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Q=50倍もの鋭い共振!制振なし鉄橋か?
  3/11新幹線震災脱線は橋梁の地震波共振で促進

脱線個所@仙台
新幹線仙台駅構内脱線個所橋梁:運輸安全委員会
事故調査報告書RA2013-1-1.pdf p47写真3
[冒頭要旨]
   脱線に至る過程としては、まず東北地方太平洋沖地震の地震動の周波数成分のうち、本事故現場の高架橋の固有周波数とおおむね一致する周波数成分が、構造物の共振現象により増幅されて高架上で大きな変位として現れたこと、
 そして、その周波数成分が、車両に上心(うわしん)ロールを生じさせやすい周波数帯にあったことから、車両に上心ロールが生じて脱線に至ったと考えられる。
 一昨日2/22は2002年に鹿児島線海老津駅先で下り快速電車が停止していた普通電車に追突した宗像海老津事故の発生日ですが、この日運輸安全委員会は東日本大震災で新幹線列車としては唯一脱線した回送列車の事故調査報告書RA2013-1-1を発表しました。
 大地震で脱線に至った過程として「構造物の共振」と「うわ心ロール」を取り上げていて、2重の共振で脱線に至ったことが分かります。「うわ心ロール」というのは左右の車輪で相撲の四股を踏む様な一種共振状態です。(右カコミ下段要旨参照)

 解析部をのぞきますと、余震時の振動データでは振動が50倍にも増倍されている脱線しやすい周波数があるとか、そんな高Qはまるで電気の共振回路並の鋭い共振です。鋭いQでも継続時間が短ければ累積する振動も少なく収まりますが、今回は強い振動が3分間以上続きましたから大きく増大したということです。(See→[共振のQ]右カコミ)

 114m長の合成桁高架橋の振動については「剛梁」と考えて3次元フレームモデルで表現、それを地盤についても適用して解析。梁については最も基本的な形の質量と応力のMK集中定数共振に近い「剛梁」として扱っています。(p17L−下7行「・・・・・・剛梁としてモデル化した」)。3次元フレームモデルというのは、ビルの耐震性強化の研究で地震時の建物の揺れの解析モデルに用いられて、構造物の枠を単位にした集中定数的解析を建物全体に適用して多重の連結振り子的扱いをして分布定数解析も実質加味させる推測精度を高めた解析方式だと思います。

 何等かの形で振動吸収機構を付加できれば、地震そのものは抑えられないとしても共振による振幅増加・脱線促進は抑えられますが、長さのある構造物の共振となりますと、進行波・反射波の干渉による分布定数型共振や、振動モードの違いによる複数の共振点も考えられて、どのモードにも有効な吸収構造が簡単に求まるかどうか。特に右掲載の現場写真を見ますと、桁の大きさに比べて柱がかなり細目なので横剛性が低く、桁重量が軽いのかも知れず、横方向の応力は桁自体の蛇行振動変形からも得ている可能性もあり、事故調報告書がJR東日本に検討を指示した共振現象についての解析はもっと多岐に亘る大規模なものになるかもしれません。コイルとコンデンサーの電気回路であれば基本的な解析モデルで足りることが多いのですが。

[水晶振動子のcut法と振動モード]
Cut振動mode
X厚み1倍
Y厚み
スベリ
AT1倍
3,5,7
BT1倍
3,5,7
CT
スベリ
1倍
DT
NT屈曲
XY
X+5゚
X+5゚長辺
MT
SL

水晶に振動モード5種.
3,5,7倍はオーバートーン発振モード
 電気系でこうした複雑な機械的振動を扱っている例には、水晶振動子があり、水晶の振動モードとして、厚み振動、スベリ振動(厚み/面)、屈曲振動、長辺振動があり、同じカットでも周波数が異なり、オーバートーンといって奇数次高調波発振をしたり、様々な寄生発振をしたりと、特定の1周波数で発振するのが不思議なくらい様々な振動モードを持っています。電気的には打ち消されて実現できない機械的な振動モードはさらにそれ以上ある訳です。(右表参照)。
 かなり昔の技術課新人配属直後、至急の新ベルト立ち上げに際し専用計測・調整装置を専業メーカーに発注していては納期が掛かりすぎるため、大幅納期短縮に自社製作としてその生産治具の標準周波数としてAFの1800Hz〜4000Hz程度の水晶発振回路20基前後を設計製作したことがありますが、バラック試作時の動作確認中に突然数10kHzというトンでもない周波数の寄生発振に見舞われて慌てて対策したことがあります。(製品としては一発OKでしたが)
      See→カット法別の特性:(日興電子kkサイト:東京府中市)
 「構造物の共振」としてはそうした多数の振動モードを予測せざるを得ません。そのいずれかが外部励振にマッチするとそこで共振になります。

共振の立ち上がり  共振対策としては、共振周波数を励振周波数から大きくずらすというのが超高層ビルに採り入れられた柔構造でしたが、後日、長周期地震動の発見で共振の危険が顕在化して早急な対策を求められています。原則的には振動が蓄積しないよう抵抗成分で瞬時瞬時に揺れの振動エネルギーを吸収する方式が追求されて、当初はスリット壁の破壊に吸収させたり、低降伏点鋼を塑性変形させて吸収する、オイルダンパー群で吸収する方式などが試行されていますが、今回の脱線現場が果たしてどんな振動モードで共振したのかが分からないと振動吸収ダンパーを取り付けるべき位置が決められず、50倍化された周波数を狙って対策しても場合によっては有効にならないかもしれません。See→「共振の立ち上がり
 共振周波数が0.5Hz〜1.7Hzというのは日本で地震被害の集中する周波数ではありますが、右上事故調査報告書写真のように細い橋脚の横剛性だけでそれが実現できるのか?桁の曲げ方向の応力も大きく効いてのことではないか?などの疑問は出てきます。吸収対策はなかなか大変ですが、共振周波数成分の振動を50倍化するQ=50は大きすぎて、長時間の揺れでは見過ごせず、今後のJR東日本による詳細の検討で明らかにされるでしょう。

    鉄道事故調査報告書 RA2013-1
    T 東日本旅客鉄道株式会社 東北新幹線 仙台駅構内 列車脱線事故
    http://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/railway/report/RA2013-1-1.pdf


「報道カメラのNikon」が泣く
  ウヨの抗議を口実に、写真展に恣意的取消    <2>

 機材の優秀性とメンテナンスの実績でユーザーの支持を得ていた会社が、作品への中立不干渉を離れて極右反動思想に与してしまったら、少なくとも「過去の栄光」分はクリアされて、シビアな性能評価に曝されるのは覚悟すべきことです。名門Nikonも速写性ではSONYとCANONに水を空けられていて(実操作としては動画からの切り出しで代替可能なのですが)、撮り鉄らの関心はかなり離れつつあり、政治色を問わずのユーザーからの支持も会社自体が中立を放棄したとなると、自ら名門凋落の引き金を引いたのかも知れません。作品の質ではなく「内容の不干渉」はメーカーとして絶対的に貫き、万一の妨害も甘受し不当な加害があればそれを世論に拠って糾弾すべきでした。

