74-衆-予算委員会-2号 昭和49年12月19日
○村上(弘)委員
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そこで私は、次の問題に入っていきたいと思うのです。民主主義、とりわけ暴力一掃の問題であるわけですが、暴力に対する態度の問題は、言うまでもなく民主主義と人権の根本にかかわる問題であります。本会議などでも取り上げられました兵庫県の八鹿高校事件に対する態度の問題は、それゆえにきわめて重要である。同時にこの問題は、教育の自主性や中立性、あるいは地方自治の根幹にもかかわる問題でもあるわけです。そこで私は、この問題をなぜこの予算委員会の場で取り上げるのかという点について、幾つかのことを最初明らかにしておきたいと思う。
第一は、この事件がそれ自体たいへん異常であるということ。被害者の人たちが高校の先生で、数がたいへん多いし、その被害も重いということです。場所は白昼の路上で起こっておるということ。それから学校の中でたいへんな集団リンチが行なわれて、やり方が残忍であるということ。しかも、延々十三時間、まさに教育史上前例がないできごとであるわけです。
第二に、この問題について、学校や地方自治体などの公的機関が、この暴力に屈服させられ、後にはこれを容認し、加担しさえしてきておるということです。
第三は、マスコミがこの問題をほとんど報道しておらないということ。真相がほとんど伝えられてこなかったということです。
第四は、残念ながら政党の一部がこれを公然と支持したり激励をしてきておるということがあるわけです。
第五は、そういう状況のために、この重大な暴力や蛮行が依然として温存されておるあるいは再発する可能性があるということです。
最後に、部落並びに部落の解放運動、この運動自体にも非常に大きな損害を与えつつあるということです。
私がこれから言います団体名、部落解放同盟という場合、朝田善之助氏を委員長とする解同朝田派、それからこの暴力行為を行なったその地域組織である、丸尾という者が支部長をやっておる組織、丸尾派ということで呼びますが、この部落に関する組織には、部落解放同盟正常化の連絡会もありますし、それから同和会もありますし、その他たくさんの組織がありますから、この点ははっきり前置きをしておきたいと思うのです。部落解放同盟朝田派をここで解同と言いますが、こういう蛮行のために、部落解放運動そのものが非常にゆがめられている、大きな損害をこうむってきているということからも、この問題はどうしても明らかにし、取り上げる必要がある、こういうふうに思っているわけです。
そこで、まず、事実問題について最初少し触れておきたいわけですが、すでに福田公安委員長が述べられておりますけれども、負傷者の数だけでなくて、負傷の状況、それからリンチのやり方ですね。使用した武具、凶器、これは一体どんなものであったか、ちょっとお話をしていただきたいと思います。
○福田(一)国務大臣 お答えをいたします。
先般、本会議におきまして、私がいささか報告をさしていただいたのでありますが、この事件は、御案内のように、ただいま実は捜査並びに逮捕をいたしまして取り調べをいたしておる段階でございまして、その内容自体について私が誤ったことを申し上げますと、それは非常に影響するところが大きい。同時に、そういうことでありますから、この説明は政府委員をしてするようにさせたいと思っております。事実でございますから、事実問題については。その上で、もしまた御質問があればお答えをさせていただきます。
○山本(鎮)政府委員 負傷者は全員で五十八名、そのうち十三名が重傷ということになっております。現在入院中がまだ十名ということになっておりますが、負傷の部位はいろいろございまして、一番重いのは骨折ということになっております。それから凶器、この点はいろいろと現在取り調べ中でございますが、凶器はやはり捜査上の一番のポイントになるものですから、このことは、この機会に言明することを避けたいというふうに考えております。
○村上(弘)委員 負傷の状況しか述べられなかったわけですが、私のほうから簡単に述べておきたいと思います。
この骨折は、肋骨、腰椎、横突起などの骨折が十三名になっています。予ての他全身打撲。これは、やけどなどいっぱいありますが、特に失神した人がたくさんいるというのが特徴です。
