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エア・セクション停止不能は「間違い!」??
曽根悟先生鉄道ジャーナル解説
実運用基準 vs 設計目標の齟齬か?

熔断抑止エアセクション接続図
直流高速遮断器をエア・セクション直近に設置するよう改めるとパンタ短絡電流を減らせる
 「鉄道ジャーナル」誌2016年6月号に曽根悟工学院大教授がセクション停止架線熔断事故について解説していて、概略「セクションに停止できないとする鉄道側の説明は間違い。直流饋電では何処にでも停まれるのが原則。架線熔断は短絡距離が長いなど特殊な条件の例外箇所」という。
 学問的説明はそれで良いのかもしれないが、鉄道運行実務側から見たら、エア・セクションに少数でも架線熔断懸念箇所があって、運転士からは判別困難であれば、エア・セクション停止禁止令と、そこからの脱出方法を規定して訓練するのは大変妥当な方針だと思う。
 その上で、「例外的な架線熔断懸念箇所」については、短絡経路を短くする設置に改める、すなわち、セクション直近の給電線にそれぞれ高速遮断器を置いて、その先(変電所側)で短絡することで、エア・セクションから見た短絡経路の最小化を図って架線熔断の可能性を抑えるべきである。エア・セクション両側の負荷の不均衡があれば、比例して短絡電流は大きくなるので、より一層、短距離での短絡が求められる。変電所から1km以上も離れたエア・セクションの高速遮断器は、エアセクション直近に設置すれば、熔断事故は起こりにくくなる。
    See→右図左側エア・セクションvs従前型同右側エア・セクション
      & 15両編成対応停止禁止標識
 遮断器の操作は変電所からの遠隔操作だが、それは変電所中間に設置される饋電区分所でも全く同じだから特別変わったことをするのではない。曽根先生には専門の学者として実務直結のこちらを提案して欲しかった。
 「エア・セクションでも停止可能にする」というのはあくまで設計目標であり、現実にそうならなかった部分については特別措置で切り抜けるのが現場の適切な対応であり、「間違い」と言われる筋合いは無い。
エアセクション接続図


 実務上の問題としては、エア・セクションでパンタグラフを降ろしてから、列車を引き出すのに約10分前後掛かる(日記#247)様なので、指令からの一斉停車指令でエア・セクションに掛かって停まる場合に、パンタグラフを降ろすのではなく、超低速(10km/h以下など)で停止禁止領域外へ出してしまうのを許容できるかどうか検討した方が良いのではないだろうか。旧来の非常ブレーキではその緩解に長時間を要するから停まってしまいパン下げするしかないが、最近の電気指令式のものは減速途中で緩解可能のものも有るようで、それならパンタグラフを降ろす操作に代わって低速で停止禁止区間を脱出させた方が面倒が無い。
 なお、停電区間との境のエア・セクションを短絡するのは「セクション・オーバー」といってパンタグラフのシューを通じて停電区間の列車に向けて大電流が流れての熔断事故になる。架線停電に際して停止信号で侵入阻止を図る必要が有り、鉄道事業者によっては無加圧区間を置いて停電させて、セクション・オーバー事故を回避しているところもある。

