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保育園経営者に、脱法違法建築常習者は適切か?!

 保育の必要な待機児童ゼロ政策で、保育園設置基準を大幅に緩めて各種優遇措置を決め「民間」営利業者の保育園開設を誘導して、収容数だけは向上した。 しかしながら、取り締まり指導の遅れを悪用した違法建築常習、想定外の補助金受領反復の不動産屋で、近隣に怖がられている人物が、多数の保育園経営に乗り出しているとなると、保育分野でも建築同様に、どんな脱法経営をするのか非常に不安を感じてしまう。園児の命に関わりかねない不安が付きまとうのである。
 もちろん、保育有資格経験者が現場責任者として配されているが、運営委託法人や雇われの身が実経営側の脱法措置要求の圧力に抗してスジを通しきれるかどうか、大いに不安である。

 保育園群実経営の不動産業者氏は、戦後直に建設された敷地200平方メートル(60坪)県営戸建て住宅団地を入居者に払い下げてできた第1種住宅専用地域の、後日拡大された建築制限:建坪率70%、10m高を敢えて無視して、せり出しが許された建物幅一杯の2階ベランダ分の下と外階段の下を部屋にしたことで、建築制限建坪を約3坪超過。 北側のお宅への日照制限は確実に冒していて、第1種住宅専用地への大きな違反建築に困っていて、担当する千葉市の建築指導課には状況を説明して居るが、不動産屋氏の風体に恐怖を感じて直接は苦情を重ねられなくなっている。
建築確認申請と違って大きくなった分は違反建築で、建築工事途中なら市の建築指導課による「工事中止命令」で止められるが、一旦完成してしまうと撤去命令を出せないことを知悉して違反建築強行だった。 違法建築だから建築確認が出来ず、登記できない状態となったが、賃貸物件として店に貸し出していて未登記のママでも困らない状態でもう10年ほど営業を続けている。
 そしてさらに今年の夏休み時期に、急遽2階室内から屋上への出口階段と階段室を増設。違反建築にさらに3階部:屋上出入り口を作り上げてしまった。これも瞬時で完工してしまっているから「建築中止命令」は出しようがないと行政は考えている。
 さらに、「自宅建設の減税特例措置」に利用回数制限が無いことを利用して、次々の物件新築を「自宅」として節税。何処に住んでいるのか判らない状態で、2軒の不動産屋事務所を回って捜す必要があった。
 さらに近年、保育園経営・新設に乗り出して、不動産店舗は看板を落としてしまって、裏の自宅と思われる部屋を訪ねても応答はなく、当人は行方知れずという状態。

 約10年前の違法建築発覚時に「建築中止命令」が出されていれば、今夏の3階・屋上出入り口建屋増設はモロ命令違反で処罰対象になったはず。 悪質違反者は完工後も違反を繰り返す可能性はあるのだから、たとえ建築が一段落付いていても「工事中止命令」は出して更なる違反を縛るべきだったろう。

 こういう法の抜け穴を捜して、違反でも強制措置が無ければ強行する、脱法アウトロー経営者が、特に丁寧さを求められる保育事業に手を出して、幾つも保育園を経営したら、とんでもないことになりかねない。 行政は、保育業者の質を良く選んで貰いたいものだ。事故になれば現場職員だけが責められてしまい、脱法経営はあまり糾弾されないだろう。事故になってからでは遅い。


あと1年余で全国民感染の政策か?
政府、木村盛代厚生技官路線を採用?  <2>

 新型コロナ感染症の延べ患者数がほぼ対数直線に乗って指数函数で増加している。右掲の感染者累計グラフでは概ね6ヶ月で10倍の増殖率が単調に1年半以上続いている。目立った緩解時期は無い。それなのに、政府として抑制策には消極的であり、GoTo、五輪など感染促進策を強行することを大変不思議に思っていた。 8月末の延べ感染者数が150万人だから、6ヶ月後に1,500万人、12ヶ月後に1億5千万人に達する対数直線上に累積患者数が推移しているのである。


 これは木村盛代元厚生技官の感染拡大当初からの主張がそのまま実践されている様に見える。 すなわち、徹底した感染対策が成功すれば水際で遮断する可能性のあったときに、かってのコレラ、ペストの様な防ぎ切れないモノとして、緻密で大規模な感染対策を放棄させて第2波、第3波と、医療崩壊させない範囲に患者増勢を維持・制御して国民大多数を感染させることで集団免疫とする話である。

 だが、彼女の大失敗は、まだ水際作戦が有効で手を打てる、途中での押さえ込み終息の可能性が充分あるうちに、全員感染路線をぶち上げて、初動の感染防止策様々の足を引っ張ったことだ。 サーズ、マーズで台湾、韓国はかなりの数の上陸を許してしまったが、何とか押さえ込めて終息させたし、日本は水際作戦が成功して感染は上陸しないで済んでいる。 新型コロナでも台湾やニュージーランドのように水際作戦成功の余地はあった。 その時期に、専門家として初期終息を全面否定、端から全員感染路線を煽り続けたことは初期の英国首相同様、専門バカ型の重大な誤導だ。