それからリンチのやり方ですね。この点では、頭に対しては飛びけり、それからほうきの柄でなぐる。電柱や机、壁にぶつける。それから毛髪を引っぱる。顔に対しては、ほおをひねって、単にひねるんじゃない、ちぎり取るように引っぱるわけです。長ぐつでなぐる。それからつばをはきかける。このつばも、流れるほどつばをはきかける。それから水の入ったバケツやたらいの中に顔を突っ込む。たばこの火を顔や首に押しつける。胸や腹や腰に対しては、金具のついた半長靴でける。手足に対しては、靴やいすの足で踏んづける。指の関節の部分にボールペンをはさんで、そして強く握る。頭から全身に水をぶっかける。婦人教師を裸にする。これはもう破廉恥きわまりないです。片山先生などは、水をかけて裸にして、それに扇風機をかけて冷却する。耳にハンドマイクをあてがい大声でわめく。汚水を無理やりに飲ませる。鼻の中に水を入れる。それから二、三人がかりでかかえ上げて地面にたたきつける。ありとあらゆる蛮行を尽くしてきたわけです。
それで、武具、凶器については、証拠になるからということを言っていましたが、牛乳びん、青竹、腰かけ、ハンドマイク、たばこの火、メリケンサック、びょうのついた半長靴、南京錠、鉄製のバール、こういうふうなものを使ってやっておるわけです。
この際、ついでにちょっと聞いておきたいわけですが、十一名を逮捕するときに、警察はどれくらい動員しましたか。これは公安委員長。
○山本(鎮)政府委員 十二月二日に四名を逮捕する際は約五千名、十二月十二日にあと七名を逮捕するとき約二千名ということになっております。
○村上(弘)委員 二回目は……。
○山本(鎮)政府委員 二回目は但馬地区は二千名でございます。
○村上(弘)委員 連合赤軍と浅間山荘で銃撃戦をやったときの警官の動員が、新聞報道ですが、実動員大体千二百人ですね。これは十一名逮捕。最初は四名です。四名逮捕するのに五千人を動員しておるのですよ。いかに凶悪犯であったかということです。
私は、この暴行や集団リンチがどのように行なわれたかということを、ごく簡潔に最初に述べておきたいと思うのですが、路上の場面で最初暴行をふるった。次は学校の中で三カ所。第二体育館に最初全員を連れ込む。そこで話し合いに応じようということで、話し合いをさせるための暴力。それから次は、話し合いだと称して、本館の会議室や解放研のクラブの部屋、部室に連れていく。これが学校の中の第二現場なんです。第三回目は、第一体育館というところに連れていって、ここで全部を糾弾し尽くして、それで勝利式みたいなセレモニーをやっているわけなんです。
こういうことになるわけですが、路上の模様について、きょうは現地の方も来ておられますが、簡単に申してみますと、稲津先生という先生が告訴状の供述書に次のようなことを書いております。これは校門から約三百メートルの、商店街の幅四メートルの三叉路なんですね。ここで丸尾らにはさみ打ちになるわけですが、そこでは、「スクラムに対して、左右の腕を力一ぱい数回けり、こぶしで頭を数回なぐり、くつでからだのあちこちをける。ショルダーバッグはちぎれ、防水ジャンパーは脱がされ、めがねはどこかへ、バンドも同様、運動ぐつも脱がされ、くつ下も取られ、はだしだ。このころ頭はぼうっとしていた。両手足を持たれ、付近を通りかかったトラックの荷台にほうり込まれる。そのときトラックにはすでに数人の教職員がおって、井上先生は鼻血を流した。私は苦しくてうつぶせになっていた。そのトラックの運転手は病院に運ぶものと勘違いしたらしく、学校を通り過ぎて走る。そうすると、運転手の窓ガラスがこわされて、丸尾らが運転手をなぐる。そして運転手はおろされ、荷台にやはりほうり上げられた」、こういうようなことが起こっておるのですね。通りかかったトラックがこういうことのために使われ、運転手までがリンチにあっている。
そういうふうにして、第二体育館に全員が連れ込まれるわけですが、ここの状況について藤村先生の供述書ではこういうふうになっていますね。「一人ずつバラバラにされ、私は一〇人位の、顔を見たこともない男達に取り囲まれ、「お前らなんで解放研と話をしないか」「差別教育をするのか」等と目の前でどなったり、耳の横で携帯マイクのスピーカーで大声を出され、更に、後から髪をつかまれ、「上を向け」と言いながら、坐ったままの私の顔を無理に上に向けさせ、横から手拳で殴ったり、皮グツで蹴られたりしました。」飛ばしますが、「黙っていると一層ひどく殴る、蹴る。誰かが「水をくんで来い」と言い、私は着ていたコートとブレザーを脱がされ、バケツの水を後頭部から背中にかけて、シャツの中にかけられ、更にくり返し殴る、蹴る、水をかける等をされ、結局三回もバケツの水をかけられ、痛みと寒さで気が遠くなりそうでした。」こういうふうに言っております。
