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V-F比例制御 ≡ VVVF制御

 「VVVF制御」という呼び名を、動作が直截に分かる「V-F比例制御」と呼ぶようにしてはどうだろう。工程制御界では早くから使われている呼称の筈だ。 「可変電圧可変周波数制御=VVVF」では何をしているのか具体的なことが判らない。「電圧-周波数比例制御=V-F比例制御」と呼んで、動作が直に判る呼び方に修正した方が良いのではないだろうか。 JR貨物の電気機関車では「インバータ・ロコ」を名乗っている。VVVFは元々が鉄道界での日本製英語で「3VFインバータ」などとも略されてきた。 See→VVVFインバータ制御とは

 交流モーターは強靱で保守作業が僅少のため産業用モータとしては圧倒的に3相交流モータが使われた。回転子には磨耗があって交換メンテが必要な「整流子」が存在せず、堅牢な鋳物製の短絡導体の構造である誘導電動機が圧倒的な主流だ。 送電線、動力配電線が3相交流なのも、3相ならそのまま同期速度の回転磁界を生じさせることができて、照明など一般使用の単相交流も1相使用の他、3相4線式など結線次第で簡単に得られるからである。 (米国などの低圧配電線が100Vではなく115Vなのは、3相200Vの動力線でのY結線の中性点と3相各線との間の電圧で、中性線付3相4線式で動力線と電灯線が共用出来る方式を選んでいるためである。:115v=200v/√3)
 しかし電気鉄道は任意の速度での走行が求められて、そのモータは速度に合わせた電圧(と周波数)で駆動する必要があった。
 それは、直巻モーターであれば、無操作で数倍の速度範囲で運転可能であり、起動時にだけ電流を起動抵抗を直列に挿入して許容電流以内に制限して加速して通常動作領域(≡「特性領域」)に入れば、その広範な速度領域で運転可能となる。 起動領域では、モータの逆起電力と直流供給電源間の電圧差分を起動抵抗器で負担して、モータの電機子に回転速度比例の電圧を供給する方式で、(回転)速度−電圧比例制御となっている。この直列抵抗で過電流を防ぎ加速する起動方式を「抵抗制御」と呼んできた。 交流では電鉄用の大容量直巻モータを作りにくいことから、電車用直巻モータとしては総て直流用である。交流機関車の開発で試作した1形式:ED44型のみが交流直巻モータを使っていて、整流子のスパークで新聞を読めたという伝説の残る実用量産化されなかった方式である。

 日本の鉄道界で周波数−電圧比例制御(V-F比例制御)のできる任意周波数の駆動電源(=インバータ)は後年「VVVF制御」と呼ばれるが、当初、車載用としては構成出来なかった。 それが、高速大容量のパワー半導体の開発で車載の直流−交流変換装置(インバータ)を構成出来るようになり、鉄道界ではVVVF制御(可変電圧可変周波数制御)方式として実用化されて、今や日本の鉄道界を席捲した。VVVFとは日本製の英語もどきである。SIV≡静止インバータなどと同様の日本の命名と言って良い。
 誘導電動機の逆起電力は回転数比例であり、逆起電力より供給電圧が高いと電力供給されてモーター動作、低いと外部に電力供給する発電機動作となり、負荷が繋がれれば制動力を生ずる。インバータが電力逆流を許容すれば架線を介して他列車に電力を供給する回生制動となる。 高速での運動エネルギーは、低速域の起動抵抗損より10数倍台で大きいから、それを回生制動で吸収して「209系は103系の48%の電力で走っている」と車内表示されている。 実際の209/E231の節電効果は回生制動の効果だけでなく車体の軽量化も大きく寄与している。実質抵抗制御車である界磁添加制御方式の205系が省電力なのも大幅軽量化と、高速域での回生制動採用の結果である。 全電圧に起動後は、周波数比例の回転数で、回転数の2乗に反比例するトルクが得られて走行抵抗と平衡する点が最高速度となるが、それは直巻モータの特性領域と同等だ。

 理工学での新概念の命名や翻訳語作成は、現物利用・流通が先に走っているので、後からより適切な命名に改められることが少なくない。 片極しか増幅しないB級増幅器を輸入当初は「直線増幅器」と呼んで初学者を混乱させていたが、やがて数学概念の「線形」を採用して、「線形増幅器:リニア・アンプ」表記に置き換わって抵抗感を回避した。 大電力変電所の共通母線は今も「ブスバー」「ブス」と呼ばれているが、それは「バス・ライン」のローマ字読みで、米独から電力機器を輸入して始まった明治時代以降あまりに広く永く定着してしまったが専門設備領域で社会一般とは隔絶された世界だから、これは直しようがないのだろう。 大電力母線は棒状導体だからラインではなく「バー」と言う訳だ。 それなりのお姉さんが営業するバーのことではない。 広範流布された後では簡単には直せない。より妥当な「V-F比例制御」は制御界から鉄道業界に浸透出来るだろうか?


