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組織全体の安全認識のでは?
伝えたかどうかの作文調書「偽証」より、
  鉄道事業者としての注意義務違反が本質

【基本認識の誤り】

ATSで矛盾証言
  福知山線事故 JR西社員

         2011/02/16 あかはた 14面【社会・総合】

 2005年、乗客と運転士107人が死亡した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で業務上過失致死傷罪に問われているJR西日本前社長、山崎正夫被告の第8回公判が15日、神戸地裁であり、同社社員2人への証人尋問が行われました。

 1994〜04年までJR西の大阪支社運輸部で運転設備を担当した谷内謙一氏(56)は、検察官の「ATS(自動列車停止装置)をカーブに設置するのは速度超過による脱線事故防止のためではないのか」との質問に対し、矛盾した証言を繰り返しました。

 谷内氏は、ATS設置の理由について「速度超過防止のため」と述べる一方、「脱線事故が起きるとは思わなかった」と証言。「速度超過が起きても脱線事故は起きないのか」との問いに同氏は「運転士は速度を守るので起こらない」と答えました。

 谷内氏は、検察調書では「脱線の危険性がある場所には(改良型の)ATS-Pを整備していた」「事故現場はきついカーブだと当時思い、整備の対象となることはわかっていた」とのべましたが、この日は否定。検察官に「内容が違うのに調書に署名したのか」と指摘され、「内容を読まずに署名した」と答えました。

 94〜01年にJR西の経営企画部に属し、東海道、山陽線のATS-P整備を担当した妹尾彰氏(53)は、半径450b未満のカーブにATS-Pを設置する基準について「当時の資料に書いてあるので、(山崎被告は)知っていたのではないか」と証言しました。

 尼崎事故の経営側の刑事責任を問う裁判の証人尋問の様子が報じられていて、争点と立証の問題点が垣間見えて興味を引きます(右カコミ参照)。以前からの指摘通り、検事調書とは違う矛盾証言で内容が疑わしいかの取り上げ方には若干の異論がある(日記#265日記#266日記#262)のですが、個々の具体的証言内容を丁寧に報じているので、検察側立証方針の弱点と、JR西日本側の安全認識が高度成長初期の40年前水準であったことが浮き彫りになっています。公共交通機関の安全性や労働災害発生防止に直結するこんな大事なことが、政党機関紙である赤旗新聞にだけ報じられていて、一般商業紙には記事がないのはどうしたことでしょう?地味な話題ですが八百長相撲よりはかなり重要な課題に「ブル新」ももう少し頑張って欲しいもの。(注:遅ればせではありますがブル新読売にも第1回〜7回証人尋問のまとめ記事。以降は毎回追って報じています。基本的事実を報道しないではジャーナリズムではありませんから、ちゃんと追い始めたのは結構なことです。司法記者では調書の否認など形式論は記事に出来ても、具体的証言内容が理解できず、結局遊軍記者を法廷に派遣したのでしょうか?)

 検察の立証方針は、「’96年函館本線曲線過速度転覆事故など具体的な危険性を部下から聞いて認識していたにもかかわらず、過速度ATS設置など必要な安全措置を取らなかった過失がある」ということで、部下が山崎前社長に報告したという検事調書を部下毎に作ったものの、肝心の部下が証人尋問で危険度報告の事実を否定してしまい、検事調書の優先で強行突破を策しますが、記事内容をみる限りは法廷証言に説得力があり立証が立ち往生しかねない状況です。

 この局面で検察が本来立証すべき内容は、特別の報告などなくても、専門技術者の固有技術水準として認識しているべき内容で、仮に認識がなかったとすれば、それ自体が怠慢として過失責任を生ずることです。検察側はこの立証方法を間違えて「部下の報告で必要性を知った」という作文集に頼って法廷ではことごとく覆されてしまっています。それはそうでしょう。過速度で曲線に突入すれば脱線や転覆に至ることは明快な物理法則であり、自ら解析できる専門技術者同士の話では当然の前提として省かれる内容なのを、顕在的に「話をした」という調書など作るから「検事の作文」という非難を浴びてしまいます。そうして失敗した後の証人尋問でようやく「山崎前社長は認識していたと思う」という証言を引き出していますが、それでは有罪立証として弱く、斯界の権威などから「プロとして当然の常識」といったお墨付き鑑定が必要なのでしょう。ですが、それは公開法廷での公判開始前の「準備手続き」で既に立証計画を裁判所、弁護団と3者で合意して決めてしまっており、その部分の補強ができないと無罪判決に傾くでしょう。証人の見解をきちんと聞かないで独善的なストーリーを証人に語らせる検察の悪癖がここでも露骨に現れて立証に穴が空きかけているということです。

