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免許永久剥奪要あおり運転暴行傷害事件→欠格条項は?
&蒸発・忘却されたか?高速道路でのキープレフト走行

 高速道路上で妨害運転を仕掛けて無理矢理停車させで暴行し傷害を負わせたキ印M動画が連日TVを賑わしている。 当人は「殴ったが、危険な運転はしていない」と供述しているとか。

高減速車が低減速車の直前に割込み急ブレーキ =追突必然:責任は割込車
それは評価に掛かる強弁・屁理屈の類い。故意の最低速度違反と、他への前に回り込んでの停止強制だから、危険運転そのもので、処罰規定としやすい暴挙である。 Mのあおり妨害走行でトラックが追突事故になった例では、追突側の責任だけ問われたようだが、重量物を積んで急には止まれないトラックの直前で急ブレーキを掛けたら必ず追突事故になる訳で、幸い撮影していたドライブレコーダ画像を精査して、真の原因者(M)を見直すべきだろう。 追突側に過積載やブレーキ整備不良がなければ直前に割り込んで急ブレーキを掛けた高減速車側の責任であるが、漫然と追突側の責任として処理されているようである。See→右略図

 明文の規制条項の存在しない、あんな法律の想定外の危険運転を正当だと言い張るキ印Mに対しては、刑事罰、行政罰、民事罰を最大限に適用して非行を縛り、再び運転できないようにして貰いたいものだ。 日本には行政罰としての運転免許の永久取り消し規定がないそうだから、再取得禁止期間が最長となる適用法を考えて貰いたいもの。欠格条項該当なら永久追放である。
 たとえば無線従事者免許では、免許証申請時に診断書の添付を義務付けていて、精神病などの欠格条項には該当しないことの証明を求めて、免許取り消し要件にもしている。 自動車運転免許にも同様の欠格条項があり、視力、聴力、立体視(=2種免許)が基準に達しないと免許は失効し与えられない。 ここに今回犯人のような危険な攻撃性を評価基準として、刑罰・処罰ではない行政措置として欠格条項適用で非行のスリーアウト永久追放等の運用の工夫は可能なのではないか? あんな無反省な奴が再び運転したらきっと同じことを繰り返す。 善意のエラーに復帰の道を準備することは大切だが、本件のような悪意の事件には永久追放が相応しい。 既に暴走族対応、暴力団対応では徹底弾圧が可能で、それに一般人が巻き込まれている過剰取り締まりも知られている。

高速道でのキープレフト、交互進入、諸マナー徹底必要  <1.2>

 キ印Mに不当に襲撃される動画を見ていて気になったのが「高速道路でのキープレフト走行」が全く守られていなくて、遅い(=速くない)車が長時間、追い抜き車線を走行して、追い抜きにくくなっていたこと。 現状の高速道路では良く見られる光景だが、これがキ印Mの身勝手な暴発の引き金になったのではないだろうか。 (キ印Mの言い分「前の車が遅すぎるから頭にきた」)

 「キープレフト」とは、日本初の高速道路である、名神高速道路開通1963/07〜東名高速道路厚木区間などの開通1968年当時の通行マナーとして最低速度制定と共に大宣伝されたものである。交通法規の一般的な左側通行原則とは微妙な意味合いの違いがある。
 名神、東名高速道路は当初上下4車線として開通し、「最低速度」(50km/h)が規定されたことが特徴で、左側を(常時)走行車線、中央側を追い越し車線と規定して、追い越し車線は通常開けておく走行ルールが「キープレフト」である。 これを守らず追い越し車線を走り続けると「通行帯違反」で交通違反とされるが、速度違反や危険運転に比べて取り締まりに目こぼしは多い。 登坂で最低速度を守れない大型車用には更に左側に登坂車線を設けて速度差による渋滞回避を図っているものだ。

 名神・東名高速道路など日本の高速道路の原型となったドイツのアウトバーンには長らく最高速度制限がなく、それぞれの自動車の性能に合った速度で走行することになっていた。 そこでは自分より早い車両が追い抜いていけるよう&遅い車を抜くのに追い越し車線を使うキープライト走行(∵ドイツ・EU大陸は右側通行∴ライト)がマナーになり、距離当たりの車線変更回数で規制を掛けて取り締まっている。 それを、日本初の高速道路(≠自動車専用道路(=首都高など))である名神高速開通に当たり左側通行の日本に「キープレフト」として移植したものである。 アウトバーンでは高速走行のポルシェをフォルクスワーゲンは追い越そうとは思わない、ベンツやBMWの序列はその中間、そういうステータスランクが出来ていて、直線道路だから追い越し車線として左側を空けることで速度制限なし通行をこなしてきたのだ。

