《 小目次 》 (04/08/29追加)
大事故→システム改良!が繰り返される泥縄パターンは今も昔もかわらないのですが,
ATS・ATCを論ずる前提として,事故発生経過を概括すれば概略以下のとおり
安全装置(保安装置)というのは,オペレータがエラーを冒すことを前提に,重大な障害を防ぐ制限を加えるものです.
それを「気を引き締めてエラーを冒すな!」で事故が防げるかの思想は,実質,総ての安全装置を否定するものになります.
[ ATS−S全国導入前史 ]
1927 打子式ATS:東京地下鉄
1941/09/16
山陽線網干(あぼし)
駅急行追突事故(85km/h)
→信号中間現示に速度制限(35km/h→後45km/h等)を導入現在に至る
1941/12/08 太平洋戦争開戦
1942 鉄道技研開設
1942 東海道山陽鹿児島本線に
連続コード速度照査機能付きATS設置決定,'43.広島小倉間着工
1945/ ATS設置工事完成間近に取付寸前の車上装置が小倉爆撃で全損し頓挫、
1945/08/15 太平洋戦争敗戦
1945 戦後門司−幡生(はたぶ)間9.8kmを(車上装置4両に搭載)完成させるも占領軍命令で試験中止
1946/ 占領軍にATS設置工事を許可申請したが却下,(上越線電化工事は許可)
1950/
B型車内警報装置国電区間に設置赤信号現示を警報
1954/ 京浜東北&山手で
ATS-B使用開始
1956/10/15
参宮線六軒駅脱線転覆衝突事故.40人死亡 .単線出発信号冒進
信号見落とし判決,乗務員は遠方信号・通過信号(=場内併設)通過現示(=信号操作ミス)
を主張するも不採用.停止現示よりタブレット取外し作業優先の可能性あり証拠不十分な有罪
重連では非常制動が
全車両には伝わらない欠陥で安全側線で停まり
きれずに
転覆し対向車が衝突,大惨事になった.
上越線北陸線では重連運用対応済みで中継弁を設置、機関車の制動管を太くしたが,他線には知らせず放置
同時進入禁止原則等は未確立
車内警報装置設置決定.
1957〜中央総武&大阪電車区間でATS-B使用開始
1960〜A型車内警報装置東海道山陽など主要幹線で使用開始
1960/12/04 都営地下鉄1号線(現浅草線)+京成押上線に常時速度照査式
1号型ATS採用で開業,後日京浜急行にも相互乗り入れ
1961/ 営団日比谷線開業ATC設置
1961〜裏日本縦貫線(青森−米原)C型車内警報装置使用開始(ATS-Sの原型)
1962/05/03 21:37 常磐線三河島駅2重衝突.160人死亡、重軽傷358人 .
原因=赤信号冒進脱線衝突+列車防御措置忘れで対向電車が2重衝突
ATS設置へ、軌道短絡器&屋上発煙筒を運転室に七つ道具として常備明記した。常磐線には無線設置。
第2の衝突まで5〜6分あったとされるが、列車防御法に、軌道短絡器はなかったから、従前通りの発煙筒をかざして線路上を600m走って信管を取り付ける作業時間としては厳しかった。当時、本線でも腕木信号が珍しくはなかったので、複線自動信号区間用の列車防護法が標準としては定められてなかった様だ。
1962/11/29 羽越線正面衝突事故、羽後本荘−羽後岩谷間。羽後本荘出発信号の直前転換を助役、機関士とも見落として発車。「連鎖閉塞方式」で信号直近のみに短小軌道回路×2を設けて列車方向検知、閉塞を行うが、誤出発検知がないから救えなかった。&可能性としては、列車出発直後の短小軌道回路を踏む前のタイミングにR現示に切り替わり、対向側がG現示になって、双方G現示で正面衝突する。
対策として、
誤出発検知装置(関係信号の全R化)
R化後のロックタイマー導入、
(ATS警報)
1963/ S型車内警報装置実用化(C型をトランシスタ化,同機能)
1963/11/09 東海道線鶴見事故.161人死亡.ワラ1型貨車の曲線出口部での脱線
ワム60000類似として走行試験省略!軽荷重時走行特性不良を見落とす
旅客車両高速化の振動解析を貨物には敷衍せず!
