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まさか「テラT」より大きい単位なんて!

10の整数乗倍を表すSI接頭語
by理科年表2003 p353-物理-単位

名称 記号 大きさ 備考
ヨタ(yotta) Y 1024
ゼタ(zetta) Z 1021
エクサ(exa) E 1018 百京
ペタ(peta) P 1015 千兆
テラ(tera) T 1012
ギガ(giga) G 109 十億
メガ(mega) M 106 百万
キロ(kilo) k 103
ヘクト(hecto) h 102
デカ(deca) da101
1=100
デシ(deci) d 10−1
センチ(centi) c 10−2
ミリ(milli) m 10−3
マイクロ(micro) μ 10−6
ナノ(nano) n 10−9
ピコ(pico) p 10−12
フェムト(femto) f 10−15
アト(atto) a 10−18
ゼプト(zepto) z 10−21
ヨクト(yocto) y 10−24
接頭語を2個以上繋いで合成した接頭語は使わない。(× mμ など?)
 日常的に扱う単位の範囲が広い分野は、わが電気屋業界で、静電容量や時間がピコ・ファラッド(pF、nF、μF、mF、〜F)、可視光の波長が緑500ナノ・メータnm(旧ミリミクロンmμ)中心、原子の直径が0.1nm=Åオングストローム、周波数がギガ・ヘルツGHz〜テラ・ヘルツTHz(k、M、G、T)と思っていたのですが、今回の福島第1原発事故では放射能環境放出量がまるで桁違いの、37万テラベクレルTBq(原子力安全・保安院)〜63万テラベクレルTBq(原子力安全委員会)に達して、チェルノブイリ事故放出量520万テラベクレルTBqの1/10前後のレベル7と評価し直すとの報道で驚きました。

 大量放出は水素爆発が相次いだ初期の段階の話で、現在の放出量は数桁低くて少なくとも事態悪化の方向はみられませんし、今判っても概ね後の祭りではありますが、評価レベルが当初の4から、スリーマイル島事故の5に引き上げられ、さらにチェルノブイリ級の最大値7に変わって、政府・東電発表が当てにならない「大本営発表」だという疑念を深くしました。数年後から癌発生増など、どれほどの障害が現れるのか、それが因果関係立証不能で個人責任とされて政府や東電から放置されるのかを考えると慄然たる思いがあります。

 63万テラベクレルとは630ペタ・ベクレル=63京ベクレル、520万テラベクレルなら5200ペタ・ベクレル=5.2エクサ・ベクレル=520京ベクレルという訳ですが、単位接頭語に慣れてるはずの私でも理科年表で確認するほどの希な、超弩級の量に改めて感嘆!テラの百万倍:106倍、メガの1兆倍:1012倍です。

※ 表を見て、おや?と思ったのが、10倍を示す「デカ」が[D]ではなく[da]だったこと。基本量付近は10倍ごとに接頭語名称が付せられて、国民学校、尋常小学校組は「キロキロとヘクト出掛けたメートルが、デシに追われてセンチ、ミリミリ!」などと内容の脈絡無く口調で丸覚えしていたもので(私ではありません。為念で)すが、デシメートルは戦前の「模型航空」誌上の設計計算での模型飛行機翼面荷重単位、ヘクトはヘクタール[ha]とヘクトパスカル[hPa]で使いますが、デカの実用例は知りません。

 理科年表は物理データでのもっとも権威あるデータブックではありますが、きわめて希には誤植・エラーもあり、訂正する執筆者が現れないと、ズ〜〜〜っと間違えたままになります。たとえば物理の「音」の章で、音名「b」がいつの間にか誤植されて、ここ40年ほど「h」と記載されています(p424表&楽譜)が、その章を書き下ろす新たな執筆者が現れないため訂正できないのだそうです。「h」なんて音があれば全国の○○ミュージックホール御用達で使い倒されるんじゃないでしょうかね。常連さんの多いとされる新鶴見機関区周辺にも三多摩各地にもポスターが貼られていた横浜はるかぜ座とか(w

