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五能線、白神山地、男鹿半島、
津軽半島をツアーバスで廻る

 たま〜には山の神のご機嫌取りに旅にでも連れ出さなきゃいけませんが、オリジナルの旅程だと交通の接続が酷く悪かったり、費用が倍掛かって回れるところは半減とか、予約手配が大変だったり、手間の割に評価は上がらない事態に追い込まれやすいもので、アリバイ工作的にあちこち行った実績を稼ぐにはパック旅行は大変便利なのであります。

 そんなわけで最初に申し込んだ上高地−飛騨高山コースは季節はずれの台風の直撃を受けて前夜キャンセルで50%のキャンセル料を取られただけとなりました。主催者側が悪天候を理由に中止することは先ず無いんだそうで、飛騨川崖崩れ転落型の惨事を回避するには参加者側が差し迫る危険を予測してキャンセルするのがお定まりで、運良くキャンセル待ちに売れれば更に丸儲けなんだとか。飛騨川事故も確か満席で遭難でしたよねぇ。
北緯40度線 核廃棄物処理
1. 北緯40度線モニュメント   2.↑青森の核宣伝
入道崎(男鹿半島突端)   核廃棄物受入給付標
なまはげ館
3. なまはげ館
秋田白神駅全景
4. あきた白神駅全景
秋田白神駅
5. あきた白神駅ホーム
青池
6. 不思議な色は?銅イオン色?十二湖の「青池」
大崩落日本キャニオン
7. 日本キャニオン&十二湖生成大崩落跡(奥)
1回線送電 鉄道総研特高受電線
8. 一回線送電線(十二湖) 9. 鉄道総研特高受電
例が少ない特別高圧1回線送配電線
花見川変電所→習志野工業団地(日立等)
大映日活向け22kV特高配電線
10.大映日活撮影所向22kV特別高圧配電線
多摩川渡河部(3相2回線6本)

千畳敷海岸奇岩 キハ40型2連
  11. 千畳敷海岸奇岩    12. キハ40型2連
千畳敷
13. 千畳敷海岸
岩木山
14. 岩木山北面
津軽十三湖
15. 津軽十三湖
津軽海峡冬景色歌碑
16. 竜飛崎津軽海峡冬景色2番歌碑
斜陽館
17. 斜陽館(津軽津島家太宰治記念館)
パンドロール
19. (パンドロール、於鉄道総研)
立山カルデラ砂防工事軌道
18. 立山カルデラ砂防工事軌道図(建設省作)

 その無念の荒天キャンセルの穴埋めで中高年のメッカ白神山地に五能線に乗ってチョコっと分け入り、なまはげの里=男鹿半島で焼け石料理を食べて、太宰治の生家津軽の斜陽館を回るパック旅行に行ってきましたが、不特定者の団体旅行の制約上、シャッターチャンスを求めて秋田新幹線の連結場面とか、ローカルの車両を撮りに動き回ることはできず、ヲタ向きの気侭旅ではありません。バス1台分の参加者は卒業したての添乗員(右枠写真16.ワイシャツ姿氏)が息子に見えるような爺婆が圧倒的で、若い客は付添が主でチラホラです。毎朝8:15〜8:30出発で楽ができる日程だからま、いっか。

 考えてみれば「斜陽館」とは津軽の名家自民党の重鎮津島雄二議員の実家をのぞきに行ったんですねぇ。向こう三軒両隣が銀行とか町の中心部で、斜陽館自体がかって旅館営業していたこともあり、間口1間半余のどでか〜い黒塗り金張りの仏壇が建物の一部として作り付けになっていまして、勘当の身分で東京玉川上水で心中した太宰治(津島修治)よりも本家生身の匂いをそこはかと感じてきました。我が隣町の元漁師町の家々の標準的仏壇は押入半間の上段作り付けだけですから開口面積としては漁師町規格の約10倍近くあって、それは代々の名家のものなのでしょう。近年の仏壇は箪笥などの家具のように可搬式として仏具店店頭に並んでいるもので、家に作り付けというのは大変珍しくなりました。(See→写真17.

