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筑波山へ初ハイクで激降雪!

 通学の総武線の車窓から良く見えていた筑波山ですが、これまで一度も登ったことはなく、筑波エクスプレス開通で交通便利になっても、筑波エクスプレスさえも乗ったことが有りませんでした。そこで初めてハイキングに出掛けたところ山頂付近には雲がかかりロープウェイつつじヶ丘駅からは強烈な牡丹雪が舞う荒天で、徒歩登山を諦めて山頂でロープウェイとケーブルカーを乗り継いで引き上げてきました。

[写真4] 雪の筑波山頂 @女体山下ロープウェー駅より
 天気図ではそんなに荒れそうになかったし、曇りの予報だったので、常用の簡易登山靴をわざわざ軽い運動靴に替えて出発したのですが、秋葉原で小雨が降り、次第に筑波山に近付くと時折山頂に雲が掛かってが見えない状態です。どうやら冬型の気圧配置で、関東平野は晴れても、分水嶺付近の山は雪という気候なのに、関東平野の予報で出掛けてしまった様です。昔、尾瀬を福島側の御池発で燧岳から三條の滝に下り−尾瀬ヶ原−富士見峠越えを目指したときに、晴を予想して出掛けたのに到着と同時に大雪に見舞われ、慌てて沼山峠下に運んでもらい、尾瀬沼コースに切り替えて丸二日間の雪中ハイクになった時と同じ天気予報ミスを再びやらかしました。その時、東京では3日間快晴でした。

[Photo]筑波山初ハイク


[写真1] 車窓から筑波山  <p1>

[写真2] 片持ち式のインテグレーティッド架線
エアー・セクション部@筑波エクスプレス

[写真3] 筑波山ロープウェーの降雪@つつじヶ丘駅

[写真5] 筑波山ロープウェー、山頂駅

[写真6] ケーブル山頂駅より女体山・ロープウェー駅を望む

[写真7] ケーブルカー山頂駅より

[写真8] ケーブルカー山頂駅より筑波山男体山を望む

[写真9] ケーブルカー中間点行き違い施設

[写真10] ケーブルカーの分岐

[写真11] ケーブルカー駅方面、筑波山神社

[写真12] 筑波山神社の紅葉

[写真13] 登山口バス停より山頂:男体山、ケーブル終点、女体山
(電線を道の反対側に引けば景観が邪魔されないのに!
それはケーブル山頂駅展望台でも切実に思いました)

[写真14] 筑波山案内図
 初の筑波エクスプレス乗車の印象は「速い!」。郊外に出るとたちまち130km近くに加速します。いつも乗る90km/h〜100km/hそこそこの下駄電とは巡航速度が違います。下り区間快速は、ロングレールの熔接痕でコツコツと音がするため、90秒間の継ぎ目音を数えると時速になります。加速・減速が頻繁なので10秒間律で採ると、14回でしたから126km/h(=14×(90/10))で走っています。京成スカイアクセスは最高速度160km/hですが、それは繋ぎ目音が全く聞こえず、揺れも少なくて体感的にはかなりゆっくり走っている感じで、スピード感が有りませんから、筑波エクスプレスの方が体感上は必死に高速で走るように感じます。See→(乗車体験記)
 ところが、帰路の上り区間快速では利根川手前?のほんの一部区間を除いて継ぎ目音が聞こえません。どうもロングレールの熔接精度が上下線で違うようなのです。東海道新幹線も近年は熔接継ぎ目音が無くなって、車内での速度計測は出来なくなりました。これは熔接精度の向上によるのか、後処理研磨技術の向上によるのか、どちらでしょう。鉄ヲタ的には若干つまらなくなりました。→See速度計測
 直流電化部の架線はインテグレーティッド架線として張架線を給電線兼用とし別線の給電線を無くした構造で、片持ち柱の採用で上下独立になっています。(See→[写真2])。
 交流電化区間は高圧小電流で電圧降下率が少ないので元々架線給電ですから敢えて「インテグレーティッド架線」とは言いません。守谷から先を交流電化とするのは直流の数千アンペアに及ぶ大きな運転電流が世界的に重要な気象庁地磁気観測所(茨城県石岡市柿岡)に影響を与えるためで、常磐線の取手以北を交流電化したり、関東鉄道がディーゼルカーのまま運行しているのと同じ理由です。
 それと、郊外に出てからの地下区間が多いように感じましたが何故安価な高架橋を避けたのでしょうか?京王線調布−国領間とか小田急下北沢付近のように住宅密集地なら地下化でもペイしますが、土地代の安い茨城の郊外で何故地下?

