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尾瀬ヶ原全面ダム湖化水利・揚水発電計画とは何だったのか?!

【「♪夏の思い出♪」制作経緯】

  • ラジオ番組「ラジオ歌謡」用としてNHKが1947年に制作依頼、 作詞を依頼された江間章子は1944年に訪れた尾瀬の強い印象で書き上げた。 それを新進作曲家中田喜直が作曲。
    1949年6月〜石井好子歌唱で「ラジオ歌謡」として放送開始で大ヒット。 秘境「尾瀬」を世にアピール。 当時放送はNHKラジオのみで、民間放送はまだなく、放送には非常に大きな影響力があった。 1954年藤山一郎歌唱でレコード発売、 1962年8〜9月「NHK−TVみんなの歌」として放送、歌手は高木淑子+ヴォーチェ・アンジェリカ。

  • 中学音楽の教科書(2年生1学期頃)にも採り上げられ、中田喜直自身の手による女声合唱、 混声3部合唱の楽譜も発行され高校・女子大学の音楽副教材本にも採用、
    学校や会社のレクなどのキャンプ歌集にも良く選ばれて、さらに広い世代に広まった。

    【「夏の思い出」@ユーチューブ】
    女声コーラス
      : https://www.youtube.com/watch?v=zFovc95Pzio
    東京ソフィア女声合唱団
      : https://www.youtube.com/watch?v=P4y3hiZfx5E
    夏の思い出:倍賞千恵子
      :https://www.youtube.com/watch?v=A9RD1v8ix_A
          -------------------------------
    ♪夏の思い出♪経緯 https://ja.wikipedia.org/wiki/夏の思い出

  • [尾瀬ヶ原]東西6km南北3km
    標高:1400m
    年間雨量:1,775mm(@山の鼻)
     季節は5月、この時期から水芭蕉の尾瀬が始まり、10月まで全国から多数の登山客が訪れます。私自身、覚えてるだけでも5回以上の尾瀬ヶ原、尾瀬沼もうでをして4峠(鳩待、富士見、三平、沼山)から至仏山、燧岳、三条の滝、常滑の滝も訪れていますが(See→別写真1〜4、写真1)、 貴重な自然の尾瀬ヶ原全体を、揚水発電用貯水池にする計画が進められていて、観光兼建設工事用の道路が尾瀬三平峠下と、沼山峠下まで建設されて、その間の尾瀬沼沿い区間だけ未着工だったのを、世論と自然保護運動で工事を止め、1996年にようやく建設を断念させたと聞くと驚きです。 沼田街道の戸倉から尾瀬三平峠に向かうと大清水先で道路が突然途切れて山道に入るのは道路建設工事中断跡です。

     尾瀬ヶ原は日本海に注ぐ阿賀野川の最大の支流只見川の源流で、尾瀬沼からの水も流れ込んでいます。 その尾瀬ヶ原出口三条の滝上流の只見川に堤高85m〜62m〜100mのダムを建設して、揚水発電しようと云うのですが、その水を分水嶺である至仏山に水路トンネルを掘って、太平洋側に注ぐ利根川水系に分流して発電するとともに水不足の首都圏で使おうとする計画がありました。

     分水嶺を超える取水は、水利権争いを招き、阿賀野川・只見川の水利権のある東北各県と、首都圏各県との争いになって東京電力・電源開発による工事計画認可を足止めしましたが、東北電力からその水争いを避けた只見川流下案も出されていて尾瀬ヶ原水没風前の灯火状態でした。
     このピンチを救ったのが、「尾瀬を守れ」の世論=自然保護運動の勃興で、環境庁(環境省)設置のきっかけとなりましたが、「知る人ぞ知る秘境尾瀬」を世に知らしめた歌がありまして、それはNHKラジオ歌謡として作られ1949/06(s24.)夏に放送された、江間章子作詞、中田喜直作曲の「夏の思い出」(右枠参照)。 当時はまだNHKのラジオ放送のみで民間放送はありませんで、しかもコーラスなど歌唱練習番組もあり、他の歌手たちもカバーする息の長い大ヒットになりました。
     実は尾瀬の水芭蕉は5月6月の花で、夏に咲いていたのは江間章子の出身地岩手山山麓、たしかに思い出した「印象の歌」ではあります。この歌「夏の思い出」の存在は反対運動の記録には一切出てきませんが、「知る人ぞ知る秘境尾瀬」の存在を国民に広めて世論化の基盤を築いたことは記憶に留められるべきでしょう。 「弩演歌イノチ!」の昼カラオケで歌うと酷く浮いてしまうことの多い歌ですが、ママさんコーラスの定番No.#3辺り、5本の指に数えられる位置づけの愛唱歌、お客たちの顔色を見ながらシラ〜〜ッと歌い上げてしまえばOK!(w。

    なぜ「揚水式」発電?

     「水力発電は、水の持つ位置のエネルギーを電力に変換するもの」ですから、「水量」だけでは足りず「落差」が必要で、瞬時電力では「水流量×落差×効率」比例、エネルギー量(電力量)では「総水量×落差×効率」が発電量です。
     降雨に関わらず発電を続けられるのは、最低流量が保障される発電量なので、川の最低流量で発電量が決められますが、貯水池を設ければ、最低流量を平均流量近くまで増やせて、定常的発電量を増やせます。
     「揚水発電」というのは、その「平均流量そのものがない」、又は「流量が足らない」ということで、発電能力に余裕のある深夜などにダム下流側に設けた貯水池からダム貯水池に水を汲み上げて発電用水を確保するものですから、汲み上げに要したエネルギーが、そのまま発電に返されて、汲み上げと発電の両側でエネルギー損失が生じる、一種の「蓄電装置」=「揚水発電」です。

    尾瀬ヶ原ダム 流域面積積算図
     ということは、汲み上げ電力は、燃料コストの必要な火力発電から使うのでは、水の往復の損失が発生し、電力負荷ピーク調整以外の意味はありません。 熱出力の調整が出来ない定出力の原子炉による「原子力式火力発電所」で、夜間・軽負荷時に余って熱として自然界に捨てている膨大な熱エネルギーを有効活用する策であることが分かります。家庭への夜間電力蓄熱活用キャンペーンと同質のもので、東日本大震災2011/03/11での原発全停止以降、家庭用への夜間電力利用は新規募集停止されています。 すなわち「揚水発電と原子力発電はセットである」と通常は考えるべきです。(≒原発停止下での揚水発電無用)

