野駅♪(伊沢八郎)の歌詞のイメージなどに引きずられて新聞記事の拾い方を間違えて間違った結論を得ていると思いました。 正しく新聞記事を拾えば、製造の中心地たる大都会へ大量の労働力が動員されて集団で採用され、家庭を構えて持ち家も建てて定住し定年まで働いて都会に暮らしている大勢の地方出身労働者の姿が見えるはず!
 現在は半失業者と言える低賃金の非正規社員が若年では過半数を越えて持ち家どころか家庭を構えることすらできない貧困が蔓延しているのに対して、かっては夫婦で一生懸命働けば定年までに家の一軒も建つのが普通だったのが集団就職世代の実態で、集団全体が「暗さや悲哀をイメージする」というのは誤解・妄想も良いとこです。

 集団就職列車は春の就職シーズンの臨時列車であり、それよりかなり多くの就職者は一般の列車に乗って就職先の大都会に出てきており、しかも当時の労働集約産業の電機産業などは1社で数百人から千人単位を採用していまして、同一出身地から地域の商店・中小企業に纏まってという採用形態の方が極々少数のことでした。
 しかも新卒採用だけではなく、中間採用も各県・各地の職業安定所に求人申請を出して頻繁に廻っていて、採用現地には「採用嘱託者」を配置して継続的に工員募集を掛けており、本土復帰前の沖縄からも大量に集団採用してアメリカ民政府のパスポートを持って二泊三日の船旅で赴任してきています。 採用嘱託者から赴任切符を受け取るなどして指定の列車に乗ると、終着の東京駅や上野駅、桟橋などに会社の採用担当者が標旗を持って出迎えに来ていて集団で独身寮まで案内していました。
 私の新人研修時代に実習生として一瞬人事部採用担当に廻されて、当時、年間1000人から2000人の採用が必要な状況で、「来年度、各県からそれぞれ何人採用するかの計画を立てろ!」などという演習課題を与えられて、採用資料を見ながら原案を作らされた記憶があります。 東京・神奈川主力の会社ながら、九州と沖縄からの採用が非常に多く、また一旦大量採用した県からは翌年以降ほとんど採用できなくなっているのが特徴的で、岐阜県からの採用が一貫して異様に少なかったのは覚えており、これは名古屋中心のトヨタ系へ流れているのか?と思ったものです。 大量採用の後に採用できなくなる理由は、今でいうブラック企業で、定時制高校通学などを強制残業で妨害し、通学保障を求めた都立高校を逆に非難し推薦・紹介から外し、労基署の手入れも当日だけ残業免除し登校を認めて誤魔化すなど、様々な条件が募集宣伝とは違い、長時間残業・罰残業の強制など仕事がきつくて工員の在籍半減期が1年半以下という極端な職場状況だったことで採用者から学校に連絡され職業安定所に苦情が殺到したためです。中学新卒者の求人・採用は職業安定所経由でしか許されませんから先輩からの苦情の採用抑止効果は絶大でした。
 また、長距離の赴任時に普通列車利用は義務付けられて居らず、寝台急行で受験し赴任する旅費は支給されていまして、異性の同級生と一緒に上京、入社試験の宿を自分たちで手配したため現地の様子が良く分からず、知らずにラブホテルに泊まって入社試験を受験したというのが居て大笑い、「きっと悪さをしてる!」と散々にからかったものでした。 集団就職者にも成功者が多く居るという「驚きの」結論は当然にその通りですが、記事の背景前提が思い込みで違います。 「歴史街道」誌は認識の粗雑な本だなぁと思いました。

日本統治下台湾で活躍の土木技師八田與一特集が主記事  <10.2>

 同誌同号の特集は、戦前の日本統治下の台湾南部に烏山頭ダムと配水路などの大灌漑施設を造って肥沃な農地化した功績で、生前から銅像が建てられ神社にまで祀られ、今も現地で称えられている日本の土木技師、八田與一氏の業績特集で、表紙のキャッチに「台湾で最も愛される日本人、総力特集、八田與一」として、日本統治の全面否定を要求した国民党蒋介石独裁政権下でも処罰の危険を冒して銅像や資料が保存維持されてきた状況を書いています。 この手の情報が大日本帝国無謬論・侵略戦争肯定論の勢力から出されて、侵略支配正当論の根拠として恣意的に使われるのは見過ごせませんが、逆に実態をオープンにしてしまえば手前味噌の不当な歪曲ができなくなる訳で、整理したいと思います。

