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台湾運輸安全調査委員会
プユマ号事故最終報告書公表
「組織的な管理の問題」

 一昨年10月の台湾鉄道特急プユマ号脱線転覆事故の最終報告書が現地台湾の「運輸安全調査委員会」から公表されたとの報道(右枠)があった。原文は読めないので詳細を詰めることはできない部分があるが、総論的結論の「空気圧縮機の故障に気付かず発車させるなど、組織的な管理の問題だ。車両故障はない」と結論づけたことは自然で違和感はない。

列車事故、「管理上の問題」と結論
   =「プユマ号」脱線―台湾・運輸安全委

                 時事通信社2020年10月19日 18:17
        https://www.excite.co.jp/news/article/Jiji_20201019X833/

 【台北時事】台湾で2018年10月21日、特急列車「プユマ号」が脱線し18人が死亡、291人が重軽傷を負った事故で、運輸安全調査委員会は19日、最終報告書を公表した。同委は事故の原因について、列車を運行していた交通部(交通省)台湾鉄道管理局(台鉄)が、空気圧縮機の故障に気付かず発車させるなど、組織的な管理の問題だと結論付けた。

 プユマ号の製造元は、日本車両製造(名古屋市)。台鉄は「列車の不具合が事故につながった」などと主張し、車両の主契約企業である住友商事を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしているが、運輸安全委は「車両自体に問題はない」と判断した。ただ、保守点検上の問題を指摘した上で、具体的な改善策を打ち出すよう住友商事側に提言した。 


プユマ号脱線事故から2年
  調査委、台湾鉄道に18項目の改善を提言

          フォーカス台湾 2020年10月19日 18:23 0(台北中央社)
https://www.excite.co.jp/news/article/Jpcna_CNA_20201019_202010190004/

 死者18人を出した台湾鉄路管理局(台鉄)特急プユマ号の脱線事故から21日で2年になるのを前に、国家運輸安全調査委員会は19日、最終調査報告を公表した。報告書では、運転士の操作や指令員、整備士の対応などが直接の原因だとし、その根源は台鉄が包括的なマニュアルや手順を提供していなかったことや職員訓練や検定制度の不備にあると指摘した。台鉄に対し、各車種の操作や保守、故障時の対応に関するマニュアルの作成など18項目の改善を提言し、90日以内の回答を求めた。

2018年10月21日、樹林発台東行きのプユマ号が新馬駅(宜蘭県)手前の右カーブを曲がりきれずに脱線し、18人が死亡、291人が重軽傷を負った。

報告書によれば、事故発生前、車両の動力に異常が生じており、運転士は異常を解決しようと、自動で速度を制御する自動列車防護装置(ATP)を切断。運転士は指令員や整備士との連絡に気を取られ、新馬駅付近のカーブの手前に設置されていた速度標識(プユマ号は時速75キロ)に気付かず、カーブ進入時に減速が間に合わなかった。当時列車は時速140キロで走行していた。

報告書では台鉄のほか、交通部(交通省)や車両の主契約企業である住友商事などにも改善を提言した。


【海外の反応】台湾プユマ号脱線事故で
   台湾鉄道が日本に賠償請求...驚きの対応とは?!

     https://www.youtube.com/watch?v=XCEuZiDxdkY
          U-tube 2020年10月15日 upload

 直接的転覆原因は、速度制限本則60km/h〜車体傾斜式75km/h〜振り子85km/hである半径300Rの曲線に100km/h超、140km/hで突入してしまった過速度転覆で、人為エラーである。1067mmゲージで300Rの転覆限界速度は105km/h〜110km/hとされている@尼崎事故調査報告書。制限速度は横Gによる乗り心地限界から定められていて、概ね0.08Gで規定して、車体傾斜による横G軽減分を上乗せして実効0.08Gを目途に定めていて、転覆限界よりずっと厳しい制限になっている。300R曲線を車体傾斜を止めて75km/h制限のままで走っても乗り心地が悪化するだけで安全にはほとんど影響しない。

過速度ATS地上子の有無が問題

 エラー防止の手立てとして、現場に過速度ATSが設置されていたかどうかの情報・報道はない。 非設置なら鉄道事業者側の手抜きである。 プユマ号のATP機能としては欧州規格の「ETCS LEVEL-1」とあって、地上子式でコマンドを送る方式で、日本のATS-P相当とあるから、過速度ATS機能は当該必要箇所にコマンド地上子を設置する必要があるが、プユマ号事故では事故箇所にLEVEL-1の速度照査地上子が設置されていたかどうかの情報が無いのだ。 福知山線尼崎事故2005/4/25ではATS-Sw路線で車両側にはATS-Sw/ATS-P併設だが、この過速度ATS機能=速度照査地上子が現場に設置してなくて転覆事故を防げなかった。