 総感染数という結果でみる限り、目に見える停滞時期はなく、対数直線で増加している(=指数函数で増加している)。それなのに4波までの山は越してきたように見える。
 これは実感染数と、観測値の相違=捕らえられなかった無症状感染が埋めているのではないか?パンデミック当初から疑われていて、PCR検査の不拡大で潜伏する無症状感染連鎖を検出できなかったのではないか?
 あるいは「ベース株」が存在して徐々に拡大、時折感染力の著しく強い変異株が出現、一瞬で大ピークになるがDNA上の弱点が有り持続できずに消滅を繰り返してきた、という感染流行初期からの仮説も説得力があるが「ベース株」が何かはまだ分かっていない。 なお、この仮説を昨春から解説している先生の話し方が、一見、相手の話を総て否定して異論を被せている様にも取れて説得力を削いでいる。 相手の話や質問の、肯定部分と補足部分、反論部分を切り分けて話せばズッと内容の理解者は増えるだろうと思う。 医者の言い分は分からないとか言う彼の麻生御大でも理解出来るかも知れない(w。強行突破で聞く耳持たないのなら馬の耳に念仏ではあるし、現物株を押さえるのが先決だが。

 安倍首相、管首相の理解に苦しむ暴走は、この木村盛代元厚生技官路線の秘密裏・独裁的採用なのではないか?と思えてしまう。
 第2波の減少し始めた頃、小池知事、アベ首相・管官房長官らによる「ウィズ・コロナ」の大合唱は、国民には知らせず、木村盛代元厚生技官の国民全員順次感染路線を採用して、そこそこの感染拡大路線:検査独占、拡大拒否、非常事態宣言に躊躇、終息前の加速、GoTo強行、インバウンド客待ち、習近平訪日待ち、聖火リレー強行、五輪強行となっているのでは無いだろうか!? 今から考えれば小池都知事などが強調した「ウィズ・コロナ」路線とは、水際対策で終息させる「ゼロ・コロナ」を早々に放棄して、集団免疫獲得に向けた全員順次感染路線に切り替える宣言だったようだ。

3代以上続く説明拒否勝手実行独裁内閣は御免である。


何とネトウヨ感覚、八代英輝キャスター
「右派だが知性の人」などではなかった  <3>

 八代英輝キャスターが番組中で「暴力革命」を放棄していない共産党と中傷。元々政策・綱領、決定文書には無いから翌週取り消したものの、公安見解とする責任転嫁で謝罪を回避し、加藤勝信官房長官が政府見解としてデマを重ねて総選挙前の悪質な世論誘導を行った。
 動かせない事実誤認を謝罪しないようでは「公正風」を求められるキャスターとしては命脈が尽きた。

 露骨に「アベ・管スポークスマン」を続けるコメンテータ田崎史郎氏は、某誌アンケート集計の「嫌いなコメンテータ第2位」だそうだが、あくまで「牽強付会の評価」に留まっていて、その極端さが、番組が野党側、反政府側情報を報じるためのカウンター・ウエイトとなって辛うじて報道の自由を守るアンチ素材となっている。 それとは違う、八代英輝氏デマ発信ではアウトである。

 八代英輝発言や政府見解が馬鹿げた妄想、あるいは悪意の捏造と思えるのは、s.30年頃に決定して基本、引き継いでいる民主的な政策・綱領で革新運動に参加した人達が、民主主義を否定した「暴力革命」への参加を求められても、誰も残らないだろうという話だ。 現に、朝鮮戦争時に占領軍命令で非合法化されて活動不能に陥って意思統一会議ひとつ開けなくなった共産党に、中共とソ連からの武力革命唯一論押し付け干渉があって、地下化した一部の共産党グループに採用されると、「命をかけて戦争反対を貫いた平和の党」として戦後すぐに戦争絶対否定で入党した人達の崩壊的大量離党が起こって「方針徹底・実行」どころでは無くなった。 復員者と銃後の戦死遺族が溢れる保守地盤の我が半農半漁の街には紫色のアルミ・エッチングの「靖国の家」の門標(=戦死者遺族)の家と、戦時中に戦争反対を貫いた共産党への新加入者が共存していたが、「折角、戦地から運良く生還でき、復員してきたというのに、自分から進んで命懸けの内戦を仕掛けるバカは居ない!」と、「元党員」だらけになったのである。それに公安機関矢継ぎ早の数々のでっちあげ弾圧が重なった。 公開している政策・綱領とは全く違う方針が裏で出ていたら、必ず外に漏れるし、さっさと辞めていく(w。
 公開数値で、1970年代の最大時に50万人弱の党員と240万部の赤旗新聞読者が居たとされるのが、今は、20万人と100万部弱とされているはずだ。 これは、参加するのも、辞めるのも当人の自由だからの増減ではないのか。 入党時に求めた大義名分とは齟齬を生じて辞める人も多数いるなかで、一体、どうすれば、「公開方針に反する、絶対漏れない秘密方針」など貫けるのか、非現実性に笑ってしまう。入党の初志に反する裏方針が分かった時点でさっさと辞めてしまうだろうが。