 すなわち「キープレフト」は法規定にはない言葉で、それまでは言われなかった高速道路走行マナーとして導入した言葉である。Web辞書Wikipediaなどの解説「交通法規の基本原則」というのは「左側通行原則」のことである。微妙に違いのある両者を混同しては適切な説明ではない。 See→キープレフト@weblio辞書(←適切でない説明)
 説明にそういう矛盾を抱えているから、自動運転で二本の白線の中央に誘導されることが拙いかの説明になり、自動2輪車が左端を走って脇を抜かれる危険を指摘し「二輪はキープレフトを厳密に守っては危険」と注意することになる。 自動二輪も四輪同様二本の白線の中央を走るべきなのだ。大型二輪ハーレーが車線の左隅など走らない。

 ところが大都市周辺の高速道路では毎日渋滞が発生して追い越し車線も車で一杯になって、高速でのキープレフト運転どころでは無くなって、ほとんど誰も守らないルールになってしまい、追い抜きの出来る交通量でも漫然と追い越し車線を走り続けるのが常態になって、あぶなかしい外側追い越し(左側追い越し)が多く見られるようになってしまった。

 近年、高速道路網が充実してきて再び連続高速走行の機会が増えているのだから、忘れられている「高速道路でのキープレフト走行マナー」と、外側・左側追い越し禁止、高速道路本線合流・進入時の「交互進入マナー≡ジッパー法」などの徹底した啓蒙宣伝をした方が良いと思う。
 運転免許歴5年で、最近、中型2輪免許取得、オートマ免許限定解除と次々に自動車教習所通いを繰り返してきた愚息に「高速道路でのキープレフト」について聞いてみたが、「教習所で教わったことはなく、テキストにもなかった」という。テキストには記載があって講義中に寝ていたのだと思うが、不徹底は確かである。 (貨物車なら知っていた方が良い「ダブル・クラッチ(操作によるギヤの増速)」も「何それ?」状態。これを知らなくて下り坂でシフトダウン出来なくなったのが軽井沢夜行バス惨事の誘因かも知れない)。 我が年代の運転者では常識だったことだが、愚息は、免許取得に無関係のオプションである「高速道路教習」を受講しなかったことで知らないのか?とも思う。
 免許取得・公道運転開始直後の慣熟運転ドライブで、私が助手席に同乗していると、ズッと追い越し車線を走り続けるもので、 「高速道路を走るときは、キープレフトといって、中央寄りの追い越し車線は空けて、走行車線を走るのがルール。 追い越し側は空けて走れば、暴走族・高速走行マニアもやり過ごせて安全性を増すよ」 と助言したのだった。
 しかし、誰もが高速道路を使う時代に、高速道路の走行マナーを教えない教習所というのは戴けない。 最低限、座学でも良いから徹底して教えて貰いたいものだ。

 なお、一般道での左側通行原則(≒キープレフト走行)原則は、左側に避けて走れば良く、最左端走行までは義務付けて居らず、学科教習の余談では、市街地など脇道からの人や車の飛び出しのリスクも考えて左側にも余裕を取るよう指導されていて、リヤカーなど軽車両以外には直の適用はないはずだ。 車道通行の自転車でさえ1mほどの余裕をとって、追い抜きざま突然の左折車など、過度の接近車から左端寄りに逃げる余地を作って走るもの。 Wikipediaのキープレフト解説は実情に合わない。

