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姫川事故の謎!
DD51は列車分離後なぜ16kmも走れたか?

 前ページ[表-3]で試算した函館本線大沼付近の峠を下る途中での過速度転覆事故で位置と標高の対応を読み取れる姫川側の2件の事故をみると、88/12姫川事故の転覆速度が約100km/h、76/10第1姫川事故は約115km/hとある。
表-3
[表3]駒ヶ岳駅先曲線進入速度試算
図-3
[図-3]駒ヶ岳−姫川−森曲線入口標高図
(距離程の主たる誤差は曲線弧長を直線近似で間に合わせたことに拠るもの。地点3、9、16先の急勾配は曲線によるπ/2〜πの方位角回転の距離を弧長ではなく弦長で代用したために生じている見かけ上のものである)
図-5'
[図-5']七飯−大沼間本線登坂線標高図
(登坂線がトンネルから出て湖畔に沿う直線で、その線から一旦南に振れて緩いSカーブで高速道下に入る方が本線として作図。参照地図の誤りの模様)(08/08/28追記)

 先ず転覆位置を推定すると、曲線のほとんどは300R60km/h制限だからその転覆限界速度は100km/h前後と考えられ、115km/hでは最初の左第2カーブ(図-3)で転覆、100km/hでは、左第2カーブでの転覆か、あるいは急勾配で徐々に加速して第3〜第5カーブでの転覆と考えられるが、「左カーブで転覆」だとすると、第2カーブに55km/h前後で進入し右第3〜右第4カーブ以降の急勾配で加速されて東山信号所を過ぎて100km/hを越えた左第5カーブで転覆した可能性が強い。それ以降は加速できる直線部が無く急カーブが連続しており115km/hに達する前に転覆してしまうからである。(第1カーブは転向が5度程度なので半径がかなり大きいと思われ転覆事故現場ではなさそうだ。See→姫川側地図:[表-3]をクリック)
 それは反対方向の仁山側勾配でも同様の事情だ。大沼−小沼付近、すなわち大沼−駒ヶ岳先あるいは大沼−小沼湖畔の平坦&登り緩勾配線での力行運転で加速してそのままノッチを戻さず下り勾配に突入したことで110km/h〜120km/hでの転覆に至ったと考えられる。

 DD51は牽引していたコンテナー貨車転覆後も更に16kmも走ってCTCに抑止されたが、それには2つの疑問が湧く。
●先ず、列車分離が起これば列車を貫くブレーキ管が切断されて自動ブレーキ装置により非常制動が掛かり停止するはず。現に転覆せずに残った2両の貨車は事故現場に停止している。それなのに牽引機DD51だけはなぜその先16kmも走れたのか?!
●次いで、DD51が列車分離後もそのまま走り続ければ、急勾配の加速により次の第6カーブまでに転覆に至るはず。姫川駅までの連続急勾配と11のカーブ、森駅までの17のカーブをどう無事に通過したのかが重大な疑問になる。図-3の第5カーブは下り始めたばかりの位置であり、このあたりでコンテナー車が脱線したら、機関車もその近くで脱線するはず。
 報道内容は肝心のそれらには全く触れず、続報では前夜の機関士氏の豪快な飲みっぷりばかりが強調されていた。

一旦停止、目覚めて緩解・再起動?

●ブレーキ管が切断された場合でも、機関車単機であれば「単弁を払えば非常制動が緩解する」
ということだから、
 あり得る運転状況としては、DD51は列車分離の自動非常ブレーキで一旦停止、そのドッカンブレーキの衝撃で機関士が目覚めて、列車分離には気付かないままブレーキ緩解操作をして発車し、今度は制限速度を越えずに森駅先まで走ってCTCに停められたのではないだろうか。大沼−駒ヶ岳間の登り緩勾配を力行中に居眠りをして急な下り勾配になったのに気づかず加速を続けて300Rに100km/hで進入し重心の高いコンテナー貨車が転覆に至り列車分離する。それなら2つの疑問は解消する。
 転覆現場が東山信号所先の第5カーブなら第2カーブを50km/h前後で通過して以降の急勾配で加速したということだ。実際はどうだったのだろう?
 なお「単弁」というのは、機関車だけを制動する制動弁で、機関車には列車全体を制動する自動ブレーキの制動弁=「自弁」と併せ2種類の制動レバーがある。