ATP断厳禁規定に違反

 本線運行中はATP常時投入が運転規則であるはずで、ATP断の運行では過速度ATSは働かない。 運転士、それを知って運行を許した司令の規則違反エラー。 もし、過速度ATS地上子が現場に設置済みだったら、この規則違反が事故を防げなくした。

ATP断通報未接続は仕様に違背

 ATP断を司令に伝える機能は、全列車で未接続で、仕様を満たさないから、追加で結線する必要があり、これは事故後、直ちに実施された模様である。但し、今回の事故の場合ATP断は運転士から司令に連絡されているから、事故発生との関連性はない。 台鉄側から口答指示での未結線の疑いもアリ、これは日本の鉄道業界に未だに残る悪習なのかもしれない。書類が残ってなければ対抗出来ないから、「配線落ちのミス」になる。「設計ミス」は誤報で「組立工程上のミス」である。

空気圧低下非常停止に取扱ミス&ATP故障と誤判断

 ATPの故障と誤認した理由は、運転士も司令も非常停止した原因を究明せずに、ATPに依ると短絡的に考えてしまったこと。運転席のモニター表示は空気圧縮機2基の異常を示していたとある。
 非常制動で停止したら、そこで圧力計を見て許容範囲かどうかを見ていたら、下限以下であることに気付いて、圧力の正常回復を待って正常に発車できた。 ブレーキに圧搾空気を使う車両では最も基礎的知識で乗務員に教育している筈のものである。 これは圧搾空気を使う鉄道車両に共通の特性で、他の車両も同じなので、台鉄の教育不足・不徹底が問われるものだ。 メーカー添付のマニュアル記事には馴染まない、一般的取扱を記す運転教習テキストの記事が相応しい。 日本の鉄道でも空気管・ブレーキ管圧力計は必ず付いていて、これに注意しながらの運転が義務付けられており、旧型国電以前では、速度計は過速度事故を重ねてからの後付けで当初はメカ式だった。空気圧はそれほど重視されるものだ。
 またつづら折りカーブ区間で空気圧が徐々に下がって下限以下になったことに気付いていたら、運転士としては車体傾斜機能を止めて運転再開が手順だし、車両整備側は、空気圧縮機の供給能力不足なら、増設するか、車体傾斜機能の使用制限を命じるのが常道。コンプレッサーを再起動させる下限圧力と、自動的な非常制動を掛ける圧力下限が接近し過ぎだったのなら調整整備不適切かも知れない。 運転時の圧力低下の扱いは変わらないから事故発生に直接の影響は無いが、コンプレッサーの増力・増設や、車体傾斜構造変更など対処が設計側に返ってくるから、車体傾斜式車両を初導入の鉄道事業者現場には特別の注記が有った方が好ましい。 そこが事故調最終報告書でのメーカーに対する勧告内容かもしれない。
 JR四国は試作した車体傾斜式特急の土讃線での使用を断念して高徳線に回し、圧縮空気消費量の少ない振り子式で開発仕直している。See.→エアー消費激甚で車体傾斜式量産断念:日記#432。JR四国が開発にタッチしているからか、速やかに適切な措置が採られた。 車体傾斜式でのコンプレッサー増力では無くエアー消費の少ない振り子式に戻した理由は、3両程度の短編成運用を想定してスペース不足からコンプレッサー増力を断念したのかもしれない。編成が長くて搭載余裕があればコンプレッサー増力で足りるはずなのだから。たとえば客席4席を潰して機械室にしてコンプレッサーを設置する措置は長編成の国鉄型山岳路線特急車では良く見られていたが、JR四国での3両編成運航を想定すれば客席を減らしがたかったとか?
 カーブの密度は線区毎に違い、カーブの頻度が少なければエアー不足には至らず正常範囲を維持出来る訳で、どうしても現物合わせ的要素が残ってしまうから、営業運転開始前の運行試験で問題を出し切って対策してから営業運転に入るものだ。台鉄はこの試験・検討が不十分だったのだろう。

鉄道事業者の常識か?特記すべき特別情報か?