余裕を採りすぎない制限値も必要  <1.3>

 名神、東名高速道路の平坦区間の最高速度の設計値としては120km/hとされているそうだが、高速道路走行になれていない日本のドライバーをおもん図って100km/hを規制値と定めた経過があるそうだ。 インターチェンジのランプウェーも同様、設計が60km/hに対して、40km/hを規制値に定めている。
 しかし、現状の実際の運転ではまるで120km/h制限のような状態で、法定速度運転は時に邪魔者扱いされてしまう。 過剰な余裕の規制は運転者を苛立たせて、ややもすると荒い運転を誘発しがちなものだ。
 高速道路初心者や速度制限遵守を常時点検指導されているタコグラフ付きトラックの存在も考えると、高速道でのキープレフトを徹底して、遅い車は左端レーン走行、高速車は追い抜き車線に出て追い抜くことを再び徹底した上で、そろそろ設計値通りの制限:120km/h、(& 60km/h?)に改訂して新制限値で厳しく取り締まってはどうだろうか。 カーブによる横Gは、速度2条比例、曲率半径反比例(∝速度2/半径)だから、120km/h設計で20km/h低く規定するのは、60km/h設計では比例的に同率の50km/hで良かったはず。 それが40km/h制限だから運転感覚としては「遅すぎ感」を強く与えていて、ほとんど誰も守らない制限化しているのかもしれない。 最近開通の第二東名高速の120km/h制限は、そうした低速制限を設計値に準じた値に緩める第一歩に見えるが、高速道路でのキープレフトの徹底で安全性を高めるとともに速度制限緩和する必要がある。
 なお、アウトバーンは直線が多いが、それは「居眠り運転を招きやすい」として、日本の高速道路は直線長に制限を設けて線形に変化を付け、曲線入口には緩和曲線としてクロソイド曲線を採用、操向を一定速度で行えば曲がれる設計にしている。 その設計速度が平地本線で120km/h、ランプで60km/hだから、それを越えると危険度を増すので、無駄なゆとりが無い分、制限遵守の厳しい取り締まりが必須となる。


「一国二制度」の欺瞞@香港
台湾独立の方向を固める  <2>

 香港が今、中国政府の不当武力弾圧による「天安門事件」の再来の危機に曝されている。武力・暴力による住民弾圧は、どんな政府が行っても最低最悪である。 国民主権の民主主義をタダの一度も経験していない中国共産党政府には、その重大性がほとんど理解出来ないのだろうか?
 イギリスの99年租借地だった香港、マカオの返還に当たり、「一国二制度」を標榜して、50年間にわたり民主的な諸制度と選挙を保証して、イギリス治世下で言論の自由など一定程度の民主主義を経験してきた香港住民の支持を得て返還を実現させたのだが、現実には民主主義の重要な部分がないがしろにされて、反対派の立候補禁止、言論制限が強行され、さらに少数派を政治犯に仕立て上げて本土送還・弾圧・抹殺を行う政治犯の本土移送条例の制定で民主主義を抹殺する段階を進めようとしていることが、大規模反対運動・街頭デモの原因となっている。
 中国が今後、異論を許容するフツーの体制を保証するのか、それとも天安門以上の軍事弾圧で反対世論・民主主義を根絶やしにして「中国本土並み」をゴリ押しするのか、全世界の民主主義者は強く注目して蛮行を抑えていく必要がある。

台湾独立にはアメリカ独立戦争型の正当性  <2.1>

 中国による台湾の武力統一が叫ばれる一方で、平和裏の統一として「一国二制度」も提案していたが、その内実が前述の香港の異論・反政府派民主派弾圧だから、かっての中共・国民党両岸(両側)の建前であった「一つの中国」を否定する中国との統一拒否、台湾独立の世論を強めている。 蒋介石・蒋経国国民党独裁の戒厳令が明けて生まれた新世代では圧倒的に「一つの中国、一つの台湾」(≡台湾独立)という訳だ。 言論の自由、民主主義を経験した国民を中国流の独裁政治に無理矢理組み込もう、甘んじさせようというのは不可能だ。 台湾住民の強い意志として、中国共産党独裁支配を認めることは絶対にないだろう。 皆殺しの軍事侵攻で台湾全土を力尽くで押さえ込むほかに制圧法はないが、台湾にも強力な近代的軍隊が有り、国際的な非難、中国が敗北のリスク、政治的経済的大打撃を圧して、それを強行出来るのかどうかにかかる。
 当初は「大陸反攻」を叫んでいた蒋介石国民党政権も、(大陸から渡ってきた)外省人は人口比15%程度で、経済力を付けると共に徴兵回避に外国留学がブームになるほどの台湾島民の本心から、「大陸反攻」など建前だけとなっていて、国民党の政権成立根拠を失わせ、大陸からの逃亡外来政権としてしまう「一つの台湾=台湾独立」派の弾圧だけを追求することとなったが、実質独立派である李登輝が総統となって民主化を進めたことで台湾独自発展路線(=民主化された中国と統一=中国共産党独裁の崩壊前提=かなり遠い予測不能の未来)が中軸となった。

