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跡形もない津波流失、常磐線富岡駅など
ゴーストタウン!@原発疎開地域

 福島の原発震災被害者の人達が、遊びついでで良いから、災害現地を見に来て欲しいと説明員を準備して様々なルートから全国に働きかけていまして、このたび、都教組某地域支部組合員らの視察メンバーに加えて貰い、原発事故の南北両側:いわき・広野側と相馬・浪江側から大震災・原発事故被災地を見てきました。
 我が金属関係労組が金銭・労働条件直結課題中心で、その人達が良く参加する震災ボランティア募集の共産党後援会ルートでは到底体力が保ちそうもなく足手まとい必定なので、派遣カンパ拠出で勘弁して貰うのに対して、教職組は平和と民主主義に関する課題、憲法改悪・海外派兵・日の丸君が代強制・国家秘密法といった理念的課題に強く、烈しく跳ね回る危なっかしい連中もあまり見当たらないので、勝手連個人参加の集会・デモで自分の地域・産別組合の旗が見当たらないときには、良く地域教職組の隊列に混ぜて貰ったものです。


原発事故で手付かずの津波&震災被害浪江町請戸地区 <cf1>
 現地は一言で言ってヒドイ!1000年に一度の大津波の被害を制御不能の原発過酷事故が拡大・固定化して広大な被災地と無人の街を作っていました。常磐線が事故原発を挟んで24.5kmにもわたって放射能で立ち入れず、復旧工事も取りかかれずに、前後計55kmが運休しているのです。
 町並みの所々に瓦や外壁が崩れたり、1階が潰れた家があって全く放置されて、日中の大通りに人っ子一人いない街というのはかなりシュールです。残留放射能値から住むことを禁じられたり、放射能の害への強い不安が払拭できなかったり、商店・病院など住む基盤が無かったりで、広大な無人の街が続いているのです。

 福島第1原発、第2原発に、計10基の原子力発電プラントがある福島県は南北に走る山脈で区分されて3地方に分かれ、常磐線の走る海岸側を「浜通り」、東北本線の走る内陸を「中通り」、猪苗代湖のある山中を「会津」と呼んでいます。(会津に降った雨は、阿賀野川から日本海に注ぎ、中通りの雨は阿武隈川から太平洋に注ぎます)
 常磐線広野以北、原ノ町以南は一部津波による線路被災もあって運休が続き原発事故の立入禁止区域として3年近くを経て尚、復旧作業ができず、原発南側「夜の森(よのもり)駅」付近の立入禁止柵(写真#65〜67)から原発北側の立入禁止地区(写真#25)に廻るのに浜通地方のいわき市まで下ってから阿武隈山塊を中通り地方へ大回りして入る、広野から常磐道(いわき市)−磐越道(郡山)−東北道(福島市)−115号中村街道(相馬)−南相馬とミゾレ混じりの阿武隈山地を2度超えて200km余も回って、東京三多摩から往復延べ1000km近くを走って現地の方たちに案内を請い、事故原発の両側を見学してきました。
701解結@原ノ町駅
JR交流電車701型解結@原ノ町駅 by link Wikipedia