 筑波山きっぷという現地乗り降り自由で筑波エクスプレスは往復という切符が\4,300.で発売されていて、筑波駅から往復のバス代とケーブルカー+ロープウェイ往復を含んでいますから、電車\1,150×2+バス代往\700+復\850+ケーブルカー\560+ロープウェイ\600=2,300+2,710=\5,010.ですが、上り下りにケーブルとロープウェイを使わずに上り90分下り55分を総て歩くと\3,850.ですから代金は逆転。さらにロープウェーとケーブルカーそれぞれに往復で乗る子連れ鉄ヲタモード全開ですと、\1,160が加算されて\6,170.で十分ペイしますが、シーズンの休日では乗るためにどれほどの時間並ぶかがあって早めに行く必要があります。どうもケーブルカーとロープウェイを使う前提の切符です。秋葉原での小雨で筑波山切符利用を決めましたが、山上は酷く滑る雪道でロープウェイ駅からケーブル駅への15分の行程に30分以上掛かり、思わぬ荒天に妥当な選択でした。(See→写真14

 筑波山はそれ自体が信仰の対象である御神体で「筑波山神社」境内という建前でして、山頂は男体山・女体山2つの峰で構成され(写真13)、それぞれの頂上に神を祀る祠があって、神社本殿境内の駅から男体山直下の最も低い場所にケーブルカーが引かれて頂上駅と広場があり、そこからダラダラの登りで女体山頂に至り、女体山直下にロープウェイ頂上駅があって、山麓のつつじヶ丘駅となりますが、外見で目立つのは幾つものマイクロウェーブ中継局が設置されていることで、筑波山頂からなら都心まで見通し距離ですから通信の重要拠点になっています。高尾山も薬王院とマイクロウェーブ中継局で同様です。(See→写真1

 ロープウェーつつじヶ丘駅ではミゾレから牡丹雪に変わって激しく降り積もり、視界がかなり悪かったので徒歩登山を諦めてロープウェーで山頂駅に行きましたが、天候はますます荒れてアラレと雪が降り積もり、山頂レストランで食事をしながら雪止みをみて女体山からケーブル駅へ出発。降雪の合間の雪景色は綺麗でしょう(See→[写真4])。
 晴れていれば徒歩15分の道のりを積雪で激しく滑るので慎重に30分以上も掛かってケーブルカー駅に到着。展望台ではマイクロ波中継局に向かう太い高圧配電線が丁度目の高さに張られていて構図を遮り、景色の撮影には酷い悪条件で、配線を越える高さの3階屋上展望塔の方は悪天候で危険として閉鎖され、立ち入り禁止でした。観光地の展望台の眺望に配慮して電線を引いて貰いたいものです。(See→[写真6〜8]

 ケーブルカーの上下行き違い施設のポイント写真9〜10)は、内側の車輪がフランジのないドラム状でケーブルの通る溝を乗り越えさせ、外側は車輪の両側にフランジのある車輪で上下車両を仕分けているのは良く知られている構造ですが、写真は撮ってませんでした。窓ガラスを伝う雨滴で像が歪んでいますが、[写真11]の線路の先が本殿境内の山麓駅です。(→写真11

 今年は、秋口の強い台風に見舞われなかったせいか、どこも紅葉が大変鮮やかです。台風が来ると、その強風で海水が吹き飛ばされて塩害となり、木の葉も紅葉前に枯れ落ちるためらしいです。写真は筑波山神社本殿境内ですが、高尾山の血のような紅葉も、上高地は穂高山麓涸沢(からさわ)のナナカマドの燃えるような紅も、大地震で噴泥激しかった埋め立て地美浜区も実に鮮やかに紅葉しています。(写真21〜25

健康の維持・快復に卓効!
過労性職業病患者の快復訓練成功は高尾山のおかげ  <B>

[Photo]今秋のハイク

[写真21] 涸沢(からさわ)小屋  <p21>

[写真22] 涸沢の紅葉  <p22>

[写真23] @高尾山  <p23>

[写真24] @高尾山  <p24>

[写真25] @千葉市美浜区稲毛浜  <p25>
 従前は駅の跨線橋の階段は2段飛びで楽々駆け上がっていたものが、一段ずつでも体が重く感じるようになり、団地の階段も時に息切れを感じる有様で、自転車での陸橋超えも次第に辛くなって、思いもよらず熱中症に見舞われる(
日記#223:2009年8月)など、著しい体力の衰えを感じるようになり、体力維持にこれではイカン!と昨年の初夏頃からハイキングを復活しました。
 当初は尾瀬ヶ原・尾瀬沼から沼山峠への登り程度の緩やかな負荷なのに息が上がってしまい、どうなることかと心配だったのですが、高尾山・城山・景信山、穂高の涸沢と体を慣らしていくうちに、駅階段の2段飛び昇降は何とか復活し、徒歩通勤時にいつの間にか早足の女性に抜き去られているのは無くなって、ややホッとしているところです(w。

