[443]

BBS
鉄道解析ごっこ
mailto:
旧
新
Diary INDEX
Geo日記
雑談
Geo雑談
サイト内検索
内検索
戻る
LIST
主目次

2秒余の操作遅れに「可罰的違法性」なし
判断規則に問題で、運転士刑事処罰は筋違い!京急踏切衝突事故  <1>


京急踏切事故、
   非常ブレーキ遅れた可能性 運転士が供述

         2019年10月26日 7時0分 朝日新聞デジタル
 横浜市の京急本線の踏切で9月、列車と衝突したトラックの運転手が死亡し多数の乗客らが軽傷を負った事故で、神奈川県警は25日、列車の20代の男性運転士から任意で事情を聴いた。
 運転士は「通常ブレーキの後、非常ブレーキをかけた」と話したことが捜査関係者への取材で分かった。県警はブレーキが遅れた可能性もあるとみて慎重に調べる。
 事故ではトラックが踏切内で立ち往生し、列車と衝突した。京急などによると、踏切には障害物検知装置があり、検知すると340メートル手前などにある専用信号機が点滅する。運転士は少なくとも踏切の600メートル手前付近で信号を目視できる仕組みで、通常は使わない非常ブレーキをかければ踏切手前で止まれる設計だ。
    (C) LINE Corporation
[図1]
 9月初頭の京浜急行踏切トラック衝突事故について、朝日新聞デジタル(2019年10月26日 7時0分)に依ると、案の定「運転士の操作遅れ」原因の現場オペレータ・エラーとして幕引きされかねない報道になっている。 物理的に見たら、衝突した分だけ制動投入時期が遅れたことは確かだが、その遅れの原因が運転士が主ではなく、京急の規則と設備に瑕疵があってのことだから、制動限界位置より約2.6秒の遅れに責任や可罰的違法性はなく無罪である。検察も現場を人身御供に事件の幕引きを図る悪習は止めるべきだ。
 京急規則の重大欠陥は、踏切支障警報信号を受けた運転士にまず安全かどうかの判断を迫り、ダイヤ遵守優先で、速度を維持することを求めるから、停止限界を2.6秒超えて衝突に至っている。 本来あるべき規則としては、少なくとも明示の踏切停止限界標識を設けて、その位置までに安全の確認が出来なければ非常制動を義務付ける必要がある。踏切脱出で安全が確認されてからブレーキ緩解が筋である。

 京急の事故現場に即して言えば570m手前でカーブの架線柱の外側に踏切支障警告灯が見えて、520m手前が停止限界だから、120km/h走行では目視発見から停止限界まで50m(=570m−520m)を1.5秒で走行するが、人の反応時間だけで1秒余必要で、発見に要する時間が0.5秒弱しか取れないのだ。
 そんな状況で運転士が危険か安全かを判断させていたから衝突する方が普通で、運転士はブレーキを掛けるまでの4秒間に違法行為をしていないから無罪だ。先ずは衝突限界までに非常ブレーキに投入して、その後、安全を確認できたらブレーキ緩解許容という規則に改める必要がある。 停止信号が踏切支障検出に連動している鉄道事業者が増えている中で、運転士の判断が先行する規則でその刑事責任を問うのは無理がある。限界点無条件停止規則で運転士の判断で緩解してぶつかったのなら責任有りだが。

 踏切衝突防止装置としては、踏切遮断で停止パターンを発生させておき、支障検知装置が無支障を検知したらパターン消去する方式が、運転支障をほとんど無くする良策で、無線閉塞方式では簡単に付加でき、準備されている機能である。
 問題は従前の絶縁閉塞式区間で、ATP(ATS/ATC)の寿命で無線閉塞方式に変えるのを待つ(=現状放置)か、それともシステムの寿命までの間も、不足する安全機能のパッチ当てをするかの選択であるが、2010年代半ばにJR東海全線に整備されたATS-PTなどシステムの寿命まであと20年間前後も放置という訳にはいかないだろう。 しかし埼京線にATACSを導入したJR東日本は他線順次のATACS換装を見越して、既存システムの付加改良はサボりたい動機はあって、開発・設置に困難は無いというのに執拗な全面否定キャンペーンはその辺によるのかもしれない(=養殖御用束労∠○2ちゃんねる工作部隊(w)。 だが旧JNR型ATC区間は総てD-ATCとATACS、ATS-Pに換装済みで、次の換装検討は東中野事故1988/12を機に国電区間からATS-P換装を初めて1991年の京葉線から稼働を始めたが、現状、安定に動作しているようで、喫緊にシステムを換装すべき路線は無いはず。コストダウン目指してATACS化を既に決めているのだろうか? もともと車上演算式パターンのATS-P系は踏切防護パターン機能付加が容易であるが、鉄道事業者がどう判断するのだろうか? 支障検知は専業の信号メーカーや自動車の衝突防止装置として精密レーダー式など高性能のモノが作られているが、その通過支障情報を鉄道会社がどう使うかは、豪雪モード・パターン採否同様、一重に鉄道事業者の見解しだいである。