日産自動車人員整理9000人!HONDAが買収か?
他責認識で長期低落傾向変わらず   <2>

 日本の自動車メーカーで、唯一日産自動車だけが大幅減益となって、人員整理9000人が検討されており、HONDAが企業買収する案も報じられている。瞬間風速の減益で全面否定は行き過ぎではあるが、確かに現在の日産には際だった人気車種がない。 トヨタならHEV:Prius等、スバルはAWD、HONDAはMAZDAは・・・・・軽では・・・・という尖った製品がなく、販売数でもHONDA、MAZDAに抜かれているのだ。業界の裏情報だが、かってはトヨタのセールスマンが「うちにもMAZDAのような良い車があれば倍は売ってやる!」と嘆いていた時期さえあってのトヨタ車大逆転トップ奪取だ。

ゴーン改革の実質は?   <2.1>

 バブル崩壊後の不況でジワジワと売れなくなって、1999年に経営が破綻してフランスのルノー傘下となりカルロス・ゴーンがCEOとして派遣されて「コストカッター」などと持て囃されたが、その経済的実質は「コスト80%化」を掲げて、下請けに対しては事実上の指し値で無理のある大幅値引きを強要。 日産の都合では値引き出来ない素材・部品も多いから、値引きが下請け会社に特に集中しそれが作業従事者の非正規化・派遣化による低賃金化で切り抜けるほかなくした。
キャッシュ・フローについてはかって吸収合併した旧プリンス自動車の工場敷地をほぼ売り払い閉鎖換金して東京・神奈川地域の工場従業員の栃木工場配転で異動困難者の「自発的退職促進」=実質人員整理を図ると共に、少数派の全金日産(=プリンス)労組だけは多摩に残して逆隔離施設とし、多数御用組合傘下の日産労組員との絶縁を図った。
 商取引上の優越地位を利用して無理矢理の納入価格引き下げを強行して日産本体の利潤を確保して、ゴーン自身は日本社会の常識では考えられない驚愕の高額報酬や便宜供与を表裏様々から合法・非合法に得た訳だ。

初回東京モーターショーの記憶   <2.2>

 東京晴海で1964年頃開催の初回(か翌年次回)の東京モーターショーの日産ブースで自慢の新型車について工場の技術者という説明員から聞いた驚くべき話がある。(もしかして「翌年」と思う理由は、新設計のエンジンがクサビ形燃焼室を採用していて、プリンス由来の半球形燃焼室ではなかったから、記憶とは時期が違い次回かも)
話1「世界の名車の印象的スタイルを総てコンピュータに取り込んで、ユーザーから最も好かれるスタイルをコンピュータで拾ってデザインした」。
話2「トヨタが新車を出すと半年で追いかけている」と説明されて呆気に取られた。
 下世話な話、美人というのは多数のソレナリの人に囲まれて際立って光るもので、全部が光っていては美は感じなくなるもの!クレバーな美貌の人は周りのそれなりの人達を大切に扱うのも当然の話だ。 全世界の名車の魅力的・印象的な部分を組み合わせ「それなり」の部分をなくしたとしても、それが全体として魅力的になることはない。 そして他社の後追いコンセプトでは、当面、技術的には一日の長があっても、長期低落じり貧傾向になるしかないと思った。 それが顕在化したのがバブル崩壊後の経営危機に現れてルノー傘下に下ったし、現在の経営後退に繋がっている。
プリンス自動車吸収時の日産はトヨタより優れてシェアも拮抗していたのが現状の大逆転:トヨタ5割、日産1割余の市場占有率で、HONDA,MAZDAの次に転落した。

「コンピューターによる結論」の実質は?   <2.3.2>

 1970年前後には、具体的論理的説明に困ると「コンピュータ計算による結論だ」と主張して、屁理屈論義を押し切ることが少なくなかった。コンピューターを錦の御旗に反論を封じるのが良く見られて、誤魔化しが通りやすかったのである。 家電の洗濯機や電気釜まで「コンピュータ制御」「マイコン内蔵」を売り物に、従前より1〜2万円も高値定価に設定しながら、ハードと制御ソフトの並行開発が可能で、機能改良もソフトの変更で後から可能だから開発期間が短縮され、コストは逆に下がっていてその分、超過利潤を得ていた。 東京モーターショーでの日産説明員の話も、その流れの虚仮威しである可能性も残るのだが、工場技術担当という説明員の説明が具体的に過ぎて、本気の説明を思わせた。
 我が某社の団体交渉で、会社側を理詰めにして反論出来なくすると「コンピューターの計算の結論」と逃げ出すことが繰り返されたが、労働者側団体交渉委員には組合3役を含めて設計開発技術者が多く居て、パソコン出現前のビル1床を占拠する大型電算機の時代だったが、そんな素人騙しの妄論では誤魔化されなかった。 「我々、組合側団体交渉委員の理解としては、電算機というのは計算処理順序も記憶して実行する超高速自動計算機である。どの様な情報処理・計算処理をするのかは利用する人間側が定めて、ドキュメント(文書)としてプログラマーに渡すもの。だから会社側が結論を得るのに使ったアルゴリズムを述べたドキュメントを我々組合側に開示して欲しい。組合側もそれを読んで解析する」と追及。 会社側は答弁不能に陥り、コンピュータ云々の説明を白紙撤回して、以降は「コンピュータの結論」とは言わなくなったのだ。
 暫くして会社側に人事異動があり、新団交委員が加わったが、会社側が論理で詰められて答弁不能のなった場面で「コンピュータによる結論」を言い出した。 しかし会社側団体交渉副委員長である人事部長氏が慌てて「彼らにはその手は使えない。ダメなんだよ〜〜」と新人団交委員の発言を制して双方大爆笑となった。 御用第二組合相手の団体交渉では相変わらず「コンピューターの結論」が主張されたようである。設計技術屋・科学者がそんなデマに圧されていてはいけない。

