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時間(時素)か位置か!
新幹線の架線異相セクション自動切替制御

 「TGV vs. 新幹線」佐藤芳彦著(2008/10/08講談社刊ブルーバックスB-1615\1060.)の(架線)異相セクション自動切り替え解説図(図7-13:p147)に誤解説発見!記事本文は概論として正しくて通読しても気付かなかったが、改めて読み直すと略図の詳細解説が間違っている。作図下請けが解説図添付解説を間違えての著者校正漏れだろうか?

(5行目、誤解?)×c点を踏むと○ 0.3秒経つと
[最終行追加]:列車全体がe点を抜けると待機状態に復旧する
「(b)点で断、(c)点で次区間ON」という両方の位置制御ではなく、(b)点で断の後、時素0.3±0.05秒後に次区間ONという動作規格のはず。 著者佐藤氏は国鉄マンで東工大修士JR東車両課長、運輸車両部長歴任で緻密な構造説明の「新幹線テクノロジー」「通勤電車テクノロジー」(山海堂出版)などの著書もあり、ソースとしては申し分の無い大看板を背負っている方だから、我々市井の一般人が「誤情報」として記事内容を否定するのはなかなか大変だ。

「力行通過」,「0.3秒断」が正しい
列車が制御軌道回路区間に居る間だけ先の給電区間に繋ぐ
新幹線のセクション切替開閉器動作説明(自動切替)

電気鉄道工学 p177下L5 電気学会:電気鉄道における教育調査専門委員会編2000/9/11コロナ社刊
電気鉄道技術入門 p112L12 持永芳文編著Ohm社2008/9/20刊¥2.5k+税。    ↑\5k+税
鉄道技術ポケットブック p242下L2〜同編集委員会編2012/3/20オーム社刊¥1.8万+税
電気鉄道ハンドブック p547 同編集委員会編2007/2/28コロナ社刊¥3万+税
電気鉄道概論 p64下L5 安藤信三著2003/12/8改訂増補版成山堂書店刊¥2.2k+税
 だが、新幹線の異相セクションの自動切り替え動作は、切替セクション中の列車位置情報で切替動作を開始、0.3±0.05秒の瞬時停電で切り替えていて、投入側は位置には依らない、遮断後の時素制御のはず。 対抗するには「0.3秒断」という信頼できるソースを捜すと共に、マスコミやWikipediaを席巻するソース至上主義には依らない、各自の固有技術での判断が必要だ。

 日本(と台湾)の新幹線の(架線)異相セクションの特徴は、在来線やTGVのような発車不能となる無加圧点が本線上にはなく、どこでも電力が得られることだ。2つのエア・セクションに区切られた中間のラップ区間を設けて、給電変電所切替を列車位置により自動的に行っているが、電源投入側は遮断からの時素0.3秒で給電している。
 説明図に即して言えば、列車が「制御軌道回路」内にある間だけ、切替開閉器(A)&(B)が逆状態になって次区間へ繋いでいる。 すなわち列車の居ない待機時は切替開閉器(A)が投入されONで進行手前側架線に接続され、同(B)が解放Offだが、列車が「制御軌道回路区間」に進入すると(=b点に達すると)(A)を遮断Off、その0.3秒後に(B)を投入ONにして進行先の架線に繋ぐ。 列車がさらに進行して、全体が「制御軌道回路」を抜け出す(=e点を脱出する)と(A)(B)とも復旧して(A)ON、(B)Offとなり、元の接続に戻って次の動作に備える。 「TGV vs 新幹線」の記事のように遮断位置と投入位置が別々で固定されていては、その間、無電圧走行となってしまう。 (さらに日本では駅構内を上下同一饋電として上下線渡りでの異相セクションを無くして連続化しているが、台湾では上下線間を無加圧区間として渡る死点の残る方式で、上下線渡りに際して特高引き通しを遮断してパンタグラフを単独動作にして惰行で通過している)。
 制御軌道回路を用いたこの新幹線方式だと、事故や試験などで列車が逆方向に進行しても切替動作が正常に行われる。 だが、青函トンネル内など在来線と共用区間の切替セクションは、制御地上子を用いた別構造で、逆行には非対応だったため、列車の逆行を検知できず架線短絡事故となってしまった。
   See→青函トンネル避難訓練停電事故#388
 幸い、電気学会が構成した「電気鉄道ハンドブック編集委員会」編の「電気鉄道ハンドブック」p547(コロナ社2007/2/28刊¥3万+税)に解説記事があり、さらに「鉄道技術ポケットブック」p243同編集委員会編(2012/3/20オーム社刊¥1.8万+税)に予備遮断器回線接続まで含めた、さらに詳しい同趣旨解説「力行で異相セクション通過可能」があって、ソースの衝突ではあるが、ハンドブック&ポケットブック(表掲資料)の方が妥当な解説をしていて、「TGV vs 新幹線」の解説は不採用とします。真実と多寡は必ずしも一致せず、超少数派が正しいこともありますが、この場合、妥当な解説5:矛盾解説1で結着です。