     尾瀬ヶ原ダムが「揚水発電用」というのは、ダムの規模に比べて川の平均流量が少ない=流域面積が少なくて降水量だけでは満杯を維持できないということで、標高1400mの尾瀬ヶ原湖はあまりに上流に過ぎるということと、冬期激降雪結氷下の発電用水流量の確保でしょう。 ひとつ下段の奥只見湖標高750m流域面積580km2に比べて、「尾瀬ヶ原ダムの流域面積」はせいぜい80km2前後と、一桁狭いのでは発電用貯水池としては話になりません。 年間降水量でみても、尾瀬ヶ原の山の鼻(鳩待峠下)で1775mm程度で、東京の1400mmより多めではありますが、格段に多いわけではありません。 それが揚水発電用としては平坦な尾瀬ヶ原12.5km2は有効落差を作りやすいのが一点、冬期に4mを超す積雪下で無人化する尾瀬で、水路式発電の取水堰程度では結氷して取水できなくなるので、結氷しない十分な水深と水量確保のための揚水と考えたのでしょう。

     水力発電のための落差を得る方法としては、ダム式発電と、水路式発電があります。
    (サイト「写真で見る上野原」より引用) 
    八つ橋発電所 八つ橋発電所
    http://www.uenoharacity.com/special/sakura/8sawahatsu.htm
    東京電灯八ツ橋変電所
    (「水圧管路」を強調表示。「桜」を強調の原写真参照)
     取水堰ダムから下流に向けて水路を引いて、川が流れ下って十分な落差ができたところに発電所を設置する方式を「水路式発電」と云い、中央線の車窓から水圧管が良く見える山梨県桂川添いの上野原八ッ橋発電所(右写真→)・猿橋駒橋発電所や、首都の国電用電力の半分余を供給するJR東日本の信濃川発電所、さらに黒部渓谷鉄道に乗ると黒薙駅前後で頭の上に見えるコンクリート水路が発電用水の落差を稼ぐためのもので、小さな取水堰で済みますが、落差を稼ぐ「発電用水路」が必要です。 流量計に加工をして信濃川の流量のほとんど全部を不正に発電に使ってしまったのがJR東日本信濃川発電所であります。
     燃費がゼロというのが水力発電の魅力ですから、水量計を誤魔化し加工して許可量より多くの水を盗ってしまった!横浜人材活用センター事件など、刑事事件捏造犯罪・不当労働行為解雇処分連発で敗訴しても対応しない国鉄JR系は、末端職場職場の順法精神も希薄なのでしょう。安倍アドルフ晋三内閣に倣うかの日大アメラグ監督・コーチ・理事者たちの様に。
     ダムの高さ分の落差を得るのが「ダム式発電」で、ダムで作った落差で発電するため、長い水路は不要で急峻な秘境渓谷向きですが、落差の維持は必要で、水位が下がれば発電能力は落ちて必要水量が増え有効貯水量はその分、期待できません。ダムでの落差を加えた水路式を「ダム水路式発電」と呼んで、計画された尾瀬ヶ原ダム発電所の主構造です。 また、ダム湖水面の遡及する地点までは、上流ダムの落差を奪いますので、それ以上離す必要があります。

     尾瀬ヶ原下流の奥只見川は「ダム式発電」、佐久間ダム、黒部第4発電所や、幻で済んだ尾瀬ヶ原発電所は「ダム水路式発電」、都下の小河内ダムは東京都の水道水源用のダムで、現在は渇水ピンチヒッターと位置づけられる運用なので、ダム式発電で活用されています。
     年間最低流量基準の水路式発電ですと、尾瀬ヶ原全体を水の底に沈める必要は無く、尾瀬ヶ原と奥只見湖の標高差650m(=1400m−750m)を利用した発電が可能ですが、険しい地形に発電水路工事費が膨大でペイできない?貯水池がないので、瞬間的な大出力が出せない、冬期の激しい降雪・結氷を考えると小規模な取水堰では無理。発電用水路に代わるダム式発電では、平滑の滝、三条の滝を含む渓谷をダム湖に沈めるのか?というところで、いずれにせよ人里離れた秘境渓谷の電源開発に困難があります。

     只見川系最上流の奥只見ダムは新潟側から大トンネルを含む工事道路(現シルバーライン)を作って完成させたモノで、只見川渓谷沿いの下流に鳥沢ダムは作りましたが、さらに下流の田子倉ダムへ抜ける道はありません。 同様にその下流の田之倉ダムも只見から先、人家の切れる上流側に作られて、只見川を遡上してきたJR只見線は只見駅以西の田子倉ダム湖岸はほぼトンネルで抜け、途中から西方新潟魚沼へ抜けていて上流との連絡道はありません。しかも2011年7月末豪雨で只見川沿いの線路(橋梁)が多数流されて不通のママ7年後の現在も放置されています。
    尾瀬ヶ原発電所概念図
    See→只見川電源開発計画

    只見川はそれほど激しい自然の河川です。多量の土砂の流入で貯水容量が急速に減少していますが、発電用落差を得るだけなら差し支えなく、最低流量確保性能(≒発電能力)が落ち、最大出力の持続可能時間が減るだけです。 奥只見、田子倉、鳥沢、只見は総てダム式発電であり、只見川流下落差の途中途中の摘まみ食い方式で、一旦取水した水を下流へ次々使い回す水路式ではありません。
    発電用落差を得るのに水路建設ではなくダム湖を使うということで、発電利用落差は総て谷間の人造湖で確保する激しい自然破壊ですが、貯水機能は従で、瞬発的負荷に対応させるためのものです。

