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早発は衝突原因ではない、上海列車衝突事故

【上海衝突事故の原因】

上海列車事故 双方に過失 新事実、当局が再調査

毎日新聞2017年11月17日 04時00分(最終更新 11月17日 07時02分)
https://mainichi.jp/articles/20171117/k00/00m/030/121000c?fm=mnm

 中国・上海で1988年3月24日、高知学芸高校の修学旅行生らを乗せた列車が対向列車と正面衝突し、生徒ら29人が死亡した事故で、原因は中国政府が日本側に報告した「生徒らの列車の運転士による信号見落とし」だけでなく、対向列車がダイヤより2分早く出発するミスも重なっていたことが、中国の鉄道当局の資料で明らかになった。事故直後、遺族側は対向列車の過失も指摘していたが、中国当局は事故調査に基づき生徒らの列車運転士だけに刑事罰を科して幕引きしていた。しかし実際は、その後の再調査で遺族側の主張を認めていたことになる。

 生徒らを乗せた311号列車は対向の208号列車と同一線路上を走りながら近づいていた。仮に208号がダイヤ通りに出発していれば311号の存在により遠くから気づき、被害を軽減できた可能性がある。

 毎日新聞が入手したのは中国鉄路総公司(旧・中国鉄道省)傘下「中国鉄道出版社」が2016年7月に発行した鉄道事故再発防止用資料。中国側がどのような経緯で再調査をしたのか不明だが、資料は高速鉄道などの安全管理とリスク予防を強化する実務的な目的で編集されている。

 資料によると、311号列車は現地時間24日午後2時7分、真如駅(現・上海西駅)を出発。ダイヤでは、途中の匡巷(きょうこう)駅に到着した後、側道で8分間停車して208号列車の通過を待つように義務づけられていた。だが信号を見落としてブレーキをかけたが間に合わず、ポイントを壊して本線を走り、2時19分に正面衝突した。
 中国当局は88年4月の事故調査報告書に基づき、事故原因を「311号の運転士と運転助手がぼんやりして集中力を欠き、信号を見る責任を果たさなかった」と断定、日本側に報告した。上海鉄路運輸中級法院は運転士に懲役6年6月、助手に同3年の実刑判決をそれぞれ言い渡し、事故原因を確定した。  一方、再発防止資料はダイヤと実際の運行を比較したうえで、208号は一つ手前の封浜駅をダイヤより2分早い2時11分に出発していたと明らかにし、事故は「封浜駅による配車に関する規則違反と関係がある」と明記している。
 88年5月に来日した中国上海列車事故慰問団(団長=韓杼浜(かんちょひん)・上海鉄路局長)が遺族の質疑応答を受けた際、遺族側は「208号もダイヤで指示された時刻よりも早く到着していなかったか」と事実確認を求めたが、中国側は208号側のミスを否定した。対向列車の過失について中国当局は日本側に伝えておらず、事故原因の究明で遺族は置き去りにされている。【西岡省二】

 【ことば】上海列車事故

 1988年3月24日、上海市郊外で、南京(江蘇省)発杭州(浙江省)行き列車が、単線区間を対向してきた長沙(湖南省)発上海行き列車と正面衝突した。高知学芸高校の修学旅行生ら193人のうち生徒27人と引率教諭1人が死亡し、多数の生徒が重軽傷を負った。対向列車でも中国人列車乗務員1人が犠牲になった。

上海列車事故
報告書書き換え求める声 高知学芸高の遺族

https://mainichi.jp/articles/20171118/k00/00m/040/034000c
 毎日新聞2017年11月17日 19時16分(最終更新 11月17日 19時16分)

 中国・上海で1988年3月、高知学芸高校(高知市槙山町)の生徒ら29人が死亡した列車事故で、毎日新聞が17日朝刊で「生徒らが乗った列車の運転士による信号見落とし以外にも対向列車のミスも重なった」と中国鉄道当局の再調査に基づく事故原因分析を報じたことを受け、遺族からは同校が2009年3月に作成した事故報告書は「事故原因の分析や反省が不十分」として、書き換えを求める声が出始めた。

