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東中野事故:衝突速度64km/h説  (東横線元住吉事故記事余談)
「立証なき主張」は学者のものではない!

 東急東横線元住吉駅追突脱線事故について、永瀬和彦金沢工大客員教授が鉄道ジャーナル5月号に解説し、状況説明しています。
鉄道ジャーナル2014/5(p134表1)      <F1>

東中野事故概要
停止列車追突事故
細々の状況説明は別として最終結論は「適切な耐雪ブレーキの使用」で、操作の適切さを判断するあれこれの現象指摘がされていますが、それはいわゆる「運転士の職人芸」に留まって、普段は訓練できない雪中の操作ですから、教習で一定の効果はあって、感覚としては大いに心当たりがありますが、「漏れのない確実な対策」にはならないでしょう。都会の運転士に定期的に雪国での豪雪中運転を実際に経験させるというのは、交通密度の薄い雪国の列車本数が絶対的に足らないと思います。

 観光バスが豪雨の水流を渡ってブレーキドラムに水が進入しますとブレーキが効かなくなり、回復するまでブレーキを踏んで制動力の回復を図るのが見られますし、ツアー車でサイクリング中に豪雨や降雪に遭いリムが濡れると同様にブレーキが効かなくなって、力一杯ブレーキを掛け続けて制動力を回復させますが、制動しきれず加速してしまう恐怖の急坂もあり、荒天時には絶えずブレーキテストを繰り返して制動力を回復させながら慎重に運転しますが、制動力回復まで10m〜20m走ることはあります。

 鉄道での雪噛み対応も同様に「耐雪ブレーキ」による摺動面清拭・加熱で融雪・乾燥させて制動力を維持させる、しかし過剰に耐雪ブレーキを使っての激摩耗は避けたい微妙な匙加減が求められる訳ですが、時に今回の元住吉事故のように耐雪ブレーキが不足することもあって、そのバックアップ措置も絶対に必要です。

 その意味で永瀬客員教授記事が「事故防止対策/今後の課題」とした総括章の指摘不足は、東急自身が即座に発表した最高速度抑制と、ATSパターンの環境に合わせた減速度切換に全く言及していないこと。永瀬氏の記事が諸対策中の1項だけ強調・解説する形ではない、総合的事故防止対策に見えますので、この辺は、雪中での減速度が1.11111km/h/sと算出した日記#357に指摘の、減速運転とパターン切換が加えられるべきでしょう。
 また、雪中の制動力維持安全対策としては耐雪ブレーキ使用だけでは制動力維持の確認ができないことを今回の元住吉追突事故は示しました。ですから、逆に電制を停止させ加速毎、走行時間毎に制動テストをして摩擦制動力を維持させる観光バス的運転を徹底したらいいと思います。北海道専用国鉄711系電車には摩擦ブレーキだけで、電制はありませんでしたが、それもあってかニュースになるような過走事故は起こして無いようです。
   See→日記#357:安全余裕確保を軽視か!東急ATC雪中追突事故!

東中野事故記述部分(p135)   <F2>

京成電鉄3100型制動特性(同社3100型仕様書p17) <F3>
【3100型 制動定数K試算】平均減速度βkm/h/s
初速 km/h11070
距離mββ'距離mββ'
電空併用474 25.53.554.0174 28.23.914.5
空気のみ570 21.22.953.5199 24.63.424.0
(制動グラフと、制動距離表で減速度βが
0.5〜0.55km/h/sほど違う!??
& 電制の減速度が1km/h/sは小さすぎる。
  遅れ込め制御ではなく非常制動での設定か?)