それから、この校内の第二現場の状況について、片山先生の供述を見ますと、この先生は教員組合の支部長さんで、最も残忍なリンチを受けたわけですが、三時までは第二体育館で糾弾され、それから解放研の部室に連れてこられたわけです。「椅子に坐らせ」このガキ、しぶとい野郎だ」とどなりながら顔面を手拳で往復ビンタのように数十回殴りつづけ、さらにみぞおちを三回位立て続けに蹴とばしたため嘔吐し、気を失いそうになった。この暴力を振った男はプロの暴力団のような強力なパンチの持主であった。」「その後、タバコの灰の入ったぞうきんバケツの汚水を無理矢理口に注ぎこみ、その上鼻にもバケツで水を注ぎこみ、呼吸を著しく困難にした。「お前は片山か」「お前みたいなものは死んでしまえ」「しぶとい野郎だ」などと罵声を浴びせた。さらにメリケンサックを手拳にはめた男が、その手拳で十数回顔面を殴りつけた。このような状態は同夜九時すぎまで続いた。」十時過ぎから――もうすでに晩の九時になっておるが、その後さらに会議室に連れ込んで、「同和教育について自己批判し、「確認書」を書くように強要したが、同告訴人がこの要求を拒否したところ、傍にいた男が同告訴人の手の指を反対側にねじり、鉄のバールで脇腹を数回にわたり突いた。」さらに休養室に連れていって、「被告訴人らは、殆ど意識を失いかけている同告訴人を休養室に連れ込み、着がえさせるという名目で裸にし、扇風機をかけて、冷風を直接濡れた身体に吹きつけた。同夜十時頃、それでも屈しないでかすかに生き長らえている同告訴人に対して最後の止めをさす目的で、同告訴人の腰部に対して集中的に力一杯蹴りあげてきた。この為、同人はついに力尽き、全ての抵抗力を失って意識朦朧となった。」こういうふうに供述しているわけです。
私はお断わりをしておきますけれども、このとき、この学校に動員されていた部落の人たちが、みんなそういう人たちであったんじゃないということです。もうやるなと涙を流してとめておった人もあるということですね、先生などの供述では。それからけんかをしているのですね。つまり、やってはいかぬという人に対して、やるべきだといって、この幹部たちが押しつけるわけですね。それで内部でけんか状態が起こっているということも、先生方はそのとき話をしています。
それで、糾弾し尽くして最後の場面になるのですが、この模様について、米田先生という方が次のように言っています。ここの場面は、最後の勝利の祝賀会みたいなものであって、十六ミリのフィルムを丸尾らはとっておるわけですね。ここの場面を特に一番クローズアップしているのですが、「丸尾支部長が「今から糾弾会を行う」と言って、教員を二列に並ばせ、同盟員数百名が並びました。その上で、一人一人に職名と名前を言わされ、丸尾が「自己批判書」を片山に示し、「これは君が書いたものだな」と言っておりました。又、丸尾は、「八鹿高校の職員室へ入って来たら、お茶の一杯も出してくれるやろな」。これはもうほんとうにファシストの態度ですね。やっつけて瀕死の状態の者に対して、今度職員室へ来たら、わしにお茶の一ぱいも飲ましてくれるやろうなと、こういうことを言うておるわけです。そうして、そのもう倒れかかっておる先生方の前をハンストの生徒が行進したということになっている。「そして、「糾弾会」が終わり、その後、全員職員室へ連れて行かれ、後から校長も入って来ました。」というふうに言われております。
そこで、そのときの負傷の状態がいかにひどかったかということを片山先生の写真で――これもまあ相当あとの写真であるわけですが、この写真を見ていただくとわかりますように、この先生は細面の方なんです。こちらの写真が現在の状態で、まあどちらかというと細面ですね。ところがこのときはもうまさにフットボールみたいに顔がふくれ上がっておるというような状態であるわけです。リンチの状態がいろいろな写真でとられておって、そのときの直後の状態ではありませんけれども、これはまあ皆さんのほうに、事実を知っていただくためにちょっと回して見ていただきたいと思うのです。