事故調査結果の一般公開が必要

 大沼駅周辺で起こったこれら3件の過速度転覆事故の事故調査報告書は未だに公表されていない様だが、実際はどうだったのか、もし一般公開の形で公表されていれば、鉄道以外の労災関係など他分野からの評価も加わることとなり、教訓として福知山線尼崎駅進入路付け替えにも適用されて大惨事が防げた可能性がある。鉄道業界の閉鎖的常識に留まったことで曲線過速度転覆事故については尼崎惨事までほとんど無対応で過ごしてしまった。
 尼崎事故に直結した300R変更工事に伴う曲線速度照査設置に係わる事故としては、前述大沼付近の3件に加えて74/10鹿児島本線西鹿児島出発での寝台特急電車583系の過速度脱線事故もあり、(See→鉄道事故とATS・ATC)解析的・技術的にみれば過失犯の構成要件である「予見可能性」については技術的には十分あったとみるべきではないか。「経験工学」たる鉄道だから大きな犠牲がないと対応されず個人の刑事責任追及は妥当でないという見解にも反対しないが、これらの事故調査結果非公表は、事故当事者調査であることと併せて適切ではなかった。

JR各社も危険性は認識?

 JR他社の曲線過速度速照対応状況は、JR東海が40km/h以上減速個所8個所全部に設置済みだったのが最も網羅的だった他は、JR東日本が錯綜個所に設置し始めたばかり、JR西日本は最高速度130km/h路線の650R以下という条件で17個所に設置済みだったほか、ATS-P路線では現場レベルで450R以下に曲線速照を設置していた(上層部はそれを知らなかった)。3島JRにはJR北海道函館本線大沼付近を除いては曲線速照は設置されていなかった。JR東海基準が乱暴ではあるが唯一汎用網羅的で、JR西日本も「130km/h路線」という無意味な限定を付けなければ、あるいは現場のATS-P基準「450R以下に設置」を全線に適用していれば惨事は避けられたのだが、最高速度130km/h未満路線適用除外とATS-P設置決定から施工が3年も遅れたことで防げなかった。
 この結果は、一部担当部局は危険性を概ね認識していたが、軽視し会社全体の情報にはしていなかったということだろうか。それとも安全装置については会社全体の共通認識にして緊急改善をするという考え方が無かったのだろうか?JR4社の対応を見る限り危険性認識はあった様だから刑事責任としては微妙だが、解析不十分、怠慢のそしりは免れないだろう。

依存症の対応間違い     <B>

 また「依存症」についての認識が無かったため、厳重注意と重い処分で抑止できるかの誤解の下で実質本人任せにしてしまった可能性がある。身を滅ぼすと分かっていて手を出すのが「依存症」で、治療施設でその病気から抜け出せる割合が1割そこそこと云われている。不規則勤務による不眠を寝酒で切り抜けているうちに発症する例は少なくないはずだ。薬物関係など酷い患者は治療施設に通所していると取り締まりが緩むことでのカモフラージュ通所が噂されるほどで、ほとんどが再発している状況を認識していたら、乗務点呼での状況確認も本気でやられ、タクシー業界のようにサッサとアルコール検知器を導入するか、危なっかしいのを地上勤務や構内入替運転専門に回すなど具体的手を打てたろう。入替専門と言っても名古屋での飲酒運転による特急紀伊への回送ディーゼル機関車DD51衝突事故82/03があり、その2年後のブルトレ富士西明石駅過速度衝突損傷事故に続いてのこの88/12姫川飲酒仮眠事故であり、「傾向」程度の軽度は別として、依存症患者は営業列車に近付けてはいけないのかもしれない。
 なお、違法薬物の依存症の場合は、その治療施設に売人もカモを求めて患者の振りをして集中してくるので、長期通所は却って危険という話があり、安易に有名治療施設には近寄れない。(酒は合法なのでそんな現象は起こらないが、顧客開拓に最初は只で譲渡して寄ってくる薬物の売人への警戒は必要)。
 薬物離脱には烈しい禁断症状の予想される間の数日を、強力な睡眠薬で眠ったままにして過ごし幻影・妄想は意識して暫く付き合っていくという生命の安全には危険な方法がタレント・セレブ界などに密かに拡がっているというアングラ情報もある。薬物離脱の腹を決めれば病院の医者に頼るより確実な方法とか云われてるが、その真相は名前が通ってる人だと通院治療は難しいのだろう。オメメきらきらのキャンギャルの過半数はシャブ漬けだという状態が現実なら、単純使用者対象の治療優先法を作って大イヴェント毎に薬物捜査官を派遣して無罰で薬を抜く治療を義務付けるという方が現状の大罪人扱いのマスコミ晒しより有効なのかもしれない。慣れれば常用者は一目ですぐ分かるのだそうだ。六八九コンビの一角、作曲家の故中村八大氏がヒロポン中毒から抜け出すのに永六輔氏などがホテルに1週間ほど監禁して禁断症状を越えさせて、その後メジャーな仕事をこなせる様になったという伝説は聞くが、氏が短命に終わったのは覚醒剤で体を壊したからかと疑われている。覚醒剤は大昔は禁止されておらず、かみかぜ特攻出撃時や潜水艦乗組員に処方されたとか、医師である有名作家が受験勉強の息子に処方したとかいった類の話は多い。トルエンも同様かっては禁止されておらず、当初は塗装やビニール加工業界での重篤な労災職業病問題として採り上げられたものだった。トルエンは作業性と仕上がりに優れ、習慣性と健康破壊で使用禁止にしたくてもなかなか決められなかったのだが、濫用の犠牲が拡がり原則厳罰禁止となった。

