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西武鉄道、s44年から車上パターン方式ATS稼働!

西武ATS動作図  西鉄ATSの訳の判らない解説に悩まされていたところへ、構造類似とされる西武鉄道ATSの解説記事を載せた鉄道ピクトリアル誌2013年12月増刊号を発見。その解説なら動作が良く理解できるので買ってきて、自分なりに焼き直したのが右のリンクページです。

 記事によると西武電鉄ATSは1969年(昭和44年)から稼働で、最高速度からの車上演算パターンで防護されていて、安全のための無駄がほとんど無く、停止信号冒進は起こさない優れたシステムであることが分かります。
 私鉄ATS仕様通達(昭和42年鉄運第11号)が1967年1月に出され、私鉄大手には3段の速度照査が義務付けられ、各社一斉に整備されたもので、以来これにより故障誤扱い以外の大事故は起こらなくなっていましたが、西武ATSではそれに加えて車間距離を詰めて輸送容量を増やせ、機関車だろうと電車だろうと制動特性に合わせた制御のできる車上演算パターン方式を導入していたわけで、衝突安全機能としては1986年末に山陽-東海道線西明石−草津間で一部稼働開始のATS−Pにほぼ匹敵する優れたもので、全面ATS−Pの稼働が京葉線東京駅乗り入れの1990年からとして、その何と21年も前からほぼ同一機能のATSを働かせていたことになります。東武鉄道ATS=TSPも車上演算パターン方式です。
 パターン方式速照ではありませんが、京成電鉄・都営1号線・京浜急行の速度照査付き1号型ATSの稼働開始が1960年12月、西鉄・阪神・阪急など大手私鉄各社も同様に速度照査付きですから、採用したATS技術としては国鉄より私鉄の方が大きく進んでいたことを改めて示します。
 西鉄ATSも、車上演算パターン方式ではなく、B点列車センサーの方式が西武とは異なるだけで、軌道回路からの速度コマンド送信は西武ATSと同じなのではないか?とますます強く思えます。

 1969年といいますと1971年のマイクロCPU−LSI:i4004出現直前のアナログ全盛時代で、速度計はまだまだチクタク・チクタクと賑やかな機械式の時限爆弾型が跋扈し、パルスカウント型速度計もアナログの磁気飽和方式で10km/h以下の目盛が詰んでいた時代ですから、車上での走行距離積算:速度の時間積分をどうやっていたのか当方回路屋としては非常に興味あるところです。低速部もリニア目盛のロータリーエンコーダ方式にはまだ早い時期です。
 1944年からロンドン空襲で実戦に使われたナチス・ドイツの中距離弾道弾V2号の慣性誘導装置にはアナログコンピュータが用いられていた、すなわち演算増幅器(オペアンプ)でミラー積分器を構成していましたし、東芝など電機各社からアナログコンピュータも製品として発売され普及していましたから、鉄道の赤信号停止位置制御の要求精度程度は十分に実現可能だったと思います。

【 ミラー積分回路 】
      <Miller>

ミラー積分器
オペアンプ増幅度μ→∞
入力i出力o
係数:−1/CR ミラー積分器
 1963年半ばには繰り返し型3演算増幅器アナログ・コンピュータの組み立てキットが教育・学習用としてアメリカ・ヒース社から発売されて日本の電子雑誌(無線と実験誌現MJ)にも紹介されていますから、さらに6年後、V2号ミサイルからは25年後の1969年供用開始の西武ATSの時代ではシリコンで半導体化もされて既に良く枯れた技術になっていたでしょう。(1966年全国展開のATS−S車上装置にはまだゲルマニウム・トランシスタを使っている様です)