 日本の植民地政策は、完全征服して文明と民族を滅ぼしてしまいマチュピチュとかマヤのピラミッドなどの遺跡しか残さなかったスペイン・ポルトガルの蛮行や、やらずぼったくりの寄生虫型だったイギリス、フランス、オランダ・イタリーなど西欧の植民地政策とは大きく違い、建前としては、日本国内という扱いで生産力向上を目指して各種社会インフラ整備を進め、周回の鉄道、道路、水道、公衆衛生、教育に力を注いだことで、清朝時代には「ケガイの地」などと呼ばれて治めきれなかった地域を日本統治下の50年で開発整備してきて、植民地投資に見合った収益・成果を得たかどうかかなり疑問の持たれる状況がありました。 国鉄型設備のマニアには台湾国鉄がその宝庫になって残っていて今も見学の対象になっているくらい大システム丸ごと移転の国内扱いでした。 無論、基本は植民地経営の効率化の観点から生産力の向上を目指したものでその正当性を主張できるものではありませんが、台北帝国大学の設立など日本国内と並んでの設置でしたし、乳幼児死亡率を激減させ、義務教育も普及させ、台湾住民の生活向上に資したことは疑いなく、日本国内と分け隔て無く本気で大ダム建設と灌漑設備を完成させた土木技術者八田與一氏の功績と善意とを否定することは難しいでしょう。 特に「教育」は植民地からの独立の方向を強めるもので、戦後台湾を支配した国民党蒋介石独裁政権は台湾島内の大学設置を暫くは認めませんでした。国民党の支配政策が、教育については旧来の植民地経営で、日本統治時代より酷かったことを示すものです。 植民地支配という「大枠での不当」の中にも功罪があったということです。

 建前としては日本国内扱いの植民地政策は朝鮮に対しても同様に行われて、社会基盤整備や義務教育が実施されましたが、こちらは今も右派日本人に強く残る著しい朝鮮蔑視と差別扱いがあり、関東大震災時の6000人に上るといわれる大虐殺事件など、日韓併合による植民地支配糾弾が韓国内の圧倒的世論であり、「国の独立の気概のない李王朝下で外国支配は回避できなかった状況で、ロシアに支配されるより国内という建前でインフラ整備した日本の統治の方がマシだった。」という声は極々少数しかありません。 李王朝が国民の運動を怖れてロシア大使館に逃げ込んでそこで執務したような醜態はあって、朝鮮独立派は弱小勢力だったことで日露いずれにせよ植民地化は必然だったという認識は極少数です。 そこへ日本の極右勢力&安倍晋三政府の朝鮮差別言動と朝鮮支配正当論、慰安婦個人経営論、大虐殺幻論が加わってその都度、激しい対立が起こっています。

 加えて、台湾の親日性が非常に強い決定的理由は、日本の敗戦後に中国大陸から進入してきた国民党政権と軍の著しい腐敗と、台湾を植民地扱いして収奪する政策を取ったことで、台湾の外来政権支配が大日本帝国から中国国民党政府に取って代わって、しかも日本統治時代にはみられなかった激しい腐敗が蔓延しただけになり、島民の弾圧抗議運動を「共産主義の浸透」などとして大規模弾圧を図って28,000.人を殺戮した2.28事件(1947年)を起こして、特に日本統治下で教育を受けた知識層を標的に殺害し、長期に戒厳令を敷き、大学開設を認めないなど、軍事独裁政権の圧政との対比で、それよりは穏やかだった日本統治時代が肯定的評価を得ているもので、台湾独立の世論の強い根拠となっています。 日本統治時代の50年間に土着のゲリラ掃討を繰り返し、帰順者・投降者をインフラ整備の失業対策事業に就けて職を与え治安の安定化を図っていて、現在のイラクなどで反対派の職を奪ってゲリラ化させIS勢力にしている扱いより筋が通っていますが、延べの掃討数(殺害数)は30,000.人とされています。 仮に清朝がその統治確立のため民生の充実を図り掃討作戦を実施した場合にもかなりの掃討数にはなったでしょうから、比較のできない数値ではありますが、蒋介石国民党政府の台湾島民大殺戮:二・二八事件と1992年まで続いた長期の圧政が、日本への高い親近感の原因になっていることが韓国・朝鮮とは際だって異なる背景条件です。
 両岸の大陸政権同士が「一つの中国」を言い募ったところでそれは土着の島民には全く関係が無い外来政権同士の話で、「一つの中国、一つの台湾」として独立を求める世論が台頭してくる背景ということです。 アメリカのイギリス植民地からの独立戦争などの経過に照らして台湾国民が大陸政権からの独立を求めることには正当性があると思います。 「一国二制度」を標榜して始まった中国による香港統治の乱暴さをみるにつけ、台湾が中国に併合される解決を台湾国民自身が選ぶことはあり得ないでしょう。

