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新幹線冷房:一時停止繰り返す

 300系新幹線の冷房が、(架線の)切り替えセクション通過で0.3秒の瞬時停電をする毎に、数分間の動作停止に見舞われて、酷暑時には冷房能力不足で難儀したというエピソードを聞いて、初代0系新幹線では停止せずに動いていたと思っていた。 ところが0系300系両方に関わった鉄道技研の元開発研究者によると、0系の冷房も瞬時停電でリセットされて数分間動作停止するのは変わらないというのである。 室内側の換気ブロアーが停まらなかったなどで、冷房が働いていると思われたのではないかという(by鉄道講座@工学院大、講義中の解説)。  20箇所の変電所と、中間の区分饋電所で瞬時停電させていては、×3分の停止が41箇所前後もあっては、東海道新幹線全線走行で冷房が123分間も停まる、運転時間300系150分の82%、0系190分の64.7%も停まっては冷房が効かないのだ!意外なトリビア!

 家庭用エアコンならとっくにインバーター化していて、一旦、直流にして平滑化しているから、0.3秒程度の瞬時停電は吸収出来るかも知れないが、鉄道車両規模の大型冷房装置では、停電として検出して再起動行程に入り数分間の動作停止となったのだろう。
 かっての在来線特急は冷房能力が不足していて、房総の183系など炎暑時には蒸し風呂状態で閉口した。 車掌に聞くと「直してくれとズッと言ってるんだけど、直ってこない!」と冷房機など制御盤のパネルを蹴飛ばして必死に言い訳していた。あれは冷房「故障」ではなく冷房能力不足だろう。C調車掌ではあった(w。
 太陽光の熱エネルギーが開口1平方メートル当たり大凡1kWもあるから、これが透明ガラスから直接室内に入ってきては、冷房に依る廃熱が追い付かなくて蒸し風呂状態になるのは当然である。

【1】 ふたコブは天城山の模様:方位角227.6゚

【2】 富士山@ダイヤモンド富士:方位角256゚
ATAN2(x,y) CHK

 対策としては、(1).外気に接する場所で熱線を吸収・遮断して、室内には入れない=冷房機の負荷にはしないこと、(2).筐体からの熱散逸防止=断熱、(3).できれば熱回収(=熱交換型ロスナイ換気扇:下記枠内)、が必要となる。
 近年の通勤電車では熱線吸収ガラス1枚窓が標準になっているが、特急の2重ガラスの外側ガラスの外側表面には熱線吸収機能を持たせて、そこを高温点に太陽熱を外気に持っていかせることが求められている。
 この冷房能力に余裕がないギリギリの場合に、数分間とはいえ、冷房が停止するのでは問題になりうる。新幹線のような交流電化方式では変電所毎に存在して瞬時停電する異相セクションの設置間隔を仮に25kmとすれば500kmの間に20箇所はあって、さらに変電所間の区分饋電所の切り替えセクションでも0.3秒の瞬時停電をさせていたから合計41箇所で瞬時停電が起こっていて、仮に×3分の停止だと123分は止まっている。全行程2時間半=150分中の123分停止では、82%の時間停止していたことになる。 後日、変電所間の区分饋電所の切り替えセクションの両側の給電位相が同位相であることから切換をオーバーラップさせて瞬時停電を止めて、瞬停総回数を半減させた(=鉄道総研一般公開での解説展示)ことで60分(=20×3分)の冷房停止に抑えた。全行程2時間半=150分中の60分停止では、40%の時間停止していたことになる。0系新幹線190分では休止31.6%(60分)に抑えたことになるが、0系では不具合としては認識されていなかった。
 架線からの給電位相は、変電所「●」を挟んでT相M相を入れ替えてあり、T●MM●TT●MM●・・・・・・・となっていて、同位相の突き合わせ(MM、TT)になる区分饋電所の切り替えタイミングを重複させて無停電にして瞬時停電回数を半減させたのである。 鉄道総研発表の「乗り心地の改善」とは、もしかするとそれは300系の冷房瞬断対策だったのかもしれない。冷房熱量を貯め込んで使う機能も無かったのだろうか?

