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主目次
速度エネルギーは重量比例
重量級EVでは省エネに逆行
純電池自動車EVが、CO
2
非減少、充電問題、寒冷性能極悪、高価、で行き詰まってしまい、実需要がハイブリッドEVに集中しているのは数値的・科学的に見れば当然であり、「内燃機関禁止、純BEV一択政策」が反科学の政治的決定であることを示しているが、これまでに欠けて居る論点として、総質量(総重量)が抜けていて、大重量の純電池EVはさらに低評価となる。 マスコミは根拠の無い、事実に反するBEVブームを捏造し煽ってはいけない。 (
急速充電過大負荷は
日記#297
参照)
電車の省エネは軽量化が卓効だった
他分野である鉄道車両を見ると、JR東日本の通勤電車209型/E231型の車内には「この電車は従前の48%の消費電力で運行している」旨のステッカーが貼られているが、物理的根拠は3項目あって、従来の通勤電車103型の車体重量が40数トンなのにたいして、209/E231型は30トン以下で、加速電力量が重量比例で少ないことと、電力回生制動を高速域から働かすことが出来る、さらにインバータ制御(周波数F−電圧V比例制御)で原理的に起動抵抗損が無いためである。
電力消費48%化の数値的根拠を推定してみると、乗客荷重を0人〜150人(0〜9トン)と仮定してそれぞれ算出すると
[無荷重] 重量比例を仮に28トン/43トン=0.651(=65.1%:34%減)として、最高速度を90km/h、抵抗制御の上端速度30km/hとすれば、起動時直並列制御での抵抗損は最高速度エネルギーの(1/2)×(30/90)
2
=1/18(=5.6%)、軽量化分を考慮して、5.6×65.1%=3.651%だから、それだけで61.4%(=65.1ー3.7)のエネルギーとなり、残りの23.4%を電力回生制動で回収して他で使って「48%の消費電力で運行」
[150人荷重] 重量比例を仮に(28+9トン)/(43+9トン)=0.712(=71.2%:28.8%減)として、最高速度を90km/h、抵抗制御の上端速度30km/hとすれば、起動時直並列制御での抵抗損は最高速度エネルギーの(1/2)×(30/90)
2
=1/18 (=5.6%)、軽量化分を考慮して、5.6%×0.712=3.99%だから、それだけで67.2%(=71.2−3.99))のエネルギーとなり、残りの19.2%(=67.2−48)を電力回生制動で回収して他で使って「48%の消費電力で運行」
ということになる。荷重0で計算している可能性は低いから後者150人9トン荷重の試算を採用する。
JR東日本の209型/E231型電車の
省エネの主要因は車体全体の軽量化
であり、電力回生制動による省エネ効果はその半分前後であることが判る。
かって「省エネ電車」という触れ込みで導入された国鉄「電機子チョッパー制御」201系に、省エネ効果が殆ど無かったのは、軽量化されなかったためが主で、起動抵抗損5.6%減少は僅かなもので、しかも高速域の回生制動電力の一部を直列抵抗器に消費させて回生動作範囲を拡大させていて、電機子チョッパー用の大電力半導体使用の装置は当時は非常に高価だったが省エネ効果は僅少だったから、中央線通勤電車を201系に置き換えたほかには関西の国電に進出したが、あまり配備されなかった。
それに対して私鉄各社は「界磁チョッパー制御」として分巻界磁制御のみの小容量半導体による安価装置にして、省エネ寄与率の低い起動時は抵抗制御のままだが、運動エネルギーの大きい高速領域での回生制動を行って安上がりで省エネ効果を出した。 だから走行モーターは回生制動制御用に分巻界磁を設けた複巻電動機が必要になった。