対策=('68/脱線事故技術調査委員会設置,狩勝峠実験線で実車脱線実験、3〜4割に減少)
2軸貨車車輪をN踏面に変更(116,000両),
旧型貨車の2段リンク化(55,700両),改造不能車は廃車
ボギー台車TR41をオイルダンパ付コイルバネへ改良(1,824両,ボギー車でも競合脱線有り),
石炭車の台車枕バネ改良(590両),
ガードレール塗油器設置(21,000個所) ,
ガードレール設置基準検討、2軸貨車が通る築堤部は800Rにも設置(2,355km)
貨車偏積載測定装置設置(主要ヤード:大宮,新鶴見,稲沢,吹田等)
限界支障報知器設置,などとなって'75年頃までに上記対策を完了しているが,
事故車ワラ1型は元々2段リンク車で、趣味誌には軸距変更改造が報じられた.
空車時に線路の乱れで暴れ馬のような激しいピッチングをする貨車だった.
貨車の競合脱線(≒原因不明)は撲滅できず'73/1/27,9:18下り鶴見-横浜、'74/9/24,19:27東北線古河-野木間と起こった。
ワラ1型の走行試験省略によって走行特性不良を見逃して事故に到ったことが'00/03の日比谷線中目黒事故後に元国鉄小倉工場長久保田博氏著書「日本の鉄道車両史」'01/03刊で明かされ、事故から38年後に「……試験を省略すべきでなかった」とされる。曲線出口部=緩和曲線カント逓減ねじれ部での脱線として共通要因だった!国鉄が強調した対策「2段リンク化改造」は元々2段リンクのワラ1には無関係。率直な原因発表ではなかったことで緩和曲線カント逓減部へのガードレール設置等を国鉄内に留めてしまい'00/03日比谷線中目黒事故を防げなかった。
1963/11/10 山陽線下り特急あさかぜ−みずほ追突.対策=ATS-S設置1964〜
1964/ ATS-B車上装置のトランシスタ化
1964/10 東海道新幹線開業=東京オリンピック.
ATC−1A型+CTC
1965/ ATS−A型東海道で使用開始
1965/05/04 名古屋駅ひかり17号380m過走事故.下り.
対策は滑走検知後停止まで速度計軸の制動空気圧を50%にする.see→'67/07/23
1965/08/21 新幹線東京駅誤出発脱線事故:東京駅18番線からの回送車が、信号を確かめず
待ちノッチを行い、ドア閉で自動発車しポイントを割り込んで2両脱線、本来出発の17番線回送列車は隣線の誤出発に気付き直ちに非常制動、無線連絡で衝突を免れたが誤出発列車は停めきれなかった。新幹線営業線上での初の脱線事故。誤出発を防げなかった原因は本来設置されるべき誤出発防止の03信号添線軌道回路の設置の必要性が施行設計に伝わっておらず、到着過走防止のみ設置する基準エラーだった。
[ <ATS−S>導入以降 ]
1966/04/01
ATS-S/ATS-B/ATS-A 国鉄全線に設置完了。出発信号のみ直下地上子設置。
車内警報装置に5秒タイマー非常制動を付しただけ.到底ATSとは言い難い
1966/12/15 東武伊勢崎線西新井駅構内大師線曲線で2両編成が脱線、伊勢崎線3両編成に衝突7名死亡、20名負傷
1967/01 私鉄ATS機能についての運輸省通達(s42年鉄運11号)
'68設置完了1200km以降大事故なし!基本仕様は
自動投入常時速照
3段階(100km/h以上)〜2段階
最低速照査は20km/h以下
('87国鉄分割民営化で通達廃止!JRに速度照査のないATSが残り事故を繰返す)
1967/07/23〜/11/ 岐阜羽島オーバーラン事故。1300〜1000m過走.