 700系以降はどういうことになっているか、大変興味のあるところである↓(300→500→700→N700→N700A→N700S)。 日本製だから、大型冷房機もインバータ方式になって電源を一旦直流化していれば、瞬停問題はクリアできている可能性は強くなるのだが。・・・・・・と思って検索すると三菱電機製、新幹線N700A用空調装置開発の論文がヒット。 従前1両に3ユニット積んでいたのを、吸気排気の熱交換部を1ユニットと合体させて2基積みとして軽量化、熱交換の「ロスナイ」換気装置」(日記#444-1.x)は従前(のN700系?)から採用していることが分かった。 0.3秒瞬時停電対策の記述がないが、300系で大変困った現象だから、700系のいずれかのシリーズからは瞬停での停止を起こらなくしていて、結果、過剰冷房能力となったのを3基から2基に減じた可能性はある。 熱交換器とユニットの一体化だけで能力が1.5倍化するかの説明は不自然である。 0.3秒の瞬時停電対策(瞬停対策)だけで、300系で運転時間の1/3を占める冷房停止時間が無くなり、実質冷房能力が無対策の1.5倍になるから、3基だったものを連続運転の2基にできるはず。ロスナイ採用が主因ではなく、瞬時停電でも3分間も停まらなくしたことで、ユニット数を3台から2台にできたのではないか? もしかしてN700Aで初めて瞬時停電対策されてユニットが2台に減らせたということなのか?明快な説明の欲しいところだが ・・・・・・・・

See→N700系新幹線用空調装置における 省エネルギー・低振動化 … N700A用冷房装置@三菱電機
 熱交換換気(ロスナイ)構造が組み込まれている(p22.図3.全熱交換器(3))。 従前1両に床下冷房機3ユニットだったものが2ユニットにして軽量化された。 三菱電機製でロスナイ構造は従前から採用され、N700Aでユニットと一体化された。
 だが、0.3秒間瞬時停電対応の有無には触れてない。

【試算】
冷房能力:36,000〜42,000 [k cal/h]在来線、1 [cal]=4.185 [Ws≡J]、ヒートポンプ倍率=3.5倍と仮定。
kW単位の冷房能力は、H=36,000〜42,000/3,600 [k cal/s]×4.185=41.85〜48.825 [kW]の排熱性能有り。
大凡の冷房電力は、41.85〜48.825/3.5≒12.0〜14.0 [kW]
【窓から入る太陽熱】
太陽光入射角:θ [゚]
太陽光放射密度:ρ [kW/m2
窓高さ:H [m]
客室長:L [m]
20゚ 〜78゚
1.0
1.0
15
P=1.0×1.0 cos(20〜45〜67゚)×15
 =(0.94、0.71、0.39)×15 [kW/m]
  =14.1、 10.2、 5.9 [kW]
  = 3.4、  2.4、 1.4 [k cal]

 窓からの太陽光熱量(14kW)は、体感としては暑いが、熱量としては外気との温度差依存(42〜49kW)が主の模様。
乗客一人当たりの排熱は約100Wと云われるから、通勤ラッシュで250人乗っていると、計25kWの発熱量になり、 太陽光熱量と併せて、39kWとなるから、42kW=36,000k cal/hの冷房機では冷やしきれない虞がある。現状42,000 k cal/h=49kWの冷房能力が妥当なのだろう。

天城山?伊豆大島?も見えていた!
@千葉市検見川の浜  <2>


【3】 伊豆天城山か?:方位角227.6゚(富士−29度)
   浮島現象?&→風の塔方位232.1゚(富士−24゚)
  ×大島三原山か?:方位角210.8゚(富士−45度)?
 寒さも厳しくなって海岸からの視界が時折「異常透明」となって、年に数回、伊豆天城山が見えることに気付いていたが、深夜の散歩で数年ぶりに北斗七星と北極星が見えた夜の翌朝の海岸で、その左に島影らしきものが見えて!何だ?!と思った。 毎朝、体を目覚めさせるためにラジオ体操参加後、稲毛の浜ヨットハーバー傍、東側突堤先端付近までサイクリングしているのだが、年を追って眺望が悪化していて、かってはよく見えていた東京湾横断道や東京ゲートブリッジ・羽田空港管制塔など(=末尾写真[5]〜[7])がほとんど見えなくなっていた。

 それでも富士山と大山だけは頻繁に見えていて、年に数回気付く「異常透明」時に、天城山のフタ瘤が見えていた。 新たに気付いた島影は、経度・緯度差が1度そこそこだから、Google Earthから各地点の緯度・経度を読み取り、平面近似で方向角を求め、富士山との方向角の違いから推定できそうだ。
方位&距離計算
【全方位ATAN】  動軸座標(X,Y)から全方位ArcTANを求める。
Excelの函数に「ATAN2(x,y)」として準備されているが値域が±180゚(±π [rad])で、yの負側は負角表示なので、その場合360゚を加えて方向角(0゚〜360゚)に換算する。一般的な「論理式の値」(=−1)はExcelでは「TRUE」で使えない。=if()使用。
(ATN(θ)は、値域が±90゚未満で、そのままでは方位角算出には使えない。自前の函数定義が無用になったのは有り難い。1990年頃はまだ自前定義(又はFORTRANの函数集引用)だった。See→全方位アークタンジェントの函数定義)