 我が某社の労働組合結成では卓越した能力を発揮した学生民青同時代からの参謀格氏が共産党を辞めると明かしたときに我々に漏らしたのは「民主連合政府が出来て、警察と自衛隊がクーデターを起こしたときの軍事方針が共産党には無いから(武力革命路線を言う)人民の星(自称日本共産党左派:中共配下)に行く」と述べて、容共派(=共産党とも一緒にやろう派)にはキツく当たる「反共主義的姿勢」を示すようになったが、労働運動の活動としては大変温和しくなってしまった。 共産党に具体的な武力革命路線が見られないから辞めるというのであるが、辞める勢いを付けたくての「人民の星」宣言ではなかったか?会社側への闘志は大きく失われて見えた。
 参謀格氏は入社直後から「アカだ!」とされて交代勤務用工場構内女子寮の一室に唯一人隔離されて、「学業成績特に優秀」で採用された電子工学設計技術者がベルト用の「測定器管理・整備係」で技術者としてのキャリアを奪われていたのもキツかったかも知れない。 労働組合徹底否定の労務政策で極秘裏に組合活動家作製の設計技術資料の出図・出庫禁止が掛けられていたが、御用組合員技術者たちにアングラ・コピーの技術資料が出回った中に参謀格氏作製の資料が入っていれば、少しは違ったのかも知れない。 入社直後からの病原菌徹底隔離では能力発揮の機会すらなかった。 後輩技術者たちが教科書的設計技術資料の作成者署名を辿って質問に来て、労務方針による出図・出庫禁止措置が分かったが、労働組合結成メンバーが会社側の言う「企業破壊者」「無能者」ではなかったことを最も雄弁に物語り、ユニオン・ショップで強制加入させられた会社組合員たちを確信的な労働組合支持、御用組合活動無視に回らせた逆効果エピソードのひとつだった。 組合結成発起人副代表を遠方に島流しにして結成妨害しながら、工場長が本社工場社員2400名余を中庭に集めて「今日から新製品起ち上げの出張で、組合結成妨害ではない」と演説して、全社員に組合結成妨害を確信させ却って組合に結集させたのと同様、専制支配側は我々被支配者たちの気持ちはまるで分からない(ww。 組合との裁判の会社側証人として有ること無いこと申し立てて組合を激しく非難した某技術部長氏は、会社内では解雇撤回闘争中の技術者に「うちに新人が入って、そっちに送るから指導してくれ。裁判で給料取ってるんだから良いだろ」とまぁ厚かましかったが、隠れた組合支持の拡がりではあった。
 当方、気の向いたときだけ活動するプチブル・リベラル型で、かなり休み休みもあって、労組結成、労災認定闘争、解雇争議など次々の課題毎に共産党系にも社会党系にも知恵と支援を求め、助けられた。
 例を挙げれば、会社が組合結成大会妨害を狙って、大型観光バス25台を工場に近づけさせないため、大会の2日前に結成大会準備委員長を担当地域の警察署に連れ出して、取り締まり担当の警察交通課から「工場前道路に車両幅員制限があって大型バスは通れず、道路管理者の許可を得て、公安委員会(警察)の特別許可が必要。道路管理者の許可に1週間ほど掛かる」などと直接通告させて、さらに通常はバス旅行の出発地だった工場庭での乗車を禁じて、さらに組合結成大会妨害を図った。
 ところが、万事休す!ではなく、当該箇所の道路管理者が調布市だったので即座に相談に行ったら、その担当の方が社会党系の調布市職員組合執行委員で、3年前の全国金属支部組合結成支援に参加していたそうだが、労働組合結成発起人たちの解雇弾圧で潰されていたリベンジ戦。 普段は制限があっても問題なく大型バスが通行していたことも有り、「またまた組合結成妨害だな!任せておけ」と、一緒に各窓口を廻って話を通してくれて、普段は稟議便で1週間ほど掛かる特別通行許可手続きを、わずか2時間で許可証を持たせてくれて警察交通課(公安委員会)に飛び込んで許可を取り事なきを得た。 「お役所仕事」の真の実力に驚愕・感謝した。
 使えるモノは何でも使う工学屋発想の不純な(w)当方にとっては、参謀格氏の純粋な?言い分は驚愕だったが、優れた参謀格氏は長期の闘争&参謀活動に心身共に疲れ果てたのが真相だろうとは思った。 本来は「イヤ〜なヤツとも一緒にやろう!」が統一戦線政策だ。合わない部分は棚上げして緊急・当面の問題解決で時は過ぎてしまう。 総て究極の一致なんか求める運動体など激論ばかりで動けないし、細かくは詰められなくても一致点での共同行動で足りている。 不一致点の棚上げを許さず個人見解を押し付けるようなパワハラ上司型人士はどんな組織にも存在しうるが、尻をまくって辞めればそれきり強要の縛りは解けてしまう。 気の向いた内容のときに「後援会」で参加するのは大歓迎されるようである。 仕事上の身分の掛かる専従・常任の人が「異論」として集中攻撃対象にされると逃げ場が無くなって大変なのだろうが、異論派は概ね浮き世の仕事で食いつなげる人達で、執筆生活で時来るを待った宮本賢治氏流は大いにありだ。
 (雑談としては、宮本賢治氏は売れっ子作家妻百合子氏の扶養家族として食いつないで良かった!市井の一般活動家はカミさんは身分の安定した公務員が良いなぁ(w、組合活動で「アカだ!」と不当解雇されても自力で食い繋ぐ他ないんだから(w、とか、袴田里見氏はカミさんにも逃げられ社宅の追い立ても食って、売れる執筆力もなく、「反共手記」を右翼週刊紙に高く売り込んで凌いだとか、社会党なら事務的にルーズだから、法的に法人格を取れない政党の資産とは証明しきれず、社宅は取り返せなくて袴田里見も反共手記売り込みはなかったろう。 激しい「反共手記」でなければ売れないし、「手続き遅延による生前放置」という裏技行使より却って高く付いてしまったのかも。(日活撮影所継続、倒産大映撮影所再建では、法的な会社整理・倒産手続きに対抗して、労働の場確保闘争を成功させていて、実質裁判手続き遅延も採用されているはずだ)。 政治資金の正当で合法的なプール方法はいくらでもあるのに組織的検討を怠って(組織らしい組織が無くて?)辻元清美議員を詐欺罪で下獄させてしまった無方針、無対策!とか、様々雑談が赤提灯などで飛び交っている(w)。もっとも、辻本(清美)、(鈴木)宗男、佐藤勝元外務省国際情報局分析第一課主任分析官 の刑務所経験は却って箔付けになっているのかもしれない)。
20世紀末の日中共産党関係修復で、中共が合意を守って活動資金提供など日本内政干渉の手を引いたことで「人民の星/共産党左派」は無くなっている。