「理科年表」に萌えキャラ装幀
一般市民へ接近の努力か  <2>

 総合的な科学データブックである「理科年表」の2020年度版(第93刷国立天文台編纂丸善出版kk2019/11/20刊¥1,400.+税:A6判/¥2,800.+税:A5判)が発売されたが、そのA6判本の帯装幀?に萌え系アニメ・キャラに全幅のカラーイラストが採用され、非常に目立っている(図2)。 これまで表紙には、純粋に科学的なデータブックとして必要な「表題」しか無く、2019年判などはセル状の栞添付だったモノが、今回第93刷からは激しい様変わりで、思わず衝動買いしてきてしまった(w。大判:机上版(\2,800.+税:A5判)にはなく小サイズA6版(¥1,400.+税)だけの萌えキャラ装幀の模様だが、出版元である丸善出版の津田沼書店では1冊だけだったが、千葉駅近くの三省堂では2店とも小判の店頭在庫全部が萌えキャラ装幀だった。 理科年表×けものフレンズ・コラボグッズ・プレゼントとして アンケートに答えて当たるキャンペーンも行われている。

[図2]サイケディリック理科年表2020年! 理科年表93刊初の「萌えキャラ装幀」で拒否反応抵抗感緩和

[図3]「元素周期」拒否反応緩和「萌えキャラ本」

[図4]小学館既刊1〜6巻&連載中


 そういう萌え系アニメ・キャラ本の奔りだったのが「ELEMENT GIRLS元素周期」(元素周期萌研究会編PHP研究所2012/7/6刊、[図3])で、各元素解説の記事はしっかりしたモノだったが、そこには各元素毎にイメージの萌えキャラが配されていて、コンビニ本として売り出されて結構売れていた。
 私が大学入学直後に、教養課程の有機化学の受講の前提として元素の長周期表の丸覚え暗記が求められて「カカナマルアテニスナ・・・・・・・」、「水兵リーベの僕の船、七曲がりシップスクラークか・・・・・・・・・・」、「エッチでリッチな母ちゃんルビーをせしめてフランスへ・・・・・・・・・」など、苦心惨憺の末、講座教授の要求をクリアして正規の講義に参加したのであるが、当時は、全元素について周辺情報解説付きの解説本など無かったので、砂を噛むような丸覚え作業になったのだった。
 当時も、高校の物理、化学、地学、生物などは選択科目で、工学部・理学部入学者なのに物理や化学を履修していない学生が居て、電気科&機械科入試には無かった化学の講義の最低限の出発点を合わせる必要があっての講座開講前の補習授業の一部だった様だが、工業高校での「選択科目」が物理と化学だった私は、まさか周期律表の丸覚えを求められるとは思わなかった。

 理科年表や元素表など、それ自体が単純事実で、直接的には政治的社会的目的は持たない情報は、タダの数値が人側の使い方次第で大変有用になるモノだから、根拠の無い苦手意識や拒否反応で遠ざけられることがへる今回のような工夫は大いに歓迎されるべき試みだ。 どうせなら一部でなく全数の小型A6版の装幀としたら良かった。
 同書には暦部の日の出、日の入り、月齢、潮汐、天文部の日食・月食等のイヴェントなど日付由来のデータの他、日付には依らない気象部・地学部の洪水・地震など自然災害年表、最高最低データなど、文系と共通ネタも多く有り、東日本大震災翌年の2012年版には大震災関連が「特集」されていて、10年振りに大版(机上版)を買った。 毎年異なるのは暦部・天文部だから、そこが無用なら暫くは一冊あれば足りるが、(老眼には大版A5判を)1冊は持っていた方が良い。

