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Geo日記
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[162].車掌晒しはJR西自身に非難が返る!
     社を代表する立場にない車掌は社として謝罪できない

 このほど、尼崎事故に遭遇した車掌が書いた事故当時の状況を記した手記をJR西日本が遺族、被災者に配っていたと報じられたが、また会社の言い分と報道がおかしい。車掌手記に謝罪がないという非難の合唱になっているが、手記の主旨自体が事故の事実報告として書かれ、被災者、遺族に少しでも状況を伝えたいという善意から書かれており、被災者、犠牲者への態度表明は別に行う前提になっている。車掌が会社としての謝罪の意を表すべき立場にないのは明白であり、謝罪項の有無は会社がその資料を被災者と遺族に渡すときの添え書きの問題だろう。それをなぜアベコベに「これで良いのか?と確かめた」という責任転嫁の弁明が出てくるのだろうか?またマスコミもそれに乗って車掌を責めているが、車掌業務として無線連絡中に減速不操作・過速度のチェックなど万に一つの可能性に過ぎず、通常は出来るわけがないだろう。事故後の若干の不手際は別として、事故発生責任はない。運転士が過走距離報告をまけてくれと車掌に頼んでいるときに、安全確保から見れば後回しでよい謝罪放送を求めて割って入った馬鹿な乗客が居なければ「8m過走」報告の意思は伝わって運転士が列車無線の交信に集中してブレーキ扱いを忘れるような事態は起こらずに済んだかも知れない。謝罪より過走という思わぬ事態への安全対応が先だろう。

 人気アーティストの中には、楽譜が読めない、書けない、音楽理論などやったこともない人は少なくない。それは美空ひばりが有名だったし、シンガーソングライター小椋桂氏は作品をテープにしてアレンジャーに渡すのも有名だが、大ヒット曲「シクラメンのかほり」など歌詞のメロディーとしては不完全終止にもなって居らず、これをアレンジャーが後奏で繋いで曲全体として終止させている。くだらない学校音楽のテストじゃあるまいし、それで足りるのだ。JR西日本も事故当事者乗務員の詳細な状況報告が得られたら、責任を持つべき会社としてちゃんと必要な尾鰭を付けて完成させて遺族、被災者に渡すべきもの。謝罪は会社が行うものだろう。何を考えているのだろう!?週刊誌などマスコミもかなり不見識だ。
 JR西日本の対応を見ていると非難を車掌に誘導して自らは逃れたいように見えるが、車掌への非難の高まりは同時にそれ以上にJR西自身への非難に転化するわけで、却って追い詰められるだろう。先の丸尾副社長発言で懲罰的日勤教育全面擁護で改めて世の非難を集め、事故調には歯に衣着せぬストレートな非難を報告書に書き込む決意をさせた愚をまたも繰り返そうとしている。
 一部被災者が怒りのコメントをしている。怒りをどこかにぶつけないでは居られない気持ちは理解するが、落ちついて考えればそれは本来JR西日本に向けられるべきものだったのはいずれ理解されるだろう。

適応障害とは  <PS>

# 車掌氏が陥っている「適応障害」というのは、皇太子のカミさんと同じ病気だが、耐え難い心身の過負荷の連続で、身体が過剰に防衛反応を起こし疲労困憊するなどして日常生活ができなくなる機能性疾患である。酷い睡眠障害で鬱症状が現れ、金縛りだの幽体浮遊体験だの、悪夢と混じった妄想だののややこしい体験をして消耗することも少なくない。
 対応法は、体の部品故障=器質疾患とは違って投薬や切ったり貼ったりでは治せず、まず心身の負荷をブロックし、充分な休養で急性の疲労を癒し、次は患者本人が自信を持って動ける範囲を探して成功を経験させ固定することを繰り返して一つずつ自信を回復させ、同時に次第に規則的な生活を確立して気の向いた運動を重ねて体力をつけて治していくものだ。患者の希望であり、その成功で自信が付くものなら一般的には高度の課題でも一向に差し支えない。本人の希望次第である。(「外交で力を奮いたい」という希望は憲法で厳禁されている皇室の政治関与でありこれは叶えられない希望だ。籍を抜いて外務省嘱託にでもなれば別だが。)
 患者の好調不調の波は大きく、朝・午前中や驟雨、梅雨の低温期では酷く落ち込んでしまったり、ストレスの場から遠く離れると驚くほど快調ではしゃいだり、患者の得意の作業では常人以上の能力を発揮して自信回復に繋がったりと、一般の体の部品の病気治療の常識とは懸け離れた見方での回復訓練が必要となる。その時その時の体調次第でドタキャンなど当然だし、ストレス環境から遠く隔離されたオランダで驚異の好調・回復というのは当然の話なのだ。皇太子のカミさんに対しては適切な治療回復措置が実施されている。東大指導を離れたのは正解だ。
 これらを新潮など無知な右派週刊誌や有象無象が攻撃して潰しに掛かっているが、どちらへの攻撃も人道問題として厳しく指摘・糾弾する必要がある。それは患者当人には無理なので、医師や労働組合が前面に出て解説し周囲や世論を説得し続ける必要がある。JR西労が車掌氏を断固ガードしているのは労組として大変妥当な方針だ。さらに多様なリハビリに労組として噛めると尚良い。会社と職場全体に病気治療の一環として、患者本人の望む散歩やピクニック、運動、山歩きなどが非常に有効なことを医療機関の助けを借りて示し、患者が気兼ねせず堂々と表を行動し回復訓練できるようにすることが必要だ。