 極右安倍晋三ぼっちゃまが「慰安婦に強制はなかった」と強弁してNHKに番組改竄までさせて国際的孤立に進む中で、それをなぞる愚、仮処分命令にさえ抵抗して開催告知拒否で極右側に付いて妨害に廻る愚というのはグローバルな経営感覚欠如も酷いもの。総ての写真には何等かの政治性があり、それを以て許可取消の理由にならないことは仮処分裁判の通りです。キャパも沢田も1枚の写真があれほどの「政治性」を持つ訳で、それをどう切り離せと言うのか、Nikon幹部は自社製品の基本特性を全く理解してない、その殿ご乱心を諫められる部下も全く居ないおかしな会社のようです。
 かってドイツのカール・ツァイス(Carl Zeiss)財団は自由主義的であるとナチスに目を付けられても矜持を保って品質で頑張り会社と製品への信頼を深めて今があるのですが、同じ高級精密光学機械メーカーであるNikonはあべこべに、極右&暴力集団に迎合して理由にならない理由で表現の場を奪ったと。ほんの目先の商売優先の実に情けない話です。

 Nikonの審査委員とされて山車に使われた写真家が、この事件を知って選考委員辞任を通告したのにNikonは「契約」を盾にそれを認めなかったそうなので、その写真家に、法廷証人か陳述書をお願いしてNikonの責任を明確にすることも可能でしょう。Nikonにより審査結果が無視されたのなら、委員就任契約の前提が壊されたので、契約解消の権利は当然にあり、辞任通告は有効です。
 外電は世界にこの慰安婦写真展拒否を報じており、慰安婦動員正当化の動きに呼応する不当な措置として厳しく糾弾されるでしょう。

 こんな好い加減なことをする会社なら、先の購入機種選択はもっと使用者レベルに合った撮影優先型、分相応の高級コンデジに誘導して、D800の購入なんか手伝うんじゃなかった!


写真家がニコン提訴〜「慰安婦」写真展中止事件   <C1>

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1506
 戦後、中国に置き去りにされた元「日本軍慰安婦」を題材にした写真展が、会場を運営するニコン側から中止が通告された問題で、韓国人写真家・安世鴻(アン・セホン)さんは去年12月25日、東京地裁にニコンに対する損害賠償等請求訴訟を起こした。第1回目の公判が、来週18日に開かれる。

 中止となった写真展は、2011年12月に安世鴻さんがニコンサロンの公募展に応募していたもので、審査会を経て、去年1月に開催が決定。大阪での追加展も依頼されていた。しかし、東京での開催直前にニコンが中止を通告。東京地裁がニコンに対し予定通り会場を使用させるよう命じる仮処分を出したため、開催にこぎつけたものの、ニコンはホームページに開催情報を掲載しないなど、協力を拒否。その後予定されていた大阪での開催は中止となった。

 安さんは、開催への抗議電話などをきっかけとするニコン側の突然の中止通告と、写真展への協力拒絶行為は、原告の人格権を侵害する不法行為に該当すると指摘。ニコンに約1400万円の損害賠償請求とホームページでの謝罪広告などを求めている。

 会見した安さんは、「ニコンから受けた不当な待遇は私個人に対してだけでなく、写真家、表現する人全体へのものだ。訴訟を通して中止通告の本当の理由を明らかにし、同様の問題が二度と起こらないようにしたい」と話した。

 第一回口頭弁論は2月18日(月)10:30〜東京地裁で行われる。



また威圧宣伝か?真相伝播か?関東連合
 「3人目殺害の死刑回避が国外逃亡理由」  <3>

 六本木でクラブ客を集団でバットで襲撃して撲殺して共犯たちが「殺人罪」ではなく「傷害致死」で起訴された殺人事件の主犯がいち早く国外逃亡して行方不明になっている理由について、それが当人にとって3人目の殺人事件であるため今度捕まれば死刑判決は免れないと思い犯人が割り出される前にいち早く国外逃亡した。1990年代末頃の関東連合「現役」組の首領として、少年時代に娑婆にいた期間は数ヶ月しかないほど凶悪事件を繰り返していて、先の1件は太田東洋ボール人違い殺人事件である。という情報が例によって飲屋街に流れているのですが、

元暴走族幹部を国際手配/六本木襲撃

 東京都港区六本木のクラブ店で昨年9月、客の飲食店経営、藤本亮介さん(当時31)が襲撃された事件で、警視庁麻布署捜査本部は26日までに、殺人容疑などで公開手配している暴走族「関東連合」元幹部、見立真一容疑者(33)を国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配した。
2013/02/26火曜日
日本経済新聞夕刊15面4版左下
 これまで彼等関東連合「OB」が裏世界を支配していく威圧情報として、殺人事件など凶暴性のある事件実績と、それが無罰やごく軽い処罰で出所してくることで「警察・検察・裁判所に顔が利く」と宣伝してきた経過があって、実利を握るOBたちの状況利用宣伝を兼ねている可能性があります。

 個々のエピソードが真実かどうかに係わらず、実利を握る「OB」たちの違法な支配力を増すものですから、これこそ暴力団と同等の上層追及が必要だということです。
 これまで知られる「関東連合」の殺人事件としては大田東洋ボール、山梨の大学生、セレブ馬鹿息子の2人、自称横須賀少年刑務所入所の事件(これはハッタリ)などがあって威迫支配目的にリアリティーに富む「恐怖のストーリー」はどうにでも作れます。
 加えて、関東連合関連事件の処罰・措置が、常に相場より軽く、セレブの馬鹿息子ほど殺人を重ねても早期釈放など極端に軽いという長年の実績を消しませんと、形式的には解散済みの犯罪集団「関東連合」は裏社会に君臨し続けるでしょう。

 少年時代の犯罪実績は報じないとか、累積させないという建前を都合良く悪用して、彼等の組織名や愚行を報道させて喜んでみたり、「解散」「OB」集団で裏組織を構成し、六本木クラブ襲撃も、配下のクラブ従業員からの連絡で行われていますから、旧悪を反省して立ち上がろうとするものを暴いて叩いてはいけませんが、逆に旧悪をステータスに悪の支配を拡げるものについては、個々の違法行動をきちんと捉えて制圧、一般向けには警戒情報を発することが必要でしょう。
 情報源さえ分からない根拠不明な情報が、あとでみるとかなり正確というのは、発信源が当事者である関東連合周辺から配下の店を通じて拡散している情報とみて、警戒し予め対策するべきではないでしょうか。


オンワード三越占拠の裏側で    <4>

 日経新聞連載の「私の履歴書」で、紳士服・アパレルのオンワード樫山の元社長で名誉顧問の馬場彰氏が語っている、三越百貨店参入関連で、メーカー持ち込み販売方式の草分けで、結果的に百貨店の商品企画力を奪っていったなどと記されていますが、そのことは同時に、「三越」ブランドを支えていた熟練の服飾職人さんたちへの突然の発注停止でもあり、多数が廃業して嘱託・パートなどの低賃金労働者になりました。井呉服店+後屋(=三越)をルーツとする職人群ごと生業として抱え込む方式から、個々への分離を実行したのでしょうか。「浅草の靴」だけでなく、被服にもそういう生産群がかって有って、工業生産移行で切り捨てられたと言うことです。