 振り返れば、国鉄「ATS」(A,B,S型)が「目覚まし時計」と揶揄され「自動列車停止装置」と呼ぶにはほど遠い(故山之内秀一郎元JR東日本元会長著書「なぜ起こる鉄道事故」p168L4ほか)管理値が存在しない仕様で、最高速度で停止信号に無制動で突入できるなど重大欠陥を持ち、大事故毎にモグラ叩き的に次々対策しながら事故発生が収まらなかったのに、1987年4月の国鉄民営化に際しては私鉄ATS通達を適用除外にしてまで全面改良を避けて、中央緩行線東中野追突事故1988/12、飯田線北殿正面衝突事故1989/04、スーパーあずさ大月衝突転覆事故1997/10と重ねました。

 国鉄ATSの起源を辿りますと1941年9月の山陽線網干駅急行列車追突事故の対応策として、概ね私鉄ATS通達仕様の連続コード式速度照査付きATSを東京-博多間に設置を決めて工事完了寸前に国鉄小倉工場爆撃を受けて取付前の車上装置を全損して頓挫、戦後幡生-門司間で試験運用を始めてアメリカ占領軍に工事再開許可を申請して却下されて立ち消えになってしまいました。
 それから10年後の1956年の参宮線六軒事故で採った対応策が停止信号現示を警報するだけの簡易な「車内警報装置」設置推進だったため、1962年の三河島2重衝突事故の対応としてその問題ある車内警報装置に5秒タイマーを付して非常制動を掛けるだけの欠陥装置を「ATS」と呼ばせて本質的改良を怠ったたことで次々の「想定外事故」を起こしてモグラ叩き対応となりました。(See→ATS絡みの事故史)

 ATS開発には実車に装備して実証実験を重ねる必要のある部分もありますが、速度割り、区間割り、減速パターンなど主要動作概要は理論解析計算に良く馴染むものであり、現に機関車による貨物輸送もあった西武鉄道(本稿)や東武鉄道:TSPが1967年私鉄ATS通達対応の段階で、1986年供用ATS−Pに準ずるような車上演算パターン方式ATSを全面採用しているわけですし、1960年末に供用開始の京成・都営1号・京浜急行1号型ATSは、1980年代末でATS−Pに換装されて廃用となったATS−B型と機構的には同構造ながら、速度照査付きATSとして働き、現在車上演算パターン方式を採り入れて高機能化したC−ATSと併用されています。

[小田急ロマンスカー開発と国鉄電車化新幹線開発]    <OER3000>
1953/10/17 高速列車鉄道技研の発表記事:国鉄本社からは強い批判、運輸省研究補助金対象に
1954/09  電車方式案まとまる。名前は鉄道「技研」だが実質「試験所」の制約有り
1954/10 小田急が鉄道技研に高速電車開発設計要請
1955〜56  運輸省の高速車開発研究補助金、鉄道技研所員を長とし小田急から申請
1956/11   東海道線全線電化完了
1957/06 小田急3000ロマンスカー完成(製造社能力で軽合金→鋼製)
1957/09 小田急3000高速度試験(東海道線で鉄道技研)
1957/   モハ90系試作(101系)完成(新性能国電プロトタイプ
1959/   モハ20、91(151系、153系:こだま型、東海型)完成
1959/04 東海道新幹線建設認可決定
1960/12  103系試作編成
1964/10/01 東海道新幹線開業
  See→[小田急SE車から生まれた新幹線
   小田急3000形SEの追憶 三木忠直 鉄道ファン 1992/7
 開発技術の陣容からみて国鉄ATSの遅れは技術的ネックからでは無く、優れた実力を持ちながら経済性を口実に放置したと云うことです。尼崎事故で未設置が問題となった過速度ATSも−ST/SWを含めて機能としては総て準備されており、−Pや−Psでは4種類も過速度コマンドを準備して各所に設置を始めていながら、合理的な地上設備設置基準を解析制定しなかったJR西日本で危険個所への設置漏れから大惨事となりました。
 それは優等列車の高速化・電車化に際して決定権を持つ本社文系官僚に理解されず、小田急ロマンスカー3000型開発を全面援助して大好評に加えての145km/h高速走行試験の成功などの実績でこだま型モハ20系(→151系/181系)を実現させて、電車王国化、新幹線開発に繋げた(右カコミ年表)様に、私鉄各社のATS開発にはメーカーなどを介して裏で後押ししてないのか?それとも、実力派が業を煮やしてメーカーに移籍してしまったのか?と思うくらいです。すなわち国鉄技術陣はATSについては国鉄経済官僚支配のくびきを乗り越えられなかったのではないか?という疑問を生ずるのですが、真相や如何に!?