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 旅程は、東京駅八重洲口の旅行コンダクターのプラカード前に指定時間に直接集合して出欠確認して説明を受け、旅行社の小旗を追って隅の団体入口から東北新幹線ホームに上がり、E2系の指定席に座って北上駅からは観光バスに乗り換えて、宿は秋田男鹿半島と、青森岩木山北面の西武系に泊まり、八郎潟・男鹿半島、五能線乗車で白神山地は十二湖付近を散策、津軽十三湖、竜飛崎灯台、斜陽館を廻って盛岡から新幹線で21時前東京駅帰着の2泊3日コース。

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 E2系は1993年運転開始の東海道新幹線300系に続き1995年に秋田山形新幹線併結運転用として東北・北陸新幹線に投入されたJR東日本での新幹線交流モータ化(VVVFインバータ制御)車種のはずで、中国高速鉄道CRH2の原型車ですが、どちらもデビュー16年以上の古さは感じさせません。初期不良に悩まされ叩かれた300系の陰でマスコミ種となる不具合は認識されず、高速化されての秋田山形新幹線との併結自動解結が話題で+印象でしたから、運行安定性不足もあり逆風をモロに受けた300系より得な存在になりました。そのE2系で乗り心地で目立って感じたのが進行方向の衝撃。0系200系に較べて横揺れが少ない分目立って感じられ、300系も含め加速中に一瞬カクッと加速が途絶えるのは異相セクション通過時の給電先自動切換瞬時停電の衝撃だと判りますし、停車減速中は回生失効らしいと思いましたが、それ以外にも結構感じられて、あれは何でしょう?2パンタグラフ並列運転で実効離線率はかなり低いはずなのに?運行自体には東日本大震災の影響は感じられませんでした。0系200系では横揺れで目立たなかったのですが。7月末時点での仙台−一ノ関間の減速運転とは、かなり高速の制限の模様で、余程気を付けてないと見過ごしてしまいます。仙台停車以降の景色の飛び方が300系のそれより心持ち緩やかで0系時代のそれでした。新幹線開通当初の210km/h〜220km/h制限で最新鋭E5系「はやぶさ」も300km/h運転をしないということかもしれません。近年新幹線の長距離は乗ってないもので、500系、N700系、800系、En系の乗車は総て未体験です。0系200系300系には良く乗ったのですが、秋田山形新幹線はおろか100系すら乗ってませんから鉄ヲタ失格かも?九州・北海道ですと飛行機の方が楽ですからね。

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 中国高速鉄道にこのクラスの車両を提供するというのは性能的にも、開発経年からしても妥当でしょう。要求仕様に対する実性能は余裕十分で、最新最先端ではなく、真似られるのも射程距離というのなら技術供与で稼げるだけ稼ぎ、規格の系統を日本型にして以降の潜在市場確保を策すと。自前で有人宇宙船を開発できる基礎技術力はいずれ他分野にも適用されるので侮れません。日本は敗戦で航空機産業を禁止されて転職した航空機技術者たちが鉄道・自動車に技術適用したことで画期的に高性能化され新幹線敷設の基礎技術となりました。(航空系技術者は解析的アプローチなのに対し、それまでの鉄道研究は生データを採るだけの「研究」で、新たな結論は得ていなかったことを、故山之内秀一郎氏がその著書で大先輩の言を借りて述べています)。CRH2輸出は完成品編成3本、ノックダウン生産部品6本の計9本だけで残る約9割はライセンスによる現地独自生産という酷い条件は日中戦争正当論を掲げる靖国神社の参拝を5度も重ねて支持表明した小泉純一郎首相による想定外の被害だったのでしょうが、中国自体の自主調達でも中国で生産困難な主要・基幹部はOEMなど回り回って日本製が使われると判断。(中国がしたたかだと思ったのはこの酷い条件をICEのCRH3に対しても認めさせ完成品2編成輸入の他はライセンス生産としたことです)。
 かって交流電気機関車の輸入交渉でフランスに対し完成品10両輸入引き合い後に3両輸入を突き付けて輸入交渉を頓挫させ、純国産路線を成功させた裏返しで、ここで中国輸出を断ると欧州側に全部取られたり開発済みの160km/h車両をベースに純中国産開発にされかねないハッキリしたリスクが有ったわけで、テキ側欧州勢の譲歩も同じ理由でしょう。中国産にこだわった工場の車両CRH380B(CRH3-380)は今故障だらけで重大欠陥改修として全車リコール中で代替車としてCRH380A(CRH2-380)が席巻中とか。形式名は同系でも、−BがICE:シーメンス系、−AがE2−1000番台改で、設計ベースが全く違う様ですが。