 ピクニックやハイキングは、かって働いていた職場で多発した蓄積過労性労働災害:頚肩腕症候群背腰痛症の患者の病状快復訓練の一環として、会社側にも了解を得て実施して、ほとんどの患者を解雇させずに職場復帰させた卓効ある手段です。疲労困憊で次第に動けなくなって「月曜病」でポカ休みをするようになった人にも声を掛けて休養と気分転換を勧めて症状悪化・発症を防ぎ、鬱病とかノイローゼとか言われて退職に追い込まれるのを防げました。病状としては皇太子のカミさんと同じ様なモノで、「怠け病」とか「アカ病」とか心ない攻撃を受けることも有ったのですが、組合として労災職業病のキャンペーンを続けて患者擁護の職場世論を作りましたし、患者の半数が養殖御用第2組合の組合員とあって悪意の攻撃宣伝は力を失いました。会社の労務担当者は患者に対して当初かなり意地悪く、快復訓練の水泳を知ると「痛いと言いながら水で冷やすとは何事だ!」「大学病院の診断以外認めない」とか無知な因縁をつけて退職誘導していたのですが、そのご当人が出張先で過労で倒れて動けなくなり、2か月も休業療養したこともあって患者への圧力が軽減して、療養後に職場復帰できる道筋が開かれました。

 基本的な方針は、渋谷区千駄ヶ谷代々木病院精神神経科、故石田一宏医師(筆名は青木某?)の提唱した「運動療法」ですが、現実の教程を大学運動部コーチに任せたためか、あまりに運動部トレーニング的で「気の向くままに」のスタンスには収まらず、運動療法の課題に付いていけなくなる患者の方が多かったので、実践面ではその段階では成功とは言えませんでした。しかし「心から楽しんで、リハビリに進んで参加してくる状態をつくる」という基本に労働組合として着目し、患者達と相談しながら気分転換・運動療法の細かな段階を設定して、家で休むだけではなく当初は労働組合事務所と労務部担当者までの出社から始めて、都立神代植物公園ピクニック、高尾山にケーブルやリフトを使ってお宮ごとに賽銭をあげて参詣(=実質は体調に合わせた休憩)、徒歩登山、−城山・相模湖、−小仏峠下、−景信山、陣馬−相模湖、陣馬高尾縦走、などと体を慣らし体力を回復させて、職場復帰直前には達成感の大きい谷川岳尾根コースの巖剛新道−天神平コースを踏破して体に自信を付けてから職場復帰した組もあります。その自信からか、時折の病状の波には飲み込まれないで耐えて完治を果たしましたが、重症化した労災認定患者の完治には数年から10年前後を要して、多くが治療継続中に労災打ち切り処分を受けています。
 病状を早期に発見して治療を始めますと、特別の障害が発生しなければ数ヶ月から1週間もあれば治ります。それが重症化するケースでは必ずワカランチンの上司が居て「そんな症状信じられない!甘たれるな!」などの暴言を浴びせかけて、不可解で深刻な症状に苦しみ抜いている患者の心を叩き壊しているのが特徴です。面倒見の良い上司が労って十分休養を与え早期治療させたところは短期間で快復して、かなり面倒な労災認定などせずに済んでいます。極端には一度過労性労災専門科の診察を受け、治療方針を教えられただけで、数日の休養で快復に向かった患者さえいます。私たちがその人に対するヒドイ昇格遅れを発見して、その職場から選出の比較的良心的な御用第2組合の活動家につないで「そちらの組合で取り上げられなければこちらで交渉します」と告げたもので、御用第2組合のメンツにかけた交渉が行われて昇格を果たしましたので、心理負荷を和らげるのにはそれが一番効いた模様。
 激疲労などに発する反応性の鬱症状に「自律神経失調症」「過労症候群」などの病名を提唱して患者自他の偏見・負荷を軽減して快復の途を拡げた故石田一宏医師提唱の運動療法の非常な成功例だったと思います。一区切り付いたらDATAをまとめて報告に上がろうと思っているうちに亡くなられて果たせませんでした。
 労災認定闘争の教示を戴いたのが東京豊島区目白鬼子母神病院職業病科→港区芝病院職業病科の中村先生とそこのケースワーカーで職業病闘争交流団体の事務局を引き受けられていた高田先生で、具体的な快復治療生活方針としては前者石田先生、労働組合としての労災申請・審査請求実務や患者自身を支える医療者としては後者中村・高田両先生に大変なお世話になりました。(労働組合が両方の摘み食いをした訳ですが、熱海の旅館で開催の「労災職業病全国交流集会」で石田先生が「鬱について」として記念講演され、さらに対面された両先生が「頚肩腕も、自律神経失調症も、反応性鬱病も、数ある症状の何処に着目して病名を付けるかの違いで、病気としては同じ様なモノだよ」と云われたのを聞いて、こちらの現場での理解が正しかったと安心しました。患者は主治医しか知りませんから、両先生に直接面識があったのは各患者の診療に付き添って直接相談していたごく少数でした。
 職業病交流集会に労働組合として参加するところはごく少なく、組織内に患者を抱える日航労組などに加え、千葉土建労組専従書記氏が組合員ではない商店勤務の女性患者の労災申請援助で参加していたのと、JMIU三多摩L社を覚えています。左寄りとされる労組でさえ不可解な病状を理解できずに患者を支えきれなくなったり、組合員以外を援助出来る真面目な組合はごく少数なので、千葉土建労組のはるばるの参加はよく覚えています)

