製造工程途中で製品トラブルを発見すれば,即座にその受け持ち工程へ戻してやるのが製造現場の常識で,高品質の理由が製造技術の確立だけでなく,その辺りが世界に冠たる品質を支えてきた要因だと思う.初期の,アメリカ直輸入の陰湿な相互監視密告運動であったZD運動(無欠点運動)や,管理が進むとエラーした個人が特定されるISO−9001の様な厭らしいものもあるが,良くない製品は作りたくない,給料減額の口実は作らせないという思いは貫かれて,自分の作業責任とは直接関係ないエラー工程に不良品を戻して製造法改良・治具調整などの対応を求めて出荷製品としての不良発生を抑制してきたのだろう.
ところが,JR関係の不具合ニュースはそれとはかなり趣が違い不具合情報が必要な個所に流れて行かずに沈没してしまうように思う.最近判った例を挙げれば,
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JR西日本の大量のATS-P速度制限値設定ミス(日記90)に際し,最大15年間にわたり運転室のモニターにATS-P誤設定数値が表示されながら,尼崎事故後の事故調査委員会の異常指摘まで何処も全く問題にもしていない.この15年間に数値異常に気づいた人がゼロだとは到底考えがたい.ミスの原因は違うが大阪環状線制限値設定ミスの155km/h設定は事故前から掲示板には時折書かれていた様だがJRのWeb監視団はずっとこれを見逃してきた.
- JR西日本での電車改造で,異常時にのみ使う直通予備ブレーキでの走行時にATSが効かない設計ミス(日記99)をしたが,後年それに気付いて上申したが有耶無耶になってしまっていた.これが尼崎事故後の状況集約にようやく引っかかり当面の対応が取られた.
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激腐食鉄柱
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柵の細い側の鉄柱は60φ余
垂直壁切通し線路側→
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切り通し上の鉄柵柱約160本中の50本余が10cm〜50cmほど腐食で欠けて宙ぶらりんになっていた.中には3連続で折れていたり,金網の止め穴2個所が全部無くなって約40cm長の60φパイプになって線路に落下しているものさえ何本もある.通行人が寄りかかったり強風で落下するとすぐ下は特急が110km/h超で通過する場所だから,かなりあぶなかしい事態である.こんなに激しい腐食は走行電流による「電触」だろうか?
そこで傍の駅に2度ばかり状況を指摘したが半年以上たっても動きが無くその間も更に腐食が進行している.60φ40cm長の鉄パイプが110km/h走行の車窓を直撃したり,フェンスが落下したら物損で済む保証はなくどんな被害がでるか分からない.山陽新幹線トンネルのコンクリート剥離事故で大問題になっている時期だったというのにあまりに鈍感な対応に呆れたが,仕方ないのでいつもその駅頭で早朝宣伝している議員に連絡して現場を見て貰い議員が駅に修理を申し入れると,13kmあまり離れた保守センターに回されてそこに申し入れてようやく修理されることとなった.一連の申し入れでは国鉄JR特有のヤクザ事務所に踏み込んだ様な喧嘩腰の対応はなく丁重だったそうだが,一見して分かる危険の指摘で,電話1本で済む筈のことを外部の地方議員が直接申し入れないと通らないとか、年単位で放置する感覚は大変理解に苦しむものだった.危険の予想される個所は現在総て修理されてはいる.写真の個所は今も放置だが通路分の余裕があるからか?こんな光景が線路に向かって50本以上並んでいたのだ.
- 風速計ケーブル結束外れの件
前々ページの風速計ケーブル結束外れの件は重要センサーである風速計が将来断線故障に至るので佐貫駅での強風抑止待機中にJR職員に連絡した.応急手当としては管を鉄塔に結束するだけで断線故障は抑えられるが,対応は取られているだろうか?その前に担当にきちんと伝わっているだろうか?私が通っている間にはただ縛るだけの簡単な応急措置もされなかった様だ.
現場の小貝川鉄橋は有名な強風名所だそうで,鉄橋手前の強風抑止停止目標や数少ない風速計が設置されているのはそのためだろう.しかし何ヶ所もの結束が同時に緩むことはなく,何等かの理由でどこか1ヶ所緩んで強風で振動を始めて,これが他の結束をも緩めて全部外れてしまったというのが経過だろう.その間誰も緩みに気づかなかったのか,連絡があり知っていて放置したのか,何が真相なのだろう?
自発的対処や連携・協調に欠けてないか?
<PS>
これらに共通する問題は,将来の危険を予測してしかるべき部局に繋いでゆく自発性が職場に見られないことだ.山之内秀一郎前JR東日本会長の著書「なぜ起こる鉄道事故」に拠ると「国鉄は1982年頃から、崩壊した職場秩序の回復に本格的に乗り出した.その中の大きな問題のひとつとして事故隠しの問題があった(同書P242左L6〜)」,『運転事故報告基準規定』の厳格な適用を警告と数度の処分をもって実施して例年200件以下だった報告が7,700件にも達したことが記されている.この報告は恣意的に国労弾圧に最大限利用され乗務外し・人活センター送りの材料として、国労組合員に難癖を付けてその多くを不当に追放して結着していたから事故抑制策としての正当性を全く見えなくしてしまっていた.事故防止に状況を正確に把握したい意図は正しくても,自発意志・納得を得て進めるのではなく鞭による強制だけだから真っ先に組合弾圧に使われたのは当然だった.
分割民営化(1987/04)直後の1988/12/05の東中野事故当時にはこの国労淘汰は終えていたが,この時の上意下達貫徹で部下の言い分など聞く耳持たない方針は今もそのまま全JRに残っているのはあたりまえだろう.それでは社員一人一人の安全への危惧など伝わりようがないではないか.JR西の自殺事件まで起こした人権侵害「日勤教育」はその典型的現れで,同様のJR東海も危ない.
東中野事故以降はATS-P換装計画前倒しとその範囲拡大とか,ATS-Ps開発設置,沼津片浜事故を承けての閉塞指示運転の採用(=無閉塞運転の禁止)と,他のJRより安全投資や規則については一歩先んじているが,レールの折損事故や剥離摩耗など異常事態は他のJRより目立って頻発している様だし,風力観測廃止など人の判断・情報を排して計測結果にのみ頼る方向に偏っており,なおさら人からの危惧・危険情報を遮断する方向が追求されている.物理現象を明確な特性値化して状態を捉える試みは妥当なのだが,現段階で数値化できないことをもってその要因を判断基準から排除するのは間違いである.それでは羽越線いなほ転覆事故の発生防止策のような予測型対応は取れない。
末端の情報をきちんと受け取る体制にしないと重要な情報が捨てられ欠陥が放置されて事故を起こすだろう.何を言ってもまともな反応がなければ誰もものを言わなくなる.松戸市役所「すぐやる課」的な遊軍を置いてこまめに応急措置の手入れをしたり結果を返していれば自発的な情報集中も起こり突発故障は起こりにくくなるのだが.
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