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運転規則に問題!京急神奈川新町事故
無線閉塞方式での踏切防御手順に改めよ!
運転士に可罰的違法性無し

 京浜急行神奈川新町駅第1踏切で、トリコになった大型トラックに特急電車が衝突して脱線転覆、乗客重軽傷多数という事故で、電車運転士が業務上過失往来危険と業務上過失致死傷の両容疑で送検されたニュース(右カコミ)。

乗客ら31人重軽傷の京急踏切事故 列車の運転士を書類送検

                        朝日新聞社 2021/09/07 22:00
 京急本線の踏切で2019年、快特列車と衝突したトラックの運転手が死亡し乗客ら31人が重軽傷を負った事故で、神奈川県警は7日、列車の男性運転士(30)=横浜市金沢区=を業務上過失往来危険と業務上過失致死傷の両容疑で書類送検し、発表した。

 交通捜査課は、運転士の具体的な過失については、公判を理由に説明せず、認否やブレーキ操作の状況も明らかにしなかった。捜査関係者によると、運転士が踏切の異常を知らせる信号機を確認をするのが遅れた疑いがあるという。

 事故は19年9月5日午前11時43分ごろ、神奈川新町第1踏切(横浜市)で発生。警報機が鳴った後に踏切に入ったトラックと列車が衝突し、運転手を含む32人が死傷した。京急は「事実関係を確認してコメントする」としている。

 県警はトラックの男性運転手(当時67)=千葉県成田市=も、容疑者死亡のまま自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)と過失往来危険の両容疑で書類送検した。



京浜急行神奈川新町駅先踏切衝撃事故


 相変わらずの末端オペレータ人身御供型刑事処分であり、本質を見逃す不公平処罰になっている。
 目で見て停まれる道路交通とは違い、鉄道は非常制動を掛けても500m〜600mは停まれない。 また600m先が見通せなくても信号に従い所定の高速度で突入走行することが義務付けられている。 だから法律上も鉄道優先が定められている。

 踏切支障信号が点灯したら、「120km/h高速走行中の運転士がそんな500m以上遠くの状況を目視で判断して危険ならブレーキを掛けよ」というのが京浜急行の運転規則であり、運転士が止めるべきかどうかを逡巡している間にブレーキ投入が衝突限界より2秒遅れたからの衝撃事故だった。

この規則が、「踏切支障信号を見たらまず踏切手前に停まる減速操作をして、目視で安全が確認されたらブレーキ緩解して運行続行」と定められていたら衝撃は避けられている。500m以上の遠方から踏切内状態の安否を判断せよという運転規則が無茶なのだ。京浜急行の運転規則に違法性が有り、運転士の責任とは言えない。運転士の刑事処罰・送検は不当である。

 ちなみに、現在普及中の無線閉塞方式での踏切制御では、踏切手前で停止させる制動パターンを常時設定しておき、列車が接近して遮断竿が降りて、踏切内に障害物が検知できない場合にのみ制動パターンを消去することで踏切事故を防いでいる。 現状の踏切支障検知装置で歩行者を検出できるかどうかはまだ微妙だが、少なくとも列車の安全はほぼ確実に担保できる。

 なお、「自動停止」を採用できるかどうかは、制動パターン方式なら衝突しないよう制御されるから大いに採用だが、京急のような固定的な制御ポイント式で踏切だらけで高速・高密度運行では列車を止めすぎてしまってダイヤが成り立たない虞があって踏み切れなかったのである。 総武線の本線に踏切は幕張駅手前の人道踏切1箇所しかないからほとんど意味は無い。制動パターン式を採用できる信号ATPシステムとしては、無線閉塞式の他、ATS-P(JR東、東海)、D-ATCなどだから、列車通過量に若干の余裕のある線区なら自動停止も採用可能だが、そうではない過密運行線区では信号ATP系を全面換装する必要が出て来て手を出しかねていた訳だ。 在野の鉄道学者、曽根悟東大名誉教授も輸送逼迫の現状を知り抜いて、無線閉塞の様な「まず停止操作」とは言い切らない曖昧な談話を発表している。 See→#440右カコミ記事。 運転士のカンが少し狂っただけで衝突してしまう、日本の大都会の電車は毎日、そんな軽業運転を強いられているのだ。
c.f.
    #440 :京浜急行神奈川新町駅先踏切衝突事故試算'19/09/05
    #443 :2秒余の操作遅れに「可罰的違法性」なし'19/12/08

「慰安婦として戦地に」
安倍・菅内閣干渉で教科書歪曲  <2>

 4月の閣議決定を受け教科書会社が訂正申請して、慰安婦から「従軍」削除、「強制連行→強制的動員」変更、全面削除の社もあり、のニュース。単なる言葉の整理ではなく、歴史的事実そのものを無いことにしたい政治的意図の下に強要されているから重大である。

