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井手正敬氏無罪放免でぶち壊しか?
本気?見せかけ?JR西日本社内処分
信楽事故補償肩代わり訴訟も、日勤教育自殺事件対応も真摯な反省とは対極では

   JR西、幹部ら29人を処分 最大で報酬3割返上

 JR西日本は23日、尼崎脱線事故での山崎正夫社長の在宅起訴を受けて決めた社長交代を機に、同社長や、事故当時の会長だった南谷昌二郎、社長だった垣内剛両顧問ら幹部26人の処分を発表した。この3人が月額報酬を3カ月、3割減額し、他の幹部も1〜2割の減額となる。役員の処分規模としては同社で過去最大級となる。

 ほかに、事故車両の乗務員に対する管理責任を問い、当時の大阪支社輸送課長ら3人も戒告処分とし、処分は計29人になった。

 経営トップが刑事責任を問われて社長交代に至る異例の事態を受け、事故に対する企業としての社会的責任をあらためて示す必要があると判断した。

 同日午前、大阪市北区の本社で記者会見した真鍋精志副社長は事故を組織的、構造的課題と認識しており、経営を担ってきた者に重い責任がある」と話した。

 また「会社全体の責任としてとらえなければならない」として、対象に歴代社長や事故当時の役員、執行役員のほか、現在の役員も加えた。次期社長の佐々木隆之副会長も月額報酬を3カ月、2割減額される。8月分から始める。

 事故当時、相談役だった井手正敬氏は子会社との顧問契約を解かれ、JR西グループとの直接的な関係はなくなるため、対象には含まれていない。

 山崎社長は、事故現場を急カーブに付け替えた1996年当時の鉄道本部長。危険性を予測できたのに自動列車停止装置(ATS)設置を怠ったとして今月8日、業務上過失致死傷罪で在宅起訴された。

2009/07/23 12:42 【共同通信】

 去る7月9日、尼崎事故の刑事責任を問われて、事故当時は子会社に出向中だった山崎現社長が起訴されたことを承けて、JR西日本は役員・関係者の社内処分を発表した。その内容は現役員、次期社長を含むもので、いわば一億総懺悔型で会社としての恭順の姿勢を示そうというものではあるが、肝心の「天皇」井手正敬氏を処分対象から外したことで「反省の本気度」を疑われる形になってしまった。世に姿勢を示しメッセージを伝えるのが目的なら、「退任するので処分出来ない」ではなく「処分を決めたが退任で実効が無くなった形でなかったら、稼ぐ優先安全軽視の事故誘発体制推進の「天皇の御威光」がまだまだ生きていて払拭できないというメッセージに転換してしまう。先の検察による起訴が、事故前の鉄道本部長時代を含めて改善の軸になりつつあった山崎社長のみの起訴で、懲罰的日勤教育に象徴される精神主義と安全軽視を免罪する逆方向の不適切なメッセージを発したのをさらになぞって強化してしまう。

 JR西日本が何の反省もしていないことを疑わせる行動は、これまでにも見られ、昨年6月には信楽高原鉄道事故補償の負担割合を半々から1割に減らす訴訟を提起して確定した刑事・民事裁判と合わせ脱法的に4度目の責任論訴訟を起こしているし(See→日記#193)、懲罰的日勤教育の不当性と事故誘導の危険性をいまだに一切認めず、必要なものと強弁している。尼崎電車区運転士日勤教育自殺事件は「自殺との因果関係」の立証が足らないということで、否定されてしまったが、会社が主張するような運転ミスや業務知識不足は存在せず、従ってミスにまつわる反省文など書き様が無いものを、業務命令という逃れようの無い状況に抑え込んで無期限で連日いたぶる悪質なパワーハラスメントを加えて死に至らしめた。これに対する会社としての責任は免れ得ない。当然の話ではないか。これらの方針を維持したままで「安全優先に舵を切った」とは言えないはずだ。

曲線速度照査実施経過 P→S    <1>

 事故調最終報告書に曲線過速度防止装置設置経過が記されている。それを読むと(車上演算速度照査式)ATS-Pと(停止信号警報伝達式)ATS-SWがそれぞれ独自に設置基準を決めたのではなく、まずATS-PがR450m未満の曲線に過速度防止装置を設置した後、そこに130km/h走行区間が出来てR500mにも追加設置したことで、ATS-SW区間の130km/h路線についてもR600m未満に速度照査を設置したことで、120km/h以下のATS-Sw路線への設置が漏れてしまったことが判る。(下記抜粋)。具体的に検討した担当者が従前120km/h区間での運転に危険を感じなかったから思い至らなかったとしている。

