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モハ90型、設計意図とは違った運行で「大食い」評価
最高速度を抑えた運転が省エネ

 電車の省エネ運転の工夫が新聞(右枠)やサイトに報告されているが、これはs.30年代に始まった高加速車の設計コンセプトであった。 時刻表上の表定速度が同じなら、高加速度&高減速度にして最高速度を落として運転すれば、速度2乗比例で消費電力を少なくできるとして、阪神電鉄ジェットカー、ラビットカー、国鉄モハ90、京成電鉄3000シリーズなど鉄道界に全電動車志向が大流行した。右囲み記事の試みのキモは、停止時の減速度を大きくして最高速度を下げ、省エネを図ることにある。
 回生制動時に架線に返す電力を無視して考えれば、列車の加速に要するエネルギーEは、(1/2)総質量M×速度V2 だから、全質量比例、速度2乗比例の単純な関係であり、停車時にはそのエネルギーを総てブレーキで消費=車外に捨てる。 式では以下のように表す。
   E=(1/2)M・V2

    東急運転士が考案「操縦テクだけで省エネ」実践法 東洋経済2021/09/03 4:30
 加速途中の速度の経過は全く問わず、最高速度の2乗と、質量にのみ比例するから、時刻表上の表定速度は変えずに、急加速・急減速にして最高速度を落とせば、速度2乗比例の省エネ運転が実現する。
最高速度を5%低く運転すれば、消費電力は約10%低くなるのである(0.95×0.95=0.9025)。電力回生制動の掛け方の工夫は微調整と言って良い。

 ところが、それら高加速車の省エネ設計の意図は運転現場にはあまり伝わらず、加速が良くてすぐ高速を出せる快適な高性能新型車と理解されて、旧型車以上の最高速度で運行を開始したので最高速度の2乗比例で電力消費が大きくなり、モハ90系(改番モハ101系)など乗客増を追った急激な増備で「変電所を落とすほどの大食い車両」、津田沼電車区での朝の仕業点検で過負荷停電したこともあり「高速遮断器を飛ばす大食い車両」との誤解が定着した。 津田沼電車区は以降、起動時刻を分散指定する時間差起動を採用。 全電動車化を前提に6M2T運行だった101系は設備投資が追い付かずに付随車2両を増結する6M4Tにされてモーターが過熱する過負荷状態となり、性能不足車扱いで一部は発電制動機能を殺して発熱を抑えるなどして山手線より駅間の長い総武線と中央快速線に転出、山手線には定格速度を低く設計した103系を投入した。

 運転席にかぶり付いて速度計を見ていても、旧型国電では最高速度80km/h余だったものが、新性能国電101系、103系では90km/h前後、新系列国電209系E231系では95km/h前後で、総武線など旧国時代より10分前後の大幅なダイヤ高速化が図られている。 京成改軌(1959年)のフラッグを担って軌間1435mmにデビューした赤電全電動車3050型など改軌直後の千葉線で驚くべき加速を見せていた。
 消費電力は質量にも比例して、ステンレス車体の軽量化205系での電力回生制動採用以降、超軽量「走るんです」209系以降の回生制動付きVVVFインバータ制御で電力消費を103系時代から半減(公称47%)させて大きな省エネに成功したわけである。
 無用な加速、減速は電力エネルギーをドブに捨てる操作であり、先行列車の位置を予測した運転が求められ「予告現示」などで補助することになる。
 加速側のラン・カーブは同じだから、右の囲み記事では、運転の仕方で減速力を大きくしたり、停車時間を削った分、最高速度を下げて省エネ運転を実現する訳である。 反面、省エネ運転可能とは、山手線は車両性能一杯一杯の運転はしてなかったか、客が減って停車時間などにゆとりが生じたということだ。表定速度は落とさないで貰いたい。
 電力回生量を考えれば、停車時の減速度は、フルに回生制動を使う(摩擦ブレーキは使わない)操作が望ましく、低速になって回生失効した後は純電気ブレーキに任せきりにせず摩擦ブレーキも使って粘着限界一杯の減速が望ましいが、乗り心地も考えないといけない。 表定速度維持の最適値が有り、急減速で摩擦ブレーキ依存が増えればその分は電力回生できない。右カコミ記事のその件はあくまで実車試験結果であって、理想運転では回生失効まではフルに回生制動で、回生失効後は最大制動といった運転が考えられる。それが誤差に埋もれる程度の効果なら単純操作で良いわけだ。

 東日本大震災&原発崩壊事故以降の社会的なエネルギー節約要求から節電運転が実地に研究されて、表定速度を維持した最高速度抑制については、開発から60余年後の今になってようやく大昔s.30年初頭の高加速車コンセプトに到達できた。 大変結構なことだが、鉄道の世界は経験主義&現場感覚卓越、設計者軽視がず〜〜〜っと続いてきたようである(苦w。
 戦後の航空機製造禁止で国鉄に流れてきた航空技術者たちや、在野の鉄道学者たちが鉄道実務家たちから著しく軽んじられる反知性的風土や、逆に元航空屋さんたちの外様忖度などが複雑に絡み合っての結果だろう。

 子細に見ると、米占領軍に追い出された航空屋さんが鉄道界に流れ付いた頃には、吊り掛け駆動方式として重い大トルクモーターの半荷重が直接車軸に乗っていて軌道とモーター自体を衝撃損耗することが「バネ下荷重」問題として検討されており、モーターをバネ上に載せて「可撓継ぎ手」を介して車輪に動力を伝える静的な構造を開発していた。
 高速台車開発でのMRKの2階微分方程式の最適解は、その「バネ上荷重化」の上での高速走行化に必要な振動制御技術・過渡特性調整技術で、特急用高速台車開発・新幹線開発の超重要技術だったが、それを独立の理論とはアピールせず静的な「バネ下荷重軽減」問題に繰り入れてしまった。
 それが貨車設計担当が設計したワラ1型軽荷重時の激しいピッチング共振見逃し(=東海道線鶴見事故)、コキ106/107/200型軽荷重時のローリング共振見逃し輪重抜け脱線事故(江差線&成田線)に繋がってしまった様だ。 微分方程式の2次振動解の問題として、過制動、臨界制動、減衰振動解と、実用調整としてのヤヤ振動応答を指摘した発表をしていたら、貨車設計にも反映された可能性があったのに機会を失って残念だった。 如何に大失業から拾われた外様とはいえゼロ戦設計以来の基本解析技術なのだから、黙って引き下がってしまうのは鉄道界に忖度しすぎ、引き過ぎだった様に思う。
 今にして思えば戦前の超優秀技術者層は圧倒的に航空業界志向で、僅かの期間で世界に冠たる軍用機を設計開発していたが、技術力を支える産業力が弱く、養成に超高コストのパイロットに特攻を命じるような愚かな軍首脳部の指揮で無用の戦争を起こして早期に戦況の逆転を許した。 それは丁度、アメリカ南北戦争での軍功華やかな南軍が、経済封鎖アナコンダ作戦の北軍に負けて行くような前略上の劣位であった。 GHQ命令の航空産業禁止でその優秀層が自動車業界と鉄道業界に拾われて現状の技術的発展に繋がっている。

2021/09/09 23:55

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