[379] |
|
界磁巻線群両端の「RV」接点×4が逆転器×2 主回路つなぎ図:京成3100型(直流直巻モータ) 京成電鉄KK1960年刊3100型パンフp15「制御装置」より |
---|
逆転機レバー↓ 蒸気機関動作模型@鉄道博物館・大宮 |
---|
※竹島紀元鉄道ジャーナル前編集長死去(89歳)のニュース。 竹島編集長に「朝鮮での慰安婦強制連行は無かった。俺は見たことはない。気に入らなければ(鉄道ジャーナル誌を)買うな!」と書かれて、同誌購入を断固止めてきましたが、右翼たちの徹底した大日本帝国無謬主義には呆れます。 暴力と権力とで客観事実を曲げてしまうのですから。 国外での平定作戦、敗残兵狩りで住民皆が敵に見えてしまい大虐殺をしたのはヴェトナムはソンミの米軍だけではなく、フィリピン・マニラへの米軍再上陸に怯えて住民総てをスパイ視して、後の大統領の家族を含む多数の市民の大虐殺をした日本軍、沖縄方言の会話が理解できなくて切れて虐殺した大日本帝国軍沖縄派遣部隊、インドネシアでもフィリピンでも慰安婦を占領地から現地調達した、オランダ人まで強制的に慰安婦にして戦後戦争犯罪人として死刑になるとか、「戦争」ではない「事変」で、捕虜は存在しないタテマエから投降者16,000.人〜200,000.人を処理(=裁判なしの処刑:虐殺)しました。外国からの侵略軍だからこそ、住民虐殺をするもですが、今になって「16,000.人は戦争中の出来事で大虐殺では無い」「幻の南京大虐殺」と言い募る醜悪さ!戦争ではない「事変」で16,000.人もの投降者などを裁判無く殺せば間違いなく大虐殺でしょうが。ヴェトナム戦争で米軍敗退のきっかけとなったソンミ虐殺は500名余でした。 朝鮮は一段低く見て蔑視していたのに、あちこち他国で慰安婦に強制徴用していながら「朝鮮でだけは慰安婦の強制徴用は無かった」などというお伽噺を、政治権力と武力制圧で通してしまおうという試みは許せないものです。 記事に多くの脚色があったことから引用記事の出典にはならないとして朝日新聞などマスコミから全面取り消しされた「吉田証言」も、証言記事が取り消されただけであり、朝鮮、あるいは済州島で慰安婦としての強制連行が無かったことを示すものではありませんでした。 ♪ああモンテンルパの夜は更けて♪ 渡辺はまこ U-Tube フィリピン、キリノ大統領によるモンテンルパ刑務所日本人戦犯死刑囚59名全員への減刑恩赦は日本では大美談として残された物語です。しかし、大統領自身が家族を日本軍の虐殺で失った被害者遺族でありましたが、戦犯死刑囚恩赦でフィリピン国民の怒りを買ったこともあり、直後に行われた大統領選挙でマグサイサイに負けて失脚。直前に処刑した14名の戦犯判定に一部人違い冤罪があったことと、日本軍による非道な住民大虐殺とは独立の事象なのに、住民虐殺やフィリピン国民の怒りが無かった、全く無実の戦犯判決と強弁する超復古主義者が日本社会で幅をきかせ始めました。彼ら帝国軍隊の亡霊を政治の表舞台に立ててはいけません。 |
【 2×北陸トンネル列車火災 】この事故は昭和47年11月6日、大阪を出発した急行「きたぐに」号が、当時では全国一の長大トンネルだった北陸トンネル内で食堂車から火災が発生。それを発見した車掌が、マニュアル通り直ちに列車を停止させて消火にあたった。だが、すでに火の手は拡大し、列車に備え付けの消火器だけでは消火活動もままならず、列車はほぼ全焼に近い状態となった。現場は暗闇の長大トンネル内という最悪の条件ゆえに多くの乗客が煙に巻かれ、死者30名負傷者714名を数える大惨事となってしまった。 ・・・・・・・・・・ p53L9〜 最近、本署を執筆するにあたり、昭和58年発行の大阪車掌区史を見ていて意外なことに気付いた。