 これらの営業運転までの試運転・慣熟運転の手順、採取すべきデータは、フツーの鉄道事業者なら良く分かっていて、オペレータに教育しているはずのもので、素人の地方自治体に第三セクターとして赤字ローカル線経営を押し付けた信楽高原鐵道で発生した信号固着絡みの正面衝突事故とは性格が違うと思う。

 報道のニュアンスでは、メーカーである日本車輌のマニュアルには、そうした使用上のノーハウが記載されてなかった模様で、今回、台湾の運輸安全調査委員会にその改善を求められた模様だが、それはプロ相手の商売で、過失認定されて賠償責任を負うような酷い内容なのかどうか?かなり疑問がある。 今回公表された事故調査最終報告書は概ね妥当な結論を導き出している様に見える。 しかし、台湾の裁判所がどう理解するかで逆転の可能性はある。
 今回の台鉄から製造側への多額の損害賠償請求は、どうも台湾軍事占領外省人主導の中国大陸型:国民政府型の恥も外聞も無い力尽くの横暴が感じられてならないのだが。 日本側も「中国人の喧嘩」方式で、ご通行中の皆様に声高に訴えて、世論として正当なラインを構築するほか無い様な気がする。


はたして台湾は中国のものだったか?!  <2>

 近年の中国に、武力で乱暴に他国を征圧してゆく帝国主義侵略政策が大変目立ってきている。 一国二制度を50年間保障する香港返還時の協定・国際公約を無視しての、 中国共産党習近平独裁支配で激しい弾圧を繰り返したり、 国民弾圧の天安門事件、不当な対ヴェトナム懲罰戦争、東シナ海南シナ海公海全域の領海宣言武力威嚇占領・基地構築、 インドなどへの国境紛争、尖閣諸島への執拗な領海侵犯・逆取り締まり、そして台湾軍事侵攻の威嚇といった暴挙が続き、 もはや社会主義の理想とは無関係の野蛮な帝国主義国と言うほかない国になってしまい、 かっての日本軍戦犯の理性的・人道的扱いで感動と尊敬を集めた国、武装解除した帝国軍人をソ連とは違って抑留使役せず直ちに復員させた国とは到底思えないほど劣化してしまった。 それでも20世紀末頃は「台湾国民の理解と納得による統一」に耳を傾ける理性が残っていたものが、次第に大国主義的で尊大な傾向を強めて現在の皇帝習近平体制で総て力尽くの帝国主義型に転落してしまったのだ。

【略史中国近代】       <T3>

 辛亥革命(1912年)で清王朝を倒して植民地からの独立を目指して孫文を首班とする中華民国・国民政府樹立後、大日本帝国の侵略と長期に闘い続けて、太平洋戦争終結を機に戦勝国となり、日本軍との戦闘で疲弊しきった国民政府軍を内戦で破って台湾に追いやり中華人民共和国を樹立。共産党が国家機関の上に存在する特異な存在で、反対党の存在を認めない体制となっている。

 「国共合作」で国民政府の「八路軍」として蒋介石軍からの攻撃を避け、長征で日本軍との本格的対戦を避けて勢力温存。 主に侵略日本軍と戦って追い込まれ弱体化していた蒋介石軍に内戦を仕掛けて多数を帰順させ蒋介石軍を台湾に追放、中華人民共和国樹立(1949年)。
 帰順させた元国民政府軍出身者は朝鮮戦争(1950〜1953)に「義勇兵」に志願を名目として動員されて国連軍(米軍)参戦による北朝鮮軍劣勢を現状38度線付近まで押し戻して休戦ラインとなった。
 生粋の人民解放軍を後方に残したのは共産党独裁支配に当たり政治思想堅固層を重視して、帰順した旧国民政府軍には朝鮮義勇兵志願で共産党への忠誠を自ら証明させたのだろう。

 フランコ独裁政権と闘ったスペイン人民戦線の経験で、政治指導層が率先して戦闘の最前線に立って多く戦死してしまい、ファシスト独裁政権側に国土を征圧されてしまった故事の対極が、中国人民解放軍・八路軍のゲリラ戦主体全面対決回避で、国民党軍が主に闘い、旧国民政府軍帰順兵主体の朝鮮戦争義勇軍の「督戦隊」戦術で、総攻撃突撃命令に怯む自軍兵士に背後から銃撃して死に物狂いの突撃を強制し、白兵戦に大戦果を挙げる非情の人海戦術が使われたとか。 「督戦隊」という一般的名称があるからには日本を含む各国軍隊の闇の部分なのかも知れない。

