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Geo日記
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海上衝突予防法「保持義務」は適切か?

 衝突防止操作について定めた「海上衝突予防法」の規定は、報道では「相手船を右に見る側を「避航船」として、これが右に避け、左に見る側は「保持船」として速度と方向を維持することを義務付けていて、それは同法2項14条〜17条に定められているが、実際に条文を読み込むと様々な例外・適用制限があり、各条文の軽重を直接には書いて居らず、一義的には決められていないことが分かった。
 どうやら「避航船」云々の条文は推奨基準ではあっても衝突の責任問題としては双方の衝突寸前の回避操作が問われて、片側だけの責任にはならない構造になっている様だ。
 かって潜水艦なだしおの遊漁船撃沈惨事の海難審判で遊漁船船長が避航船として進路違反のなだしお艦長と同質の過失を問われて、執行猶予とはいえ有罪とされたことに非常な違和感を持ったのだが、この衝突予防法の条文を狭く解釈すれば衝突寸前の操船のみが問題とされて、機動性の良い小型船がもっと早めに右一杯に舵を切り、後退を掛けるか、逆に増速して進路を横切ってしまえば避けられたとして、量刑は違っても艦長と同質の過失責任を問われたわけだ。惨事から20年を経て、ようやくその原因が理解できた。
  See→[海上衝突予防法]

保持は義務から外す必要あり

衝突図  しかし、衝突寸前の操作しか見ない責任判定法は絶対におかしい。危険な衝突ギリギリの状態にしないための安全措置として「避航船」と「保持船」を定めたのだから、これを正当な理由なく無視した責任は加算する必要がある。それは鉄道が停止信号だけでなく中間現示信号速度制限を設けて人為エラーの回復余裕を採ることによって安全性を高めているのと同じ考え方で、それを守らなければ処罰対象だが、「見落とし」のない衝突防止安全装置(ATS等)としては停止信号に対してのみの設置で可としているのと同じで、避航船の回避義務違反は安全義務違反として追及対象とするのは当然だろう。ここが法の規定では全く言及がなく、直前回避操作の当否判断のみに矮小化される原因になっている。こういう中間段階回避操作を飛ばす安全確保法否定の判断はダメだ。なだしお事故では海難審判が軍隊の威力に引いた様なものだ。

 また、同法の様々な例外規定は物理的な実質では正しい規定だが、現場操作者にどう伝わるかを考えれば「保持義務を課せられながらの回避動作」という矛盾を内包した規定になっていることで潜水艦なだしお事故の遊漁船船長の様な重大な誤解を生ずる。これなら保持を「義務」から外して「第1義務船=避航船」、「第2義務船=×保持船」と修正して、避航船が回避動作を始めない場合の2段目の操作を明記した方が良い。例えば、第1義務船たる避航船に対して問い合わせ信号を発して応答や回避操作がなければ「第2義務船」(=保持船)も回避すると定めれば、とっさの場合でも義務・禁止を破るという逆転判断要求がなくなり回避しやすくなる。両船が同時に右回避しても差し支えないのだから、「保持義務」という規定は適切ではない。少なくとも「減速禁止」程度に縮小すべきである。この場合、早期回避なら右回避で良いが、回避義務を果たさない避航船の進路を遮っての回避だから両船が接近した状態では危険で採用できず、思い切って相手船と同方向まで変針して回避するか、逆に大きく左に切って相手の艫を目標として廻る必要がある。

コンパスはどう規定?

 漁船航行の実態を知らないのだが、方向監視はコンパスを使っているのだろうか?肉眼で闇の中の灯火方向が動いているかどうかの判定はかなり難しいから、精度を上げるにはそれなりの観測装置・器具が必要だ。艦船側の見張りも同様で、報道の様に「船尾を通過すると思った」と判断をするのなら精度を上げるのにコンパスが必要だし、判断を総て当直士官に委ねるのなら、見張りの観測内容は総て伝えなければならない。

