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日経ネット関西版 2008/06/15配信 http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news000469.html JR西、信楽鉄道などを提訴
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その後、JR西日本は亀山CTCセンターへの方向優先梃子設置強行を決め、JRから製造会社に「抑止ボタン撤去」の連絡が行われて、既に開けた穴を残してボタンが撤去されたことは争いがない。
結局、'90/9/13打ち合わせで信楽駅の抑止ボタン設置の合意が成立して制御盤が製作され、その後のJRからの撤去指示で出荷直前に抑止ボタンが取り外されているから、「信楽駅の抑止ボタン設置の合意はなかった」とするJR西日本の主張は到底通らない。合意があったからこそ、それを前提にJR西日本自身から抑止ボタン撤去指示が出されている。方向優先梃子設置で合意していたら抑止ボタンは無用で設計当初から存在せず、製造会社に対して存在しない抑止ボタン撤去を指示するはずがないだろう。抑止ボタンを設置する方式、すなわち方向優先梃子不設置の合意が一旦はあったのだ。簡単な論理だ。 |
これまでの判決で言及が見られない論点が、管理領域外制御のシステム的な危険性、不当性だ。
民事訴訟弁護団の主張としては別会社としての指揮命令系統違反の観点から重大な違法性が指摘されているが、システム的な危険性は重大な実害だからこれを取り上げれば違法性評価が大きく上がる。
当ページでは日記#0187でその指揮命令系統違反に加えて管理領域外制御禁止は絶対的重要原則と指摘した。それは技術論的にみて領域外制御をすればトラブルが発生しても操作者には直接伝わらず、原因究明対応が非常に難しくなって放置されやすいし、トラブルの起こった現場では理由が全く究明できず、パニックの引き金になり、信楽事故のような惨事を招きかねないからだ。現に、亀山CTCセンターの領域内であった貴生川駅出発信号関連の不具合は事故発生前に詳細に分かっており、改修要求と、当面の回避策がマニュアル化されて徹底していた訳である。この追加部を事故当夜から3回に亘るマニュアル改竄を行って隠したのは、信楽事故発生に至るJR西日本のエラーを明瞭に示すものだからである。
人為ミスは必ず発生するもので、それを前提に異常を発見しやすい構成は義務付けられ、結果が操作者に返ってこない方式は認められるべきでない。
何らかの理由で(ex.JR信楽線。全面委託等)亀山CTCが信楽駅も一体の管理領域として制御していたら同一制御盤面に信楽駅の信号が表示されその固着と方向優先梃子操作が一緒に見られて、その場で梃子を戻すなど応急の回避措置は取られ改修要求が強く出されており、「ドジな設計」という評価で済んでいた。JR西日本による2重に無断の方向優先梃子設置と操作が事故に直結したのだ。過失責任を問うのであればこの管理領域外無断設置・無断使用を逃すべきではないのだ。
逆に、90/09/13打合せの合意通り、JR西日本が方向優先梃子設置案撤回を部内に徹底し、信楽駅から抑止ボタンを操作していれば、全くトラブルは発生していない。JR西が無断で強行した管理領域外制御の禁止は安全のために絶対的に重要な原則だった。
小野谷信号所出発信号に対する方向優先梃子の無断設置と無断使用が裁判で問題になったが、領域外制御禁止原則はそれに卓越する基本原則で、誤って合意したとしても危険な設置原則違反には変わらない。'90/09/13打合せ内容を証言した信栄電業部長氏の調書が各書籍に引用されているが、同氏がJR西との打合せ会議で主張して通した骨子は領域外制御禁止原則であり、尋問者が敢えてその重要度評価を求めていたらJR西日本の方向優先梃子無断設置の重要性がもっと明確に説明され事実認定されていた可能性が強い。これは法律家である裁判所、弁護団、警察・検察の3者とも見落としてしまった設備技術的項目だ。
滋賀県も旧信楽町の甲賀市も大任を果たした被害者側弁護団に裁判代理人を頼んで、JR西日本の横暴を食い止めて貰いたいものだ。同時に両側の代理人にはなれない規則だが、被害者との関係では裁判は終結しているから理屈の上では就任可能だ。まぁ、弱者救済指向で生き甲斐道楽裁判に情熱を燃やす先生方は尼崎事故被害者弁護団参加指向だろうが……民主的法律事務所維持の経済的側面もあるから被害者弁護とは違い、取りはぐれのない自治体の代理人も受ける可能性も少なくないとは思う。特別の事件を引き受けたくても、交通事故と相続の収入だけじゃ民主法律事務所維持は苦しいのだから。生き甲斐道楽指向とは言っても狂信おうむ教団の敵として殺害された横浜法律事務所の故坂本弁護士一家のような命がけの酷い犠牲もあって甘いものではない。