 私の働いていた工場では、某製品の自動組立機を24時間稼働させるためのオペレータとして、「深夜勤専門の男子パート社員」という階層を新たに設けて、深夜時給50%割増+時差手当など「時差勤務割増手当」で月給の辻褄を合わせて採用を掛けましたが、それは生産が減って深夜勤がなくなったり、研修などで日勤になるとたちまち地域最低賃金に落ちて一家を養えなくなる酷く乱暴な賃金体系でした。現在の非正規・派遣労働による超低賃金化・ワーキングプア化の走りの時代です。

 この求人にオンワード・岡田合理化で三越を追われた中高齢者の洋服職人さん達が応募してきて、元社長、元工場長、元技術部長氏・・・・・・・らが、深夜勤専門で、自動組立機への部品の供給や製品回収など、いわゆる単純作業に就きました。(自動組立機のメンテナンスは別枠で昼間に正社員が行っています)。
 組合員達がこの夜間男子パートの人達に深夜残業時間に話を聞きに行って、大量生産既製服のオンワードと、三越オリジナルの高級品の違いとして、工数が少なくて済む直線の多い形状か、体や使い勝手に合わせて曲線裁断・曲線縫いを多用していたかなど、詳しく説明を受けて、服を選ぶポイントを教わりました。「あなたの背広がシッカリした作りなのに半値以下と安かったのは、作りに素人には気付かれない欠陥があるから収められずに流れる」って日本橋ルートの安物背広であることを見抜かれ、「オンワードだなんて所詮安物!三越はあの岡田茂社長と雌ギツネ竹久みちで、皇室・宮家など各種御用達とかの圧倒的地位をドブに捨てた!」などと解説されて、当時の量産ものと、三越のブランド名に懸けて丁寧に作ったものの具体的違いを知ったのですが、百貨店経営の舵を大量消費の一般消費者:我々貧民相手に切った岡田社長は、結局、私的流用・公私混同とアパレル女性社長への不当な優遇を疑われて三越を追放され特別背任で逮捕・起訴されて有罪となり最高裁での確定前に亡くなって裁判が消滅、相方女性社長は有罪確定で服役しています。

 それまでの三越商法では、例えば日本を撤退したTI(テキサス・インスツルメント)社プログラム電卓の磁気カードが秋葉原でさえ入手不能になりましたが、三越ではかなり遅くまで継続して扱っていて、量販店の様な安さはありませんが売った顧客に対しては親切でした。添付の磁気カードを全部使い切ってスペアが要るほど多数のプログラムを自作するユーザーは設計者、研究者、データ記録として傾向線・回帰分析の証券投機屋などに限られて、さほど多くなかったハズなのですが、長らく本店のショーウインドウに置いてました。三越のそういう姿勢は、CD音源の出現で一時はレコードプレーヤーが無くなってしまってライブラリーのレコードが再生できなくなるという程極端な儲け主義の電機業界などとは両極の違いでした。「シングルエイト」も「βマックス」もすぐ再生不能に陥り、MDもLDもそろそろアウト!日本の民生市場向け量産製品の長期のメンテは無責任でダメです。

 自動組立機の職場は、案の定、集中豪雨型受注が落ち着いて24時間操業は続けられなくなり、日勤体制になって、自動的に女子パートの賃金になり、一時金もほとんどなく、到底暮らせない酷い状況になり、さらに「期間満了再契約拒否」という首切り合理化を出してきました。
 労働組合としては、地域最賃を元にした極端に低賃金のパートではなく、せめて一時金も正社員と同率で支給される常勤嘱託の身分に引き上げて深夜勤手当減少分を保障する様に採用直後から要求していたのですが、会社はそれを無視して、契約期間1年経過を口実に「再契約拒否」の形で解雇を強行してきました。
 当時の労働慣行や判例では、東芝臨時工解雇事件などで「再契約拒否は解雇であり、解雇権の濫用として無効」となっていましたから、被解雇当事者の気持ちを支えられれば会社側に勝ち目はなく、すぐに組合員となって貰い、解雇撤回要求で団体交渉を申し入れ、組合を挙げて反対闘争を起こしました。
 常勤嘱託への契約身分引き上げを嫌った会社は、組合加入を断って未加入でいた「元工場長」氏個人に対して「(日勤)男子パート」という身分と賃金ランクを提示して再契約を結び、それを既成事実として、残る組合側に押し付けを図りました。

 少し前までは、ずっと会社側で生きてきた「元工場長」氏が、自分たちの首が掛かるからと言って、皆で一緒に頑張り切るにはかなり無理があるとは感じていて、次の手を検討していたのですが、会社が強行した男女別パート賃金は、モロに違法です!その頃から男女差別が建前としては禁止されて、賃金をストレートに男子−女子で分けられなくなっていましたから、組合執行部はこの「男子パート差別賃金契約」を逆用して、全社で100人余は在籍していたパート女子社員の賃金について、「違法な男女差別をするな!即座にその男子パート賃金まで引き上げよ。「深夜勤男子パート」の不当解雇を撤回せよ!」という要求に切り換えて工場門前朝ビラや拡声器放送・集会で大宣伝したところ、その日のうちに契約打ち切り通告が撤回されて継続雇用は確約され、1週間程で結局は男子夜勤専門パート全員(10人弱?)を当初の組合要求通り常勤嘱託社員とすることになり、一時金支給と合わせて40%余の賃上げとなって深夜勤減収分を埋め、問題の日勤男子パート制度は白紙撤回されて違法な男女差別は解消されました。曲がりなりにも契約書を結んでしまうと逆に既成事実となって取り消せなかったのです。山車に使われた形になった女子パート社員が怒るかと思ったら、最初からその流れを分かっていた様で無罪放免です。

 会社はその「元工場長」氏を大型コンピュータの深夜勤オペレータに配転。数千人〜1万人近い賃金計算と明細書、賃金台帳作成や、製造部毎の経営諸資料などを作る月例の作業です。この時代、パソコンの普及前で、未経験者を大型コンピュータ操作へ配転するだけで、不適応退職を期待した陰湿な首切りだった時代ですが、プログラム作成側は既に「オペレータには判断を求めないシステム」を追求していて、単純にマニュアルの手順を追って操作すると作業を終えられる段階にいて、システム担当(See→明細書に小数点導入:<6>第5節)の組合員たちも組合未加入「元工場長氏」に丁寧に説明したことで「自動組立機の操作より簡単!何て事ないですよ」と大型コンピュータ作業に適応してしまい、その首切り攻撃も空振りに終わりました。低賃金の妙手を考え出したと乗り気だった会社側は結局功を焦って極端運用に走り女子を含む総人件費を却って高額にするハメになって、大変悔しそうに見えました。

かっての未解放部落と同和住宅

 関東、特に出身の千葉には未解放部落がほとんど顕在化して居ない地域が多く、西方からの流入ではない実在の都内旧未解放部落出身の人達にはその事件で初めてお会いしました。部落差別は人種差別とは違い出自のレッテル差別ですから見た目には全く判らないので気付かないのは当然です。地域によって代々続く住民には強い差別意識の横たわるところもあることにかなり後で気付いたのですが、ほとんどの場合は地方から東京近郊へのお登りさん住民が圧倒的で、混住が進み訳が分からなくなって表向きは差別解消しています。
 それなのに会社近くに「同和住宅」が有るのを知ったのは、ドジな某役所が市民配布地図に「同和対策住宅」と明記してしまって慌てて回収したからです。しかしそこは中層化建て直しの元々公営住宅であり、対象住人の住んだ旧未解放部落跡はひょんなことで他に見つけました。東ではことさらの「同和住宅」とか「民生住宅」(=生活保護住宅)は作らなくなり、公営住宅一般で扱っていますが、都営住宅の入居区分に1種、2種、民生があって、それぞれ専用棟が建てられたことで残っている様です。その3種が並んで建っていた調布金子都営住宅は、さらに公団住宅と接して4階層を並べていて住む建物で収入階層が分かって実にえげつなく酷かった〜〜(w。旧未解放部落は一般の混住で実態が無くなったのに敢えて「同和対策住宅」建設で同和地区を再生する愚は早い内に中止されています。