近隣被災状況は <1>

 空前の大災害、東日本大震災は超大型津波に人の住む町並みが飲み込まれる悲惨なmovieを多数残すと共に極めて重大な原発災害も誘発して、今後、死者行方不明者が何万人になるのか、半永久的に住めなくなる範囲が何キロ圏なのか、固唾をのんで見つめている状況ですが、被害報道からはほとんど漏れている千葉市周辺でも地割れや不等沈下、液状化噴泥、瓦屋根の破損などで震災物損被害は出ています。

 銚子のすぐ西側、八日市場の東の旭では、津波に襲われて死者行方不明13〜20余で、海岸道路で津波に呑まれて運良く助かった車からの映像がFNNで放送されていました。
   →(旭市飯岡漁港海岸道路の津波:FNN
 また、内湾の木更津漁港で2mの津波に襲われ船を流されたとの報道もあり、それは関東大震災での千葉海岸検見川町の津波記録約1m余、旧旧道まで浸水の倍近い大きさです。関東大震災でも湾口付近では10mもの津波が押し寄せたと言われています。その時、地震の揺れの最も激しかったのが館山地溝帯〜三浦半島南端だった様です。
(千葉市が津波警報を出し忘れていたという日経記事(11/04/23)に、海上保安庁が市原で90cmの津波を検出、千葉市は床上浸水の被害ありと)

千葉市美浜区震災被害

5電柱被害
5電柱被害
傾いた稲毛海岸2電柱群
垂直陥没
電柱が2m弱も垂直陥没!広告が1/3埋没。千葉新港
護岸崩壊
崩壊した花見川右岸交通公園護岸
護岸損傷
損傷した千葉新港護岸
道路への大量噴泥
花見川右岸道路交通公園前大通りの大量噴泥
マンホール
花見川右岸京葉線側道の浮き上がったマンホール
歩道
幕張海浜公園西歩道の隆起
段差
美浜大橋左岸サイクリングロードの30cmの段差
白線は地震前は一直線だった
屋根瓦損壊
屋根瓦尾根損壊、花見川区、七月も補修できず
屋根瓦損壊
  四月も補修未了
噴泥
至る所に噴泥、検見川浜駅近傍
地割れ段差
道路も至る所に段差、美浜区真砂4
歩道橋損壊
本震で歩道橋端損壊、
補修後の4/7余震で補修部再損壊
共振止め応急措置
共振止め:折れたブロック塀をパイプを介し
て門柱と家屋で挟んで共振を防ぐ応急措置
 我が家は海抜24m高の昔からの高台の最高標高付近にあり、旧海岸との間には湿地帯の谷と20m弱の丘があって、さらに旧海岸から先約3km余が高度成長期に埋め立てた美浜区の住宅街ですから水にも地震にも強い場所で、町に下水U字溝が通る前の豪雨で僅かに床下浸水を経験した程度です。
 3月11日2時47分頃の大震災時は我が家で作業していたのですが、規模9、震度5強の地震動は今まで経験したことのない強い揺れで次第に大きくなりながら2分余〜4分近くも続き、少しでも勾配の残る棚からは物が落ち始めて、神棚脇のADSLモデムと無線ルータとLAN-Diskがまとまって転落、本棚の書類は表紙のないものが崩れ落ち、台に置いただけのTVは1回転して畳に落下、思わず「これは大震災だ!関東だろうか?東海だろうか?」と口走ってしまいました。逆に転落防止ビニールベルト1本で固定していたテレビや、天井との間につっかい棒をしたり、手前側に新聞紙を折って挟んで後の壁に寄りかからせて転倒防止策としていた家具類には被害はなく、棚からズレ落ちかかる蛍光灯器具を押し戻して転落を防げました。家具のつっかえ棒が緩んでずれた程度です。経験したことのない大きな揺れに驚きLDKをうろちょろして落ち着かないカミさんに丈夫そうな柱のある広い壁に掴まらせ、玄関までの扉を総て開けて通路を確保し「揺れが収まるまで軒から出ないで!」と言って、揺れの収まるのを待ちました。ベランダをみると屋根瓦の漆喰の破片が落ちていて、地震の震動で破損した模様ですが、瓦自体の破損個所は素人目には判りませんでした。3時過ぎの大余震の頃に「大津波警報!6m以上の大津波!」とTVが絶叫!「え〜〜〜っ!」と絶句。海に近い現地ではもう津波から逃げようがないでしょうが!