 なお佐藤氏著の「新幹線テクノロジー」(2004/3/18山海堂刊\3200+税)には切替セクションの解説は無く、「3相110kV受電でスコットT結線により25kV2相を得てBT饋電を採用している(p167)」とあって、それは東海道新幹線開業時に近いデータであり、その後、増力更新された新幹線電気設備情報「3相275kV受電、変形ウッドブリッジ結線等、中性点接地受電によるAT饋電」には全く触れられていない。 東海道の運行量増加に伴う増力ではあるが、高圧引き通しで集合パンタ化による騒音低減と、AT饋電化により、トラブル多発のBTセクションを全廃して安定化を図り、300系の270km/h運転を可能にした新幹線画期の改良である。 0系16連8基の独立パンタグラフを300系では3基〜最終的に2基の平行運転にまとめて離線放電を激減させ賑やかなスパーク騒音と集電を改善した。 著者はそうした電力系とは距離のある、車両側・運転側寄りの方とお見受けする。
 同書添付資料には架線電圧20kV/25kV採用理由も「絶縁離隔/国際標準」と述べられているが、かっての直流変電所/第3次変電所(配電変電所)の受電電圧が標準20kVであった事実には全く触れていない。
日活・大映撮影所22kV送電鉄塔
多摩川左岸堤日活・大映撮影所向け22kV送電鉄塔
@調布市市営プール傍、2018/1現在撤去工事中

 大航海時代から永らく植民地の宗主国だったフランス主導で国際規格が提唱され25kV50Hzとされたが、当時の実態はフランス周辺数ヶ国の採用に留まっていて、将来の市場確保を見据えた他国排除規格であって技術的な絶対的必然性は乏しかった。 特に、国際規格中の特性値では規定できない部分を、詳細な作り方で規定する条項は、新規参入側の製品が適切である証明を義務付けて、新規参入の大きな障壁となっている。実質、標準規格に名を借りた後続排除条項=優位性獲得条項である。これは植民地宗主国優位を保持する400年以上蓄積されたノーハウだろう。日本の植民地経営は台湾の50年が最長で、日本への同化政策で国内扱いだから規則や法で雁字搦めにする支配手法は採っていない。 実際、架線電圧許容範囲など新幹線規格の方が鉄道運行現場に適していることも多く、世界初の出現であり、圧倒的輸送量の新幹線規格は後日、準標準の国際規格として追加登録された。
 ヨーロッパ絡みの「国際規格」は妥当性だけで決められるのではなく、決めるものを有利にする武器であるのは、平泳ぎの潜水泳法禁止とか、スキージャンプの板長を身長比例に改めるとか、一本勝ちよりポイント柔道化で日本の成績を大きく落としたのと共通するもので、そういう「国際規格」の総てを金科玉条にするのは純情可憐に過ぎるのだ。 国際規格制定自体が貿易戦争の最前線になっている認識が日本側には薄かった時代が長くて、国際入札義務付け条約では、国際規格採用が義務付けられたが、入札価格優先では高い信頼性は保障できない危惧があり、現に、中国新幹線での日欧車両の著しい故障率の差として現れており、それらの信頼性など特性選別仕様の設定技術が必要だ。 JR東日本が新幹線車両ブレーキ・ライニングの調達に当たり、突然、320km/h走行でのデータを求めたのは、高速ブレーキ・テスターを持たない国産勢を排除し高速運行実績のあるTGV系部品を採用するための「選別仕様」となる。 従前は東海道新幹線開業以来、実車試験で材料を選択していて、敢えて高価な鉄道用高速ブレーキ・テスターは要らなかった。 ライニング業界の需要は圧倒的に自動車用で、微々たる需要の鉄道車両用ライニングを素材から独自開発することはまずなくて、要求特性に見合う、高速向けには金属成分が多い組成とかの、自動車用既製品で成形して実車試験して選択となっていた。 焼結型のレジン制輪子は摩擦率が大きく良く効くが「踏面がツルツルになる」という鉄道界の「常識」は、車なら研磨剤の多い組成で回避するものだから、鉄道屋がライニング開発側に相談していたら、解決用サンプルが何種か提供されて実車試験で解決していたであろう不具合だと、ブレーキ・ライニング屋研究部ベテラン設計係の見解。 新型自動車開発毎にライニングも制動装置に合わせて「ディスクを削らない」「鳴かない」「良く効く」「粉塵を飛ばさない」などの自動車メーカー要求仕様で他社と競合的に開発するもの。 だから、JR東日本に何が何でも輸入品に切り替えたい動機があっての新幹線ライニング「高速時の仕様設定」だろう。
 日本の交流電化方式は仙山線で開発試験が行われたが、特別の制約がなければ開発試験としてはなるべく安定した実績のある既存規格を使おうとするものである。 宣言だけで実態の薄い「国際規格25kV」を避け、敢えて20kVとした動機としては、引用資料の「絶縁離隔」だけでなく、末端送電網の標準電圧というのは大きかったのではないだろうか。 (故久保田博氏も20kV採用理由について「改修を要する既設トンネルなどの支障物が多く,また電化予定線の一般電力網も20kVが多いためであった」と同見解、鉄道工学ハンドブックp113L7グランプリ出版1995/9/19刊、九州交流電化にタッチ、国鉄小倉工場長など歴任)。
 なお、現送電網での第3次変電所(配電変電所)の受電電圧は送電端66kV(関西77kV?)が圧倒的で、送電端22kVは大都市の需要家向け配電線電圧に採用されるようになり、第3次変電所の受電電圧としては、交流電化方式開発の大昔からの既存設備ばかりで老朽化換装・廃止が進み、今や極希れとはなっている。