そこで私は、以上の事実に立って、文部大臣に最初にお尋ねしたいと思うわけですが、このような暴行や集団リンチで、話し合いだとか確認会だとか糾弾会とそれを呼んでおるわけですが、そういうことをやるために学校を使用しているわけですね。校長は使用さしておるわけです。このことはよいことか悪いことか、どうですか。
○永井国務大臣 私は、この県立八鹿高校の事件を聞きまして、学校教育には絶対に暴力というものがあってはならないと思います。校長の問題につきましては、校長先生は、私の理解しておりますところでは、この事件が起こるまで指導に当たってこられたわけですが、防ぎ切れなかった、しかし加担したのではないというふうに承知いたしております。
○村上(弘)委員 まあ、防ぎ切れなかったということは、やりたくないことをやったという意味かと思いますが、私が聞いておるのは、こういう集団リンチ、暴力をする、そういう行動をやるために学校を使用させるということについてどう思うか、こういうことに学校を使用さしてはならないということは明らかにしておくべきじゃないか、これをお尋ねしておるわけです。
○永井国務大臣 学校が話し合いの場所であるのは当然でありますけれども、暴力をもって糾弾をするような場所じゃないということは、申し上げるまでもないことであります。
○村上(弘)委員 この糾弾闘争の現地闘争本部、つまり八鹿高校差別教育糾弾闘争共闘会議なる団体が、この丸尾らの暴力と脅迫でいわばデッチ上げられておるわけですが、この共闘会議の現地闘争本部が校長室の隣の応接室に設置されておったのですね。こういうことも、管理者である校長は許してはならぬことだと思うのですが、どうですか。
○永井国務大臣 ただいまのような事実につきましては、私はまず、この直接の教育行政の担当は兵庫県教育委員会でございますから、兵庫県教育委員会と連絡をとりながら、すでに進んできておりますが、いまの問題については、兵庫県教育委員会からの詳細な報告というものを受けなければならないと思っております。
○村上(弘)委員 はっきりとこういう行動が行なわれ、そしてその結果、逮捕もされておるわけですね。現地では、その解放車なんかがどんどん学校の中に出入りしておって、彼らが学校の中で暴力をふるって、これだけの負傷者が出ておるということもはっきりしておるわけです。その行動の闘争本部が校長室の隣の応接室に置いてあるわけですね。こういうことについて、いいことか悪いことか、こういうことがあってはならぬことかということを聞いておるのですよ。
○永井国務大臣 暴力が発生するおそれがあるような闘争本部が学校内にできるということは、悪いことでございます。そこで、これにつきまして兵庫県の教育委員会は、事件が起こる前から職員を派遣いたしまして、そういうおそれがあるというので、指導に当たっていたというふうに私は承知いたしております。しかるに事件が起こりました。事件が起こりましたので、これは文部省としてもまた責任がありますから、そこで文部省は、山崎政務次官に現地の兵庫県におもむいていただきまして、これは当然悪いことでありますから、したがいまして、兵庫県の教育委員会委員長、教育長、副知事にお目にかかって、そして指導助言の立場で、学校の中で暴力が行なわれることは絶対に排除しなければいけない、そして授業が再開されなければいけない、さらに教育が正常化されなければいけないという点にわたって、指導助言に当たったわけでございます。
○村上(弘)委員 問題にはっきり答えていないわけですが、校長は、八鹿警察署長が内部の状況を問い合わせ、警察力の発動をしようかという話が五回あったわけですが、そのつど、平穏に話し合っておると言って、この警察力の発動をいわば事実上拒否して、そして丸尾らが学校の中でこの残虐なリンチをやり尽くし、彼らの目的を達するようにこれを保障する、こういうような行動をやっておるわけですね。