 たとえば、新幹線鳥飼電車基地水没時の全列車18編成待避成功の故事(日記#441)を著書にした斉藤雅男氏も執筆時に理科年表の気象災害暦を覗いて点検していたら、浸水原因の豪雨が「台風」ではなく日本列島全体を襲った「1967年7月豪雨」(=梅雨末期=梅雨明け前豪雨)であったことに気付けたろう。 (斎藤雅男氏著書の物事の流れの解説には非常に説得力があって常に参照しているのだが、事実摘示での重箱の隅的事項に希に揺らぎが感じられて別資料のデータと突き合わせることになる。 事象の本質とは関係ない細部だが、人気著者ほどエラーがあれば現場からは不信・反発を買いやすくなる。 理科年表に依れば氏の記憶の「台風」ではなく「梅雨明け前豪雨」だった。理科年表が正しいだろう)。
 気象災害暦は現行は昭和元年(1989年)以降が掲載されているが、昭和の理科年表では大正元年(1926年)以降が掲載されていて、平成以降版では14年分の災害暦が捨てられている。 信頼度・精度に問題がなければ収蔵して欲しいもの。古くからの記録のある地震災害暦は紀元400年代から掲載しているのだから。 たとえば東京湾岸の「災害伝承」では「大正6年9月30日大津波」があって千葉郡検見川町では海岸線にあった小学校が全壊して高台である尾鷲山先に移転(現千葉市立検見川小学校)、旧国道14号線千葉街道沿いだった海岸線の漁師達の住宅・宅地が幾つか波にさらわれている。 それは平成版理科年表では捨てられているが、昭和版には掲載されていて「大正6年9月30日〜10月2日/風水害(台風・高潮)/東海道、関東、東北、北海道/死者1,127人、行方不明107人、負傷者2,022人、船舶被災8,182隻、建物被害363,092戸/(顕著災害)」とあって、大災害を裏付けている。近年版では大正時代分の3ページ弱が削除されているから、常用の最新近年版にはその昭和版のコピーを挟んでおくことにした。 なお「大津波」とは昔は慣用で高潮も指していて、高潮被害の著しかった伊勢湾台風(1959年=s.34年)頃の報道・解説で地震津波と分離された(狩野川台風1958/9/末は大水害、洞爺丸台風1954/9/末は「台風の目」誤判断出港での青函連絡船沈没)。(ビューフォート風力表も廃止されているが・・・・・・)。
 現状、科学情報・データを頭から全面回避する空気が強すぎて、理科年表など持ってると変人扱いされかねないのは困ったモノ。明治政府の旧暦並記禁止令で潮汐情報の欲しい近海漁業者に「占い暦」が爆発的売れ行きとなったが、理科年表には月の運行、月齢と共に東京の潮汐+全国各地時間補正は一貫して載っている。 売れ行きが増えて値段が下がり、「占い暦」並み、コミック単行本並みの¥600.〜せめて手帳並みの¥1,000円を切れば学校などでも紹介推薦され普及が進みそう。 私自身、唯一の総合科学データ集である理科年表の存在は本屋で平積みされてるのにたまたま気付いたモノで、学校で教わった記憶は全くないのだ。 尤も、特大判の高島占い暦が¥2,000.(大判¥1,400.中判¥1,000.小判¥800.極小版¥500.)に上がっているそうだから、有用情報の多い理科年表¥1,400.大判¥2,800.は今でも結構買い得なのだが。 因みに1968年版小型A6版理科年表の定価は¥500.とある。


「赤狩り」が人気漫画に!
米(日)マッカーシズムの狂気を総括・警告  <3>

 公民権運動や反戦運動、労働運動、思想信条などを「共産主義の侵略」と称して因縁を付けて不当弾圧を試みたアメリカの「非米活動委員会」の暴挙を、映画製作のハリウッドを中心に描いた漫画「赤狩り」が、ビッグコミック・オリジナル誌に連載中で、その単行本も本年10月で6巻を数えて人気漫画となっており、10月下旬から千葉、稲毛、津田沼などの本屋店頭の検索端末で探したが12月初旬段階で在庫ゼロが続いているから、発売部数に対しては大変良く売れている様だ。 第1巻〜3巻ではすぐに古本屋BOOK OFF店頭に出ていたが、4巻以降は流れてこないから需給がタイトになってきている模様。