 常磐線相馬駅から北側は線路が津波に流されたままで街の復旧計画も立てられない区間のため亘理駅まで37.8kmは不通で、相馬・原ノ町地域は阿武隈山地を横切る115号中村街道の険しい峠道を1時間半掛けて福島に出る直通臨時バスが設定されてまさに陸の孤島状態でした。
 「常磐線」といいますと、かっては青森行き特急の多くが走った主要幹線でしたから、阿武隈山地を挟んで並行する東北本線と同等の全線複線の大幹線とばかり思っていたのですが、実はそうではなく、いわき(平)以北は単線区間がかなり混じり、東北線バイパス特急を除けば、特にいわき−原ノ町間がかなりのローカル線ダイヤであることが分かりました。
 海側の浜通り地方を通っている常磐線は山側の中通り地方を通る東北本線より起伏が少ないので、寝台特急ブルートレインが1日4本など起伏に弱い機関車牽引特急列車や青森行きディーゼル特急「はつかり」は常磐線廻りで設定されて大変華やかに見えていましたが、輸送量自体は土浦、勝田(水戸)、高荻、いわき(平)と次々段落としになっていて、1960年代のエネルギー石油転換政策で早々になくなった常磐炭坑もいわき以南と船輸送で、頻繁な特急運行は全線複線区間の高荻(日立)・いわきまでの話でした。
 (常磐線いわき-原ノ町間で普通列車主に2両編成1日14本に対して、東京近郊通勤輸送の京王線明大前-笹塚間のラッシュ時間には1時間で10両編成30本、ラッシュ時輸送容量で実に75倍=10/2×30/2、混雑度を加味すると100倍以上の差!)。
 いわき(平)以北のローカルは「福島のチベット」と揶揄されて産業も無く、労働力吸収に真っ先に原発立地対象とされて、原発反対運動を凌駕して福島第1、第2と原発設置が進められたところですから、通過特急が東北新幹線に移行・吸収されると、ローカルは元々閑散線だったのです。東北電力の建設する福島浪江小高原発も土地取得が済んでいましたが、今度の原発事故を承けて今年2013年3月に設置断念となり、用地内には紅白に塗られた高い塔だけが見えています。See→写真(40)
 ここを目指して都下田無市にあった石川島播磨重工が相馬新地工業団地に丸ごと移転してIHI相馬となり女性労働力を集めて労働集約型製品である航空機エンジンを作っています。See→写真(76). 福島第一原発は基本設計がGEで東芝製ですが、圧力容器など大型主要部の製造は、大型製造部門のない東芝から石川島播磨重工≡IHIに発注されて製造しており、事故原発製造の直接の当事者なのです。ですからIHIは原発事故見学には当然含めて良い会社ですが、過去の仕事で絵になりにくいためか?知られてないためか?訪問者はあまりいない様です。

津波で全損・原発事故で復旧不能の常磐線富岡駅(南側)


(1).駅舎全壊の富岡駅

(2).改札柵だけ残る富岡駅

(3).常磐線富岡駅前広場〜

(4).上り(上野・いわき)方面ホーム

(5).下り(仙台・原ノ町)方面ホーム

(6).上下線ホーム間の線路上に流された車

(7).架線、給電線帰線等は何処へ?

(8).レール締結具はパンドロールに交換済み(ボルト締めではないバネ型)

(9).津波に剥がされた上りホームの縁石

(10).ホーム上屋から落ちた停止位置票

(11).下り(仙台・原ノ町)方面ホーム

(12).富岡駅下りホーム先端

(13).津波被害後に描かれたトイレ外壁の落書き

(14).富岡駅前広場入口より

(15).富岡駅前広場入口脇

(16).海岸側から富岡駅。この原は町並みだった!

(16)’.同、海側

(17).福島第2原発排気筒と建屋@富岡海岸

(17)’.北側、崖上の数キロ先が福島第一原発@富岡海岸

常磐線小高駅(原発事故休業中:北側)  <cf4>


(18).常磐線小高駅(原発事故休業中、北側南相馬市小高)

(19).避難命令で小高駅に残った高校通学用自転車

常磐線浪江駅(原発事故休業中:北側)  <cf5>


(20).浪江駅↑

(21).(22).原発事故緊急避難命令で配布中止・販売店内放置の 2011/03/12朝刊←毎日新聞、福島民報→


(23).浪江新聞販売所

(24).

福島第1付近常磐線  <T1>

駅 名距離程
km
備考
仙台
   ↓
亘理
   ↓
新地
駒ヶ嶺
   ↑
相馬
日立木
鹿島
原ノ町
   ↓
磐城太田
小高
   ↓
桃内
浪江
双葉
大野
夜ノ森
   ↑
富岡
竜田
木戸
   ↑
広野
末続
久ノ浜
四ツ倉
草野
いわき
366.5

340.4

321.6


312.8


292.7

288.2
283.3

279.3
274.4
269.5
263.7
258.8

253.6
246.7
243.6

238.2


225.0

215.2



不通5駅37.8km
相馬新地火力
こまがみね


にったき


不通10駅54.5km


(立入禁止5駅)



●第1原発

(立入禁止)
第2原発


(不通)
発電所増設
すえつぎ
ひさのはま



上野-仙台間362.9km中の
計15駅92.3kmが不通



機敏な自主判断避難で全員無事だった浪江町立請戸小学校  <cf6>


(25).請戸小学校校舎入り口に設置されたこの地域地図が 高台の森の中での空間把握を助けて全生徒無事に繋がったか!?