「技術の日産」の根拠は?   <2.3>

 「技術の日産」を標榜出来た客観根拠として、当時のモータースポーツを席捲していた「旧中島飛行機+立川飛行機」の一部であるプリンス自動車を丸ごと吸収合併して、主任設計者櫻井眞一郎のチームを手中に収めていて、技術的には従前の日産車の水準を超える大変な技術財産が転がり込んでいて、以降の日産車の設計に採り入れられていた。 最初に「メンテナンス・フリー」を打ち出したスカイラインも、日本グランプリー1〜6位独占のグロリア・スーパー6もレースカーR380もプリンス製品だった。 日産由来のピニンファリナのデザインによる尻垂れダットサン210は荒れ地オーストラリア一周ラリーの優勝車、後続ブルーバード510がサファリ・ラリーの優勝車ではあっても他の一般レースでは勝てなかったし、尻垂れ210時代に車種別販売数でトヨタに抜かれた。だが今現在「伝説の名車」を求めると、トヨタ車ではなく、圧倒的に日産車が語られて勝負にならない。レース用YAMAHA製エンジンを積んだトヨタ・スポーツカーが時折語られる程度である。
 旧プリンス設計陣:櫻井グループは日産社内では傍流であったかの記事を見るが、それは会社内出世尺度の文系評価ではあっても、開発技術の先端だったことを見落とす失当な評価である。技術者を下に見て経営陣には入れないのは日産固有の悪弊で、HONDAは創業者社長が陣頭指揮の技術屋、トヨタもカーマニアで技術好きの創業家御曹司をトップに据えて面白くなったのとは真逆で政府通産省・経産省の御威光をバックにしたのが日産だ。 技術者は必ずしも経営幹部になって開発設計現場を離れることは望んで居るのではない。 吸収合併した側の日産開発陣がプリンス開発陣櫻井氏に指導を依頼、頭を下げた話は当時から広く伝わっており、プリンスが開発のR380は引き継がれて日産R380と呼称変更されレース参加を続けた。R380の後を追ったトヨタ2000GT→トヨタ7はトラブルが絶えず福澤幸雄ドライバー(福澤諭吉の孫)殉職事故に到っている。
 この前後に大衆車として日産サニー1000がリリースされてよく売れたのを、トヨタが追いかけてカローラ1100を出しTV-CMで「隣の車が小さく見えま〜す」と煽ったが、その実態は車重が重く、エンジンパワー不足でブレーキドラムがやや小さくてブレーキの安定度が低くて長い山道ではフェード気味、塗装も弱い、高速性能不足を指摘されていてトヨタが劣勢で、次車種マーチも含め日産側がリードしていたのだ。 それは東名高速道路開通直後の時季だったが、軽量だったサニーは定員乗車で御殿場廻り箱根越えの浜松−東京間日帰り往復を楽々とこなした。我々本社労働組合結成を追った浜松の子会社工場での労働組合結成大会参加だった。 浜松工場の組合結成妨害に会社側人事労務部が第2組合結成を図り、技術指導で本社から浜松に出向中の我が組合結成オルグ時の非公然活動家たちに、そうとは知らずに頼み込んで当然に断られて失敗(だから会社側の生々しい御用組合結成工作を当事者組合員から直接聞いている)、翌々年、経営悪化を理由に工場閉鎖されて設計技術者主体だった組合役員達も退職したが、閉鎖から半年後に丸ごとSONY工場になったから、引いてみると浜松現地遠労会議系の自主独立労働組合を潰す工場閉鎖だったようだ。 設計技術者など他に潰しの効く層は工場閉鎖反対闘争など末端労働者のような粘り腰が弱いのは仕方ないことか。 九州・山口・山形など他の子会社工場には会社側主導で、松下電器で労務管理を教育された人物等を使って、すぐに御用組合が結成されている。分工場を子会社とするのは、賃金体系を旧産炭地の地場相場に低く抑えることと、工場間決済に子会社に対して長期手形を使って手形割引で資金運用量を増すためである。 第5組合結成まで試みられ2次3次の弾圧解雇が強行された本社工場が分裂攻撃としては最も酷かったが。
 日産としては1990年代にも技術的には見るべき開発を大成功させているが、経営的には大赤字の車種で、売れれば売れるほど損失が累積される、個々の技術は優れても経営的には酷い製品だった。 たしか独ポルシェ社の評では「1000万円超でしか作れない車を500万円台で売っている!」。経営側のコスト管理&売れる車開発の問題だった。 それが他社の製品コンセプト後追い30〜50年で見る影もなくなった訳で、通産省主導の国策にも助けられてプリンス自工の優れた技術を入手して、時に優れた技術開発もしていながら、初回頃の東京モーターショー会場の説明で感じた「ジリ貧の未来」通りとなってしまった。

『自動車絶望工場』日産   <2.4>

 批判を一切受け付けない日産の独善体質は、職場管理、労組対応に非常に良く現れている。 これはゴーン独裁体制に通底するもので、合理的な路線修正を極めて困難にしてしまう。 他社コンセプト後追い戦略など、ジリ貧路線なのは容易に判断出来るのに、モーターショウでの説明員が得々と喋っていて、撤回されないとは!
 日産では会社が意のままに職場支配をして厳しい労働環境を押し付ける体制は一貫して、それを当然視しており、戦後すぐの日産争議を崩壊させた首謀者は、会社から見たら功績者の筈だが、たちまちに塩路一郎が主導権を奪って組合長となり、「塩路天皇」と呼ばれるほど権勢を誇って贅を尽くし会社役員人事にまで介入・パージまでしたが、極端に過ぎて、石原社長の時代に下級職制達(≒労組職場委員)を使った排斥運動で失脚し、労務支配の主導権が御用組合塩路組合長ではなく会社側にあることを明確にした。
 この間、プリンス自動車合併時に全国金属労組の破壊を図り、脱退工作部隊をプリンス自動車工場に送り込んで威迫と集団暴力で全金組合徹底破壊、7000余の全金組合員を100人台にたたき落としたことが記録集「日産にはためく全金の旗」などの刊行物に記録されている。
 ルポライター鎌田 慧が自ら日産工場に季節工として就業して「自動車絶望工場」というルポ本を書いて悲惨な職場実態を曝いている。
 御用組合と職制を使った力尽くの職場支配は子会社でも同様に行われて、たとえば日産の厚木部品でも同様の威圧支配が行われて労働組合的抵抗組織「厚木部品を明るくする会(明厚会)」などを激しく差別・弾圧した。
 職場支配の実質は引いてみればトヨタも本質的違いはないが、日産より穏やかに見えて労働争議としては顕在化して居らず、徹頭徹尾権力的、暴力的で労働争議多発だったのが日産自動車の特徴と言える。