P.S. 依存症記事重なる!  <PS>

 依存症問題は幕内力士の大麻常用解雇問題もあって姫川事故など飲酒運転事故に関連して前項で採り上げたのだが、翌23日東京新聞の特報面p26p27が紹介、同紙編集部は当方とかなり似通った問題意識の様である。違反飲酒をなじるのは簡単だが、前夜、眠ろうと思って床についても神経が冴えて眠らず更にアルコールに手を出しても却って目が冴えて眠れずに起床就労時間となり代替も居ないのでそのまま乗務に就く。このとき、車や自営業者なら眠くてどうしようもない瞬間に休むことは可能だが、列車運転ではこれは無理。何が何でも眠っておこうとつい大量の飲酒に走ったというのを繰り返し依存症となってしまったのは同情の余地がある。安心して任せられるピンチヒッターの準備があれば依存症に陥るほど追い込まれなくて済む。快復しきれないほどの疲労を蓄積させる過酷な勤務体系が依存症化の背景にあるのだ。

 記事に曰く「軽い気持ちで使い……依存症/20年後の今も苦しみ/体験者が語る「大麻の正体」/統合失調症を発症 向精神薬 離せず/厳罰から治療優先に/再犯予防へ現実的選択/変わる欧米のドラッグ政策/刑務所より長い拘束も/「日本では罪」きちんと情報を」というわけで、例によって見出しを繋ぐと記事要旨が概ね出来上がってしまう。

 薬物犯の処罰となると、アヘンが植民地収奪の手段にされたような国力の弱い地域では死刑法を含む重罰で禁じている国が多く「空港で預けられた荷物に入っていて死刑判決」などの話があるほど厳しいが、西欧にはオランダの様に大麻など軽度のものは刑事処罰を科さない国もあり、それが薬物擁護派や売人が「大麻に害がない、たいしたことではない」と言いはる根拠になっている。
 しかし、特集記事ではそれはソフトドラッグ許容ではなく「ハ−ドドラッグの蔓延と、注射針の使用によるエイズの感染があり、…ソフトドラッグの使用者を上手に教育してハードドラッグに移行するのを防ごうという現実的選択。犯罪に頻繁にかかわる薬物乱用者は治療(トリートメント)施設に収容」「米国でもドラッグコート(薬物裁判所)という制度を導入する州が増えて、そこでは刑事罰とは別に、1年から1年半を裁判所の監督下で過ごし、専門機関でトリートメントを受ける仕組みで、刑務所より拘束期間が長くなるケースもある」「成果の上がらない厳罰主義よりもトリートメントに軸足を置いた再犯予防策へ。それが世界の流れ……決して大麻に害がない、あるいは弱いから許可すると言うことではない」としている。
 体への影響は、WHO(世界保険機構)のリポートによると、大麻依存症候群(自尊心の喪失と抑鬱状態、職業的遂行能力の喪失など)が確認され、統合失調症を誘発する可能性も指摘されとある。

 「自尊心の喪失」というのは鶏と卵の関係で、そうした弱点を持つものが薬物に手を出すのだと理解していてWHOの解説は微妙に違う様に思う。崩れて行く者はシンナー→大麻→合法合成麻薬→覚醒剤→麻薬と坂道を転げて行く例が多いし、タテマエとしてはやくざの掟として組員は薬物禁止で即破門となっている。(現実には幹部クラスが薬物濫用で検挙されている)