入管殺人ではないか!
身柄拘束者死亡!病気治療要求拒否  <2>

 出入国管理局に強制収容中で不調を訴えて診療を求めていた女性を放置して死なせてしまった事件。 収容者には他に医療救済を求める道はなく、入管側は保護責任者遺棄致死、あるいは未必の故意による殺人に問われるべき不当ではないか。業務上過失致死に問えるかどうか。

右枠記事の「ツイうっかりエラー」的な軽い扱いには非常な抵抗感がある。
 そもそもで言えば滞在期限を越えた「不法残留」という形式犯での強制収容だから、凶悪な実質犯とは全く違う普通の人達が無期限の牢屋暮らしを強いられている人権上の重大問題がある。 日本政府も批准しているはずの国際人権規約違反だが、民主化された現日本国憲法の人権保証規定は「国民」対象であり、外国人は対象外となっていて入管の好き勝手を縛ってはいない。敵国人は殺害して良い戦争の準備規定が残っているとも取れる平和憲法の矛盾部分である。 加えて、扱いの問題。命を落とす苦痛を訴えても聞き捨て放置することが入管の職員集団に許されていた!こういう残虐な扱いに全く処罰がないとは考えられない野蛮国ではないか。収容者vs看守では権力支配、暴力支配になり勝ちなのは広く知られているのだから、収容側はそれを意識した予めの対策が必要だが、法務省、入管は何もしていない様だ。
 むろん「盗難に遭うのは被害者の責任」などとする文化圏からの大量の移入で健全な社会常識が変えられてしまうのは御免だが、移住抑制策や社会同化策にも妥当性が必要だろう。 常習窃盗癖など日本人にも少なくないのだから。

 暴力団とか凶悪犯収容の刑務所では、出所後や組織からの報復:お礼参りの懸念もあって、酷い扱いはあまり見られないのに対して、軽微な犯罪の刑務所内は世に知られない閉域で収容職員のやりたい放題がノーチェックで蔓延っている。 重罪での服役者が出所して駅のホームに居るのに気付いたパワハラ型刑務官は、線路に飛び降りて隣のホームから必死に逃げたなどの伝説は何処にも伝わっていて、重罪刑務所刑務官の自制要因にはなっているようだ。(現実は、駅から遠い刑務所廻りに刑務官の官舎があり、釈放者は駅までバスで送っているとかで、大都会周辺の大昔からの刑務所・少年院の周辺が高度成長期から住宅地化しているが、隔離政策もあって?伝説の場面は起こらないらしい(w。3億円事件の頃の東京府中刑務所北側は無人の畑だったが今や住宅密集地だ。乗せると旧悪武勇伝を喋ってしまうスナック常連の今は紳士も結構多いのには驚く)。
 また著名人受刑者の扱いは抑制的なようで、海外カジノの負けを会社の金で払って業務上横領に問われた某製紙会社社長とか、疑惑のデパート鈴木宗男氏、公設秘書給与詐欺受領辻元清美氏、ホリエモンなどは別扱いで、収容中、炊事係や、寝たきり受刑者の介護係だったらしく、「刑務所ワズ」、「刑務所ナウ」といって自分自身の受刑レポ本にも懲役刑の様子が報告されている。 それでも思わぬ禁忌で懲罰対象とされかかった事例が述べられているし、刑務所からは公表を禁じられて出所後の「・・・・・・ワズ」に回した事項もある。