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 東北新幹線車窓から見える震災の痕跡はほとんど無く、屋根瓦が落ちるなどの被害は千葉の方が目立ちましたが、よくよく見ると積雪に備えた軽量瓦やトタン葺きの模様で、それは深い湿地帯を埋め立てながら被害が目立たなかった花見川区瑞穂の状況と同じです。中越沖地震や鳥取西部地震では重い瓦屋根の家屋が多数潰れましたから重い屋根は鋭い共振周波数を持ち易く、それに一致する地震に弱いということの様です。
 北上駅で観光バスに乗り換えて秋田を目指して東北自動車道に入るとこれが数10m毎のシワだらけで明らかな大地震の痕跡!と思ったのですが、連れ合いは「道路なんてあんのもの」と御託宣。日本の高速道路ってのはとおりは最高級仕上げで路側帯といえど波打ったりしてないものなのですが、秋田に向けて分岐してからは見られなくなりました。今回の東日本大震災は被害範囲が500km以上にも及ぶ大規模なもので、常磐線の路盤が大きく波打ったり、新幹線で1200件以上電柱折損500本余という被害は有りましたが、震度7は栗原付近1地点だけで、新幹線主要構造物本体は被災を免れていて、被害としては大津波が圧倒的、首都圏で液状化損壊被害という「津波地震」だった様です。

 北上線に平行して走る山中の高速道はほとんど2車線区間ですが、中央には上下分離杭が立っていて追い越しには使えないようにされています。かっての中央高速道大月−富士吉田区間が建設当初は2車線対面通行で追い越しによる対向車線はみ出しで致命的な正面衝突事故を繰り返していた愚は避けたようです。中央高速自体が相模湖インター以西にいくつも対面通行区間があり、談合坂サービスエリア付近の4(〜5)車線道が抜きつ抜かれつのまるでサーキット状態だったのに比べて、設備側が過去の大失敗に学んで配慮したのでしょう。

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 五能線は首都圏から見れば場所も詳しくは判らない路線ですが、白神山地が1993年に世界遺産登録されて以降脚光を浴びて観光路線化した線で、秋田から青森に向けて岩木山南側山中を直行する奥羽本線に対し岩木山・白神山地を取り巻いて北側海岸沿いに五所川原と能代を結ぶ147.2kmのローカル線です。(奥羽本線からの分岐駅はすぐ忘れて、その都度調べ直す有様でw、南側は秋田県東能代駅から鉄道建設を嫌った能代を通って伸び、北側は弘前から2駅秋田よりの青森県川辺駅から五所川原へ伸び、更に延長されて両方が繋がり五能線となったもので、リゾートしらかみなど通しの座席指定臨時快速列車が片道4本、普通列車には通し列車が1本も無く、中間の深浦を境に折り返して片道1日5本相当という両端の区間運転が主力の超閑散観光線で、冬の暴風雪が吹き付ける海岸で不通になるのが有名。しかし亜幹線の羽越線も暴風雪で良く停まる様で、裏日本線は何処も風雪に弱い様です)