 中学高校で非行集団を仕切り、暴力団に繋がる暴走族の配下として毎度多額の恐喝金を被害者の振りをして集めそこから4割もピンハネする様な場を仕切る図太いのは薬物には手を出しておらず、逆にずっと虐め対象としてタケシ軍団の集団虐め新ギャグの被害者役ばかりさせられたり、万引きを命じられてそれを口実に更に悪事の強要を受けて刑事処罰を一手に引き受けたりと、散々非条理に虐げられた層が、不登校になったり、突然変異で粗暴凶悪化し少年鑑別所、少年院送りとなる一方でシンナー薬物に走り、抜け出せないというのが目立つのだ。ワルの元締め側は恐喝被害者を装うために、引っ越しのバイトに1日だけは出掛け、カモ共をそのバイトに送り込んでカンパとして貢がせ、上納分を除いて丸ごと懐に入れる。被害者を装って大きな実入りがあるから暴力団・暴走族のカンパには喜々として応じて全校のカモを「先輩から言われてる。助けて」などと米つきバッタのように頭を下げて廻り、一方で特定の対象者に対する連日の集団いじめでカモたちを威嚇しながら毎度30万円〜50万円という金を集めるのだ。その集金活動中に当の暴走族が授業中の校庭を爆走して「カンパ」を煽り、そのトンでもない事情に気付かない学校は「外部暴走族侵入防止対策」であたふた空転するだけ。29万を集めて18万上納で、集金が学校にバレても多額のピンハネ分は気付かれず丸儲けだったから恐喝集金を止めるわけはない。この例では集金総額の情報と上納額の差を調査した学校側が見過ごしてしまったのだ。カモ毎の要求額リストが作られ組織的に集金されたという命懸けの告発情報を得ていたのにそれを信じ切れずに見逃したことで、恐喝ルートは潰れたが。告発者はその粉砕された恐喝ルートから「ぶっ殺してやる」などの脅迫で1年以上執拗に追い回されることとなったのだが、学校も警察も事前保護に動くことは無かった。「先輩」を庇って冤罪で少年院送りになる例もあるとされるほど厳しい掟を冒しての告発なのに自校生徒に「犯人」を作りたくなかったのだろうが、集団暴行いじめで何人も不登校生徒を作り、そのいじめの威圧で授業を抜け出してサボる大グループを生じさせたワルを厳しく弾劾して反省を求めれば良いものを中途半端にして数多くの生徒の人権、学習権侵害を許してしまった。

 「暴走族」と云えば一般には集団でやかましく走り回る連中を指し、集団走行がなくなれば対策に効果があったことになるが、実際の構造をみると、東京、神奈川、千葉、茨城、埼玉あたりでは暴力団に繋がる「先輩-後輩」関係の恐喝金集金構造こそが暴走族の実体で、暴走行為はそのあだ花と云う方が当たっていた。学校内恐喝でも組織化され、被害者が恐喝金支払いに窮すると別働隊が「金を貸す」と現れて恐喝金を支払わせ、違法無効な恐喝金から請求権のある借金に転換させて被害者を更に追い込むのが暴力団ルート暴走族恐喝の常套的ノーハウによる三文芝居である。他地域でもそれは同様だろう。暴走行為を制圧しても高校底辺校を中心に中学まで伸びた暴走族の恐喝行為は無くならなかったのだ。なお、一般人の感覚ではツーリング族まで暴走族に含めているが、それは多少の交通違反はあっても犯罪組織に繋がるものではない「走り屋」などと呼ばれる別物の層で、雑誌で言えば少年院実体験記で売った「チャンプロード」誌にみられる層が問題の(犯罪型)暴走族だ。

 「当たっていた」と過去形で書くのは、この各地に作られていた恐喝組織のメンバーをスカウトして超高利のヤミ金をやらせて、子供相手の恐喝より遙かに荒稼ぎして、一時は「成人式にはセルシオで行こう!」などと悪乗りしまくって、旧来の少年恐喝型「先輩」を馬鹿にするほどの存在になったからだ。借金という具体的弱みを高利に転換して突く恐喝の方が生徒ねらいより遙かに効率が良かったから暴走族系恐喝経験者は好成績を上げることとなった。それが世論の追及で法改正され取り締まられてどこへ行ったやら………。
 従前通りのヤクザ屋のシノギといえば、薬物覚醒剤や大麻の他、一部は無用で超高価な「耐震工事」や「床下換気扇工事」(1基10数万円以上)に流れたが、集金中の校庭暴走などかっての恐喝集金でのあれこれの劇場型三文芝居はやくざ暴力団のパターンであり、被害者をだます仕掛けとして共通なので振り込め詐欺集団に流れていることが強く疑われる。手持ち情報を集約整理するだけで状況が分かる警察がそれらの流れを理解していて取り締まり実績が上がらないのはなぜだろう?某地域には30歳を遙かに過ぎて娑婆に戻ったものの暴走行為には誰も付いて来ず、時折いい歳をして単機暴走しそれらしい中学高校生を捕まえては「俺が誰だか知ってるか?!音に聞こえた○○の●様だ」と昔の悪名を確かめてるのが居るんだとか。その噂を確かめてみた人がいて、遙か離れた地域の同年代の人がその悪名を知っていて「本当なんだ!」と納得。割の良い経済犯罪への世代交代が進んでしまった。   (08/08/25追記)

2008/08/22 23:55
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