 ご近所には老人世帯もあり、一角をざっと回りますと、屋根瓦の尾根部が崩れたお宅が1軒、鉄骨建築の柱が歪んでタイルが剥がれ落ちていて、そこの一人暮らしのおばあさんが門柱に掴まって茫然としており、2階居室が家具の転倒で足の踏み場もない状況なのだとか。各戸ともガスメータ栓の地震動ブレーカーが全部で飛んでいて、警告ランプが鋭く点滅しているので、ガス器具の安全確認をして元栓を一旦締めて貰って復帰操作をして廻り、一旦帰宅すると水道の出が極端に細くなっていましたので、いつになるか判らない復旧まで飲料水の確保は緊急に必要と判断。通常、2リットルボトル半ダースの箱売りをしているスーパーはどこもたちまちに売り切れで、コンビニのばら売りも売り切れ、そうしますと穴場は、普段大量買いのない酒屋さんか?と訪ねると、3本入手できて、帰宅すると我がカミさんが素早く1箱6本を入手していて我が家の3〜6日分は十分確保出来ているので、買い物など即座の小回りの利かないご老体宅に1本づつ届けて来ました。水道は幸い4〜5時間で復旧したため直に水ボトルの出番はありませんでしたが、福島第1原発の水素爆発時から10日余の飲料水はこの水ボトルとお茶のPETボトルで過ごすことになりました。
 いとこの家では大型CRTテレビが80cmほどの台から転落して全く動作しなくなったということで、点検すると、電源スイッチのPush-Push機構部が衝撃でずれた様で、そこは静かに点滅を繰り返すうちに溝に嵌って回復、VTR、DVD、STB(Set Top Box)の接続が落下の衝撃で緩んでいたのを挿し直して回復。CRT方式は前面ガラスが特に重くて地震動で落ちやすい様ですが割れなくて良かった!
 翌朝の新聞は遅れに遅れて、日経・読売が8:30頃、朝日・東京が9:00前後、赤旗が何と11:30頃!どうしたんだ?と聞くといつもは3:00前に販売所に着くのが8:30頃になり、そこからの配達拠点への配布で渋滞に巻き込まれて動けなくなり、10時出勤の事務所勤務員がバイクで新聞だけ救出してそれから配ったため大幅に遅れたのだとか。トラブル時のバックアップ体制が無いんですね〜。地震以来駅に停車中の総武線各停が8:30に動き、快速が9:00近くにようやく動きましたから街道筋の渋滞は当然なんで、全部バイクと自転車に切り替えるとか、一般紙は素早く手を打ったのでしょうねぇ。
 官房長官の「直ちには危険はない」という言い方は巧いけれど、「直ちにではない、将来的危険度は今は言及できない」という不気味な言明ではないですか!取りあえず家族に15才未満が居ないので、明確に判っている甲状腺癌発症の危険はほとんどないものの、他の障害出現はどうなるのか全く見当が付きません。