 台湾人の中国嫌い≒旧宗主国日本びいきは、日本の敗戦で大陸から進駐してきた国民党蒋介石政権の腐敗と暴政に始まる。 国民政府軍は中国本土であるはずの台湾を、やらずぼったくりの西欧型植民地扱いにして、腐敗・暴政を極め、植民地的な専売税は引き継ぎ、統一言語を日本語から中国語に替え、高等教育再開はなかなか認めず、税を払えなかった農婦を蒋介石軍が暴行したことを契機に台湾島内全体に抗議運動が広がったことを「暴動」として武力鎮圧、28000人にものぼる死者を出した1947年2・28事件を起こして、以降40数年続く戒厳令下の独裁政治を強行した。 このとき、50年の日本の治世下で育った高等教育を受けた知識層・専門技術者層を「日本の手先」として掃討殺害して台湾の国力を大きく奪っている。 元々の台湾島民(=内省人)にとっては、大陸外省人による武力侵略、植民地化に等しい暴政であった。 これが40数年の長期に渡って戒厳令を解除できなかった基本的理由だろう。

 それまでの日本の治世では、台湾・朝鮮は日本国内扱いで、食料と衛生の改善、様々な社会インフラ整備に務め、義務教育の実施、高等教育の普及などと、西欧型のやらずぼったくり寄生虫型植民地経営とは全く毛色の違う、個々には善政とも言える統治をされてきて、水道、道路、鉄道の整備とともに部族毎に違っていた言語が、日本語を介して共通化され、台湾地域としての一体感が醸されてきていた。 台湾島民のルーツはポリネシアンとされ中国南部からの移住者とされている。

 そこへの漢族という中国北方地域に根ざす「異民族」による武力支配で、それも腐敗しきっていたから、国民党蒋介石政権進駐は「犬が去って豚が来た」と台湾島民から激しく揶揄・非難されることとなった。 日本の統治も「犬」扱いだから全幅の信頼ではない。「豚」=蒋介石政府の暴政と腐敗が酷すぎるということだ。
 日清戦争当時の台湾は、各部族毎の支配が強くて、相互に争っていて、清国による実効支配の及ばない地域が多かった。地球上の領土の世界分割完了前の台湾島は、オランダやスペインの植民地域が有り、明国の大陸反攻拠点になったこともあり、台湾各地の部族支配が卓越していてバラバラ。 清国の支配210年余の無策の間に島内の荒廃が進み、アヘン戦争でイギリスから押し込まれたアヘンの消費地にもされて260万の総人口に20万人もの中毒患者を生じて、統治不能の「最貧国」状態に陥っていたのを、日清戦争敗戦の処理として日本に引き渡している。 日清戦争終戦交渉で清国が台湾を、統治の及ばない「ケ外の地」と呼び、下関条約交渉清国全権大使李鴻章は「台湾には4害有り。統治は不可能」と主張。4害とは、アヘン、土匪、生蕃(先住民)、疫病・風土病を指し、言葉も通じず統治不能の未開の地ということで、香港・マカオのような「99年の租借」ではなく、割譲としている。 それが50年の日本統治近代化施策の間に相互交流を生じ台湾島としての一体感を生じていた。アヘン中毒者もほとんど居なくなっていた。 日本統治の最初の段階で、日本人の腐敗官吏、非能率官吏など1000名を解雇・追放して綱紀粛正を図っている。 (国民党蒋介石政権は官吏・軍人の腐敗を放置し、抗議に2.28事件の大虐殺を行い以降40年余の戒厳令となる)。
 そこに国民党大陸異民族の暴政だから、国民党蒋介石政権がいかに反日教育をしても島民の実体験で否定されて受け入れられず、台湾開発発展に力を発揮した日本人功績者を神として祀る銅像やほこらも政権に隠れて維持されて民主化で公開されて現在に至る。 外省人たちの世代交代で国民党政府の実権を土着側も獲得するようになり、日本統治下で京都大学に留学経験もある弾圧被害側李登輝が総統になって、台湾島民大虐殺の2・28事件を国民党政府として認め、謝罪し、民主化が進むという大きな変化となった。
 国民党の暴政のおかげ?で、日本の台湾支配が相対化されて、非常に優れた点が語り伝えられて、根強い日本贔屓の源流となっているのだ。 中国共産党(中共)が李登輝を徹底敵視するのは、李が台湾総統として「国民主権」「個人支配排除」を掲げての中国統一を言っていて、それは大陸の共産党独裁体制&「人治」=個人支配の否定で、実質が台湾独立の核となって大陸側の支配体制を根本で侵食するからだろう。実体は中国の未来についての共産党政権の敗北宣言に等しい。

