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津波対応 伝播速度無視はまた重大エラーか!?
   下北半島核燃料中間貯蔵施設に防潮堤なし

トイレ無きマンション、行き場のない「原発のゴミ」

行き場のない「原発のゴミ」
   建設中「中間」施設に50年貯蔵も

 使用済み核燃料は、まず発電所内のプールで冷やされる。それから六ヶ所村の再処理工場に送るまでの間、乾式キャスクと呼ばれる金属製容器に入れて、空冷式のこの貯蔵建屋内に保管される。・・・・・・・・

 同施設から海まで約500bと近いが、周囲に防潮堤は見あたらない。江村氏は「東電の自社評価では、6.3bの津波発生可能性を想定。施設は海抜20bの場所にあり、防潮堤は必要ない。キャスクは(固定の台から)転落したろ、水没したりしても耐えられる」と安全性を強調する。

※江村公夫氏:リサイクル燃料貯蔵社広報渉外部長
※リサイクル燃料貯蔵株式会社:東京電力、日本原子力発電共同出資。青森県むつ市関根。来年2012年7月稼働予定。貯蔵能力3000d→5000d。最長50年間貯蔵し六ヶ所村再処理工場へ。

東京新聞2011/04/22金曜日24面4段

 使用済み核燃料の最終処分場が決まらないことから、六ヶ所村再処理工場に持ち込む前に一時貯蔵する「中間」貯蔵施設を建設している話の中で、施設の広報渉外部長氏が津波の高さを6.3m、建物標高を20mとして、その差から「防潮堤は必要ない」としていますが、それは津波の襲撃速度で坂を駆け上がる「速度水頭」が全く考慮されておらず、襲来速度100km/h前後という速度エネルギーが津波到達高さに加わることが無視されています。

 これを避けるには伝播速度水頭と、衝撃強度を考慮した防潮堤を設置するか、速度水頭で海水を被っても耐えられる構造が求められます。
 水の速度エネルギーがそのまま高さのエネルギーに変換された場合は、
    mgH=(1/2)mV2
    (質量m、重力加速度g、水頭H、速度V)すなわち
    ρgH=(1/2)ρV2 (密度ρ、)ですから
      H=V2/2g
津波の到達速度Vを、仮に100km/h、72km/h、g=9.8m/s2とすると、その速度成分による到達高Hは、
    H( 72)=(72/3.6)2/(2×9.8)=20.4m
    H(100)=(100/3.6)2/(2×9.8)=39.4m
 これに津波そのものの高さ6.3mが加わって、それぞれH(72, 6.3)=26.7m、H(100, 6.3)=45.7m となって、津波の到達速度次第で標高20mでは浸水の危険性があります。今回の津波の最高到達高度が39mを越えたとか、明治三陸津波の最大到達高度が38m台だったというのはこの津波到達速度が高さに変換される速度水頭が加わってのものでしょう。
 さらに、津波の防潮堤への当たり方で、衝撃荷重になるのか、水の軌道を変えていく反動荷重になるのかの違いが出て、撃力の大きい衝撃荷重では防潮堤を破壊する衝撃を与えるのかも知れません。
 電力会社ですから、その守備範囲である水力発電所の水車で言えば高落差で使われ衝動水車と呼ばれるペルトン水車、低落差で使われ反動水車と呼ばれるカプラン水車で水流による力の解析は得意なはず。防潮堤の動的解析もその固有技術力に掛けてきちんとやって貰いたいものです。

衝動受けか、反動受けか、動的設計が必要

 岩手県下閉伊郡田老地区の10m高の大堤防が決壊したのは、もしかすると高速の津波を真正面から平面で受けて大きな衝撃になって崩れたのかもしれません!すなわち、進行方向を徐々に緩やかに上に向ける構造だったら、20m〜30m高の大噴水幕が現れたり、越えられたりしても防潮堤自体は崩れないで被害を小さくできたのかも知れません。
 国鉄時代のロータリー除雪用ディーゼル機関車DD53が、出力が大きすぎて周囲の建物を排雪で破壊してしまうなど、もてあまして、上越新幹線開通で在来線の高速除雪が必要なくなり早々に廃車になりましたが、あれは、あまりに大量の雪を建物にぶつけた衝動で壊れたもので、高速除雪という仕様からくる必然の現象を、除雪機関車の責にされてしまったものでした。DD14×2除雪列車並に5km/hで除雪すれば問題なかったはずです。(See→ロータリー除雪動力試算)。防潮堤の場合は、突入してくる津波を撃力受けではなく水の流れを徐々に軌道を変えてその反動力受けとして和らげ、空中高く吹き上げさせる工夫が要るのでしょうか。

 津波はその高さだけで表しては不十分で、到達速度、地上水深、到達標高でも見る必要があり、そのどれにも耐えられる防潮体制や設備が必要だということです。

ありうることは起こる!

 JR西日本が尼崎事故の反省から「安全基本計画」を制定した総論部で指摘していたのが「ありうることは起こる」(同p5)という痛恨の、しかし極めて当たり前の判断基準を述べていましたが、福島原発事故でもそのまんまの誤判断を、設計の東芝、発注の東電、監督の政府が行って大事故を招きました。
 すなわち、約1100年前の貞観地震で大津波に見舞われた記録を「寿命40年の原発設計に1000年の歴史は考慮できない」と捨ててしまい惨事化したこと。正しくは「1000年に一度でも確実に起こったことは明日起こっても不思議のないこと」として扱うべきでした。まして子細に読み込むと東北地方の災害は記録が少ないから残っていないだけであり、現実には400年ごと、100年ごとに津波の大災害が起きていると思われるとあります。また関東大震災でも房総半島南端に10mの津波が押し寄せたとする記録があり、同じく日本海溝に面した福島原発、女川原発に10m超の津波襲来は「ありうることは起こる!」として想定しなければなりませんでした。ましてや何千人、何万人の寿命を大きく縮めかねない重大リスクの掛かった想定ですから、おうむ教上祐の口先ディペードをあしらうような切り捨て方は絶対に許されないことでした。女川は標高差から間一髪でセーフ!幸運でした。福島第二は現在は収まったものの、まだ危機的事態。
 斑目原子力安全委員長が中部電力御前崎原発訴訟の証人として「リスクを何処かで見切って設計」と証言した見切り方が、現実にあり得る具体的危険の指摘までを無造作に切り捨てた、学者としてあるまじきものだったことを事実が証明しました。

2011/04/23 00:15

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