 なお、Web記事に「日産は米占領軍の民主化政策で労働者の権利擁護に走りすぎて経営の自由度を失った」などと真逆の評価があって驚いた。世間的に日産労組は真逆の「労働者支配機構」として通っていてルポ本「自動車絶望工場」などが広く読まれた。
 労働者に団結権、争議権を認めて力を付け経営側と対等交渉可能としては会社側に不都合だから、日本の大会社では経営側が労働者側の自発的な権利意識成長に先回りして御用組合を作って支配下に置いてしまい、真の労働者代表は出てこられないようにしてきた。 分裂御用第2組合を作ったりして労働者側第1組合を破壊するのは日本の経営陣の常套手段だった。
 日産労組の塩路組合長はその組合乗っ取り型支配の典型的存在で、徹底して会社側にあって権勢を欲しいままにしてきた御仁で、時に経営人事にまで干渉したが、決して労働者側の権利擁護に働いた人物ではなく、勘違いの極端さから最後は会社側下級職制(≒組合の職場委員)たちから組合を放逐されている。 そのWeb記事の日産労組説明は根本的に間違っている。会社側の逆宣伝工作を疑ってしまう。

トヨタ式生産方式=JITとは   <2.5>

 有名なトヨタ生産方式(=JIT:Just In Time)は、建前としては「中間在庫と予備品を作らない合理的な生産方式」という触れ込みで、「一目瞭然」を旨として誤作業や紛失を回避するなど一部は合理的な工程への改善もあり「看板方式」などと呼ばれたが、その実態は、工程予定外の付属作業が無払い時間外労働として労働者に押し付けられたり、下請け会社に時間単位の少量ずつを納入することを命じ、下請けの納入係がトヨタの工場門外に貼り付いて要求通りの少量ずつを納入させられることで余分な人件費を負担させられたり、コック倉庫と称して、納入部品をトヨタ工場に纏めて貯蔵させて、そこから必要な量だけを受け取って使った分だけ決済する≡在庫の下請け持ち強要が一方の実態だった。 東名高速道路日本坂トンネル火災事故1979/07で数日間延焼を続け、高速道路が長期に停まった時には部品納入が途絶えて、中間部品在庫のなかった工場が総て直ちに生産停止に陥った。 それ以降、中間部品の移動先には一定量の緩衝在庫を置き、事故時の迂回供給手配が間に合うように変わったが、取引上の優位を嵩に下請けに負担を押し付ける基本的構造は、日産ゴーン改革と同等だった。 日産ゴーン方式の方がかなり露骨・強烈だった程度の差ではあった。

 トヨタ生産方式(=JIT)の教科書の冒頭の汎例では、ファミレス・チェーンでのハンバーグ製造工場を挙げて、従前方式では半製品の冷凍工場と、店舗毎の解凍設備が必要だが、JIT方式で「必要なときに必要な量を供給する」体制では冷凍工場と解凍設備が無用となり、簡易な冷蔵だけで済んで設備投資額が激減する、などとしていた。 「看板」に従って、個々に装備を変えられる柔軟性有る製法でもあった。
 その限りでは合理的だが、自動車組立工場で小物部品を工程に合わせて少量ずつ1〜2時間毎に納入させられては下請けが堪らない。 その緩和策が「コック倉庫」で、トヨタ工場が出庫した分だけを受入決済したが、コック倉庫の在庫金額はトヨタ工場内にあって納品済みなのに、受入決済を実使用時まで遅らせることで下請け企業負担になる(=在庫金額分の金融費用負担押し付けの)経済的優位悪用の不公正取引であった。

労働者強権支配の会社:日産!技術開発は二の次!   <2.6>

 日産で有名なのは終戦直後の「日産争議」から始まる数々の労働者敵視支配争議と、強制の企業ぐるみ選挙であり、主体的な先端的技術開発ではない。プリンス自工(旧中島飛行機:三菱ゼロ戦のエンジン設計社、1式戦闘機&97式戦闘機開発社、高性能スポーツカー席捲)を政府の行政指導で吸収合併入手。  企業クルミ選挙を展開して、仕事として企業候補の票読み&個別点検を強要。電話や戸別訪問などで投票依頼を受けているかどうかまで執拗に点検した。 そこで、日産労組と会社が押す候補への支持名義貸しが横行、「点検電話が入るから「あ、ご苦労様です。引き受けました」と答えて貰って、その候補には絶対に投票しないで欲しい!」と依頼する面従腹背が次第に職場労働者に支配的となり、現実の得票数が日産労組&金属労協中心の票読み数の20%を大きく切るようになり、反動極右派の社民政党=民社党が崩壊した。 民社党候補への支持署名も、同様に「絶対に投票しない誓約署名」に転換させ念押しして金属労協&同盟系御用組合に提出するようになった。 御用候補支持強制はこっそり落選運動に転換されていたのである。 その面従腹背抵抗は東京電力労組末端でも始まっていて、組合強制動員では労組分会役員達が民社党向井長年参議院議員候補の選挙運動をさせられ、呑ませ食わせの負担も強いられながら、投票先は民社党が最も目の敵としていた共産党に投票するのだった。 (組合の公金を飲み食いには使えない!と請求を拒否して全員分を自腹で払った分会長も希には居たが、ボーナスの過半が飲み屋のツケに回って散々の目に遭ったとか。)
 少数派組合全金プリンスや争議団を取り囲んで集団リンチも多々見られて、新規技術開発可能な雰囲気ではなく、中島飛行機→プリンス自工の技術を次第に食いつぶすこととなった。 WW2緒戦の世界的名機ゼロ戦の機体設計は三菱重工だったが、そのエンジンは競作した中島飛行機が優れていて、ゼロ戦量産機には三菱製ではなく、中島飛行機製「栄エンジン」を積んでいたのだ。