 曲線過速度転覆の危険は、ATSの種類によらず、曲率と速度と車両性能で決まるから、これに輸送密度と過速度発生率を乗じて重み付けして緊急度順に対応するという解析的対応をしていたら、惨事は避けられた。解析的ではない経験的なアプローチで、他分野ATS-Sw線区に及ぶ危険を見逃したことになる。本来解析的に定めるべきではあるが、現実の作業では経験的に定められることも多く、このエラーに「可罰的違法性があるかどうか」という論点を生ずる。解析が当たり前の分野にいれば重大な手落ちだが、自ら「経験工学の世界」とされる鉄道業界で妥当な解析が為されなかったからからといって即刑事罰対象なのかどうか、ここに引っ掛かると事故調報告の様に刑事責任追及はなかなか困難という結論になる。それを離れ、物理的転覆限界から安全策を検討するのは当然という立場なら刑事責任追及となる。JR西日本の安全基本計画で「有りうることは起こることとして手立てを講じる」と記された労災対策基準がもっと早く鉄道にも導入されていれば、当然解析的に扱われて事故には至らなかったものだ。
当然行われるべき解析で予見可能性有りと考えるから責任はあるのだが、元運輸部運転設備担当者氏の陳述のような経験主義的なアプローチが標準だったのなら、それ以外知らなかった人の検討落ちに可罰的違法性が有ったかどうかは判断が難しい。だが、解析できる山崎鉄道本部長が具体的内容に噛んで決済していれば若干は責任を問われるのは無理がないと思う。

なぜ放置?労災担当労働省&解析力充分運輸省鉄道局    <2>

 私が疑問に思うのは、労働省の労災対策方針と強力行政指導が産業界にはかろうじて貫徹しながら、なぜ国鉄現場には通せなかったのか?オペレータエラーを前提に致命的事態には至らない手立てを!有りうることは起こることとして防止策検討を!は労災対策の基本である。
 また解析力に優れて、衝突防止に極めて有効だった私鉄ATS通達:昭和42年鉄運第11号を発した運輸省鉄道局が、なぜ曲線毎転覆懸念速度基準(福知山線尼崎事故'05/04/25、函館線仁山過速度転覆事故'96/12/04など3件、鹿児島線583系特急過速度脱線事故'74/04/21)とか、ガードレール設置基準(日比谷線中目黒事故'00/03/08/&東海道線鶴見事故'63/11/09)とか、過走防止装置設置基準(土佐くろしお鉄道宿毛事故'05/03/02、)とか、に直結する行政指導基準を定められなかったのかが甚だ疑問である。刑事責任は別として、監督庁としての指導責任はあるあるだろう。エイズ感染の危険を知りながら、薬剤メーカの利益擁護で敢えて非加熱製剤回収命令を出さずに放置した薬害エイズ事件は刑事事件として立件されたけれど、鉄道の場合は国交省でなくても基本的な物理解析を行っていれば、知り得た危険で、そこはどう整理すべきなのだろうか?

 起訴状は設計計算の根本であるここには触れず、'96/12の線路の付け替え時600R→304R変更時に、直前'96/12の函館本線仁山過速度転覆事故が過速度防止装置で防げたことを認識しながら危険を省みず放置したことの責任を突いている。個人を立件するやりやすさだけで会社組織刑事責任を代替処理するのは妥当なのだろうか?対応を求めるべきメッセージが逆になると云うのは立件の仕方が不適切であることを示しているのではないか?



[事故調最終報告書]

p119(130)
2.13.8  ATS及び曲線速照機能の整備に関する情報
2.13.8.1 ATS-S形及び旧ATS-B形のSW化
 同社が設立された1987年(昭和62年)4月には、同社の在来線のうち大阪環状線天王寺駅〜西九条駅間、桜島線安治川口駅〜桜島駅間に旧ATS-B形地上装置、片町線木津駅〜片町駅間、大阪環状線西九条駅〜新今宮駅間、関西線亀山駅〜湊町駅(現在のJR難波駅)、阪和線天王寺駅〜和歌山駅間には旧ATS-B形地上装置及びATS−S形地上装置、その他の線区(福知山線、東海道線、山陽線等)にはATS-S形地上装置が、それぞれ設置されていた。なお、旧ATS-B形は、ATS-S形と類似した機能を有するものであった。
 その後、1991年(平成3年)2月からSW地上装置が順次使用開始され、1993年(平成5年)9月までに同社在来線の全線区(全線Pが設置された線区の一部を除く。)においてSW地上装置が使用開始された。
 なお、分岐器速度超過防止機能(以下「分岐速照機能」という。)については、同社設立以前からATS-S形の一機能として、また、1991年(平成3年)2月からSW分岐速照機能として、それぞれ一部の分岐器について使用されていたが、曲線速照機能(Pによるものを除く。)については、2.13.8.2 に記述するように、2002年(平成14年)3月になって初めてSW曲線速照機能として使用開始された。

p131(142)
2.13.8.2 SW曲線速照機能の整備
 同社においては、P曲線速照機能を整備するほかに、SW曲線速照機能を2.10.1.2 に記述した列車の最高運転速度130km/h の区間における半径600m未満の曲線について整備することとし、2002年(平成14年)3月に山陽線3ヶ所、2003年(平成15年)3月に北陸線11ヶ所及び東海道線3ヶ所の計17ヶ所について使用開始した。
 なお、このうち拠点P地上装置整備済区間の山陽線3ヶ所及び東海道線3ヶ所(いずれも半径500mの曲線)については、それまで半径450m未満の曲線についてのみ設けられていたP曲線速照機能を、2003年(平成15年)3月までに使用開始した。