[図5]     「赤狩り」第6巻の帯('19/12/15追記)
 連載ストーリーは現在、ジョン・F・ケネディーが大統領選に出馬決定し、映画「栄光への脱出」、「スパルタカス」の脚本がハリウッド10と呼ばれる不当な収監・業務禁止被害者の一人ドルトン・トランボ実名のクレジットで公開することになり、極右派(カトリック右派、在郷軍人会、ハリウッド右派など)と議会FBI/CIA挙げての大妨害運動が起こされる処まで描かれている。 W.ディズニーやジョン・ウェイン、レーガン、ニクソンなどがそうした不当な「赤狩り」の先立ちで動いている。
 公民権運動、反戦・平和運動、労働運動、徴兵反対運動などに「アメリカ社会に敵対する『アカ』」のレッテルを貼り、他人の具体的な行動ではない旧アメリカ共産党員歴の証言を求められ、党籍に限らずリベラルというだけで不当なパージに遭って仕事を奪われることから他者名の密告証言を拒否したことをもってハリウッドの映画人10人を「証言拒否/議会侮辱罪」で投獄。 アメリカ議会下院:非米活動委員会と検察機関が無罪者を「証言拒否」として罰する国家犯罪を犯し、召還された証人達に自分の職を維持するための密告合戦をさせて数多くの全く無実・無罪の人達を追放してきた「赤狩り」の狂気と、映画人達の闘いをリアルに描いていて、「非国民」「反日」が阿呆総理大臣から煽られる現状の危うい日本の危機的な状況に重なっている。 それが東京新聞の書評[図4]に採り上げられている。是非一読お勧め。

 「赤狩り」の内容にはソ連盲従型アメリカ共産党の、社会の実態を無視した無茶苦茶な官僚的指導が描かれていて、それや映画内容への干渉が原因で自由平等・経済的な民主主義を求めて入党した映画演劇人達などはほとんど離党してしまうのだが、非米活動委員会とアメリカ極右多数世論はその良心の軌跡を暴いてリベラル思想であることを断罪し職を奪って見せしめにしていった。

 ここに描かれるアメリカ共産党の官僚主義的指導、多様性の求められる作品内容への一面的な干渉は、そのまま日本共産党の非難煽りに流用されかねない危うさを持っているから、当面「障らぬ神に祟り無し」とノータッチになっているのかも知れないが、大局は赤狩りの狂気・不当を暴くものになっており、 「『赤狩り』が今の日本でも既に始まっているのを知るとともに、それを押し返す共同の力を確かめるためにこそ『赤狩り』は読まれなければならない(ブサヨ)[図4]東京新聞11/28コラム大波小波末節」と積極活用されるべきもの。 過去には中国毛沢東盲従派やソ連スターリン派も居て、自主独立派と併せて3極があって、その間がグラディエーションで繋がっていたのを自主独立方針で「規約違反」などを手がかりに分離してきた経過を見たら、個々には不都合なことも多々あって自浄作用を働かせてきたという整理にしてはどうだろう。 悪罵として「代々木のスターリン主義者」とされてきたのは、全世界一体:コミンテルン≒ソ連の子分からの離脱=スターリン独裁批判が外部からの共産党批判者達より遅れたことの反映と割り切って、自主独立路線の今はどうかで考えれば、遷移経過として盲従方針の残滓もあり得る、外国の干渉と結びついた顕在化が山口県委員会=日本共産党左派や日本の声だったが自浄作用を働かせて克服できたと捉えれば良いのだ。 文化面では一部活動家の主観・感覚で、他を支配して善意の人達を追い出してしまうことは見られた。 「闘いの歌以外は歌じゃない!」などと、J-フォークなどの愛だの恋だの青春だのの軟弱な楽曲を罵倒し続けて異議は受け付けずに頑張り、周りに人は居なくなった。 自己の主観基準に留まらず、他人に押し付けたのは明らかに個人エラーだが、その立場によっては組織としての見解・指導方針と取られて批判されるだろう。 アメリカ共産党の作品介入の例はこれを党組織としてやってしまった。
 戦後、フランスとアメリカの軍事干渉:侵略と30年間戦い抜いて国の独立を達成したヴェトナムでさえも、米傀儡政権同様に権力の腐敗が蔓延って賄賂天国状況だそうだが、腐敗に立ち向かう自浄作用を発揮しているのかどうかが問題であって、腐敗の存在で全否定されることはないのと同様だ。 ヴェトナム政府が決めた日本型新幹線敷設計画を議会が否定して先ずは在来線整備と地に付いた方針に改めさせた件や、日本からの原発輸入の中止決定なども、権力チェックが正常に働いている例だろう。 運動の実務から遠いと、教条主義、官僚主義は顕在化しやすくなるが、闘いの現場を基礎に、障害にはさせずに交わしていけば良いことだ。 「科学的社会主義」を強調するのは、宗教的な確信・教条と化している一部党支持者・党員の暴走にブレーキを掛けるもの。 「入党の初心に立ち返って貰って」云々は、本質から外れる教条主義的妨害回避の手法をも述べている。 「頸肩腕闘争は極左トロツキストのモノ」(=詐病の意)という無知なレッテルに何度か出会ったが、頸肩腕障害が労災認定され易くなったのは、不破哲三書記局長の1970年代半ばの国会質問で松下電器などの発病例が引用され、それに政府が応じたからで、日本電気kkの膝元、東京三田労基署など一部の頑迷悪質な労基署を除いては労災認定されるようになった。 それは労災患者たちを支えた共産党の実績といって良いものなのに、どこで混線して現場から遠い一部末端幹部たちが否定的になったのだろうか? しかし支援の共産市議さんたちと共に「うちの患者さんは違う」などと交わして教条的見解が具体的な障害になったことは無く、一部極左系の影響を受けている患者さんを含めて労災認定され、病状快復・職場復帰を実現させている。 一般医療機関があまり扱わない過労性労災は民医連系の一部の病院が多くを引き受けていたが、どこもそういう問題が起こしてはいない (≒患者の話を聞いて貰える病院に流れる:過労労災に一般病院ほどではないが若干の距離を置く一部民医連系病院もあった) から、同様に懸念を実態と混同する理不尽な誤解も質問などで顕在化して教条的レッテルは交わされ糺されてトラブルにはならなかったのだろう。 それでも「誤解」が卓越して真実が組織排除されてしまうリスクはかなりあって、組織排除された少数側としては堪ったものではないし、誤謬側が主観的には「善意」で転がっているほど始末に負えない。が、是正される理性があるかどうかがその集団の質だろう。国を挙げての「赤狩り」の狂気、「国鉄労働者悪者論」のデマ宣伝、「戦争できる国化」大キャンペーンに乗せられてはいけない。
   See→日記#0437-3中段以降