これには次のように記されている。 昭和44年12月6日午前6時20分、青森発大阪行寝台特急「日本海」号が前述と同じ北陸トンネル内で、最前部電源車の床下から火を噴いているのを機関士が発見した。このとき、機関士はとっさに"トンネル内の停車は危険"と判断し、そのまま列車を走らせて、トンネルを出るや一気にブレーキを掛けて停車した。そして乗務員全員が一致団結して消火活動にあたり、さらに消防車の出動を要請して無事消火に成功した。このときの車掌は大阪車掌区所属の私の先輩達である。 ここでふたつの事故の発生年月にご注目いただきたい。30名の死者と714名の負傷者を出した北陸トンネル事故が昭和47年。その3年前の昭和44年、すでに"トンネル内の停車は危険"と、あえてマニュアルを無視して突っ走った乗務員がいたのである。そして事故を最小限に食い止めた。この貴重な教訓を、国鉄幹部は果たしてどう受けとめたのだろうか。もしこのとき"トンネル内で列車火災が発生したときは全速力で突っ走って脱出せよ"と、マニュアルを書き換えていたならば、3年後の大惨事の被害はもっとすくなかったはずである。 これは明らかに国鉄当局の怠慢。マニュアルを書き換えなかった国鉄幹部がその責任を負うべきだったのだ。 (「車掌○真乗務手帳」坂本衛著 山海堂刊2000年3月25日初版第1刷、8月10日第2刷刊) | |
【 永瀬教授、寝台特急日本海火災記事 】この事故が起きる5年前に同じトンネルで列車火災が起きて、トンネルの防火対策の改善を敦賀市消防本部から再三にわたり要請されていたのに応じなかったこと(注:ここまでが日本海火災事故!以下きたぐに火災事故)及び数日後に遺族からの照会による再度の探索で犠牲者が発見されるという失態もあって、国鉄は社会から厳しい批判を受けただけでなく、国会でも徹底追及され6)、さる防災専門家からは、「一般社会の防火体制の水準から見て、国鉄の場合は無知に近い」と酷評された7)。文献 6).第70国会衆議院運輸委員会議事録第2号、s47.11.9 鉄道ジャーナル2015/07号p128左−4行〜永瀬和彦:金沢工業大学 上欄の坂本衛記事と下欄の永瀬記事の差部分(=寝台特急日本海乗務員の殊勲の奮闘と&それに対する不当処分)が「国鉄、中の人」が学者・研究者の立場をも省みず何が何でも隠したい部分でしょう。しかしそれでは同様の誤りを繰り返してしまいます。 | |
【 鉄道ピクトリアル2015/9、寝台特急日本海火災記事 】北陸トンネル建設当時は、電化されたトンネル内での火災事故発生はあり得ないと考え、排煙・消火設備のトンネル内設置をしていなかった。(L15〜)これより前、1969年(昭和44年)には同じ北陸トンネル内で寝台特急「日本海」が火災事故を発生させたが、このときは規定に従わず運転を継続してトンネル外まで脱出、消火活動を行ったため、被害を最小限にとどめることができた。 ところが、当時、国鉄では長大トンネル火災時の運転継続は規定違反として当該列車乗務員を処分していた。 そのため「きたぐに」火災事故時には規定どおり列車を止めていたことも事故を拡大する要因となってしまい、前回事故の教訓から何ら学んでいなかった国鉄に対する非難は大きく、裁判も長引いた。 鉄道ピクトリアル2015/09号p62右段11行〜三品勝暉(みしなかつき):元鉄道総合技術研究所 処分で停車を強制したことが「きたぐに」火災事故を深刻化させたことには触れた!「裁判も長引いた。」については、トンネル内停止強制決定に責任の無い乗務員達が生け贄的に起訴され長い裁判に曝された事実と、地元消防からの再三にわたる防火対応・訓練要請を無視したことは欠けている。 |
[Page Top↑] |
旧 |
新 |
Geo雑談 |
前 |