 その結果、「島影」はどうやら伊豆大島三原山らしいのだ。富士山から左へ約30度のふた瘤山も間違いなく伊豆天城山。大島三原山は約45度方向。 もう一つ目立つ目印は、東京湾横断道橋梁;アクアブリッジ東端約47゚と、その西端;海ほたる約35゚。ゲートブリッジは富士山から右へ8゚で、富士山が見えない時には副基準にはなる。
 三浦半島側(右側)は標高が低いため、天城山も三原山も遮られず、房総半島側(左側)は、富津崎・富津市の標高が低くて三原山を遮ることはないし、50m高の富津斎場も53度廻った方向、洲崎灯台は56度も廻った方向で三原山を支障しない。 しかも三原山の方が117kmと、天城山の127km、富士山の122kmより近いことが分かった。島影がアクア・ブリッジに重なっていれば伊豆大島だ(写真[6]では島影の判別不能)。 しかし、そんなに遠くまで見えていながら、24km余先の東京湾横断道や東京ゲートブリッジなどは良く見分けられなかった。
 最近、横断道も、ゲートブリッジも、羽田空港も視認できていないが、その原因には、海面近くは透明度が良くないだけでなく、逆蜃気楼現象で水平線下に沈んでしまい、空が見えているのかもしれない。写真[4]〜[8]の様に、かってはよく見えていた。
 基準方向とした富士山の方向角は約256度、真西(270度)よりも14度南向きである。

夏至前後に「ダイヤモンド・スカイツリー?」  <2.2>

 参照点の方向を算出していて、スカイツリーの方向(23゚+西270゚)が夏至頃の日没方向23.4゚(=地軸傾斜角)にごく近いことに気付いた。 ダイヤモンド・スカイツリーである。 今年は夏至6/21前後の夕方6時半頃(日没19:01の前)に検見川の浜堤防に出掛けてみるか。
 ちなみに、冬至のダイヤモンド富士は高尾山山頂で見られるが、日没時刻16:31では、高尾山ケーブルカーの終電時刻16:30には20分ほど間に合わず、街灯などなく真っ暗な夜の山道を1時間ほど歩いて下山しなければならない。

【9】新港岸壁の階段撤去跡。全3本共撤去で夕日見えず


2/24は新港岸壁で警察に阻止され見られない
かっては観察場所を日付入り地図で案内していて「夕日を見せない日」が明瞭だった@千葉市報

海岸に出られなくなった千葉「新港地区」
ダイヤモンド富士が毎期2日分潰れる  <2.3>

 千葉市の海岸は、毎年秋冬の2期、太陽が富士山頂に沈む「ダイヤモンド富士」現象が見られ、蘇我から習志野に掛けての海岸線で、天候次第で年に数日は見えるので、毎年見物客が集まって、一時は千葉市が観光の目玉として宣伝していたのであるが、近年、新港地区の海岸線約1,900mが事実上立入禁止となって、行っただけで厳しく取り締まられる過剰警備状態になっていたが、さらに堤防前面に出て海を見ることのできる階段、全3基を解体撤去してしまい夕日見物が一切出来なくされている。 旧川崎製鉄(JFE)埋立地と千葉火力発電所、習志野の汚水処理場が海岸に出られないから、残る海岸線は、習志野寄りの約6kmで、実に野暮の極みである。

 千葉新港の海岸線護岸には、最奥に成田空港燃料バースと貯油タンクがあって、中核派など「極左」暴力集団の襲撃の標的になりかねないという建前で、そこには西北端のアイス・スケート場側車道からしか進入できなくなっていて、空港油送管施設の設置以来、40年間も昼夜を分かたぬ厳重警備が行われている。 階段撤去後、警官常駐の簡易ポリ・ボックスは現在なくなっていて少し目立たなくなったが、昼夜の警備状態は変わらない。

世論誘導・運動破壊の「極左暴力集団泳がせ政策」 <2.4>

 あれから40年、メタボ・ジジイになった極左中核派が護岸や塀を乗り越えて燃料パイプラインの襲撃なんか出来るのかw?警備・公安系の失業対策事業が実態なのでは?と思ってしまう。 鉄道も東京湾岸と茨城県鹿島の石油基地からタンク車で空港に向けて運ぶルートは空港開業以来のバックアップルートとして生きている。 成田空港への燃料輸送列車は幕張駅中線折り返しで始まり、複々線化後は稲毛−西千葉間に320m列車の折り返しのための「黒砂信号場」中線が準備されている。 周辺の高速道路整備も進んでいて燃料輸送の安定性は増していて輸送路攻撃の実質的効果は上がらない。
 そればかりか、油送パイプラインの中継所がヤケに多くて花見川の左右両岸にある!もしかして、あれは襲撃対策用のダミー:噛ませ犬で、各中継所にはフューズと逆止弁付きバイパスがあって、地上の中継所を壊されてもそのまま燃料は送られる構造なのかも知れない!(ww:無論冗談だが、本気で実施しても金は大したことない。謀略革マル派だと既に送油施設の極秘図面を盗み出しているかも・・・・・。