 植民地に高等教育を普及したら、当然に独立運動の核となるから、西欧の植民地宗主国は大学など作らせなかったし、宗主国の言語を学ぶことも厳禁した国さえあり、独立時には大学卒国民が一人もいなかったというベルギー領コンゴのような西欧型植民地支配がある中で、日本が「国内」という建前を貫いて初等・中等・高等教育の普及、社会インフラ整備に務めたのは、搾取と収奪だけではないWin-winの発展を目指したためであるが、結果として、その後の地域の独立・発展に大きく寄与している。

 同様の植民地支配をされてきた朝鮮が「怨」一色なのとの対比は、国民党蒋介石政権の暴虐が第一、清国の属国ではあっても統一国家・統一言語のあって国意識のあって、かっては日本に文化や技術を伝えていた朝鮮に、日本式の創氏改名誘導、日本語強要、天皇崇拝強要などの耐えがたい文化破壊が有って嫌われ、加えて、なぜか朝鮮人については差別的侮蔑的扱いが特に強くて、難工事でタコの朝鮮人労務者がやたら人柱にされ埋められたとか、関東大震災では流言飛語に怯えての朝鮮人大虐殺数千人とかの重大非行が有った。
 さらに朝鮮総督府による農地の収奪・逆農地改革が強行されて農民たちの生活の基盤が奪われて仕事を求めて日本に流れた酷い仕打ちに対して、風土病と長らくの干魃で食えなかった台湾を、南部の烏山頭ダム建設など灌漑・水道整備・公衆衛生改善で食えるようにした功績が住民に認められて功労者たちが時に神社に祀られて、蒋介石政権時代も秘密裏に守り抜かれている台湾との違いがあるのかも知れない。
 行政府が土地登記(届け出)を求めて期限内に手続きの無かった土地を国有地にしてしまったのは明治時代に日本国内でも行われ、村の共有地で入り会い利用していた山林が無登記の問題で国有地にされてしまい、後に米軍演習場内への「入会権」問題として顕在化しているが、朝鮮総督府は手続き問題で農民から取り上げた土地を、安価に売り払って地主のものにしてしまう「逆農地改革」を強行したのである。それでは怨まれるだろう。
 産業の勃興=資本主義化での労働者としての居住の自由化に、同名回避の「創氏」は必要で、日本でも明治維新を機に行われているが、朝鮮には元々「姓」はあり夫婦別姓なのを、家族名としての「氏」創設を求めた訳だが、それは朝鮮の家族感に反し、激しい朝鮮差別の回避に日本式への創氏改名誘導は強制に等しく横暴に過ぎるだろう。日本の敗戦で南北朝鮮とも総て元の姓に戻された。 韓国反日世論側には「かって文明を伝えた劣位の日本に支配された激しい屈辱感」もあって、日本の敗戦後に国民政府蒋介石軍のような反面教師が韓国には現れなかったから「怨」の純粋培養となっているようだ。

 米英中で対日戦の基本方針を決めたカイロ宣言には、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意」とあって、台湾は外れている理由は何か?と思ったのだが、文脈としては「朝鮮は独立させたい。台湾は会談・宣言当事者である蒋介石政権に引き渡したい」という意思表示にある様で、朝鮮だけが特別に奴隷状態だと言ってる訳ではなさそうだ。 カイロ宣言当該部は 「前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」となっており、米国ルーズベルト、英国チャーチル、中国蒋介石の三者による宣言となっている。 このカイロ宣言は大日本帝国に無条件降伏を求めるポツダム宣言内で「実現させること」として指摘されているが、蒋介石はポツダム宣言から外されて呼ばれていない。
 言語が統一されていなかった台湾島施政50年と、統一言語のあった朝鮮施政38年との違いで日本語強制の打撃が大きく違ったのだろうか? 地籍の登録も戸籍制度確立に前後して台湾でも行われたはず。台湾統治では土地の取り上げは無かったのか?台湾と朝鮮の著しい日本観の違いの原因は調べる必要がある。