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 海岸崖沿いを走る暴風雪地帯は海水の飛沫も送配電線に直接掛かるようで、一般用の6000V配電線の碍子が交流電気機関車の屋根上配線の様な多襞の特別高圧碍子状のものを使っていました。東京電力では東京湾岸が特に酷い塩害地帯で、早くから電柱腕木の亜鉛メッキ鉄アングル化と2段碍子化で漏電したり腕木が燃えてしまう事故を防いでいまして、更に交通戦争でダンプが電柱に衝突するたびに電柱が折れて停電していたのを、円心鋳造のPSコンクリート柱に交換してダンプを跳ね返して停電事故を激減させてきました。(=電柱にぶつかったトラックの方がお陀仏というわけで、激しい衝撃で命を喪う運転手が増えてもぶつかった方が悪い!という割り切りです。事故停電により、本来救えたはずの命を取り逃がすリスクもあって難しいのですが、配電線の地下化で電柱を無くすとダンプがもっと速度を上げて事故リスクを増すのもあって、その逆効果も困ったもの。それでも衝撃条件次第で電柱が折れる事故はみられます)。青森の海岸通りでその2段碍子絶縁より厳重な特別高圧20kV並の絶縁というのは、冬の荒天で海水が直で高圧配電線を襲うからなのでしょう。
 特別高圧送電線が3相1回線というのも初めてみました(写真8.十二湖付近)。首都圏では特高受電事業所への配電線ですら予備回線付きの3相2回線6本で送られていて(写真10.See→ 大映・日活撮影所向特高配電線)、国立の鉄道総研や千葉の習志野工業団地(日立等)への特別高圧配電線が1回線3本(写真9.)というのが極めて珍しい存在です。更にGoogle Earthで十二湖付近の送電線の様子を見ますと、送電線下の森林がず〜〜〜っと刈り込まれて筋になって見えます。激しい雪害対策なのでしょうか?東日本の日本海側というのは住むには大変なところですね。

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 五能線の秋田白神駅(写真4.〜5.)から十二湖駅まで26.5kmは両運転台キハ40型2連の下り普通列車(写真12.)に乗って、十二湖観光白神山地散策の雰囲気の盛り上げ。海岸崖中腹を通る絶景地点では最徐行運転で景色をみせてくれます。降車精算の路線バスみたいなワンマンカーで、無人駅の改札は大変そうと思ったら、2両とも乗客の多くはツアーの団体客がバス3台分乗り合わせていて、個人客はほとんどみられません。十二湖駅で他のツアー団体客と入替になりました。
 久し振りに本線レールで木製枕木を見掛けましたが、制動区間などでは7本に1本くらいはPSコンクリート枕木が入っていてレール締結装置はパンドロール(写真19.See→日記#181)を使っています。かって内房線の外房区間(千倉−安房鴨川間)などは木製枕木で軽量レールの線路がのたうって捻れていましたが、その酷い整備水準とは格段に違います。

 運転台のATS車上装置は位置基準車上演算式のATS-Psが自動投入で働いていて、路線の両端など錯綜区間に設置のパターン地上子に応答する体制になっています。(乗車した路線の中間はATS-Sn機能の模様でパターン動作はしなかった様に見受けられます)。人気の高い観光ローカル線の安全確保についてJR東日本は結構気を遣っているように見えました。
 信号が「特殊自動、電子閉塞式」としますと、線路脇に通信回線と6000V高圧線が見えるはずなのですが、写真4.などをみても鉄道用回線は見分けられませんでした。信号用交流電源は自前の専用回線は持たず電力会社から直接供給を受けているのかもしれません。原発炉心溶融建屋爆発事故を承けた東電の無計画停電で多数の東電配電区から信号電源を直接受電する相模線が通勤線ながらほとんど停まってしまったのをみても輸送量のある路線は線路併設の信号高圧線から1区給電にして置くべきだと思いましたが、五能線中央部の1日に往復18本52両の交通量では、交換の駅毎に電力会社から給電して貰うのは仕方ないですね。