 だが、一般受刑者はそうではなく、「ガンを付けた」「目つきが悪い」「態度が悪い、反抗的」など、強制収容施設係官の与太者並みの主観的、恣意的な判断で非条理な懲罰と評価に晒され見せしめにされて、仮放免の期間を奪われていく。 さらに、その刑務官側の単純主観評価を逆用して、仮出所間近の受刑者にトラブルを仕掛けて懲罰・減点とさせて仮出所予定を取り消させるような陰湿な遊びも蔓延っていて、仮出所予定情報が他の受刑者に漏れ拡がらないよう非常に気を遣うそうだ。 むろん仮出所取り消し謀略工作回避のためである。 弁明などするとさらに重い懲罰が待っていて正義や妥当の通らない世界となっている。

 法務省内部への申し立てではラチが開かず、地元の弁護士会の担当部局に訴えて是正勧告は得たものの、仮釈放での刑期短縮はほとんど無くて「見せしめ」にされていたとか。 処遇についての審査請求自体、執拗に邪魔され、刑務官に強く撤回を求められ、申請の主旨を勝手に書き換えられて、まともに対応されず、嫌がらせが加重され、違反懲罰認定が酷くなるとか、弁護士会への処遇救済請求も執拗に制されて、結局、仮釈放は刑期目一杯に延ばされて、係官側の理不尽な処罰だけが有効になってしまう。ごく希に是正勧告が出ての刑務官の人事考課下落など、表に出ないから処遇改善には無関係なのだ。閉域での事実誤認回復策は無いから、結果、刑務所が捻くれたワルの培養所になってしまう。
 担当官の「思い込み」の例としては、職歴を見て頻繁に職場が変わっているのを「不真面目、虞犯傾向」と判断して重い処遇を考えた例があるが、実際は非正規労働のシフト割当で、必要定員を超える多数を採用して、気に入らないものをシフトに入れない=無賃金にして「自発退職」させるのが常識の世界だから、当人の責任ではなく不利な重罪人扱いにされていく。 上級審での差し戻し不処分審判(無罪判決)を2度3度と有罪にしたが無罪を確定された調布駅前事件も同じ家裁八王子支部の思い込み判断の典型である。
 刑務所・拘置所の秩序維持に暴力団の威圧感を利用していると思われる扱いもある。 留置・拘置施設収容者は総て番号で呼ばれるタテマエだが、いかにもの御面相の収容者だけは「さん」付けで呼ばれていて「組員」=暴力団員を示唆、睨みを効かさせて収容者を抑えるのである。 係官が「昔は留置場内をヤクザが絞めていたんだが、最近は居なくなって収まらない」などと言うもので、収容者は警官に「さん付け」される特別の収容者が暴力団組員だと固く信じている。 こういう無抵抗者への虐待が罷り通る構造が、入管にも強く存在する結果が、この死ぬまで放置事件ではないのか?
江戸時代に「牢名主」を置いて牢内を取り仕切らせた慣習が、いまだに抜けないのだろうか。

無管理放置では発生しやすい収容者虐待:実験結果
 日本の刑事施設収容者の扱いを問題視して、囚人に救済申請を呼びかけている弁護士会も数多くあるが、救済判断の具体的損得まで説明して、身内贔屓にはならない外部第三者機関:弁護士会などへの救済申請を呼びかける必要があるだろう。 それを刑務所側が認めるかどうかだが、妨害を避けて渡す機会は、最悪、判決確定前までにはある。

任地ローテーションと処遇公開を義務づけては

 法務省や裁判所の職員はかなり広範囲の定期的な配置転換が行われて、結果、均質化方向があるようだが、刑務官はどうも固定化されやすいのか、重犯担当と軽犯担当が別れてしまっているのではないか。 リスクの高そうな重犯刑務所での勤務経験は入管移動後の暴走を若干でも防ぐのではないか。
 また恣意的運用は、名古屋刑務所事件のように受刑者が死亡でもしない限り明らかになることはない閉鎖世界だ。当局の管理下にない第3者の継続的な点検監視が必要だ。 (名古屋刑務所で刑務職員に殺害された被害者は、著名暴力団の組員だったとかで、免職された加害刑務官に対して組織として敵を討っているという風説も流れているが、当局が敵討ちの事実確認をする訳もなく、また一般受刑者では不当に殺されても報復など出来ない)。