解同の集団暴行正当化の臭い!
文春記事は部落民一般への差別煽りではない  <4>


[図6]    部落解放同盟の蛮行が関電弁明の引き合いに。ドサクサ紛れの解同犯罪責任回避     .
関電のいう強要方法は即部落解放同盟常套手段。 関電を免罪しないし解放同盟が言えた義理ではないだろう
関電マネーの本質は「マネー漬け原発強行」の還流。 「解放同盟型恫喝」は原発政策強行手段に使われた
 原発を推進する関西電力幹部たちが町幹部でもある原発工事フィクサー氏から長期にわたり多額の金品を受け取っていて金が発注側に還流していたのが暴露されて強い非難を浴びた。 関電側はその言い訳として、「各人毎に返そうとしたが、フィクサー氏が非常に威圧的で激高して受け取って貰えなかった」と、関西に根強く蔓延る部落解放同盟の集団威圧・暴力を言外に臭わせたことで、それを週刊文春・新潮が追いかけて、同町共産党町議氏の解説引用の形で「部落解放同盟威圧」を具体的に報じた。 週刊文春も週刊新潮も弱者イジメののぞき見&権力側擁護の三文週刊誌で、その分割り引いてみる必要のある信頼性に欠けるメディアではあるが、今回報道では、どす黒い原発マネーが発注側個人に還流している腐敗の構造は報じていて事態の本質は外していない。
 それに対する部落解放同盟側の反撃宣伝を採り上げたのが[図6]週刊金曜日の記事であるが、解放同盟の言い分たるや、八鹿高校事件などに見られるように、西日本を集団暴力で制圧した彼らの大規模な非行が、誰でも分かる強烈圧力として引き合いに出されているのを主旨転換させて「部落差別煽り」としてドサクサ紛れの自己正当化を試みている。(現在「NPO法人 人権ネット」などとと看板を掛け替えているが、部落解放同盟が占拠した公共の建物をそのまま使っていて実質は同体である)
 関西以西で「同和は怖い」といわれているのは、個々の部落出身者一般の話ではなく、八鹿高校事件のように自治体まで動員した集団暴力で異論の存在を許さず「糾弾活動」と称して拉致・軟禁して集団で際限なく責め立て時に暴行して屈服させ、更に際限なく要求を拡大させる解放同盟の不当なやり方を指している。 その法外な同和利権関係支出が地方自治体財政・運営を破綻させてしまい、支持率が国政選挙では一桁台である共産党主推薦の首長が一時期数多く誕生して数期にわたり自治体運営建て直しを担った基本的理由だった。 共産党系以外の首長では部落解放同盟の暴力・蛮行・横車に渡り合えなかったのだ。 部落解放同盟は刑事事件・民事事件としては有罪・損害賠償命令で結着している八鹿高校事件や矢田事件に対して、いまだに全面正当行為との主張を降ろしていない。 そのやり方が厳しく非難され、怖れられているが、それは部落差別には当たらない無法解放同盟への当然の評価である。 解放同盟が部落差別の再生産を行って未解放部落差別を口実の利権漁り組織の再建・延命を図っていると言っても良い状態だ。
  参考:See→八鹿高校事件・解放同盟関係国会質問速記録集1974〜1975年国会審議