[参考リンク] 日記#0138:検証信楽列車事故」を読んで:京都新聞刊 日記#0170:方向優先梃子の影響に気付いたのは誰? 日記#0187:領域境界無視設計が根本原因では?信楽事故 赤信号で走った列車:信楽高原鐵道事故の真相:京都新聞 日記#0274:JR西3:7判決に請求放棄=5:5で決着 (決着) |
[提訴についての滋賀県、甲賀市の見解]http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008062600161&genre=D1&area=S00「補償負担割合、見直さず」
Kyoto Shimbun 2008年6月26日(木) |
弁護士がその業務を遂行するための事務所を「法律事務所」と呼ぶ。だから弁護士の在籍しない事務所は法律事務所と称してはならない。
事務所には事務局員を置いて内部の単純事務だけではなく、諸申請、裁判記録・謄本などの取り寄せ、強制執行立ち会い、諸調査など様々な周辺作業をして弁護士をサポートするのだが、その事務局を複数の弁護士が共同で持つ形式を「共同法律事務所」、弁護士まで含めて共同体を作るのが「合同法律事務所」である。これらに対して弁護士一人で仕切るのを個人事務所と呼ぶ。
大公害裁判とか、権力犯罪・弾圧事件とか、労働運動への攻撃、冤罪事件など、弁護の手間はひと桁以上多く掛かるが、安定した収入は期待できない課題の弁護を社会的・政治的必要性から引き受けることを目指す法律事務所の場合は、事務所全体の集団対応にして一般事件で事務所を維持する収入を得て、やりたい弁護を引き受ける。
国鉄の横浜人活弾圧裁判を引き受け、おうむ教団の犠牲になった坂本弁護士の所属した横浜法律事務所とか、横田基地公害訴訟を引き受けた三多摩、八王子合同、武蔵野、町田などはこの合同法律事務所だ。
合同方式だと、事務所全体で困難な事件を引き受け、担当者会議で裁判の基本方針を決めたら、細々の作業はまだ独り立ちの難しいヒヨコの弁護士にも任せて、稼ぎ事件も扱って運営できるから、運営方針次第ではあるが大規模事件を扱いやすいのだ。しかも主張・立証とも最も難しい案件でヒヨコ時代を鍛えられ実力派弁護士に育っていく。それに対し共同事務所や個人事務所では当人が日常食べる仕事と並行して取り組むしかないので引き受けが難しいのだ。満州引き上げ残留孤児の帰国就籍問題に取り組む法律事務所が共同・個人事務所なのは珍しい例だ(弁護士ご自身が紙一重で残留孤児になるところだった)し、山口ももえちゃんの夫君三浦友和氏扮する弁護士ドラマ「はみだし弁護士・巽志郎」がその辺の個人事務所事情を大変漫画チックに描いている。弁護士の普通の修業時代は「イソ弁(=居候弁護士)」といって先輩弁護士の事務所に置いて貰い手伝うことで仕事を覚え、顧客を掴んで独立していくものだそうだ。固定給はなし。
横田基地公害裁判では、本質的解決はアジア侵略の拠点である米軍兵站基地撤去を展望した闘いが必要だから、新たな地域世論の盛り上がりを求めて第2次訴訟として6000人原告訴訟に取り組んだ。ところが短時日で金銭的成果を必要とする個人・共同事務所では、一般住民に闘いを拡げるよりも、確定した裁判では認められなかった将来補償分(=判決算定日以降分)を請求する裁判の方が手っ取り早く勝訴の名声も拡げられるから、未提訴住民は放置して従前の原告のみの裁判を提起するという易きに流れやすく、その結果、運動と世論の広がりを勝訴原告に留めてしまう。勝訴原告にすれば第1次確定判決後の騒音被害補償に絞った方が裁判としては楽だから、困難でも新たな原告を求めて闘い運動での基地撤去を目指し、中には個人で100万円を超す運動費用負担までして運動を支えた人たちや合同法律事務所とはかなり深刻な意見対立を生んで第1次訴訟団一部幹部原告らが6000人訴訟とは別裁判となってしまった。一次訴訟以降の損害賠償勝訴でもそこそこに撤去運動には資するし、第1次訴訟の弁護団がそれを引き受けていればまだ抵抗感は少ないのだが、長期大規模な運動で実現した勝訴の基盤だけを持ち去って別裁判とし、運動を大きく拡げる機会に水を差す結果となったことは否めないと思う。
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