 頚肩腕症候群背腰痛症というのは、当初、関西で証券OLたちの自殺が多発したことで問題になり、松下電器での発症状況を不破哲三共産党書記局長が国会質問では初めて採り上げて解決を迫りましたが、現在の皇太子のカミさんの「適応障害」と同様の「機能障害」で、絶対的治療法が確立されていなかったため、労働災害として認定されるようにはなったものの、激痛だけが認定内容とされ、他の症状や発病条件は事情とされ「概ね3ヶ月で治癒」などの誤った見解で行政が進められて、治療3年で労災保険給付の打ち切りだけではなく、法律的な治癒と見なして解雇制限も解除して、全国で治療中の労災患者約2,400人を切り捨ててしまいました。労働省は「扶養者が居なければ生活保護に頼って治療して貰う。それが国の制度だ」と言い放って、労働者を守るのではなく、企業側の先兵となりました。さらに健康保険組合によってはその治癒認定後の治療を「治癒」として認めない組合も有りましたから踏んだり蹴ったりの扱いになりました。重い症状を抱えた労災患者個人では闘いきれなかったため、そのほとんどが泣き寝入りになっています。

 治療中の労災患者を不当解雇させず最低限は職場復帰させて解決するためには、労災補償打ち切りに対して審査請求、再審査請求、行政訴訟と順を追って手続きと運動を進めて、その間に治癒して職場復帰させてしまえば、その後に再審査請求や訴訟で負けても、実際に働いている元労災患者を改めて解雇することは出来なくなる訳で、労働組合の方針としては、かなり面倒な労災立証と諸手続きを患者の廻りの実務能力のある組合員たちが引き受けて、患者にはなるべく病状快復に専念して貰う方針で難局を支えて職場復帰を成功させましたが、その時に選んで有効だった快復訓練法が、体調をみながらのハイキングでした。近くに多摩川や神代植物公園、コースが多様な高尾山のある立地は非常に幸運でした。ミシュランガイドのお陰で休日は大混雑で使いにくくなりましたが、平日や城山から奥は今でもまだまだ余裕があります。
 但し、そこに全く参加せずに、職場復帰し、治癒した重症認定患者も居ますので、現実の病状快復に最も効いたのは、患者の言い分に寄り添って、繰り返しのキャンペーンで他からの心ない誹謗中傷を抑え、病状を快復させ職場復帰させようとする周囲の支援体制が患者の負荷を軽減させたことで、それが職場復帰まで快復できた基本原因だったと思います。次いでの要因が、時折の症状悪化を浅くし、体力に次第に自信を付けさせたのがリハビリ・快復訓練としての各自の体力に合わせたハイキングでした。
 病状快復運動に一切参加しなかったその人は組合員の一人も居ない製造職場のパート社員で、ベルトの不注意な構造から時折1000ボルト絶縁抵抗計の電撃に見舞われて飛び上がりながら対策を採ってもらえず「大げさ!甘えるな!」と叱責され続けて発症したもので、上司であるベルト担当者の怠慢と強要が重症化の原因ですが、重症化後に御用第2組合員のセクト活動家からの指摘を受けて我が組合が事態を把握したため、対応が遅れて、長期療養となり、治療開始3年経過で労災補償打ちきりの憂き目に遭ったものです。