 鉄道界の大御所曽根先生も、結構粗忽で、時々、見当違いの見解を出されるようだ。かっての、6000kW大出力電気機関車EF200型の継子扱いに憤慨して「東北本線特急485系はEF200機関車より大電力で走っている」と書いてしまった勘違いは、おそらく直前の鉄道ピクトリアル誌の485系特集の出力定格表が、電動車1ユニット2両分の軸出力960kWを1両分と表記してしまった誤りに気付かず、東北本線での登坂仕様12両編成8M4T総出力計算に引用して×960kW×8=7,680kWとしまったためではないかと思っている。 MT54型モーター120kW×4×M8両=3,840kWと単体にバラして計算していたら、鉄道ピクトリアル誌の誤記:7,680kW>6,000kW(=EF200型)にはならないことに気付いたはず。 しかも当時EF200で発生していた問題は、フルパワー6000kWでエア・セクションを通過すると電流の急変をΔI遮断が地絡事故発生と判断して動作し停電してしまう誤動作だ。 電車特急485系では1ユニット2両単位で順次エア・セクションを渡るので急変値は1ユニット分960kWずつ切換で1/4になり、誤動作を起こす急変値には達しない。 このEF200誤遮断問題は、メーカーの日立が「未熟な運転士用」に、セクションでノッチを緩める地上子を設置する実用新案を申請して誇り高い運転現場と衝突、大問題になったが、結局並列饋電のエア・セクション両側の電流の和でΔI遮断を働かせるように改め、最大変化量を1/2以下にして誤動作発生を抑えた。並列饋電方式というのは、エアセクションで区切られた架線の両端から給電していて、両側の高速遮断器は連動して働かせている。研究室から現場実務・工程は遠いのカモ知れない?
 鉄道界の重鎮、曽根先生に対しては業界人には恐れ多くてストレートな物言いは出来ないのかもしれないが、当方単なる鉄ヲタとしてはお気楽で言いたい放題ではある。(w。 日立も熟練者・未熟練者に関わりなく起こしうる人為エラー:うっかりミス対策として実用申請していたら揉めずに済んだものを、運転牽引職人たる機関士を端から見下して接して、まともに話を聞いてなかったからの「未熟な運転士」評価だろうし、日立製作所側の態度に日常的に感じていた蔑視感覚が運転現場の反発に火を付けることになったのだろう。 後継機東芝製のEF210型機関車が「イージーライダー」などと呼ばれる扱いやすさとなったのとは好対照である。新人に伊勢神宮真冬の五十鈴川水垢離研修を課して社畜化させる特異な方針の反映か?もっともTopが狂った東芝&シャープも威張れたものではないが、一般労働者への信教・思想信条の強要ではない。社員提案の「寝ていて飯の炊ける機械が欲しい」に対して、「そんな横着なカミさんで良いのか!」と断固否定したという日立製作所さんと、電気釜開発メーカとなった東芝の体質の違いは電気機関車設計にも同様に現れたのだろうか?(w

開架式陳列棚にはゼロ化!
川島令三本@千葉市中央図書館
ようやく正統な書籍評価が加えられ始めたのか?!   <2>

 先日、調べ物があって千葉市中央図書館の書棚を覗いたのだが、鉄道関係書籍の総量がかなり減っているのと、あれほど多かった川島令三本が一冊も無くなっている!文系支配の図書館の書籍選択でも、ベストセラー本の内容の酷さがようやく理解され始めたのだろうか?
 続いて稻毛海岸駅傍4Fの本屋を覗くと、JTB刊旅行本扱いで多数の川島令三本があるだけで、純鉄道本としては淘汰されていた。

 鉄道ファンとして「アレが欲しい、これが欲しい、様々体験記」の本は読者に支持されて鉄道書ベストセラー・ライターなのはご同慶の至りだが、自分で理解できない技術的な内容にまで踏み込んで誤った結論のキャンペーンを繰り返して、専門家の反論指摘を受けても訂正することなく強弁を続ける不誠実さは、ベストセラー・ライターだけに到底放置できない。 勘違いは誰にも起こりうるが、元々自分では理解できてない・説明にもなってないことを、ベストセラー・ライター教祖ステータスで口から出任せの「技術解説」と「失当な煽りキャンペーン」をシロート相手に繰り返して教祖様御託宣となっているのは放置してはいけない。
 結論評価で「ダメだ、デタラメだ」と言うだけでは話題を繰り返すだけの平行線になって、結果的に川島令三本温存に手を貸してしまうので、具体的命題で川島本記事のデタラメさを指摘して根拠有る否定派を増やす必要が有って、日記#81(2005/08)日記#95(2005/11)日記#171(2007/11)、などで川島本記事の訂正・批判を続けたのが、出版社の倒産もあって、10余年を経てようやく世間的に動き出したものだろうか? 間違いは訂正して、自身で理解できないことは言及しなければ良いものを、半可通のデタラメな御託宣をして、失当なキャンペーンを続けて訂正を拒否したら、批判が集中し、一々の訂正も大変だから図書館購入からの排除も当然のことである。他人が一冊一冊誤謬訂正表を付加してやる必要の有る技術解説書など絶対に御免だ。