     著名ダム諸元を下表に示しますが、最大発電量での必要流量が、自然流量より一桁大きいのは、水力発電が主に電力需要のピーク調整に使われていて、火力発電が主で運用されているということでしょう。これは各発電所の「認可出力」が最大発電量より一桁小さいことに繋がるのでしょうか?
    最大発電時は、自然流量より一桁多い激しい流れ(奥只見発電所で404d/毎秒、直下の鳥沢ダムでも同様、田子倉発電所で313d/毎秒)となり、奥只見末端で人家に近い只見にはこの急流を緩和する「逆調整池」として只見ダムを設けています。鳥沢ダムの異様に太い圧力水管は激しい水量を予想させるものです。 人家の多い相模川城山ダムで398d/毎秒の流量は、下流無防備のママ放出できるのでしょうか?
     最大発電量P時の推定流量Qは、変換効率η90%を乗じて計算しています。オイルを媒体に使う気動車用の小型トルクコンバータの最高効率が70%程度を実現しているので、大型の発電機用水車なら改善されて90%程度と仮定します。
     実例としてはJ-Power(電源開発)資料で「只見ダム発電所」が、最大出力65,000kW、最大水量375d/毎秒、有効落差19.8m、堤高30.0m、横軸可動/固定円筒羽水車各1台とあり、そこから算出される最大水力エネルギーとしては、375×19.8×9.8=72,765kWですから、水車と発電機と送電トランスの総合効率は65,000/72,765=89.33%となります。 大水量低落差のため横軸円筒型水車を用いたことで堤高30m有効落差19.8m、実効率58.5%という効率低下を来したのでしょうが、一般的な高落差の縦軸型発電機の概算効率として90%という仮定数値は概算にはまあまあ妥当な値でしょう。
    出力電力=重力加速度×落差×流量×効率@MKSA→流量Q=P/(ghη)
    Q(奥只見)=56万kW/(9.8×0.9×157m)=404.408k[kg/s]=404.41[d/秒]。 実際には発電所の地下化と導水・流出管落差が加わって大きくなったり、低落差で実効効率が下がったりしていて、その値は分からないので、算出値はあくまで目安です。
     当稿の尾瀬ヶ原湖ダム電源開発は、堤高85mのダム後背の水路により約500mの有効落差を得る「ダム水路式発電」。奥只見電源開発計画の他のダムはダム式発電。奥只見湖満水標高750mと、尾瀬ヶ原標高1400mの標高差650mの多くを有効利用する計画でした。以下同様。

    【著名ダム諸元比較】

    ダム名奥只見鳥沢田子倉只見 尾瀬ヶ原計画案 佐久間黒部矢木沢 小河内城山相模備考
    利根送水本流流下総合案尾瀬沼
    ダム湖奥只見湖田子倉湖只見尾瀬ヶ原湖 黒部湖奥利根湖奥多摩湖津久井湖相模湖
    1.河川阿賀野川水系只見川天竜川黒部川利根川 多摩川水系相模川水系
    2.ダム形式重力コンクリ重力アーチ重力コンクリロックフィル傾斜土質遮水壁型
    ロックフィル・ダム
    重力コンクリ重力アーチアーチ重力コンクリ重力コンクリ重力コンクリ
    3.堤高[m]157.083.0145.019.885.062.0100.0 155.5186.0131.0148.075.058.4
    4.堤頂長[m]480.0187.9462.0582.5940.0 293.5492353.0260.0196.0
    5.堤体積[万立米]163.616.0195.045.0?− 112158167.56836.217.4
    6.流域面積[km2595.1656.9816.3856.2?80 4156.5425.01201.31128.5
    7.湛水面積[km211.50.899.950.812.5 7.153.4911.52.473.26
    8.総貯水量[億d]6.011.584.940.0457.06.8 3.26821.8910.6230.632
    9.有効貯水量[億d]4.580.503.703.3 2.57.2 1.8540.547発電0.432
    水道0.482
    10利用目的発電+逆調整発電 発電発電総合上水道
    発電
    水道
    発電
    洪水
    水道
    発電
    11冬期有効流量[m3/S]74.0
    12発電量[万kW]56.0?+2940.06.517.9+18.5
    +1.9754
    15.6 3533.5241.9525.03.1
    13事業者電源開発東京電力東北電力調停案 電源開発関西電力水資源公団東京都神奈川県企業庁
    14着工年195319611953198419161944 195319561959193619601940
    15竣工年1960196319601989中止1949 195619621967195719651947
    16年間降水量[mm]1775@山の鼻
    17(湖面)標高[m]7405604803911485146215001660 260167一部GoogleEarth
    18有効落差[m]19.8512.8
    19発電流量[d/秒]40431337580.5 30639860.212/3g or 12/18g
    20連続発電時間[日]13.113.747.4 1.598.3有効貯水量
    ÷発電流量
    9/19/(3600×24)
    21降雨量流量[d/秒]21.130.03.6 (推定計算)
    備考田子倉と
    同時着工
    奥只見と
    同時着工
    逆調整池 ダム水路式発電
    落差300+280m
    (水利権紛争)
    逆調整池
    39mダム
    18万立米
    三平峠
    トンネルで
    利根導水
    利用水深
    40m
    ダム水路
    地下式
    150m
    ダム式 工事中断
    1943−47
    利用水深
    発電19m
    水道22m

    ★[尾瀬ヶ原ダム流域面積の積算]→積算図:データが見つからないので、取り敢えず概算のため、地図に分水嶺と1km方格を描いて分水嶺内の方格をカウントして求める。
    ★[尾瀬ヶ原ダム集水量]=平均雨量×流域面積×(1−蒸発率)=80km2×1.775m×(1−0.20)=113.6×10^6=1.136×10^8[m3/年]
        :1.136億d/年=3.6d/秒。貯水量は3年分雨量
    ★[奥只見ダム集水量]:平均雨量=1400mm、流域面積=595.1km2、1−蒸発率=0.8、として集水量を推定、
       =595.1km2×1.4m×(1−0.20)=666.5×10^6=6.665×10^8[m3/年]
        :6.665億d/年=21.1d/秒。貯水量は8.2ヶ月分雨量
    ★[田子倉ダム集水量]:平均雨量=1400mm、流域面積=816.3km2、1−蒸発率=0.8、として集水量を推定、
       =816.3km2×1.4m×(1−0.20)=914.26×10^6=9.1426×10^8[m3/年]
        :9.1426億d/年=30.0d/秒。貯水量は4.9ヶ月分雨量
    数値的には、尾瀬ヶ原貯水池の貯水容量は雨量3年分前後に相当。大きすぎないか?→∴「揚水式」発電とする理由 & 冬期4m以上の積雪に閉ざされ5月末山開きの尾瀬ヶ原で発電のための凍結しない冬期流量を確保するには十分な水深と貯水量が必要で、小規模な「水路式発電用取水堰」では氷結して停止してしまう可能性大か。
    ---------------------------------