 八鹿高校事件でも問題になったが、同和問題を口実の非行正当化・無理な要求の強要で生徒指導が不可能となる事態も無くなっておらず、最近でも学校でのいじめ自殺の経過調査に学校や市教委が長期に踏み込めなかった理由は加害側が解放同盟幹部子息故という情報もネットを中心に飛び交っている。 解放同盟の当該県本部は八鹿高校事件について「解放同盟側に非が在る」という声明を出していた一定の理性の見られた数少ない県本部だったのだが、そうした地域でさえ解放同盟の激越無法な「糾弾」を怖れて、非行調査も指導も出来ないと現場教師・教育委員会らに信じられる状況が関西には残っていることになる。 加えれば「部落」は裏社会のステータスになっている。裏社会に生きる渡世人が「お控えなすって!」などと相手に仁義を切って存在をなるべく大きく認識させるときに、所属組名・系統名に加え、斯界に高名な出入り参加とか、前科○犯とか、少年刑務所・特別少年院経験、相手を殺して3年で出所とかが相手を威圧するステータスとして語られる中に、どこそこの部落出身というのが加えられている。「部落が恐ろしい場所」という一般認識を自ら認めている訳だ。

 なお、箱根から東:関東・東北では「部落」といっても全く認識していない人が多く、知らないものを差別しようがないというのが主たる側面である。 前述の通り、西日本では悪の権化「部落」として裏社会の自己紹介に使われているそうだが、関西から上京して新宿辺りでこれをやると「それ何だ?」という話になり、質問攻めのパンダ扱いになって締まらないことおびただしい状況になったそうだ。 東日本で裏社会に生きる「人材」たちは、歴史的な未解放部落の存在など全く知らない!という訳だ。 未解放部落を扱った小説「橋のない川」や「夜明け前」を読み熟す層はなかなか東日本の裏社会には落ち込まないということか。
 かって中学校の運動会の最大の呼び物が、地域の全小学校代表選手を迎えて中学生と共に地域別にチームを作っての「部落対抗リレー」だったのだが、突然理由の説明無く打ち切られて非常に不思議に思ったものだった。 近隣地名も部落名で呼ばれていて、坊辺田部落、長作部落、武石(たけし)、向原、宮野木、天戸、花島、犢橋、などと呼んでいて「部落」は単純に集落呼称であって、嫁いできた嫁さんは出身地域名を冠して「坊辺田の姉さん」「武石の姉さん」などと呼んでおり、落語の「向島の姉さん」「深川の姉さん」などと同じ用法だった。 地図帳など地理の本でもなければ「集落」などという語彙は使われなかったものだ。映画「橋のない川」でも同じ扱いだった。 それが部落解放同盟・社会党の言葉狩り方針で「部落」といったら「被差別未解放部落」のみを指すことになってしまい、それを受けた日教組の方針で地域対抗である「部落対抗リレー」が無条件で御法度になってしまったが、生徒達・父兄達には説明できないというおかしなことになっていた様だ。
 八鹿高校事件についての全国報道が全くない中で、「糾弾」と称する集団暴力の詳細を暴く繰り返しの国会質問がNHK-TVで全国放送されて、解放同盟の「糾弾」集団リンチなど知らなかった東日本では驚愕のニュースであり、我が某社では社員採用にも関わっている会社側の団体交渉委員だった本社人事部長と地方工場労務課長の二人が、労働組合側団体交渉委員だった私に「部落差別がどうのこうのとか、どういう事件か知っていたら説明して欲しい。 こんな酷い事件がマスコミ報道に無いなんて何故だ!」と尋ねてきた。 普段は技術的内容などを文系出身が主である会社側委員に組合側から説明して、製造部側の過剰な「セールストーク」を適切に中和したりしてテキながら一定の信頼は得ていたからだ。 例を挙げれば工場側の出してきた説明データを、我々組合側が実作業データに変換して示し、実現性に難のある希望的生産計画での労働者犠牲の強行措置であることを暴露、交渉窓口だった人事部がそれを納得して工場側に再説明を求めて組合指摘を確認、裁判闘争になりかねない無理・無茶な労働条件の強行をやめさせたりしていて設計技術者が主流であった我々テキ側団体交渉委員に信頼感があったのだ。 八鹿高校事件の概要を説明して、詳細資料としては赤旗新聞が全紙版8ページ(?)の養父・八鹿高校事件特集版を出していたので、会社との労災認定交渉にも参加した地域の共産党市会議員から分けて貰って手渡した。 東証一部上場の大企業の社員採用に関わる人事部長・労務課長が共に東京出身で部落差別を全く知らなかったのが実情で、従って採用や処遇の部落差別などやりようが無かった。 それを乗り越える解放同盟の屁理屈が「差別を知らないこと自体が差別だ!」と浴びせかけてくるのだが、その理屈だと全世界の善意の人達総てが敵対する「差別者」になってしまう正当根拠の無い自爆型評価である。