持ち歩かないよ!徘徊用迷子札!
持っていても当然の 個人「名刺」で行くべきだ   <3>


 PCプリンターで作る名刺用紙が各種販売されており、名刺作成用のソフトと無償データ集が用紙メーカーのサイトに公開されている。
 A4判で名刺10枚採れて、最低10枚単位で売られていて\410.+税程度。名刺屋に頼んで1箱100枚\1000〜\2000より遙かに安上がり。 特に当面は各人1葉10枚あれば足りる用途なのだから。
 老齢者が増えるに従い、物忘れ、位置認識失調に陥り徘徊・迷子が増えてくるが、周囲の身内がそれを嫌って座敷牢に閉じ込めでもしたら大抵は極端な症状悪化に見舞われて生活力を失い却って深刻化してしまう。能力減退の進行を遅らせ、止めるには様々活動した方が良いのだが、周囲の心配が先に立って逆に行動を制限したり、本人の興味とは大きく外れるリハビリテーション/デイサービスを強要したり、必ず付き添ったり、大きな迷子札を持たそうとして当人との軋轢を生んでしまうことも多い。
 精神能力の低下、いわゆる認知症状は、一様平均に表れてくるのではなく、現れ方に時期的なムラがあったり、有る特定の機能が目立って失われて当人も自信を無くして落ち込むが、他の機能や感情は従前通りそのまま残っているから、エラーをすると自分自身を責めてしまうし、外からのキツい指摘に極端にめげてしまい引きこもって更に症状悪化させるもの。 当人は「ボケがどうした!」とはなかなか居直れないのだ。
 散歩中、時に、現在地が分からなくなったり、帰り道をド忘れしてしまったとしても、暫く休んで記憶が回復して戻ってこられれば、それは「散歩」の範囲。 思い出せなくて益々焦ってしまい闇雲に歩き始めて収拾が付かなくなっての「徘徊」で、その境界差は実に微妙なものがある。 新しい記憶から順に失われることが多いから、若いときから住み慣れた街では位置失調は起こし難く、大昔から見慣れた目印・ランドマークを辿って帰館しやすい傾向はある。 逆に、子どもが田舎の老親を都会に呼び寄せた場合に特に徘徊が発生しやすい様だ。東京近郊の丘に拓かれた大団地など道の複雑さと高低差と規格化された同一形状の建物で若くても迷ってしまう。 そういう衰えを絶対に認めたくはない御老体に「迷子札を首に掛けて散歩に出なさい」という言い分は実に残酷なものである。幼児ではないのだから、そんなもの当人は意地でも持ち歩かない。そういう無神経なやりかたの指導をする介護関係者の気が知れない。
 発想を変えて「安全な失敗」を繰り返しての「成功体験」で自信を付けさせ、失われた機能を回復させていくことがスジというもの。脳梗塞などで失われた機能を、繰り返しの訓練で代替回路を形成させて取り戻そうとするものだから、引きこもらず、積極的に打って出る必要があるのだ。

 迷子札の代替法としては様々考えられて、前職が対外接触のあるサラリーマンや職人であれば日本なら必ず「名刺」を持ち歩いていたはずだ。リタイヤー後になると肩書きはなくなり絶対的な必要性は無くなるが、それでも出先での仲間との連絡先交換の個人名刺は持っていて有効である。 加齢に従い人名を思い出せない現象は誰にも普通に起こることで、自分自身の存在を一瞬ド忘れしても、パニックに陥らずに落ち着く間があれば思い出すことも多いし、所持する自分の個人名刺を見れば思い出し易い。 「徘徊」として保護されたときには、迷子カードそのものに転換して連絡がされることは言うまでもない。それまでの現役中にはずっと使っていたモノなのだから、所持を拒否されることは先ずない。現場でまごついていても、せっついてパニックに追い込まないことだ。