 大震災当日、海岸から近い浪江町立請戸小学校の生徒達はすぐに800mほど西に離れた高台に避難して、海岸線を振り返ると津波が護岸を越えるのが見られました。
 そこで、裏道に詳しい生徒の案内でさらに西へ高台の尾根伝いに山道1,500mを国道6号まで逃げて、トラックを止めて町役場にピストン輸送して貰って、一人の犠牲も出さずに済みました。航空写真を見ますとその高台に道はなく、幾つか浸食の谷筋も見えていますから、津波を避けて道無き森の尾根伝いを1.5kmも避難したことになります。(Google Earth→「浪江町立請戸小学校」)
 浪江町の津波犠牲者はほとんど請戸地区で発生しましたから、請戸小学校の生徒全員が無事というのは請戸小の生徒たちの積極的避難が大変有効適切だったことを示します。
 この事実は、震災当日すぐに原発事故の避難命令が出て当人たちが散り散りになってしまい、長らく知られませんでしたが、気仙沼の小中学生たちが誘い合って一斉に避難して大津波から無事逃れられたのと同様の範となる行動でした。海からは遠くて津波被害など夢にも思わず、校庭に集合して無為に待ってしまい、近くに高台が有ったにも拘わらず川からの津波に呑まれて多くが犠牲となってしまった大川小など、避難が遅れて犠牲の多かった地域とは対極の行動となりました。

(26).津波襲撃時刻で止まる時計塔

(27).正面玄関

(28).(29).津波襲来時刻15:38で止まる請戸小時計塔。∵親時計水没破損で子時計停止。

(30).?請戸小学校の黒板で警察官が烈しく強調する「治安」とは、事故補償要求や原発反対運動弾圧なのか?学校の板書を消して書きこむとは!酷くずれている
今は、無人地帯に横行する窃盗対策が中心で、治安:反原発闘争取締ではないだろうが! 富岡駅前後などの被災架線・ケーブル類は撤去なのか?盗難なのか?

(31).請戸小講堂

(32).講堂入り口

(33).講堂外壁

(34).請戸小昇降口

大消費地東京に向けた発電所  <cf7>


(35).過酷事故の事故の福島第1原子力発電所遠景@請戸地区

(36).原町共同火力発電所(現地需要負担で首都圏振替にまわす)


(37).(38).東電広野火力発電所から東京圏に向けた長距離送電線。 この発電所の地震損壊で無計画停電となった。
碍子10段毎に黒色、1段の耐圧≒1〜1.1万ボルト∴50万〜55万ボルト送電線路と思われる。
碍子の段数は、概ね1段1万ボルト+塩害防止1段で実態に合います。交流電化2万ボルトは3段碍子。
但し今、100万ボルト回線が日本に2本ありますが、暫定的に50万ボルトで供用されています。
長距離送電技術の粋を尽くす55万ボルト超高圧送電線



(39).黒部水系から関西圏への送電線鉄塔(アメリカ型)@富山県常願寺川付近

(40).東北電力福島浪江小高原発予定地の塔(F1事故後に建設中止決定)