外した東中野追突事故解説
  実内容が編集カットされたのか?!   <1>

 永瀬客員教授の記事としてはオマケである過去の衝突事故論議で、レッテル貼りだけで、具体的解説が全くない、不合理な主張があります。それは中央緩行線下り東中野事故1988/12/5の事故調査担当者としての解説で、「信号開通待で駅停車中の先行列車に、該列車が@ブレーキを作動させない状態のまま、A64km/h程度の速度で追突した。」とありまして、下線部が永瀬氏による新情報ですが、裏付けの説明が全くないことに加えて、これまでの報道内容への論証のないレッテル貼り型の非難だけされています。曰く、
「・・・C昭和63年12月にJR東の東中野駅構内で起きた追突事故は、筆者は原因調査に関わったために事故の詳細を承知している。・・・・・情報は外部には開示されず、D今も無責任な流言が巷間に飛び交っていることに心を痛めている。事故発生から25年以上が経過したこともあり、Eこの場を借りて主な内容を開示させていただくこととし、その概要を表1に示す。続行電車は、@ブレーキを全く作動させないまま,A64km/h程度の速度で先行に衝突し、B車両の損傷は今回事故より遙かに烈しかった。」
というのですが、客観事実の指摘である@〜Bが全く言いっぱなしで根拠が示されて居らず、C〜Eの言が空回りになっていることです。 @については永瀬氏の
尼崎事故調報告書批判(2.2 2)L9〜) でも読みましたが、これ@〜Eが全貌暴露説明とは大仰に過ぎます。RJ編集部が必要な中味をカットして記事が変なのでしょうか?鉄道界のビッグネームに対してそんな無茶をするでしょうか?
 「無責任な流言」とは具体的に何を指しているのかも判らず、サイト検索で東中野事故関係記事を読み漁っても、当時の報道を外れる極端なものは見当たりません。[表1]の語る中味は、低速での追突でも意外に人的被害が大きいことは言えても、東中野事故についての「流言を糺す」部分は無いと思うのですが、。

 まず事実関係として、衝突速度が64km/hは極めて可能性が低いでしょう! 事故はY(橙)現示の制限速度55km/h−δまで減速して第1閉塞のY現示区間に進入し、ATS-Bの警報を受けて「確認扱い」して持続警報に切り換えて場内信号の停止信号に向かっているはずですから、そこからどういう事情で64km/h前後まで加速したのかの説明は必ず必要です。厳密に規則通りの運転なら警報を受けた時点で一旦停止してから再起動して25km/hで赤信号に接近するタテマエですが、実際には、一旦停止はほとんど守られず、Y現示速度を維持して走行、停止信号50m手前に停止するのが普通の運転でした。
 当時の報道で、当該列車車掌の証言として「40〜50km/h余で接近、衝突した」と報じられており、場内信号の赤を見落として進入する速度としてはY現示速度−δが最も有り得る速度です。これを大きく越える64km/h前後での進入・追突とするには、その特別の事情を示して説明しないと全く説得力がありません。

東中野事故当時の試算   <2>

 1988年12月5日の事故発生当時には、様々な憶測が飛び交っただけでなく、事故当事者であるJR東日本の広報もかなりご都合主義の主張をして、運転士のミスで片付けそうな臭いが芬々と漂っていました。事故実態を調べて真相を掴もうと思いましたが、事故解析方法も、解析のための諸数値も何処からも公表されて居ませんで、この事故解析で様々試行錯誤を重ね、パラメターを何種も仮定して結果を推定して最も確からしい推定を選びました。以来、加速・減速が問題になる事故の都度、以下のような解析計算を重ねるようになり、当サイト開設の基になった事故でした。

 私の手持ち資料ではわずかに京成電鉄3100型、3000型の仕様書(
F3)と、鉄道学校などで教える目の子計算基準の、
  制動距離L[m]=速度V[km/h]2/減速定数K ・・・・・K:客車列車20、電車25〜29、貨物15
程度でしたから、事故状態の推定計算に当たっては、衝突状態を完全非弾性衝突、両列車の制動状況(全制動/無制動)、両列車の質量比の仮定、信号から先行停止列車までの距離、衝突後の移動距離、などを調べて、確定できないものは、両条件での試算をして、実態と比較する必要がありました。