 例によってというか案の定というか「週刊新潮」が「被害船にも責任」論(3/13号p44)を出して来て、マグロ延縄漁のエサである鯖を魚群探知機で探していたとか、睡眠不足の居眠り操船でレーダーを見ていなかったとかの「可能性」を述べて、回避義務違反は被害漁船側にもあるとやっているが、10人以上も交代で艦橋にいて優れた機器を持ち十分眠っているはずの、一部が戦争に参加している国の軍艦が、避航船の回避義務を無視し(あるいは全く海面監視を怠って衝突船を見落とし)無警戒に自動操縦で「そこのけ軍艦」の運行をする方が遙かにおかしい。

衝突防止灯は点滅仕様を標準に

 裏返して見ると、実際に衝突する危険コースでは相手が全く停まって見えるのだから、衝突防止には信号灯を明滅させたり動かしたり、目への刺激の大きいパルス点灯にしたりという工夫が要るのではないか?こういうぶつかり方は見通しの良い平野に道が交差する北海道で時折起こる衝突事故で、双方が同じ速度なら45度方向から真っ直ぐぶつかってくるが運転手の注目視野は前方10度〜20度だったりすると気づかず停められないのだ。そうした平地を走る車の車幅灯も45度方向にもビームを持つ点滅灯にする必要があるかもしれない。
 動いて見える標識灯は交差タイミングが違うからで、それは「一般常識」には反して基本的にぶつからない位置関係のものだ。大型船は舷側に満艦飾で標識を点けるというのも有りだ。クリスマスの飾り電球やデコトラで使っているやつだ。その点、航空機衝突防止灯や翼端灯を明滅させているのは妥当な仕様だ。

2008/03/07 00:55

イージス・漁船、責任主体の逆転画策か?大前繁雄(自)演説

 前々項、週刊新潮3/13号の「漁船側の責任論」をもっと極端に誇張した形で「漁船側に重大な責任があった」と演説したアホ政治家が現れたと昼のニュース。前防衛政務官を勤めた大前繁雄議員(衆院兵庫7区自民党)で、あまりに案の定の右反応に呆れる。
 そもそも事故の主たる側面は回避義務のある「避航船」の位置にあったイージス艦あたごがその義務を無視して自動操舵で直進を続けて危険な状態を作ったことが主たる原因ではないか。また巨大船の標識も漁船同様ではその危険性も伝わらないから軍艦であっても平時の航行では満艦飾を義務付けたらいい。まして艦落成訓辞でさえ他国への「存在感」を強調している訳で、夜も威風堂々良く見えることは良いことだ。帝国海軍はレイテ湾の昔から敵地深く突入は嫌いだったではないか。自国船撃沈はいずれも「戦果」にはならない。
 「元ネタ」たる底意地悪い新潮記事でさえも「責任の50%以上はあたごにあるのは間違いないが……」としているのに、どさくさ紛れに事故発生責任の主客をひっくり返すなんて、呆れた言い分である。なだしお事故海難審判でもこの点を全く除いて衝突直前の操船のみを云々して被害側遊漁船船長の責任を同列に置く納得性の乏しいものとなっていたが、またもほとぼりの冷めるのを待って、両者同列責任で幕引きを図るよう策したのだろうか。
 人命尊重の立場から安全問題で見れば、陸の高所現場は猿回しのサルよろしく安全帯という腰縄付きでの作業を義務付けられ、脚立作業まで禁止だとか規制されているのに対し、落ちたら命の危うい冬の海での操業で救命胴衣無しの操業はそろそろ考え物だろう。操業時に嵩張る救命胴衣着用は無理だが1〜2リットル程度の浮き(手持ち金属漁具重量見合分)でも身に付けていれば、意識さえあれば浮いてくるはず。これは安全救命問題として検討されるべきだが衝突の責任論には絶対絡まない。
(昼のニュースで「大前議員」と聞き、評論家K氏と思い込んで書いだのだが、待てよ、氏は知事も議員も落選専門で、自称「日本の経営コンサルタント」とかでマスコミに名を売った「経済評論家」で「議員」ではなかったはずだと、改めて朝刊を探すと、同姓の大前議員の暴言報道。慌てて名前を訂正だ。今後は腹立たしくても必ず文字で確かめてから記事にしよう)

2008/03/10 12:55

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