 昔を辿れば、敗戦後の憲法制定議会で、たしか野坂参三議員が「国民主権」と「国家としての自衛権」を主張して、現憲法には「国民主権」は明文で採用され、一方、戦争放棄の9条が自衛権には触れずに制定された。 共産党としては日刊の赤旗新聞の各ページ枠上端に掲げる「4つの旗」の一つに「中立自衛」が「共産党中央機関紙」である間、長らく掲出されていて、社会党左派提唱の「非武装中立」(1951年〜)とは著しく異なっていた。 その帰結として、アメリカによるヴェトナム戦争を、単なる戦争反対ではなく、「アメリカの軍事侵略との自衛の闘いで独立を守る正当な闘い」「侵略者アメリカは直ちに撤退せよ」とした国政政党は共産党だけであった。4つの旗は「機関紙名乗り」を止めて「あかはた新聞」という一般新聞化編集で削除の模様。
 政治犯として無期懲役に処せられた故宮本賢治氏らが米軍占領で解放され亡命幹部が帰国できたことから一時、米軍を[解放軍]と扱ったことは、インドネシア独立運動でオランダに捕えられていたスカルノが、日本軍の進駐で解放され、終戦後オランダとの独立戦争を共に闘った「友軍」としたのと共通している。 スカルノは独立宣言を天皇紀である皇紀でしたためたとか(w
 ところが1950年の朝鮮戦争を機に、日本の民主化推進だった米軍の占領政策が変わり、共産党は再び非合法化され、米占領軍が朝鮮戦争に参戦して居るあいだ「間接侵略・内乱に備えて」として、国民に銃を向ける前提の、実態は軍隊である「警察予備隊」が作られ、「保安隊」「自衛隊」となった。 これは社会党の非武装中立論への強烈支持もあって「憲法に反する侵略準備軍」として非常に警戒されてきた。
 革新共闘が進んで、革新自治体に住む人口が約半数になった頃、自衛隊の高位将官が「社共共闘の政府が出来たら、自衛隊はそれに従わなければならない」と、当然のことを述べたら、忽ちにして左遷されて、その後の消息は伝わってこない。 この左遷措置は、自衛隊の社共政権不服従宣言、クーデター脅迫に取れて、大問題だった。
 国民に支えられた合法政府を、武力を以て倒そうとする動きがあれば、警察や軍を含めて国民の力を糾合して押さえるのは国として当たり前の話だが、それを「敵の出方論」と呼んで逆に攻撃しているのが八代英輝キャスターや公安&自民党政府である。
 中共とソ連の「干渉」で、武力革命唯一論が持ち込まれたときに、米占領軍による非合法化で一切の活動が出来なくなり、全党会議など全党的討論での党大会決定も出来ない状態で、一部の人達がその「武力革命」を紙上方針としては受け入れたが、(存命当事者いまや僅かだが!)前述の通り、戦後すぐに再び戦争をさせない「命をかけて戦争反対を貫いた平和の党」の実績に感じて入党した人達の大量の離党が起こり、方針実行の前に、警察などのデッチ上げ弾圧が重なり、個々の山村工作隊とか、武器製作・調達法の個人的学習とか山中での集団行動訓練開始に留まったらしく、実行されることは無かった。
 1952年4月の日本の独立で非合法指定が解けて、直ちに組織再建が図られ、政策・綱領論議が行われて、共産党全体の方針として外国の指示は受けない自主独立路線となり「武力革命」唯一論路線は否定されて現在に到る(いわゆる「六全協」(1955年)&「7大会」の決定(1958年)。この決定を非難して極『左』が現れ、最大限の侮蔑を込めて『代々木』『日共』などと呼び、一部マスコミも採用した)。
 途中、各国の革命運動の独立性を保証する国際会議合意(1960年)を成立させ、大国による統一指導や他国干渉を否定させている。 81ヶ国宣言のキモは各国の革命運動の「自主独立」の保障≒日本、ユーゴスラビアなど独自の革命路線の国際的承認であり、国情の違いを反映した個々の相違は当然の帰結であった(@81ヶ国共産党・労働者党代表者会議1960年。「宣言に矛盾がある」って、ソ連・中国の共産党の優位指導を排して、各国の違いを認め合う宣言だから相違は当然である)。
 文化大革命(1966年〜1976年)の毛沢東派中共から「鉄砲から政権が生まれる」と武力革命路線の押しつけが図られ、それに断固反対する共産党に対して、中共支持・養成の日本共産党山口県委員会(日本共産党左派、人民の星など)を別に作って攻撃する内政干渉を仕掛け、日本共産党を撲滅対象の「日中共同の4つの敵」の一つとして激しく敵対、時に襲撃した。
 当時、政界、マスコミ挙げて文化大革命礼賛のなかで、政党として唯一の文革否定、武力革命唯一論否定、毛沢東奪権クーデター否定が共産党だったから、八代英輝氏の放言とは真逆である。
 中共が「ヴェトナム懲罰戦争」(1979年)を仕掛けて10万人の大軍でヴェトナムを蹂躙したときには、赤旗ハノイ支局クレジット付きのニュースが全世界を駆け巡り、高野特派員がヴェトナム領内に侵攻した中国軍の狙撃兵に射殺されている。 共産党はその中国のやり方を「社会帝国主義」とまで呼んで厳しく糾弾している。
国民大虐殺・中国盲従武力革命路線のカンボジア・ポルポト政権はサイゴン解放(1975年)より1年早く対米戦争に勝利していたが、都市から住民を追い、知識層を重点の国民大虐殺と共に、ヴェトナムに対して繰り返し越境軍事侵攻をしてはヴェトナム軍に排除されるのを繰り返していて、カンボジア全土でのヘンサムリン軍の蜂起をヴェトナムが支持して出兵し都市圏を解放、ポルポト軍をジャングル地帯に追いやった。 このヴェトナムの基本、防衛措置に対してケ小平中国がメンツに掛けて「懲罰戦争」を仕掛けて1ヶ月後、米軍戦に鍛えられた主力部隊到着でたちまちに敗退した。 中国側の言い分は攻守がアベコベの中国側からの横暴な侵略戦争であった。 自国民の大虐殺というのはどうも中国系に共通のように見える。「日本協力者」徹底処刑、蒋介石による1947/2・28大虐殺2万8千人でも知識層重点殺戮、ポルポトによる100万人虐殺も医師、教師、技術者など知識層重点殺戮・・・・・・。 近年の中共の周辺国軍事侵略路線、尖閣領海進入、香港など民主主義圧殺路線に対しても、公式声明で社会主義政権とは認められない蛮行として最大級の強い非難を加えており、交流絶縁の毛沢東時代に次いだ、事実上の対決状態となっている。