    なぜ尾瀬ヶ原ダム開発計画は中止になったのか

     「公共事業」が一旦決まると、無効・逆効果のものでも公金をどぶに捨てて強行されてしまうことの多いもので、 水余りの現状に、浅間山火山灰地の地滑り災害懸念の八ッ場ダム建設強行、 有明海漁業に致命的影響を与えかねない諫早湾大規模干拓締切堤防、 自然破壊のみで効用のハッキリしない長良川河口堰、 などと、ほとんど止められないでいます。 尾瀬ヶ原ダムと同時期に検討された黒部川の黒部第4ダムはたちまちに完工しています。

     反対運動の成功例は、電源開発では上高地保護と尾瀬ヶ原ダム中止程度、自然環境維持で大雪山昇仙峡、日光戦場ヶ原・・・・・・・・・・。 尾瀬ヶ原ダムが断念された原因を辿りますと、 (See→只見川電源開発計画概略図)
    1. 火山堰き止め地形の技術的困難性
       尾瀬ヶ原の形成は、燧岳の噴火で溶岩流が只見川を堰き止めて尾瀬ヶ原出口となって生じたもので、その溶岩流上を平滑の滝が500m近く流れ下っており、ダム建設地のボーリングでは、岩盤まで70mもの火山堆積物・沈殿物があって地盤がきわめて悪く、コンクリートのダムは無理で、土石を積み上げるロックフィルダムとして計画されましたが、水深50m〜85mの湛水を行った場合に、水圧がダムの地下をぶち抜いて漏水してこない技術的保障がないことが、1916年に開発計画を決定しながら長期に本格着工できなかった基本的原因で1996年に発電水利権の放棄となりました。 元々ロックフィルダムは足場となる強固な岩盤が得られない場所で、堆積で形成された軟弱地盤に設置するものですが、基盤が火山堰き止めではどのような地下構造なのか全く判りません。(重力式ダムやアーチ式ダムは強固な地盤・岩盤のある場所になら建設できます)。 富士山噴火の堰止め湖である富士五湖中の2湖〜3湖(西湖・精進湖と、ほぼ連動する本栖湖)の水位標高がほぼ同じなのは透水性の良い溶岩などで湖底が繋がっているためと考えられていますが、人造の尾瀬ヶ原湖のダム下に地下水路が出来て漏水してしまわない技術的保障がないのです。
    2. 全計画中の比率5〜6%
       奥只見電源開発計画での総発電量は220万kWほどですが、その一部である尾瀬ヶ原ダムによる発電量は只見川流下式で12万kW〜利根分水で38万kWで5.5%〜17.3%。割合が低くて、中止しやすかったこと。
       また最上流域で、ダム湖に流れ込む流域面積が大変狭くて、堰き止めての最大発電量は25万kWでも、定常的な流れとしては2万kW程度の水量にしかならず、「揚水式」で下流側から水を汲み上げる計画に無理があったこと。
    3. 水利権者間の利害対立
       尾瀬ヶ原湖の水を、分水嶺を超えて利根川や新潟に流して利用する計画だったことから、水とその位置エネルギーを奪い合う首都圏各都県vs東北各県の対立となって、只見川流下案、その新潟魚沼分水案と入り乱れて政府として一案に認可を与えることができなくなった。
    4. (特別)天然記念物指定・厚生省の強い反対
       国立公園を管轄する厚生省が尾瀬ヶ原保存を強く主張して、国立公園指定、天然記念物指定、特別天然記念物指定を重ねて、新たに環境庁を独立設置するなど、法律的に防御して、尾瀬ヶ原保護を簡単には解除できなくしたこと
    5. 計画支持世論を現地に組織できず、反対運動を止める状況も生まれなかった
      黒部第4計画では、新たな観光開発に期待が寄せられて推進の力になったが、尾瀬ヶ原湖計画には、高層湿原尾瀬ヶ原の水没全滅だけで新たな観光資源は得られず、現地に賛同世論が全く形成できなかったこと。
    6. 古くからの反対運動の歴史・尾瀬ヶ原擁護の強い世論
       尾瀬の自然は古くから知られて、新たな開発計画の都度、反対運動が起こって着工を止めてきたこと。
      知る人ぞ知る秘境尾瀬が、s24放送のラジオ歌謡「夏の思い出」の長く続く大ヒットで一般に広く知られて、自然保護世論のベースを形作ったこと。
      後の尾瀬観光開発計画でも環境庁を設立、専任の長官を任命して観光道路計画を三平峠下から沼山峠下までの尾瀬沼区間全体を中止させている。
    などの状況があって、人造の尾瀬ヶ原湖計画は断念されました。

     各ダムの最大発電容量と、川の定常的水量を比べると、流量から来る出力より一桁大きい瞬発的発電であることを示していて、 それは溢水するような豪雨も最大限活用して、火力発電の燃費分を節約できる体制でもありますが、 火力発電・原子力発電のいわゆる「ベースロード電源」に対して、水力発電に負荷急変部を担わせている「火主水従」体制であることが判ります。 原子炉の出力調整は困難で一定の熱出力ですから、発電量もそれに合わせて一定なのが理想です。ここが夜間電力利用促進策の動機です。 負荷に合わせた出力調整が可能なのが、若干の準備・整定時間を要する火力発電と、さらに即応可能な水力発電で、水力は発電量急変調整を担う、エネルギー的には「従」として設定・運転されていることがわかります。 奥只見・田子倉電源開発の時代(1960年完成)から水力発電は「従」という位置づけの設計だったと。首都圏の国電の半分近くを動かしている信濃川発電所は、逆に例外的存在なのでしょうが、JR東日本自前の火力発電所も持っていますから、負荷急変調整には応答の速い水力発電という構図は同じでしょう。