 また、場内信号にはATS直下地上子相当のATS-B直下軌道コイルが設置されていまして、その機能はベルに拠る警報だけだったのですが、事故当時は新宿駅タンク車衝突炎上事件1967/8/8の対策として「非常制動を掛けて停止させる」と国鉄から広報され報道されていて、柳田邦男著「新幹線事故」中公新書#461(1977/3/25刊)の本文p194L5にもその旨記載されて「直下地上子は、運転士の意思に関係なく、直ちに非常ブレーキをはたらかせる装置である。」としていました。ところが国鉄の配布資料(同書p186図)では「直下地上子/再びランプ点灯/ベル鳴動/チャイム鳴り続ける」と書いてあり明らかに即時停止ではなく警報機能であり、これに報道各社記者達も「新幹線事故」を著した柳田邦男氏も読者である私自身も全く気付きませんでした。
 もしその直下地上子で強制停止が働くと、衝突するにはY現示速度55km/hを大きく越えた速度で突入する必要がありました。Y現示速度での制動距離はATS-S設置計算で使われる算出方法に拠れば、552/(20/0.7)+55/3.6×(1+1)秒=136.4mですが、現場は先行電車末尾から場内信号まで137m、直下軌道コイル20mで計157mあり、ATS-B動作時間1秒、空走時間1秒として、十分停まれて衝突しないのです。従って故障や故意がなければ客観数値としては後続列車が余程の高速度で進入したか、即時停止機能が無いかのどちらかでした。

 推定手順として、
◎衝突後の停止点と、衝突点と、減速度想定から衝突一体化直後の速度を求め、
◎それを完全非弾性衝突として運動量保存則で質量逆比例で追突車の衝突速度を求め、
◎その滑走痕や信号までの距離や想定減速度から減速開始点とその初速を条件毎にそれぞれ推定する
という形になりましたが、試算してみると、直下地上子で即時停止では、乗客乗員の証言とは懸け離れた有り得ない高速度で突入したことになり、調べていくと当時の直下地上子は警報機能だけで即時停止機能が元々無いことが判りました。

 まず基本ブレーキ性能は、京成3100型仕様書(京成電鉄1960年刊、右<F3>)の、制動距離表からは110km/hから3.5km/h/s=制動定数25.2(=3.5×7.2)、70km/hから4.0km/h/s=制動定数28.8と算出され、制動特性図から、110km/hで約4km/h/sと読み取りましたが、Y現示速度からの制動なら70km/hからの4.5km/h/s=制動定数32.4が良かったかも知れません。
 停止していた103系10両編成と、衝突した201系10両編成の質量は同じものとして、
衝突側がノーブレーキですと減速度は質量比で1/2ですが、両方ブレーキが掛かっていれば同じ減速度とします。

1988/12試算 2003/10/05Draw & up <F4>


赤斜線部分が、運転規則に反しての運転操作を求められた。
一旦停止規定の無視を暗に指示するJR東日本千葉支社指示文書は
「閉塞手前」「現閉塞内」とすべき処を「閉塞内」と書いてしまい、
千葉動労から「冒進指示書」と糾弾されている運転規則違反誘導文書

 報道を拾いますと、衝突後の移動距離は21m、衝突前からの滑走痕が28m、
減速度を仮に4.0km/h/s(K=28.8)として試算しますと、
制動衝突:V=sqrt(K・L)=sqrt(28.8×21)=24.6km→衝突速度49.2km or
無制動衝突:V=sqrt(K/2・L)=sqrt(28.8/2×21)
       =17.4km→衝突速度34.8km となります。

衝突前の制動距離が判ると、衝突速度V1から逆算した制動開始速度V0が算出できます。
(V02-V12)/K=L →V0=sqrt(K・L+V12) だから、
      V0=sqrt(28.8×(28−21)+49.22)=51.2km/h