搾取と収奪の混同
   台湾の日本統治実現、4代台湾総督児玉源太郎+後藤新平+新渡戸稲造特集も!  <10.3>

 「歴史街道」誌2016年5月号が、やはり台湾統治特集をしていました!第4代台湾総督児玉源太郎、民政長官後藤新平、農業大改良の新渡戸稲造、鉄道敷設の長谷川謹介、先出ダム建設等灌漑の八田與一、教育普及で匪賊に惨殺された6名の学務官僚とエピソードを綴り、どうも毎年定期的に日本の台湾統治成功キャンペーンをしている趣があります。先の同誌2017年6月号、八田與一特集に感じた違和感の正体かも知れません。 その記事に
   「決して「搾取」だけではなかった統治」
   「英仏とは異なる「中間型」」

とありまして、「収奪」という概念が特集記事からはなくなっているのです。
 私は工学部電気工学科出なもので、一般教養の「経済学」は古典経済学系で、それを数式を使って表そうとする学派の教授から「○○弾力性」とか、「時間遅れ要素」とか応答速度からあり得ない過渡応答である「蜘蛛の巣の定理」とかを詰め込まれて定期試験に臨んで凡人「良」で単位を取っていますが、マルクス経済学の概念である「搾取と収奪の違い」はセットで説明されていて、各経営単位で剰余価値を持ち去るものを「搾取」、税金など社会システムで価値を持ち去るものを「収奪」と区分けしていたはず。 「数値経済学」だなんて、そのうち回帰分析やシミュレーション解析技術に吸収されて無くなってしまうんじゃないのか?とか、あり得ない仮定!などと思いながら記述式試験でそれらしい正答を解答していたら「良」評価はオンの字なのでしょう。 「歴史街道」誌の執筆者、編集者共に文系人士のハズなのに、「搾取と収奪」なんてとうに風化してしまったのでしょうかねぇ?
 さらに、植民地からの収奪(「搾取」と記述)の仕方としてイギリス型とフランス型があり、日本はその中間と書いていまして、(2016/05号p17下段)
   「イギリスが採ったのが「準放任主義」、・・・・・・・・現地の支配階級、特権階級を懐柔して・・・・・・利益や資源を吸い上げました」
   「(本国から)官吏をじかに派遣する「同化主義」を採ったのがフランスで、インフラをなおざりにしてフランス語とフランス文化を押し付け、略奪政策を行いました」
   「これらを踏まえて明治日本の植民地政策は・・・・・・・・英仏の「中間型」といえる・・・・」

と言うのですが、イギリス、フランス共に、教育やインフラ整備など全く無視で、やらずぼったくりの寄生虫型植民地主義であることは共通で、植民地収奪に、現地売国勢力の力を借りるか、本国直轄かの相違しかないので「中間型」などありません。 それらと日本の植民地政策の決定的な違いは、建前にしろ「日本国内扱い」で、実際に大規模な社会インフラ整備投資が行われ、制度として教育の充実が行われたことで、後年の植民地からの独立の基盤を作っていることが、英仏の植民地統治、知識層の虐殺まで行った国民党蒋介石政権の軍事独裁統治とは決定的に違います。 後年、台湾と朝鮮の帝国大学の合格者を日本人が多く占めて、その不平等が強く批判されましたが、優秀層は合格しており設立目的通り一貫して現地の人たちに開放されていたことは間違いありません。 戦後の日本の私学にも暫くの間、教職員子弟枠があって優遇されていて誰も疑問に思わなかった時代があり、帝国大学スポンサーたる日本人子弟に足駄を履かせて合格させることに強い悪意は無かったのだと思います。(教職員子弟枠は、今なら大問題にされますが・・・・・当時は公然の秘密で優先枠の存在が知られて許容されていました)。 加えて、日本の統治開始時には台湾島内の共通語が存在せず50年の統治で島内交通が整い日本語が母国語化しているところへ中国語強制となったことも効いています。 日本統治当初は官僚の腐敗も酷くて四代目総統児玉源太郎の時代に日本からの官吏中約1000人を能力不足などで解雇していて、腐敗批判を武力で抑え付けた国民党蒋介石政権とは大きく違いました。
 日本批判厳しい韓国でも日韓条約交渉で韓国側閣僚が日本統治時代を非難して締結を渋るのを朴正煕大統領が自分自身の体験から、「日本の教育政策で義務として教育が受けられ、師範学校から満州士官学校・陸軍士官学校を出て今があり日本の教育はわりと公平だった」と説得して締結に到ったという広く知られたエピソードがあります。See→鉄道第2連隊#朴正煕
右派指向雑誌は事実評価が雑ですねぇ。

2017/05/31 23:55

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