     この状況は焼岳噴火の土石流で大正池を生じさせた上高地にも通じるようで、上高地下流の奈川渡ダムまでは電源開発されましたが、大正時代に大噴火して堰止め湖のできる不安定な地形に、古くからの観光開発の諸施設の存在が重なって、上高地全体を水没させるような大規模なダム建設など考えられないのでしょう。(大正池を調整池として利用する発電はされています)

    尾瀬ヶ原ダム計画:https://ja.wikipedia.org/wiki/尾瀬原ダム計画:標高1400m
       ★尾瀬ヶ原湖開発反対運動概説(pdf全54頁) http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/4000/1/77-1murakushi.pdf
       ★尾瀬沼ダム:https://ja.wikipedia.org/wiki/尾瀬沼ダム:標高1660m
    奥只見ダム:http://www.jpower.co.jp/damcard/okutadami.html
       ★奥只見湖:https://ja.wikipedia.org/wiki/奥只見ダム#奥只見湖:標高750m
       ★大鳥ダム:http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0505
    田子倉ダム:https://ja.wikipedia.org/wiki/田子倉ダム
       ★只見ダム:J-Power(電源開発)資料(田子倉ダム逆調整池):http://www.jpower.co.jp/damcard/tadami.html
    佐久間ダム:http://www.jpower.co.jp/damcard/sakuma.html (重力式:ダム水路式発電)
    黒部ダム:黒部湖、黒部第4発電所:http://www.kurobe-dam.com/whatis/index.html (重力アーチ式:ダム水路式発電)
    矢木沢ダム:奥利根湖:http://www.water.go.jp/kanto/numata/03_yagisawa/yagisawa001.html (総合、ダム式)
    小河内ダム:奥多摩湖:https://ja.wikipedia.org/wiki/奥多摩湖、(水道用)
    相模ダム:相模湖:http://www.pref.kanagawa.jp/docs/vh6/cnt/f8018/p104515.html、(水道、発電用)
    城山ダム:津久井湖:https://ja.wikipedia.org/wiki/城山ダム、(水道、発電用)




    [奥只見ダム地域全景@Wikipedia]:尾瀬沼、燧岳、尾瀬ヶ原、至仏山、奥只見湖、只見川、田子倉湖、只見湖

    夏の尾瀬ヶ原@Wikipedia 2002/08/10燧岳山頂にて撮影

    早朝の尾瀬ヶ原晩秋:燧岳山頂より尾瀬ヶ原・至仏山を望む(尾瀬十字路小屋4時出発登頂)
    原Olympus M1-MD改(OM1')F35mm@1980/10/05朝撮影印画紙のスキャン


    「坂の上の雲」の語らない真実
    明治時代は栄光の時代か?(@司馬遼太郎作)
    講師:山田朗氏 (歴史教育者協議会/明治大学日本近現代史/4/20中野革新懇講演会)受講 
     <2>

     「『坂の上の雲』の語らない真実/明治時代は栄光の時代か?」と題する講演会が4/20金曜日夜に中野産業振興センター大会議室で開かれることを新聞の告知欄で知り聴講してきました。 大変興味深く聞けて面白かったのは、中学・高校の歴史教科書右傾化の正常化を目指す「歴史教育者協議会」参加で鍛えられているからかも知れないと思いました。

    催物告知@東京新聞

     工業高校生時代の私は、歴史の授業は、時折警告点をもらってしまった「電気法規」(電験3種試験免除認定校教科)同様に酷い手抜き学習を決め込んだもので、卒業できるギリギリ程度しか学んでいませんで、しかも日本史と世界史の選択で「世界史」をとっていて、ともに、試験さえ通ればあとはオボロ〜ッ! 理工系大学に歴史の講義はありませんので、まるで基礎知識が足りません。機会があれば必死に補充しませんと・・・・・・・・。
     司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、文学作品としては面白く読めますが、作者当人が生前はTVドラマ化を一貫して拒否していた作品で、大日本帝国の膨張主義・帝国主義政策を手放しで賛美しているかに採られかねない内容がありまして、「坂の上の雲史観」とまで揶揄されていましたから、講演会の標題を見ただけで安倍晋三政府と極右勢力の進める「明治150年キャンペーン」に対抗しての真相暴露の反撃にみえて、片道2時間近く掛けてはるばる千葉から聞きに行きました。 (中野まで地下鉄東西線利用で時間的には失敗!ラッシュ時にはJRの方が速い。高いけど。)

     日清・日露戦争が帝国主義侵略戦争・植民地争奪戦争であることは、その主戦場が国外の朝鮮と中国であり、日本が外征軍として植民地奪い合いに勝手に押しかけて行った不当な戦争であることに疑問の余地はありません。 自国の独立を守って侵略者フランス・アメリカと闘ったヴェトナム戦争とか、鉄道爆破事件など自作自演の謀略まで仕掛けて植民地拡大戦争:満州事変を始めた侵略者大日本帝国と、自国領内で侵略と闘った中国とは全く逆で正当な大義の無い膨張主義・帝国主義の戦でした。
     ところが、その侵略戦争指摘は日本の国粋主義者・右派の逆鱗に触れてトラブル化しかねない状況があり、歴史的事実や戦争終結の平和条約内容をしっかり把握していないと見せかけの「多数」に押し流されかねない危なかしい状況があります。