 警官が交番に爆発物を投げ込んで、それを共産党の犯行と大宣伝した長野県の辰野事件、電車暴走の三鷹事件、列車転覆の松川事件、国鉄下山総裁轢死事件、警察官射殺の白鳥事件などなど、公安諸機関のジサクジエン事件で無実の組合活動家・共産党員たちを犯人に仕立てて死刑裁判・無期裁判が行われて、国民から切り離された。
 白鳥事件の唯一の物証である弾丸が捏造証拠であることは、証拠鑑定した名古屋工大金属工学教室で「応力腐蝕割れ問題」として長らく講義の材料にされて、峠の地中に長期に埋まっていた発射済み弾丸ではなく、新弾丸による捏造証拠であることを証明しても無視した最高裁の再審棄却決定を批判し続けていた。 三鷹事件の竹内被告を除いては、幸い後日、無罪判決で死刑から解放されたが、(権力側から繰り返しデッチあげ弾圧される)「怖い団体」という交錯した宣伝は深く浸透して、70年を経た今に続いている。
 その空気に乗って事実を無視したデマ「暴力革命綱領」が、八代英輝キャスター発言であるが、綱領にも政策にも存在しないという明白な誤り・デマの謝罪は行われていない。 八代英輝氏は「右派だが知性の人」などではない、ネトウヨ感覚の軽薄人であった。 間違いは撤回し率直に謝罪する程度の、もう少し、理性有る、まともな対応をしたらどうだ!下らないっ!