 千葉生まれの認識としては、部落差別は小説など「お話の世界」という感覚でしたが、入った大学は全国区で関西・九州出身の同級生たちから話を聞くことになり、未解放部落出身者と結婚したのが判ると、商売絡みで親子の縁を形だけでも義絶しないと商売が続けられない程酷い社会的差別があり、面白半分に「糾弾」などされては親子両側が滅んでしまうので、そういう地域ではどちらかを選択して、相手を諦められなければ一緒に故郷を捨てて差別のない関東に出てくるので、跡取りの結婚断念を一概には非難しきれないと聞きました。あんたは故郷を捨ててきたのに相手が居ないんじゃ可哀想に!などと混ぜ返していたのですが・・・・・・。

 一方、私の出身地では、集落毎の固有名詞として○○部落があり、今も町名などに残されています。京葉道路武石ICの武石町、宮野木部落、坊辺田部落、天戸(あまど)部落、犢橋(こてはし)部落、花島観音の花島部落などがあり、朝鮮部落だけが住人分類で異質です。個人特定に出身部落名を冠して「坊辺田の姉さん」「武石」などと部落名で呼ばれており、この辺は落語に良く出てくる「向島の姉さん」と同じ用法です。中学校の運動会の最大の呼び物が「部落対抗リレー」で、入学予定の小学生を含めて地域毎に7〜8チームに分かれて地区の名誉を掛けて夢中で競争しました。それが突然ダメということで姿を消しましたが、生徒にも父兄にもダメな理由は全く説明されませんでした。部落≡集落の意味でしたから、大人気の部落対抗リレーが消えた理由:未解放部落の言葉狩りに遭う理由がまるで分からなかったのです。

 このあたりは「映画橋のない川」に描かれているエピソードでも同様で、消防団競技会が各部落対抗で行われて、未解放部落の放水ポンプが性能が悪い旧型のままで競争に敗れるという内容でしたから、部落という言葉は東日本と同じく、元々は集落一般のことです。それが部落解放同盟(解同)から日教組・社会党などを通じていつの間にか未解放部落の意味にすり変わり絶対的禁句になっていった様です。当時は社会科の地図帳でも見ないと「集落」という言葉には出会しませんでした。
 そうした経過から単に「部落」というのは誤解を生ずる不正確な表現なのでここでは敢えて「未解放部落」と書いています。(未解放部落に対する差別は「部落差別」とします)。行政が使う「同和」は、元々は部落差別解消運動の「同胞融和」の略で、一時は「融和」と略されていたものだそうです。

 関東は富士山大噴火の火山灰による「関東ローム層」に覆われた痩せた土地で、夜明けから夜遅くまで一家総出で半農半漁や年貢免除の新田開発で働いて、ようやく食べていましたから、都市周辺で馬具など代々の安定した仕事を持っている人達に差別意識を持ちようがありません。「検見川5丁目新田」は崖下で海沿いの低地にもその「田」が見あたらない不思議なところですが、おそらく早い時期に宅地化して痕跡がないのでしょう。各地に残る「○○新田」はそうした歴史的経過のある地名です。

 首都圏の我が社にもそうした故郷脱出組が居て、里に最後通牒をしてから日を置いて結婚する人達も居ましたから、「非公式」ではありますが「結婚を祝う会」などで飲み会のチャンスとするとともに、「勘当」祝いの激励をしたものです。一般庶民の「勘当」は形だけで済む場合があっても、古くからの名門家ほど完全絶縁になったようです。「四つ足で尻尾があるって聞いたモンで触ったんだけど何にも無かったよ」って、人前で奥さんの尻を撫でイチャイチャするモンで大笑いだったのですが、同時に、差別意思と敵意をもって4本指を出して「ヨツ」とやられたら深刻だろうなとは思いました。京都など関西圏で未解放部落民は人間ではなく四つ足=獣だという意味で使われたそうです。古都の文化というのは雅だけではなく、そういう信じがたく酷い陰の部分をも含んでいる様です。
 京都、大阪、兵庫、和歌山といった関西圏だけでなく、北九州や浜松近在も根強い社会的差別が有ったのが判りました。個々の意識レベルでは関東の古くからの地付きの人達の中にも一部には強烈に残っていることも知って驚きました。しかし都心部に近付くにつれて繰り返しの大火や震災などの大災害や東京大空襲で住人が入れ替わりヨソ者転入者が圧倒的で旧未解放部落地域でも混住が進んでいるから、差別として顕在化せず問題にならないのです。「神田に3代続いて初めて江戸っ子」というのは、昔から住人の入れ替わりがそれほど激しかったということです。

 そういう東日本側の状況に、部落差別問題を扱った住井すゑさん原作の「映画橋のない川上映運動」が拡がり、広く支持を集めたのですが、それに対し関西・九州で諸利権獲得・勢力拡大をしていた部落解放同盟主流派などの勢力が、突然「差別映画『橋のない川』上映反対運動」を仕掛けてきまして、極左グループなどの集団の威圧で上映失敗を策しました。主人公が酷い扱いに苦しめられるのに観客・読者が共感して「悲劇」は成り立ち、基本問題を摘示するというのに、ストーリー中で敵役を皆やつけてしまったら劇にならないでしょうに、馬鹿馬鹿しい。
 教職員組合や映画関連など地域の繋がりで「橋のない川上映防衛」が呼び掛けられると、文学好きの若い女性が多かった我が組合員達が、「あれが差別作品のハズがない。無茶苦茶!」と、某有名デザイナー作品の華やかなミニのワンピース制服姿で多数出動しまして(労働組合執行部の平均年齢19歳台で、過半数が女性、組合員、職場委員も8割以上女性)、全逓などムクツケき実力妨害部隊に対峙して、相手が集団で会場に寄せてくると黄色い声で「どすけべ〜〜!触るなっ!帰れ〜っ」などとやって、数10人単位で徒党を組んで邪魔しにきた男所帯の極左・反日共派動員部隊たちを激しく怯ませて流血の事態にはさせずに撃退してしまいました。極左同士のゲバ棒には慣れていても迫力の太腿集団の「どすけべ〜〜」コールには全くお手上げだったと。(∵映画橋のない川を踏み絵に問答無用に「共産党!」、「差別者!」と攻撃して集団行動で威圧し支配拡大を目指していました)。映画橋のない川は、しばらくの間100人規模の防衛隊を呼び掛けて準備しておかないと野蛮人達の実力妨害で上映できない作品でしたが、今やDVDでも売られていますから八鹿高校集団リンチ事件※2などごく野蛮だった部落解放同盟(解同)も全く説得性のない力尽くの横車の損を少しは悟ったのでしょう。文学好きの少女達を敵に回してしまった解同らはその後「橋のない川の小説は差別作品ではなく、映画が差別作品だ」と修正しましたが、内部でも小説を読んだ人たちから同様の批判を浴びて説明が付かなくなり、見た人の少ない映画批判に逃げて実際には差別など無かったことを誤魔化したのではないでしょうか。それにしても17歳〜22歳前後のミニ・ワンピース制服軍団の迫力は絶大で、男性が前面に出ての対応では対決激化の危険な場面が懸念されましたし、女性が多かったとはいえ教職組の先生方だけで撃退するのは難しかったとおもいます。その文学少女達の消息はどうか?と申しますと、連れ合いをシッカと尻に敷きまして・・・・・・、