 遺族の一人、中田喜美子さん(70)は17日、「対向列車の過失は当時から遺族が指摘してきたことで、ようやくそれが証明された。新資料に基づき事故報告書の書き直しを進めてほしい」と語った。また、中国側が再発防止資料の中で新たな事故原因分析を加えていたことに触れ、「現地の下見をしなかった学校側も事故の教訓をしっかり記録に残し、再発防止の姿勢を示してほしい」と訴えた。

 同校の橋本和紀校長は「事実関係を確認したうえで事故報告書をどうするかも含めて今後の対応を考えたい」とコメントしている。

 事故後の対応で学芸高や遺族の側面支援をしてきた高知県も、事故原因に関する新資料の収集に乗り出すなど対応に追われた。【西岡省二】

 毎日新聞が、上海列車事故の原因について、事故に到るミスは乗務員の信号見落とし冒進だけではなく「対向列車の早発」ミスも「原因」であることが、「中国の鉄道当局の資料で明らかになった」としている。同じソースからの情報として差違は重大に思える。

 しかし、それは中国鉄道局の「事故原因発表」と、「事故経過報告」の微妙な違いに気づかず「原因変更」と誤解した毎日新聞西岡省二記者側のエラーである。 衝突防止を担う「信号系」と、その支配下の「運行系」で生ずるたまたまのタイミングが事故結果に悪影響した可能性にあることの混同であり、衝突原因としては「停止信号を見落として、通行権のない逆線に侵入したため、通行権のある列車と正面衝突事故に到った」という中国鉄道当局の当時の説明は妥当である。

 運行としては早発のミスを冒していて、それは懲罰対象のエラーではあり、最近の筑波エクスプレスが15秒の早発で謝罪声明を出したことが欧米メディアに驚きを以て報じていたが、正規の通行権を持つ区間への信号に従った正当な進入であり、ダイヤ変更として予め早発決定していれば全く問題なかった。 日本の信楽高原鐵道正面衝突事故では、事前の異常動作・異常現象の繰り返しに気付きながら、規定に反して報告せず放置したミスを問われたが、上海事故にはそれはなく、対向側に衝突事故の責任はない。早発ミスで、たまたま最悪のタイミングで冒進対向列車に向かってしまった「不運」はあるが、衝突防止を司る信号系の指示には違反していないのだ。

 当時の中国のATSなどの保安装置(安全装置)の不備で、列車を停止信号手前に強制的に停車させることができなかったから発生したもので、日本でも同年12月5日には中央緩行線東中野駅でATS-B下で追突死亡事故を起こしているし、翌年4月13日、飯田線北殿駅でATS-S下で正面衝突事故を起こしていて、安全システムとしては大差なく、バラバラに壊れた中国の客車構造の脆弱さが驚かれたものだった。

 毎日新聞も、鉄道に詳しい記者群を養成しておき、そこのチェックを受けてから表の記事にすれば良いものを、若干、功を焦りすぎているきらいはある。 東京新宿工学院大で2年単位で繰り返されている社会人鉄道講座に若手・中堅記者を派遣していた新聞社もいくつかあって、それらのメンバーで専門担当グループを形成できていたらストップが掛かった可能性ありと思うが、この件の他紙の報道状況はどうだろうか? 信楽高原鐵道事故調査本の京都新聞はその執筆記者を派遣(日記#402-8.3右枠)していて、それに気付いてちゃっかり著者サインを戴いてきた。

著者サインをねだる!@鉄道講座聴講
「検証 信楽列車事故」京都新聞 鈴木哲法記者
(文系本ではサインなど貰ったことはないが・・・)