 その後の「地名総鑑事件」でも勧誘宣伝物が会社総務宛と組合宛それぞれに送られてきていたが、共に「地名など知っても何の役にも立たない」当然の理由からボツにしていた。 これが旧未解放部落地区を明記した代物として、題名を「部落地名総鑑」と読み替えられて、実質内容を知らずに買ってしまった会社が部落解放同盟の執拗な糾弾にあって「差別講習」など様々な取り組みを強要されたとかで、購入拒否した総務担当者は「うちも危なかった〜!強い売り込みを面倒がって買っていたら、酷い目に遭うとこだった。助かった!」と述懐。 これなど「犯人不明のトイレの差別落書き」を口実に学校などを「糾弾」の集団暴力で屈服させたのと同様、どうも総鑑の出版元と解同が裏で繋がっていたのではないか?と勘ぐってしまう。 本の表題には「部落」とは記載がなく、東日本では悪意の無い購入者を解放同盟が「糾弾」して歩いたことが推察される。
 身分、門地、地位、容姿、収入、会社、学歴、仕事などで損得勘定として選択される「見合い結婚」では部落出身もフツーに評価対象だろうし、部落出身を絶対タブー視する差別も混じっているのだろうが、当人達の意思を無視した部落差別で結婚できないとか就職差別とかは浜松以西の西日本のことで、箱根を越えた東日本では地付きの極少数例外の人達を除いては存在しないから、東側に引っ越してしまえば、勘当・義絶など公式には縁を切られてもそれきりのことで、若者ならサッサと移住して新規出発するのが手っ取り早い解決策になる。 (そんな馬鹿な社会的差別が罷り通っていたら有能人材流出による地盤沈下は必然ではないか。大阪、兵庫、京都、奈良、和歌山、広島、北九州・・・・・等、部落差別の激しい地域)
 むろん皮革業、食肉業といった仕事を御上から専業として認められていた部落は関東にも有る訳だが、関東の痩せ地に新田開発の一世代年貢免除などでカツカツの暮らしを営む百姓よりも経済的には安定していて、羨望の対象にはなっても差別意識はあまり育たなかったことに加え、度重なる大火・震災・戦災で都市が全滅、再建を繰り返し、地方からの多数の上京者の新住宅地と併せて混住が進み、部落を分けられなくなってしまったこともある。 また封建時代の身分としてはエタ非人とされ河原乞食などと呼ばれる役者・芸能人が大人気で、幕府から財産没収江戸所払いの処分を受けても「成田屋」などともて囃されて人気を増している状況は身分差別を消してしまう。
 ド田舎から上京してきた田舎者ほどダサイタマ(埼玉)とかチバラギ(千葉、茨城)と周辺地区を蔑む傾向がありそうで、実態は「田舎者の集まり=東京近郊人」に近い状況だから、お互い何処の馬の骨か分からない同士で旧未解放部落差別など埋没してしまうのだ。 未解放部落出身を固定化してしまう「同和住宅」など早い時期に止めて公営住宅一般に解消している。 社会党の強い地域で逸早く市営で同和対策住宅を建てたが、消防が市内に配布の地図に「同和対策住宅」と明記されて大問題となり地図回収となり一般市営住宅混住に変えたので、地域に旧未開放部落が存在したことを知った。
 実態として差別の再生産になりかねないのが同和住宅建設同様に都職員教育に押し込まれた同和差別教育。 美濃部東京都知事3期目の選挙直前に社会党系・舟橋副知事から持ち込まれた「窓口一本化」と称する運動体部落解放同盟に役所を越える特権を与えて他を全面排除する方針が政策に持ち込まれて一時は知事選出馬断念に追い込まれた残滓として残っているが、差別として存在しない地域に全公務員受講を義務付けるのだから却って有害だったりする。 解放同盟に特権は与えないことで落着して石原慎太郎を僅差で下し3期目の美濃部都政は実現した。 当方チバラギ住人としては「直流電化区間は大都会圏だよ〜」と(交流電化区間こそが地方田舎だと)抗弁しているのだが、それだと常磐線は取手の先、藤代、筑波エクスプレスは守谷の先からは田舎(w。 あれは茨城県柿岡の地磁気観測所に悪影響を与えないための直流電化禁止、交流電化、ディーゼル運行なのだが・・・・・・・・・。 東海道、山陽、中央東西は確かに大昔からの大幹線、上越・信越は急峻な山越え線で早期電化区間があっての全線直流電化で、重要地域が直流電化されたのは確かである。
 最近気付いたのだが、九州熊本民謡「五木の子守歌」にも部落民である非人(かんじん)を子守が「良か衆」と羨む歌詞がある。「かんじん」が掛け声や意味不明の方言ではなく「非人」とかいて「かんじん」と読ませていたのだ。
 五木の子守歌 二、♪おどま 非人非人(かんじんかんじん)/あん人達ゃ 良か衆/良か衆 良か帯 良か着物(きもん)♪/(by「よみがえる歌声喫茶名曲集」長田暁二監修横山太郎演奏CD英知出版kk2006/7/1刊p74)
 部落差別は古都近畿・関西圏・北九州で特に激しかったが、今もまだ気持ちに残っているということなのだろうか? c.f.→参考記事:日記325-※