 我が某社の解雇争議でも、一般組合員であり執行部ではなかった中核派活動家一人がなぜか組合結成・闘争指導の組合役員ら5人と一緒に解雇されて、地裁の勝訴で毎月の賃金・ボーナスを延べ20年間に渉って受け取って社外で中核派の活動をしていたが、ほぼ毎月行われた現金賃金支払いと、裁判法廷とには出席していて、その都度、5〜6人の公安警察の尾行者を引き連れていた。 労働組合組織としての合意がないままに独自行動するやり方は、各種会議を著しく疲弊させ、無用の解雇処分を何件も引き起こし、職場の不信を拡げ、それを理由の組合脱退者を増やすなど、会社の激しい攻撃下の労働組合を著しく弱体化させた。暴走・武力制圧など、民主主義を尊重できないとこは絶対ダメだ!議会暴動のトランプ派同様。

 年に1〜2回のボーナス支払い仮処分裁判で、会社が支払い拒否の理由として出してきたのが「自民党本部へのミサイル攻撃の被疑者として警察が追っていて、資金を止めたいと言われた」と云うので、公安警察の尾行の口実は分かったのだが、それだと、捕まえてしまえば良いわけで、何年にもわたって長期にこれ見よがしに尾行する理由にはならない。
中核派幹部逮捕記事
活動引退で逮捕晒し、泳がせ政策


 デジタルの時限装置など、秋葉原で売っているタイマー・キットを組み立てれば、気の利いた中学生でも作れてしまう。 それを開発本部の設計技術者であった中核派氏だけが作れるという公安警察の「推定」に皆、大笑いだったが、職場では更に「自民党向けミサイルは不発だった」という情報で、「失敗したなら、もしかしてヤツかも知れない!」と大いに盛り上がっていた。

 中核派氏は給料日には本社に出社して給与を受け取るのだが、毎度毎度、公安警察の尾行数名を引き連れて現れていて、逮捕容疑の無い違法な嫌がらせ尾行というのが社員達にも判ってきた。
 逮捕できないことが分かると、外回りの養殖御用組合員たちが工場から社用車で外出するときに中核派氏を駐車場のある工場中庭から乗せて、狛江市の迷路状の入り組んだ元農道市街地のカーチェイスを楽しんで、地元の地理には不案内の公安警察の尾行を巻いて途中の目立たない駅に送り届けて遊んでいた。犯罪の無い人物への尾行を巻いても犯罪には当たらないから、なかなかのスリルある遊びになっていた。 政治的には無色透明の養殖御用組合員たちに遊ばれるようでは「公安警察官の失業対策事業化していた」と揶揄されて当然だった。 狛江市は農地からのテンデバラバラの宅地開発で、袋小路だらけ、元々迷路状のなか、たまたま他の宅地道路に抜ける地元民しか知らない抜け道が多くあって、巧まずして迷路を構成したのだ。地元警察の協力も得ない愚行が公安警察の日常だ。
 我々労働組合側・左派側がそんなことをすれば、「違法行為」を捏造され、転び公妨(=自分で転んで公務執行妨害罪として逮捕・弾圧)などデッチ上げ弾圧の危険もあって、無実の弾圧に遭いかねないし、殺人暴力集団極左派中核派活動に手は貸せない!から、手を出さなかったのだが、あまりのあからさまな嫌がらせ尾行に呆れ、人権侵害抗議を込めて、入門受付守衛所窓口などに座る公安警察の写真を撮って貼りだそうと思った。 しかし、たまたまフィルムの買い置きが切れていて、会社の購買部にも品切れ!仕方ないので大型ストロボを手動モードで最大発光させて、守衛所受付に座る公安尾行者たちに一眼レフ・カメラを向けて空シャッターで大型ストロボを焚いたのであるが、尾行者たちは慌てたのなんの!必死に顔を隠しながら逃げ出した。
 警察にパイプのある我が某社総務課の情報では、逃げ出した公安尾行者の報告は「(尾行対象中核派氏は)隣の工場の塀を乗り越えて逃亡」となっているそうだが、実際は他工場所属社員の正規の入出門手続きで守衛所を通っている。 公安尾行者は「カメラを怖れて逃げ出した」とは報告できなかった!失態を取り繕う虚偽の捜査報告である。 深夜勤手当の大幅改善などで交渉した組合側に親近感を持っていた守衛長らは「(尾行者が守衛所に)勝手に入ってきて居座られてしまった」と驚いていた。