 ソ連側に全面占領されての暴政でもあれば、ソ連崩壊とともに、植民地経営としては穏やかだった日本の施政もかなり見直されたのだろうが、安倍晋三一派など日本の極右・右派勢力が大日本帝国無謬論、朝鮮侮蔑・差別意識丸出しに、一旦謝罪したことまで蒸し返して否定し、繰り返し挑発していることで、激しい対立を生んでいる。
 焦眉の徴用工裁判など、個々の当事者の請求権があることは日韓両政府が共に認めていることで、その補償の負担についての両国政府間の争いなのだから、個々の当事者への補償判決については、まず戦後長らく放置・不補償に置かれたことへの遺憾の意表明が先である。 それを、補償の支払い者が誰かとか、自発か徴用かのカテゴリー論議は、その次の課題なのに、「日本と日本企業に支払い義務なし」だけを言い募って、経済報復にまで手を出し、韓国世論の反感と、日本の嫌韓世論に火を付けて大火にしてしまった。 (長らくの違反見逃し運用を、判決放置を機に厳格化したのだから、発表当初の説明通り「報復措置」だろう。それを後になって「報復ではない」と否定した詭弁で対立の火に油を注いでいる)。 中国籍の戦時労働者に対しては、当該企業も含む和解で解決している訳だから、朝鮮(韓国)だけ別扱いで無視はない。 日韓条約の枠組みでも、事情変更時の協議は行うことになっており、条約締結時の想定を大きく越える補償の必要が生じたら、改めて再協議だろう。二代目河野で纏めた談話を、三代目のバカ河野がネトウヨ受けを狙ってぶち壊す構図は全く戴けない。 パフォーマンス大統領vsネトウヨ愚首相・外相では政権交代でもない限り当分解決のしようがないのだろうか?

 そうした経過で、戦勝連合国側の戦後処理の役割分担として国民党軍が台湾を占領したが、その後の帰属についての国際合意も住民合意もないままに国民党政権の台湾軍事占領支配に正当性はあるのか?が問題となる。 ひいては中共による統一に妥当性があるのかという問題だ。 朝鮮や東南アジアなど他地域ではかっての日本の占領地域に連合軍が進駐した後に(独立戦争を経たりして)現地政権を樹立しているのだ。 それも朝鮮では日韓併合に応じた李王朝の復活を許さなかった。 領土不拡大を国際公約に闘った連合国側は、戦後すぐに植民地支配を復活して、インドネシアやインドなど独立戦争・闘争を勃発させ、結局はほとんど全地域が宗主国から離れて独立していった。 オランダと闘って独立したインドネシアの独立宣言は、植民地解放を言って進駐占領した日本の天皇紀=皇紀で書かれている。 オランダ再進駐による植民地支配に対し、不可能だと信じられていた宗主国オランダ追い出しを一旦は成功させ、独立の希望を見せたことと、敗戦後も一部が復員せず独立戦争に加わった日本将兵が居たことで、スカルノが独立宣言に皇紀を採用した。 民族自決の原則、自治の原則からいったら、イギリスの植民地から独立戦争を闘って独立したアメリカや、アジア各地の旧植民地の国々と同様の地位に台湾は有り、一つの中国、一つの台湾として独立を求めて何ら問題はないのだ。
 「一国二制度」を標榜して行われてきた香港制圧の事態は、中共の支配を拒否する世論を強め、台湾の実質独立の方向を益々強くしたと言って良いだろう。

奪権闘争の錦の御旗だけだったか!?中ソの「社会主義」  <2.2>

 私の母方の大叔父は日本の敗戦でシベリア(サマルカンド、カラカンド)に抑留されて炭鉱労働に就かされたが運良く生き長らえて終戦四年後の1949年(s.24)春に復員してきたが、中国建国に当たり、日本兵捕虜に強制労働させず、国際法(ジュネーブ協定)に準じて速やかに復員させ、戦犯将校たちも撫順戦犯管理所など各地の戦犯収容所で教育の上、非を認めさせた上で救命した中国共産党毛沢東主席を大変高く評価していた。 復員後のシベリア抑留者差別で、原職だった精工舎職工への復帰を拒否され、職の得られない日本社会の冷酷さに苦しんだだけに、中国の適法な捕虜扱いと寛大さは心に染みたようである。金型工としての特別の能力を活かして仕舞た屋工場を興して暮らせたのが幸運ではあった。 ところが「文化大革命」と称する奪権クーデターで、法によらず集団リンチで、政敵を追放、悲惨な状況に追い落とした一連の流れに次第に疑問を持つようになり、中国建国後の毛沢東の評価を一種変節と捉えて大きく変えたのだった。

