[169]

BBS
BBS
mail to: adrs
旧
新
Diary INDEX
Geo日記
戻る
LIST
主目次


やはり刑事訴追問題が!尼崎事故
 事故調報告書を分かりにくくした処罰優先主義

JR西の元大阪支社長、参考人として聴取
 宝塚線事故
     2007年09月15日 asahi.com

 乗客ら107人が死亡した05年4月のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で、兵庫県警捜査本部(尼崎東署)が、JR西日本大阪支社の橋本光人元支社長を参考人として事情聴取していたことが14日、わかった。橋本元支社長が鉄道本部運輸部長時代の01年ごろ、社内会議で新型の自動列車停止装置(ATS―P)を含む保安システムの早期整備を主張していたことが判明。その後、整備が進まなかった経緯などを聴いたとみられる。

 国土交通省航空・鉄道事故調査委員会が6月末に最終報告書を公表後、捜査本部が事故当時のJR西日本幹部から事情を聴いたのは初めて。捜査本部は、幹部らの業務上過失致死傷容疑での立件の可否を見極めるため、詰めの捜査を本格化させている。

 事故時、宝塚線には旧型のATSしかなく、カーブや赤信号までの最良の減速パターンを割り出し、これに合わない運転にブレーキをかける新型は05年6月から全面的に導入する計画だった。

 事故調の最終報告書などによると、JR西は全面導入に先立ち、新型の拠点的な整備を03年9月に決めたが、据え置いていた。捜査本部は、整備の遅れを招いた経営背景の解明や、業務上過失致死傷での立件に不可欠な事故の「予見可能性」の立証材料を導き出すため、今後も複数の幹部らから事情聴取する方針。

 最終報告書では、カーブへの新型整備は国の義務づけがなく、JR西が緊急性を認識するのは「容易ではなかった」とする一方、事故現場のカーブには「優先的に設置すべきだった」と指摘。整備されていれば「事故の発生は回避できた」と推定している。

 捜査本部は、最終報告書とこれまでの捜査内容の照合を進めてきた。その結果、「懲罰的な日勤教育」や「過密ダイヤ」などの要因より、新型ATSの未整備が最も重要と判断したとみられる。
   http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200709140083.html

 9/15各紙報道に依れば右枠の通り事故現場へのATS-P設置遅れがなければ事故を防げたことを重く見て、社内会議で新型の自動列車停止装置(ATS-P)を含む保安システムの早期整備を鉄道本部運輸部長時代に主張していた橋本元支社長が参考人として事情聴取されたという。事故調最終報告書を承けて警察がその元運輸部長証言を元に事故の犯人捜しを始めたということだ。

 事故発生に物理的に直結という点では当該運転士を心理的に追い詰めたが人によりその反応が違う懲罰的日勤教育よりも、過速度防止装置不設置の方が事故発生要因としては明確だから起訴したら有罪判決を得やすいが、設計する人手がないほどのリストラ首切り合理化をした経営側の責任に行き着いて、作業選択権:処分権のない現場への処罰は社会正義とは無縁のものとなり無茶だろう。しかも信号ATSは絶対条件として総ての絶対信号に設置されるが、曲線過速度照査ATS-Pは450R以下に後からボチボチ設置される訳で、仮に事故前の'05/03に信号ATS-P設置完了であっても曲線速照も'05/04/25までに設置完了だったかどうかは疑わしいから尚更実務者個人の刑事責任追及には無理がある。
 事故の予見可能性について、システム設計者が問われれば当然危険性有りの結論以外にないが、減らされた人員での課題に忙殺されて、方針決定者からの特別の諮問がない限り改めて判断しないだろうし、「経験工学」と言われる鉄道業界で事故調報告も指摘する「曲線転覆はまず無い」という「職場の常識」に邪魔されて逆の結論はなかなか出し難かったのではないだろうか。強いて責任ありとすれば実務側ではなくデスク側だろう。残る大穴のATS-Sの冒進に速度制限がない件についての警告の意味を込めてデスク側こそ送検・以後の安全対応を待って起訴猶予程度の措置は妥当かもしれない。

 しかしながら道義的責任であればJR各社ばかりか、その指導監督庁たる国土交通省、運輸省にあるのは明白だ。'67年の私鉄ATS仕様通達(S42年鉄運第11号通達)は大変優れたものだが衝突防止、信号遵守ATSの必要機能を定めたもの。その通達の直後に多発した分岐器での過速度転覆事故や函館本線大沼付近の峠越え急勾配区間で3度も繰り返された曲線過速度転覆事故について運輸省は総て当事者である国鉄・JR任せにして必要な指導・通達を出していない。'67/01私鉄ATS通達の内容を見る限り、また'06/03技術基準改定を見る限り運輸省・国交省に通達を出し得る技術的能力は充分にあったにもかかわらず放置し、国鉄分割民営化に当たってはアベコベにその前夜付けで私鉄ATS通達を廃止して、欠陥ATS-S/ATS-Bを存続させ、東中野事故、北殿事故、宿毛事故など案の定の事故に到っている。その指導監督責任は(刑事責任の有無は別として)決して軽くない。