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 運転士がカブリ付きをかなり気にする様子で繰り返し振り返ります。どうやら半可通のオタが乗務員の一挙一動を密告するたびに呼び出されて追及されるのを嫌うためらしい。首都圏の電車の運転台後のガラスにも「乗務員は業務で携帯電話を使うことがあります」というシールが貼ってあり、無用の密告が相次いだことを窺わせます。そういう乗務員敵視の目で無用な監視をするから、遮光幕は閉められ、吊した上着と鞄で前が見えないようにされるのでしょう。敵意の密告で会社組織の支配系統で現場を凹ませるしか自分の「深い知識」を表明できないというヲタどもはかなり下劣な品性にみえます。見過ごせない問題を感じたら先ずは直接苦情を言った方がまともな関係ができるでしょう。(See→日記#104:強風鉄橋上で強風抑止に乗客抗議)。そうした乗客からのクレームを会社がきちんと集約し対策を取るようになれば各JRの職場も正常化したと言えるのですが、乗客からの申告を苦情窓口に絞って障壁として捨ててしまい、現場からの情報を徹底排除し、上意下達一本槍のうちは絶対に改善されません。

   <10>

 青森県に入って特に目立ったのは(写真2.)「原子燃料サイクル事業推進特別対策事業」「財団法人むつ小川原地域・産業振興財団」という整備者名の入った真新しい銘板・看板の類。使用済み核燃料の再処理施設と「中間貯蔵施設」を受け容れた見返りに、観光地などには公衆トイレや、案内看板、安全柵などを設置、奥十二湖の山ハイキングコースには総て階段が整備され、木材チップを敷き詰めてフワフワになっていて、観光客の爺婆でも足を痛めず山歩きができて、適当な時間間隔でトイレにも行けると、各設備毎にかなり丁寧に事業名入り解説看板を設置しています。まともに説明したのでは原子力関連施設など受け容れられないから自治体・政治家を動かすなど搦め手から印象操作でも攻めていると。

   <11>

 十二湖は大地震による山の斜面の大規模崩壊で川が堰き止められて多数の土砂ダムが出来て、現在33湖が残っていて、崩壊元からみると十二湖がみえるとか、10,000m2以上の湖が十二あるとか言われていますが、その遠景には大きな崩落跡が2箇所みえています(写真7.)。奥側の標高の高い崩落が十二湖を生成した崩落で、手前側は「日本キャニオン」と呼ぶそうですが、崩落の規模は遠い奥側が何倍とか。十二湖とはまさに「土砂崩れダム」そのものです。手前側の日本キャニオンも大規模な崩落ですが、「水による山の浸食」というのは、山体が非常に長いスパンでこういう激しい崩落を繰り返して深い谷が出来るのであって、どうも、表面の土をチョロチョロ削る程度の穏やかなものではない気がしてきました。紀伊半島和歌山奈良両県の豪雨による大規模深層崩壊も、まんまですから、気象の激しい波で大規模深層崩壊が繰り返されたと考える方が実態に合っているのではないでしょうか?図18.に同様の大規模崩壊である富山県の立山カルデラ砂防工事の軌道図を挙げておきます。ここの土砂が常願寺川に流れて富山平野で天井川となり氾濫を繰り返しています。この崩落領域にあった立山温泉は危険のため廃止されています。
 十二湖の堰止め湖はみな不思議な色合いで、青池などは銅イオン溶液を彷彿させる色(写真6.)ですが、発色の原因は何なんでしょう?

   <12>

 竜飛崎灯台と階段国道まで行きながら、すぐ近くの青函トンネル記念館はパスというのはどういう訳か?と添乗員に尋ねると「コース外のことは分かりません」て、勉強が足らない!風の便りでは青函トンネルを新幹線併用化する工事を行っていて、その地上ベースとなる敷地内の記念館は休館中というのは聞いていましたから、少しイジワル。迂回通路を設けて公開を続ければ良いものをと思いましたが、工事に使う竜飛駅への斜坑トンネルはたしか記念館の中でしたね。写真16.は竜飛岬を歌い込んだ「津軽海峡冬景色」第2番の歌碑で、ボタンを押すと2番だけ演奏しますが、良く見ると右奥に1番の歌詞を小さな文字で刻んだ歌碑と左側に♪さ〜よならあなた〜♪のサビ部歌碑も並んでいます。作詞は阿久悠、作曲・編曲は三木たかしで石川さゆりさんが歌って大ヒットの曲でした。