 少年院というと、マンガ「あしたのジョー」第1巻の様な粗暴な世界とされ、悪ガキの純粋培養池のような征圧主義的処遇が常識と思われている。(人気マンガは多くがかなり緻密な事実調査を下敷きにストーリーが描かれて迫真性を出している)。 「厳しい」と名指しされる多数派少年院は未だにそうだろうが、本気で矯正教育に取り組んでいるところもあるそうで、模擬の対人交流訓練を重ねて、対立になる接し方、和らげる対応などをケーススタディとして一般社会に適応できる訓練をしているとか、少年法の精神に則ったエピソードを連ねた家庭裁判所裁判官マンガ「家栽の人」全巻が各所少年施設に備えられるようになったとか、少年院見学をした弁護士会が、妥当な処遇だとお墨付きを与えた例もあるそうだ。 少年院職員は定期配転で旧来の武力制圧型少年院から、矯正教育訓練型の少年院に異動すると、その違いに激しいカルチャー・ショックを受けるのだとか。 「家栽の人」が少年処遇施設各所に置かれるというのは作品内容が総論的には公的に承認されている。 しかしながら、実務の場では「あしたのジョー」の時代と変わらないところがまだまだ多いということか? しかしローテーション配転で優れた処遇が拡がって、本来の矯正施設の役割が広く備わるというのは結構なことだろう。 入管を含め軽犯刑務所が職員の恣意的な暴虐支配から脱するには、処罰としての強制収容だけでなく、文字通りの「矯正教育」を行い、第3者の点検だけでなく、重犯刑務所を含めたローテーションで今回のような殺人に等しい恣意的運用を抑える必要があるのではないか?

元々の「外国人技能研修生」は、
 単純低賃金使い捨て労働者ではなかった

 日本への亡命を認めず、移民労働者断固拒否のタテマエとは違い、無抵抗で実質安価な労働力を得る制度として「外国人技能研修生」制度が導入されて、使い捨て労働促進に使われ、募集条件違反での退職者を恣意的に強制帰国が強行されている国ぐるみの悪行の中での、征圧の武器が入管の非情な運用になっている。 だが法制化される前の、元々の「技能研修生」は文字通りのもので、日本本社工場で研修するが、本国工場で現場リーダーとして働くための研修であった。 日本研修後の本国での就業場所が明確に決まっていたのである。
 かっての高度成長期に、低賃金労働を求めて東南アジア進出したものの、不良品の山で到底採算に合わず撤退した会社がかなりある。 日本との人件費の差益より、手直し不能の不良品となって廃棄に到る部品、中間製品の損失の方が遙かに大きかったのだ。
 我が某社など、1967年ころの早期から東南アジア生産を軌道に乗せたところでは、現地工場従業員を「技能研修生」として本社工場に呼んで、製造に対する考え方から教えながら実務実習をさせて、他人を教えることのできる水準にまで育てて、現地工場の職場リーダーとして返すことで本社工場並みの品質、不良率、効率を確保していた。現地の「常識」で作業されては不良品の山で仕事にならないのである。 現地全社員に地場水準を大きく上回る賃金(だが本社の1/3〜1/7)と、手厚い厚生施設を準備して、さらに本社研修済みの特別手当は上乗せしていたが、この層が現地他社の引き抜きの対象になって更なる高給で引き抜かれてしまい(中国系は実にドライ!)、いくら育成教育しても足らない状況になったが、取り敢えずは海外生産は定着させることができた。 作りやすい物を海外工場で、高度の熟練技術を要するものは本社工場という分担をしたり、不良混入などの組織的サボタージュが発生すると、全製品を一旦、日本国内工場に送って全数検査・再調整するとか、制御可能範囲に収める運営をしていた。 必死の情報収集をしてもサボタージュの開始時期程度しか分からず、人件費のあまりの高騰で事実上撤退の製品もある。 韓国進出企業の撤退の流れは韓国での民主化運動高揚期からあって、徴用工判決の今に始まったことでは無い。 その地下の闘争指導部は一般労働者から護られていて、韓国で「日本」が強く嫌われていたのは昔からだった。 李承晩ラインと竹島占領の国際法違反=侵略行為が韓国国民には強く支持される背景だろうし、李承晩政権などによる極端な敵意煽りの反日教育の結果だろう。
 しかし生産技術漏洩状況は変わらず、特に定年再雇用で賃金半減の技術者層を海外企業が「顧問」などとして元の給与前後で雇って製造ノーハウ、管理・改良技術を丸ごと吸収することで、地場の低賃金と相まってやがて日本の製造を追い抜くこととなった。 頭の中の知識・技能に鍵は掛けられないのだから、定年再雇用賃金半減に拘った日本側自体の重大ミスで、家電製品や半導体などは他国に取られてしまった。 定年後、年金支給までの間を給料半減以下では暮らせないのだ。