国鉄末期の205型「界磁添加制御」の基本は、起動時は抵抗制御のママだが、回生制動時に直巻界磁を励磁用低電圧大電流の別電源で駆動して実質分巻界磁化して、直巻電動機そのままで回生制動したことで私鉄の界磁チョッパー並みの省エネ性能と、分巻界磁を用いる私鉄型回生制動の弱点:電圧急変での閃絡などのトラブル発生を回避できる高速応答性を得ている。 国鉄205系の省エネ性能は軽量化と次いで高速領域での回生制動が主要因で生じている。
鉄道趣味誌にはこうした動作構造整理は無いし、非常に高価なのに省エネ寄与率の小さい電機子チョッパー主体201型開発の国鉄系としては、安価で電力回生率の大きい私鉄方式=界磁チョッパー採用は沽券に関わると思ったのか?国鉄車には長期に採用しなかったが、界磁チョッパーの弱点である分巻界磁の応答の遅さによる事故頻発を、直巻界磁巻線の低電圧大電流別電源分巻励磁で回避する「界磁添加制御」方式と称して、遅まきながら実質分巻界磁チョッパーに参入した。 この経過は実用上の大枠では高価な国鉄・営団型電機子チョッパーより私鉄型の界磁チョッパーが優れていたことを目立たなくしたかったように見える。国鉄は既に私鉄で使われ枯れて安定した技術を採用する傾向があり、画期的と言われた新性能国電も私鉄で実用化された技術の集大成であった。新幹線開発でも同様に実績の無い新技術をなるべく避けて、枯れて安定した技術を追っている。 回生した電力は架線を通じて他の列車の走行電力に使われる。
なお、他に走行列車が無いと回生制動は効かなくなる(=回生失効する)から稠密輸送区間でしか回生制動方式を使えない。 だから寝台特急電車サンライズ285系の制御装置を基に作られた深夜走行主体の貨物電車M250型には回生制動機能は無く、発電制動の負荷抵抗器を搭載している。初期の回生制動車も回生失効に備えて負荷用の抵抗器を積むものが有った。 最近ドイツで回生制動採用の中国製車両の採用が見送られた原因である。
発電所に回生電力を返されても電力利用はなく、交流電化では発電時の余裕エネルギーとして捨てられるだけで、直流変電所では整流器に逆阻止され回生失効する。現に山陽線瀬野八本松や信越線碓氷峠では大昔から回生制動が使われていたが、変電所に回生電力消費負荷装置を設けて熱として放出させたり、変電所の電力計には逆転防止機構を付けていたとか。 電力会社にとって不安定な回生電力を返されても捨てるしかなく、微視的には有り難迷惑な電力なのだ。多数の回生電力利用で平均化されて結果的に使用電力量=利用エネルギーを減らせる。 むろん、需要家である鉄道事業者は列車本数が多ければ回生した電力は、内部融通として他で消費され総電力量を減らすことが出来る。
起動-停止毎に最高速度の運動エネルギーを供給
[ストップ&ゴーの繰り返し] 自動車でも都市走行では特に交差点毎のストップ&ゴーを考慮する必要があり、加速の都度に質量に比例する大きな運動エネルギーを供給する。減速・停止時に「電力回生制動」を行って速度エネルギーを回収して蓄電池に貯める試みはあるが、発電と充放電での入出力損失が多いのと、「回生失効」で回生制動有効範囲がかぎられて捨てられるエネルギーを生ずる。
速度エネルギーEは質量M×速度
2
/2
∵
仕事(エネルギー)E=力F×移動距離L、力F=質量M×加速度α、速度V=∫ α dt→加速度α×時間t、
移動距離L=∫ V dt=∫∫ α dt
2
→(1/2)加速度α×時間t
2
だから、
簡易に等加速度運動として計算すると
E=F×L=Mα×(1/2)α t
2
=(1/2)M(α t≡V)
2
=(1/2)MV
2
質量×速度
2
/2 となる。
日本の軽自動車の重量はおおよそ600kg〜900kg余、昔日の軽名車スバル360で385kg、ハイブリッドEVであるプリウスが1100〜1200kg程度、テスラが2000〜3000kg台だから、街中での辻毎の加速に必要なエネルギーは質量比例となり、テスラはプリウスの2〜3倍、軽自動車の3〜5倍もの大エネルギーが加速毎に必要となる。 排ガスはエネルギー消費比例が基本。