【台湾関係史年表】 <T4>

年代 事項 備考
1600
関ヶ原の戦い 日本、徳川治世への始まり

山田長政ら交易中継地に 樟脳、ヒノキ等買い付け
1619
黒人奴隷上陸 アメリカ大陸初到着(準家畜扱)
1624 台南安平オランダ植民地に 要塞構築38年間占領、労働者数千を中国南部〜プランテーションでさとうきび等商業作物強制、主食生産減で不作時の飢饉誘発
162x 台北部スペイン植民地
1639 鎖国令(日本) 交易を幕府独占、侵略先兵禁教拒否国を入港禁止。政教分離で交易に徹したオランダは可。
16xx オランダが台湾全土征圧 台湾全人口約20万。スペイン追放
1642 鄭成功オランダ追放 母日本人、海賊父明正規軍扱い
1683 清朝支配(明滅亡) 台湾沿岸平野部清支配以降212年間
1840〜1842 アヘン戦争 清に英仏がアヘン売買の自由、香港島割譲を認めさせる
1856〜1860 アロー戦争 =第2次アヘン戦争、北京条約で香港周囲割譲99年貸与
1868 王政復古 天皇施政宣言:明治時代
1872〜1879 琉球処分、沖縄県に 清国への朝貢を禁じ
日本に併合、清国より異議
1895 日清戦争(下関条約) 日本に台湾割譲、沖縄領有の承認
共に国内:3国干渉で大陸部は返還
1905 日露戦争(ポーツマス条約) ロシア朝鮮・満州から撤退
1910 日韓併合 国内扱い建前、李王朝皇族化
1912 辛亥革命:中華民国建国 孫文、袁世凱、清滅亡→国民政府・・・・・・
1937 日中戦争開戦 日華事変
1941/12 大東亜・太平洋戦争開戦
1945/08 日本敗戦、連合軍進駐 日本統治50年間の掃討約3万人
1947 2.28事件、
戒厳令発令
蒋介石軍台湾住民殺戮2・8万人「赤狩」
日本時代のエリ−トを特に狙い撃ち殺戮
1946〜1950 国共内戦 国民党vs共産党内戦
1949 中華人民共和国建国 国民党軍台湾へ脱出「大陸反攻」策
国連での中国代表権の
重要事項指定方式支持漸減
蒋介石、台湾島政権化
宣言を拒否(国連残留策を断つ)
1966〜1976 文化大革命 毛沢東による私的奪権闘争
1971/10 中華民国国連代表権喪失 中華人民共和国国連常任理事国
1975/4 蒋介石死去
1978/5 蒋経国総統に 蒋介石死去後。李登輝を副総統に
1988/1〜 李登輝V代総統就任
(蒋経国U代総統死去)
台湾民主化&中台民主化統一=
両岸の独裁体制拒否(実質独立志向)
1990/5 李登輝公選総統に 民主化主席
1997/7 香港返還 1国2制度50年間保障
2000/5 陳水扁総統 中共吸収拒否派
2008/5 馬英九総統 親中派吸収容認政策
2016/5 祭英文総統当選 中共吸収拒否派
2019  香港弾圧強権支配 1国2制度無視撤廃、祭再選へ
2020/1 祭英文総統再選 当面実質独立の現状維持、武力強化

李久惟氏著書: 目次 :               <T5> 
  • 序章 東日本大震災に台湾からの二〇〇億の義捐金が送られた理由(アメリカや中国と違って大地震でも略奪が起こらない日本と台湾の不思議/ 東日本大震災後、台湾で開かれた世界で一番早いチャリティー ほか)
  • 1章 台湾の祖父母たちが台湾人に教えてくれたこと(祖父母の時代、教育勅語こそが人生の道しるべだった
    世界でも類を見ない明治天皇の心を打つ言葉 ほか)
  • 2章 学校では教えない本当の台湾と日本の歴史(台湾でも過去の時代の全面否定と反日教育が始まった
    国民党政権の台湾占領に正当性はない ほか)
  • 3章 台湾に伝わる「日本精神」の正体は何か?(かつて甲子園で台湾チームが準優勝を果たし話題となった/ 日本文化に魅せられた若者たちが親日を牽引している
 ほか)

<T6> 「日本精神」≠「教育勅語」:台湾独立派と日本      
極右派の接点が教育勅語の趣旨理解のすれ違い!

 日清戦争後の下関条約交渉(1895年)で清国全権代表李鴻章が台湾の実態に言及して、「台湾には4害あり、統治は不可能」な「化外の地」(ケガイの地=文明が及ばない地方)として、その原因を「アヘン、土匪、生蕃(先住民)、瘴癘(風土病・疫病)」を挙げて、日本に割譲した。 アヘン戦争により英仏に武力でアヘン流通を押し付けられた清国が台湾を消費地にしていて、台湾人口260万中16万人余もの中毒患者20万余の常習者が居た。 当時の台湾には社会インフラ未整備で島内を繋ぐ道路、鉄道、港湾も、水道、医療、一般国民向け教育機関も共通言語も無く、部族相互に争って(土匪)、海沿いの平野を中心に清国の支配・収奪を受けていたが、山間部は多数の部族毎の支配が卓越していて、台湾の一体感は無かった。日本に割譲する時点で清国による全島の実効支配はできて居らず、アヘン戦争で押し付けられたアヘンの大消費地にするなど、一種植民地扱いで収奪していただけだった。