 審査請求を無情に却下した審査官に、他の患者の審査請求で会った時に、却下された患者が再審査請求中に全日就労で職場復帰出来ていることを伝えると、破顔一笑「良かった!良かった!ほっとした」って、そう思うのなら却下しなければ良いのに、推測通り労働省方針で無条件打ち切り以外の結論を出せなかったことを明らかにしました。快復訓練としてでも半日就労していると時給比例分や就業規則で労災休業中の基本給相当額は概ね保障されていましたので「審査で打ち切りをひっくり返せないのなら、職場復帰できるまで塩漬けで放っておいてくれ」という要求交渉をやった審査官です。東京労働局・中央労働審査会での審査請求・再審査請求が却下されたときにはかなり快復して全日就労で働いていましたから、労働組合から「症状固定認定を打ち切り時点の身体機能障害で行って補償せよ!自費治療で快復した現状で行うのなら、労災打ち切りを撤回して、その間の治療費を支払え!」と労働基準監督署に迫って、打ち切り通告時点のカルテによる労災等級申請を行って認めさせたことで、認定が2等級上がり、会社の「労災補償付加給付」の対象となって総額200万円ほどの打ち切り補償となりましたが、かなり後で判ったのですが監督署での後遺症診断に際して、女性なのに下着なしの丸裸にして嫌がらせ診断をしていたことが判りました。数年前の病状を確認するのに下着を取らせる必要性は有りません。クソ役人が〜〜と大変腹が立ちましたが、時間も経ち担当者がどこに転勤したか判らずでそのままになっています。他の患者たちにも打ち切り後の自費治療費・賃金減額分の若干の穴埋めにはなると打ち切り補償の申請を勧めたのですが、「治るはずの病気で『治癒固定認定』など受けられない」と、申請しませんでした。症状があっての打ち切り保障で、それ以降に症状快復しても差し支えない訳で、実際の快復時点で、認定治癒打ち切りに遡って請求すればいいのにと思ったのですが・・・・・・。

 病状の重症化に患者を激しく攻撃する「わからんちん上司の存在」というのは、我が社に限らず、東芝など他社でも共通した特徴でした。今で云う「パワーハラスメント(パワハラ)」が重症の頚肩腕症候群背腰痛症となる重要要因だったのです。出先の会社のユニーク派でかなりパワハラ気味の人が「うちでも頚腕症は馬鹿上司のせいだよ」と言うもので、思わず苦笑。
 労災申請の立証補強のための陳述書作成に、患者から詳しく病状を聞くと、それを思い出すだけで深く落ち込んでしまい疲労困憊が深まって、体調不良を騙し騙しの聞き取り作業に1ヶ月近く掛かったり、聞き取る方まで引き込まれて落ち込んで参ってしまうような厄介な作業でしたが、仕事の過負荷や睡眠不足は聞き取る方も同様に有りましたから、患者達に付き合っての繰り返しのハイキングは支援者側の発症防止・健康維持にも大変有効だったわけです。患者達が心理的にめげて極端に落ち込んでしまう、疲労困憊での睡眠障害の果ての「金縛り体験」とか「空中浮遊体験」は「頭だけ目覚めて、運動神経系や感覚神経がまだ眠っている状態」からくる一種の「悪夢」で、日常業務をこなした上での活動である支援側もかなり体験していて、そのまま放置していたら同様に過労疾患として重症化というのは見えましたので、患者達の健康維持快復の取り組みに同道することになりましたし、「思いもよらない悪夢とは云え、夢という物理現象に気持ちを潰されてはいけないよ」という勧告に説得力を持てました。同業界の日立や富士通、門真市の松下などで開発技術者がビル屋上からの空中遊泳などで命を落としていましたから、それらも過労による鬱症状で、各社の御用組合の支配下、助けてくれる真面目な労働組合もなく自死をもって精算したのだろうと思いました。

 大昔のそれらの経験を思い出して、自分の体力快復に山歩きを再開したのですが、驚くほどの体力低下に愕然!かってはバスハイクの集団のシンガリを引き受けて、必要な連絡に先頭との間を走り回って、バテた人の荷物を持って平気だったのに、歩くだけでよいガイド付きツアーの客でいて初級コースで息が上がって往生するとは!歳だねぇ〜っ!てか(苦笑。そういえば、しんがりを引き受けるときは、日程の6週間ぐらい前から様々トレーニングして、一人で高尾−陣馬を縦走して体調を確認して参加していました。レクレーションの組織者側が先にへばっていては様になりませんからねぇ。1年経って快復顕著ではありますが・・・・・・、もう元には戻らないかもしれません。
 
2012/12/16 23:55

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