 2度もの脳梗塞発作から無事生還復帰したモテモテ後期高齢者大先輩氏に若干の軽い後遺障害が残って、時折、カラオケ・リモコン(デンモク)の操作が覚束なくなるとか、時に曜日・日程を覚えていられなくなり間違えてしまうとかを繰り返して、世話をしている娘さんがデイ・サービスを手配、徘徊発生を心配して迷子札を準備していた。 しかし御当人はデイ・サービスでヨイヨイの爺婆同士に新参者で混じるよりも、カラオケの王子様として通る良い声で朗々と歌い上げたい要求が基本。 ところが施設側の都合で週の2日とも従前のカラオケ日程と衝突、施設の空き待ちとしてデイ・サービス通所が優先されて数年間なじんだ仲間とは切れることになってしまった。御当人不満の中の「リハビリ」では効果が大きく減殺される。 その解消策としては、月に2度程度、客数が適切で思う存分歌える店として中心市街の流行ってないカラオケ店に誘って3〜5人で歌いまくり大いに喜ばれたのだった。古地図を調べると1960年前後には現住所の戸建て住宅にお住まいの様だから、万一ド忘れしても自力帰館できる条件としては非常に良い。 See→日記389-6.2
 しかしながらカラオケ店最寄りのJR千葉駅からは6方面に線路が延びて、運悪く一瞬勘違いが始まるととんでもない遠方に運ばれるリスクはある。 成田・鹿島神宮、 成東・銚子、君津・館山、 茂原・安房鴨川・東金、 東京・横須賀・大宮、 新宿・三鷹などと、関東一円広域にワープしてしまうリスクはある。さすが「妖怪千葉廻り銚子行き」(w という怪しげな列車の出発していた千葉駅ではある(→子どもの頃、千葉駅の発車案内を「妖怪千葉」と聞いていて妖怪住む不思議なところが有るもんだと思っていた=八日市場)。 そんな状況で京葉線や武蔵野線など昔は存在しなかった新線に迷い込んだらまず抜け出せなくなってしまう。 しかし作っても渡せない迷子札など意味はないし、まだ迷子・徘徊を起こしたことのない人への所持強要は実に有害である。 そこで、メンバー全員4人+α の名刺を作って配り平等に持ってもらうことにした。 セールスマンの経験もありカラオケにもピシッと服装を決めてくるタイプ。それなら抵抗なく持ってもらえそう。 常連たちに「50歳過ぎたら、自分の名前をド忘れすることも起こるんだから、名刺どう?作らない」と誘うと、「まだ50前、50前!」って一部断られもしたが、10歳以上ものサバ読みは最早ハンザイ(w である! 名前と電話番号だけ、メアドだけを含めて各人に1葉(10枚分)ずつ作って、それを受け取って貰えたので、さらに、マドンナ格御両名から名刺交換して貰って、名刺持参の必要性を強く印象付ける「マドンナさくら作戦」を敢行したのだった。 加えて氏の顔なじみたちにも「名刺交換・請求」を頼んでみよう。「氏のため」に託けて自分の名刺を持っててもらった方が良さそうな年代の方が多いのだから各人の危機管理の一環でもある。今後、外出時に名刺を持ち歩いて貰えるかどうか?!上手く行けば当人の行動の自由度を拡げるバックアップになって有り難いのだが・・・・・・。あとはご当人の運と養生の努力の問題で様子を見るほかは無い。