 中国の領域自体が固定的なものでは無く、隋、唐、漢、明、清・・・・・・と領主毎に分割されたり微妙に領域は変わり、台湾に当初移住してきた民族は漢民族ではなく、南方系由来だとされているから、国家帰属は台湾住民自身の意思も重視される。

 国際関係は先ずは実態優先、実効支配を出発点に折衝を重ねて、大航海時代の切り取り勝手で歴史化して固定されたり、米国のように宗主国と闘って植民地の独立が承認されたり、アラスカ売却や樺太千島交換条約の様に交渉で解決したりはあって、南北朝鮮の国連加盟のように戦争状態の激しい対立のまま南北同時加入の例さえある訳で、排他的なイスラエル建国に追われたパレスチナを地域として公認している例もあり、台湾の場合にはアメリカ独立型の建国や、公式な外交関係を結んで国際世論で中共の暴走を抑止していくことに十分な妥当性・合理性はあるだろう。

 振り返ってみれば、国連での中国代表権問題で、中共と国民党のどちらが中国を代表しているかの多数決投票は行われたが、国民党政権の大陸追放後も台湾の施政権は持っている客観事実の確認が欠けたことで、中共側・国民党側双方の武力統一方針の掣肘が困難になっていて、現状、中共側からの軍事侵攻が懸念されている。

 国民党蒋介石総統とは近かった日本の岸信介元首相が国連代表権決議前に「台湾島領域の政権を宣言して国連に残るよう」助言したが蒋介石総統は断固拒否したという話があり、そのため中華人民共和国(中共)が拒否権のある常任理事国になって、以降は常任理事国台湾として国連に残留する途が断たれて、現状の武力的統一の危機に曝されている。 もし独裁者蒋介石が台湾国としての国連残留を受け入れていたら、国連での独立承認は維持されて武力占領懸念の危機には至っていない。

 もっと言えば、日本が敗戦で台湾施政権を手放した1945/08/15を期して、直ちに台湾現地の人士で台湾臨時政府を構成して、行政機関支配機構軍を丸ごと引き継ぎ、台湾駐在日本軍の武装解除をして独立を宣言したら、蒋介石軍が海を越えて侵攻してくることはかなり困難で、進駐しても内地同様の占領軍の間接支配だった可能性はある。 2・28事件(1947年)で蒋介石軍が「共産党の暴動」と強弁してその実は日系エリートを狙い撃ちに28,000人の大虐殺に走った本当の理由は、台湾を自主的な形で独立させないための皆殺し征圧だったのではないか? 日中戦争での国民政府蒋介石軍は個々の戦闘では侵攻する日本軍には勝てず、ゲリラ戦と南京から武漢、さらには重慶への首都移転など地の利で生き残ってきた軍で、アメリカが日本に勝ったことで戦勝側になった訳だから、自国は守れても、地元を守る台湾軍を渡海して制圧する力は当時は無かったのではないだろうか?武装解除した日本軍人に中国空軍構築の軍事顧問を委嘱した例もあって中国軍の弱体は明らかだった。
 歴史にモシは無いが、日本が纏め方・負け方まで考えて戦争していたら統一ヴェトナムのように1945年終戦時点で独立国台湾ができていて、大陸支配の問題は発生しなかったかも知れない。 インドネシアなど日本軍の緒戦での占領後オランダからの独立運動で投獄されていたスカルノらを釈放していて、終戦後、直ちに独立運動を起こし、再占領してきたオランダと独立戦争を闘って独立を達成している。 「アジア解放の戦争」の建前と、勝者の報復処罰を嫌ったことから、多数の元日本軍兵士が義勇兵として独立戦争に参加して半数余が戦死していたこともあってか、スカルノの独立宣言が皇紀(天皇紀)で行われたとされている。 元々大陸とは関連性が薄い統一言語も無い異文化地域で50年の日本の治世で大陸とは独自の文化圏となっていた台湾は独立建国の条件はあったが、日本に同化しきっていて現地独立の発想にはなれなかったのかも知れない?
 なお、日本南進の建前の「アジア解放の戦争」を否定した行動は、1947年の独立が約束されていたフィリピンに攻め込んだことで、現地の強い怒りを呼び、本音が欧米白人国に代わっての黄色人種による植民地支配にあるとされた。 それは判った上で、アジアを300年もの長期間、植民地支配してきた西欧を、極東の小さな島国:日本が、いとも簡単に追放してしまったことが、半ば不可能視されていたアジアの独立運動勢力の大きな展望になったのも事実だろう。 闘った日米双方が「植民地解放」を言って太平洋戦争を闘ったのだから、戦後にフランスとオランダが再進駐してきても独立運動に追い出されたのは当然で、フランスがホーチミン首班の統一ヴェトナムに破れた第1次ヴェトナム戦争のあとを、アメリカが引き継いで第2次ヴェトナム戦争・ラオス・カンボジア戦争にしてアメリカも侵略の本音を露わにしてしまった。 傀儡政権にフエ王朝を押し立てたフランスの再侵略は、「フランス版満州国設立」の暴挙だった訳だが、国際世論としては、世界を敵に激しい奇襲攻撃をした日本が「突出した侵略国」となった。 第二次世界大戦の真の勝者は、戦後、西欧列強からの植民地支配解放を果たし、あからさまな植民地は無くなった第三世界だった(不破哲三談?)と言われる所以である。