 長期に賃金を支払って就労させず自由にさせておく会社のやり方こそ中核派活動の援助なのだが、公安警察は何を考えている?!17年も無意味に尾行するとは、後藤田官房長官も認めた「極左泳がせ政策」というより寧ろ公安の失業対策事業なのか?とここで思った。 破防法の公安調査庁と同類の、朝鮮総連と共産党の「存在しない犯罪」を追い続ける空疎・失業対策事業なのだ(おうむ真理教は公安調査庁の現在の救世主!)。 解雇撤回裁判をしながらの「地下潜伏活動」なんて有り得ると思うのか!馬鹿馬鹿しい!ずっと公然尾行護衛付き活動だったろうが!

 中核派氏は、地裁・高裁仮処分での2度の勝訴、地裁本訴での3度目の勝訴の後に会社から「就労指示」が出たが、婦唱夫随型の「中核派活動」から引退を決めると、警察は突然別件逮捕して「地下活動の中核派幹部を逮捕」とマスコミに大発表!その逮捕容疑は、「偽名で旅館に宿泊した」という超微罪。 取り調べもなく数日で釈放、以降は無罪放免されて地裁本訴での3度目の勝訴で会社から就労指示を受けて退職、父方の郷里に帰っている。 10数年に亘って5〜6名で密着尾行していて武器・爆弾製造の隙が無かったことは公安警察自身が熟知していたはずだ。 だから逮捕後、公安警察の宣伝報道後に取り調べが全くないまま釈放である。 当時、芸能新聞だった東京新聞は、警察発表のママ顔写真付きの3段見出しで、おどろおどろしいテロ攻撃首謀容疑としてかなり大きく報じていた(右記事→↑。逮捕時は「元」ではない勝訴判決による社員。行動「目撃者」は公安警察官の尾行者か?)。 宿賃さえ払っていればフツーは問題なく、食中毒や指定感染症追跡などで初めて必要になるもの。 文筆業者などの雅号・ペンネームや偽名宿泊など一般にかなり行われていそうではないか。 逮捕までして処罰すべき違法では無い。 客観的な裏取り取材・調査がなく、印象操作、世論操作発表に無批判に乗る報道姿勢は、芸能ブル新:東京新聞とは思った(近年は他紙よりジャーナリズム指向の様だが)。 マスコミを使った左派・極左テロ危険度大宣伝だけを狙った無用な逮捕だったことは明らかだった。 四大紙はその辺、慣れていてボツだったようだ。See→#2.5

 内ゲバ殺人と際限の無い無茶なサボタージュ=遵法闘争が世論を敵にして、労働運動・民主運動への失望・不信感を醸成させてきた政策が所謂「泳がせ政策」。 毎日の通勤電車からよく見えた、総武線の幕張電車区(現車両センター)の快速線切り通し擁壁には長年「革マル殺せ!」の約2m角の文字が描かれて放置されてきたが、血みどろの成田空港闘争と併せ、一般国民感覚を運動否定の方向に誘導していた。 中核派の描いたものだろうが、千葉動労組合員でも襲撃懸念があって消せなかったとか。 先の戦争直後は「生活と平和擁護の砦」とされて、ほとんどの経営に労働組合が結成され皆が組合加入していたものが、その有効性を分かった経営側が分裂と養殖御用組合化を図り、社民系政党・セクトが占領支配領地扱いして、国鉄分割民営化&労働者派遣法制定で、連合育成・総評労働運動破壊の国鉄労働者攻撃大キャンペーンが開始されて、その側面攻撃となったのが極左暴力集団泳がせ政策だった。
 先出、「極左地下活動幹部逮捕」を報じる東京新聞の写真付き3段見出しの記事は、活動離脱に当たっての泳がせ政策の最後のお勤めとなった訳だ。 ご当人は公開である裁判を続けていて常に多人数の尾行が付いて到底「地下活動」などとは言えなかったことはズッと見てきた。

【千葉市海浜病院前護岸堤防上眺望@検見川浜】


【4】 大山(神奈川県)と富士山256゚方位(基準:0度)。羽田空港管制塔と北への離陸機影が見えている。

【5】 東京湾横断道トンネル川崎人工島通風筒「風の塔」(ゲートブリッジより撮影)

【6】 東京湾横断道橋梁部と右端海ほたるP.A.(ゲートブリッジより撮影)