 日本での長距離送電は、電力大消費地である関西圏に向けた黒部水系の電力や、首都圏に向けた猪苗代、只見・奥只見水系などからの水力発電電力を高効率で損失少なく送電するために、その時代に絶縁可能の最高電圧で送電系統を構成していました。電線の抵抗損失が同じなら電圧に比例して電力を送れて効率が上がりますし、同じ電圧降下率なら電圧に比例した距離、電圧に比例した電力を送れるからです。
(サイト「写真で見る上野原」より引用) <cf8>
八つ橋発電所 八つ橋発電所
http://www.uenoharacity.com/special/sakura/8sawahatsu.htm
東京電灯八ツ橋変電所
(「水圧管路」を強調表示。「桜」を強調の原写真参照)
 それが、尾瀬ヶ原全体の貯水池化を図ろうとするほどの無茶苦茶な水力電源立地開発を進めても電力需要に足らないことから大都市周辺での火力発電が「火主水従」の主流に替わり、さらに国策として石炭切り捨て石油切換と原発重視となりました。東京電力から見ると尾瀬ヶ原標高1400mから奥只見湖標高700mの落差分の水力エネルギーを無駄に捨てているというわけですが、それは「三条の滝・平滑の滝(ひらなめのたき)を無くして(=水を取って)電力にしろ!」という話です。
 尾瀬ヶ原の貯水池化反対運動(林道建設反対運動)の拡がりで環境庁を設立させてギリギリ阻止したものですが、発電用水源維持としての尾瀬ヶ原管理はずっと水利権者東京電力kkが担っていて、尾瀬ヶ原貯水池化計画がゾンビ的に息を吹き返す可能性はゼロではありません。
 標高1660mの尾瀬沼には既に堰が設置済みで、電源用水源としての水位管理が行われているはず。尾瀬沼が渇水期も水位を保っているのは東電のお陰なのか?!今は尾瀬三平峠下の大清水で止まっている林道は、福島側沼山峠に抜ける計画でした。「尾瀬ヶ原湖ダム」建設道路です。
<cf9>
 発電には水量Mだけでなく「×落差H」が必要です。M・g・Hが位置エネルギーで、それを電力変換≡発電しますから。中央線大月駅手前の猿橋駅下流付近車窓に見える崖上から真下に銀色のパイプが数本下っているのは水路式の水力発電所の「水圧管路」でして、猿橋の駒橋発電所も、その利用済み水を貰う上野原の「八ツ橋発電所」も、上流から採り入れた水を水路で下流に運び、流れ下る川との落差を作って水車で発電機を廻しています。
 信濃川の水をJR東日本が取水量計器を改竄して、ほとんど全部を発電用に取ってしまい、その区間で流れを無くして糾弾されましたが、それを「尾瀬ヶ原人工湖」と奥只見湖の間の落差700mで盛大にやれる様にしようという話だったのです。(注:具体的な水利計画には「落差」の記述はなく、当面、至仏岳に水路トンネルを掘って只見川水系である「尾瀬ヶ原ダム湖」の水を利根水系に廻す案だったので、福島、新潟など只見川・阿賀野川の水利権者と利害が衝突して、尾瀬の自然擁護の強い反対運動・世論と併せて計画断念となりました。しかし落差は発電の重要要素です。黒部峡谷鉄道の車窓からは線路よりかなり高い位置に発電用水路のコンクリート構体が見えています。あれを尾瀬人造湖(標高1400m余)から奥只見人造湖(標高700m)までの落差700mの間にやられて発電されるだろうってことです。)

 さらにその火力発電の熱源を核分裂エネルギーに求める原子力発電が導入されましたが、それは過酷事故のリスクがあまりに大きいことから東京からは250km以上の遠方僻地に建設して、水力発電並に長距離送電するようになりました。原発が推進派の云う「絶対安全」なら東京に設置すれば良く、10%以上もの送電損失を発生させて福島・新潟から東京に送る必然性・妥当性がありません。原発の遠方立地は、計り知れない大きなリスク対策です。福島県は猪苗代湖での水力発電の時代から電力供給県で、山中・僻地から東京に向けて電力を供給してきました。