マッチポンプ・スクープは
  如何なものか!毎日新聞  <2>

 第一報から12時間14分後の記事だから、勢いそのままにエラーを引きずったものと思われるが、専門家には相談することなく記者個人の判断で暴走を続けて惨事被災者遺族の談話記事を出していますが、誤った前提での談話は求められた方が気の毒だろう。半日有れば鉄道関係者に確認を求めることも可能なのに、編集部としてそれもしていない。チェックがかなりルーズだったパソコン誌でさえ持ち込み原稿に対して編集部が資料を調べてチェックしていたというのに、新聞社としてルーズすぎないか。

 他紙にも同様の誤報はあって、毎日だけが特別といういうのではないが、「印象に残る」誤報というのはあり、どうしても気になってしまう。 たとえば羽越線突風転覆事故(2005/12/25)での「風の息社説」では、気象用語である「風の息」が非科学的だという誤った世論に迎合して、全面撤回してしまい、沿線の無人駅化で従前、地上で「風の息」を読んで列車抑止をしていた駅長格の人員をすべて削減したために強風を感じて止める人が居なかった問題を伏せてしまった2重エラーが残った。 あの社説のミスは、高速走行中の乗務員に「風の息」を読むことを求めた見当外れにあり、「風の息」そのものではない。 報道も撤回もいい加減なのは非常に良くない。
 また、我が某社の新入社員合宿研修で、80余名の新人たちを合宿所前庭に2列に並ばせて旧帝国陸軍式の対向ビンタ研修を行わせるなどパワハラ研修を強行した。 その正当性を強弁する会社側を糾弾して、労働組合として組合員総掛かりで事実調査を重ねて人権侵害救済申し立てを行い、同日、記者クラブに申し入れて記者会見を行い、労働組合名義の訴状の写しなど必要資料を渡して状況説明したのだが、試用期間中で正式採用前の新人被害者たちの報復解雇を想定して表には出さず、労働組合名の提訴になっていることの説明はしているのに、毎日新聞一紙だけが「新入社員の告発」と煽ってしまい、当方からの強い抗議に対しても編集部副部長氏が「そう聞いた」と言い張って訂正を断固拒否、押し通してしまった。 記者会見場で参加全社に渡した資料のトップに置いた訴状の冒頭ページには提訴者として労働組合名・中央執行委員長名が明記されていて、被害者である新入社員たちの名前はなかったから、毎日新聞だけは訴状という基本資料も全く見ずに書き飛ばしていたことになるのに、それでも撤回しなかったのだ。 この体質が今も続いているように感じてならない。 対向ビンタ被害者のうち労働組合側に状況説明したと目された職場の新人たちの正式採用発表が、例年より一ヶ月遅れたのは、世論の厳しい糾弾の中、採用拒否まではできなかったものの、嫌がらせの報復措置だったと思っている。 売らんかなの記事では信頼を無くしていくだけなのに改まっていないのか。(この項 2017/12/03 01:00追記)