 近隣、千葉市花見川区検見川町は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征に立ち寄ったとされる記紀の町で、検見川神社の階段を登りきった鳥居の左手には日本武尊らを祀る社が並んでいます(記紀=古事記+日本書紀:最古の「日本歴史書」とされる)。本殿奥にも三峰神社など5社が長屋式に並んで祀られていて、さらに東側の総武線線路沿いには泥濘湿地を改良した検見川土地改良区で土地改良に使われたポンプが御神体として祀られている面白い神社があり、狭い町に墓付きのお寺が3つ、神社が3つにプロテスタントの教会まであってそれぞれ成り立っている信心深い街で、神様も仏様も天皇皇后の写真も靖国の標識も、家に作りつけの仏壇付近に仲良く並んで祀られています。それらを「邪教」だとして叩き壊して、教団提携業者の特別高価な仏壇を買わせる教団だけは爪弾きです。それは押入の半分に作りつけの本家仏壇を叩き壊すことで兄弟家族親戚の不興を買いアベコベに「許せない邪教」とされたからの様です。
 この街の2丁目3丁目を仕切る通りの旧旧道交差点付近には、柱の折れた家があり、その周囲から旧海岸にかけては数軒に1軒の割合で瓦屋根の尾根が崩れていて被害が集中しています。ここは100年ほど昔の埋め立て地だそうで、かって検見川小学校(尋常小学校)があって、「大正6年9月30日の大津波」(=台風による高潮)で校舎が全壊したため、丘の上の現在地に移転したものだとか。さらに大正12年の関東大震災ではこの2丁目3丁目の境の道を津波が上がってきて、旧旧道付近までが浸水、余震と地割れにおびえて伝馬船を浸水個所より上にまで引き上げて、その中に避難して眠る状況だったと云います。100年前の埋め立てでも埋め立て地は被害が大きいようです。

 旧海岸線が概ね現14号線下り線と旧新道14号の間で、それから海側の美浜区は総て埋め立て地です。検見川浜駅に向かうと公園と言わず道と云わずそこら中に噴泥だらけで、基礎の深いビルと、広場では必ず5cm〜10cmの段差を生じています。(この段差は内陸である新検見川駅前の西友にも生じていました。そこは盛り土の模様)。京葉線の高架と周辺の段差は特に酷く20cm〜30cmもの段差が各所にみられます。海岸道路の花見川橋では下を横切るサイクリングロードとの段差が30cmも生じてそのままでは通れません。稲毛寄りですと並んだ電柱がそろって傾いてしまった場所もあります。

 花見川右岸地区(海浜幕張側)はさらに酷く、京葉線北側側道が花見川右岸道路を北西に超えて20mほどのマンホールは歩道から70cm〜80cmも浮き上がっています。花見川右岸道路も交通公園付近の噴泥が特に酷く、数100mに亘り30cm厚ほどの泥が歩道から車道の2/3を埋めてしまっています。海浜幕張駅前は噴泥と店との段差で商店はみな臨時休業でした。駅のエレベータが傾いてしばらくは使用不能。東北3県の激甚被害に比べれば軽微な物損ですが、たしかに震災状態と云うほかありません。

 千葉市美浜区での「埋め立て地」というのは水に混ぜた泥を800φほどの鉄パイプラインで海の中の囲いに送って沈殿させて陸地にしたもので、元々大量の水を含んでいました(See→八郎潟工事写真:日記#284#g)。当初は花見川を印旛沼の放水路として整備する工事で、千葉市花見川区柏井付近の山を崩して水路にするために、工事用鉄道を引き、蒸気機関車が総武線花見川橋梁北側に設けたピットまでホッパー貨車で土を運んで、ここで水を加えて旧花見川(現サイクリングロード)に添って敷設したパイプラインで埋め立て予定地に泥水として送って沈殿させ時間を掛けて土地にしたものです。他の埋め立て工事例では山砂を20cm前後積むたびにローラーで固めて積み上げた処もありますから、パイプラインで泥水を送り沈殿させた液状化しやすい所とは地盤強度がまるで違うでしょう。液状化現象に気付いたのが1964年(s39年)の新潟地震で鉄筋コンクリート4階建ての市営団地などが倒壊したことからだそうで、それより早い時期に施工された花見川区の液状化被害は粒子の細かい海砂まで混じっていて液状化が発生して無理のないものでしょう。

