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カンマー・トーンはつねに高くなっていき 1820〜問題視 1858-1859 ピッチに関する会議。科学アカデミー提案a=435Hz採択。於パリ。 1859/02/16 435Hzを法律としてフランス全土を拘束。 1862 当時権威あるヴィーン宮廷オペラが435Hz律採用で定着。 ・・・・ 1939/05/ ロンドンでの国際会議の申し合わせでa1=440Hz と決定 (理科年表「楽音の周波数」) 1953/ ISOでa1=440Hz と決定(by CORGサイト) 純正律音楽研究所 2006/01/27版 <標準ピッチ考-音合わせの社会史> http://www.archi-music.com/tamaki/pms.html 故玉木宏樹氏「純正律研究所」 (原文) 統一的なピッチを求める運動は、特にオペラ歌手から強く望まれたが、なかなか実を結ばなかった。 「輝かしい音が得られるためにより高いピッチを好んでいた巡業するヴィルトゥオーゾの影響によって、カンマー・トーンはつねに高くなっていき、これはとりわけオーケストラ付きの声楽曲の演奏に深刻な影を落としていったが、一八二〇年を過ぎてようやく、統制せざるを得ないと感じられるようになっていった。 この努力の具体的成果を最初に生んだのはパリであった。一八五八年から五九年にかけてのピッチに関する会議において、科学アカデミーの提案に基づいた、a=四三五が採択され、一八五九年二月一六日配布の法律においてこれはフランス全土を拘束することとなった。 当時のピッチの中で中間値であったこの新しいピッチはドイツでも数年のうちに多くのオーケストラで受け入れられていった。 その際、とりわけ南ドイツ各地のオーケストラは、ヴィーンの宮廷オペラがどんな態度を取るのかを、まずは見守った。この事実は、その頃ヴィーンが音楽界にどれほど大きな影響力を持つようになっていたかの証左である。当時のヴィーンの音楽事情を信頼できる目撃者であるハンスリックがその導入を一八六二年としている」 |
2波合成のうなり |
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