 台湾の世論は、中共の独裁体制への吸収合併支持は無く、独立宣言して中共軍の武力侵攻を招くのは望まず、結局は敢えて波風を立てない現状維持が圧倒的主流となっている様だ。 一時の留学ラッシュは「大陸反攻」を標榜する蒋介石独裁政権からの徴兵逃れが主な動機だったのもその流れである。 祭英文総統には台湾独立志向が感じられて経済運営も期待には添いきれなかったとあって、昨年時点では2000年の総統再選は困難とみられていたが、中共習近平の「一国二制度」による香港弾圧・武力威圧を目の当たりにして大逆転、大陸融和吸収容認的だった国民党候補に圧勝で再選され、新型コロナ・ウイルス感染対策の奇跡的・神業的な大成功で支持を固めた。
 習近平は総統選前後から台湾に対する武力挑発を強めて、独立傾向の強い祭英文の再選阻止を策して今にも武力侵攻征圧を匂わせ、併せての香港弾圧とで結果としてはあべこべに仇敵祭英文総統再選を決定付けた。 独裁者は人の心が判らない!
   See→「一国二制度」の欺瞞@香港、台湾独立の方向を固める: 日記#439-2 2019/08/21

 50年間の日本の統治下では、扱いを日本国内として国会に議席も与え本土並み・それ以上の近代化・開発・生産力増強を進めたもので、基本的には日本への同化政策であって、制度上は平等指向で差別を意図せず、西欧流の露骨なやらずボッタクリの植民地収奪政策とは違っている。 「日本統治の影の部分」としては現地固有文化の強制破壊がどの程度有ったのかだろう。部族毎の固有文化が自然に廃れるのは、開発・近代化による島内一体化均質化が主因で「日本統治の影」とは言いがたい。 日清戦争下関条約で清国から割譲されて、社会インフラ整備に務め、島内を繋ぐ道路、鉄道、港湾、潅漑、水道、公衆衛生、医療、全島民子女を対象に義務教育を実施、中等・高等教育機関として内地と同時期に旧制高等学校、帝国大学を設置している。台湾初の共通言語として日本語を採用、農業・産業振興を進め、反乱勢力に帰順を勧めて周回道路建設などの公共事業に就業させるなどして李鴻章の言った「4害の島」(=「アヘン、土匪、生蕃(先住民)、瘴癘(風土病・疫病)」)を解消させている。広大な南部原野を農地転換させた潅漑と公衆衛生が食える・生き長らえる施策として特に支持されたようだ。 アヘンは厳罰では無く使用者の管理政策で漸減させて昭和初期にはほぼゼロにしていた。日本治世下の台湾でのアヘン中毒患者の扱いは現在の日本の薬物犯対応より進んでいた! 西欧型植民地経営のやらずボッタクリ収奪方式では無く、現地台湾を日本国内として育てる共存共栄型政策で50年間で国家基盤が整備された。これが近代国家としての現台湾に引き継がれている。

 建前上の「ひとつの中国」は、共に大陸由来政権である中華民国国民党政権と中華人民共和国共産党政権とが中国の支配権を争って共通して主張する事態の両端の政策=追い出されて「大陸反攻」、未占領で「台湾征圧」となっている訳だが、元々の台湾住民(内省人)からすると、少数の敗走大陸政権軍(国民政府軍:外省人=当初15%)による長期にわたる白色テロ・独裁支配でしかなかった。
 1947年の2.28事件での島民2万8千人虐殺以来40年余の長期に続いた戒厳令独裁体制を徐々に骨抜きして様々に民主化した初の台湾出身総統李登輝(Lee Teng-hui)氏が執筆した「台湾の主張」(1999/6/17PHP研究所刊)をザッと読んだのだが、対大陸政権の絡む国全体の方向性となると抽象的間接的表現が多くなって局外者としてはスッキリとは理解しがたかった。
 たとえば中国統一問題については「将来民主化された中華人民共和国との統一」、「一つの中国、一つの台湾」を言って、実質は「共産党単独支配」を断固否定して合併拒否を言っている。「共産党を最上位とし国家機構をその下に置く「一国二制度」などまやかしで受け入れないと」推定・理解した。
 台湾の総統の発言としては両側に影響が大きく、台湾武力解放を基本政策として近年特に尊大に帝国主義的に振る舞いはじめた中共政権を無用に刺激しない緩和策の配慮なのだろうと思った。 それでも中共は「一つの台湾」に激しく反応し、李登輝氏を激しく敵視し、総統退任後で病気治療のための晩年の私的な訪日にまで干渉して日本政府に入国拒否を要求していた。