 封建制度の土地への縛りを解いて、労働力移動を自由にして、資本主義化による生産力の増大、経済民主主義をも要求する社会主義・共産主義へと社会が移行発展する流れとは全く別に、政治権力を我が手に奪取する道具として、民衆の支持を集めるスローガンとして「社会主義」を言い、奪権後は権力者の専制支配というのが中国型社会主義・ソ連型社会主義に見えてしまう。北朝鮮(=朝鮮民主主義人民共和国)の独裁体制は、ほぼ大日本帝国の引き写しと言うべきものだ。 アメリカが支えた反共独裁政権と同様の独裁体制が社会主義の看板で行われているだけが実態ではないか。 純粋に民族主義・社会主義の理想を追っていたのはヴェトナムとキューバくらいのものの様である。 (戦後に50数ヶ国の元首をクーデターなどで殺害追放しているアメリカの凶暴性、それに支えられる軍事独裁傀儡政権をこともあろうに「自由主義陣営」と呼ぶ欺瞞や、アフガニスタン・ハンガリー・チェコへの軍事侵攻と政敵暗殺のソ連、ロシアも同様に厳しく非難されるべきである。 各国の覇権主義が許せないのは当然だが、進歩を標榜する社会主義国の欺瞞はその分非難に値する)。

 私が、中国の政策に疑問を持ったのは、先ずは紅衛兵を組織しての毛沢東による奪権クーデター「文化大革命」であり、朝日新聞など日本のマスコミ挙げての(極右サンケイまで含めての)提灯報道を縫って微かに漏れてくる実態に、社会主義、民主主義の名を汚し貶める蛮行だと感じたのが最初だった。
 それでも中ソ論争・軍事対立を越えて、ヴェトナム支援最優先の合意を成立させて、ソ連支援物資の中国領内通過を認めるなど、理性の勝った措置には納得してきたのだが、再びそれを覆したのは社会主義中国の驚愕の非行=「ヴェトナム懲罰戦争」(1979/02)を仕掛けて、10万〜30万の軍勢でヴェトナム領内に侵攻したことだった。
 中国のヴェトナム侵攻を全世界に報じた赤旗新聞ハノイ特派員高野功記者は、その前線取材中に中国の狙撃兵に射殺されている。(三菱樹脂正社員採用拒否解雇事件の故高野達男氏は、故高野功記者の実兄)。 まさに「社会帝国主義」とでも糾弾されるべき恥ずべき侵略戦争を仕掛けて、アメリカ相手に闘い慣れたヴェトナム軍に約1ヶ月で撃退されたのだった。
 中国のヴェトナム越境侵略軍は、まるで中世の軍隊の戦闘開始のように、歩兵が進軍ラッパに合わせて立位で行進し、越境してくるのに対して、アメリカ軍に勝利したばかりのヴェトナム兵は、米軍相手時と同様、起伏・樹木など物陰を利用した匍匐射撃で応戦、行進で進軍する中国兵をバタバタ倒したのだが、主力部隊がカンボジアに駐留中で、手薄だったため、大軍中国部隊に銃弾が尽きて後退する状況が約一ヶ月続き、この時期に高野功赤旗新聞特派員が中国侵攻兵から狙撃され殉職している。
 ヴェトナム主力部隊の前線配置で押し返され始めるとともに中国共産党軍は「懲罰戦争」の「勝利宣言」で全面撤退。 しかし装備と戦術の前近代性=現代戦に使い物にならない軍隊であるのが明白になり、以降、急速に中共軍の軍備近代化が図られる様になった。
 ヴェトナム懲罰戦争前にも、南シナ海の浅瀬に展開する南ヴェトナム軍将兵を皆殺し攻撃で撃滅、中国自国領海だと主張して埋め立てて空港など軍事施設を建設している。中共自体、かなり古くから侵略的、暴力的になっているのだ。