以上の計算で、追突列車がブレーキを掛けていた場合は初速51.2km/hから7m制動後に衝突して21m移動して停止。
ノーブレーキでの衝突で、衝突後もブレーキが働かなかった場合は、初速34.8km/hのまま衝突、
ノーブレーキだが衝突で非常ブレーキ管が壊れて非常制動が掛かると、初速はおよそ49.2km/h。
 連結面が7個所潰れ、端面窓1個分が潰れた分を考慮して、衝突後の重心移動距離を+3.75m/2の22.9mに取っても、以下のようにY現示速度の55km/hは越えません。
制動衝突:V=sqrt(K・L)=sqrt(28.8×(21+1.9))=25.7km→衝突速度51.4km
     V0=sqrt(28.8×(28−21)+51.42)=53.3km/h

 衝突後の移動距離でみる限りは、永瀬氏のいう「衝突速度、無制動で64km/h衝突」という数値は出てきません。
 64km/hを前提に、逆算で移動距離換算しますと、ノーブレーキが
      L=V2/(K/2)=(64/2)2/(28.8/2)=71.1m
ブレーキが L=V2/(K/2)=(64/2)2/(28.8)=35.6mですから現場と矛盾してしまい、現場状況からは、
(1).少なくとも衝突後は、両列車のブレーキは効いていた。
(2).滑走開始痕7m(=28−21)でみる限り、Y現示制限速度55km/hは守って走り、場内の赤信号は見落としたことで、直前に非常制動は投入したものの追突に至った。
と、考える方が自然でしょう。

 もし直下地上コイルから即時停止コマンドを受けていた場合の進入速度V0を逆算しますと、 ATS-B応答時間1秒、ブレーキ応答時間1秒、直下コイル長20m、場内信号−先行列車末尾130m、減速定数20/0.7、衝突速度49.2、ということですから逆算すれば、
  (V02−V12)/K+V1×T/3.6=L
  ∴V02/K+V0×T/3.6−V12/K−L=0
2次方程式の判別式D=(T/3.6)2+4{V12/K+L}/K>0 ・・・・(実根)
 ∴V0={−T/3.6±sqrt(D)}K/2
   =(K/2)[−T/3.6±sqrt{(T/3.6)2+4(V22/K+L)/K}]
  この正側が求める解だから
  V0{(20/0.7)/2}× [−2/3.6+sqrt{(2/3.6)2+4(49.22/(20/0.7)+(137+20))/(20/0.7)}]
   =75.5 km/h  ・・・・・・ ATS警報を聞いて以降の進入速度とは到底思えない高速です。

ATS-P換装促進&範囲拡大となった東中野事故   <3>

 直下地上子が警報機能ですから元々有り得ない数値ですが、これが事故に遭遇した乗客の証言と大きく食い違って、直下地上子の即時停止は機能してなかった疑い!?として国鉄広報を追及。
 広報氏は、「直下地上コイルの機能は警報。警報を聞いてブレーキを掛けない運転士は居ない!お猿の電車じゃないんだから即時停止機能なんか要らないっ!ATSに元々即時停止機能は無い。」と頑張ってしまい、「現実にぶつかったのは運転士がお猿だったのか!」、「(新宿駅)タンク車炎上事故の対策で即時非常制動と言ったはず」と詰められてアウト!
 結局JR東日本副社長で事故対応責任者だった山之内秀一郎氏がATS-P換装計画前倒し&拡大方針を明らかにして、運輸省の行政指導もあって関西を含むATS-B区間等重要路線と、JR東日本ではATS-S主要路線をATS-Pに換装、あるいは続いて開発でATS-Sに強制停止を付加したATS-Snに全JRを換装、東日本はさらにその上位コンパチのATS-Psを新潟・仙台近郊に設置して、JR各社中で唯一突出して安全な保安装置切換えを進めました。JR東日本へのATS-P導入自体は、東中野事故以前の上野駅冒進事故88/7/3以来決定して(「なぜ起こる鉄道事故」p260L2)新設京葉線から試験導入計画だったようですが、これを大幅前倒しして設置範囲を拡張するものになりました。それまでは西明石ブルトレ過速度大破事故'84/10/19対応として西明石、草津、京都、大阪に設置されて'86年末から稼働していたH-ATSがプロトタイプです。JR他社は最近までATS-SN/-ST化に留まりました。
 ATS-S直下地上子の機能が国鉄広報のかっての説明である「非常制動」とは違い「警報」のみだったことから、各社共通の報道内容もソースを直接当たるべきで、さらにソースの解説も、裏付け資料を貰って技術的判断をすべきだと痛感した事故がこの東中野事故でした。