 その辺を明け透けに述べているのが当初85%いて無権利に支配されてきた内省人をルーツとする台湾独立派の主張の模様。 アメリカがイギリスの植民地支配を嫌って独立戦争を闘って勝利、建国したような前例はある訳で、国民党蒋介石独裁を排して民主化した台湾が、中国共産党習近平独裁を断固拒否に固まるのは当然と言える。 そうした前提で、台湾は中国本土大陸側とは違う別地域だという主張がされて、漢民族支配の清国と、南方由来の台湾住民、大陸南部からの台湾移住者も南方系主体で漢民族では無く、清など中国が全島を実効支配していたとは言えなかった台湾は独立国として認められるべきだという流れになっている。 See→T5
 国際法的には中国は内戦状態で、国連常任理事国に中共、国民党のどちらを選ぶかの各国多数決で中華民国から中華人民共和国に切り替えられたが、実態問題としては大陸と台湾島の両側の政府が存在して居て、武力統一は国際世論で否定されているのだから、長期的な解決としては、李登輝総統の掲げたように「国民主権の民主主義国に変わった中華人民共和国と、独裁体制を抜け出して民主化した中華民国が統一する=民選政府の上に、独裁共産党の座る一国二制度断固反対」ということになるほかは考えられない。 将来の統一までは両方国・地域の政府と公式な関係を作る、中共にそれを黙認させるというのが現実的な方向ではないか? 南北朝鮮や、パレスチナ政府の扱いと同様だ。 中国が香港の民選議員4人の資格を奪うような暴挙を重ねているのに対抗しての、台湾に対する国際的な動きが必要だ。

「日本精神」=教育勅語→日台で別認識
「私利私欲に埋没しない公共精神」か?  <1.3>

 大日本帝国無謬論・復古派の職業的アジテータたちが「教育勅語マンセイ」を言うだけなら不正確・歪曲ばかりで怪しげな幻影の中に得られる内容が無いから全くスルーである。 今どき「永久機関完成」を記事にしてしまう様なサンケイ新聞の政治的デマ製造源:阿比留瑠比記者とか極右アジテータ櫻井よしこ氏の名が週刊誌の表紙に客寄せとしてあると、雑誌丸ごと即パスだが、台湾新幹線建設やWBC(世界野球:World BasaBall Clasic)やサッカー国際大会、沖縄国際映画祭実施などの膨大な実務に深く噛んで成功させてきたリアル世界の有能人士で熱烈な「李登輝先生支持」を言う著者の本で、「戦時中には日本兵だった祖父の遺訓」としての「日本精神」を挙げ、それを記した文書として「教育勅語」を挙げているとなると、ニュアンスの大きな齟齬がある様で、掲げる理念が具体的に何を言っているのか読み解いた上で、著者の台湾独立論を読んでみたくなった。
 当方も大叔父3人が招集され二人が戦死していて本家には「靖国の家」の金属門標が貼られていたが、極右大日本帝国無謬論では無く、民主派である。町内に多数存在する「靖国の家」も、戦死者の家を示すだけであり、極右では無い。 戦没遺族達は「戦死者を国が追悼するのは当然だ」とは思っていても、靖国神社を占拠する極右・帝国正当論など全く眼中に無いのだ。 そこは当時漁師町で重点的に徴兵されて3百人近い多数の戦死者を出していて、保守・自民基盤の強力な地盤ながら、反戦一貫の共産党の支持者が戦後は目立っていて親戚・近隣周囲保守系と融和しているほどだから、台湾での教育勅語肯定評価も日本の極右派とは全く違う趣旨である可能性が見えるのだ。 町内の道祖神傍には戦死者名を刻んだ石碑=平和の礎(忠霊塔:岸信介首相揮毫)があって(戦病死者は除外されて)約250名?が祀られている。
(排他的・攻撃的な創価学会の政治・選挙ポスターだけは街の中心だった旧街道沿いには1枚も無い。3寺3神社1教会を1町で支え続ける信心深い半農半漁地域で、仏壇が家に作り付けなのが地域民家の特徴なのを全部破壊させて、学会の超高価な仏壇・仏具を買わせて家族・親族との深刻な争いを起こさせた邪教としてタブーとなったから土地っ子には貼る家を見掛けない。 他宗派は宗旨替えしても、ご本尊仏像の交換だけで排他的ではないから争いにならない。教会も排他的一神教ではあるが、あまりトラブルを聞かないのは、盆暮れ、お彼岸に一族郎党集う本家の仏壇・仏間を皆に無断で取り壊してしまうような暴挙はなかったからだろう。先祖代々の墓を突然押し付けられて往生した話は有るが、「マリア観音」に頼った柔軟性が残っているのだろうか?疎らだが見掛けるのは他から移住の新興住宅地帯だけである。)。
 台湾の権力には遠い一介の台湾国民・実務的な学者の著書なら直截な記述をしても中共の無用な政治的ハレーションは起こしにくいので、李登輝氏の台湾の主張で暈かされた真意を理解出来るかも知れないと思ってBook Offで手に取った古本を買った。