2017/11/18 01:30

24年振りにクラス会開催
  九十九里浜に多数参集  <3>

 卒業以来9回目のクラス会開催! 24年ぶりの開催ながら21名もの参加で宴会は大いに盛り上がって大盛会でした。 しかし子細にみますと、どうしても喋りたい人が何人か居り、事実上、場の話題を制圧する形になり、皆の近況を平等にとは行ってないようであります。 2年前の「クラス会開催準備打合会」の時には、乾杯後の冒頭から20分間しゃべり続けて突然人事不省に陥り、烈しい症状に驚いて救急車の出動となった苦い記憶もあって、今回はキッチン・タイマーを置いて時間制限したため参加者全員発言は実現できましたが、その後はもう迫力勝ちで、場の話題との脈絡もクソもなく、ひたすら話し続ける状況で、日常生活では自由に話せる場がないのかなぁなどと思いながら、当方、裏方組織者としてはズ〜と引いて皆様のお話を伺ってきました。
 宴会場は2時間きっかりで追い出されてしまいましたが、その状態は宿の部屋に戻っての2次会でもあまり変わらず、在学中の昔から引きがちだった「アナログ計算機試作組」など全員揃ったのにwikipediaへのデータ写真提供の話題も出す間もなく翌朝送迎バスへの流れ解散となってしまいました。
 まぁ、不当なwikipedia無期限投稿阻止処分により、データ写真投稿の道は永久に断たれているので提供の合意は得なくても実質は関係ありませんが、場を支配する主たる発言の卓越ノイズを除いてのそれぞれ実体験の断片的な話はあって、それぞれ興味深く聞いてきました。
 幹事側が打合せ不足のドジをして予算にはあった「特別料理」を頼み忘れてその分が全額返還だったのですが、誰からも苦情は出ずOK!
 宿の予約時には「クラス会に2時間制限は厳格には適用しない」と言っていたのに、宿側の約束違反!追い出しにくいようにタイムテーブルを会場壁に貼ってしまえば良かった!と思いましたが後の祭り、「国民宿舎」と「食べ放題」の両方で厳しい規制を受けたようで、次回開催ではもっと緩い他の宿を捜しましょう。 地元千葉育ちにとっては、かって美味い蟹は渡り蟹など日常の総菜で食べ慣れており、ヤドカリの「カニの食べ放題」にあまり御馳走感がなくてチープに映るのでしょう。 かっては、夕食のおかずに一人で2〜3杯あての渡り蟹はフツーだったのですが、東京湾の埋め立てと汚染で一旦絶滅してしまい、出張先の九州の寿司屋で見掛けたときには渡り蟹一杯\2,000.という目の玉の飛び出そうな値段だったのでので驚きました。 蟹食い放題は、どちらかというと東京など元々田舎者の集合体:他国感覚の宿泊キャンペーンです。

 某大手電鉄会社に就職し、技術者として一貫して信号通信畑に働いたKくんは「電電公社なんか行かなくて良かった!あそこに行ってたら、酷いリストラで仕事を奪われ、長距離通勤で退職を迫られて、仕事もクソもなかったが、電鉄だったんで、CTC化などに始まり、通信関係としては電電公社並みの仕事がずっと続けられて良かった」。 同感!館山市在住なのに東京大手町勤務を命じられるなど極端な長距離通勤による陰湿な退職勧奨を受けたのは電電公社に行った級友たちでして、当時のクラス会開催案内に「リストラ首切り対応10箇条」などを同封して、卑劣なリストラ策に乗せられないよう注意喚起したものでした。
 「工高卒業者の採用試験にずっと絡んできて、入社試験問題を作ってきたんだけど、今の工業高校生たちはもう『電気理論』どころじゃなく、昔のようには使えない」という続いての発言には、「電気をやりたくて(電気科に)入ったんじゃなく、(成績序列で)イヤイヤ入ってる時代だから中味が身に付かない」、「力のあるヤツは(大学)進学できる良い時代になったって見方もできるよ」という反応で、かなりの昔から工業高校が空洞化してしまっているのは共通認識でした。 わが某社も、かなり早い時期に工高卒採用から手を引いてしまい、人事部担当者が「普通校高卒を採用して専門教育をした方が効率的。地アタマがかなり違う」と言っていました。 工高の多彩なカリキュラムを吸収できないまま卒業するようになってしまったようです。
 「うちのシステムはCTCとATCで早発は出来ない。筑波(エクスプレスの15秒早発謝罪)のようなことは起こらない。システム構成は俺が担当したんだ!」とも強調していましたねぇ。
 「好きなだけ趣味の尺八の吹ける仕事が良い」と地方の技官になったK2くんは、「技官として大学の研究室に潜り込んで青色発光ダイオードの開発に噛んでいた」のだそうで、「親分が高輝度実用品の開発を諦める!と言った数日後に日亜化学の中村氏が開発成功を発表した。大変喜ばしかったけど反面残念!」。そりゃそうだろうなぁ!後述、陰湿非行集団「本線グループ」のリンチにも遭ってたそうで、外部に対してはバレないようにしながら、目立つ下級生の多くにリンチを仕掛けていた名門校クズ集団!