3〜5倍の重量のテスラが軽自動車より環境負荷が小さいことなど有り得ない
デマ宣伝である。
電池:化学反応は低温に激弱
<2>
日本の自動車で「寒冷地仕様」というのは、低温時のバッテリーの能力低下で始動出来なくなるのを避けるため、温暖地用より大容量のバッテリーを積んでいる。オイルを寒冷地用に換えたり、冷却水に不凍液を用いるのも寒冷地仕様に限らず一般に行われる寒冷対策である。 エンジン始動後は発電機の電力で動作しバッテリーに浮動充電するからエンジン始動さえ出来れば運転は継続する。 低温で起動不能時には、他車からバッテリーコードを繋いだり、充電器を繋いで電池を回復させて始動を試みる。
電池動力の場合は、低温による電池能力低下がもろに影響して、最大出力減、容量減を起こすから、−10℃〜−20℃の屋外での化学電池常用使用に元々の無理がある。 化学実験でも反応速度が絶対温度の3乗〜4乗に比例することは良くあり、温度管理が実験上の注意として指摘されている。 極寒のノルウェーやカナダで政策として純バッテリーEVを主軸にするなど考えがたい愚行である。
私自身の直接体験でも、低温は化学電池に使用不能の著しい性能低下をもたらす。
雪中の寒さで動かないモーター・ドライブ:電池を懐で暖めて撮影続行
我が某社で多発した蓄積過労性労災:頸肩腕症候群患者の体力回復リハビリの一環として休業加療中の患者数人と厳冬の山中湖にあった会社宿泊施設(借り上げ民宿)に泊まり込んで周辺の峠や周回道路を高原散歩&サイクリングしたのだが、降雪の低温と重なりカメラが冷え込んでしまい、モータードライブが唸ったまま動かない。湖面標高980m〜峠1100mでの寒気は実に厳しい。 新しい電池でも駄目で、電池を懐で暖めては撮影を続行した。暖めても10分もすると停まるのだ。 化学電池は低温に弱い!と実感した最初の経験だった。
坂を登らないアシストバイク:電池を屋内充電収納
早朝の新聞配達を週1日引き受けたが、厳冬の未明にアシストバイクで標高差20mの坂を3回ほど登るとバッテリー上がりでアシストがなくなってしまう。 最も性能の良いリチウム・イオン・バッテリーなのに、寒さで走行距離が激減して、酷いものだった。 以降、電池の屋外放置を避けて前夜から室内で保温しフル充電して極寒を乗り越えたが、ガソリン・エンジンのような自由な使い方は出来ない、と判った。 純BEVは、毎夜充電して、近隣通勤などに使う補助的乗り物と思った。BEV一択策は実質日本車排除政策であって強行しても各所で実施不可能なのを見落とした謀略だった。
保温の必要な印刷機
我が某労働組合は週に5〜6回の工場門前朝ビラを配っていたが、蝋原紙の孔版印刷で夜な夜な2500枚〜800枚を印刷。 寒冷期にはインクの粘度が上がって原紙切れを起こし易くて同文で3〜4枚ガリ切りするなど大変な苦労をしていたが、印刷機本体にサーモスタット付きヒーターを内蔵させて印刷ドラムとインクの保温を図ることで、丁寧に扱えば1〜2回のガリ切りで済む様になった。後年、謄写FAXの導入(ビニール原紙化)でほぼ1回の版作成で済む様になったが、それでも長い直線部は破れやすかった。環境温度はそうした操作性に大きく影響した。化学反応である電池ははるかに低温耐性が悪くなる。
CO
2
回収装置、高効率、低公害エンジン、桁違いの充電電力インフラなど
自動車は、高圧縮率、高効率、低公害エンジン、CO
2
回収装置などの実用化で対処することになるのだろう。 発電所での損失と送電配電損失、電池充放電損失を加味すれば、純BEVよりも高効率の内燃機関に軍配が上がるのも不思議ではない。 まして電池製造廃棄を含めた総合では純BEV方式の優位は全くなくなる。 石炭厳禁政策も失当で、妥当な管理指標として単位出力エネルギー当たり(たとえば[/kW時][/kJ])のCO
2
発生量で見なければならない。 現状、CO