 そもそもでいえば、まず、曲線半径300mは報道されるような「急曲線」ではなく、大都市部や大本線の山岳部では普通にみられる標準的な曲線半径です。たとえば山手線内の、中央線、両国以西の中央総武線緩行線とか、山陽線瀬野−八本松間の約10kmに及ぶ23/1000勾配片峠のつづら折りカーブ、三度の過速度転覆事故を起こしている函館線大沼駅前後の20/1000急勾配つづら折りカーブなどの主な曲線半径は300mです。総武鉄道として開業した両国駅以東の総武線などの800R〜500Rの方が緩めのカーブです。
   (参照→「Google Earthで曲線半径算出」)。
 曲線300Rは、制限速度はカントを加味しないで定めた「本則」によれば60km/hとなりますし、特急高速化のために特に定められた最大カント105mmを前提の特別制限ですと75km/hとなります。JR西日本は高速指向で、普通列車に最大カントを前提の特急用特別制限を適用しましたが、尼崎事故現場では高速道路などの地形が邪魔して緩和曲線の長さが不足して制限値105mmのカントは付けられず、97mmに留まったことで70km/hとなって、制限速度標識を設置しています。

 一方、列車の最高速度は特急列車でも95km/h〜普通列車では80km/h程度だったものが、在来線の特急こだま号151系電車で110km/hに引き上げられ更に同等の特急群が120km/h化された程度でしたから、一般普通列車では転覆脱線速度にはなかなか届かず、「曲線過速度脱線は起こらない」という「国鉄現場の常識」が形成されてきました。1968年〜頻発した過速度脱線転覆も待避線、副本線への分岐器で発生したことから信号ATSを流用して過速度警報する分岐器過速度防止装置を構成して設置することに留まり、これが55km/h制限以下にしか対応できないことで、無防備の60km/h分岐制限に100km/h超で突入して起こした西明石ブルートレイン大破事故1984/10に繋がります。

 ところが国鉄分割民営化に前後して最高速度が引き上げられて、普通列車でも120km/h、130km/h、湖西線や青函トンネル内などの特認区間で140km/hの運行が始まり、一般的な脱線転覆懸念速度である100km/h(事故調報告書の試算では105km/h〜108km/h)を越えましたが、その時に安全装置である過速度ATS設置基準を決めなかったことで尼崎事故に繋がりました。この検討漏れで漫然と「曲線での過速度転覆は起こらない」と思い続けたことに第1の重大な過失があります(認識の誤りではあっても、偽証という訳ではありません。国鉄での列車高速化検討経過は列車速度調査委員会の審議概要、60/6/25発足課題4など)。1974年4月発生の鹿児島線583系寝台特急電車曲線過速度脱線事故が西鹿児島発車直後の300Rで既に起きており、安全対策検討の機会はありましたが、それは無視されて曲線対応は放置されました。

 さらに、1988年12月の函館本線姫川事故も60km/h制限300Rに約100km/hで突入し機関車と貨車2両を残して高速コンテナー貨車19両が転覆脱線、1996年12月に大沼を挟んで反対側急勾配カーブで起きた函館本線仁山事故でも60km/h制限300Rに115km/h超とされる高速度で突入し全車脱線転覆し、JR貨物はこの付近など危険箇所に過速度防止装置を設置、この函館線仁山事故対応が山崎前社長の参加する会議で報告されて危険性を認識できたのに必要な対応を取らなかったとして起訴されての公判記事です。
 報告などなくてもリスクに気付くべきなのは当然で、それは普通列車にも特急用規定を適用して高速化を進めたJR西日本歴代幹部も同様に責任があります。