 今にして思いますと、設計側と設置側が共同して設営マニュアルを作っていたら、絶対的設置基準には触れた可能性が高く、それならJR東海の過速度ATS設置基準が全JRに適用になって、既に111ヵ所も設置していたJR西日本も危険度の高い場所を優先して設置しますから、尼崎事故は防がれていたはずです。開発技術者が最適設計検討や、境界値・限界値解析をしないなんて先ず考えがたいことで、それが何処で雲散霧消・蒸発してしまったのでしょうか??東海のATS−ST開発者は答を出して実施していたけど、−ST仕様をほとんどそのまま貰った他社−SW/−SS/−SKでは未検討だったのでしょうか?


保線DATA改竄で保守整備手抜き!
物言う労働者を排除した当然の結末!   <1>

 国鉄分割民営化に際して、ものを言う労働者、労働組合を徹底排除して、首都圏にも北海道から元運転士とか機関士が広域配転で送り込まれて、駅ソバ担当や自動販売機大清水補充係として見せしめにして定年退職まで原職復帰させませんでした。機関士として養成された青年が全動労組合員であったための不当差別で一度も本線でハンドルを握ることなく国鉄精算事業団送りとなり、広域配転により東京での自販機補充係など退職促進パワハラを受けるような酷い見せしめ支配で物言えぬ職場にしました。
 労働運動の攻勢時には跳ね回って無茶をやっていたセクトが、国家規模の首切り合理化・不当労働行為に遭うと手の平返しに首切り合理化協力に転向して、自分たちセクトの愚行の責任まで国労・全動労に押しつけて解雇を集中させ、セクト員の首だけは守った結果、会社とセクト組合には面従腹背・従順で、目立つことを避けて上から睨まれそうなことは必要でも黙っている、本来、限界超過数値で停止手配するべきところを、データ改竄で放置してしまう、今回の事態は必然といえるでしょう。
 かって28,000人居た職員を7,000人に減らして対航空機競争対応に130km/h高速運行化を図ったので、線路劣化補修量が加速度的に増えて対応が間に合わず、大幅な作業の外注化は有るのでしょうが、細かな即応体制が取れず、列車運行を止める決断もできずにデータ改竄に走ったのでしょうか。See→破壊量=軸重4×速度2
比例:日記#246

 それにしても各種指示の結果を点検する体制が全く無いとは!会社組織の体を為していません。分割民営時の恣意的解雇・御用組合支配で一旦は職場制覇しながら、今は革マル派に押さえられているというのも、会社組織が機能していないからこそのこと。かっての日産自動車が同様の御用組合支配であたかも塩路組合長が日産自動車を支配しているかの滑稽な勘違いは、下級役職者≒職場組合役員達を組織した会社側の攻勢で簡単に崩れ去った訳で、その圧制で自発性・創造性を奪ってトヨタ追従コンセプトを続け、中島飛行機:プリンス自工吸収で得た進んだ技術も食い潰して転落を進めて外資の軍門に下った愚を、JR北海道は、さらに酷い形でなぞっているのでしょうか。風の便りでは、国鉄分割民営化に際して全動労所属による差別扱い不当労働行為で機関士養成後1度もハンドルを握ることなく清算事業団→広域配転のJR東日本大清水供給係で退職となり故郷北海道に戻ったA氏は「会社も、御用組合も全くデタラメだ!」と怒り心頭とか。