 東京では石原慎太郎都知事の時代に定時制高校の大幅整理が行われて社会人の学ぶ機会が大きく奪われてしまいましたが、それは全く見当外れの学びの切り捨て金銭「合理化」措置でしかなく、大きな問題は、学ぶ意欲の持てない数式だらけの高度の専門教育を、輪切りの最下層に切り捨てられた生徒達に詰め込もうとすることの無茶を率直に認めて、共通の基礎教育にこそ力を注ぐべきだと思います。 偏差値層別で無理矢理押し込んだ工業高校1年1学期での大量退学現象に懲りて、箸にも棒にも掛からない「暴走族」を工業高校に送り込む無茶な進学指導は早いうちに陰を潜めましたが、希望しない学科に押し込まれる構図は基本的に変わらず、あれでは「普農商工」の最下層に押し込められてくる生徒も先生も可哀想。 今や「工」の中でも我が「電気」が最下層なのだそうです。 零細システムハウス皆殺しの低単価発注や、ネットカフェ難民は電気・電子を中心とするソフト屋で、多くが満点射程の優秀グループでしたから、電気系が不人気になるのは当然の帰結ではあります。 製造業の海外移転もあって、工業高校設置目的の「産業を担う中堅技術者」を育てる必要性がなくなってしまった様です。