一般公開すべきJR東・東中野事故報告書   <4>

 永瀬客員教授が、「無責任な流言が巷間に飛び交っている」という時に、事故解析計算を示しているのはGoogle検索(東中野衝突事故)では検索上位に出てくる当サイト「東中野衝突事故推定」(2003/10/05up'88/12試算)だけですから、Web的には半ば名指しの非難!でありますが、そのページでも計算根拠を総て晒していますから、私「流言流布者」と致しましては永瀬氏が、Y現示55km/h制限を大きく越える64km/h無制動追突とする具体的根拠をきちんと示して対置して貰いたいものです。 ご自分のサイトをお持ちのようですから、そこにアップすれば簡単。運輸安全委員会の事故報告書サイトに国鉄JR作成の事故報告書として参考資料扱いで置いて貰っても良い内容です。 (永瀬氏の金沢工大研究室時代の「鉄道を斬るシリーズ」は興味深く読んでいたのですが、尼崎事故前後からの記事が次第に曖昧になり、身内庇いだったり、ずれが見えたりで質が変わって来ているのは残念です。
  See→尼崎事故判決批判の批判:裁判所を騙した「新津田沼駅急カーブ」!:日記#301
    →「永瀬和彦のホームページ
    →事故解析リスト


富士山高度も日程誤差要因!   <5>

 ダイヤモンド富士の日程誤差の原因は、地球の楕円軌道のためばかりではなく、富士山の高さにより黄道の傾き分だけ南側に南側にずれて日程狂いを生じ、落日点が冬に向かって南に移動する10月は早く、夏に向かい北に移動する2月は遅くなることに気付きました!

 千葉市海岸付近から富士山までの距離が120km、高さが3,776m、観測点高度海抜5m、地球赤道周40,074km、黄道の傾きはほぼ緯度ですから35.6度として、千葉市海岸付近での富士山落日点移動速度が0.46゚/日でした。
 さらに「日没」の定義が、太陽中心の接地ではなく、大気回折込みの上端接地となっているのに対して、ダイヤモンド富士は下端接地前後を問題にするので、太陽の視直径分0.533133゚を加えて換算する必要があり、また100km離れますと地球の球面で水平線の先の山裾の標高を無視できなくなります。

 先ず、水平線位置に見える富士山山裾の標高は、右図
正矢計算から、
地球半径R=40,074/2π
対象点高さh1 ・・・・・・(今回の未知数)
観測点高さh2=5m
対象点−水平線距離L1
観測点−水平線距離L2
観測点−対象点距離L=L1+L2 ・・・・・・=120 km
i =sqrt(2R・hi−hi2) →
=L1+L2
=sqrt(2R・h1−h12) +sqrt(2R・h2−h22)
1 =R−sqrt(R2−L12)
∴L2 =sqrt(2R・h2−h22)
=sqrt(2・40,074/2π・0.005−0.0052)=7.986 km
1 =L−L2=120−7.986=112.01 km
1 =R−sqrt(R2−L12)
=40,074/2π−sqrt((40,074/2π)2−112.012)
=983.7 m
高の山裾が水平線上。

[ 2013秋−2014春 ダイヤモンド富士日程 ]