勝手踏切、勝手駅、勝手改札口、自転車歩道通行勝手
  選挙狙いの「取締り」?山添拓議員送検  <3.2>

 撮り鉄をしていた山添拓議員(共産)が昨年11/03、秩父鉄道で踏切ではない鉄道線路を横切ったとして鉄道営業法違反/軽犯罪法違反?で書類送検のニュース(9/19)!石破氏、前原氏、など議員さんに鉄ヲタは目立つようである。

 地方では、そこら中に「勝手踏切」があって、農家の庭先を本線が横切っていたり、玄関前を江ノ電が走っていたり、自然発生の通勤路・生活道路だったりで、踏切設備など何もない唯の線路を渡るのが黙過されてきたもの。
 ところが、明文で鉄道用地立入を禁じた法律はなく、高速運行の東海道新幹線が出来るときに「新幹線運行特例法」(法律111号s.39.6制定)が定められて新幹線線路領域のみ立入禁止となっている。 現実を見れば路面を郊外電車が走っていたり、僅かな本数の列車を縫って生活道路の勝手踏切や渡河橋とするのを敢えて禁止・処罰しなかった。

 通学に鉄道鉄橋をダイヤを外して渡るのが最短距離で他に平行道路がないとか、旧千葉工業高校津田沼校舎の様に、京成津田沼駅側からの登校で学校の正門(現千葉工大記念物門=旧鉄道第2連隊正門付近)を廻ると約8分長く掛かるので裏手の新京成線の土手を上って線路の保線通路&架線電柱スペース「犬走り」を伝って校内実習無線局(通信実験室)辺りに出て実習棟内の教室へ直行で危うく遅刻セーフとかで、咎められることはなく、見つかってもせいぜい超急カーブ144Rを徐行する新京成電車から一瞬の警笛を鳴らされる程度の事象だった。
 総武線も今は複々線化され線路は柵に囲われて踏切も幕張駅手前に1箇所しかないが、かっては線路脇の斜面に踏み分け道が出来ての勝手踏切が幾つもあり狭い花園町内だけでも新検見川駅前後の切り通し区間に2箇所あった(その千葉寄り勝手踏切先が現在人道地下道になっている)。 千葉市稲毛区の西千葉公園(現黒砂信号所付近)にあった千葉気動車区から習志野市の津田沼電車区までは線路脇の犬走りを通って遊びに行っていたのが小学生時代だった。 古くから農道の立体交差(=1トン橋)が多かった京成千葉線でも同様で、現在の花園陸橋(20〜30m)先は総武線新検見川駅から検見川無線送信所方面へ抜ける勝手踏切通勤路だった。