管理限界超過放置100件と
管理基準誤認ミス170件で計270件!   <2>

 函館線大沼付近の待避線から出発した下り貨物列車が本線ポイント付近で脱線事故を起こしました。その脱線の原因が、軌間の狂いの放置で、現場地点の管理限界19mmの2倍近い+37mmも拡がっていたことが分かり、国土交通省の監査が入り、他にも放置個所があることが次々明らかになって97個所に達し、さらに国鉄時代の基準改定の内容を誤解して適用して、本来の管理範囲外に放置となったのが170個所あったことが分かり、これは放置とは別の規則点検体制の問題で、他JRにも有り得るエラーとしてJR各社も同種のエラーがないか緊急点検を始めました。

 機関車が重かった時代の基準で点検
      ・・・・・・ JR北海道   ※a

 JR北海道で新たにレールの幅に170の異常箇所が見つかった問題で、旧国鉄時代に敷設された古いレールに現在の補修基準を誤って適用したために、異常が見過ごされていたことがわかった。

 国土交通省は近く、野島誠社長ら同社幹部から安全管理体制について聴取する。同社に対する特別保安監査の結果がまとまり次第、鉄道事業法に基づく事業改善命令などの行政処分を行う方針。

 同社幹部は25日朝、記者会見し「お客様に深く深く、おわびします」と謝罪した。国交省は25日から、鉄道事業法に基づく特別保安監査の態勢を20人に増強した。JRなど大手鉄道会社への監査は通常、10人程度の規模で、20人態勢は異例。運転などの各分野のほか、経営トップの安全管理体制も厳しくチェックする。

 JR北海道によると、新たに判明した170か所は函館線や札沼線、釧網線など7路線で、小樽駅などの駅構内でも見つかった。既に判明していた97か所と合わせ、異常箇所は計267か所に上る。

 新たに判明した170か所は全て、旧国鉄時代の1985年以前に敷設されたカーブ部分。正規のレール幅は1067ミリだが、旧国鉄時代の85年3月までは、例えば半径500メートルのカーブでは、大型で重量が重い機関車を想定し、5ミリの余裕をみて1072ミリで敷設していた。その後、機関車のスリム化や走行性能の向上に伴って1067ミリに狭められた。

 同社は内規で、カーブ区間ではレールの幅が25ミリ広がった段階で補修するとしており、本来なら1092ミリを超えた箇所は補修する必要があった。ところが、同社の保線担当者は、旧国鉄時代のレール幅を基に1097ミリまで補修の必要がないと勘違いしていたため、実際には補修が必要な箇所が放置されてきた。最大で基準から3ミリ超過していたケースもあったという。

   読売新聞 (2013年9月25日13時56分)

   日本経済新聞 2013年10月4日2面総合面 JR北海道組織に病巣

 しかしながら管理基準となるべき数値改竄が横行しているようでは、手の打ちようがありません。国鉄時代に運転事故を「○にする」悪習を改めさせるとして、細かなトラブルも総て報告を求めて、点検を重ね、報告漏れには次第に重い処分を科したことで、数量的には国労・全動労不当差別に恣意的に使われ不当労働行為の口実だった側面が強いけれど、本当に対策が必要なトラブルも集約されるようになり、報告量が何と50倍化して必要な対応を採れるようになった(なぜ起こる鉄道事故、山之内秀一郎著東京新聞出版局2000/12/22刊p247図3p242〜251)という記事から北海道は大きく後退してしまっています。理解と納得で適切な仕事運営をするのではなく、話もマトモに聞かずに差別扱い・処分などをかざして強権的に一方的な命令を通すだけでは、一言で言って会社組織の運営になっていない!上下両方向とも意思疎通のパイプが詰まっているのでしょう。

 データによっては再現性に乏しく、中には一旦は様子をみたり再測定したりのものもあって、総てのデータを一律には扱えず採否の判断が必要なものも有りますが、即座に手を打つべきものも数多くあり、これほどの大量異常データの放置は全く弁明の余地はありません。公共輸送機関は安全が保障できる範囲で運行して貰うのは当然でしょう。データ改竄はその原則を根底から覆す組織的非行です。