【6'】   〃  橋梁部左端背景の影は?島影??右端海ほたるP.A.は富士左35゚

【7】東京湾ゲートブリッジ遠望265゚富士右9゚

【7'】  〃   建設中

【8】 東京湾夜景(都心方向)

【8’】 東京湾北部:スカイツリー、東京タワー、大観覧車:葛西臨海公園、NEC本社、東京ゲートブリッジ


【9】新港岸壁の階段撤去跡。全3本共撤去で夕日見られず

【11】 真相はどんなモノですかねぇ?!前例の「潜伏幹部逮捕報道」もおどろおどろしかったけど

【12】 羽田空港D滑走路&B滑走路接近光跡

【10】夕日見物者を誰何。乗っていた自転車ごと舗装道路に
引き倒され膝を負傷した。違法過剰警備

【13】 高パワーボタン付き半田鏝柄内部

「泳がせ政策」補足  <2.5>

 公安警察の目に余る失業対策事業化、泳がせ政策を書いてアプロードしたとたんに「約半世紀にわたる潜伏生活から姿を現した」話が「報道」されて([11])、かっての尾行者大名行列型「潜伏」行動の目撃者として、再び眉に唾を付けて読むことになった。 中核派記者会見を報じても単なる中核派存在宣伝加担に過ぎないのではないのか?それこそ「人が犬を噛む」のだけ報じてれば良いのではないのか? 先ほどは「近年はややジャーナリズム指向の様だ」と少し褒めておいたのに!ソースがあれば誤報ではなく、ソースの責任というWikipedia方式ではあるが。

 問題の我が中核派氏は、1971年の解雇処分直後の組合支部役員選挙に立候補して当選したが、組合の会議では全体の一致点を求めることはせず、自分の主張に固執し続けて深夜に到り、翌朝からの仕事のある在職メンバーたちを疲弊させてしまい、さらには合意のないままに労働組合名で行動してしまい、大混乱となった。

 彼ら支持の組合員がスーパーのレジで未払い商品を隠し持っていたのを発見されて、普通なら、店外にも出ていないから、厳重説示・始末書程度で放免されるのだが、それを「会社資本による万引きの捏ち上げ」などとする全く根拠の無いビラ宣伝を勝手に始めてしまい、「「無実」だけではダメで、「資本の捏ち上げ」としないと首を守れない」と言い張って訂正・撤回を拒否、それにより普通解雇とされてしまい、更に女子寮に残った荷物を整理に来た総務係社員をコタツ板で殴りつけて、もう一人解雇。捏造と名指しされた現場の店は警察に被害届を提出して最悪の展開になった。 他にも個人闘争行動の解雇があって、その無茶苦茶さで中央執行委員長(=執行委員会)による支部執行権停止、さらには執行委員を解任されて外部の自派の「潜伏活動」に専念することになった。それが前述、中核派氏の公安護衛尾行付きの「地下活動」である。

 1974年5月の第2次大量解雇(108名解雇、5・2解雇:地方子会社含め400名弱の解雇)の職場復帰解決時に、第1次解雇だけでなく、セクトとしての暴走で起こした解雇の撤回解決も強く要求してきたが、組合世論としては彼等の暴走正当化主張を含めて断固拒否が主で、絶対引かない中核系と対立して纏まらない方向となり、当面、職場復帰可能となった、活動家ばかりではない一般組合員大量解雇だけ全54名復職させる中間解決になった(108名解雇の残りの54名は組合未加入で争わず解雇通告時で退職手続き)。 社内放送での指名解雇・養殖御用組合とのユニオンショップ協定強行など常軌を逸した組合攻撃に怒って、指名解雇弾圧下で労組新規加入者が200名以上も増える上げ潮状態で職場復帰解決を迫っていたが、中核派の暴走自爆解雇には職場の支持がほとんどなかったから、不当解雇反対で闘う54名+4名の生活・闘争資金安定確保を組合員数7百名弱の純中立労働組合の困難さもあって、自分勝手な中核派暴走者解雇まで含む一括解決の世論にはならなかったのである。 中核派暴走者を分けるかどうかの激越な論議で組合全体が消耗していては折角の解決の機会はなくなってしまうが、組合結成のリーダーなど4名解雇だけなら後回しにされても、まだ戦い続けられるというギリギリの判断があったのだろう。