 封建時代の残滓たる部落差別は、同和対策事業の実施により次第に解消されて、その結果2002年に所期の目的は達成されたとして事業の打ち切りとなって決着しています。旧人類個々の頭の中に残ってしまった差別意識は、個々には解消できないものが有っても世代交代で自然消滅していくものです。社会生産を担う労働者は「使用人」などと蔑まれましたが、「使用人!」の権化となった田中真紀子議員の処まで出向いてその差別意識を「糾弾」する酔狂な労働者は何処にも居なかった訳で、昨年末総選挙の落選決着で終わりでしょう。歴史に埋没しつつある部落差別をことさら掘り起こして利権化するような取り組みは御免被りたいものです。

※2.  部落差別などではない!八鹿高校教師集団暴行傷害事件

 部落解放同盟(解同)の集団リンチにより、学校で先生方から瀕死の重傷2名を始め、数10名の重傷負傷者を出した八鹿高校事件('74/11/22等)は、関東ではほとんど報道されず、数日後、僅かにNHKが簡単に触れ毎日新聞が3段の記事で伝えただけでした。それをTV全国中継の国会質問で詳細に暴露して全国の問題にして解同の暴力許さずの政府見解を明らかにさせたことで解決の道が開かれました。
    八鹿高校事件国会質問 1974年12月19日 衆議院予算委員会 共産党村上弘議員
    国会会議録検索システム:→簡易検索→検索[1974年11月22日-1975年3月31日/昇順/検索語:八鹿高校

 最終的には解放同盟側の起訴された全員が有罪となり、民事訴訟も最高裁で損害賠償確定、解同の集団リンチに加担した行政:兵庫県と県教委も被害者全員に謝罪して損害賠償を支払っており、「部落解放同盟の一方的な暴力襲撃事件」として決着していますが、Web百科Wikipediaは、それら個々の確定事実は記しながら、その評価を「この事件以前から同様の部落解放同盟勢力と日本共産党勢力による衝突事件が起きており、」と、相互の衝突に歪めています。一方的な暴力の被害は「衝突」ではなく「襲撃」ですが、正しい記述を許さない勢力が未だに頑張って歪曲を続けている、その中に旧社会党まで加わっているやっかいな問題です。

八鹿高校事件国会質問集

 八鹿高校事件国会質問集←(会議録をダウンロードして一気に読み切りました。最も注目される予算委員会で全貌暴露!国会の速記録は裁判とは違いヤジまで記録されていて実にリアル。解同・社会党の「質問」に全く説得力はなく、正当なことを通すのにこれだけの努力が要ったのですねぇ!

 解同言いなりで、警察官の面前での拉致に助けを求めているのに全く動かない現地警察、さらに敵対する県教委。数年掛かりの国会論戦で中央政府からの手取り足取りで地方機関を「法遵守」で動かして、暴力利権集団解同の東京都支配を阻止、八鹿・養父・関西地方を救っています。

 関西自治体の「同和予算」で逼迫した財政状況を見ると、この時代の関西に共産党単独与党の地方自治体が幾つも出現した理由が良く分かります。一般の首長個人・役人個人では解同の強要・脅迫に耐えられず、当人の強い意志に加え全解連や党の組織的支援が不可欠だったのでしょう。)
    第73回次 参議院 法務委員会 閉4号 1974年11月28日 内藤功質問
    第74回次 衆議院 予算委員会 2号 1974年12月19日 村上弘質問(事件詳細)
    第75回次 衆議院 予算委員会 3号 1975年1月31日 不破哲三質問(総括解説)

 昼休みの社員食堂で、会社側の団体交渉委員である他県工場の労務課長と本社人事部長らに捕まって、「TVの国会質問は、どういうことか状況を説明してくれ」と迫られて、当方は労働組合側の団体交渉委員ながら状況要旨解説。TVの国会中継で弁護士の共産党内藤功議員・村上弘議員、山原健次郎議員などが事件を詳しく説明し、現地行政・教委までが加担、警察が集団暴力を制しないことの不当を含め、警察・検察、法務省など関係機関が取り締まり対象との見解を繰り返し全国民に明らかにしたことで、解放同盟言いなりの関西ローカルルールでは収まらなくなり、起訴・有罪・損害賠償命令となって、解放同盟暴力支配・利権漁り抑制の端緒となった事件がこの八鹿高校リンチ事件です。それまでにも自分自身が開発設計に係わった製品関連については彼等文系人に判るように説明していたのですが、えらい方面違いの伊集院光=雑学王扱いではあります。国会委員会質問全文と関連資料は入手して読んでましたので概要を説明できました。

 封建時代の身分制度「士農工商」のさらに下にあったエタ非人の存在と、それが明治の四民平等で、平等対象ではない「新平民」とされて、それまでは専業としての保護が有ったのを奪われて身分差別のみ残されて、出自による結婚差別・就職差別が関西圏と北九州圏などで特に強力に行われ「全国水平社宣言」に象徴される解放運動が起こった。今は上流セレブ扱いの役者・芸能人は河原乞食と云われてエタ非人とされていた。その全国水平社に発する部落解放同盟の主流を利権・集団暴力派が占めて、反対派を組織排除してしまい、以後は言いなりにならない相手を際限のない集団暴力で従わせて、自治体財政も同和利権に分捕って自治体の予算が組めないところまで追い込んでしまったところが出ている。国政選挙の得票からは到底考えられない共産党単独推薦の候補が羽曳野市津田市長などの様に首長に当選してるのは、そういう破綻状態の自治体の公正な立て直しを託されたところが多い。兵庫県の県立八鹿高校で、部落解放同盟の言いなりにはならない(解同直で教職員の指導下にはならない「解放研」を校内に作る要求を拒否。解同からの介入組織は校内に認められない)妥当な教育を進めている教職員達60人に集団で襲いかかって、瀕死の重傷2、など多数の先生が彼等の暴行で負傷した事件の事実確認と対応を求めたのがTV中継国会質問内容。
 我が社の社員にも元未解放部落の出身者は居て、一族の反対を押しきり勘当覚悟で結婚し、こちらで友人内々で祝う会など披露宴はやってるけど、部落解放同盟に加盟して暴れてるヤツは居ないみたい。関西の解放同盟が集団暴力と不当な利権漁りで特に悪質。旧部落出身社員の個人特定はしませんよ。といった話をしました。