 技能研修生名目での求人が多い理由は、最低賃金制除外の超低賃金と、待遇違反など雇用側の不当に対する対抗法が無く、辞めれば強制送還と借金扱いの高額渡航費が待っていて、我慢するほかなく、雇用側のやりたい放題になっているからだ。 奴隷状態脱却には、研修生名目でも滞在1ヶ月を過ぎたら就労現地の最低賃金制適用を義務付け、渡航手数料など借金縛りを厳禁、「研修先」≡就労先を自由に変えられる制度にして、職安など公的機関に転職斡旋させる状況が最低限必要だ。 本来、研修を終えて帰国後の就労先が明確なのがスジだが、渡航時同様の偽装は当然に予想され実効性が無いし、日本側の低賃金脱法移民の要求を満たさない。 こういう一方的で不当な雇用関係を入管の「取り締まり」が強力に後押しして、入管こそが奴隷斡旋犯罪的組織の重要な一端になっている。 現状、そういう社会的不正義を擁護・促進しているのが有無を言わさぬ強制収容、強制送還の入管である。 本件被害者へのDV保護不適用も、意図的にも見える見殺しも、同根だ。


無差別攻撃物量作戦と価値観の強制
米南北戦争北軍の悪しき伝統  <3>

 アフガニスタンの首都カブールをタリバンが占領、全土支配のニュース。
元々を辿れば、アフガニスタンのタリバン政権が保護していた2001年9.11テロの実行組織であるイスラム過激派アルカイダのアメリカへの引き渡しを拒んだことを理由に「戦争だ!」と叫んで軍事侵攻してタリバン政権を追放し、現地政権を樹立したものの、タリバンとの戦争は現在まで20年間続いて、米軍の撤退と共に支配権を奪い返されたもの。
 アメリカが、ジュネーブ協定のヴェトナム統一選挙を拒否して、自ら傀儡政権に加担して参戦し、結局は敗退した第2次ヴェトナム戦争14年を大きく越える長期戦争だった。 共に、現地を無視・否定したアメリカの思いを押し付けようと軍事介入して現地に破れたことが特徴である。
 アメリカのこうした自己中価値観の武力による押しつけは、どうもルーツが南北戦争(1861〜1865)の北軍勝利以来、今に続くモノのようだ。

 振り返れば、NYの世界貿易センタービルへの9・11航空機自爆テロはアフガニスタン・タリバン政権が行ったものではないのに、いきなり戦争を仕掛けるとは無茶苦茶に過ぎるのだ。カルロス・ゴーンは逃げ得で、犯罪人引き渡し条約があっても、裁判の結果で引き渡すものを、具体的証拠も示さず引き渡せと「戦争」を仕掛けるなど無頼漢・強盗の論理である。 同タリバンは、アフガニスタンへのソ連の侵攻失敗後の群雄割拠内戦状態を曲がりなりにも一つに纏めた勢力で、歴史的価値の高いバーミヤン仏像爆破などの派手な蛮行はあったが、彼らの建前上は否定である女学校が多数運営されていたとか、専門教育の必要な看護婦も多いなど、実運営では教義直の暴政とまでは言えなかったから国民の支持はあって、懲罰戦争:米軍事侵攻はアフガン(イラク、ヴェトナム等)国民の多数を敵にした。 幸い残忍ISとアフガン・タリバンは現状、敵対状況になっていて、侵攻ソ連撤退後の内戦状態を平定・収拾した20年前のタリバン政権支配の野蛮な支配に戻っても、結婚披露宴を米軍に「誤爆」されて多数が亡くなる様な生命の危機は少なくなるわけか?

 イスラム原理主義、IS &タリバンの最大の無茶は、異論に対して論議を許さずテロ殺戮処罰を繰り返している処である。 様々な人権侵害の不当教義を絶対視して、国外にまで手を伸ばして残酷な制裁を加えていて、仏教遺跡爆破などの派手な蛮行もあって、世界中の世論を敵に回している。 この絶大な負のイメージの下にアフガニスタン・タリバン政権に対して国際法では違法な懲罰戦争が強行された。
 加えて、イスラムの名での無差別テロ頻発を含めて、イスラム教圏からの非難の声は全く聞こえてこないことが、イスラム原理主義、ISとタリバンの暴挙支持と理解されて、警戒対象となって各国での共存の障害となっている。
 欧州での無差別テロの繰り返しに加え、パキスタンでは女子教育実施を求めて通学しただけの、マララ・ユスフザイさん銃撃! 疾病抑制に必須のアフガニスタンの貧困脱出に、医療の枠を越えて砂漠を緑地・農地化して定住可能にする潅漑工事を進めてきた、中村哲医師殺害など、どれを取っても許せない暴挙である。 欧米メディアの取材に「女性の就労を認める」との表明は報道されているが、彼らが認めない分野に就労する女性はどうするのか!従前行われてきた狂気のテロ処刑が大問題、「イスラム法の範囲で許容」というのは、近代国家の罪刑法定主義ではなく、タリバン側の一方的・恣意的判断で違反とされて粛正されて後は無いから、全く安心できないのだ。 現にドイツのジャーナリスト宅が既に襲撃され家族が射殺されているし、女性ジャーナリストたちへの殺害脅迫は続いていて、殺戮禁止命令など出していないから、全く信用されていない。