国鉄JR、労働安全基準の受け容れ拒否

 国鉄JRが高速化に伴い発生した危険な条件を見逃してしまった背景には、安全についての基本的な考え方の遅れがあります。その具体化の点では、国鉄型ATSが原理原則を追って必要十分な安全確保を目指したものではなく、目先の現象面を追ってモグラ叩き的部分改良を重ねた欠陥設計でした。
 ATSの仕様としては1967年に「私鉄ATS通達」が出されて私鉄での大事故を防御してきましたが、前年の1966年に全国展開された国鉄型ATSは、(停止信号)冒進速度を管理しておらず、当初は強制停止もなく、自動制動ポイントも得られず、常時投入ではない欠陥仕様でした。これは山陽線網干駅急行追突事故(1940年)を機に開発設置され爆撃で頓挫、戦後再開された実用試験が占領軍命令で中止された幻の鉄道省ATSでは、3段のコード式常時速度照査機能があって、優れた「私鉄ATS仕様」に近いものだったのですが、それから20年後の国鉄型ATSでは安全制御の基本思想のない大変な格落ち仕様になりました。

 安全への考え方としては、一般産業界では経済の高度成長に伴う死亡災害の多発からその防止に力が注がれて、「作業ミス発生を前提に、致命的事態に至らない安全策」が求められて労働省の監督行政としても厳しく追求されて労働災害発生を抑えてきたのですが、国鉄JRの発想は違い、「規定通りの基本動作を守れば事故にならない」として、管理と処罰を強化することで事故防止を図るという精神主義的な的はずれのもので、懲罰的日勤教育でいじめ抜いて運転士の自殺事件まで起こしています。
 殉職した尼崎事故の運転士もこの懲罰的日勤教育を非常に恐れていたことが指摘され、直前の伊丹駅での70m過走の輸送指令への列車無線報告に注意を奪われて減速の時機を失したと推定されています。(宝塚駅折り返し時のATS動作とか異常な低速運転などが走行記録に残っており何らかの特別な意識低下が起こった可能性は否定できませんが、事故直前の直線部での過速度でブレーキを取り扱っていたり、車掌と指令との通信を傍受する特別の無線機操作を行っていることから事故調報告書では列車無線傍受から転覆までは正常な意識水準だったと判断しています)。

 人間の注意力というのは、時に散漫になるもので、いくら必死に注目していても見逃してしまうことは起こるので、個々のオペレータの注意喚起とは別に、根本的な安全対策としては「操作者のエラー発生を前提に、致命的な被害を避け、抑制する手だてを取る」ことが求められるのですが、国鉄JRの発想はそれとは真逆の精神論が支配して、心構えとしてミスを犯さない努力のみが強調されて、尼崎事故後の外部からの指摘にさえ反発して基本動作遵守のみを強調するほど凝り固まっていました。
 危険性の指摘にも内容を具体的に確かめることなく「そんなことをしたら、経営が成り立たなくなる」と切り捨ててしまい、最高速度で停止信号に突入できる根本的欠陥を持つATS-Sxに見切りを付けて、(停止信号)冒進の起こらないATS-Pへの換装を積極的に進めたJRは東日本だけという状況が1988年中央緩行線東中野事故以降長らく続きました。そのJR東日本でさえ「ATS-P化は金食い虫の過剰品質」と現場からさえ非難され続け2002年初頃までは続きました。東中野事故対応としてATS-P換装を公約したJR東日本の社長会長方針でなければP換装方針は維持できなかったかもしれません。
 この労働省安全対策方針否定がJR西日本会社組織としての基本認識の誤りで、後の「安全性基本計画」が発表されて、その主旨が職場に読み込まれるまでは続きました。尼崎事故直後の安全性向上計画05/05/31では、安全対策本体から「エラー前提」が敢えて外されて、「報告対応」にのみ限定されていました。
   (安全基本計画:JR西日本08/04/01
   JRはエラー前提の安全対策へ切替を06/04/28)