 もっと驚くのが、総武本線には長い単線区間に列車交換のために停車する信号場がいくつもあったが、扉が自由に開けられる♪喝采♪(ちあきなおみ)型の客車列車(♪動き始めた汽車に〜♪ひとり飛び乗った〜♪)だったから、通勤通学客がホームもないのに乗り降りしてしまう「勝手駅」が幾つもあった。 そこに戦後の国鉄動力近代化計画試行地域として房総が指定されて気動車区が作られ気動車キハ10系キハ17、キハ18が配置されたが、乗客たちが半自動ドアのコックを開いて、それまで通り勝手に乗り降りするもので、乗降ホームを作って正式に駅に昇格したとされるのが総武本線の都賀駅や物井駅などだ。元々の駅は四街道と佐倉で、四街道はその両側に勝手駅=信号場があった。
 「勝手改札」も多く有る。 線路の両側に改札口がある駅の方が珍しかった時代、1958年新設の総武線西船橋駅が両側から乗れる橋上駅として作られニュースになった状況だったが、駅舎の反対側からは不便なので、線路を渡って直接ホームに上がり列車に乗るのである。 西船橋駅より前、1951年夏に新設された新検見川駅では、駅舎=改札口が山側の県営住宅団地側ではなく、乗客の少ない海側に作られたのは、新設条件になっていた鉄道債券引き受けを、土地の神社への寄付割当組織が動いて検見川で大量に消化して、駅名も京成の検見川駅が先に開業していて「新検見川駅」にされ「花園駅」ではなく、改札も検見川町向きに作られた、というのだが、一部はリップ・サービスの作文!既に山陰線の京都市内に花園駅があって国鉄駅として重複できないが、下総中山に準じた「下総花園」案の提起もなかったから。 花園町は60坪区画(200m2)の準高級住宅団地が核だが、そこは2DK県営住宅が居住者に払い下げられたもので、鉄道債券の引き受けはほとんどなく、債権を分担した検見川から見れば不平等で、新設新検見川駅裏の畑で育てたスイカが帰宅客たちに全部盗られてしまって1個も食べられなかったという農家たちの怒りもあって、言い訳ストーリー「命名新検見川説」を作ったヤツが居るようだ。そこから暫くの間、監視小屋が周辺農地に立てられていたがスイカ泥棒には付き合いきれず転作・宅地化していった。細い農道ばかりの道なき道時代は目立った被害は無かったのだが、駅裏直になってはダメだった。 神社には金額付き寄付者名簿の石碑が明治時代から幾つも並んでいて、掲示板への半紙の張り出しどころではなくて、あれでやられては土地者は断れない。それがどうも新検見川駅設置鉄道債券引き受けに一部発動された模様だ。
 特に駅脇の踏切と、ホームに入る構内踏切があって渋滞する駅だと、正規には踏切を2つ渡るから通勤の気ぜわしい時だと待っているのが辛い。線路沿いに直接ホームに上がって駅員や車掌に定期券をかざして乗っていく。 それにたまらず朝の通勤時間帯に定期客だけ通す臨時改札を作ったりしていた。
 これらはいずれも刑事事件の取締り対象とは考えられなかった。

 自転車が道路交通法本来としては「軽車両」に分類され、車道通行が法律的な原則になっている。特別指定箇所が「歩道通行可」である。 しかし、社会常識は歩道を通るモノとされていて、ツアー車で車道を走っていると、白バイ警官にハンドスピーカーで「歩道を通りなさ〜い!」などと怒鳴られるアベコベの状況だった。 千葉街道など、千葉西警察交差点(稲毛)−幕張橋東詰間約1km余は路肩が非常に狭くて自転車では通れない区間で、防音壁外の遊歩道通行が原則の道路構造になっているが、遊歩道入口に「自転車通行可」表示は無い(検見川陸橋西に直径が標準の半分の、割と新しい標識が通常の2倍の高さに有るのを発見!前傾姿勢ツアー車では視野外。公安委員会名はない。後から市設置か?)し、そこを立体交差する非常に長い検見川陸橋(約250m)と花園陸橋(約200m)は自転車通行止めで、脇に平行する約2m幅の歩道陸橋には「自転車は降りて通れ」と表示があり、その歩道陸橋の手前には、ご丁寧にも「歩道通行可終了」の標識まであって、その指示通り200m〜250mを押して歩いていては保育園送迎もできなくなっている。 お母さんたちに前後に幼児2人と荷物を乗せたアシスト・バイクを押して長い坂を実際に登らせてみたら良い。不安定で却って危険が増して実用にならない。だからほとんどの人は禁止看板を無視して乗車のママ通っているのだが、ごくごく希に禁止標識を盾に激しくクレームを付ける風紀委員型の生徒が居る。
罠標識
左上赤逆三角一時停止標識を罠に駐禁標識先にパト
カーを止めて取締。優先道路は左手先60mで行止まり

 千葉市花見川区花園町と南花園を結ぶ総武線片切り通しのキツく長い勾配の人道地下道も、「バイク・自転車は押して通れ」とあって、原付自転車やアシスト・バイクを押して登れる体力のある人がどれほど居ると思っているのか!呆れてしまうが、こういう無茶な指示でも違反していれば「道交法違反」の取締りは可能な状況になっていて、恣意的取締りの罠になっている。アフガニスタン・タリバン宗教警察型の恣意的取締りの下準備はされている! 早朝にバイクで赤旗新聞を配達している叔母ちゃんは、その坂を押し上げきれないから絶対狙われる! その人道地下道に続く道路は総武線線路で車は行き止まりだが約60m先の十字路では優先道路指定されていて、直交方向の交通量の多い道が一旦停止を義務付けられていて、(See→右写真& 328-4末尾)長らく警察点数稼ぎネズミ取り取締りの罠となっていて絶えずパトカーが止まって一旦停止違反を取り締まっていた。 優先道路指定の間違いであるが桜並木グリーンベルトの本道より車線の広い裏道通行抑制のねらいもあるのか未だに訂正されていない。