 このことについて、元運輸部運転設備担当者は、次のように口述している。
2001年(平成13年)ごろ当時の運輸部長からヒューマンエラーに対するバックアップを検討するよう指示され、同じ運輸部の乗務員指導担当者がEB装置、TE装置87等を考え、自分が130km/h 運転区間における曲線速照機能の整備を考えた。
 曲線速照機能は、事故が起きたからその再発防止策として考えたというものではないが、強いて言えば、2000年(平成12年)8月に片町線において、運転士が心筋梗塞となって途中で他の運転士と交代するという事象があり、それを受けてEB装置、TE装置の整備に続き、130km/h 運転区間に曲線速照機能を整備するよう提案したものである。
 P地上装置整備済線区においては、半径450m未満の曲線についてP曲線速照機能が設けられていたが、運転速度を120km/h から130km/h に向上した区間があったので、その区間における半径600m未満の曲線について、P曲線速照機能の整備を考えた。130km/h 運転はSWを使用する列車でも行われていたので、SW地上装置が整備されている130km/h 運転区間の半径600m未満の曲線について、SW曲線速照機能の整備を提案した。この際、120km/h 運転区間については、国鉄時代から長く120km/h 運転を行っており、また自分自身も120km/h 運転の経験があるが、曲線速照機能が必要という認識はなく、130km/h 運転区間に限ってSW曲線速照機能を整備するよう提案した。P地上装置整備済線区については、運転速度にかかわらず半径450m未満の曲線にP曲線速照機能が整備されているが、SWについて同様の対策を講ずることには思いが至らなかった。
(87) 2.18.4 参照

パワハラ裁判例&労災認定基準追加    <4>

 パワーハラスメントにより鬱病に陥り退職後自殺した事件で、遺族により損害賠償請求裁判が提起された事件が地裁で敗訴、高裁で「遺族の心情に配慮し和解」として解決したことが報じられている('09/08/06東京24面)。尼崎電車区運転士自殺事件では逃れられない無期限の懲罰的日勤教育中の事件であり、一層関連性は大きい。それを被害側に立証責任を負わせることでJR西日本は追及を逃れて、狂気の日勤教育を正当だと今も強弁している訳である。

●会社側300万円の和解金、パワハラ訴訟「両親の心情理解」'09/08/06東京24面
 新潟県燕市の元会社員玉橋亮治さん=当時(26)=がうつ病になり自殺したのは、上司のパワーハラスメント(パワハラ)が原因として、玉橋さんの両親が勤務先の会社と元上司らに計約四千二百万円の損害賠償を求めた訴訟は五日までに、会社側が三百万円を支払うことで東京高裁で和解が成立した。

 和解したのは同県三条市のホームセンター運営会社「アークランドサカモト」。和解条項は玉橋さんへのパワハラや自殺との関係には直接触れず、会社側が「両親の心情を理解する」として和解金を支払うほか、パワハラによる被害の発生防止策の検討を含め、職場環境の改善に努めることを誓約した。

 玉橋さんの両親は、玉橋さんが勤務先の上司からの暴言や暴行が原因でうつ病になり、退職後の二〇〇五年八月に除草剤を飲んで自殺したとして〇六年六月提訴。一審で敗訴したが控訴し、六月に高裁が和解を勧告した。

 父親の計治さん(59)は「パワハラは人権侵害。息子の思いを引き継ぎ、パワハラ被害が減るよう今後も訴えていきたい」と話した。同社は「和解を機に職場環境のより一層の改善に努める」としている。

●「パワハラでうつ」は労災、精神疾患、厚労省が認定基準追加'09/04/07読売34面
 厚生労働省は6日、うつ病などの精神疾患や自殺についての労災認定をする際に用いる判断基準を10年ぶりに見直すことを決め、各労働局に通達を出した。パワハラなどが認定できるよう12項目の判断基準が新設された。

 精神疾患による労災認定は、ストレスの強い順に3、2、1の3段階で判断される。強度3で新設されたのは、「ひどい嫌がらせ、いじめ、または暴行を受けた」という項目。これまで明確な基準がなかったパワハラによる精神疾患については、この基準で判断できるようにした。強度2では、企業の人員削減や成果主義の導入が進んできたことから、「複数名で担当していた業務を1人で担当」「達成困難なノルマが課された」といった基準を新たに設けた。

      ('09/08/07追記)


2009/07/27 23:55

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