それからこの校長は、教頭に次のような指示をしておるわけです。第二体育館に行って、最初入ってきた学校の先生方に対して、だれが来ておるか、だれが来ておらないか、この名前を調べてこいということをやって、そしてそこにいなかった先生方に対して電報を打っておる。業務命令ということで、学校に出てこいという電報を打っているんですよ。この電文を見ると、「事態収拾のため、学校におけるすべての校務運営並びに教育活動について校長の指揮監督に従うことを命ずる。直ちに学校に復帰せよ。」こういうまさに半死半生のような状態に追い込むための場所に、おらぬ先生にまで電報を打って、そうして職務命令だ、命ずる、出てこい、こういうふうなことをやっているわけです。これが正当な職務命令と言えますか。どうですか。
○永井国務大臣 私は、先ほどから申し上げましたように、この問題に関しましては、非常に重大な事態でありますから、文部省に当然責任があるのです。しかしながら、非常に重大な事態であって、その責任者というものは、当然に文部省とともに兵庫県教育委員会にあります。そうして暴力が発生したということは、これはやはり絶対に悪いことです。その事態について詳細に調査をしなければいけないということで、その調査が進んで、そして文部省が報告を得ようという立場にありますので、いまそういう方針によって調査を進めているということを申し上げます。
繰り返し申し上げますが、暴力が行なわれる、そしてそういうことのために教育委員会あるいは教育行政の立場というものが暴力を助けるというようなことがありましたらば、これは悪いということは、もう申すまでもございません。
○村上(弘)委員 具体的な問題は兵庫県教育委員会ということを言っておられるわけですが、その兵庫県教育委員会が、実はこういう集団リンチ、暴力行為に事実上加担し、共謀しておる。これはもうちゃんと事実がある。この事件の前日、但馬教育事務所の緊急指示というのがありまして、但馬一市十八町の教育長と教育委員に緊急合同会議を招集しておる。ここには県教育委員会の杢谷次長も参加しておる。そうして八鹿高校問題については、解同、つまり部落解放同盟朝田・丸尾派らを支持する、こういう決議を採択しておるのです。そうしてその当日はどういう状況かというと、数日前から杢谷教育次長らが八鹿へ出ており、山岡主任指導主事、それから畑中同和教育指導室参事、喜始、植田、芦田、こういう教育委員会関係の者を現地に派遣しておる。そして、上田平雄但馬教育事務所長が赤はち巻きを締めて終日現場におったじゃないですか。また、前田昭一社会教育主事は、この第二体育館の現場で、連れてこられた先生方に対して、「前もってこんなことになると言っておったじゃないか」というふうなことまで、そこで言うておるわけです。つまり、教育委員会自身がこういう暴力行為をやっておる朝田・丸尾らの行動を支持する、そしてこの糾弾行動に実際に参加して、はち巻きを締めて現場に入っておるのです。その教育委員会に、あなたは報告を待つ、どういう状況か言えと――。大体、兵庫県の教育委員会関係の当事者はみんな、こういう事実はなかった、あるいは、あったかどうかわからない、こういう態度を、口裏を合わせるようにとっておるわけです。
この問題について、これは八鹿町のある同和地域の人からの手紙なんですが、こういうふうなことが言われています。これは養父町解放研加入中学生を持つ一母親です。丸尾らが暴力で脅迫してつくり上げさしたこの解放研という組織の中に入れられておった生徒の母親なんですね。長いですから途中だけにしますが、「いままでの確認、糾弾とは一方的な罵倒であり、かりにも民主的とはいえないものです。八鹿町民はじめ各町で暴力に対して一斉に立ち上がろうと団結しつつあり、また全国各地から調査団が続々と町へ来られるというのに、暴力集団は、いま、十一月二十二日の道路上の「解同」朝田・丸尾派の行動を証言したりすると家に火をつけてやるとか言って、それぞれ脅迫をしたり、おどして回っているので、またふるえ上がっている始末です。その上、町長は、道路上で暴力のあった商店街目撃者の家を一軒一軒回って、「暴力はなかったですね、見なかったですね、そのとおりに証言してくださいね」と言っています。こういう事実を日本全国の皆さんはほんとうのことと信じられますか。しかし事実なのです、このおそるべき状態が。あの二十二日、冷雨降る川原に勇気をふるい起こして立ち上がった千人近い八鹿高校生は、いま歯ぎしりをして、おとなたちのふがいなさを嘆いています。きょうも高校生自治会の役員たちは、連日二時、三時まで、めぼを出し、睡眠不足でくたくたになって、このことに取り組んでいると聞いています。暴力に屈することなく、ほんとうの差別をなくすることでは、部落の中でも理解あるまじめな話し合いで解決しようという人は一ぱいいます。これを妨げているのは、利権にくらんだほんの一部の暴力分子たちです。これらを排除して、真の差別のない地域づくりを考えるにはどうすればよいか、皆さん、手を取り合ってこのことを訴えましょう。名前を書いて出したいが、事情を察知してください。」こういうふうに書いてあります。