場 所 秋 季 春 季 備考
推算日 −補正日 実際 推算日 +補正日 実際 ミラー
(冬至)





0.ポートタワー
 #3階段
13/10/14 13/10/11 13/10/16 14/02/24 14/02/27 14/02/25 14/02/25 撮:#3階段
1.#2階段 /10/17 /02/24 /02/24 #1階段
2.球技場前突堤 /10/18 /02/23 /02/23 花の博物館
3.稲毛記念館 /10/19 /02/22 /02/22 ヨットハーバ
4.サイクルC /10/20 /02/21 /02/21 海浜病院
5.美浜大橋 /10/21 /02/20 /02/20 打瀬中
6.幕張浜東入口 /10/22 /02/19 /02/19 幕張の浜
7.マリン・
 スタジアム
/10/22 /10/19 /10/23 /02/16 /02/19 /02/18
9.習志野茜浜 /10/25 /02/16 /02/15



たづくり11F /11/11 /11/08 /01/27 /01/30 /01/30
鎌ヶ谷市役所 /11/08 /11/08 /01/29 /01/31
高尾山山頂 /12/22 /12/22 /12/22 北限線上
海ほたる /10/02 /09/30 /03/08 /03/11
館山布良海岸 /07/12 /07/11 /05/28 /05/29
参照ページ 試算 ±当頁 市報(臨) 試算 ±当頁 実測換算 BBS#0298.2 (2月位置)
以上により、落日点方向のズレを計算しますと、
富士山の仰角 =tan−1 (高さ/距離)
       =tan−1 ((3.776−0.984)/120)
      =1.3331 ゚

これに太陽の視直径分0.533133゚を加えて日没の上端没から下端接地に換算すると、水平線に対して+1.8664゚で太陽下端が山頂に接して見える。
 山頂太陽仰角による方位の変化は、
山頂太陽仰角×tan緯度 =1.8664゚×tan35.6゚ =1.3362 ゚

 春分点からDay日経過後の日没時の公転角θは、
   =(Day−(20:01−18:00)/24)/ 365.2425×360゚
   =(Day−0.084)×0.985626 ゚
'13/10/16は春分基点209日、'14/02/25は同341日。
従って、日没方位角δは、
   δ=西方位角−地軸傾度/cos緯度×sin公転角
    =270゚−23.44゚/cos35.9゚×sinθ
    =270゚−28.83゚×sinθ

 一方、日没点の移動角速度は、1日ごとの離散値ですから微分関数表示よりも、
   (翌日方向角−前日方向角)/2
での算出が実際的で適切でしょう。
日没移動角速度(208)=28.83゚×{sinθn+1−sinθn-1}/2
     =28.83゚×[sin{(209−0.084)×0.985626} ゚−sin{(207−0.084)×0.985626} ゚]/2
     =−0.450 ゚/日 ・・・・ 南下方向
日没移動角速度(341)=28.83゚×[sin{(342−0.084)×0.985626} ゚−sin{(340−0.084)×0.985626} ゚]/2
     =+0.453 ゚/日 ・・・・ 北上方向
従って、これは千葉市海岸では日数で3日分弱(2.9日分)南になり、10月は早くなり、2月は遅くなる!と。

以上の補正を、以前の推定結果に適用しますと、却って補正しすぎの逆方向の誤差になりまして、実に残念!(w。誤差試算は有効になりませんでした。
 表には冬至を対称点に秋の日程を春に換算した値を右端列に示しますが、誤差は1日(時刻無視の単純日数では0!)で、周期計算方式よりも誤差が少ない様です。それは楕円軌道の長軸が冬至-夏至ラインに比較的近いということでしょう。(一致なら誤差ゼロです)。 周期計算での誤差要因としての目の付け所は良かったものの、やはり楕円軌道で面積速度一定則に従って厳密計算せよ!ということの様です。



2014/03/26 22:00

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