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が大量に発生する天然ガスと石油は使い放題で、石炭だけ禁止というのは情緒的・非科学的で妥当な規制政策としては通らない。一種宗教的ドグマに陥ることもある環境運動に対して、政治は科学の力を借りて適切な一定の距離を置く冷静さが必要だ。
科学的に妥当な方針が必要
本来は政府が頑張るべき仕事であり、「2位じゃダメなんですか!?」の民主や、パフォーマンスの新撰組・維新、野合の自公などは頼りようが無いが、不破哲三前議長が東大物理、志位和夫議長が同応用物理、ノーベル物理学賞益川敏英氏を抱えた科学力に優れた共産党が、科学の立場から環境運動などの思い込みの誤謬を糺せるはずなのだが、認識の是正に頑張って貰えないだろうか?と思う。 (中にはアホ東大も居るが、不破、上田耕一郎、志位は本物。尼崎事故ATS-S存続で鉄道局に誤魔化された菅直人議員
(Click!→議事録)
の超東大:東工大応用物理は政治学科が専攻だったか(笑!?続く穀田惠二質問がその失点をカバー
(Click!→議事録)して
小泉首相は規則再検討を約し翌年春、質問点を採り入れた国交省令の鉄道技術基準改定が発表されたが)
尼崎事故ATS-S存続での菅直人議員質問
https://jtqsw192.nobody.jp/DOC/tohron/050516kan.htm
私鉄ATS機能通達と国鉄JR適用除外の矛盾、穀田惠二質問
https://jtqsw192.nobody.jp/DOC/tohron/050516kokuta.htm
米原潜放射能汚染水監視の虚偽:分析化学研究所の放射能計測データ捏造問題を1974/01国会で厳しく追及する不破哲三書記局長の生き生きとした質問に「根は物理屋さんだなぁ!」と感心したものだった。
品鶴貨物線の旅客横須賀線化騒音問題では共産党東京都大田地区委員会(区議&都議候補)が噛んで平行する新幹線の騒音対策予算の適用などを引き出して概ね妥当な解決をさせている(物理的には『さすが新幹線!』で現場は都内の減速区間でもあり都心としては静かなもので、騒音の主力は横須賀線113系、轟音モータMT-54の高速運転音だったのだが、現場が新在2階建て線路だったから知恵者が現れた。現E217/E235型ではもっと静か)。
大団地直近に駅を作ることに反対してバス連絡の孤島化させた愚劣・無思慮な市民運動が幾つかあるが、こういう「市民」には出来れば影響力をあたえて貰いたかったが、「市民」の実態が狂信的な反日共極左勢力だと逆効果か。京葉線千葉市幸町団地駅設置断念はどちらだったろう?自己承認欲求で運動を起こし政治がそれに乗って、非科学的なドグマが押し通されてしまうのは問題だ。
学術会議議員6人の任命拒否問題も、公安警察に共産党系だと思われた学者たちの違法な排除の模様で、ノーベル物理学賞&平和アピール7人委員会の軸、湯川秀樹、朝永振一郎までアカ認定されて居そうな安倍晋三統一協会・公安警察特高路線は実に困ったもので、後継管義偉首相も安倍前首相の決定を中止せず実行してしまい、岸田文夫首相も是正任命出来なかったが、1名を除き臨時任用議員として会議に参加しており、自民極右勢力による学術会議解体を許さず、正規任用の正面突破で行って貰いたい。 自民候補の選挙カーに乗ったノーベル賞受賞者は文学賞の川端康成唯一人!(自民保守側都知事候補波多野章元警視総監の応援演説。直後に謎の自殺)。 益川先生は2度にわたって共産党中央理論機関誌「前衛」に自身の研究分野の学術啓蒙記事を載せていて(w、超多忙の京大職員組合3役時代の研究業績でノーベル物理学賞を受賞。 教育課程が物理学を徹底的に嫌って高校での履修率をかっての80%台から20%弱にまで減らし、「万世一系の伝統に根ざす文学」ばかり賞揚する政治思想的背景だろうか?かっての「技術立国」は、基礎教育の点で大きく揺らいでいる。
疑われただけで抗弁出来ないキャラ!
