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Geo日記
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[87]. 本質的な総括を欠く国交省事故調査委員会発表

  去る3月2日夜の土佐くろしお鉄道宿毛駅突入事故から7ヶ月経過、直後の4月25日朝の福知山線尼崎転覆脱線事故から5ヶ月を経て、監督庁である国土交通省からは一応の対策が通達されました。
  日記[55] ATS-SNを忘れてる! 過走防止装置通達05/03/29(宿毛事故対応)
  日記[73] 曲線過速度防止装置 設置基準通達05/05/27出る(尼崎事故対応)
 両通達は「尼崎事故対策の到達点」(日記[79])でも触れましたが、具体的な対応の指示ばかりで、なぜそれが欠けて事故に至ったのかの原理的総括(=適切な解説)がなされてないことが特徴です。
  たとえば、宿毛通達のATS-SS行き止まり駅過走防止装置も、尼崎事故通達のATS-SW曲線過速度も、設置する地上子は両者全く同じ108.5kHz速度照査地上子対ですが、これについて統一的な検討がされたとは思えない通達内容です。
  宿毛事故後に800m手前から増設された3対の速度照査対は、過走防止装置と報道されていますが、現実には分岐速度制限の25km/h速照地上子対(40m程手前に移設)と併せて「25km/h過速度防止装置」を構成しています(京王電鉄の過走防止装置が25km/h以下を3対〜4対で防御しているのと比べると簡易型といえるでしょう)。
  宿毛の場合、厳密な意味での「過走防止装置」は停止目標38m手前に移設し15km/hに設定替えした速照地上子対と、停止目標に設置の123kHz非常停止地上子のセットで25km/h以下に有効な過走防止を構成しているのですが、この6対11基の地上子群全体を最高速度からの「過走防止装置」と発表している訳です。
  もっとラジカルな言い方をすれば、純粋な「過走防止」は停止目標の非常停止地上子だけで、他の速照地上子対は総て過走防止のために設定された過速度防止地上子であり、停止地上子のないだけの構成が「過速度防止装置」だと言った方が分かり易いかも知れません。同じ過速度で、突入するのか転覆・脱線するのかの違いだけです。

  本来ならその設置に当たってどんな場面で必要になるかを網羅的に挙げて、列車頻度などその想定発生確率を乗じて被害の大きいものから潰していくのは基本的な検討方法ですし、少ない投資で非常に有効なものが有ればそれは序列を早めて優先設置されるべきものです。
  それなのに「行き止まり線に進入する際、場内信号機外方の閉そく区間の列車の最高運転速度が100キロメートル毎時以上の箇所を対象とする」(宿毛通達)、として、曲線と分岐器の過速度を度外視しただけでなく、それ自身も、合流点や、100km/h未満の個所の検討すら排除しています。JR西日本が曲線速照設置に当たり「最高速度130km/h以上の路線」という正当な根拠のない限定を付けたため、危険な尼崎事故地点に設置されず防げなかったのと同じ構図になっています。尼崎事故現場は70km/h制限に120km/hから突入で50km/h差だから「40km/h以上の速度差」という設置基準には該当していながら、最高速度が130km/h未満というJR西独自の不当な理由で設置がサボられてしまいました。
  もし3/29通達が、曲線過速度にも言及して危険個所の速照整備を求めていれば、案の定の尼崎事故はギリギリ回避できた可能性があります。
  これに触れないのは恐らく運輸省/国交省の監督責任を問われないための姑息な対応でしょう。もし宿毛通達で触れていれば、事業者側の責任だとしてPRしたのでしょうか?

  そもそもを言えば、1941/09/16の山陽本線網干特急追突事故を承けて、連続速度照査機能を持つ連続コード式ATSを東海道線、山陽線、鹿児島本線に設置する工事を急ぎましたが、米軍の爆撃で取付寸前の受信機を全部破壊されて完成できず、戦後すぐの1946年に米占領軍に対して工事再開を申請して却下されています。この時点で鉄道省の判断は科学的・技術的に妥当でした。
  ところがその後、鉄道省から国鉄公社が分離されると、参宮線事故や三河島事故を経ながらATSは単なる「赤信号警報装置」に傾き、大事故発生毎にその欠陥を小手先で埋めるモグラ叩き型でS型を温存し現在に至っているのですが、手抜き路線修正の機会としては多数有り、ATSに常時速照自動投入を義務付けた1967年私鉄ATS通達時、1968年前後の過速度転覆で、国鉄として分岐器過速度警報装置を設置した時点での過速度防止通達(放置)、新宿駅タンク車衝突炎上事故での強制停止義務化(国鉄が無効な警報「直下地上子」設置で、それを放置し東中野事故発生)、東京都心線のATC化に際して中央線が輸送容量から換装不能だった時点での稠密線ATS開発放置、1987/04JR発足に際しての私鉄ATS通達の段階適用(通達廃止!)、1988/12東中野事故に際してのB型区間などJR東日本を除いてはJR西日本がほんの一部をATS-P化しただけで、絶対信号のみへの非常停止地上子の設置(Sx化)に留めて、網羅的な整理をせずに放置して宿毛事故、尼崎事故を招いた経過を省みれば、安全評価の一貫方針が何処にもないのが明白です。日比谷線中目黒事故でも、ガードレール設置基準が無く、また輪重比という左右バランスの限界管理規定も無かったというのは行政指導の怠慢と言うべきですし、事故調は最も原理的なここを指摘しないと事故毎のモグラ叩き対応から抜け出せません。前身の「事故調査検討会」による「中目黒事故報告書」の一般人に分かり難い記述は運輸省の怠慢隠しの記述構成と理解するとぴったり来る訳で、指導監督庁と、事故調は別機関化する必要が有るようです。刑事責任を問われる訳でもなく、率直に不足を認めれば良いものを。

  関連余談ですが、日比谷線中目黒駅事故発生前の、車庫内での2度の脱線事故を承けて、ボルスターレス台車の横圧増脱線問題として輪重計設置を当局に要求していた職場というのは、ソースと文脈から、営団職員の共産党支部である地下鉄委員会だと思われますが、その影響の強い半蔵門線車輌だけ輪重調整を行うに留まっていたというのは残念です。現職で下手なことを言えば首が飛びかねない、御用組合の非協力・妨害もある厳しい条件下での奮闘には大いに敬意を表しますが、あと一歩、あの手この手で当局の輪重管理サボタージュを追いつめていたら中目黒事故にならなかった(その代わり地下鉄委員会の功績は目に見えなくなっていた)でしょう。国鉄関係の組合で、技術的領域に踏み込んでものを言ってるのがほとんど千葉動労だけという状況を見ても、その主張の困難さは忍ばれる処ですがあと一押しで残念。もちろん労働組合は何をしてたのか!それ以上に営団当局は何をしていたのか!という問題が本筋ではありますが。(10/14追記)

  尚、JR東海が多用する「過走防止装置」は45km/h+5km/h以下で進入の場合に、冒進はしても接触限界内に停止させる設定ですから、最高速度に対しては無防備で、突入あるいは衝突は防げません。JR東海が宿毛事故を「想定外の事故」というのは間違いで、最高速度を除外した設定そのものが間違いだということです。
  この対応方法としては現行の分岐器過速度防止装置(警報装置)を活かして、通過側もY現示速照を導入することで過速事故発生を抑えるべきでしょう。最も簡単には信号ロジックの変更だけで実現できますし、分岐制限とY現示制限とで地上子3基1組の3組構成で問題ない訳です。
  日記[79] 尼崎事故対策の到達点
2005/10/02 21:19
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