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![]() 北アルプス遭難時12/05/04の700mBar高層天気図 上空の気圧の谷が丁度北アに掛かっている |
![]() 広瀬湖(ダム湖) | ![]() 雁坂みちの西沢渓谷入口橋梁(甲府−秩父を結ぶ新道路) | ![]() 東沢を渡る吊り橋「二俣吊橋」 |
![]() 西沢渓谷左岸森林鉄道跡橋脚 | ![]() |
![]() 橋脚3 | ![]() 森林鉄道解説看板↑ 文面↓ |
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西沢渓谷入口近く左岸の看板↑ 文面↓Aこの橋脚はなんでしょう?この橋脚は、山梨県(県森林)が昭和28年頃から硅石を採掘し、これをトロッコで運搬していた森林軌道の●●(廃線?)跡です。硅石はこのヌク沢上部の戸渡尾根中腹の採石場からこの近くまで索道で降ろし、ここからトロッコで塩山駅北の集積場に集め鉄道で各地に運びました。当時、硅石はガラス・陶磁器などの原料に使用されていましたが、外国から安い硅石が輸入されるようになり、昭和46年に生産を中止しました。 なお、西沢渓谷右岸の森林軌道では、木材を西沢渓谷上流部から塩山駅北の集積場(土場)まで運搬していました。 (三富村 TEL:0553-39-2121) |
![]() 西沢渓谷右岸中腹森林鉄道跡(レールが谷に落ちている) | ![]() 奥悪沢(沢筋解説看板) |
![]() 路盤毎崩落している線路 |
![]() 軌道路盤全崩落の沢筋に掛かる鉄橋より |
(沢筋が崩壊を繰り返して軌道の路盤が全部崩落した跡を繋ぐ遊歩道鉄橋が9本ほど見られる) |
![]() 渓谷右岸森林軌道跡遊歩道 |
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![]() 森林軌道跡遊歩道 |
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![]() トロッコの由来このトロッコ軌道跡は、三富村と塩山駅を結ぶ三塩軌道と称し、昭和八年〜昭和四三年まで、主に西沢・東沢一帯の県有林の木材搬出に活躍したものです。全長は三六キロメートルで、自然勾配をせび(ブレーキ)だけで塩山駅まで下り、登りは馬で二台づつ引き上げていましたが、昭和二〇年頃からはディーゼル機関車で六〜八台を広瀬ダムの対岸にあった中土場(なかどば)まで運び、そこから奥一六キロメートルは、馬に頼っていました。 木材搬出の工程は、伐採を専門とする者と、積子(つみこ)といって丸太をトロッコに積む者、及び、運材夫といって中土場まで運び、これを塩山駅まで運ぶ業務をそれぞれ分業で行っていました。 県有林からの木材搬出の合間に、民間の者も炭・薪・繭(まゆ)等の搬出、米を始め、あらゆる生活物資の搬入に、このトロッコを利用していました。 これらは、軌道使用料条例によって、塩山林務事務所が発行する切符により、その荷重と距離により使用料が定まっていました。 三塩軌道は、戦後の食糧難等、幾多の危機を乗り越えて、昭和三七年頃まで全盛を続けていましたが、やがて国道が整備され自動車輸送に変わり、いつしか衰退し、昭和四一年、中土場〜塩山間の軌道は撤去されました。 かっては、戦前黒金山の銅鉱採掘による鉱石運搬・また鶏冠山から採掘された硅石(けいせき)の運搬は最後まで行われていましたが、昭和四三年その歴史を閉じました。 山梨市 |
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![]() 木材運搬トロッコブレーキ機構(レールブレーキ) |
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森林軌道跡遊歩道 遊歩道のレールは廃線後の44年間でかなりが谷に落ちてしまったり土砂に埋もれて見えなくなっていて、このアルバムの写真は残っている部分です。 |
秩父多摩甲斐国立公園 西沢渓谷線
昭和8年から43年まで、木材搬出のため利用されていた「三塩軌道」(現、西沢渓谷遊歩道迂回路)の路線延長の際、山の形状等の理由で何ヵ所か沢を迂回するコースが作られましたが、その中でも最も深い沢だったので「大久保沢」と呼ばれるようになった。 |
![]() 沢筋で崩落した森林軌道跡 |
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![]() 1日5本のBUS!道の駅みとみ |
![]() 石和温泉駅南の宿から西沢渓谷方面を望む |
![]() 昇仙峡ロープウェイ | ![]() 能泉湖と荒川ダム | ![]() |
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<p16>![]() 甲府駅プラットホームより |
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