李下に冠を正さず!か
<3>
かって常連だったスナックで、呑み仲間のイヴェント販売会社社長氏と某タレントの不祥事をサカナに「お互い疑われただけで抗弁不能のキャラなんだから気をつけようなぁ」「ギャハハハ」と笑いあったのだが、その後起きた松本人志事件など、見るからに下賤民アウトローキャラが、見た目通りの事件を起こしたのだから裁判など起こしても潔白証明はほとんど不可能だと思っていた。 案の定、訴訟の自発取り下げに追い込まれて、潔白ではないことを自ら明らかにしたが、未だに復活を策して悪足掻きしている様だ。 中居正広事件は発覚時に「もう金を払って
解決しているから、今後の出演は問題ない
」と言い放ったことで批判世論に火を付け炎上させて、対応要求を高度化させた。 「出演は問題ない」のは加害当人の切なる要求だから、当人自身からは、あからさまに表に出してはならず、取り敢えずは釈明、謝罪までに留めて冷却期間を置いて動向を見極めてから次の一手に行くべきだったろう。
芸能界は、かっては河原乞食、エタ非人と被差別階級として蔑まれて、日常的に夜伽を迫られる賤民階級だった役者の尻尾が付いたままの過去を引きずって、やくざ支配とか枕営業だの様々の事象がフツーに存在するようで、不用意に近寄った一般人が被害に遭うのは珍しくない様に思えた。
地方公演には土地のヤクザ暴力団介入が付きものだからと拒否して、ラジオTV出演の他は、労音・労演・自主公演などヤクザに無縁の領域しか出演しない著名タレントも居たくらいである。
演歌の女王美空ひばりは事実上暴力団山口組の歌姫となっており、トラブル会見で山口組3代目田岡一雄組長と並んで記者会見したこともあった。NHKがひばりを長期に出演禁止にした事件だった。
不当とはされない行為との境目が非常に曖昧で、一般常識とは大きくズレた芸能業界の許容範囲が存在する様だ。 新年から始まったNHK連ドラ「蔦屋重三郎」は徳川将軍吉宗・田沼意次・松平定信時代の遊郭「吉原」が舞台で、遊郭振興プロデュースのエピソードを多く含んでいて、引いてみれば主人公蔦屋重三郎(蔦重)は遊郭運営スタッフ:忘八者(ぼうはちもの)だった訳だ。世界に冠たる浮世絵作家を多数世に出した大功績者とはいえ忘八者生活も描くとは、NHKも近年サバけてきたものだ。
背景である「吉原」の描写にも「投げ込み寺」などの過酷な実態が表現されていたが、韓国慰安婦問題、募集工問題は、日本人とほぼ同律の過酷・非道な扱いだったのは確かだし、朝鮮人差別意識が日本人にあって、関東大震災時の朝鮮人虐殺に繋がることも確かだが、一般の労働現場では朝鮮人差別として酷くされたのではなく、また募集工は自発就労で募集定員を大きく超えていて強制連行ではなかったし、戦時体制の厳しいノルマ達成に日本人も陣頭指導として混じって同様の重労働をしていたことは間違いないようだ。
朝鮮の1桁の識字率向上に、それまで、不当に蔑まれて使われなかったハングルを発掘普及したのは日本治世だが、朝鮮への西欧近代学問の普及には、大量の和製漢語をそのまま移植∵西欧新概念の翻訳に造語が必要で、学術用語、科学技術用語の朝鮮語を和製漢語に担わせることとなった。複数の漢字で構成される和製漢語採用は中国、台湾を含む漢字圏に共通だった。 それなら学術分野、専門分野は日本語のままで扱っても差は少なかったから、西欧近代概念の単語のある言語が使われるのは必然で、実用的には日本語強制の必要はなかった。 35年間の日本統治で終戦時の朝鮮の識字率は数%から約70%に向上したと言われている。