   <13>

 酷く酔って甚だトンマをやったのが岩木山北東山麓のホテルの深夜の温泉露天風呂。1フロア40室も真っ直ぐに並ぶ建物の南端にだけエレベータと階段があり、その北端から1部屋手前に入って、1階北端に露天風呂が有って湯冷めしそうな距離を延々歩いて通う合宿所まがいの変な構造の宿だったのですが、浴衣姿で通った深夜の露天風呂の空は丁度新月前で月はなく東京近郊では絶対見えない満天の圧倒されるような星空に銀河と左に倒れたカシオペヤ座のWを発見!そのWの交点延長線上10数倍に北極星があるはずで、更に先には北斗七星も見えるはずと、眼鏡のない裸眼で捜したのですが、全然見つからず、かなり近いところに明るい星があって、北極星にしては近すぎで、Wが見えてるのにおかしいなぁ?と思いながら翌朝出発に備えて部屋に戻って寝たのですが、翌朝目覚めて気付いたのは、北極星はW字の上方方向で、それなのに逆方向の下側を捜していたということ。明るくなってはもう見えません。実際は左手の木陰あたりに見えていたのでしょうか?天文学なんて中学理科で終わりですし、首都圏の夜は空気が光って星はほとんど見えません。せいぜい金星が宵の明星・明けの明星で飛行機の着陸灯のような輝きで見えていたり、木星、火星が並んで見えたりに気付く程度で、長らくは星を意図してみてませんでしたから、ほとんど忘却の彼方のことでした。昨年後半は未明の東の空に宵の明星がギラギラ光っていましたが、恒星は空気の濁りに勝てず特に明るい物だけがボケ〜〜ッとしか見えません。

   <14>

 かなかな蝉が日の出直後に暫く鳴いて、おとなしくなり、 朝の空気の澄んでいる間だけ岩木山がくっきりと見えていました。この山は通称津軽富士でコニーデ式火山(積層型)とされていますが、弘前市公式サイトには外輪山付きとなっており、それだと伊豆大島三原山の方が似ていそう。箱根山や阿蘇山では外輪山が大きすぎて中央峰が遠くからは見えませんから違います。
 津軽平野の何処からも見える単独峰で東京に出てきた出身者にとってはなかなか帰れなかった懐かしい故郷の山で、行きつけの消防署前カラオケスナックでは思い入れたっぷりに♪お岩木やま〜よ、見えだかお父う♪(「津軽平野」吉幾三/You Tubeほか)と歌われていました。(写真14.)新幹線新青森開通で時間的距離は大いに短縮されましたが、リーマンショック以来の労働条件の極端な低下で帰省費用捻出が苦しく、今もなお遠くに在りて想うものなのかもしれません。