     主催団体の「革新墾」といえば、「年金者組合」と並び、官公労大幹部OBたちの地域サロンみたいな感じで、様々な実務に追われる我々民間零細ヒラ労働者、まして外様の理工学技術系労働者には近寄りがたい世界の感がありまして、敬ってなるべく遠巻きにしていたものですが、現実には1980年の社公合意(政治の場から「共産党を除く」公明党・社会党合意路線)による共産党全面排除右傾化路線の国民世論での克服を目指して各地で結成が呼びかけられて、民主・革新勢力の結集に力を発揮、各地に結集して革新共同候補などを擁立して闘ってきた功績ある団体であります。
     「反共産、社公合意」(1980年)は、自社公民の議員数では多数でも、国民世論ではありませんで、直後に開催の三多摩メーデーで、すぐ前を行くデモ行進リードの宣伝カーがシュプレヒコールとして「社会党を悪く云う共産党は嫌いだ〜〜っ!」と始めましたが、呼応するデモ参加者はほとんど無く浮いてしまいました。
     社共共闘で東京美濃部都政、京都蜷川府政、大阪黒田府政などと全国人口の半数に及ぶ革新自治体を誕生させてきた体験と、成田社会党委員長との革新連合政権樹立の社共合意からも、国民世論は共産排除・攻撃の社公合意支持とか、その反対者攻撃には傾かないはず。 (各地の「革新墾」設立の理屈です)。 「共産党食われ論」で怯えて後に公明党や新興勢力などに食われて滅亡してしまった社会党右派の党内クーデターかも?! 国民運動の背景無しのパフォーマンス、マスコミ風頼み、企業内御用組合の会社頼みだから見切りを付けられて左右からどんどん食われるんで、外に原因を求めては反省点が全く違います。 宣伝カーのリードにデモ隊列は無応答!これなら行けるかも!? そこで継続する宣伝カー・コールを受けて肉声フルパワーで「社公合意、右転落の社会党は嫌いだ〜〜っ!」と返したら皆に受けてしまって、何人も唱和し始めて、宣伝カーの「・・・・・・共産党は嫌いだ〜〜っ」には誰一人応答しません。 共産非難コールをスルー・反撃された弁士は宣伝カーの屋根の上で立ち往生してしまい、車を降りてデモ行進終了まで再びマイクを取ることはありませんでした。 共産排除社公合意の批判勢力が傘下組合員にもノンポリにも多数居る共闘の場:メーデーのデモで斉唱するスローガンに採り上げる方が筋違いなのですが三多摩の社会党系労働組合幹部にはそうした理性的判断が欠けて、シュプレヒコール原稿を見て発声前に止める人は居なかった様です。
     国民世論レベルでは、宣伝カーの100W出力の高能率ホーンスピーカー(入力1W軸上1m音量104dB∴Max音量124dB)拡声器が肉声に簡単に敗退するほどヤワな「社公合意」でしたが、政界では長らく悪影響を発揮し続けて、今回講演主催者「革新墾」の粘り強い多様な運動を必要としていました。
    (数値比較で言えば、家庭用スピーカー(入力1W軸上1m音量88dB)換算で+16dB(=104dB−88dB):40倍=4000W相当の大音量で、肉声に敗退!テレビ音声など2W前後の出力ですからその2000倍(+33dB)もの大音量の方が大義名分負けであります)。
    今回の興味ある課題での講演会は開演時点で会場の3階大会議室満員の盛況となりました。

    講演のポイントは

    cf.【年表】
    • コロンブスの新大陸発見:1492年、現在のバハマ諸島の一角に到達
      スペインのイサベラ女王の援助を得て出発
    • マゼランの世界一周航海:1519-1522
    • インカ帝国の滅亡:1533年、スペインの派遣したピサロに征服され滅亡
    • 東インド会社設立:1600年
    • 江戸幕府開府:1603年徳川家康征夷大将軍就任
      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    • 元禄大地震:1703年江戸−小田原に大被害
    • 富士山噴火:1707年(宝永4年)宝永山形成
    • イギリス産業革命:
      18世紀1700年台の100年掛かり
    • アメリカ独立戦争:1783年英より独立
    • アヘン戦争:1840〜1842年
      清国内のアヘン販売権確立@英
    • ペリー来航、日米和親条約(通商友好条約):1853〜1854年
    • アメリカ南北戦争:1861〜1865年、終戦で余剰武器発生
    • 文久の政変:1863年から武器商人グラバー勤王佐幕両者に武器販売
    • 大政奉還1867→明治維新1868戊辰戦争1868〜1869:
    • 日清戦争:1894〜1895年(台湾割譲、賠償得、三国干渉)
    • 義和団事件:北清事変1900年
    • 日英同盟1902年:(対ロシア軍事同盟)
    • 日露戦争:1904〜1905年(無賠償、朝鮮権益得)
    • 韓国併合:1910年条約調印
    • 第一次世界大戦:1914〜1918年
      日英同盟で青島出兵(対独開戦、賠償得、独南洋利権割譲)
    • 満州事変:1931年s6満州占領、
      帝国軍「関東軍」の謀略、満州国設立
      国連リットン調査団独立認めず
    • 5・15事件:1932年、 犬養毅首相殺害@海軍
    • 2・26事件:1936年、高橋蔵相ら殺害@陸軍
    • 日独・日独伊防共協定・三国同盟:1936、1937、1940
    • 盧溝橋事件=日中戦争開戦:1937年
    • 第二次世界大戦:1941年〜1945年
     講義の流れとして、レジメで示されたのは以下の通りです。
    1. 9条改憲問題とは根本的には歴史認識問題である。
    2. 改憲論の底流をなすのは明治を栄光の時代とみる「明治150年史観」(明治礼賛論)
    3. 「明治150年史観」を克服するには何が必要なのか。

    「栄光の明治時代=昭和の暴走」か?「昭和の悲劇は明治の延長」か?

     一言で言って「明治時代マンセイ!昭和時代のどこかで間違った!」というのが「坂の上の雲史観」(司馬史観)であります。 日清戦争・日露戦争は日中戦争・大東亜戦争(太平洋戦争)とは違い、正当な戦争だったというわけですが、日清・日露とも帝政ロシア、清国と朝鮮、中国での覇権を争う帝国主義戦争だった、膨張主義の結果だったことは否定しようがありません。
    これは作者のフィクションである文学作品には留まらず、あまりにも意図的、一方的な政治宣伝ですから司馬遼太郎氏自身がTVドラマ化を断固不許可としてきたのでしょう。 司馬遼太郎氏が1996年に亡くなってから約14年後の2009年末から3年がかりでNHKがTVドラマ化しました。 この文学作品TVドラマのヒットが無ければ「維新」云々という名の、憲法改悪、大日本帝国回帰の右翼指向だけ突出で政策の曖昧な中間政党は出て来なかったかもしれません。