 東証一部上場一流会社の人事部長、工場労務課長などが、ともに東京出身で、部落差別と一部運動体:部落解放同盟主流朝田派の暴走を全く知らなかった!というのが関東の状況で、知らないものは就職差別のしようがないから実力が有ればチャンと採用していた、技術系の新卒採用試験では競争率が7倍から10数倍ある当時の人気企業で、人物調査などで特別の事情がない限りは高得点者から採用し、未解放部落出身者も全く関係なかったというのが実情でした。採用だけで言えば当時は年に1000人採用して1000人辞める状態(See→日記#280-5:半減期の思い出)で絶えず全国キャラバンの工員捜しをして退職を埋めていて、工員も特別の悪評でもない限り皆採用していまして未解放部落出身だなんて全く拘泥していませんでした。
 極々渋チンの会社が莫大な採用経費と手間を掛けて集めた工員や7倍〜10数倍の採用試験を突破した優秀な幹部人材を「旧部落出身」という仕事に無関係の理由で排除するハズがありません。もし解同の暴挙を知っていたとしても、せいぜい解同集団の理不尽な強要を嫌って、コストも高い関西進出はためらうかもしれません。しかし解同の勢力の強い九州北部には新全総の誘致優遇で工場進出しているので、採用を直接担当する人事部より上の経営陣には成算が有ったのでしょう。

 それを「知らないのは差別だ〜〜っ!」と因縁を付けて糾弾して突き付けた要求に譲歩を迫るのが解放同盟の常套手段でした。その理屈ですと、解放同盟なんて知らない世界中の人達が差別者で彼等の暴力的糾弾の対象とされて、集団の威嚇で横車が通されてしまいます。
 放送界など解放同盟の抗議行動を現場の個人対応に任せてしまうから追い詰められて横車が通るので、八鹿高校集団リンチ事件や、「飛鳥会事件」、暴力での教育介入の矢田事件 などに代表される不当な反社会的行動を繰り返し起こしている解放同盟を総会屋右翼暴力団同様に会社としての組織対応にして、過剰・不当な要求を断固拒絶する必要があります。
 矢田事件リンク先に判決での認定内容が記されていますが、相互理解を求める話し合いではなく、集団で取り囲んで長時間自由を奪っての強要、脅迫、暴力そのもので、威圧に負けて意に反して認めれば認める程奴隷的従属を強いる無茶苦茶なものであることが良く判ります。こんな無茶な相手に対して個人対応させては絶対にいけません。尚、当時の矢田事件など「糾弾」暴行事件報道は、朝日新聞などが解放同盟側の言い分のみを伝えて、その際限のない集団吊し上げ暴行は一切報じない「解同機関紙」化しているので、他ソースを重ねて慎重に事実確認する必要があります。これは中国文化大革命の流血の奪権闘争を報じないで晩年の私闘毛沢東を持ち上げた報道姿勢に共通します。
 この刑事事件一審無罪判決の悪影響で「糾弾権」をかざして八鹿高校集団リンチ事件にエスカレートしたと解されていますが、以降は高裁で逆転有罪、最高裁で糾弾権否定で確定、民事は地裁からずっと損害賠償命令確定で八鹿高校事件共々一貫しています。拉致監禁して行った長時間に亘る激しい暴行・傷害で多数の重軽傷者を出しているのに執行猶予が付いたのはまさに解同言いなりの関西ローカルルールの影響と言うほかありません。裁判の決着後、法務省からようやく「糾弾権否定通達」(「確認・糾弾会について(通知)1989/08/04」法務省権管第280号)が出されて解同が常套としてきた糾弾・集団暴行が明文で禁止され、時を経た「飛鳥会事件」でようやく処罰されるようになりました。あらゆる公的施策からのピンハネ・利権化は解同の常態で、保育園入所から住宅入居、奨学金支給に至るまで食い物にしていたそうですから、問題は飛鳥会事件だけではないのですが、糾明はまだまだ不十分です。
 ドラマの喧嘩場面は、彼等の言葉狩り「糾弾」を怖れて殴り合いばかりになってしまう!喧嘩なんて元々♪馬〜鹿カ〜バちんどん屋♪に始まる相手を傷つける「差別語」の塊だったわけで、作り物のドラマではギリギリ選ばれた喧嘩台詞と、直暴力とどっちが酷いのか、幾つも解があるものを力尽くで彼等の見解に従わせる過剰介入がTVドラマを殴り合い優先にさせてしまう!
 部落差別解消ではなく、差別を再生産して集団の横車の威圧で利権化してきた団体が部落解放同盟主流朝田派でした。(少数、まともな支部もあって話を複雑にしますが、)

[蛇足]:朝田「一派」→朝田「派」

 八鹿高校事件をリアルに描いた公刊文書はしばらくの間、個人サイトを除けば当時の赤旗新聞縮刷版くらいしか見ることができなかったのですが、近年、先出検索システムで、国会議事録が画像として検索・閲覧できるようになり、八鹿高校事件での解放同盟の集団暴力の違法性が法務・警察当局から明確に答弁されていることが分かります。当局のこの認識で不起訴、無罪決着はまず有り得ず、解同の無法な糾弾・利権漁りに歯止めを掛ける転機となりました。

 その赤旗新聞の記事では、八鹿高校事件収束頃を境に、暴虐「解同」の呼称が「朝田一派」から「朝田派」に切り換えられています。国会質問では、八鹿高校事件以降は一足早くほぼ「朝田派」に切り換えられました。
 その切っ掛けとなったのは、八鹿高校事件直後に解放同盟の集団暴行糾弾吹き荒れる八鹿・養父地方に共産党の宣伝カーが入って解同の狂気の活動を止めさせる街頭宣伝活動を始めたのですが、お婆さんがその宣伝カーに向かって両手を合わせて「ずっと糾弾が続き生きた心地がしなかったけど、宮本一派さんが助けに来てくれて本当に有難かった」と云われたことで、「一派」という言葉には主張する側の強い非難が込められていても、名前と勘違いされているなど、却って理解して貰うべき相手に正しく理解して貰う障害になりかねないと、「一派」を、以降は「派」に改めたのだとか。

当初は知らなかった全国地名総鑑    <※2b>

 その凄惨な八鹿高校集団リンチ事件の後に、全国地名総鑑問題というのが発生。その中味は全国の未解放部落跡の地名リストで、主に採用排除を策したものだったことが判って、その販売・購入リストから「糾弾」と「差別教育」が義務付けられました。
 その地名総鑑のセールスに対応したわが本社総務庶務係長氏は、内容の実質に全く気付かずに、「地名なんか知ったって仕事に役立ちそうもないから」と購入を断っていましたが、それが後に、未解放部落(跡)リストだったことで社会的な大問題になって、内容を知らずに買ってしまった会社の担当者は全く悪意が無かったのに、烈しい「糾弾」と執拗な「教育」に曝されて大変な目に遭ったそうで、「運良く助かった!忙しいからと見ないで買っていたら俺も大変なことになっていた」と述懐。
 労働組合にも法令集・判例集の販売ルートからDMで購入の誘いが有りましたが、「地名集だなんて何の役にも立たない」と同じ理由でボツにしていて、マスコミで問題化して初めて実質内容を知りました。そのチラシには未解放部落リストなどとは書いてませんでしたし、法令集、判例集などと同じ通常の宣伝ルートでした。「極秘勧誘」というのは我が社労使(wには届いていません。
 Webサイトの記事で見掛けるのは「部落地名総鑑」事件ですが、実際は「全国地名総鑑」だったはずで、標題から内容は判りませんでしたから、単なる購入だけで糾弾するのはかなりやり過ぎでした。(もし標題が「部落」地名総鑑だったらそんな厄介なもの誰も買いませんて)。
 もっと踏み込んでいえば、警察からの天下りを受け入れている大手の会社なら公安警察からの裏情報で学生運動などの活動家採用排除をしていて、個々の人物も見ずに出身地名で選択排除するような不確かなことをする必要はありませんでした(三菱樹脂高野事件のように調査が漏れて採用後判明は有りますが)。少なくとも関東では、担当者達同士の話の通り、内容を知らずにうっかり買った可能性があるのです。