民社党を崩壊させた企業ぐるみ選挙抵抗運動の再来は?   <2.6.2>

 崩壊した日産&金属労協の民主党企業ぐるみ選挙強要に代わって現状、土建業界での公明党支持強要が創価学会系統から繰り返し広く行われて居り、某受注ゼネコンとその下請け、孫請け、曽孫請け総てに支持署名提出を義務付けている。 2012年末以来、公明党が国交相を占めていて、公共工事の発注側だから、頂上近いゼネコン段階からの指示なので孫請け曽孫請け親方段階では表立って抵抗出来ないのだ。 一般の土木建築会社と思って応募して作業場に行くと、仕事の「世話役」が創価学会入信を執拗に要求。宗教的フリーでは居られない強い圧力を掛けられて皆創価学会員にされていて、加入を拒否すると半ば村八分扱いで仕事を続けられなくなって辞めざるを得なくなってしまう酷い状況が各所に生まれている。 さらに従業者の家族が、創価学会で「仏敵(≒共産党など)」とされる立場だと、敢えて家族喧嘩をさせるえげつなく陰湿な会員指導までされる職場がある。 家族工作結果を報告させ定例座談会で攻撃の次の一手を指示する執拗さだ。 敵勢力の打撃には家庭破壊が卓効!という訳だ。「仕事を干されるのなら、暫く調子を合わせてやったら?」というと、具体的な行動点検で迫ってきて、誤魔化せない状況とのことで毎土曜日夜の座談会に呼び出されていた。 唐突に「綱領に反対すると除名されるのはどうして?」「党首公選制要求の記者会見で除名は酷いんじゃない?」と言い出してきたので、共産党委員長に替わって説明(笑)。 「実質が選挙互助会で統一した綱領を持たない政党では、外部も交えた言いたい放題が放置されることもあるが、『政党』というのは本来、綱領で結集してるのだから、根本の『綱領が間違ってる』と考えたら離党するのが筋。 修正提案の場合は内部討議と規約で決まっていて、当人もそれ:綱領・規約を承認して入ったから、外部に持ち出して綱領攻撃を続けるのは敢えての規約違反であり、結社の自由の観点からも除名などの処分は当然!と指導の座談会幹部に言っておけ。 創価学会内で『板曼荼羅偽物論』を言ったら即除名だけじゃ済みそうもないだろ。生きて帰れるだろうか?(w)。内部でなら何を言っても平気。反論が来たりするだけ」と答えると、暫くして働き先を換えてその職場とは絶縁している。 友人・知人にも創価学会脱会時に板曼荼羅を焼却処分した人達がいて「ご本尊様を捨ててはいけない」と言われてたから燃やしたのだとか。1/15神社のどんど焼き、御炊き上げ感覚ではある。 「仏罰が当たる!」などと集団で脅されるのを怖れているが、態度を明確にすれば逆に公開されて世の糾弾を受けるリスクが高まるから脅迫はされにくくなる。
 地方からの集団就職が多かった時代には「会社内での布教活動禁止」を明文で宣言していた会社も多かった。中卒高卒新入社員への布教折伏:入信強要や信教行動を巡るトラブルが多発していた時代である。 現に5人同室、500余人定員の女子社員寮ビルで朝5時台から唱名(声明)など上げられては堪ったものではなかったから社内での禁止行動が決められたが、禁止されなかった無音でフィラメントが揺れる蝋燭電球も不気味で嫌われていた。 女子寮玄関には聖教新聞が毎朝20数部纏めて入口の寮管理人ポストに配達されていた。組合執行委員をほぼ一掃する大量の労組員弾圧解雇時に女子寮内の創価学会活動家たちが指名解雇通告者たちの寮自治会役員解任と女子寮追い出しに動いた非道を門前ビラでも暴露され、それが若い連合系御用組合活動家の激しい怒りを買って糾弾され、追い出し活動を止めさせられていた。 藤原広達著「創価学会を切る」出版妨害の言論弾圧が国会でまで糾弾された時の反省声明とは逆に国立戒壇建立国教化は絶対に諦めていないカルト集団のママである。 仕事先の確保・維持に、一旦は家族攻撃指示に応じてしまっても、チョット引いてみれば、それが政治的損得で「仏敵家族」に不和を惹起させるとんでもない邪教であることは容易に理解される。職場を制圧された後では正常化は困難だ。
 ハローワークなど職業斡旋組織も、求人情報に職場を制圧支配する非公式組織の無いことを調査の上表示してくれないと困る。「選挙や信仰への強制動員はありません」という表示を被害申告で取り消せば効果があるだろう。
 「本部はそんな指示はしていないっ!」と主張するのは、病人に瀧行を命じて数名死なせたときや、住所異動で重点区票を確保した時:「叔母ちゃんの家に住民登録してる。自分自身じゃ投票したことがない」とは組織的に行われている典型的替え玉投票。竹藪に2億円捨てたときなどと同様だろう。 出版言論弾圧批判後の世論の風除けに、表向きは「創共協定」で一致点での協力を約しながら、裏指令で共産攻撃を指示していたのは当時の公明幹部が著書で暴露した。 組織に得になるか『仏敵』に打撃を与えられればれば合法性、正当性など誰も持ち出さない反社会的組織ではある。 少数の狂気アクティヴが温和しく無批判従順の羊たちを支配している構図であるが、従順被支配者でも場の空気を作って強要の力にはなる。
 創価学会の選挙強要に対する面従腹背抵抗運動は現状、民社党支持強要日産&金属労協時代ほどには拡がって居なくて、今回選挙でようやく当選者が減ったのは強制が緩んだ好ましい現れとは言えまだまだ多いから、一刻も早く世の批判と抵抗を広めて邪教集団の横暴を縛っていく必要がある。 安倍晋三射殺事件で長年の実態が注目されるようになった統一協会並みに悪質・邪教である。 こうしたファッショ勢力が支配権力の一角を占めるようでは民主主義は酷く蝕まれていく。
 バラエティー番組の雛壇芸人の人選が芸の実力ではなく学会関係の支配的芸人との関係で人選されてしまい、面白くもないテレビが丸ごと視聴者から見捨てられ始めていても、放送局としての是正の動きはみられない。 地方公演での大動員を当てにしての形式入会ならまだ損得勘定での利用だが、放送丸ごとの排他的電波ジャックでは救いようがない。 今に残る部落解放同盟浅田派による言葉狩り、集団強要と同質なのは困ったものだ。