     まずは判断基準≒誤謬の原因が以下のように示されまして、

    [主観主義]
    「失敗事例から学ぶ」 vs「 『成功事例』から学ぶ」

     失敗事例からは様々学べるけれど、成功事例からはほとんど学べないもの、という指摘は「ナルホド!」と新鮮でした。
     1960年代からの高度成長とか、日清・日露戦争の「勝利」とか、明治維新の国家近代化など、「成功」の特殊条件が様々有って、後日になぞろうとしても再びは実現できないもの。まして日清・日露は「成功」だったのか?!と。
     日中戦争から大東亜・太平洋戦争無条件降伏、新憲法制定は大失敗から多岐にわたって学んだもの。 それを捨て去って、日清・日露の「成功」に回帰しようというのが明治150年キャンペーンであり、終戦記念日の村山首相談話にあった膨張主義・軍国主義の具体的反省(=失敗事例反省)を敢えて消し去って「成功」のみ強調したのが安倍首相談話の実質内容。 むろん失敗の要因を一つに絞って語ることもあり得るが、それ以外の要因も検討されることの方が多い。太平洋戦争冒頭の真珠湾攻撃の「大成功」と英戦艦プリンスオブウェールズの撃沈の大戦果で帝国日本は舞い上がっただけだったが米英は、巨艦巨砲主義の終焉、航空優位を悟って戦略に取り入れて反転攻勢に繋げたのも「失敗事例」から学んだ有効な教訓の実例でしょう。

    「脱亜入欧」は日本の白人代替アジア支配

     福沢諭吉の云う「脱亜入欧」の実質は、単なる日本の近代化には留まらず、日本が西欧に代わってアジアに君臨する膨張主義。

    安倍談話に欠ける重要点

     終戦記念日の安倍首相談話の狙いの話がありました。
    最大の内容は侵略戦争反省の村山首相談話の取り消し。
    具体的内容の無い美辞麗句に包まれた安倍首相談話からは昭和の膨張・侵略部分が意図的に全面削除されていて、明治以来の拡張主義・帝国主義侵略肯定の明治150年賛美に繋がっている。
    安倍談話が、敢えて隠した「昭和時代」こそ明治80余年の実態だということです。

    バルチック艦隊の実像、日露戦争の実態
    西欧評価:ボロ船遅速艦隊→日本の海外国債販売促進
    vs 日本評価:世界最強無敵艦隊:戦果強調→強国大日本帝国不敗宣伝

     バルチック艦隊は旅順など極東戦線のロシア劣勢の転換に急派されたモノで、高性能艦船を一刻も早く戦線に投入すべき性格のものでしたが、現実には船足の遅い旧型艦船が多数含まれていて、ボロ船の行き足に艦隊の速度が規定されてしまい、極東海域への到着に長期間かかりました。 西欧の評価はボロ船だらけの遅速艦隊。
    これは日露戦争の戦費の実に40%を西欧で発売の外債で賄っていましたから、「ロシア艦隊弱小」でないと債券が売れないという訳ですが、実態はその通り装備も訓練も不十分で、士気も低いポンコツ艦隊でした。

    日英同盟による全面サポート
    海底電信通信網

     ロシア(・ドイツ)と対立するイギリスの思惑として、1902年、日英同盟を結びましたが、バルチック艦隊は、この同盟により極東日本近海までのイギリス系の港が一切使えず、補給に難儀したこと。 さらに海運王国イギリス主導で敷設した海底電信網の発達で、寄港毎に艦隊の動きが全世界に報じられて情報が得られ、日本にとって迎撃対応が取りやすく、清国内ロシア軍基地の旅順増援やウラジオストック入港に際して対馬海峡、津軽海峡通過かの推定判断に絞ることが出来て、対馬海峡で待ち伏せて大戦果の日本海海戦となりました。老朽艦の混じる訓練不足のポンコツ艦隊を、訓練の充分だった英国製最新鋭の艦隊が迎撃して殲滅させたことになります。

    戦費の40%が高利外債=財政破綻の引き金
    武器・銃砲弾購入しながらの戦闘

     日露戦争当時の日本の技術と財政力は十分でなく、軍艦は最新鋭を英国から輸入ばかり、銃砲弾も国内では作りきれず、募集した債権の金で購入して前線に届ける状態で、補給が間に合わず弾切れで投石で闘って撃退した記録さえある。 戦費の40%が外債で、財政的にも武器補給でも一杯一杯の状態で、それ以上戦闘を続けられる状態で無かったから、無賠償での戦争終結に至っている。 信用度の低い東洋の小国日本の債権は高利でないと売れなかったから、「賠償」を得られなかった日露戦争後の大きな負担となり財政破綻へと向かった。 財政健全化は先送りになり、国家予算の実に80%が戦費というアジア太平洋戦争の敗戦処理まで引き延ばされて戦後の大インフレへ。現状の財政危機同様簡単には抜けられなかったものです。

    日本の対ロ戦勝利はアジア解放に資したか?

     日露戦争での日本の勝利は、植民地分割の帝国主義戦争で「白人に黄色人種が勝利した」点だけで、アジアの西欧植民地解放を願っていた人たちを激励したことは事実だが、本質は黄色人種日本が激しい膨張主義で白人ロシアに取って代わって植民地支配に躍り出ただけ。 その後の膨張主義の激しい動き(満州事変→日中戦争→大東亜/太平洋戦争:See→年表)をみても白人たちの植民地獲得分割競争に新たに黄色人種の大日本帝国が加わったのが実態であり、「日本がアジア開放に闘った」事実はありません。植民地の分捕り合い自体はそれまでのも繰り返されており、そこに黄色人種日本が加わっただけです。

    明治維新とは?