 この中間解決を「労使で記者会見発表する」という団体交渉中の別枠トップ交渉合意で集約したのであるが、団体交渉の傍聴は自由と云うことで、地元マスコミの記者達が傍聴者として毎回詰めたり、取材電話を掛けていて、この時も職場復帰解決の合意内容は翌朝の新聞に正確に報道されて、社長は怒り狂って「組合は嘘つきだ!」と、第一次解雇の解決が飛んでしまった。交渉合意結果の秘匿はバックヤードには伝えられていなくて、「労使での記者会見」は記事とは独立に行われるものと思っていた。 前出、河合弘之先生東京新聞夕刊随筆(#47)の「ミツミ電機闘争」の分である。
 会社側団体交渉委員長も「マスコミ発表内容に問題は無かった」としたが、解決交渉が事実上の公開で行われていたことを、トップ交渉の社長・執行委員長が全く見落としたことで重要な解決の機会を失ってしまった。
 中核派の行動が、最も有害だったのは、労働組合全体の一致点を形成して、総掛かりで動いた世論の力で物事を動かしていく「運動の基本」を無視して、その主観的判断で勝手に暴走し、合意・団結・運動を壊してしまうことだった。 全体の合意を否定して、反対意見を撲滅、独断で動いた「極左」派を排除しないというのはこういう深刻な副作用を生ずる。レッテルで排除とは違うのだ。

 中核派氏は会社の公募試験で競争率が7倍〜14倍を突破した一種幹部候補生採用だったが、卒業単位が不足して、それを国立大中退扱いの高卒資格でそのまま採用、大学4年間在籍分の勤続補正が加わった分、同年同期より職務給が高給に是正されているから、先の東京新聞記事のニュアンスとはかなり異なり、会社による学業評価は特別に良かったのだろう。 常識的には単位不足で卒業できないと採用取り消し、甘くて採用保留・卒業待ちだから、横浜国大中退の中核派氏は会社に余程気に入られた様だ。 幼い頃から際立って学業成績優秀で、他人の解答を省みる経験がなくてバカに見えてしまい独裁化するのだろうか? だが、優秀公募組の数名に一名程度は何らかの尖った能力が感じられたものだが、中核派氏に技術的に「特別の優秀性」を感じたことは一度もなくて、その唯我独尊の執拗な屁理屈能力には閉口した。 それが、自分に都合の良い結論を求めて、それに合う都合の良い「架空の事実認定」(=会社・権力による万引き事件の捏造)を拾ってきて、合意なく強行突破したのだから、組合運動、民主運動は総て大混乱・崩壊してしまう。 会社の弾圧・差別の中、ほぼ全員加入だった新工場支部組合員を半減させた、あまりの打撃に執行委員は2期で退任となった。 内ゲバ殺人など最悪で、民主主義否定の殺人暴力集団:中核派・革マル派などを民主運動には絶対加えられない。
 大朝日新聞の新年特集に採用など度重なるヨイショ・キャンペーンもあって10倍前後の高い競争率の応募が何年も続いて、民間興信所の調査と学業成績順で採用した様で、採用者には学業成績優秀どころの左右セクトの参謀格がうじゃうじゃ(w。 左右各種セクトが入り交じった公募採用組に革マル派だけは居なかったのが例外だが。 セクトの付和随行その他大勢組は、社会的印象通りの、それなりの人たちだろうが、セクトでも参謀格は多くが学業成績優秀者らしいのだ。 我が某社を辞めて暫くして、某女子大の助教授になった某セクト活動家も居て、「あの学校だけは娘を通わせられない!」などの冗談も飛び交ったが、そういうレベルの公募採用者たちだった。
 他の大企業は警察OB−公安警察ルートの違法な裏情報などでレッド・パージ。 調査に漏れて採用し即解雇して争議となったのが三菱樹脂本採用拒否高野事件だった。

 なおその公募組(幹部候補生採用)から、結成呼びかけ中の労組に対抗する養殖御用組合結成に走った者は一人も居なかった。 正統右翼の由緒ある家柄で、全共闘議長秋田明大の独裁的学生寮支配を争って追い出した経験を持ち、無組合下の社員代表「理事長」を降りたばかりの電子回路設計技術者が、会社から第二組合起ち上げを強く説得されていたが、「組合は最初に始めたヤツに任せるべきだ」といって断固拒否して中立を保ち続けて失敗。 理事長氏とは同課同室に机を並べていた私は、職場持ち回りでの次の理事を引き受けた。 そうした会社側不当工作状況を知る私のところにまで人事部長から直接に本社御用組合起ち上げの誘いがあった(=共に重大な支配介入の不当労働行為だ)が、前理事長の正統右翼氏とは違い、軟弱者の私は御用社員団体理事に居座ることで御用組合転換を防ぎながら、のらりくらり・グチグチと言を左右に第二組合発足の同意を回避し続けて本社工場での組合結成までの時間を稼ぎ続けた。
 それに対抗して女子工員達への強制残業・罰残業強要の先頭だった仇敵!製造課係長氏を第二組合委員長に、加えて労働組合結成の動きを唯一人会社に密告し、ベルトを強制残業受諾の説得に廻っては反対世論に火を付けた御用団体理事を同副委員長とし、本社地域で班長・主任など末端職制になっていた某狂信的宗教団体地域幹部たちが役員に多数参加する、敵側総出演の布陣で第二組合を立ち上げた。
 それで労働組合加入を迷っていた層が「あの人達じゃ御用でダメだ!」と、一斉に労組に加入申込して過半数を大きく超える逆効果となり、地方の自民党有力者名家出身の精密機械設計技術者が支部労組結成大会議長を引き受けてくれて東京立川社会教育会館ホールを満席にする総勢1,200人参加、加盟1,600人の大盛会の本社工場支部結成大会だった。(See→#428-2:vs オセロ的転換 )