 転落事故の後遺障害で良く動けない級友を自分の車に乗せて参加させたり、大ピンチに見舞われて参加を諦めていた級友も車に乗せて参加させ、クラス会の会費まで面倒を見ているのはそこはかとなく判りましたが、勧進元側での会費分特別操作の必要もなくなり「事情を知らない」ことにして精算残金を参加者に返し、面倒見の良い友情を暴露しないようにしました。
 わが地元では、リハビリ指向など些細な生活行動を捉えて「生活保護の不正受給」に仕立て上げる陰湿な密告攻撃の動きを見せられて、その「正義」ぶった悪意にかなりウンザリ・辟易していて、遊びの場で言われても断固反論・撃破したくなる衝動を抑えきれないで無用の攻撃を挑発してしまうと思っていました。 「楽しめるリハビリ」で積極的に外出して自活生活力の維持を図ること強く勧めていたのは私ですから、それを標的に誣告など絶対許せない!と思い、慣れた弁護士事務所や運動団体・市会議員との繋ぎを考えましたが、最近転居の団地棟など、いくつかの周辺状況から「生保」攻撃自体が悪意のデマと理解。しかも、自治体側の損得勘定で言っても全介護・医療扶助の生活保護費総額より、生活の努力で自立生活できる方が遙かに安上がりで当人も周りも楽なのを、偏見と悪意で重症寝たきりに追い込む愚。 職場世論の啓蒙ならビラ宣伝にしろ放送・演説宣伝にしろ理解者支持者が増え否定派が減れば攻撃は弱まり職場集団中の個々人の判断にはあまり捕らわれなくて良いのですが、真正面の説明に納得せず、ターゲットに憎悪を込めて事実無根の「詐病告発」を言いつのる相手に説明を重ねては却って逆効果なのが苦しいところ。 労働組合の職場の世話役活動として多数の過労性労働災害疾患の労災申請、回復訓練、治療継続、職場復帰交渉、情報宣伝活動による世論獲得と大変なスキル・活動量があったのを、押しつけがましく丸ごと人格否定された耐えがたい不愉快さがあるというのに、ものを言えない場「=攻撃に賛同した」と採られかねない場ですから、顔を突き合わせないで時間経過で冷ますことが穏当適切な回避策となりました。
 ところが負債9億脱出くんは「友人をピンチからの再起・脱出を促す扱い」で、黙って丸ごと面倒見! 「大物(w)は違う!」と思いました。 長年の行方不明2名の連絡を付けたのもこの負債9億くん!おそらくは病院のベッド上のみ在住時代から、私的にはずっと連絡を取り合っていたのでしょう(w。
 前回24年前には、バブル後の倒産に見舞われて9億円〜最大12億円もの負債を抱え込み、家族とは縁を切って強制執行差押えに備え、病院のベッド上だけが現住所という惨状でクラス会参加していて皆から「9億も負債を作れるなんて凄い!負債も信用のうちなのか!」と驚かれていましたが、この間、自己破産せずに負債の整理にほぼ成功して復活してきました。
 在学中には、ワザと見つかるような喫煙・飲酒を重ねて突っ張って、人の部室にまで入り込んで喫煙して一蓮托生化を図ったりとかで若干面倒な御仁で、こちらも必死に「たばこを消してから来い!」などと部室から追い出して「連帯責任」を回避したりして、学校からは謹慎処分も受けています。 しかし、表面的な合法を装う上級生の不良達のようなイジメ、カツアゲ、リンチなど実質の非行には全く手を出しておらず、卒業翌年には東京六大学校に合格していて、実際は人物も頭も大変まとも。 「産業の中堅技術者を供給する」工業高校の無用に厳格な規制に収まらなかったのでしょう。
 卒業直前に、飲酒と喫煙が発覚してしまい慌てました。 停学処分で登校禁止になるとその分卒業日時が遅らされて、新人研修が3月中にあると参加できずに採用取り消しの危険があります。 飲酒と喫煙は、トップ校でも受験勉強の手慰みで公然の秘密。 そんなもので採用取り消しなど出させてはならず、クラス委員(副代表)として学級担任を捕まえて「出席させて指導の方が適切。連中を休ませたら倉で酒盛りでもして喜びかねない。 (職員室棟2階の奥まった)図書館長(室)に面倒を見て貰ったらどうか。卒業延期での採用取り消しは避けて欲しい。 放課後校外での煙草や酒ぐらい(進学校の)千葉一高にだって蔓延してるのは公然の秘密ではないか!」などと申し入れました。 工業高校は当時から現在も社会科教員のレッドパージ先で、担任するクラスなしに置かれ、工業の専門書籍一つないチープな図書室の図書館長として島流しに遭っていましたが、あほで影響されないかの位置付けの工高生徒達からは一目も二目も置かれ「館長」と呼ばれて親しまれていて、謹慎グループの指導に適任だと思ったわけです。
 この先生と司書さんには、工業高校なのにデータシート一つなかった図書室に、真空管や半導体のデータシート集を買って貰い、部活としての送信機や各種オーディオアンプ、電源、アナログ計算機などの設計・試作に大いに使いました。
 職員会議は結局、3面がガラス張りで外から良く見える平屋の実験室棟を謹慎室に指定して、パンダ晒しの刑(w)で卒業延期を避けた処分が行われました。 廻り中から見える「晒し刑」とは夢にも思わなかったけど、「卒業延期、採用取り消し」はなかったのが幸い。
 この謹慎処分メンバー廻りに自営業が多かったので自称「社長会」としてかなり頻繁に旧交を温めていたもので、「打合会」を含む今回クラス会の実質勧進元です。
 この時代、学年有志としても下級生イジメの「応援練習」強制を断固止めさせる「応援正常化」に「応援団」を組織して、上級生がやりたい放題の野蛮な「応援練習」の「伝統」を断固止めさせましたが、この発起人も三菱商事に行ったバンカラ型の我が級友!片道2時間半乗車の通学生を夕暮れ過ぎまで留め置いては帰宅が夜遅くになりますが、それまではリンチ付き「強制参加」が悪しき「伝統」で、塀を乗り越え隣接の電車の修理工場から脱走、京成千葉回りで下校とか苦労していました。 入学時に1クラスだけ本館棟から遠く300mほど離れた旧鉄道第二連隊補給敞レール倉庫改造教室に隔離配置された反体制型クラスの面目躍如でありました。

 前回開催から12年を経てクラス会開催を思い立って、開催準備のため現住所調査兼の「年賀状」を出して住所整理したのがそれから6年後、季節が暖かくなってからと、会場となる宿を調べたりして開催準備していたところへ3・11東日本大震災の惨状でクラス会どころの雰囲気ではなくなり無期延期。 それからズルズル4年経って待ちきれなくなった「社長会」主導の2015/12「打合せ合宿」の結果、2017/12なんと24年ぶりの開催となったもので、クラス会の勧進元を「社長会」に変えないともうダメですねぇ。当方、馬力が全く足りません。