ここにあるように、町も学校もまだ自由にものが言えないわけですね。逮捕されて少しは空気が変わってきておるけれども、まだ、政府がどういう姿勢を示すか、文部省がどういう姿勢を示すか、この姿を見ておるわけですよ。ですから、あなたが、県教育委員会のことだとか、学校長がどうであったか、闘争本部があったかなかったかわからぬからなどという態度をとっておる限り、このおかあさん方は、ああ、ほんとうに三木内閣は暴力に対してしっかりした態度をとっておるんだ、そういう問題は許さないんだ、そういう教育政策をとらないんだということを見るか見ないか、これを注目しておるわけです。
もう一度、そういう、学校の中に闘争本部を置くというようなこと、職務命令を出してリンチの場に引き戻そうとするような残虐な態度をとったことがいいことか悪いことか、そういうことは今後許しちゃならぬということをはっきり言ったらどうですか。
○永井国務大臣 繰り返し申し上げますが、文部省のこの問題に対する立場は非常にはっきりしております。といいますのは、まず第一に、学校教育の中で絶対に暴力というものがあってはならないということであります。第二は、同和教育の原則といたしましては、これはもう同和対策審議会の原則が答申に示されておりますが、教育の中立性というものを守っていかなきゃいけないということでございます。
そこで、では、教育委員会というようなことを一々言わないで、文部省はひとつやらなければいけないじゃないかという意味にも、御発言がとれますけれども、私はそうではないと考えておりますのは、やはり、教育の場合に、文部省がすべてのものに当たるというのではなくて、わが国の場合に、地方自治というものを尊重するという原則があり、さらにまた、地方自治の中で一般行政と協力しながら、特に教育につきましては教育委員会が当たっていくという、そういう非常に重要な原則というものがあるわけでございます。
ところで、それでは兵庫県教育委員会あるいは文部省は、いままでの経過の中において何事もなしてこなかったかというと、決してそうではありませんでした。まず、兵庫県教育委員会は職員を事前に送っておりまして、しかし、それが事前に送られていたにもかかわらず事件が起こったということは、御指摘のとおりであります。そこで今度は十二月三日に、文部省は山崎政務次官を兵庫県教育委員会に送ったわけであります。そしてその結果どういうことが起こったかというと、ともかく現段階におきましては授業が再開されるに至りました。しかし、授業が再開ということだけでは不十分であって、ほんとうに和気あいあいの中に教育というものが行なわれるべきものであることは申すまでもございません。兵庫県教育委員会は、これは兵庫県教育委員会において同和教育基本方針というものを出しているのですが、その原則というのは、先ほど申し上げました、文部省における同和教育の中立性の原則というものを確認しているものであります。そこで、文部省が先ほどのような指導助言を行なったのに対応いたしまして、兵庫県教育委育会も同じ立場に立ったと思われますのは、十二月十四日に予定されておりましたところの現地を中心とする大会です。これはその事前に状況がわかりましたために、兵庫県教育委員会の十三日の指示によって、十四日は中止されるに至りましたから、授業再開、それから十四日の大会中止というふうに、少しずつ事態が進んできているという、兵庫県教育委員会の努力というものが見られるものというふうに私は了解いたしております。
○村上(弘)委員 その十四日の集会を県教育委員会がやめた理由は何ですか。
○永井国務大臣 理由は、先ほどから申し上げました二つの原則でございます。それは私たち文部省の立場として申し上げた原則でありまして、暴力の排除、そうしてまた教育の中立性というのでありますし、また兵庫県教育委員会の同和教育基本方針というものが示されておりますから、私はそれに沿って指示が行なわれたものと了解いたしております。