 日本で最初に原子力発電所が建設された東海村は東京から僅か100kmそこそこ、茨城の県都、水戸から10数kmであり、人口密集地にあまりに近すぎて、東京用の原子力発電の本格開発は福島・新潟に切り替わり、また最初の実用原子炉が中性子の減速材として地震脆弱性の懸念される黒鉛を積み上げた英国コールダーホール型だったため早々に廃炉とされました。残る東海第2原発も増設は有り得ず陰の廃炉候補です。(原子力発電=熱源が原子炉の非常に扱いにくい火力発電!)
 黒部川水系から関西圏への送電鉄塔は非常にユニークな形状をしていますが(左上写真参照)、これはアメリカで多く使われている形で、関西圏の電源周波数が当初の発電設備輸入先がアメリカだったため60Hzとなったことと密接な関係がありそうです。


被曝牛屠殺拒否で頑張る吉沢牧場  <cf10>


(41).「希望牧場」入口看板

(42).「収容容量を越えている」放射能汚染牛。ボランティアは訪れるが不足

(43).強烈な悪臭は限界以上飼育の排泄物集中に手不足のためか?

(44).放射能汚染飼料で放射能汚染牛の命を繋ぐ。

(45).反原発吉沢牧場街頭宣伝車

(46).牧場を横切る福島第一原発送電線38万ボルト?
[注]  東京電力の送電解説サイトによると、100万V送電線が8導体、50万Vが4導体、27.5万Vが2導体、15.4万V以下が1導体とあり、一方、送電電圧別こう長表では、50万V、27.5万V、15.4万V、6.6万V、6.6万V未満となっていまして、100万Vや、25万V〜50万Vの間の電圧がありません。鉄道や撮影所などかっての第3次変電所や特別高圧受電事業所へ送った20kVは「66,000V未満」となっています。
 表の集計から抜けたのか?低い側に混入させているのか?事情は分かりませんが、[写真46]の特別高圧懸垂碍子38段、4導体は中途半端で、50万Vでは碍子段数が足りず、電圧規格通りですと25万V(送電端27.5万V)では、碍子段数が多すぎて勿体ない、・・・・東電が公表した規格表にはない電圧38万Vで最大電力を送っているのでは・・・・と思うのですが。
 なお、10%増しの半端な電圧規格は送電端での呼び電圧で、送電途中の電圧降下で受電電圧になるという規格なのですが、50万Vと100万Vにはその+10%が無く、電圧降下損の前提が従前より小さいのかも知れません。


現憲法の礎となった新憲法案取りまとめ:故鈴木安蔵邸  <cf11>

GHQが鈴木安蔵取りまとめ新憲法案を採用して現憲法原案を作ったと思われる。

(47).手前側土蔵部が地震で崩壊し撤去済み

(48).同様に倒壊した隣家土蔵

(49).人の居ない街:鈴木安蔵邸先

(50).人の居ない街:鈴木安蔵邸先

津波・原発事故被害(補足)  <cf12>


(51).福島第1原発遠景

(52).放射能モニタリング・ポスト

(53).浪江町役場

(54).双葉町役場付属文化施設.維持費も出せない箱ものを作らせ原発増設に縛る

(55).請戸大橋旧橋橋脚(橋桁は撤去済みで被災)     (56).津波に流された浪江町請戸地区市街地跡      

(57).崩壊した護岸@請戸

(58).崩壊した護岸@請戸

(59).大地震の地盤沈下で水捌け不良

(60).津波で土台だけ残った!

(61).J−ビリッジ原発作業集結所

(62).J−ビリッジ合宿棟

(63).大地震襲撃時刻で止まった時計@富岡駅前通り

(64).富岡駅西、駅前通付近

(65).←運動拠点高教組事務所、 (66).(67).夜ノ森駅東立入禁止柵(越えると報道取材でも逮捕される国家秘密法先取り体制)

(68).除染土置き場に解放した宝鏡寺の福祉施設の田圃と常磐道

(69).宝鏡寺境内:反原発建設運動の先駆者

(70).一部残った魚市場@松川浦港

(71).原釜尾浜海水浴場に残った見張り塔@松川浦港

(72).請戸漁協2階に小舟が突入

(73).請戸地区

(74).家が流されずに残っても立入制限で修理できない

(75).家が残ると原発補償対象、流されると補償対象外!

