75-参-予算委員会公聴会-2号 昭和50年03月15日
○星野力君 私は、村越公述人に簡単な問題を二つお聞きいたしたいのです。
一つは、同和問題におけるいわゆる窓口一本化の問題でございます。公述人から先ほど来、この問題につきましていろいろ説明がなされましたが、窓口一本化が現実に大きな弊害をもたらしておる、大きな不合理、不公正を引き起こしておるということは否定できないのではないかと思います。あなたの言われる部落解放同盟、この推薦なり、あるいはそこの推薦する人によるところの研修を受けるなど一定のそういう条件のない者は行政の行為であるところの事業の対象になり得ない、こういうことが起きておりますが、実際問題としては、思想、信条その他の理由から、あなたの言われる部落解放同盟に所属しない、あるいはその研修を受けることを拒否する、そういう個人やまた解放運動の団体もあるのでありますから、いま申しましたようなことを条件にして行政行為の恩恵を受けられないというようなことになっては、非常に行政の不公正ということも生まれてきますし、新しいこれは差別を生ずるものである。現にそれが行われておるということに対してどうお考えになりますかということが一点でございます。
第二のことは、解放同盟のこの運動の中で、要求を貫徹するために、あるいは糾弾というような口実のもとに、非常にしばしば暴力が使われる、暴力を伴ってその運動がやられる、要求の貫徹が行われるということであります。これは行き過ぎということでは片づけられない問題ではないかと思う。その間に非常な人権じゅうりんというようなことを引き起こしておるのを、私どもたくさん見ております。そういう運動のやり方をどうお思いになっておられるか。たとえば兵庫県の八鹿高校でございますか、あそこでは周知のように恐るべき暴力事件がやられて、暴力者が現実に警察によって検挙をされておるわけでありますが、こういう運動のやり方をどういうふうにお考えになるかということであります。長い間の圧迫、差別に苦しめられてきた人々として、それも当然なんだ、当然でないにしても、やむを得ないことだと肯定されておるのではないと思うのでありますが、その点についてお聞きしたい。こういう二点であります。
○公述人(村越末男君) 同和行政における窓口一本化の問題でございますが、先ほどちょっと例に引きましたけれども、たとえば東京都庁が世帯更生資金を同和関係の住民に貸し付ける場合、部落解放同盟と都の行政職員からなる同対協の関係者からいわゆる研修を受けて、その金を借りてくる。これも一つの窓口一本化の問題につながって大きな問題になったわけでございますが、私は、そのことは当然避けるべからざる必要事だと思うのです。と申しますのは、先ほど申し上げましたように、数十万人と推定される被差別住民と、東京都庁がいわゆる部落という地区指定をしていないために、一千万人に上る世帯数の実は区別は、法的にも現実的にもつかないわけでございます。そうしたときに、同和対策事業特別措置法に基づき同和対策事業のために貸し付ける資金を、申込者にオーケーよと全部貸し付けますと、これは全く無限定な(「有資格者ですよ」と呼ぶ者あり)――有資格者とだれがこれを認定をするか、できないんですよ。そうしたときに、やはり地域住民が、五十三年来の解放運動の歴史を持つ部落解放同盟が、都と、行政と協議しながら、その人々に何のためにこの同和対策事業資金を貸し付けるかという説明をしなければ、一体、同和対策事業における世帯更生資金の貸し付けの意義はどこに生まれてくるでしょう。
このことは、さらに、私は歴史的に事実を知っておるわけでございますが、いま部落解放同盟を盛んに非難中傷していらっしゃる政党の方々も、この同和行政窓口一本化の問題には、ともに闘い、ともにこれを維持してきた歴史があるんです。その歴史事実を全く御存じない、言うなれば無知の人々がこれを宣伝扇動して、まるで犯罪かのごとく言っていらっしゃる。私に言わせたら漫画みたいなことが現在起こっているわけでございます、これはね。さらに、いいですか、大阪におきまして同和対策事業のいわゆる推進促進協議会が生まれたとき、私はその歴史事実を知っておるんですが、それを創立した人も、ずっと共産党の方と一緒にその事業を推し進めてきたわけでございます。私はこの事実は尊重しなければいけない。幾らその問題に関する評価が違い、政党政派の利益が違いましても、部落差別を根絶することは単に党利党略の問題じゃない。これはいかなる政党といえども、思想、信条を持つといえども、この不当なる人権侵害に対する闘いは、まさに全国民的な問題である。この問題に対して私は党利党略を持ち込むことは絶対に許されないだろう、このように判断するものでございます。
さらに、部落解放同盟の運動の中で糾弾がございました。一九二二年三月三日に全国水平社が生まれました。御承知のように水平社というのは、レベラーズというあのイギリスにおけるデモクラシー集団の思想が一つは継承されたと思われるわけでございますが、その創立大会におきます決議の一つに「われわれは特殊部落民その他の差別用語によって差別するものに対しては徹底的に糾弾をなす」と、こう言ったのでございます。これは決議をいたしました。さらに、その創立宣言におきましては「人間に光あれ」と叫んだ。皆さん、糾弾闘争というものは、人権を無視じゅうりんされた被差別集団が、おのれの人権を確立するための唯一の闘争手段であったのである。この問題が、いいですか、これは共産党の諸君も非常に戦前、この糾弾闘争の中に積極的に参加してもらいまして、日本の民主主義発展のために大きな実はエネルギーとなったのでございます。