○村上(弘)委員 ということは、十四日の集会は教育の中立性に反しておる、そのために中止をした、こうとっていきたいと思うのですが、あなたがそういうことを言っているというふうに理解いたしますが、解放同盟と連帯するとか提携するということは、同和教育の中立性とどういう関係になるか、この点についてはどう考えますか。
○永井国務大臣 私は、先ほどすでに御指摘がございましたように、同和教育に当たっております団体というのは、解放同盟を中心にしたものだけではなく、他のものもあるわけでございます。そうした諸団体というものの存在、そうしてまたそれが教育というものに関心を持っているということは当然尊重すべきことであって、それらの協力を得ながら学校教育を充実するように、教育委員会というものは活動していかなければならないと思いますが、党派的であってはならないと思います。
○村上(弘)委員 そこはわかりましたが、それまでの間に、実はそれに反する行動がたくさん行なわれておる。そして、この問題の発端だとよくいわれておる、解放研と話し合わないからとか、解放研を認めよだとか、解放研を認めないのはそれは差別であるというふうなことを学校の先生方に押しつけるということが、それ以前のすべての問題を貫いておるわけですね。
で、ハンストをやっておる、ハンストをやっておるのに話し合いをしない、だからこういうことが起こったんだというふうなことを言う者もあるわけです。しかしながら、ハンストをやる、これはビフテキを食わしてやっておるわけですが、このハンストをやる以前にどういうことが出されてきておるかといえば、この解放研を認めよ、これに三人の顧問を置け、この顧問は自分たちが指名する者をやれ、話し合いをやれ、自分たちの同和教育が間違っておることを認めよとか、こういうふうな内容を持っておるわけですね。それに従わなければ、これは無限の話し合いが要求される。これは普通だったら・話し合いというのは、相互の意見を自由に述べ合うわけですね。そうして一致する場合もあるし、一致しない場合もあるわけです。ところが、この解同丸尾らの言う話し合いというのは、屈服をするまでやるわけですね。彼らの意思に従うまでやるわけです。これは八鹿高校事件そのものなんですね。結局、それ以前の段階は、彼らの意思に思うようにならない、そこでだんだん威圧を加えてくる。これがずうっとエスカレートしてきて、解放車が入ってくる、学校に投光器が据えつけられる、こういうふうな状態が生まれて、いよいよ身の危険を感じて、先生方はきょうはもう集団でやられるかもしれぬということを察知して、それでもうみんな身を守るためにスクラムを組んで帰っていくわけです。
先生方は、自分たちは圧力や暴力で良心を変えることはできない、こういうことを言っているわけですね。それに対して、ハンストという道具立てを背景に、暴力をもって話し合えと言う。そうしてその話し合いの中身は、自分たちへの屈服、差別を認めよ、差別者であることを認めよ。これを一たん認めたら、それを自己批判せい、そして行動で示せ。そして新たな糾弾闘争にどんどん参加させられて、あれほどの大量の人間が動員される状態がすでにできておるわけです。
こういう話し合いに応じないということは、教育の中立性、教師の良心を守る上に当然のことだと私は思うんですが、あなたはどう思いますか。
○永井国務大臣 私は繰り返し申し上げますが、文部省の方針は不動であります。教育というものに暴力というものはあってはなりません。次に、教育というものを推進していく上には、教育の中立性というものが必要であります。しかし、それは方針でありますから、それを実現していくためにはさまざまな努力が必要でありますが、それは、先ほどから申しましたように、中央にあります文部省、それから地方にあります教育委員会というものが、それぞれ果たすべき役割りがあって、そしてそのレールの上に乗せながら、申し上げた方針というものを推進していくのが文教行政の立場だと思います。しかしながら、さらに文教行政だけで処理し得ない問題が起こります場合には、学校内といえども、治安当局というものが活動しなければならないということ、これもまた申すまでもない、当然、文教行政として連携、協力しなければならないものと考えております。