   <15>

 男鹿の宿では、最近補助金により劇場を建てて街ぐるみで夜な夜な迫力有る「なまはげ太鼓」の演奏をしての町おこしと見受けました。宿の若主人などが衣装に着替えて集団演奏に参加、なかなかの迫力でした。
 そこで少し気になったのが、太鼓の音が若干くぐもった感じに聞こえて、それが私自身の耳の老化現象で骨伝導系が硬くなって混変調歪みを起こしているためなのか、それともバチの返りを演奏者の手が押さえてしまいくぐもった感じになるのか聞き分けられませんでした。
 我が町三多摩には古くから活動して、去年の4〜5月に国連軍縮会議目掛けてニューヨークまで出掛けて和太鼓演奏アトラクションで核廃絶合意を訴えてきた和太鼓グループがあり、地元でも大きな取り組みがあると出演申し入れに来られて、主催者裏方と出演料交渉で、「運動協賛支援なんだから実費にしてよ〜。予算が無いんだから〜」時々「シッ、シッ!」とか生臭い話をするのですが、公共の会場ですとあまりの大音響に管理職員が驚いて駆け上がってくるのを予想して、演奏開始と同時にエレベータを会場階で確保して受付階からは乗れなくして、職員が階段を上がる時間を確保、上がってきて音量に苦情を述べている間は平謝りで時間を稼ぎ演奏の終了まで頑張る苦情承り係の配置が必要で、抗議側職員もイヴェントが繰り返されるうちに次第に慣れてきて抗議の姿勢を示すに留まる様になりましたが、その経験深い和太鼓演奏団の音の方が切れ味良く感じるのです。出自は地域の合唱団で、音楽的素養のある人達が多く混じっていますから、長期間の演奏活動の中で音を作ってきているのかもしれません。それとも、私の耳の急激な劣化で詰まって聞こえるのでしょうか?周波数特性でみても、かっては19.8kHzまでは聞こえていたのに、今は8kHzあたりから感度が落ちて11.5kHzまでしか聞こえなくなって、大部前からTV受像器の発する水平偏向周波数15.750kHzの騒音が聞こえなくなっていましたから、演奏側なのか、耳側の劣化なのか、どちらに原因があるのか確信が持てないのです。あの周波数は音声回路には出力されていない様ですから、CRT陽極加速高電圧発生と水平偏向出力のフライバックトランス廻りの磁歪音か静電歪み音でしょう。

   <16>

 八郎潟干拓記念館関係は前ページ:日記#284#gの第2節をご覧下さい。浚渫土砂で埋め立てた浦安市・花見川区などが激しい液状化現象に見舞われたことに納得がいきます。

 津軽半島にこんな大きな湖が有ったなんて全然認識していませんでした。岩木川の河口湖、十三湖!こちらはアイヌ語出典で、湖の数とは無関係だそうです。時刻表の地図ではわずかな凹みで、知らないと見過ごしますね〜。(写真15.)。千畳敷海岸も同様知られていませんで、九州宮崎の日南海岸ならヒットしたPRソングまであって「鬼の洗濯板」などと全国に知られていますが、ここはマイナーです。(写真11.、写真13.)。もっとエキセントリックな要素のあるポイントですと、竜飛岬とか、立待岬(函館)に知床の岬、札幌、小樽とメジャーになるのでしょうか。

 今度の旅は、最初の台風キャンセルからして不運続きで、4月にシャッター不調で修理に出した一眼レフカメラが7月に再びシャッターが切れなくなって、外部ストロボとのシンクロ不良もあって修理中で戻ってこず、10年余昔の旧型コンデジを引っ張り出してきてピンチヒッターとしたものの、電源投入から撮影まで10秒以上待たされるスローモー機で、ランダムに動いてるものは撮影できません。銀塩カメラでは軽快だったOM2/M1を出していた会社が、なんでこんなに鈍重なデジカメを出すことになったのでしょうか?初のデジカメで、手動焦点がなくて暗い場所の撮影ができないとか、ゴミがファインダーに入りやすいとか苦労したカメラ(C-720)で、ズーム倍率が大きかったので資料収集に使ったものでした。
 その不運の旅を締めて、東京駅から帰宅の総武快速線で人身事故不通に巻き込まれて、船橋から迂回乗車の京成千葉線幕張本郷駅でその総武緩行線上りの事故列車を眺めることになりました。現場は京成と総武緩行線の島式ホームが並行していて、さらに土地境界に線路一本分くらいのスペースがあるので、京成の下り線から総武上り線事故現場が丸見えなのです。(See→ゲストブック2011/8/2 参照)。
 不運は重なるもので、お盆の後9月に請求された4月からのカメラ修理費は閉めて\47,000.に達し、外部ストロボ・オートの露光不適正の方は「修理」後も変わらずで、踏んだり蹴ったりでした。ダメなときは思い切って新品に乗り換えた方が良かったかも知れません。フラッシュはガイドナンバーを距離で割った絞り値に設定の完全手動で使うこととして、被害が金で済んで幸運と思うようにしましょう。

2011/09/23 23:55

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