対策は滑走検知後停止まで速度計軸の制動油圧を速やかにゼロにする.see→'65/05/04
1967/08/08 新宿駅構内タンク車衝突炎上事故.丸1日間中央線を止める.
確認扱い後、ぼんやりで制動操作遅れ衝突炎上
対策=場内信号直下20mに警報「直下地上子」を新設.「非常制動」と広報
(ロング警報と区別困難.ATS-Bでは直下地上子がない:打ち消しコイル
接近警報は?&警報点が一区間手前の場合は?問題山積を追及できず)
1968/02/15 東海道線米原駅衝突事故.入替後ATS電源入れ忘れ
電源未投入防止装置設置(=ノッチが2以上にはならない)
運転装置との連動は入替を理由に不採用(入替時もATSオンのままという発想にならなかった)
1968/06/27 東海道線膳所駅貨物列車脱線転覆衝突.
居眠りで45km/h制限に70km/h以上で突入
分岐器過速度警報装置設置.55km/h制限まで有効=60km/h超には無効
1968/07/16 中央快速線御茶ノ水駅追突事故.重軽傷210人.5両廃車.
原因=先行電車のドア閉め不完全で急停車,見込み運転で赤信号冒進.
警報持続装置設置確認扱いを2段クリアにして現示アップ後2度目を押す.
1969/12/06 06:20寝台特急日本海(青森→大阪))北陸トンネル内でトンネル火災発生
乗務員は長大トンネル内停車は危険と判断、即時停止という運転規則に逆って
トンネルを脱出して消防と協力して無事鎮火物損に留める。
報道は乗務員の適切な判断と賞賛したが
国鉄は運転規則違反と称して処分して3年後の急行きたぐに惨事の引金を引く
1971/03/04 富士急三つ峠下転覆事故、踏切事故でエアー系損傷、制動不能に.
急勾配で過速脱線転覆、死傷14+.:パンタグラフを上げていれば
発電制動が有効になり軽微な2次事故で済んだ.
対策はエアー系取付位置変更.事故マニアルの見直し.後に直通予備ブレーキ新設
1971/10/06 山陽本線急行雲仙3号火災事故洗面所から出火軽量鋼製10系客車3両全焼
1972/03/28 総武線船橋駅追突事故.重軽傷758人 mmmmm!!!
原因=信号系停電,太陽に幻惑され信号消灯確認出来ず,信号系停電時に
ATS-B型の警報が鳴り放しになることを運転士は知らず,故障と誤認し進行・追突
1972/06/23 京浜東北線日暮里駅追突事故.重軽傷158人
原因=先行電車のドア閉め不完全で急停車,見込み運転で赤信号冒進.追突!!
在来線ATC化決定(山手,京浜東北,根岸,赤羽.過密の中央線は換装不能)
1972/11/06 北陸トンネル急行きたぐに火災.30人死亡714人負傷
車両の難燃基準改訂.運転規則トンネル脱出へ改訂.
車両の可燃物燃焼の必要酸素重量を考慮すればトンネル内での停車は自殺行為明白で
3年前の特急日本海火災での殊勲の乗務員処分は撤回された
1973/02/21 17:30:40 新幹線鳥飼電車基地過走本線支障脱線事故
1974/04/21 鹿児島線西鹿児島−上伊集院間で2034M特急583系12両編成(寝台電車)が300R65km/h制限を大きく超える速度(当時の推定95km/h超)で走行、1,2両目の先頭1軸が脱線。78人負傷。運転士のミス
1974/09/12 新幹線品川信号誤現示事故:搬送波発生部にも信号波発生部と同じに
遮断機設置.信号波の2周波組合せ&無信号停止現示に周波数割当て化.