アメリカの日本市場全面開放要求を鵜呑み!   <2.7>

 アメリカからの一方的貿易自由化要求に押されて、脆弱なまま乱立気味の国内自動車メーカーを統合して対抗することを通産省の主導で進めていた。 アメリカの言う「貿易自由化」は、米製品の輸入自由化のみであり、逆方向の輸出:自国への輸入は好き勝手に力尽くでも制限する一方的なものであるが、当時は強力であったアメリカ自動車メーカーのビッグ3に対抗する方策として自動車業界再編が通産省による強力な行政指導で進められた。
 日産のプリンス吸収合併が最大のものだったが、東洋工業MAZDAはFORDの資本を受入、いすず&日野は乗用車製造からの撤退、元企業のある三菱、富士重工と、独立系のホンダは軽4輪スポーツカーS360等を試作・発表して4輪製造実績で参入権を維持。本田宗一郎社長自らが通産省に乗り込んで企業合併行政指導の撤回を強談判で求め、4輪製造禁止断固拒否を表明した。 これらの体制が今も残って、逆に米国ビッグ3と張り合い、激しく追い込んでいる。 影の薄くなった三菱は、繰り返しの酷いクレーム隠しによる顧客信用喪失で後退し三菱グループから切り捨てられ日産傘下となったが、車自体が特に悪い訳ではなく、起ち上げからの技術指導を行った韓国現代自動車が世界企業化していて、三菱車が特に技術的に劣っていた訳ではない。 複数の死者まで出る欠陥隠しの不誠実対応を繰り返して映画「空飛ぶタイヤ」をヒットさせてしまった経営側の大失敗である。 アメリカは国外企業に対し、過半数の部品の米国内調達を義務付け、輸入車に特別の関税を課すなど、輸入についてはかなり酷い保護貿易で、到底自由貿易などではない酷い御都合主義ではある。 強大な政治力で「半導体摩擦」に続き「日米自動車摩擦」を起こし米国輸入規制を強行させたビッグ3は、技術開発が日欧に全く追い付かず斜陽化している。 右ハンドル・狭隘路の日本やイギリス市場、欧州市場に合わせた製品開発などしなかったビッグ3の怠慢と言うべきであり、その結果、アメリカ車が日欧で売れないのであり、「不公正な貿易制限」等ではないのに輸出自己規制を受け容れてくる植民地政府が情けない。 日本の道が狭いのまでアメリカ車の輸入規制策と言い出しかねない傍若無人ぶりに負けて、米国企業には作れない軽自動車の優遇措置(税金&保険料、車庫免除)を大幅削減して省エネ誘導に逆行している。