 全く同構造で発病する過労性労災患者ではその認定闘争と頑迷な会社の説得と職場復帰に数年、完治に10年近く掛かっていて多くは職場復帰で解決出来たが、患者発生当初は対応法が良く分からずに患者の支え方に不足を生じ治療途中の退職者も何人か出してしまった経験がある。個人課題を扱わない傾向のある鉄道関係労組だから、扱いに慣れないのかも知れないが、関西なら疲労性労災多発地帯として患者の職場復帰を成功させた経験を持つ民間労働組合や医療機関は多数あり、その経験に学んで職場復帰→完治を実現させて貰いたいものだ。

個々に異なる未確立の治療法

 # 機能疾患でやっかいなのは、数値的に捉えられない部分が多くて付けられる病名が出会った医者の見立てて決まってしまう傾向があり、適応障害とか自律神経失調症、あるいは激疼痛を捉えて頸肩腕障害背腰痛症とでも言って貰えると治療して職場復帰に向かいやすいのだが、反応性鬱病だとか、特にトホホはノイローゼだとされると文句なく私傷病扱いで完治に苦労することになる。具体的症状から病名レッテルを貼る訳で、診断の医師の社会的経験・洞察力がもろに問われる問題である。頸腕障害なら業務起因性の立証次第で労災認定で治療できる可能性も大きいが、他は同じ構造の病気なのに自殺でもしないと認められないのが普通である。過労死と表裏の関係で貼り付いているといって良い。激疼痛を訴えられる頸腕障害が会社や周囲の非難・攻撃を避けやすいので患者もこの症状を強調して一番治しやすく職場復帰し易いのが実態であるが、痛みの治療では治らない。必死の体力回復・治癒の努力にフィットネスクラブに通い水泳をしていたことをもって厳しく非難されてしまい、その誤りの説得に年単位掛かったこともある。それは会社側窓口氏が採用キャラバンの出張先で蓄積過労で倒れて2ヶ月近く休業治療となり身を以て労災患者達の病状を体験したことが切っ掛けだった。

多数の患者が切り捨てに遭った

 労働省はそうした継続治療の必要な患者約2400名への労災保険給付を一斉に打切り、それを合理化するために治癒認定宣言により労災治療中の解雇制限を取り消してほとんどの打ち切り患者を解雇させている。労働省が労働者保護の役割を投げ捨てて経営側の手先になった犯罪的大事件だった。
 私の職場では、左派系組合が御用組合員患者まで含めて労基署に対して労災認定と打ち切り反対闘争を仕掛けて打ち切り時期を延ばしてその間に短時間就労リハビリに持ち込み、審査請求、再審査請求を起こしてその間の身分保障を認めさせ、国の方針として無条件で打ち切り治癒固定認定せざるを得ない審査官には「あと○○年で完治の見込みだから、打ち切りをひっくり返せないんなら余計なことをしないで寝かしておけ!」などとトンでもない交渉をやって目を白黒させ、再審査請求が却下されて解雇制限がなくなったときには、労災補償打ち切りで解雇制限を解かれた患者全員が既に完治就労していて首切り出来なくしていた。後日、却下した労働保険審査官に患者全員の完全職場復帰成功を告げると大変喜んでいたとか。だったら不当な治癒認定をひっくり返せば良いじゃないかとは思ったが、経営者のための労働者攻撃省化した労働省方針を労働保険審査官一人の判断では覆せなかったのだ。
 しかし短時間就労の減収分は大きく、これを少しでも埋めさせるため「治癒固定認定時の障害等級認定」を請求、自費治療で回復した分で障害認定するならその時点まで打ち切りを撤回せよ!と労働省の暴挙を責めて若干上位等級補償を認めさせ、その労災補償付加給付として会社にン100万円を支払わせたのだった。この障害認定診断には監督署も嫌がらせをして女性患者に下着シャツを全部脱がしていた。後遺障害認定診断にに衣服を全部脱ぐことは必要ないことだ。役人には社会保険庁だけでなくこうしたクズが少なくない。尚、5000タッチ制限と45分打鍵15分休養というのが今マスコミの攻撃に晒されて居るが、これは専任のキーパンチャーに対する頸腕障害防止の最初の労働省基準であり、その時点では必ずしも不当なものではない。コンピュータ操作というだけで固まってしまい退職勧告の役割も果たした時代のことだ。その後の対応が酷すぎるが。

2007/06/16 20:00
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