 そとぼう線大網駅を降りて、改札前で待っていても、前回開催から24年も経っていたら顔を見ても誰だか判らず見過ごす可能性大!と気付き、急遽、国会抗議行動用「安倍晋三ヤメロ!」などのA2版(新聞紙1ページ大)プラカードを「出迎え看板」に仕立てて、蛍光黄色地用紙に「電気科/クラス会」とプリントアウトして持っていったのですが、改札を通った2割ほどしか気付かず、ほとんど見過ごされてしまい、駅前バスターミナルから携帯電話で連絡してきて初めて改札口前のド派手なプラカードに気付く状態。 人の注意力というのは実に当てにならないもので、案内状に予め書いてないと、役立たないものであることが判りました。 漏れなく送迎バスに乗れたので一応成功としておきましょう。 開催数日前の「12月○日参加申込状況報告」という念押しの葉書の方は、日程を忘れてパスしないためには有効だったようです。もうそろそろ物忘れの年代ですから。

 全県一区の工業高校で通学に片道3時間必要な銚子、館山はじめ、大原、我孫子とまさに全県(会場の九十九里浜はそれらの重心点近くでもあります)、就職先も大阪、奈良から仙台、栃木、新潟にまで広汎に散らばり、全国転勤だけではなく、次々と全国の現場を担当して回る級友も居るので現住所把握が最も大変な作業でして、学校側の公式卒業者名簿も行方不明者だらけで、一クラス45名〜43名中の12名〜18名が消息不明、乞う連絡という惨状です。
 これは同窓会幹部を東京電力労組の民社党が長年牛耳って、同窓会名で民社党選挙支持活動をするなど好き勝手を続けたことが特に嫌われて、多くの卒業生が転居連絡などしなくなったことが主原因。 法改正で同窓会組織の選挙流用は止まっていますが、既に長年の慣習化で公式名簿が復活されることはないでしょう。今の民進党の右派勢力→絶望の党組で、原発再稼働固執組が卒業者名簿の破壊犯人。 個人情報保護法成立前である30年前の名簿でもクラス毎に10人近い行方不明者がありましたから同窓会名簿破壊犯人東電民社党説が最も確かでしょう。 おかげ様で公式卒業者名簿としては事実上崩壊状態です。

 しかし、クラス毎の連絡網は非公式には、かなりあるようで、就職先と、在学中住所が命綱で連絡を復活できることも多く、わがNN年卒業電気科も前々回のA組B組合同クラス会開催の「公開手配」で、ほとんど連絡を回復できて、連絡不能者は、隣のB組に2名、当方A組に1名にまで詰めていたのですが、さすがに24年ぶり開催となりますと、新たな転居先不明4件も発生、物故者も出始めて、全員宛の年賀状を「予備調査」として情報提供を求めてナントカ消息不明1を維持。 全く返事のない級友は2名!手紙の返送はありませんから届いてはおり、長期入院療養中か、学校か級友に思い出すのも厭な経験があるのでしょうか? 投影現象で級友を含めた関連記憶総てがイヤということも有り得ますが、クラス内でのイジメなど酷い軋轢はなかったはずで、二人の通学路線で蔓延って、時折理不尽にリンチで絞めていた「(総武)本線グループ」は皆の侮蔑の対象で浮いていましたから、他に投影する可能性は少ないし、取り纏め役の幹事、特に手紙返送先の私がアレルゲンでなく、個々の好き好きだと良いのですが。
 個人情報保護法蔓延る時代に、公式の同窓会名簿事務局として、私的な名簿が入手できたとしても、本人の了解なくそこから無断転載できない状況が、各クラス毎10数名の行方不明者表示なのでしょう。

2017/12/08 01:30

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