 部落差別に対する東日本住人の大方の感覚というのはそんなもので、圧倒的に何も知らない、だから部落差別などやりようがない、解放同盟からの思いもよらない激しい抗議行動に遭遇して初めて「地雷を踏んでしまった」ことに気付かされる※3、 というのが実情です。関西圏、北九州圏などの酷い話は全く別の国の話の様です。(現地で「深く」調べれば、足立、荒川だけでなく、一部には強い差別意識が見つかりますが、特定個人の頭の中を問題にはできず、生活の場を支配することはほとんどなく、多くの人は差別の存在を知りません)。主要幹部に関西人でも居ないと、お互い何処の馬の骨か判らない同士の東京近郊では、古くからの特別の名家を除けば、ちょっと起こりえない事件です。

解同暴力支配東征の危機だった美濃部3期目都知事選挙   <※2c>

 そういう処に1975年初、美濃部亮吉都知事の3期目出馬政策に部落解放同盟問題が副知事を通じて持ち込まれて一時は出馬中止寸前まで追い込まれましたが、基本的に解放同盟に行政上の特権は与えないことが確認されてまとまり、石原慎太郎と事実上の一騎打ちとなり、この時は僅差ですが勝利できました。

 八鹿高校事件、矢田事件での部落解放同盟の無法さ、利権漁りの酷さは前年末のTV中継国会質問などで関東にも具体的に伝わりましたから、首都圏まで彼等の支配下にされて、一切の異論の存在を許さず、その恣意のまま好き勝手に差別だ!確認会だ!糾弾だとやられ、中には「差別落書き」自作自演での糾弾事件まで起こっている!東京がそんな世の中になっては大変なことで、かっての特高警察か、ナチス秘密警察・親衛隊を彷彿させる犯罪集団に、特権を与えるわけにはいきません。八鹿高校事件の法的決着もまだだったこともあり、部落解放同盟派との論戦は熾烈を極めましたが、行政権を一民間運動団体に排他的に与える「窓口一本化」や公共施設占拠などの違法性・不当性などが明らかにされてギリギリ民主的な都政運営に踏みとどまることができました。
 美濃部が「ファシストと闘う」と3選に出馬声明できたのは、一部社会党と解同の差別者方針押し付けを断念させ民主的原則を通せたからですが、受講を義務化された実質内容の乏しい「人権研修」とか、公共施設の解同占拠使用問題などが残りましたが、民主商工会(s26設立)に対抗して保守側から改めて組織された商工会(s35商工会法。前身は明治設立)などに対して各地で公共施設占有提供の便宜が与えられていることなどもあり、そのままとなっています。商工会に市の施設を貸し与え、通産省令の電力供給制限を30%以上越える電力契約を黙認しているところさえありました。(安全に係わる規定ではなく、電力事業者保護規定と見受けたので敢えて省令違反を追及しませんで、こちらの要求の公共会議室スペースへの冷房設置交渉を進めましたが、この受電容量超過は他では絶対に認められません)。関西・九州など西方とは違って、公共施設の又貸し占有は見られない様ですが、大阪など、労組法の趣旨に則り職場の労働組合に事務所を提供していたのを止めて追い出しを図るより、行政とは無関係の運動体:解同からの公共施設返還が先だと思うのですが。

 部落解放同盟は矢田事件などの確定した損害賠償を全く支払って居らず、彼等の集団暴行による瀕死の重傷被害者の治療費さえ踏み倒したままで、集団暴行・傷害の「正当性主張」を現在に至るまで改めて居ませんから、何等かの権限を与えたら、少なくともその主張の範囲の集団暴行傷害事件は繰り返すでしょう。そういう集団に今でも、絶対に判断権を与えてはいけません。解同には酷い利権漁りと集団暴行傷害事件の反省が全くなく、他を裁けるクリーンハンドがないのです。

 「(都知事選に)出るの引っ込むのと動揺してシッカリしない美濃部はイヤだ!」という庶民に「その点は全く同感で、大変腹立たしいですが・・・・・・、右翼青嵐会で世論に全く揺るがずシッカリと憲法改悪・9条廃棄で極右反動路線強行のファシスト石原慎太郎と、都民の運動で動かせて老人医療無料化実施の美濃部とじゃ、私たちの世論で動かせる美濃部の方が良いでしょう!極右反動路線でシッカリの石原が良いかどうか、もう一度、良く考えてみて!」などと、職場まわりの選挙権取り立ての有志を募って、かなりややこしく苦しい言い分の「個々面接」支持拡大活動を必死にやったものです(w。

※3. [増補版] 長崎市長への7300通の手紙:径書房

長崎市長への7300通の手紙  本島等長崎市長が「天皇にも戦争責任がある」と1988/12議会で答弁し続く記者会見でも発言したことで右翼に付け狙われ1990/01銃撃テロに遭い肺貫通の瀕死の重傷を負った事件がありましたが、その発言を支持する取り組みとして市長への手紙集を出版したのが径書房(こみち書房:同名のゲゲゲの女房関連ではない方)「長崎市長への7300通の手紙」でした。
 職場有志でその紹介・取り次ぎを扱って全社で50余冊を売り上げたのですが、その記事に、解放同盟の暴力と横車で教壇を奪われて裁判で闘い原職復帰した大阪矢田事件 での被害者の先生からの激励の手紙が入っていたことで、その刑事事件で有罪・敗訴で確定した部落解放同盟(解同)が老社長と娘とその夫君で社員総勢3人という極小家内工業出版社に抗議に押し掛けて絶版・回収を迫りました。抗議の矢面に立った若い娘婿氏は言論出版の自由に懸けて当該記事削除要求・絶版要求を拒絶、径書房への激励も集中して(私も熱烈激励の手紙を出しまして)、ねばり強い対応の結果、解同の抗議を機にその経過を記した追加の小パンフを付すことで出版継続で収めることに成功。それまでは解同の抗議を受けて出版継続できた書物は無かったそうで、追加パンフ添付という譲歩はしたものの本の内容もパンフの主旨も全く曲げずに出版を継続して、極小出版社が解同支配に風穴を開ける画期的事件となりました。