 しかしながら、アメリカ側も無茶で酷い侵攻を繰り返していて、住民の怨嗟の的となって、タリバン復活、テロ組織の存続を支えている。 どのような政治体制を選ぶかはそれぞれの国民が選ぶはずのものを、「世界の警察」として「共産主義を認めない」と様々の介入をして、クーデターを起こさせたり軍事侵攻したりで、延べ50ヶ国余の国の元首を追放・殺戮して独裁傀儡政権を樹立させており、ヴェトナムの場合など、ホーチミンが終戦直後の1945/9に独立宣言したのを認めず、傀儡政権を作って戦争を仕掛けたフランスとの戦に勝って統一選挙を定めたジュネーブ協定を否定して南の傀儡政権に与して直接参戦し14年後のサイゴン陥落となっている。
 戦術も残忍で、イラク・ファルージャでの無差別攻撃で市民6000人死亡、メディアの独自報道を封じるジャーナリスト宿泊ホテルに向けた意図的な「誤爆」砲撃、ヴェトナムではソンミ事件に象徴される大量殺戮、病院など民生施設への意図的「誤爆」、先の大戦中の国際法違反の都市大空襲・残虐兵器原子爆弾の使用等極端な行動が米国の特徴である。
 異教徒撲滅の一神教はユダヤ教−キリスト教−イスラム教共通で、異教徒を処罰・撲滅対象とし奴隷売買するとか、征服地としての地球の2分をローマ法王の権威で承認するとかで、アジア、アフリカ、アメリカを好き放題に分割、植民地化して異教徒を奴隷として得ていったから、侵略の根は1神教にある様だ。 アジアでは日本とタイが独立国として残り、アヘン戦争に負けた清は、英仏の不当なアヘン貿易を取り締まれない半植民地状態となり、その消費を清の準植民地台湾に押し付けていた。

 アメリカの建国は、イギリスなど列強の植民者がネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)を武力で追い払って土地を奪って植民地とし、東海岸寄りはイギリス支配となったが、一方的な収奪に「代表無くして徴税無し」と、北部13植民地が独立戦争(1775〜1783ad)を起こして、フランスなど他のヨーロッパ諸国の建国承認で、征圧を諦めさせ独立を果たした。
 大航海時代はローマ法王の勅許のもと、異教徒征服・絶滅・奴隷化売買が行われて、奴隷と植民地で利を得ている状況だったが、被征服民の奴隷化売買はさすがに非道として多くの国で禁止される中、アメリカだけは大幅に遅れて、1619年以来、南部を中心に綿花のプランテーションの労働力として奴隷を使っていた。 これを批判するワン・イシュー政党として共和党が台頭。 北部は工業地域として発展して、自由な労働力を必要としていた。 だから奴隷は必要なくてほとんど居らず、奴隷など見たこともない住人が多数だったが、北部の世論としては強い「奴隷解放論」だった。 1860年末の大統領選では全国政党の民主党が奴隷制などを巡り分裂、その隙を突いて共和党のリンカーンが当選したことで、奴隷労働に頼っていた南部が合衆国離脱独立を宣言、南部にあった中央政府の要塞を攻撃占拠することで、延べ60万人の戦死者を出す内戦:南北戦争(1861〜1865)となった。 南部側の理解としては多国の連合体の「合州国」で緩い連合体だから離脱は自由と考えていた。 それが南北戦争を経て「合衆国」一体へと転換して中央政府支配が確定する転機となった。 南北戦争で採用のライフル銃の命中精度が桁違いに高かったことで、ナポレオン戦争型の古典戦術で身を敵の銃撃にさらしての進軍で死者が激増し、第2次世界大戦戦死数40万人余を大きく越えたとされている。 当初、リンカーン大統領としては「奴隷解放」は曖昧にして明言していなかったから南部による戦争開始は勇み足とも言える。 南軍は絵になる闘いで北軍を蹴散らすことが多かったが、北側は南部に貿易遮断の経済封鎖で臨み、「アナコンダ作戦」と称して南部周囲の水運を抑えて補給遮断し長期の兵糧攻めとして南部の経済的体力を奪っていった。 個々の戦闘では南軍がやや華々しかったが戦線補給が続かず、結局5年間で北軍に敗北。(経済封鎖が効くことで6年で北軍戦勝の予定で闘って、余った1年分の武器と中古武器がグラバー・坂本龍馬らを通じて薩摩・長州、幕府側に双方に売られて、倒幕クーデターに使われ、戊辰戦争(1867〜8)など幕末内戦での武器となった)。 この間、南部独立を認める諸国はなく、南部諸州の政治を握る奴隷主層≒農場主は英仏貴族層由来など南部のほんの一部で、他は奴隷と、奴隷並み生活の貧民白人だったし、綿花のプランテーションばかりで工業は無かったから、経済封鎖されると戦争を長期に継続するのは難しかった。
 アフガン・タリバン戦で圧倒的強者だった米軍が、最後は追放されるのは南北戦争の南軍をなぞっている様にみえる。 さらに街を焼き払う戦略攻撃で南部の厭戦気分をかき立てる現代の「戦略爆撃」型の攻撃は、この南北戦争北軍由来である。
 南北戦争末期戦闘北軍勝利のゲティスバーグでのリンカーンの演説で「人民の人民による人民のための政治」と一緒に述べられた「奴隷解放」は、北部の強い世論の反映ではあるが、実は敵側の「南部諸州だけでの奴隷解放」を言っており、味方側と、中立州は奴隷が多く居ても解放の対象外だった。 それが内戦:南北戦争の北軍勝利で国是となり、戦争をして理念を他に強要する「世界の警察官」型思考の原点となっているようだ。