 右記事の「機関車が重かった時代」というのは、そうではなく、蒸気機関車など3軸〜4軸台車の機関車が走っていた時代のことでしょうが、真の原因の「多軸」を「重かった」と間違えたのはマスコミ側でしょうか?JR北海道の広報側でしょうか?蒸気機関車を良く知らない世代も増えました。
 かってのスラックSの基準は「S=6000/R[mm]、≦30mm」(鉄道工学ハンドブックp57久保田博著グランプリ出版1995/9/19刊)となっていますから、+30mmでは最大限界値でした。

注:3軸台車はスラック増要求 <※a>

 蒸気機関車と鉄道省型の6動軸電気機関車は3軸〜4軸台車を使っていたため、曲線では最大軸距の正矢分だけ広い軌間が必要になり、大きいスラック(=軌間増設定分)を定めていました。
スラック必要性  しかし現在では機関車を含めてほとんどが2軸台車となり、国鉄型の電気機関車EF60型以降は碓氷峠越えの信越線牽引機関車EF62型「3軸台車×2」が唯一例外の3軸機ですが、横川−軽井沢間の廃線と共に廃車済みで、最後に残る貨物入替用DE10型「3軸台車+2軸台車」も最大軸距が短くなってスラックの規定を少さく改めています。現用機で3軸以上はDE10の他には、鉄道省型構造でありイヴェント走行用として保存されている蒸気機関車と、EF58、半流線型EF55以外には無くなりました。

 機関車の曲線通過問題はなかなか深刻で、現御殿場線が旧東海道線の箱根山越えであった時代の勾配補機E10型機関車は5軸動輪(≡E型)ですが、フランジのない動輪を配して曲線通過に備えていました。その前代の勾配補機9856型は6軸ですが、3軸台車×2基に振り分けたマレー式として曲線通過に備えていました。
 現在の機関車では、6動軸機(F型)では3基の2軸台車の中央台車の左右動を許容する構造とし、8軸機(H型)は4基の2軸台車を2車体に配して永久固定連結としてスラック増やレール横圧増にならない構造にしています。交流区間ではED75型などの交流専用機関車で、2軸台車2基の4軸(D型)が主ですから正矢分の考慮は無用で、スラックは少な目で足りました。


JR西日本を厳しく糾弾する
信楽事故補償分担割合判決!    <3>

 信楽高原鉄道事故の被害者補償分担割合を巡りJR西日本の起こした裁判の判決が「判例」として匿名化したうえで以下URLに公表されています。
   http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20120126150411.pdf信楽事故補償分担割合判決


[信楽高原鐵道衝突事故関係裁判]

  • 信楽事故補償分担割合判決 2011/04/27
  • 信楽事故遺族補償等民事高裁判決(抄:目次付)2002/12/26
  • 信楽事故遺族補償等民事高裁判決(平成11年(ネ)第1954号要旨)
  • 信楽事故検討記事
  •  pdf生のままでは大変読みにくいので、それら関係裁判判決文に目次を付けて判決構造を一目瞭然にして、JR西日本主張と、対向側主張の文字色を変えたファイルに作り直してアプロードしておきます (右枠内)。いずれもかなりの長文ですが、階層目次と色分けで原告、被告、裁判所の言っていることを迷子にならずに理解できるでしょう。

     今回の責任分担訴訟判決が最も明解にJR西日本の責任を述べていまして、さらに無断・無通告での他領域への制御の特別の危険性を認定できれば、JR西日本の責任をもっと大きく判定できたと思います。
     法廷証言がベースの部分は、戯曲を読み下すようにキャストとして声優さんを割り振って読み下すと印象強く読めてアタマに入りやすいでしょう。報道機関など他の評価を介してではなく、ナマで読んだ方が正確な理解が得られるでしょう。

    2013/12/04 23:55

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