1974/11/12 新幹線新大阪信号誤現示事故
:03の2周波数変調波化、ノーハウのマニュアル化決定
国鉄中央では「電圧制御にフィードバック制御は使わない」と定められていたが
支社段階で徹底せず、制御応答の10Hzリンギングから03→210誤現示発生
1976/07/09 新幹線こだま号丹那トンネル無人走行事件。ドア故障をノッチを入れたまま降車修理、
復旧で無人出発!USO発表で○を試み、内部告発でバレて理事引責辞任。
1976/10/02 04:42 第1姫川事故.函館本線駒ヶ岳−姫川間の60km/h制限下りカー
ブで居眠りによる過速110km/h余で貨車41両中40両と機関車が脱線転覆、
アルバイトの大工仕事で睡眠不足、see→'88/12、'96/12、同種事故
1976/11/30 国分寺駅冒進事故、待避貨物に追突寸前25m前停止.確認扱い後過走
1979/06/02 篠ノ井駅で修学旅行電車に操車中の貨車が正面衝突。突放にブレーキ員不乗車、
乗車確認なし。操車場出口に安全側線不設置。
1982/01/29 天王寺駅快速過走,駅に衝突
1982/03/15 名古屋ブルトレ紀伊衝突.
付け替えのDD51が酔っ払い運転でブルトレに高速激突(入替にもATS??)
1984/05/05 11:30 阪急六甲駅山陽電車回送車誤出発衝突脱線事故回送:ATS断で本線走行
1984/10/19 山陽線西明石駅ブルトレ富士分岐機過速度脱線大破事故:機関士飲酒
1986/12/28 13:25 山陰線餘部鉄橋列車転覆事故。和風客車みやび7両が回送中強風で鉄橋から転落。車掌と直下の工場従業員計6名死亡6名重傷。抑止判断を遠方のCTCにして抑止が遅れる
1987/04/01 JR発足,常時速度照査を定めた私鉄ATS通達(s42年鉄運11号)廃止
(=速照機能のない(ATSとは呼びがたい)ATS-Sを残す)
1988/07/03 上野駅特急冒進ニアミス事件
原因=信号見落とし.対策=東京地区を中心にATS-P設置を決定
1988/12/01 京葉線新木場−南船橋開業.蘇我まで全線ATS-P型採用!
1988/12/05 東中野駅追突事故:死者2負傷,18両廃車.同所で3度目の事故='64,'80,'88.
原因=信号見落とし,確認ボタンでY現示速度≒52km/hのまま赤信号突破の模様
対策1=関東・近畿の大都市近郊区間をATS-P型に交換する計画前倒し、範囲拡大
対策2=直下地上子を非常制動型とする(非発表-SN,-ST,-SW,-SK,-SS,-SF型)
不実施1=-Sx系でのY現示速照&時限25km/h速照、不実施2=無閉塞運転での15km/h速照

1988/12/13 姫川事故:
函館本線姫川駅付近コンテナー貨車脱線転覆列車分離事故U、see→'96/12、'76/10
原因=酔っ払い運転で,60km/h制限の下りカーブを過速100km/hで進入
コンテナー貨車は21両中19両が脱線転覆,機関車のみCTCに停められる16kmさきまで走行
疑問=列車分離で自動非常制動が掛かるはず.機関車はなぜ16kmも走れたか?
原因未発表!在線2両は現場に停止してるから,機関士が無意識に単独ブレーキ
を操作して非常制動を緩解した可能性はある.
1989/04/13 飯田線北殿駅正面衝突事故.
1991/05/14 信楽高原鐵道正面衝突:厳禁の担当領域外制御で不調掴めず事故引金に

故意のR現示無視出発.特殊自動のため修理作業で誤出発情報がクリア
JR西が信楽鉄道に無断で方向優先梃子設置,無断操作,不可解な現示となり代用閉塞誤処理誘発
JR乗務員7名現認も誤り指摘せず.第3セクター化鉄道に過度の仕切屋、技術体制不足
引き上げ線にも過走防止装置
06/12/14京王桜上水駅

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1992/06/16 08:50 日比谷線中目黒駅回送電車衝突
:客扱いしない引上線にはATC強制停止機能が無く
運転士の注意力のみで運行していたが、そこへ対
向列車同時発車を許容し第2入替信号まで進むシ
ステム導入で、第2入替信号停止現示見落としに
より冒進激突!