 日本車が排気量ランク規制でエンジンを高出力化してきたのを、他国並みの出力馬力規制に改めては日本車の良さを捨ててしまいかねない。 失当なバッテリーEV(BEV)化オンリー煽りは素人マスコミの重大エラーだが、同様の思いつき強制としては、逆効果の多いアイドリング・ストップの強要とか、森林育成の間伐材の有効利用例だった割り箸の禁止で森林育成を逆に阻害、あるいはCO2削減に、天然ガスと石油エネルギー利用はほぼ野放しなのに特に石炭だけ使用禁止を求める愚策が国策として蔓延ってしまっている。 CO削減策というなら、単位出力当たりの発生量で規制すべきであり、複合高効率発電や排ガスCO回収後の最終排出量で考えるべきことである。中国、日本、豪州など石炭埋蔵国に特に負担を求める欧州系からの経済戦争の面も考える必要があるだろう。 石炭利用に当たり、実質のCO2排出量を、現行無規制のガスと石油の水準に抑える緊急改良目標を許容しないと公平ではない。 発電効率30%そこそこの旧設備と、50%前後の現設備では、設備更新するだけでCOの大幅減少となり、さらにCO回収技術が開発途中なのに石炭のみの一律禁止主張&ガス&石油の無規制は失当:デタラメ政策である。
 排ガス規制も同様で、着目成分の濃度規制だけでは、大排気量車が排気量比例×回転数比例で排出総量規制が緩くなってしまっている。(走行距離当たりの絶対排出量を規制したのが1970マスキー法) 濃い排ガスでも排出量が少なければ着目成分は少ないのだから、結果として小排気量の日本車規制になっており、これは着目成分の総量規制を噛ませる必要がある。
 路面電車が都市交通を阻害しているといって、軌道敷き内通行可とし、更に全面廃止したのは、実質の人間の交通量で見れば、大量輸送の路面電車による通行量を大きく抑制して、トータルの交通量を著しく低下させて、混雑を酷くさせていたこともある。 東京都は代替地下鉄の建設で乗り切ったが、経過としては都電廃止が地下鉄建設より早すぎた。 騒音増加のみを理由に在来線駅設置反対運動を強行して、大団地をバス連絡しか無い陸の孤島化させて空き家を増やして、外国人居住増だけが目立ったり。・・・・・・・・根拠の無い短絡的結論が支持されてしまう事態は困ったもの。例外として指摘しておくのは「小田急線高架複々線化反対運動」。高架化が沿線の日照を極端に悪化させることから、以降の高架化では側道設置が義務付けられて、新たな日照被害のない地下化を促進、京王線調布駅前後の立体化は相模原線分岐の2重高架式化は排され地下分岐方式に変更された。 暴支膺懲とかいう侵略スローガンや鬼畜米英が反論禁止で世論の大勢を占めた狂気の時代も有った。 理性が力で抑圧される体制(:日産、大日本帝国等)はいずれ破綻する。

毛色の違いすぎるHONDAと日産は纏まれるのか??   <2.8>

 HONDAやSONYの創成期の特徴は、創業者達が圧倒的に開発技術者で、自分たちが欲しいものを次々追求して商品化、大ヒットさせてきた。実用上は無用の過剰品質でもユーザーの強い支持を集めるものも多々あった。 そこを支持して入社したファン社員が多数居た会社だ。 それが大会社化と共に次第に特徴が薄れて利潤追求至上のフツーの会社化して面白みを失ってきたのはたしかだが、今後合併する場合、日産のような専制力尽く支配の会社とはどう折り合いを付けるのだろうか?旧プリンス系スポーツカー群の遺産を引き継ぐ日産高性能車製造に携わりたくて入社の人達も確かに存在するが傍流のごく少数だろう。
 HONDA創業者本田宗一郎は設計製造の先頭に立ちたがって、様々の試行錯誤の成果を挙げてきたが「錯誤」にも大きく関わっており、晩年は超馬力の親分を開発現場から遠ざける周囲の苦労が語られている。
 HONDA JET開発が最も極端で、事業を支えた番頭筋が宗一郎の介入混乱回避に長らく米飛行機開発子会社設立稼働を隠してきた。それは他社に見られる派閥抗争ではない。それより前に、軽飛行機開発に着手して試作後に撤退した経験もあった。 宗一郎社長が設計開発の一線を引くきっかけとなったのは、製品化してかなり売れた乗用車用の空冷1300ccエンジンの不安定性を克服仕切れなかってからの模様だ。 空冷エンジンの2輪車製造から出発して断トツの高性能バイクを次々世に送り続けてきたHONDAが小型車開発時に空冷1300ccを採用。 「『水冷エンジン』とは言っても最終冷却は空中への熱放出であるから、2輪車エンジンのように空冷方法の工夫で水冷部のない単純化したエンジンが作れるはず。」というのが宗一郎社長持論の開発方針で、現にカブトムシのフォルクスワーゲンも高級スポーツカーのポルシェも空冷エンジンだったが、マスキー法対応低公害エンジン開発に行き詰まって断念された。水の冷却効果と桁違いに大きい熱容量によって部分的な過熱が抑えられる安定性は、空冷では実現しきれなかった模様だ。
 実現不可能と言われて米自動車業界から撤回を迫られていたマスキー法基準の排ガス規制を、世界で最初にクリアーするCVCCエンジン搭載のCIVICを供給してマスキー法を存続・実施させたのもHONDA。高速高性能エンジン開発で定評のある新規開発型の会社がHONDAだった。マスキー法違反で桁違い最大の罰金を払わされたのもHONDAだが、ビッグ3の恨み骨髄政治報復が垣間見える様で面白い。
 近年、次第に大会社病に冒されつつあってフツーの会社化してきたとは言え、そこに全く異質の、強権支配の会社:日産を担わして、どうマトモに動けるのか?崩壊故プリンス化しないのか?かなりの不安を感じてしまう。
 会社内の様々激烈な派閥争いを繰り返し描いていた弘兼健史作の大長編「(課長)島耕作シリーズ」は、下敷きが弘兼氏がかって在職した松下電器とされている。 女性社員の多い場面では電子業界我が某社とよく似たエピソードにあるある感たっぷりだったが、創業者松下幸之助引退後の激しい主導権争いが続いて、会社として統一した方向が決まらずに結局衰退してゆく典型になっていた。 最近HONDAがその卓越したエンジン開発実績に基づく世の絶大な信頼感を無視し捨て去ってまでBEV一択シフトに走っている様に見えて、転けないか?と不安に感じていた。
 各製品分野の開発トップ企業というのは、競合相手が出来て価格競争になっても腰の強さを示して不況を支えることが多いもの。 創業者がもう流行らないと過小評価し中心軸の本業を投げてしまい、様々新規事業に手を出してずっ転けるのは良く見られること。 混乱が一段落付いた実例では、バネ業界の雄「小林スプリング」創業者が、無くなることはないバネに将来性がないと断定してしまい、次々新業種製品に手を出して全部失敗、社業が傾き、当初見限ったバネ事業だけが生き残れて今もアドバネクスとして顕在だが、株主投票権争いでその経営権を奪われていた。 超小型コイルとバリコンの開発社ながら、それを馬鹿にして様々な他事業に同時的に手を出して、殆ど全部失敗して処分、コイル&バリコンに支えられて一旦は持ちこたえたものの、今はブランド名を残して吸収合併というのもある。 先進企業がその先進性の価値を適切正当に評価出来ないと、行き過ぎてしまったり置いて行かれたりと、大変なことになる。HONDAのエンジンは置き去りにして良いような中途半端なものではないと思うのだが、現状、やや粗末に扱いすぎる様に見えていた。 SONYが従前は存在しない新製品ハード開発で支持を得ていたものを、ソフト販売中心の儲かる会社化に方向転換して、自社コンセプトの筈の「メモリー・ウォークマン」の発売を控えてしまった間隙を突いて、その市場をI-Podに占拠されてしまい奪還出来なくなっていた。
 そういう翳り≒迷いが出ていそうなHONDAと、強権支配の歴史で、超人気車シリーズの多くをゴーン路線で切り捨てた長期低落日産を単純に合併させて、BEV系開発負担を分かち合うだけでは双方落ち込む一方で展望は見えないような気がしてならない。