 なお、稲毛海浜公園は現在立ち入り禁止ですが、これは公園の震災被害よりも、公園の護岸道を各所の噴泥をさらって運び込む仮搬入拠点として使っているための閉園の模様です。入場ゲートの建物の段差も激しくプールは水が抜けて今夏は使い物にならないかもしれません。千葉市のやる気の問題ではありますが。

震災便乗ボッタクリ補修横行!
素人目に判らない屋根補修は業者言いなり <2>

 家の手入れは、素人では相場が判らず、業者の言いなりに支払うことが多くなりますが、私の職場の組合員から住宅補修・改造の相談を受けると地域の東京土建労働組合に繋いで職人さんを紹介してもらっていました。そうすると同じ工事なのに不動産屋ルートと比べて時には3倍も工事費が違うことが判り、土建組合を通じながら腕の良い職人さんを名指しでお願いすることが多くなりました。知り合いのおばちゃんは「値段が良心的だけじゃなくて、腕の良い職人さんじゃないとダメよ〜っ!」と露骨に要求していました。たしかにそこが組合員は平等に扱わなければならない土建組合ルートの弱点ではあります。しかし自宅の補修もその東京土建労組ルートで頼んでいました。こうした土建組合ルートなら地場相場をみながら、そこそこに調整してもらえますが、存在するのが東京、千葉、埼玉、神奈川など大都市圏に限られています。その土建組合地域支部が組合員である職人さんと顧客を繋いでいるのです。
 今の家は千葉ですから千葉土建労働組合を通じて職人さんを紹介して貰い、値段も手頃で丁寧な工事で満足していましたが、築18年余を経た建物も軽微な地震被害を機に、屋根瓦の漆喰の塗り直し工事を依頼することにしました。
 そこへ昨年から我が家に目を付けていた屋根屋が「屋根ががたがたに撚れている。次の地震で屋根瓦の尾根が落ちる。それを組み直すと100万円単位の費用になる。今、震災で材料が払底していていつ修理に掛かれるか判らないのが普通だが、うちは大手だから手持ちの材料在庫があるから来週は工事できる。見積もりは瓦1スパン2000円と、鬼瓦○千円で計55万円。ご近所の○○さん、××さん、・・・・・は工事を済ましΔΔさんは次の工事だ。材料を確保するから、ここで今、サインをくれ。親方に内緒で40万円まで引くから!」とたたみかけて来る訳です。
 「明日の返事はダメで、今日中!」というのや「ご近所の○○さん××さんも」というのがボッタクリ屋の共通の台詞。仮に断って機会を失ったとしてもそれ以上の損にはなりませんから断るつもりで「既に頼んでる人が居るのに無断でそちらに契約替えできないから、先に連絡して断ってくる」と、販売攻勢から逃れて体制を立て直し、電話を掛けてから、改めて「申し訳ない!今回はやめておきます。先約がありますから・・・・」で押し切っておしまい。
 千葉土建ルートの見積もりでは「破損は軽微で、そのままでも当面は雨漏りはない状態」ということで、実に12万円。今後の震災復興特需による材料費高騰で特別の上積みがあってもなかなか20万円は超えないでしょう。飛び込み業者の方は、たしかに約3倍の不動産屋ルートの見積もりで、不動産屋に中を抜かれないだけボロもうけの値段です。昨秋来の調子よすぎる口車には乗らないでゆきます。