 なお、ATS-Pの評価が肯定的なもの多数に反転する理由は、輸送力増強:増線効果が明らかになり、過密線区では十分ペイすることが理解されてからで、振り返ってみれば、あまりの過密ダイヤでATC化できず唯一停止信号警報装置ATS-Bに留まって安全性向上のネックになっていた中央快速線にも採用できて、その優れた実績で横須賀-総武線東京トンネルと山手貨物線のATCをATS-Pに換装して輸送力を増強し、従前のATCにもATS-Pの基本原理である「位置基準車上演算パターン照査式」を導入したD-ATC、DS-ATC、ATC-NS、KS-ATC・・・・、を「デジタルATC」として採用しました。
 安全性では従前のアナログATCで不足はありませんから、デジタルATC化の大きな効果というのは、一般に言われている速度段階の増加だけでなく、線路を増やすより遙かに少ない投資で輸送力増強、大きな線増効果が得られて、「安全投資」が十分ペイすることが判ったからです。湘南新宿ライン実現や、東京地下駅での特急の解結、山手線ホームドア化などの採用は技術的背景としてはATS-Pが切り開いた「位置基準車上演算パターン式照査」採用の効果といってよいでしょう。
※拠点Pでの高減速車情報取得法
※:「拠点P」として、ATS-PとATS-Swの両方を同一システムに包含してしまえば、P−Sw独立併設とは違い、相互に情報交換できるはずで、ATS-Swが受信した「高減速車信号 67kHz検出」を次の信号機に送って「現示アップ制御」をさせても差し支えないはず。
 すなわち現示アップ制御に第1閉塞信号のATS-P化は必ずしも必要なく、Swでコストダウンされている可能性がある。
 JR西日本はATS-Pを安上がりにするために1995年以降は駅前後の絶対信号と、入場待ちの機外停車の起こりがちな駅の第1閉塞信号のみをATS-Pとして、中間の閉塞信号は警報のみのATS-Sのままにする「拠点P方式」採用を原則とすることを決めましたが、第1閉塞信号にATS-Pを設置するのは、そこで列車情報を受信して高減速車(≒通勤電車一般)に対しては場内信号の現示アップ制御を行って高速化を図り運転時分短縮、輸送量増強を図るためです。尼崎事故現場先の福知山線尼崎駅進入に設けられた現示アップ制御では平均16秒もの運転時分短縮を果たしたと事故調報告書には述べられています。以降、JR西日本のATS-P導入は、ATS-Sxを主体にして、駅前後だけATS-Pで列車間隔を詰めて線路容量を増やす、安全確保の点では「キセルP」といえるものになっています。それをJR東日本と同じ「P路線」と主張するのはフェアーではないと思います。

 結局、路線の最高速度を転覆懸念速度以上に引き上げる決定以降に、安全点検計算をして、過速度防止装置設置基準を提起する部局、担当者がJR西日本には何処にもなかったことが会社としての事故発生原因となる過失だということになります。
 この場合、誰が責任を負うかとなりますと、現場叩き上げで経験主義で転がり、解析作業は求められず、規則と公式を機械的に適用して設計計算を行う現場設計作業、決定権がない職種への責任追及は過酷に過ぎて対象外でしょう。しかし解析処理を行って規則と設計式を決めるところは明らかに責任があり、法的な過失責任を問われても仕方ありません。その職務クラスは、民間会社ですと少数の解析設計者と、実質は主に設計規則で製品設計する設計者が同じ職場に混在して、課題毎に担当が入り組んでいたりして分けがたいのですが、国鉄のようなキャリア採用をして仕事を振り分けていれば、詳細解析をして規則制定するところははっきりしている訳で、そうしたエリート層への管理責任追及は行われる必然性がある訳です。これは国交省鉄道局についても同様で、省令で設計計算式まで決めるほど深く関わっていながら、監督官庁としてなぜ大惨事発生まで過速度ATS設置基準を定めなかったのかという不作為の責任を生じます。歴代社長への責任追及も同様。

労働監督行政はなぜ鉄道業界に踏み込まない?