(76).IHI相馬工場@新地工業団地.左端奥は新地火力発電所
航空機ガス・タービン製造.田無(西東京市)より移転

(77).未来畑SOMA:工業団地案内図@団地展望台
水色地域がIHI相馬工場。(F1原発圧力容器など製造)

(78).相馬共同火力新地発電所

(79).阿武隈山地の115号中村街道峠付近のアイスクリーム屋

 視察当日は多摩モノレール添いの宿を05:30に出て始発電車で北側終点上北台駅に集合してワゴンに分乗、6時過ぎに常磐道いわき四ツ倉・広野に向け出発、四ツ倉SAで他班・南側被災地の説明ボランティアと合流、福島第一原発南・西側の双葉町・富岡町・第2原発遠景を見て夜ノ森駅先の北限柵まで行き、いわきJCTに引き返して磐越道で山越えして郡山から東北道を登り、福島から115号中村街道で再び雪が残りミゾレ舞う3℃〜1℃の荒天に山越えして相馬駅前のビジネスホテル泊、全面賠償訴訟団と交流。

 翌日は北側の松川浦新漁港から南相馬、浪江町と廻って激甚津波で跡形もなくなったままの請戸地区を見て、IHI相馬:石川島播磨重工の見える展望台に寄ってから帰路へ。松川浦漁港には大型の斜張橋(一種の吊り橋)がありましたが、津波で橋桁の最高部まで浸水してそこに避難していた12名が亡くなったそうです。この橋から海中の砂州道、大洲松川浦ラインに続きますが、Google Earthの航空写真では、まだ破壊されたままの模様。3度目の阿武隈山地越えで福島に出て東北道を戻って出発地モノレール上北台駅に帰着。そこから立川に出て最終電車1本前に千葉市帰還となる強行軍でした。疲労著しく、中央線各停のお茶の水総武線各停乗換を寝過ごしてしまい、東京駅3階の中央線ホームから階段を駆け下りて地下の総武快速最終電車にギリギリ飛び乗って、ハッと目覚めると3度目乗換の総武線津田沼駅で、運良く終電車1本前に間に合って無事御帰館。松川浦新漁港やIHI相馬まで北上したのですから、すぐ先の、津波で線路までもが跡形もなく流されてしまった常磐線新地駅も足を伸ばせば良かったか!・・・・・・朝6時発・翌日深夜帰着で首都圏渋滞を避けてようやく実現できた日程なので、時間的にはもう一泊になりかねませんでしたが。

[案内要請・連絡先]  <Fine>

 日中は住民の立入が許される居住制限区域に入るには、同行する住民から町役場に申請して貰い「入域許可証」が必要でしたが、原発事故収束作業がリスクの高い燃料棒取り出しとなり、思わぬ事故の際に町が「許可した責任」を問われてる恐れがあるからと許可証発行をやめてしまい、阻止ゲートで入場理由を申告し、車のナンバーを控えてもらい入場するようになりました。責任回避第一優先という、いかにも役人らしい理由で苦笑。事前の申請手続きは関係なくなりました。「視察」、「見学」で通れますので一行に住民が混じると事実上フリーパスです。
 (ボランティア案内の方々に実費+α活動費をカンパして来ました。運動体はどこも持ち出しでカラケツ!)

 長期に続く壮絶な親子喧嘩マンガ「おいしんぼ」年末・新年合併号に、次号で富岡の被害状況見学に行くことになる場面がありまして、「警戒区域に指定されてる」「立入禁止だ」って、案内をしてましたが、まさに、そこに行ってきました。
 掲載誌はビッグコミック・スピリッツですが、細野不二彦の「ギャラリー・フェイク」が終わってからは買わなくなりましたねぇ。
           2014/01/03

2013/12/27 23:55

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福島第1・第2原発周辺地図


(昭文社ライトマップル関東道路地図34,37部分2013年2版1/200,000.地図上の升目は横7.5km,縦5.5km)
データが若干古いかも?∵IHI相馬や相馬共同火力新地発電所が未掲載か?Google Earth既掲載