 しかしながら店の常連のマドンナ・王子様格たちを纏めて他店に連れ出す形になるのだから、競合させてはママに恨まれてしまう。 そこの矛盾は定休日ねらいで交わした(月曜木曜、3/21月=春分の日等)。客側からすれば客数は4〜5人が理想的で10人を超え16人などと言ったらもう歌っていられない!先ずは客が多すぎる。 店と客の利益相反関係である。 加えて無言のド演歌バイアスがヒシヒシと迫る雰囲気があり、根がFork・POPs系でも股旅任侠ド演歌唯一派にそこそこ付き合いながら気を遣って選曲しなければならない。 外国映画音楽など外道中の外道である。 そういう面倒な不文律縛りに抵触しそうな選曲を繰り返す人たちに声を掛けた結果が、執事格の私を除くマドンナ・王子様格となったのだ。マドンナたちは案の定、学校や父母会でのコーラス経験ありで、ピーナッツの曲などお二人で良くハモって歌うし、リタイヤ後にカラオケに目覚めて布施明や上条恒彦をこなす非演歌系ルーツの王子様格と共に、股旅アウトローど演歌至高派の迫力にはじき出されての居心地の悪さが基本的背景にあるのだ。4曲から時に3曲しか歌えない中に、無条件降伏表明のド演歌を挟むのではやってられなくなる。

ド演歌至高派は横暴・極端

 ド演歌唯一派のママの仕切る店では、非演歌は歌ってるうちに音量をかなり下げられてしまったとか、演歌向きのカーネギーホール型の長い残響時間を嫌って中野サンプラ型に短くしたとたんに店から追い出されてしまった!酷い経験を重ねてきている。 実質一人の客なのに「うちはお客さんの好みの設定にしている。勝手に弄られては機械が壊れるから困る。出て行って!」という幕張駅南Kの言い分だったが、第一興商:DAM機ならエコー強弱とキーとテンポは客側に解放されている操作項目で、設定がデジタル表示されていて復元は簡単、カラオケ・ボックスでは触り放題で、そのリセットも調整3項目:総合音量、マイク音量、エコー強度を「33」などの標準値や、その店固有設定の「38」とかに戻すだけのことである。むろん、メンテナンス・メニューなど出してはおらず、テンポやキーは各曲毎にリセットされて機器の破損故障とは全く関係ない言い掛かりなのだが、全く聴く耳持たずに、操作禁止を飛び越して、いきなり「退店要求」になるとは店として呆れた不勉強もので横暴に過ぎる。 風の噂では、かっては「演歌道場」を標榜して営業していた人らしいから、本心は店を演歌だけに限りたくての異分子追放なのかもしれないが、それなら看板に「演歌のみ」と明示が必要で、Fork Song 1曲とコーヒー1杯で有無を言わさず追い出されて\1,000.は不当に高すぎだ! ド演歌唯一・至高派は耳が良くなく主観的な専制支配型が多い様だ。

 若い人たちが店からの過剰介入を嫌ってカラオケ・ボックスに流れているのも無理は無い。 歌唱の失敗をけなさない・攻撃しないのはエチケットとして当然だが、「他人の歌に拍手しろ」とか、「褒めろ」とかは、余計なお世話に過ぎる。 まして、歌好きの人の集まる昼カラで、歌をわざと崩して悦に入る、他人にも「崩して歌え!正調じゃツマらない」などと要求する、歌を冒涜する様な宴会酒席型座興に、応援拍手などする気もなく求められても断固スルーである。 曲目を他と重ねない不文律で、(歌唱エラーはお互い様で仕方ないが)故意に無残に破壊された歌はもうその日は歌えない。 持ち歌が数曲で店に来ている人も多くて、崩し歌にバッティングされたら気の毒と言うほかない。 誰かが「頼むから、俺の知ってる歌だけは歌わないでくれ!」と迫って皆の爆笑で共感されていた。 場の空気は形式的な「拍手」どころでは無いのだ。

 残響が大きすぎると、歌のニュアンスは消されてエラーまで埋没してしまって酷いことになりかねないから、ワタクシ不安定歌手としては響きの良いカーネギー・ホール型は遠慮して、中野サンプラ型の、ややドライ目設定の「20」前後で、下手でもエコーに埋もれないナマの声を聴きながら歌いたいのだ(ゼロ設定で歌いきる様な実力は無い)。 また、当人がドジったと思った歌唱に、ことさらの拍手などされたくないし馬鹿にされている様でもあり却って失礼になりかねないと思う。店の介入ではなく、特別の熱唱に「思わず拍手!」程度が丁度良いのだ。