また、現代中国単語の50〜70%が西欧発祥学術由来で和製漢語が採用されている。 そうした経過を無視して、実は中国起源で朝鮮から日本に伝わったものも多い漢字を、「漢字は日本支配の残滓」として観念的な反日意識を優先させて全面禁止してハングル統一を強行したから、現在の韓国語は和製漢語由来の同音異義語だらけで判別出来ない、先人の古い資料も読めない状況にある。日本だと激しい反中国感情を持った人でも利便優先で「中国由来の漢字禁止」などとは言わないし、考えもしない。AHOかと!
西欧近代文明導入にあたり、殆どすべての翻訳を試み和製漢語を作って解決、それが漢字文化圏の中韓にも普及した日本が例外的で、日本人が外国語が苦手だというのは、ほとんど総ての学問を日本語で学べる環境であることの裏返しである。私も大学の英語成績「可」ながら希にはアメリカ発の先進技術は原語で読むこともあった。他の植民地でも学術の元となる宗主国の西欧言語が普及せざるを得なかったのは支配欲などの悪意からだけではない。
慰安婦問題の主たる側面は日朝共貧困問題絡みの身売りのようで、朝鮮人だからの差別的扱いとは違う。朝鮮にも王朝時代から遊郭相当のキーセン街は多数存在していた。 戦争末期に行われた徴用による強制動員は日本人徴用よりかなり遅れたが、制度適用としては日本国民扱いの平等措置だから、1910年の日韓併合条約の効力を認めるかどうかに帰着するが、日韓の政治問題として現在争っているのは、どうも、そこではないようで、募集工=応募工だったのを、強制動員の徴用工と主張している大きな齟齬がある様だ。
日韓併合後の朝鮮は、米など農業生産と人口が倍化して、義務教育で識字率・就学率とも爆上がり(数%→70%余)で、南部は農業地帯として拡大し人口が増えたが、地勢から工業地帯となった朝鮮北部と、日本本土に職を求めて応募している。
だから直接の強制連行ではないし、西欧植民地では植民地化で人口が激減して滅亡民族も複数あるのに対し、日本との併合・統治でのみ、社会インフラが整備され、人口も生産力も倍化し、義務教育まで実施しているのは、西欧型のやらずボッタクリ植民地支配とは基本が違ったことを示している。
朝鮮での義務教育実施は収奪強化策というよりも、国民の力を付けて豊かにし、税収増も図る政策に、朝鮮を無視した天皇崇拝・日本中心策も混じっていた。 しかし国民としての義務教育、最低限「読み書き算盤」能力取得を併合地・植民地に実施したのは日本だけだろう。 圧政があれば独立運動が勃興する、その基礎的な力を与えるものが教育だ。義務教育は独立志向派にも巨大爆弾を与える措置だから、西欧は支配国の言葉を学ぶことを禁止していた国さえあった。圧政志向でなく国内化・同化だから日本は併合地・信託統治領に義務教育を実施したのではないだろうか。 日韓共に一般国民には過酷だったのだ。
非熟練者が日当が安く、非熟練労働に配されるのは生産上の合理性であり、朝鮮人差別とは言えない。
「『小中華韓国』の民が目下従属すべき民族日本人に逆転支配された悔しさ」というのは主観認識だから民族の上下感覚が消えない限り解決の道がない。「日本は韓国の下にある」という誤認識が日本に広まることは無いのだから、相互に対等平等・互恵しか解決の途は無い。 日本への軍事侵攻『元寇』の兵力の主力は朝鮮だったし、秀吉の明侵攻で朝鮮通過を求めた16世紀1500年代末の戦争は歴史的には存在するが、日朝韓双方の支配の交代で現代には直接の繋がりはない。