 著書は「日本人に隠された《真実の台湾史》」李久惟(ジョー・リー)著2015/6/30刊「台湾《日本語世代》がどうしても今に伝え遺したい」「韓国は『嫌日』なのに台湾はなぜここまで『親日』なのか」、「清国の時代は九割が影で一割が光、日本の時代は九割が光で影は一割!」と表紙カバーに有って、非常な抵抗感をもったのはさらに「教育勅語にある『道義国家実現』の目標のために挺身した祖父母世代のことを日本人よ、どうか誇りに思ってください」とあって、右翼出版側が一番強調したかったのは「教育勅語マンセイ」で、李登輝支持派&台湾独立派に日本の極右勢力が群がるのはそのためだろうが、起源である台湾での「日本精神」とは差違が有りそうだと気付いた。

 日本では異論を許さず世界を相手の破局の侵略戦争へ国民を追いやった文書として 教育勅語丸ごとの否定・廃棄が国会決議にもなっていて、ドイツでのナチス宣伝禁止同様に社会のタブーになっているが、台湾では大陸を逃れてきた中華民国政府の行った日本統治時代全面否定の教育が40年余の長期にあり、2.28事件の28,000人大虐殺(1947年)で「赤狩り」の名で日本時代のエリート層を狙った虐殺が行われ、日本に関係する各種記念物・神社・銅像まで徹底破壊が命じられる長期の戒厳令が敷かれた経過で、なぜか教育勅語を特に対象とする禁忌は無かった様だ。 そこが教育勅語切り取りの部分引用を可能にする台湾と、切り離せない全体の趣旨から全面否定の日本の相違となっている。
 勅語の収斂する内容である「天皇のために死んでこい」の部分が「孫世代の台湾独立派」ではスルーされて、一般的社会貢献の理念・理想だけの「日本精神」の象徴として語られ、一切の批判を許さない弾圧の礎となったことで日本の国会では教育勅語全面廃棄決議となったことが抜けてしまっている。ここに日本の極右派が群がる、一般国民、民主勢力が台湾独立派と距離を置いてしまう原因があった。 (白状すれば、教育勅語の原文全文を読み下したのは今回初めてのこと。 「国民を皇軍として侵略戦争に強制動員した忌まわしい邪教経伝」といったシンボル扱いで、直接の文章内容には立ち入らなかったのだ。 理工系や義務教育ではそれで足りてきたが、現状、大日本帝国無謬論の極右勢力が復権のシンボルとして扱うようになると、そのデタラメさを内部に立ち入って勅語の中心的主旨を撃滅する必要も生じる。)

 李久惟(ジョー・リー)氏著書は、李登輝時代の民主化後の日本治世・実績再評価のなかで、「日本国内」として台湾開発に多大の功績のある歴史的恩人たちに共通する「日本精神」を抽出。 台南潅漑の烏山頭ダム建設技師、八田與一や、台湾近代化開発計画を定めた、後藤新平、新渡戸稲造、児玉源太郎、殉職した教育派遣者らに共通した無私の「私利私欲に埋没しない公共精神」と優れた政策と実践を讃えて、それを表すのに教育勅語の文節から抜き出して肯定的評価をしている。 これに日本の右翼、大日本帝国無謬論・教育勅語マンセイ派が飛び乗って、台湾自立維持勢力と近いという異様な状況が生まれている。 独裁政治下、賄賂政治横行の中国大陸型政治経済を排して、公正適切な「日本精神」=「私利私欲に埋没しない公共精神」を高く評価している台湾独立維持勢力が、教育勅語にまつわる意図しない酷い捻れに気付いて、正確な位置付けを仕直して貰いたいものだ。


2020/10/28 23:55


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