 戦後10年余は「従軍慰安婦」という言葉は存在せず、人身売買で娼婦にされた人たちを、遊女、花魁、太夫、娼妓、飯盛り、女郎、夜鷹などと呼び分けて、戦地で「兵隊さんをお慰めする」国策に沿って動員された「一段上の」娼婦を特に「慰安婦」と呼んだから、疑いなく「慰安婦=従軍娼婦」だった。 それらの区別も曖昧で、「白拍子」「踊り子」「芸者」「芸妓」「舞子」「本玉」なども重なるところがあった。
(その辺でませた高校生たちが「当時の一高生川端康成は踊り子を宿に呼んで夜伽をさせたかどうか」、「思い出の一部を美しく切り取って短編小説『伊豆の踊子』を書いたのではないか?」などの雑談論議を誘発した所以である。 小説「伊豆の踊子」では、峠下の茶店の婆から、踊り子一行に今夜泊まる当てなど有るはずもなくお客があり次第どこだって止まると聞き「それならば、踊り子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ」(新版p12L3/旧版p11L−5、ママ)と書いているwww)
 さすがに若年者の醜業従事禁止令が出されていたが、朝鮮では制限年齢が日本本土より低く設定されて、折からの日中戦争大陸侵略日本軍の需要に応じて朝鮮から大量の若年女性が慰安婦として官も噛んだ地域割当で強制的に動員された。 そこが半ば職業化された日本人花柳界層の動員とは大きく異なる点である。 娼婦に落とされる打撃の大きさが日韓で桁違いなのである。

 しかも日本では貧民由来で身売りされてきた娼婦たちに同情的空気が強くあって、庶民層では年季奉公明けに妻にするとか、芸能でも「廓モノ(くるわもの)」が成立する文化で、敗戦時に満州から引き揚げる開拓団がソ連兵たちの略奪攻撃回避に開拓団員の独身女性たちに性接待係を頼み込んで開拓団全体の安全を守った話さえあるが、儒教・キリスト教の影響の強い朝鮮では、娼婦自体が犯罪者扱いの日陰者で、甘言に騙されての被害を訴えることも憚られた。
 越中富山の反魂丹(はんごんたん)の高尾太夫(孝雄太夫?)だの、あ〜ら我が君の垂乳根(たらちね)、一本刀土俵入で餓死寸前の駒形茂平を救ったのは花魁で、後日、関取には出世できなかった駒形茂平が恩人の大ピンチに一本刀のヤクザ姿で駆けつけた。 「駒形」自体が各地方遊郭地域特有の地名であった。 特に新興の江戸は徳川幕府が荒野に都市を建設したところから当初は人口比率で男が9割、女が1割で、岡場所(遊郭、曖昧茶屋等)は大変栄え、年季明け遊女も多数居て、伴侶に様々な条件を付けがたかった源流がある。
 ただし細かくなるが「奴隷」は家畜扱いの終身身分だが、遊女はタテマエとしては年季奉公明けで自由の身、遙か遠くても雲間は見えていた。
身売り相談所
NHK-TV画面
大正、昭和の東北大飢饉に高利貸しと組んで僅かな借金を酷い高利で返済不能にして身売りさせ娼婦にしたような悪質なとこでは、借金漬けにして花柳病で死ぬまで働かせた「奴隷」待遇はあった。 当時、村役場に「身売り相談所」が出来るような高利貸しと組んだ女衒(ぜげん)による極貧由来の娼婦が多数居て、慰安婦たちを「個人営業の売春婦」と切って捨てる安倍晋三感覚は全く狂っている。激甚な東北大飢饉が娘の身売りや5.15/2.26クーデター事件の背景だし、満州への移民の大きな動機である。 日本人慰安婦も犠牲者なのだ。 一般評価として「慰安婦=性奴隷」とはやや煽りすぎの抵抗感はある。 家庭のピンチに「苦界(くがい)に身を沈めて」(=身売りして娼妓になって)助ける孝行娘とか、支配層の儒教系価値観から一部後ろ指指す向きもあったが、日本の庶民と娼婦は様々な呼称が生きているほど非常に近く同情的だったのである。

 時を経て、社会的記憶の風化が始まり、強調の意味で「従軍慰安婦」という言葉が作られたから、後日、大日本帝国無謬論者たちから「従軍慰安婦なんて無かった」という集中攻撃を受けるようになり、さらには安倍晋三元首相のように「個人の意思による売春営業だった」という客観事実を無視した暴言が横行するようになった。 戦後60年以上の時の経過は古語あつかいで振りかな添付の必要を感じさせるモノだった。
 慰安婦記憶承継の善意の試みが「従軍」を付すことなのは分かるが、歴史的に争いを生じるものほど元々の正確な呼称を維持して必要な説明を加える必要があり、当面だけを見た便宜的な扱いには当時から若干の抵抗を感じていた。 だから「従軍」削除と、「強制連行→強制的動員」変更は形式的には妥当性があるが、セットで「=従軍娼婦」「軍用」の注釈は欠かせないし、案の定、記述そのものを削除してしまった教科書会社が現れて、単なる語句修正に留まらず、事実を無かったことにしてしまう極右派の戦利品になってしまった。

2021/09/09 23:55

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