当時JRを含め引上線に強制停止はなかったが、
出発信号併置第1入替なら距離があり、本線設備で
も停止可能で、本線並行の第2入替信号に強制停
止を設けない設置基準の不足!と&過走余裕10m
の第2入替信号にATC停止なしでの同時進入許容
に無理があった(04/08/16&/11/05追記)
1994/02/22 15:20 三陸鉄道強風転覆事故.負傷5
廃車2,防風壁,列車無線,風速計,雨量計を整備
1994/02/22 17:45 JR北海道石勝線特急おおぞら10
号強風転覆事故,
183系DC1両転覆2両脱線負傷多数,風速計故障放置,防風柵設置
1996/12/04 05:49 函館本線で貨物列車が脱線転覆V、JR大沼〜仁山間で、札幌貨物
ターミナル発梅田ゆきの貨物列車のうち、コンテナ貨車20両すべてが脱線した。
制限速度が60km/hの事故現場を120km/h近くで走行していた(タコグラフ)。
'97/2月7日 保坂副支社長、ハード面の対策も行ないたい。'76/10,'88/12〜3度の
過速転覆事故を承け現場に速度照査装置を設置、運転士諭旨解雇。
3事故に共通して最高地点を通過し下り勾配になった直後の下りカーブで100km/h超で
過速脱線転覆。緩勾配登坂力行運転中から居眠りし下り急勾配進入か?
1997/08/12 東海道線沼津近郊片浜駅付近追突脱線転覆事故.負傷43人
無閉塞運転中に,先行列車向けG現示を誤認して加速衝突
無条件の無閉塞運転開始に問題.尾灯,速度照査なし.踏切停止対応改良要
JR東などは後日無閉塞運転廃止,指令の判断を仰ぐ閉塞指示運転に切換、東海&西&九州放置。
1997/10/12 特急スーパーあずさ,大月駅で入替電車と衝突し脱線転覆
原因=回送電車の信号無視.ATS-Snの非常停止が効かなかった原因は不明
再現実験では地上子で非常停止し本線には達しない.
入替時にATS電源をOFFとして,事故発生後に誰かが投入した疑い.
対策=ATSをブレーキハンドル差し込みと連動し自動投入とする改造中の事故!
(私鉄ATSに対する1967年運輸省通達:自動投入に抵触)
1998/08/05pm 新幹線名古屋駅でオーバーラン!
こだま414号約80m&418号約50m。(偶数番号は上り:東京方面行き)
2000/03/08 日比谷線中目黒駅構内脱線衝突事故:死者5多数負傷.輪重不均衡主因
輪重管理要求拒否.ガードレール設置基準なく,営団基準のみ極端に緩い.
曲線出口部の緩和曲線カント逓減捩れ部と台車調整の狂い(輪重比無管理)とで脱線に至り、横取りポイントに誘導されて対向列車側面に激突。鶴見事故と同じ脱線発生条件であり、当時率直な分析が公表されていれば、日比谷中目黒事故直後の運輸省事故調検討会指示である「曲線出口部へのガードレール設置」は全鉄道事業者に勧告・布令済みとなって事故にならなかった可能性がある.
2000/12/17 京福電鉄越前本線正面衝突事故:ブレーキロッド折損
ブレーキが1系統しかなく,前後バランサーのストッパーも無かった.
全国単行車の2系統化,又は使用中止.
2001/04/18 東海道線富士駅冒進事故
原因=信号見落とし,冒進気づかず,誤認再発車.(冒進前提の防御方式)
貨物の遅れで、富士駅折返し旅客電車の先行を決め、貨物を抑止
通過貨物列車がその変更を知らず、出発信号R現示を見落として進行
過走防止速照最外方80mが動作し非常停止で75m冒進
先行始発電車に向けた側線合流先の青信号を自分へのものと誤認し,
先のポイントが自分に開いていないことに気づかず
輸送指令に無断で緩解操作を行い発車!ここまで4エラー!一種のパニック状態.