 (1989/09初版の[増補版](ISBN 4-7705-0077-7 判型:B5変 174頁 ¥1400→5%税\1470.)というのは何でしょうか?1988/12の本島発言からさほど離れずに翌春89/4〜/6頃には緊急出版されたものですから、89/09版では時期が遅く初版本とは違うと思います。同社サイトには非増補版(ISBN 4-7705-0071-8 判型: 頁 ¥1165→3%税\1200.)も発行日抜き0000/00でリストアップされています。直接比較してみないと判りませんが、時季から見て、初版本の在庫・仕掛かり品の売り切りを認めさせて、その後は経過報告のパンフ分を本体に収録した[増補版]に切り換えたのかも知れません。本は活版印刷ではなく写植のオフセット印刷の様で、写研写植機8inchフロッピーベースの版下データでページを足すのも楽ですから、しなやか〜〜〜っ(w)。径書房のサイトを覗きますと、その娘婿ご夫婦(当時から夫婦別姓)が現在の会社の代表者となってますね。深刻な出版不況を写植オペレータの副業で繋いだりしながら、その後もチビ黒サンボ絶版に異議を唱える出版をするなど骨のある極小出版社です。

 このブログ
   http://blog.goo.ne.jp/goo05594/e/555a93a5df3176dd186ae5407580efec
に拠りますと、径書房の社告としては「初版を第6刷を以て絶版」を言いながら、後の説明を良く読み込みますと、追加パンフ「増補分」を「増補版」に収蔵して、解同から問題とされた手紙もそのまま収蔵して出版と読めます。実際は現物を読んでみないと分かりませんが、「増補分」パンフ自体は社内での取り次ぎ販売当時に見た記憶があります。文面から見る限りはギリギリ頑張ったようですねぇ。[増補版]は若干の値上げもしてますし、イチャモンまで内容に取り込んでどちらも削除せずに売るなんて、したたかな商売人〜〜(w。この手の本で初版6刷36,000冊を1ヶ月で完売というのはかなりよく売れたのでしょう。さらに[増補版]はどれくらい売れたのでしょうか?矢田事件が被害者から刑事・民事で訴えられて、解放同盟側の有罪・損害賠償命令で確定しているのに、この厚かましさには呆れます。[増補版]は解放同盟の横暴振りを記録に遺す客観資料にもなりました。

 事態を少し引いてみれば、長崎市長への多数の激励の手紙の中の1通が、部落解放同盟の仇敵のものだったというだけで、放置すればそれきり気付かれなかったものを、敢えて掲載自体を否定し、絶版を要求して押し掛けるという無茶をしたことで、零細出版社としては絶版・回収では事業存亡に係わって引きようがない背水の陣ですから、解同の圧力に世の注目が集まれば集まる程、その矢田事件では解同側が有罪で、民事でも全面敗訴した事実が世に伝わり、解同側に非難が集中する構造がありました。解同はそれまでは「確認会」「糾弾」と称して際限のない集団の威迫と暴力で無条件の屈服を迫って横車を通してきたので、その惰性で圧力を掛けてしまい、ヤブヘビになったのでしょう。

 下記の文面を良く見ると、本島長崎市長に激励の手紙を送った矢田事件の被害者名が「野々山さん」となっていますが、実際はそうではなく、「木下浄」さんだったはず。当時、その名から一読して矢田事件の主役と分かった記憶があります。近いうちに原本を段ボール箱から掘り出して調べてみますが、当時はまだ社会的に活動中の「仇敵:矢田事件の木下浄先生」名を何が何でも削りたかったのでしょうか(w?それともブログ氏が実名表記を控えたのでしょうか?See→※4

2005-10-01 08:57:54
(3).解放同盟の意向にもかかわらず増補版では、野々山さんの手紙も含め、初版のすべてのページに何らの訂正加除を行わず、解放同盟の意向を併せて明らかにする文章を、初版巻末に付して読者にお届けしたい。

というようなものでした。
 そして増補版に付け足す16ページに及ぶ『増補分』としたパンフレットを緊急刊行しました。

 放送など力の大きいところは径書房の心意気に倣って言論・表現の自由擁護で本気で頑張ってほしいものです。冒頭[#2]のNikonは横車部落解放同盟の不当な要求を必死に交わした零細家内工業出版社径書房の民主主義擁護の奮闘振りに見習って怠惰で不当なスタンスを深く反省して一刻も早く改めて貰いたい。

※4. 掘り出した真相:木下氏の推薦者:野々山氏
  一緒に解同に教壇を奪われる被害を受けた

 結果は私の記憶違いで、「野々山」でOK!木下氏の教組役員選挙挨拶状に「差別だ!」と難癖を付けて、推薦人である野々山氏共々拉致監禁して「糾弾会」として吊し上げ、以降17年間も教壇職場を奪った事件で、解放同盟が有罪で決着が「矢田事件」。従って、野々山先生は木下先生の推薦人ですが矢田事件としては共同主役でした。

 段ボール箱を掘って30分、見つかりました!「長崎市長への7300通の手紙」1989/05/刊/第2刷p110〜112二頁分。一緒に「格闘としての裁判」坂本福子・坂本修共著、大月書店1996/01/19刊\2,800.も発見。1月に亡くなられましたが、無色の体制派お役人である裁判官をどう説得・教育してその良心を呼び覚まし勝利判決を得ていくか、争議を勝利するかを実践的に書いてますので労働運動だけでなく、市民運動・公害運動などには非常に参考になります。
 着信日付順に手紙が並んでいるだけで、発信者名の分かる目次や索引がないので、発信住所=大阪、和歌山、兵庫、筆者名=木下、野々山を本の冒頭から全文を眺めて捜しました。余程目的意識的に捜さないと見過ごすかも知れません。

 初版1刷は取り次ぎ注文が多くて人に廻してしまい、追加取り寄せだったのでそれが第2刷、さらに追加して取り次いだのが第6刷で、それには補充パンフが付いていて、一般の本屋にも並んだので目を通したということでしょう。もう24年も昔のことですねぇ。
See→野々山氏手紙(全文)ページ
 こういう無法で乱暴なやり方を「差別」と付ければ正当だと、有罪裁判確定後も無反省に主張し強要し続けている集団が部落解放同盟です。この犯罪集団に新たな介入の口実を与える「人権擁護法」など根拠薄弱で逆に人権侵害促進法化しますので絶対に通してはいけません。ドキュメンタリー作家、佐野眞一氏の橋下徹市長記事の不用意な失敗に、被害者の委任が有ったわけでもないのに他を裁くクリーンハンドのない部落解放同盟をわざわざ介入させて市民権を与える朝日新聞の相変わらずの不定見解同応援団振りも実に困ったものです。

 我々東日本在住者の感覚では全く判りませんが、西〜九州では「部落」が未だに威圧ステータスになっているようで、半ツッパ、半グレ同士の自己紹介では犯歴・補導歴に加え「○○県××部落の出身」などとやっているそうです。関東でも「少年鑑別所に送られた」体験というのは急に態度が変わり非行が深刻化するきっかけであることが少なくありませんし、暴走だけではない傷害罪や「実は一人殺してる」(先出関東連合メンバーの例)などと周囲を威圧して制していくのですが、そうしたツッパリ・ワルのステータスの一つに「部落出身」が使われていたそうです。上京した東京で「部落出身」で仁義を切っても「それ何だ?!」と興味本位のパンダ扱いの質問が飛び交って締まらないことおびただしくなるのでは?

 矢田事件有罪確定「解同」の横車を、大いにヤブヘビにした24年前の径書房の奮闘に敬意!支援の意を込めて職場の皆に本を紹介して売ったことがついこの間のことの様に感じられます。

2013/02/24 23:55

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