 BEV用2次電池の低性能は開発当初から大きくは改善されて居らず、内燃機関自動車では常用である鉛二次電池よりはかなり高性能のリチウム畜電池でさえ充電の手間は内燃機関給油の10倍は超え、「化学電池」という化学反応製品特有の寒冷時性能の極端な低下は全く解決出来て居らず、充電スタンドも圧倒的に不足、集合住宅では自家用充電設備設置も極めて困難で、技術的には100%バッテリーEV(BEV)化など到底出来る訳がないのが最初から分かっている。
 私は電動アシスト・バイクを古くから使っていて、スペア・バッテリーを既に3基買っているが、冬酷寒の早朝新聞配達では標高差20mを3〜4回昇ると電池が息切れして人力登坂となり酷い目に遭っている。 前夜にバッテリーを室内に取り込んで冷えないようにして充電器にセットしておく必要があった。 アシストバイクの利用に電池がネックになることは当初から想像が付いていたから、安価なニッカド電池やニッケル水素電池を避けて出始めのリチウムイオン電池の最大容量品を取り付けていたが、自由に使うにはスペア電池を準備して交代で充電して使ったし、長距離走行ではスペア電池も積んで走った。 BEV自動車はスペア電池など使えないし、冬期の保温設備など無いから近距離通勤など限られた用途にしか使えない本筋には成れない製品だと判断していて、現状その通りだ。
それなのに、EU&中は現行主流である内燃機関の禁止法制定を強行しようとして、BEV化を推進し豪雪寒波中の渋滞電欠孤立で多数の犠牲者を出すなどと当然に自爆することとなった。
 さらに製造過程と処分工程を含めたトータルの排ガス量も、BEVには卓効がなく逆効果になりかねないことが明らかになって、代替競合新方式である高圧縮高効率エンジン開発は独ベンツのデータ捏造事件発覚で断念(MAZDAは開発継続中)、とか、水素エンジン、(水素)燃料電池車など、まだ方向を決められず、実用化試験の必要な各種方式が半完成=未完のまま転がっていて、科学技術的に見れば到底、政府が最良方式を法律で強制一本化出来る状況にはない。
 ドイツの高効率ディーゼル開発虚偽データ発覚で社会的信用を失い高圧縮率高効率ディーゼルエンジン方式からの撤退を余儀なくされ、手強い競争相手トヨタを同じスタートラインに引き戻して潰す策としての内燃機関禁止BEV強制法強行に見えてしまう。
 だが、ハイブリッド車の電池走行制御機能はBEV制御を内包・共通しており、電池も大き過ぎ、低温特性が酷いので逆転の大差にはなりそうもなく、大して売れそうもない製品製造には手を出さず、排気性能も悪くは無くて、現行インフラのままで対応出来るハイブリッド方式を主力に選択して本命技術の開発を待つのは非常に合理性のある判断だ。 トヨタの言う「全方位」というのは、地域毎のインフラ整備に合わせた車の供給策に加えて、CO削減の最良方式がBEV方式とは限らない技術開発競争中を乗り越える現実的選択でも有る。砂漠・土漠地帯など都市ではない人口疎ら地域に充電スタンド完備など出来る筈がない。 素人マスコミは、それを科学的根拠の極々危ういBEV至上論に立って、日本を「BEV化の周回遅れ」などと揶揄的に糾弾していた。 EUの日本車排除撲滅の謀略が環境に託けたBEV一択だったことが次第に浮き彫りになっていて、BEVを囃したマスコミ論調の根の無い軽薄さが見えるようになった。
その他方式の実現可能性を見ない開発路線:BEV一択策にマル嵌まりのままでの、HONDA−NISSANと両社合併では、双方の開発力の協力的競合が出来ればまだ良いが、機械的一本化と言うのでは、不合理是正の不可能な体制だから、自爆政策でしかなくなってしまうだろう。


2024/12/31 23:55

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