駅側が誤出発に気づいて出発予定列車の防御無線で再度非常停止させたが,ポイントを破損し運行不能に
対策=運転士注意喚起の他は未発表
SF=ST化済みだったが冒進前提の防御で非常停止後の誤出発を止められなかった
ATS-PFはF66に搭載し試験したが,配置が大幅に遅れ,F210後期配備分以降の新型機から全車搭載,前期F210にも追加搭載.常磐線−武蔵野線−京葉線への貨物乗り入れは旅客との制動特性の違いから機関車を借入できなかった模様で-SF(ST)地上設備を新たに設置して乗り入れた
2002/01/03 名鉄新羽島駅過走脱線事故☆2002-5
降雪時に耐雪ブレーキを使用せず,必要な配慮をせずに運転
氷塊詰まりにより制動力が極端に落ちたものと思われる
気象情報に留意し耐雪ブレーキ使用を指令.
耐雪ブレーキ使用を積雪がレール頭頂側部ではなく線路が隠れたらに変える.

2002/02/22 鹿児島線海老津−教育大前間追突事故☆2003-4B
無閉塞運転中に中継信号を誤解,加速し衝突.
全JRが無閉塞運転の指令許可制導入
中継を誤解しやすい信号の移設
2002/11/06 スーパーはくと救急隊員死傷事故☆2003-5
2003/10/18 17:10 名鉄新岐阜過走し駅激突:体調不良時の操作ミス.ワンハンドルマスコン逆操作
私鉄型ATSも冒進前提の防御であることがATSをすり抜けた基本原因
2004/06/02 07:15 紀勢線冷水浦(無人)先事故
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快速落下の丸太に乗上げ脱線11人負傷。
07:11列車無線で列車を呼ぶがその事故で回線切断され不通。直撃の事故は不可避だが出発後でも信号停電により閉塞ロング地上子でR現示伝達可能。だが不採用。
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2005/03/02 20:40 土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅事故
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行き止まり駅に47D振り子式特急南風17号3両編成が最高速度近くで突入して大破。運転士死亡、乗客11名中2名重傷8名軽傷、車掌軽傷。原因調査中だが、最高速度からのATS-SS過走防止装置不設置で事故を防げなかった。ATS-S地上子1個不設置、1個結線ミス、あるいは設置基準のエラーで、6点8個の地上子位置の5〜6個に問題があった。
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2005/04/25 09:19 福知山線(宝塚線)尼崎過速度転覆脱線事故。
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207型7両編成快速電車が300R70km/h制限に108km/hで進入し5両が転覆脱線、線路脇マンションに激突、死者107名重軽傷547名の大惨事に。
3/02宿毛事故も4/25尼崎事故も、過速度防止装置としてのATS-ST型速度照査装置不設置が事故を防げなかった原因である。ATS-Pに換装しても速度制限地上子を設置しなければ防げない。ATS-P化で速度制限が行われるという報道も国交省大臣談話も誤りである。
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2005/12/25 19:14 羽越線特急いなほ突風脱線転覆事故.
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羽越線第2阿賀野川鉄橋南詰め付近の築堤上を走行中の特急いなほ14号485系6両編成が突風を受けて全車脱線,3両が転覆し,先頭車が農業小屋のコンクリートに衝突して直角に折れて,死者5名,負傷33名の大惨事となった.
現行の風速観測値で抑止を決める「帰還制御」型では風速の急変に列車を止めきれないタイミングが残る.風速以外の気象情報から危険予測抑止を行う「Feed Forward 型制御」を追究する余地があった.土砂災害では累積雨量などで危険予測抑止を行って大災害は繰り返されながらそれに列車を巻き込まずに済んでいる.気象学の成果を受け入れて惨事発生を抑制して貰いたい.