 1974年のカンボジア戦争終結、1975年のサイゴン解放(現ホーチミン市)だったが、日本の無条件降伏直後の1945年9月にホーチミンを首班として独立を宣言した統一ヴェトナムが30年の独立戦争を経てようやく達成されたものだ。 ヴェトナムの独立に対する最初の攻撃は、フランスが、フエ王朝を傀儡に押し立てての再植民地化侵略に、第一次ヴェトナム戦争勝利で全土統一選挙を約したジュネーブ協定で停戦となったが、それを認めないアメリカが「南ヴェトナム」傀儡政権でっち上げによる内政干渉で第二次ヴェトナム戦争となって敗退、サイゴン解放1975/04となった。
 一部に「北による南の併呑」という言い方が広がっているが、それは1945年のヴェトナム建国宣言とフランスを相手にした第一次ヴェトナム戦争を無視したもので、極少数の第二次ヴェトナム侵略戦争参加国:米、仏、英、韓、豪、日本(兵站)など一桁の国の言い分で、世界の大勢はヴェトナムに対する仏、米らの侵略戦争の撃退として評価は確定していて「併呑」などとは見ていない。 ヴェトナム戦争反対の世論を拡げる取り組みでスウェーデンのストックホルムで1967/05開かれた英国バートランドラッセル卿提唱の「ラッセル(・サルトル)法廷」などで根拠資料が纏められ翻訳されて、全世界に公表されている。 See→Ex.ラッセル法廷―ベトナムにおける戦争犯罪の記録 ラッセル,サルトル他 @アマゾン
他国に攻め込んで傀儡政権を樹立したら紛れもない侵略戦争で、日本の満州国設立をなぞるもの。 フランス、アメリカのヴェトナム介入は、まさに侵略戦争であり、日本版Wikipediaの「併呑」記事は米仏等侵略国側のデマ宣伝と言うべきである。

 カンボジアのポルポト政権は極端な中国の属国指向で、資源と人材を中国に提供する売国政策で、100万人を越えるという国民大虐殺、特に知識層・専門技術層を狙った根絶やし攻撃とともに、ヴェトナムにも繰り返し越境攻撃を仕掛けて戦闘状態になっていた。 ポルポト政権による自国民虐殺100万人は、台湾での蒋介石国民政府軍による28000人の大虐殺:2・28事件の実に36倍の規模の暴挙である。 中国系政府は国民党・共産党を問わず「自国民大量虐殺事件」が印象に残ってしまう。 大量虐殺として世界中から厳しく糾弾されているアメリカのソンミ事件にしても、大日本帝国の南京事件にしても、ナチス・ドイツのホロコーストにしても、敵国、敵民族の殺戮だが、自国民対象で特に知識層を狙い撃ちの大量殺戮というのは実に理解に苦しむ。
 それに対してヘンサムリン軍がクーデターを起こして、ヴェトナムがこれを全面支援、各地の軍が呼応して決起、ポルポト派は密林地帯に逃げ込んだことで、カンボジアは長らく内戦状況が続くこととなった。 中国は、中国盲従・国民虐殺派ポルポト追放をヴェトナムが援助したことを捉えてヴェトナムに対する「懲罰戦争」を仕掛けたのだが、狂気の国民虐殺政権追放はその国民の当然の権利であり、中国側には全く正当性のない暴挙だった。

 撫順戦犯管理所での戦犯に対する処遇は人道的・理性的で日本で非常な感銘を以て語られるのだが、一方で中国人の日本協力者は裏切り者として極刑を以て処理されている。 民衆宣撫に使われた国策映画会社満州映画の大スター李香蘭(山口淑子)は中国生まれで中国人としてデビューしていたので国への裏切り「漢奸罪」として軍事裁判に掛けられたが、日本にあった戸籍の謄本が送られたことで日本人と証明され、紙一重の条件で命が繋がった。 解放後のヴェトナムが、南ヴェトナム政府軍兵士など米傀儡政府協力者たちにも半年ばかりの矯正教育を施して釈放、戦火に荒らされた国土の建設に資するよう求めた寛大さとは、まるで対極の非情さは何処から来るのだろう? 明治維新クーデター前後の日本との比較で見ても、函館は五稜郭の戦闘で幕府軍の司令官として闘った榎本武揚を、下獄させた後に外務省官僚に取り立てて「樺太千島交換条約」を成立させているし、新政府の役人の実に1/3が旧幕臣という寛大さである。 それが、日露戦争&第一次大戦の勝利の熱狂以降狂い始め、関東大震災での朝鮮人虐殺〜満州事変、5.15事件〜2.26事件、日中戦争で南京事件等、日米開戦と、日本は丸ごと狂ってしまっていたが、直接の自国民大虐殺は無かったようだ。 中共は政治的計算が先に立っての戦犯処遇で、人道は関係なかったのか?という疑問を生じてしまう。

2019/08/21 23:55

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