 繰り返される組合弾圧差別の中、新工場の某宗教団体員は組合員として残っていて108名大量指名解雇の対象にされて闘って職場復帰しているが、本社地域だけ「組合費は払い続けるから脱退させて」という奇妙な申し出がかなりあった。 本社職域で結成された御用第2組合活動家の宗教団体地域組織内の指導的地位の悪用と推定している。 第2次大量解雇に遭った女子寮自治委員の解任・追放要求を組織したのも女子寮内のその某宗教団体活動家集団で、本社地域の某宗教団体系御用組合幹部が108名大量指名解雇の共犯の模様だが、それは御用組合内部からも激しい批判を浴びて女子寮内での解雇者自治委員辞任要求・解任排除活動を停止させた。 大量不当解雇の復職解決に際して創業者社長が一番ためらったのが「『彼ら』(=某宗教団体地域幹部の御用組合幹部)と約束をしてしまって変えられない」だった。
 今は、もっと露骨な零細職場が増えて、職安や就職情報誌などを頼りに面接を受け採用されると、職場はその某宗教団体支配で、すぐにシャップクが始まり、入信しないと干されてしまう酷いところが少なくない。 土建業界など、業務として某宗教政党と候補支持の「誓約書」を集めて提出しているところさえ多く在る。 社員のほとんどが執拗な強い説伏に押し切られて「「入信」はしたが、自由な休日が無くなってしまった!」という先輩のぼやきに、その会社をさっさと辞めて改めて別の職場を捜したのだとか。 狂信カルトの職場支配は地獄である。 あれは求人の募集要項に「学会員歓迎」などと明示を義務付けすべきだ。 職場実態を隠す募集を職安が強いては、カルトを助勢してしまう。 応募時に最初から回避できれば、入信拒否で他に再就職する無駄時間は不当に奪われないで済む。 <2021/01/30補足>

半田鏝が灼熱事故
高パワーボタン接点が焼付短絡!  <3>

 半田鏝の金属部全体が灼熱して近くのプラスティックを融かして発火寸前! 異臭で灼熱に気付きコードを抜いて事なきを得たのであるが、 トラブルの原因は、高出力ボタンのマイクロ・スイッチが焼き付いて遮断されなくなって過熱したもの。
専用の鏝置き台を使って周囲環境と絶縁して使うべきだった。高パワー結線(+110W:写真[13]赤結線)を外して、普通出力20Wだけで使うことにした。 ボタン部に復元バネが一切無く、マイクロ・スイッチの小さい反力だけに頼る構造が手抜きなのでは?強加熱ボタンがフラックスなどで汚れると戻れなくなってしまう。 (加工のショックで焼付接点は離れて正常動作する様になったが、熔着で荒れたから、再発懸念で使わないこととする)。 大型ワークにはニクロム線ヒータの200W鏝、プリント基板用には10Wセラミック鏝を持っていて、一般電気配線用20Wとしては「速熱」瞬時130Wを諦めれば大きな支障は無さそう。 「速熱式」などフィールドの修理屋でなければ現実の必要性は乏しい機能なのだが、それで商品選択するアマチュアは多いということか?
 半田鏝はセラミック・ヒーター式が主流となって久しく、当方も職場で組立ベルト用に採用した30W鏝を長らく使ってきて、収納時の急速水冷が祟ってヒーターが折損・断線してしまい、古い機種で補修部品がなくて買い換えたのだが、秋葉原電気街で数店捜したが、当該機種はもう出ていないと云われた。 セラミック化に伴い近年瞬間的な高パワーボタンを設けて、大型部品をハンダ上げしやすくしたり、早く起動させたりの製品が主流の模様だ。 量産ベルト用の使いやすい機種は東南アジア工場向けになってしまい、国内市場では売れないのだろうか?
 便利機能には違いないが、今度のようなトラブルが起こると、高パワーボタンには若干の疑問を生ずる。 半田鏝を付け放しのママ席を離れてはいけないのだが。

2021/01/28 23:55

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