その許容境界の適用を間違えると大問題になり、裏社会の許容範囲だと伏せられていく。1年前の松本人志事件に続き、組織的な性上納を疑われる中居正広事件が起きて此奴までもか!と驚いた。 中居には見た目、松本人志のような強い「見るから感」はなかったから特に驚きだったが、「実はツッパリ少年の成り上がり」といういう古くからのアングラ情報に接して、「更生しきれなかったのか!」と理解。 女子アナの社会的評価は知的な一般人感覚であり、一般人にフジテレビのように裏社会基準を適用しては事件化してしまうのは当然だ。
現在も昔も、公に問題指摘する人は何処にも居ないが、川端康成作小説「伊豆の踊子」を読むと、その冒頭から、峠の茶店の婆に踊り子達旅芸人一座を指して「あの芸人は今夜どこでとまるんでしょう」/「あんな者、どこで泊まるやら分かるものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊まるんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか。」と言わせ、旅の学生は”甚だしい軽蔑を含んだ婆さんの言葉が、「それならば、踊り子を今夜は私の部屋に泊まらせるのだ」と思ったほど私を煽り立てた。”(伊豆の踊子p11〜12L−1〜川端康成:新潮文庫H15/5/5改版129刷S25/8/25刊)と書いていて、伊豆の旅を題材にした私小説的に書かれた作品となると、20歳の一高生川端康成は14歳前後の踊り子をその夜、実際に宿に呼んで相手をさせていた可能性が出てくる。但し、踊り子一行は木賃宿、一高生は温泉宿と意図せず別宿となって”踊り子の今夜が穢れるのであろうかと悩ましかった。”(p19L7)とアリバイ工作も述べている。 私の工高時代、高校国語教科書に「伊豆の踊子」のほぼ全文が掲載されていたが、教室の悪ガキどもは「当時の一高生川端康成が踊り子に夜伽をさせたかどうか」で大いに盛り上がっていた。 出版社に依っては小説の巻末注記に当時の状況として「村々の入口に『乞食と旅芸人入るべからず』という高札があった」などと述べられ、旅芸人達の夜の稼ぎが嫌われていた。 明治初期の一般常識では「旅の恥は掻き捨て」、一高生川端康成は、きっと宿に呼んで夜伽をさせていた説が強力だった。 「伊豆の踊子」のこの件は何度か撮影された映画では脚本から総てカットされた、現代では通常は許容されない部分で、不倫願望8割、股旅者1割余の弩演歌の歌詞の世界ではある。 そういう別世界を芸能界は未だに引きずっていて、堅気の感覚と衝突してしまう様だ。
境界は曖昧に有って、野球選手の奥さんは取材陣の元女子アナが多いとか、どのTVチャンネルも正邪のグラディエーションがあって多かれ少なかれ怪しく見えるのだが、支配力のある局幹部がその支配力で状況を仕組んだと糾弾されているから、明白な違法性を生じて、特に「女子アナ」を売り物にし、短大卒以下を採用、25歳定年制で、「キャバクラの乗り」を明示で社員達に求めてきたフジテレビらしい事件ではある。
もともとは芸能事務所や女衒(ぜげん)が仕組んで行われて、ユーザーである局には累が及ばない構造にしていたものを、陋習を止めようとするのではなく、公明正大を旨とする放送局自身が裏作業のノーハウ蓄積も無いのに直接手を出し業界文化化しては大問題が発生するのは当然だ。
李下に冠を正さず、が必要だ。
2025/02/02 23:55
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