 同じ軍事制圧でも、日清戦争(1895)後の割譲台湾支配は、反乱投降者の公共事業雇用とか、融和策が取られていて、国内扱いの国力増強・民生重視政策もあって、討ち取った敵兵が味方に転換する将棋ゲーム型で、漸次落ち着いていったのとは対照的な、チェスゲーム型=撲滅・追放一辺倒で、追放した役人がIS幹部になったりした、アメリカ型、中東型とは違っていた。
 戊辰戦争(1867〜1868年)で函館五稜郭に立て籠もって新政府軍と戦った幕府軍大将の榎本武揚まで下獄後に新政府役人に取り立てて「樺太千島交換条約」を結ばせるなど、新政府役人の実に1/3が旧幕臣だった日本の明治維新とは対極と言って良い生のママの荒々しさが長期に纏まらない原因ではないのか?
 西欧が地球を切り取り勝手に武力侵略して領土を拡げた大航海時代は、日本では戦国時代の血で血を洗う下克上の世で、ポルトガル&スペインに植民地化を断念させるほどの軍事力と国民の知恵があって「諜略」が発達して、落としどころを見た、そこそこの攻め方を学んでいるのかも知れない。 種子島に伝わったとされる鉄砲は、日本各地で改良の上、大量生産されて織田信長など戦国武将が入手して、日本にはヨーロッパ全体より多数の鉄砲がある状態になり、戦国時代で闘い慣れている日本を地球を半周して武力侵略出来なくなっていた。
 秀吉が九州に出掛けてみて、長崎が宣教師に譲渡されているばかりか、キリシタン大名の領民で、キリスト教への改宗に応じない多数(一説には延べ40万人とか)の領民を異教徒奴隷として海外に売り払っていることに気付いて、即座にその買い戻しと、伴天連(=宣教師)追放令を発し、諸大名への禁教令を発した。 さらにスペイン・ポルトガルの植民地化を目指しての布教活動で、キリシタン大名が宣教師(伴天連)を介して日本侵略の手兵になることを知って激怒。 伴天連盲従で侵略スペイン・ポルトガル側になるが、当人たちにはその認識は無かったであろうキリスト教棄教拒否の信者を禁教令違反で公開処刑(=26聖人)して殉教者として逆に強い信仰を拡大した。 しかし徳川時代までも一貫して貿易は禁じなかったから、布教の飴として貿易船を寄港させていたポルトガル、スペインは日本に寄りつかなくなり、キリスト教圏では布教禁止を受け入れたオランダだけが長崎の出島を介して徳川幕府独占の「南蛮貿易」を続けていた。(琉球や朝鮮、中国は一貫して貿易対象で、総金額は南蛮貿易より数倍も多かった)。 教科書などに触れられるような、いわゆる「神の前の人の平等」を嫌ってのキリシタン弾圧ではなく、スペイン・ポルトガルなど西欧キリスト教圏の日本侵略の先兵と分かってのキリシタン禁教だったのだ。 信長など当初は「南蛮寺」を寄進して伴天連を保護していたくらいであって、宗教弾圧の意思はなかった。 棄教拒否での「殉教」のみが採り上げられて日本は野蛮人扱いされているが、地球上の何処でも繰り返され絶滅させたり奴隷化したキリスト教白人側の激しい侵略性についてもその大規模な蛮行を公平に指摘する必要があるだろう。 スペイン・ポルトガル、イギリス、オランダだけでなくアメリカもオーストラリアも原住民の土地を白人が武力で奪っての建国である。

2021/08/21 23:55

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