尚、東海道新幹線の関ヶ原雪害対策では、開通翌々々年'67年末から朝夕に若狭湾日本海側3箇所の保線区でのラジオゾンデ観測で5000m上空での気温と、海水温(放射?)を観測して、現地地表温と併せて積雪飛散防止散水制御を行っているが、これも明らかに「Feed Forward 型制御」=予測制御である.
その導入には、避けきれなかった場合の生け贄刑事処分もやらせない様な警察・検察の縛りも必要だ.北陸トンネルきたぐに惨事(72/11/06)乗務員起訴と特急日本海火災(69/12/06)処分の愚の謝罪・反省が要るだろう.天気予報が100%当たらないといって刑事処分を持ち込まれては不確実性の残る開発・試行は危なくて出来なくなってしまう.導入当初の推定確度は別として要はやる気の問題.
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2014/02/15 00:14 東横線元住吉駅追突事故.
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| 降雪が激しく駅での過走多発状態だったが最高速度制限は発令されていなかったところ、指令から一斉停止が指示されて、東急東横線元住吉駅手前600mを80km/hで走行中の列車が非常制動を掛けたが良く効かず40km/hで先行列車に追突、修復不能の被害となる。
通常なら非常制動で4.0km/h/sの減速度が、雪中で耐雪ブレーキを働かせていて平均1.111km/h/sとなっていたものであるが、最高速度を一段抑制して55km/hにしていたら避けられた事故。
車上演算一段制動パターン方式なので、設定減速度を降雪に合わせて減じていれば回避可能だった。
減速度1.111km/h/sは31.5/1000勾配相当だから、雪中モードの急勾配下降はパターンすり抜け速度(10km/h〜15km/h等)に抑えて、先の平坦地まで閉塞が空くのを待って進入する必要が有る。
これはパターン式に限らず激雪中運転の列車全般に掛かるべき制限である。
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[ <ATS-P>/-Sx
開発関連史 ]
1974〜1980 多変周型Pの試験運用=関西本線.
パターン型だが突然の非常停止が不評.'87にトランスポンダ型P採用で打切り.
1982/01/29 天王寺駅快速過走で駅に激突
1984/10/19 山陽線西明石駅ブルトレ分岐機過速度脱線大破事故を契機に
1986/末 P開発 天王寺特攻82/01で,原型(多変周型P)と,改良型のH型
(トランスポンダ型)ATSが完成.P型の原型
西明石,京都など4駅と,EF66型EL16両にH型ATSを装備.
1987/07/05 上野駅特急冒進事故.東京地区P型漸次換装を決定
H型ATSを正式にATS−P型と命名
1988/12/01 京葉線新木場−南船橋開業.蘇我まで全線ATS−P型採用(実稼働日不詳)
1988/12/05 東中野駅追突事故 大都市圏ATS−P型換装発表.
東京圏主要15線区888km,大阪環状線,阪和線のP換装決定
直下地上子で非常制動付加のSn化検討
(非常制動直下地上子機能を簡単には付けられない−B型を全廃,−P型に換装)
全線ATS−P型採用(12/01京葉線)が結果的に12/05事故の言い訳になり、積極的印象を薄めて、社内外に普及の世論を盛り上げられなかったことが影響と思われ、切換時の宣伝もなかった.JR東西日本以外は今も不採用のまま.
1989/04/13 飯田線北殿駅正面衝突事故.
直下地上子での非常制動付加のSn化決定
SN化決定の時期は公式にはこの北殿駅衝突事故とされているらしいが,開発,
試験,量産,設置の日程と,事故のインパクト,及びマスコミ取材での自動
非常停止機能が無いことの追及を考えると,その前の東中野追突事故から走っ
たとする方が無理がない.東中野事故時のJR東広報は「2度の警報でブレーキ
を掛けない運転士はいない!お猿の電車ではない!」と力説し,直下地上子
での非常制動機能の必要性を否定していた.その剣幕に圧されてか,記事で直
下地上子での非常停止機能の必要性に言及したマスコミは見あたらなかったが,
情報としてはJR東に入っている

1989/11/ JR東でATS−Sn使用開始
1990/12 倒壊で−ST導入.地点速度照査地上子対で過速抑制.