「貧困の再生産」回避の施策は必要だった

 東大生の多くが富裕層出身とか、貧困層からの大学進学率はかなり低いという統計データが示されている。 関西地方などの旧未解放部落がそれに当たり、2000年初頭までは時限立法の同和対策法で地域的な格差解消措置、底上げ措置は採っていたが、部落解放同盟の醜悪な利権化したこともあり、一般施策に解消として同和対策法を失効させている。 大学進学率の格差に見られるように、貧困層に意識の違いがあっての結果は政策的対策が難しい。先出、裏社会でのステータスとして旧未解放部落出身が語られるとか、某全国的な広域暴力団の構成員の1/3前後が旧未解放部落出身者と自ら説明しているとか、かっては学卒者が居なかった(=正確には「部落民グループに居なかった」の意か?)というのは、ローカル集団の一般認識≒常識:認識の問題が絡んで解決策が難しい。 さらに裏社会のリクルート工作が集中的に行われることもあるのだろう。 大規模団地を含む地域の少年非行補導率が際立って高いのは、不良集団の組織的な転落引き込み策がそこで集中的に行われるからで、謀略も行われて配下に組み込まれており、元々のワルガキが多いのではない。 「孟母三遷の教え」は個人的・実務的な防衛策としては妥当性がある。
 ただ、ここに部落解放同盟の不当な利権漁り、苛烈で理不尽な暴力糾弾を復活させて部落差別の再生産をさせてはならない。 旧未解放部落が最貧層とは言えなかった東日本に封建時代の身分差別の一環である部落差別が残らなかったのは当然の結果なのかもしれない。

大麻大量密輸で逮捕!
冬季五輪スノボー元日本代表の悪がきキャラ  <5>

 「やはりそうだったか!」と思ったのが、冬季五輪スノボー元日本代表悪がきキャラが大麻大量密輸で逮捕されたニュース。 傍若無人に他を睥睨、威圧支配。そんなヤツが五輪で好成績を取ったからといって、全面的にヨイショされるのは不愉快極まりないと感じていたら、そこそこの8位に留まって四の五の下らない言い訳で人品を下げていて、かって暴力団の用心棒に転落したボクシングチャンピオン同様の脳味噌筋肉キャラで、そういうキャラが多く集まるスポーツとの印象を拡げたご当人だった。 それが大麻密輸容疑で逮捕されるとは、案の定のアウトローであった。
   See→当たってしまった懸念記事日記#240-4
 現状、オリンピック自体が極端に商業主義化して、アスリート・ファーストから外れて、猛暑の7月8月開催とか、深夜・早朝決勝とか、袖の下誘致とか醜悪化し、いくつかの競技団体の不明朗な非アスリートのボス支配、様々な会場新設準備の建設利権、膨大な開催費用などが絡んで、鼻白む状況となっている。
 他のスポーツ大会並みに既存設備使用を原則としないと、膨大な経費の支払い能力からも開催を受ける都市も無くなってくるだろう。

2019/12/08 23:55

[Page Top↑] 旧
新
戻る
(A4版縦置き)