2011/04/13 21:50

中味がダメなのを、広報課では救えない <3>

 旧江戸川を渡る25万ボルト送電線にクレーン船が接触して東京大停電となった地絡事故での東京電力広報の対応を日記#129で誉めましたが、あのときは現場が想定通りきちんと動いていて、その結果を待っていられた状況でした。
 送電網は地絡や断線が起こると自動的に一旦停電させて、計測パルスを送って故障位置を算出し、そこに修理班を差し向けるのですが、江戸川事故の場合には送電線は切れずに済み、クレーン塔も送電線から離れてしまっていて位置計測ができず、人力で停電した送電線全体を点検したことで時間が掛かったようですが、事前想定通りの事態だったので外れた対応をしないで済んだのでしょう。  See→日記#129
 翻って、今回の原発事故では、自ら流した「安全神話」に縛られて、必要な想定をしていなかったことで重大事故となり、停止措置がとれなくなり、さらに水素爆発に至り、1ヶ月を経て見通しが立たない状況であり、「優れた広報課」に出来ることは、広報としては想定外の事態に迂闊な言いようで非難の世論に火を着けない、必要な情報発信の相談に乗ること以外は、ほとんどありません。
 繰り返しになりますが、東電・電力業界と政府の根本的な間違いは

輪番停電は社会活動には大失敗
  やはり原発必要キャンペーンではなかったか? <4>

 地震後にスーパーの棚から消えていったのは、先ずはミネラルウォータ、そしてインスタントラーメン、缶詰などの保存食で、食パンも1週間ぐらい出てこなくなり4枚切りは無くなりましたが、その後も納豆がダメ、ビールや発泡酒の棚がほとんど空になり、自家発電装置のある工場の銘柄は少量でも出てきているとか、味がかなり変わってしまったとか、生活物資でも輪番停電の影響が色濃く出ていて全く収束の見通しはありません。
 新聞用紙が荷崩れなどで不足を来して、ページ数を減らして発行を続けたと思うと、今度はインク不足で出版の継続が困難だとか、日立化成の子会社が福島原発10km圏内で操業不能に陥り、市場占有率50%(JR西日本の日立化成依存率80%)だったカーボンブラシの供給が絶えて、6月以降在庫が無くなり整流子モータのメンテが出来なくなり、電車は運休で調整中とか、日立化成がカーボンブロックを他社に供給してブラシへの加工を任せるとか、半導体関係は計画停電中はほとんど操業不能で再開の見込み無し!という惨状で、見掛けの被害より打撃を大きくしています。
 これは「平等」という基準を誤って適用して「輪番停電」を強行して社会の首を絞めたということでしょう。少なくとも総量規制にして、電力使用カルテルを許容して欠かせない重要生産の長時間の連続操業も可能にする、政府レベルの方針が必要でしょう。そこは国全体の経済政策は見られない東電に担わせるのは無理です。・・・・(とはいえ「政治主導」のパフォーマンスだらけで芯のない管政権に運営できるのだろうか?困ったものです。)

 この輪番停電制で、強力な原発必要論を起こして、残る原発の操業を確保して、あわよくば事故原発の再開をと狙ったものの、水素爆発で高濃度放射性物質を全世界に振りまいたことで潰えて、5号機6号機の再開が攻防戦となっているようです。
 この猿芝居は、東電だけで演じているのではなく、経済界の要求を受けた政府が、電力会社に対して要求される電力需要に応えることを法律で義務付けて、その実現方法として原子力発電を推進したわけで、「安全神話」を含んで日本政府の責任でも有るわけです。この辺の構造をみないで煽りに乗って東電叩きだけに矮小化すると、東電をスケープゴートにして同じ体質の第2東電ができるだけになるでしょう。
千葉市稲毛区での全壊家屋
千葉市稲毛区でも全壊家屋か!お気の毒としか言いようがない(2013/06撮影)
谷筋水路沿いの軟弱地盤造成地:東関東自動車道沿い宮野木Jct南0.5km付近
稲毛区での不等沈下木賃アパート
不等沈下で大きく撓み、最奥で20cmほど浮く木賃アパート(2013/06撮影)
穴川−天戸線上記陥没現場より東へ0.4km:同一谷筋
 週刊ポスト2011.4.29号の新聞広告に「原発完全停止でも停電無し、資源エネルギー庁極秘資料入手!本当は火力その他で夏のピーク電力をまかなえるという衝撃データ公開、これは謀略だ情報操作だ!・・・・」って、案の定ではあります。計画停電というのは原発擁護キャンペーンとしての謀略宣伝が主要側面だったのか?!11/04/18追記)