 福知山線尼崎事故('05/04/25)発生直後、警察は事故調に鑑定要請して捜査を保留し、事故調最終報告書を待っての今回の事情聴取ではある。それまでは日比谷線中目黒事故(00/03/08)に見られるように事故調・鉄道専門家を押しのけて勝手に線路を取り外して押収してしまい厳密な再現実験を不可能にし、また管理値からの逸脱度で直ちに列車を止めるか否か、速度制限するか、即時補修か、一定期間を置いての補修か、定期補修に組み入れるかなどを分けている保線管理基準を無視して単に管理基準を超えたというだけで無実の保線労働者を送検したり、トンネル火災時の具体的な処分の前例で、運転規則通り危険な長大北陸トンネル内で停止して消火する他なかった急行きたぐに乗務員たちを長期の刑事裁判に晒したりと、疑わしきは罰せずの刑事裁判の基本原則を無視して末端現場労働者の人身御供型刑事処分で事故の幕引きを図る悪しき慣行ができあがっていた。
 トンネル外に引き出して安全に消火を成功させた特急日本海乗務員を「規則違反」として処分して後の急行きたぐにトンネル火災事故で30名を死なせ714名を負傷させる引き金を引いたデスク側を刑事処分にしたのならまだ納得が行くが、これでは社会正義もクソもなく警察・検察によるただの弱い者虐めに過ぎない。

 判決では乗務員の信号見落としとして決着させた参宮線六軒駅転覆衝突事故(56/10/15)についても、信号と分岐と閉塞のタイミングを追えば乗務員の主張通り直前転換(=駅側の信号操作遅れエラー)の可能性を全面否定はできず(=閉塞通行権を松坂駅側に切り換えただけで、それと一体で優先されるべき対向側通過信号機等の停止操作が遅れた可能性を否定しきれず)、疑わしきは罰しない刑事裁判の原則に照らせば灰色無罪のケースだが、駅側ではなく、乗務員側を生け贄に決着を図っている。
 情状として考えても、重連運転では非常制動が全客車には通らない現象を一部勾配線区では全車改良していたのに、全国では放置していたため停まり切れなかったとか、現在は採用されている対向側の同時進入禁止規則により待機列車が定位置に停車するまでは通過列車も場内に進入できない運行を定めていれば対向列車は遠方信号注意現示45km/h、場内信号停止現示で減速しており約100mで停まれるから、判決通り衝突まで30秒差もあって少なくとも重大事故は避けられていた訳で、現場の駅員・乗務員の責任だけに限ることはできなかった。対向列車に対する通過信号(:場内信号併設、出発信号連動)は待機列車が到着までは注意現示ではないかと思う。待機列車が到着前に対向通過側列車に向けた出発信号が進行になることはなく、正しい信号操作ならこれに連動すべき通過信号を進行にすることはないはずだ(∵双方停止で交換の指示)。慣れない列車交換で駅側が手順を間違えていた可能性は否定できないのだ。

 一方で鶴見事故(63/11/09)のように事故車ワラ1型の走行試験をワム60000類似車だとして省略したため軽荷重時の不安定な走行特性を見逃して事故に到ったことを38年間も完璧に伏せて(公式発表は今も行われていない)事故発生当事者による狩勝峠実験線での大規模な実車脱線実験パフォーマンスで得られた各種有用な改善策実施に紛れさせて一種原因不明論である「競合脱線」説で逃げ切られる様な不透明な事態も起こっている。脱線防止に極めて有用だった2段リンク化と云い(それは事実だが)事故車ワラ1型は元々2段リンク構造であって鶴見事故の原因では有り得ず、実際は軸距変更等サスペンション関係に別の変更を加えている。この時得られた曲線出口緩和曲線でのカント逓減捩れによる輪重抜け問題と、それに対応するガードレール設置基準が公にされ、あるいは運輸省通達として設置指導基準になって国鉄以外の他の鉄道事業者にも徹底していれば'00/03の日比谷線中目黒事故は最低約30mほどのガードレール設置で起こらないで済んだ可能性はある。

 こうした鉄道人として納得のいかない苦い経験から物言いは慎重にならざるを得ず、また事故調査報告では本来原因として最も有り得る要因を並列指摘して必要な対策を求めれば済むものだが、刑事事件の報告書としては真の原因が発生確率としては低い要因かもしれず、比較可能性で処罰する訳にはいかないから異なる結論になる場合が起こる。そういう性格の違いを無視して刑事事件の鑑定書として使われるのだから、その記述は確たる事実と、最も有り得る可能性とを明確に分けて記述する必要があって、いきおい一般国民には一読では分からない複雑な記述のものになってしまう。それでは何のための事故調報告か!と。尼崎事故最終報告書への非難の多くはこの刑事事件化を配慮した解りにくい記述の問題が絡んでいる。
 会社組織への処罰規定がなく個人にのみ刑事責任を負わせる処罰体系に問題があり、更に末端現場労働者への人身御供的処罰で幕引きを図る警察・検察のやり方に大きな問題がある。予見可能性を云う場合、公共輸送機関はリスクを押しても運行を求められており、その判断水準が当たらず事故に到れば刑事責任を問われるが、予見できなければ無処罰なら余計なファクターは研究しない方が処罰されずに済む。いわば天気予報を外したら刑事罰的なやり方は、却って安全追求を阻害しかねない。羽越線事故でのダウンバースト予測の様に運良く救えればいいが、外して転覆してしまったら予見可能性なしのままの方が変な刑事罰を受けずに済む。検察が安易に生け贄処罰主義で片付けるのなら新たな研究はしない方が身の安全は保障されるのだ。
 公共輸送機関の事故についてはそろそろ欧米並みの免責条項を設けて徹底した原因究明を行うべき時にきている。

2007/09/20 23:55
旧
新