 労働省が労災発生予防に求める基準はかなり厳しいもので、酷い会社は安全衛生の外注化、規制の緩い東南アジア各国への国外持ち出しで対抗したりしましたが、長期的には自前の工場の安全対策を取れないような技術水準のところは次第に淘汰されて行き、「エラー前提で安全を保てる作業環境」が追求されていきましたが、同じく労働災害ながら鉄道業界の監督・安全指導にはまだ踏み込んでないようです。
 民間経営ですと労使から委員を選んで安全衛生委員会を開くことが義務付けられていて、労働組合が極端な御用組合とか民社党など特定セクトに占拠されてない限り、組合役員や安全衛生委員は各職場の持ち回りで押し出されて来ることが多く、労働者側委員に選ばれたからにはそこそこ勉強して会社と御用派に対抗して勝てる具体的な職場課題をまとめあげ各級会議や宣伝などで職場与論にして持ち寄って、委員会としては少数派の意見が通る解決活動をします。そういうにわか委員のための講習を各地の労働基準監督署や、労働省職員の労働組合である全労働の組合活動家が引き受けていました。全労働には司法警察権をもつ労働基準監督官まで組合員として組織されていて、我々未経験・不勉強な持ち回り役員に安全衛生の考え方と点検ポイントを厳しく叩き込んでいました。(就労時間外に無給で真面目に学びに来ている労働者側委員活動家を、そこまで扱き下ろさなくても・・・・・と思うくらい厳しいものでしたw)。
 トラック、バス、タクシーなどの監督指導は遅ればせながら行われるようになりましたが、運航中の鉄道については未だに放置なのはどうしたことでしょう?安全についての基本的考え方を変えさせるためには、労災担当省である厚生労働省が鉄道事業者とその指導監督庁である国交省鉄道局に対してもっと積極的に指導に入るべきだと長らく思っています。尼崎事故でも労災・通勤労災扱いになった被災者は多数居るはずで、厚生労働省の労災予防担当が積極的に関与すべき場面ですから、ここは是非頑張って欲しいところです。

相撲ゲーム敗者の生活保障欠落
  裏で手当てする談合取り組み
  八百長報道高額損害賠償裁判で自ら首を絞める  
<yaochou>

 相撲取りの星の貸し借りが警視庁の捜査で公にされてしまい、八百長問題として折からのエジプト政変、中東連鎖政変の重大ニュースを吹き飛ばしてマスコミを占拠していますが、少々騒ぎすぎ。元々が純粋プロスポーツというわけではなく、「神事」であり、興行としての側面も強く、花相撲とか地方巡業とかあって、総てがガチンコ格闘技という訳ではないことが当事者の証言などでも一般常識化していましたが、それを派手に書いた週刊誌に対して名誉毀損で超高額の損害賠償訴訟を起こして高額賠償金勝訴が確定してしまい、余計に厳しく叩かれることに。

 相撲は1対1の格闘技ですから、勝者と敗者は必ず生じ、その他大勢が居て優勝争いの上位陣が存在できる訳で、敗者側のプロ競技者としての生活保障がどうなっているかを「群」として考える必要があります。相撲界OBらが「稽古して勝てばいい!」と言い歩いているのは、同数の敗者が生じて群としては変わらないことに気付かない、脳味噌まで筋肉の議論です。
 幕内力士は月給100万円を越え、幕下は月給ゼロで、場所出場手当が15万円×年6場所で、2場所負け越すとゼロに陥落となると、何等かの裏の生活保障が必要になるでしょう。

 他のプロスポーツでは、当初からエンターテイメントの興行だったプロレスは八百長の非難を浴びることはなく筋書き通りの試合が演じられ、プロ野球は、オーナー、コミッショナー込みのやらせだった江川・小林事件や、巨人ジャッジ、王判定、長島判定など微妙なものはありますが、不十分とはいえ2軍選手を含んでの最低年俸の保障、減額制限をして、1年間単位では概ね身分保障をしていることが、すぐ給料ゼロに落ちて奴隷扱いになる相撲界とは違います。

 結局、この収入保障のない分を、裏の談合取り組みで救済する昔から続いていた慣行が警視庁により物証付きで暴露されてしまい、旧来の建前を維持しようと出口がなくなっているように見えます。

 プロ野球に倣って、一旦幕内等のレベルを超したら期間を定めた何段階かの最低報酬の保障を行って、談合相撲の切実な必要性を無くしていくことが必要でしょう。相撲の勝敗自体を賭の対象にしたのなら重大犯罪で追放は当然ですが、家族持ちの生活を支える互助会だったのなら、制度的欠陥を裏で埋めていた角界全体のシステムの問題であり、太めのトカゲの尻尾にはせず、改革で切り抜けて貰いたいものです。八百屋の長さんは角界関係者ですし、「花相撲」の存在は公式に認めてきた訳で、ファンが許容できる大人の対応をすれば良いじゃないですか。この私も両親が良く中継を見ていたもので、それは日常風景の断片の一つでナガラ視聴に抵抗感がないのですが、誰も相撲をオリンピック競技にしようだなんて思ってませんて。

2011/02/18 23:55

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