     そもそも「明治維新」とは?その前後で支配者が代わっているわけではないので「革命」ではありません。 薩長連合の武力クーデターを機に、農民の土地への縛りを無くして労働者化を促進、近代資本主義化転換を成し遂げて、無用の武士・士族階級の大規模リストラをして、急速な経済発展の社会基盤を作ったのが明治維新でしょう。 昨今の中東などと違うのは、前政権下の幕臣も優秀者を大量採用していて、新政府吏員の実に1/3が旧幕臣だったこと。 これは国内安定に大きく貢献したと思います。維新でリストラ対象となった士族の不満を糾合した西南戦争の鎮圧で混乱は終息しています。反乱を起こした武士たちに、身分を問わず編成した討伐軍が勝利したことで武士社会の終焉を象徴する事件となりました。


    講演後の質問として印象に残ったのは以下、

    日本はなぜ植民地化されなかったのか

    →清など大陸に比べ資源が乏しくて植民地化する魅力が無かった。当時の中心対象は中国(清国)だった。∵インドは英、インドシナは仏、インドネシアは欄、フィリピンは米が既に押さえていて、不凍港を求めての南下策のロシアと合わせ、次の植民地分割の標的として中国、朝鮮となっていた。
     収奪資源基準での経済的背景としてはその通りだと思います。 しかし、大国と陸続きでは無い地勢上の有利に加え、国民の独立の気概、国民の基礎的教育水準、公益思想にも助けられたことを加えてはいかが? そうしないと明治時代マンセイ右派キャンペーンに噛み合って世論の認識を導ききれないでしょう。
     特に朝鮮王朝の他国従属方針との関係です。 微妙な偶然でどっちに転んだか分からない要素のある結果論の世界=歴史ではありますが背景が無ければ転がれないのも事実です。 民衆の運動におびえた王は保護を求めてロシア大使館内に逃げ込んでそこで国政運営を行ったとか、元々が属国指向で、権力抗争に際して立場の維持に清、ロシア、日本の軍事力を背景に争っていて、朝鮮王朝の支配者たちは独立の気概など持ってなかったのではないか?反政府派の力も微弱で王朝に取って代われず、日ロいずれにせよ属国化・植民地化されていたはず。
     江戸時代の日本の識字率は先進国断然トップクラスの約50%といわれて、武士階級の「藩校」だけでなく、寺子屋などで一般庶民にも読み書き算盤の基礎教育だ行われていて、国の独立など、様々なイデオロギーや事実が書物・瓦版を通じて浸透しやすかったはず。
     薩長の軍事クーデター:戊辰戦争→明治維新に当たり、欧米の植民地化を怖れる世論が強くあり、幕府側も大政奉還、江戸無血開城などと内戦の大規模化を避けて権力を引き渡しています。
     また明治維新後の新政府役人の実に1/3が旧幕臣で、新政府も優秀な人材は積極活用しています。 たとえば、榎本武揚(たけあき)など函館五稜郭に立て籠もって最後まで闘った幕府軍の指揮官で、懲役処罰後に外交官に採用されて樺太千島交換条約締結に成功しています。
     これは旧政府の役人を全面追放しISの幹部にさせ困難な局面を作った現在のイラク等のチェス型とは異なる、敵将兵を味方の攻撃力に使う将棋型人材活用であります。

    明治は独占資本主義段階以前なのに帝国主義政策とは?

    →経済構造と、支配者意思の齟齬。 他国が帝国主義領土分割競争を仕掛けるなかで、経済的には未発達の日本がそこに参入した。
     質問者のこういう経済背景と、権力者側の意思の微妙な差違に着目しない文系教条的理解に、理工系感覚として非常に抵抗を感じます。 この手の教条的謬論の典型例としては「独占資本主義から社会主義になるとの予言は、農業国ロシア・中国から社会主義化された事実で否定されており、マルクス主義は全面的に間違いだ」という右派側の言い分に重なります。
     理工系の実設計では一つの特性値向上に着目して設計するも、多岐にわたる他の条件の制約をも満たす設計が求められて、単一目標は完璧には貫けない実務的妥協の塊でして、たとえば増幅器の平滑・反結合回路も多段に重ねると位相推移で超低域発振を起こして逆効果になることが多く、中には超音速状態などで逆応答に変わることがあるものさえ在るのを、そこそこの特性・状態を追求するもので、現実政治の運営にかなり似通ったモノですから、多要素の相互関連は見ようとしない冒頭の疑問のような文系的純粋主張・判断には強い抵抗を感じてしまいます。


    病態は重度のアルコール依存症(アル中)!
    ジャニタレTOKIO山口強制猥褻事件  <3>


    憲法集会 有明防災公園に6万人 2018/05/03午後
     人格評価は下げるが、強烈ビンタで済んでしまう相手を選べば済んだものを(w! 良かれ悪しかれ「水商売」といえば実質セクハラ産業で、愚行の程度が勘定書きに大きく反映されて、さらに出入り禁止で済んでいるモノ。 福田前財務省次官氏の感覚はまさにこれで、飲み屋では札束で通じても、職場や新聞記者・放送記者には適用不能で、まして未成年女子高校生じゃ完全アウト!です。

     山口メンバー釈明会見で事件経過を聞いて、刑事事件は重大だがたまたま現れた結果であり、大元の基本原因は重度のアルコール依存症で飲酒を止められず泥酔し我を忘れたものと感じました。
     当人の釈明会見によれば、酒による障害で1ヶ月入院加療して退院してきたその当日に引き起こした事件ですから、自分の意思では飲酒を止められず泥酔してしまうアルコール依存症:いわゆる「アル中」で、万難を排して一生断酒するするほかない状態です。 自分自身ではアル中とは認識できていないこともトラブルを起こすアル中患者の特徴です。
     治療に当たった医師が「アル中」を発表しないのは、重大な個人情報であり当人の要請・許可でもない限り当然の対応でしょう。アル中状態の否定ではありません。

     氏の「今は禁酒」云々という認識のままでは、途中で止められないアルコール依存状態で泥酔を繰り返して絶対に同様の不祥事を繰り返すでしょう。 司会者業:MCの気遣い、ストレスに素面では耐えられないのなら、就業する能力が無いと割り切って転身するしかありません。

     刑法的な整理は分かって「深い反省」を簡単に乗り越えてタブーを守れないのがアルコールや薬物など依存症の本態ですから、「反省」だけでは有効な対応では無く、ハンドリングとしては依存物=アルコールに近づけないこと、「反省」はその隔離のための補助というのが唯一有効な対策になるわけです。

    2018/05/18 23:55

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