重要地点に設置する.常時でないので抜けるが,合流点,分岐など過速が事故に
直結する地点に速照地上子を設置する.
97/08沼津近郊片浜衝突事故は無閉塞運転中で速照がなかった!
無用の無閉塞運転を求めた規則に問題.
1991/02 西で−SW使用開始.機能は−STに同じ.
MPU使用など内部構成が異なるだけ
1991/04 貨物が−SF化(=−P運用開始?).
当初は−Snと同じ.近年速照−ST化を図った
01/04/18富士駅冒進事故では,過走防止速照として動作.機関士の4重のミスは
疑いないが,ミス前提にそれをカバーするのが安全装置だから,
常時速度照査機能は必要
1993/03 四国で−SS導入
1994/04 九州で−SK導入.SS,SK,SW,STは同一機能
199X JR東の東海乗り入れ車に−SN’導入=ST化.SFのST化決定,切換完了
2001 JR東,常時速度照査機能を持ち−S上位互換の−Psを一部亜幹線:新潟,仙台に設置
2001/03 現在,東で28線区約1500km,西で7線区300km敷設
九州&四国はまだ入替信号直下地上子のSN化工事中
2004/02/29 東京トンネル(横須賀&総武快速)でATCを廃しATS-Pに換装
2004/xx/xx 山手貨物線新宿−池袋間でATCを廃しATS-Pに換装
2005/3/29 100km/h超行き止まり駅に最高速度からの過走防止(警報)装置義務付け
欠陥![H17国鉄技195通達]
SN系に強制制動無し、分岐・合流と100km/h以下放置
2005/5/27
曲線速度照査設置義務付け、各社極めて厳重な自社基準制定
2006/3/24 技術基準改定
、(H17国鉄技195通達は実質反古)
危険の予測される個所への過走防止装置設置義務化でSN系へも義務化
2006/04/dd JR東海ATS-PT全線導入計画発表、詳細仕様未定
1961s36 営団日比谷線開業,初のATC路線,AF-FS式5現示地上信号
'61 電源同期SSB変調軌道回路式試作(新幹線&交流電化区間用)
'64 営団東西線開通,ATCは日比谷線方式(高田の馬場−九段下)
'64/10 新幹線開業ATC:電源同期SSB1波方式,0,30,70,110,160,210km/h
'69 千代田線開通ATCはAF-AM方式の5現示&車内信号化
名古屋&大阪の地下鉄がこれより前にATC化
'71 常磐線各停ATC化(千代田線直通)
'72 総武快速東京−津田沼開通,東京−錦糸町間ATC-1C,'76品川までATC延長
'72 (船橋駅追突,日暮里駅追突)
'73 ATC化計画:山手、京浜東北,根岸,赤羽
'81 上記中3線ATC化実施ATC-1E:除赤羽
'86/10 埼京線(+赤羽線)ATCで開業,自動進路設定の処理容量不足で長期に働けず
'88/03/13 青函トンネル(津軽海峡線)ATC-L開業
電源同期式SSBで1搬送波2信号波組合せ方式採用
実質はATC設備を用いた車内信号式ATS.当初はATSと呼ばれた
自動ブレーキ車である機関車が主なので自動緩解不適=非ATC
'00/07 常磐線各停ATC換装(千代田線直通)ATC-1J
'02/12 DS-ATC東北新幹線盛岡−八戸間開業
'03/XX 山手貨物線でATCバックアップ全廃(ATS-P/-SFに集約)
'03/12/21 京浜東北線D-ATC切換.2001〜山手線などのATC区間を,
P同様の停止位置基準速度照査パターンを持つD−ATCに換装中
'04/03/13 KS-ATC 九州新幹線に先行採用、換装工事中のATC-NSと同一
'06/03/18 東海道新幹線でATC-NS稼働開始
'06/07/30 山手線D-ATC切換
'07/**/** 東北新幹線盛岡以南もDS-ATC化
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