ところが、私が承知したところによりますと、昭和四十年に同和対策審議会答申が出されまして、実は被差別集団である部落解放同盟の解放の闘いの中に、二つのグループが生まれました。一つは同対審答申を積極的に評価するものと、同対審答申を否定的に評価するもののグループがあらわれたのでございます。これは全く現象的な問題でして、その背後にはいろいろな思想的な問題があるわけでございますけれども、この中で実は共産党の方々が解放同盟から離脱し、あるいは除名せられたりした事実がございます。この中で、部落解放同盟正常化連絡会議と称する、解放同盟を正常化するためのそういう集団がその後つくられてまいりました。このときに、私は率直に申しまして、この二つの集団が本来は一つで、部落解放同盟を名乗るものと正常化を名乗るものですから、本質的には一つのものでございます。ところが、部落解放運動は大衆組織でございまして、大衆の要求を実現することなくしては、実はその闘いはあり得ないわけでございます。このとき、非常に在来長い歴史にわたりましてともに窓口一本化を闘い、行政闘争いたしました者たちが、私たちにも窓口をよこせという私は率直な要求があったのだと思います。そういう要求が実は組織内外の問題として、自分たちのいわばグループの利益を解放同盟非難という形で実現してきた、ここに大きな問題があったように思います。
八鹿高校の人権問題につきまして、今日、日本の国家内で暴力是認を唱える人はだれ一人いないのであります。また、法的に許されないのでございます。問題は、八鹿高校の場合長い歴史がございまして、あの部落問題研究会が、一部の教師の集団によりまして積極的に部落解放同盟非難中傷の場となりまして、このときに被差別部落出身の主に、女の子もおったのですが、高校生たちは、この非難中傷に耐えがたくして離脱したわけでございます。そうしてさらに、そのままになっておったわけですが、積極的にいわゆる部落解放のために本当に頁献ずる研究集会をつくらなければいけないと言って、部落解放研なる組織を、いわゆるサークルをつくろうとしたわけでございます。そうすると、先生がそれを認めない。ついには自分の教え子に対して対話を拒む、話しすらできないという状況が起こったわけでございます。
こういう、私は教育が全く不当なセクト性のためにゆがめられることを、非常に根本的な問題として恐れるわけでございます。この結果が、いろいろな経過の中で、あの不幸ないわゆる暴力事件と称されるものが起こった一つの歴史的原因でございますが、その暴力の問題についても、事実の問題はいろいろな認識の違いがございますけれども、私は非常に不幸な事件だと思う。いわゆるマイノリティーが半世紀かけた解放運動の中で、逆に暴力云々によって宣伝せられて孤立させられていくという不幸は、私は忍びがたい。このときに、良識ある人は、この不幸な事件を解決するためには、一切の悪らつな宣伝は停止しなければいけない。少なくとも良識ある人は、その判断の上に立って問題の、本当に人権確立のための方向に、その問題が一つの出発点となるように私は処理されなければいけないと思うわけでございます。以上。
○委員長(大谷藤之助君) それじゃ簡単に一問、お願いします。
○星野力君 簡単にやったんですが、お答えが長くて、私の質問は非常に端的なことなんですけれども、それに長々と別のところでお答えになっておりますから、一言言わしていただきたい。
村越公述人に申し上げます。私は別段、先ほどの質問をお聞きになればわかりますように、党利党略論議をここでやろうと考えて質問したのではないのであります。あなたは共産党を名指していろいろなことを言われました。また、私は過去の部落解放運動について、いまここで論議しようと思って質問いたしたわけでもございません。私は過去のことではなしに、現実に窓口一本化という問題が大きな不合理、不公正を引き起こしておる。同じ部落の住民であり、同じく行政行為の対象になるべき資格を具備した人間が、あなたの言われる部落解放同盟に所属したり、あるいは推薦をされたり、あるいはそこの研修を受けなければその行為の対象に、事業の対象にならないということは、非常にこれは社会的な不公正である、これをどうお考えになるかということを申し上げたのですが、それに対しては正面からお答えがなかったと思うのです。私は何も行政の説明、それが一切要らないなどという立場から言ったのではございません。あの研修なるものをどうお考えになるか、こういうことをお聞きいたしたのであります。
また、八鹿高校の問題については、私たちもちろん糾弾即暴力だとは考えておりません。迫害され被害を受けた者が、加害者、圧迫者に対して糾弾する権利、これを一概に否定しているものではありませんが、いかにも私たちが糾弾そのものを一切認めないかのような御説明、それから暴力を肯定するのではないと、こう申されながらも、暴力があったことについて弁解されておる。正面からのお答えがなかったことは非常に残念に思っております。しかし、もうお答えは要りません。これで終わります。
※→八鹿高校事件関連国会質問一覧 1974/11/22〜1975/03/31