営業用演歌派多し

 ところが、そういう極端なド演歌唯一派ママばかりではなく、実は「営業用演歌派」の方が多いのが実態だ。 艶っぽい演歌の上手い調布国領のママは本田路津子ラストコンサートにも行っている隠れPOPs・Fork派、狛江銀座某KもPOPs派、慈恵第三病院前ママは排他的では無い演歌雑食派で従業員を使う管理職型(=曲目不介入)、総武線崖下のママは映画音楽・ミュージカル・洋物派の韓国からの出稼ぎ組で客との付き合いで演歌主流でやっているが、ジャンルを問わず貪欲に日本の歌や文字をゲットしていて、それらはいずれも良いメロディーや歌詞が好みなのだ。 韓国ママに英語歌詞への抵抗感が全くないのは、店で常用の日本語自体が彼女にとっての外国語だからだろう。看板近い時刻で客が私一人になったら「慕情=♪Love is a many splendored thing♪」(ナット・キング・コール/アンディー・ウイリアムズ他)を所望されてしまった。フツーの店では♪My way♪(Fシナトラ)以上に敬遠されて歌えない歌であるが、韓国語から見たら日本語も英語も外国語で有り、どちらかは関係ないのは確かである。
 会社の付き合いが上司・高齢者中心に演歌第一だったから表向き股旅演歌主流になっているが、実際のファン層からみると、ある日突然に、オセロゲームのように股旅演歌少数転落の日が訪れるように思う。あるいは現在の客層が高齢化で若者が増えずにフェードアウトかも知れない。 ある時期、演歌界全体が束になっても、歌姫(浜崎あゆみ?(?宇多田ヒカル?))一人の売り上げに遠く及ばなかったとか、 定年後に初めてカラオケにはまったモテモテ後期高齢者大先輩氏が布施明や上条恒彦から歌い出したというのは実に象徴的である。

またまた適応障害回復治療生活攻撃!
悪意の週刊文春=宮内庁陰湿役人
症状改善し可働域を増やすには、深夜・早朝問わず可能な時での行動妥当   <4>

 週刊文春がまたまた皇太子のカミさんの病状回復生活状況を悪意の偏見一杯に攻撃している。一人深夜散歩徘徊で、早朝食事の夫とは別生活だとして非難攻撃を煽っているのだが、毎度毎度愚にも付かない回復作業のプライバシーを売り込む宮内庁陰湿役人たちが居るわけだ。
 そもそも「適応障害」とか「反応性鬱」とか呼ばれる病状は、体の部品故障=器質障害とは違って個々の臓器の異常ではなく、「機能障害」だから、過負荷を避けて、動ける領域を探して広げていく努力の積み重ねであるから、日中落ち込んで動きが取れなくなっていても、深夜に動く元気が出てくれば、これ幸いとジョギングや散歩に出掛けるのは機能疾患闘病の常道であり、何ら非難の対象ではない。 そうした事実を無視した攻撃派が宮内庁を支配し週刊文春の商業主義に乗っている図である。
 病状が悪化しないことを確かめながら、生活時間帯の調整を図るべきことで、「一般常識」優先のタイムスケジュール基準で、闘病生活スケジュールを糾弾するとは、悪意の病者攻撃そのものである。適切な治療で治りが早くなれば、あれこれ見違えるように動けるようになるものを、理不尽な攻撃を重ねるのは無理矢理病気に閉じ込める暴挙でしかない。
 このほど皇太子家の世話係たる太夫が、機能性疾患闘病中の、そのかみさんの信頼を一度も得ることなく職を辞したとのニュースがあったが、その基本的立場が、病人を護り回復を早める、自由に飛べる空間を拡げようとする立場だったのか?それとも宮内庁の意を受けた行動監視人だったのか?!経過からして太夫の主観的認識は別として、実質は後者、宮内庁の手先の監視人の位置から抜け出せなかったのではないだろうか。

2016/05/08 23:55

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