   「革新自治体」は政治主導の典型
首長と少数与党で、保守官僚を操って、歴史に残る仕事もした
<5>

 現、民主党政権のやり方は、命題が与えられた場合の実務能力には長けた秀才たちの集まる官僚たちに仕事をさせず、実務にはかなり甘い政治家たちだけが総てを請け負って実務的にパンクして政治主導どころではなくなって、管政権下では自民党政治にほぼ全面復帰の体たらくですが、実は、日本国民の約半数は地方自治の場で「政治主導」を経験しています。少数与党下で実現した「革新自治体」で、かっては日本国民の約半数が暮らしていました。

 そこ革新自治体では、議会も行政も圧倒的に保守派で、数の上だけでは首長一人がどうあがいても選挙公約の政策を実現できるはずはありませんでした。現に、極端な自治体では、市長の政策秘書の存在を認めずに辞任させ、さらには予算を問答無用に否決して辞任を迫った東京狛江市などの様な極端な例もありますが、そこは市民要求を実現する政策実現の「予算通せ!」運動で野党議員側を追いつめて、翌月議会でほぼ原案通り通過させ、保守系が主流を占めていた官僚たる市職員もその方針で具体案を詰めて住民の要求に沿った革新的施策を実施している訳ですから、「政治主導」というのは議員が自らエクセルを操ることではなく、実務の方向を決める明確な方針を出して、それを強く支持する世論の下に折々にチェックして政策実現を図ることです。方針が明確でなければ、具体化の段階で保守反動財界勢力からどうにでもねじ曲げられてしまいます。

 この辺の経過を辿りますと、革新首長の政策を否定された場合に、型通り議会を解散した東京足立区長は解職されてしまい、辞任して再選挙に持ち込むイレギュラーな戦術で臨んだ長野県知事は再選、予算通せ運動が空前に盛り上がった狛江市では少数与党下で予算が通った上、2期目の選挙では少数与党なのにダブルスコアー以上での勝利となり、長野県知事の再再選では、辞任再選挙で徹頭徹尾馬の足に徹して知事再当選に貢献し県議会でも勢力を伸ばした共産を知事自らが攻撃して切り捨てた結果、案の定の落選!長野県知事辞任再選挙でどういう活動がされたかのパンフを読みましたが、市民たちがノリノリで参加してくる選挙は大変面白いものですし、大きく前進するのは狛江市長選と共通だと思いました。近隣に狛江市長選応援の常連が多数生まれているほどで、私もボランティアが集まりにくい場所や作業を選んで応援しましたが、再選も回を重ねるに従ってそうした縁の下の活動領域が狭まってきて心配になる程です。狛江は昔の入り組んだ農道がそのまま街路になった迷路の町で、外からきたタクシーはすぐ迷子になるので有名な所でしたから、そういう面倒な場所関係の作業を引き受けるとか、方向音痴のボランティアでも元に戻ってこられるよう、強力な目印を示した案内図を渡すとか、裏方の準備次第で作業能率が大きく変わります。敵地に一人で落下傘降下した様な首長は、嫌がらせの非難決議の数々には堂々と耐えて、選挙民に信を問えば良いことです。
 政策実現に当たっては、選挙民の正当な利益を考えるべきだという当然の原則と、少数与党での運営の困難さから攻撃に屈して、自分の馬の足を切り捨てては自滅になることを示したものです。少数与党のつらさもあって多くの革新首長が次第に保守側に変節して行きましたが、この支え方を研究して継続できる展望は、たしか4期目の狛江市でも切り開かれつつあるでしょう。

2011/04/14 20:50

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