 かって警視庁(東京都警察)から突然、自転車車道通行指示が出されて取締りが言われたが、現実に合わず、毎日の本署−交番間移動の警官たちは、上部からの指示を全く無視して、それまで通りに自転車で歩道通行を続けて、一律命令は事実上撤回され、道幅に余裕のある各地には「自転車優先レーン」を描いて一応の保護を図ったが、駐車の車に道端:自転車レーンをふさがれて、あまり意味が無かった。路上駐車位置と自転車レーンが重ならない配置の工夫が必要だ。  c.f. #287 ほか

 実生活直結で、解釈に幅が在って、通常は直の適用を避けて黙過している問題を、共産党議員・関係者だとことさらに問題にして刑事事件化する警察の歪んだ「反共主義」はたいがいにすべきだ。詩織さん事件逮捕状差し止めとか、上からは禁止方針が出たにもかかわらず、本署から交番への連日の往復に、自転車で従前通り歩道を走り続けているおまわりさんをとっ捕まえないと法執行の公平に反する!ではないか。 ただ線路を渡っただけの撮り鉄の取締りなど、先ずは森加計さくら、公文書改竄と国会での虚偽説明を何とかしてからの話だろう。
   追伸:c.f.「空気は読まない」東京新聞特報面9/22もかなり厳しく糾弾!(w。駅傍だから40分に1組交換?
       c.f.2 秩父鉄道樋口駅祝祭日時刻表
       c.f.3 赤旗新聞日曜版9/5(16)はハリウッド「赤狩り」10巻完結@山本おさむ。 好きなタイプの漫画家ではないが、注釈章を含めて全巻読み切った


河野太郎潰しに乱立作戦か!自民党総裁選挙
「再選挙/決選投票」は同じ有権者で行うべき  <4>

 交代する次の総理大臣を決める、自民党総裁選が始まったが、投票制度が2段構えで、地方党員票を含んだ1次投票で過半数なら当選、過半数以下では上位2人を議員だけに限って、地方有権者の投票権を奪った「決選投票」として、結着させるという現行の変則規定に阻まれて、国会議員による決選投票では党員投票で最上位の石破候補が逆転落選するという茶番を演じて、以降、国会議員だけによる総裁選挙が続き、自民党の世論的自浄力を無くしてきた。
 今回も久しぶりの党員投票で、流れとしては3人の立候補で河野太郎が党員票のトップを取って一発決定の可能性が出て来たところ、もう一人総裁候補を立候補させて、党改革主張側の票をチラして、過半数未達成で、国会議員だけの決選投票に持ち込もうという露骨な動きがされた。立候補に必要な推薦人を貸すというのだから、理念では無い決選投票化を策した政治工作はあきらかだ。
 強い利害・利権のある国会議員だけでの決選投票では国民騙しの儀式で話にならない。投票規約が公正ではなく、少なくとも決選投票も同一選挙人による全国投票が筋だ。 かって福田赳夫(父)首相は総裁選びの全国党員投票に負けて「天の声にも変なのがある」と潔く退陣していった。  党員内選挙の公平さを大事にするのなら、見せかけの党員投票で世論を釣って、実際は、利権まみれの国会議員が決めるような現行制度では信頼性を大きく落とすばかりだ。 かっての宣伝のように「党費4,000円で総理大臣を選べる」壮大な運動に戻さないと、このまま終焉は見えている様に思う。亡くなった支援者や犬猫まで党員登録されたというのは党費立替の実質買収を許した運用のルーズがあった。
自民党がそうしたオウンゴールで支持を失っていくのは勝手だが、当事者である自民党員がその不当性、非民主性に気付かない限りは改善されない。

今こそ野党の出番なのだが、弁護士流の細々重箱の隅追及じゃダメだ!国民世論で攻められない。 前回政権移行は「保革逆転」が効いたようだが、今回も運動として転がる大きな旗を掲げなければ話にならない。しっかりしてくれ!
 繰り返し「直ちには命に関わることはない!」とだけ言い続けて他の安全誘導指示はせず、放射能予測図さえ伏せた態度は過剰なパニック抑制策ではあるが、多くの国民に「モタモタしてると命が危ないんだな!こいつに任せては命が危ないかもしれない」という強い不信感を生んだ。 せめて「交通容量の大きい南北方向に20km以上、他の人も待避して来られる余裕分を加えた距離を避難して。南方向の収容量がやや多い。北側の仙台は大被害」とか、「量は掴めず確実ではないが、平均風向は南西が主。北東方向に多く流れた可能性あり。早く遠く離れて!」といった具体情報を流していたら不安感はかなり違ったろう。 その辺の人の心に沿わなかったことに、まるで反省が無い!小手先法廷弁護士流では困るのだ。

2021/09/28 23:55

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