○村上(弘)委員 どうも的はずれのことを、それ自身は間違っていないことでありますけれども、私が聞いておる具体的なことには答えていないわけです。学校の先生が、自分の良心を守る、教育は中立でなくちゃならない、彼らの支配に服するか、それでなかったら残虐なリンチを受けるか、どちらかにしかならないような話し合いですね。この話し合いに応じないからといって、校長は職務命令まで出しているのですよ。こんなことが同和教育の正しいあり方ですか。同和教育以外であるどんな教育だって、こんなものは正しくないことは明白じゃないですか。こういう具体的な事実に対する文部大臣の判断を聞いておるわけです。
同和教育それ自体についてもお聞きしたいと思うのですが、ここの学校の先生方の同和教育がよく行なわれていなかったためにこういうことが起こったというようなことも、一部ではいわれておるわけです。事実はどうか、一体どこが間違っておるのか、これは具体的に指摘しているものはだれもいないのです。それはそのはずなんであって、ここの先生方は、もう五年前から、どこの学校よりも早く同和教育に取り組み、部落研も組織し、寝た子を起こすなといわれておるような状況のときから、生徒と一緒に部落にも入っていって、そして実態もよく知って、差別がなぜ生まれるか、どうしてなくさなくちゃならぬかというようなことについても学習をする。同時に、この同和教育というものと解放運動というものとは区別しなくちゃいかぬ、教育と運動とはこれは別なんだ、こういう県教育委員会の教師用の「同和教育の手引」ですね、手引きどおりに、運動と教育は厳密に区別するという立場も、これまた貫いてきておるわけです。
ところが、この朝田派らが言うのは、丸尾らが言うのは、解放研の言うのは、同和教育は行動なんだと、まさに教育と行動を一体のものにし、しかも、自分たちの行動に服さなければすべて差別者なんだ、こういうことを押しつけて、その手段として話し合いというものを押しつけてきておるわけでしょう。
こういう具体的な内容をもってきているわけですが、この同対審答申は、御承知のように、「同和教育と政治運動や社会運動の関係を明確に区別し、それらの運動そのものも教育であるといったような考え方はさけられなければならない。」とこういっているわけです。県教育委員会は、その解同と連帯するあるいは解同を支持するまさにたくさんな団体の中の一つだけを支持し、その運動と連帯し、しかも彼らの非常に間違った理論と方針、それをまるまる支持する、こういうふうな態度をとってきておるわけです。どちらが正しい同和教育をやっておったのか。県教育委員会自身が、自分がきめた同和教育の方針、県教育委員会が出しておる同和教育の教師用の手引き、これを自分でかなぐり捨ててしまって、そうしてまるで解同の丸尾らの運動を支持する、それと連帯してやる、こういうことをやっておるじゃないですか。これはもう、ちゃんと県議会における教育長の答弁でも出ているじゃないですか。だから、こういう状態からいえば、どちらが正しい同和教育の立場に立っておったのか、こういう問題についてどう判断するかということと、文部省は同和教育に対して、解同丸尾やら朝田が言っているような、運動と教育は一体だとして、自分たちの考え方を押しつける、こういうやり方が正しいかどうか、どちらが正しいか、このことについての見解もあわせてお聞きしたいと思うのです。
○永井国務大臣 私、文部省の方針というのは申し上げたとおりでありますが、さらに政治活動というもの、あるいは政治運動というものを学校教育の場面に入れ込んでくるということは、教育と政治活動の混同でありますから、これは絶対にいけないものである、さような立場をとっております。
○村上(弘)委員 そのことに関連して、いま文部大臣が、ある特定の集団だとか、特に政治に対して、政治を教育に持ち込んではならない、あるいは特定の政治と結びついてはならぬ、こういう趣旨のことを言われたわけですが、学校の生徒をこういう糾弾行動に連れていくというふうなことについて、あなたはどう考えるか。
たとえば狭山差別裁判糾弾闘争というのが全国的にやられてきておる。裁判そのものは、刑事事件については公正にやる、事実に基づいてやる、これが一番大事なわけです。疑わしきは罰せず、これ必要です。しかし、差別裁判というふうに頭からきめつけてしまって、それに対してどんどん子供を動員していく、それに学校の生徒まで連れていく。たとえば和田山中学校では、校長先生まで一緒に、この糾弾闘争に子供を連れて、これも結局丸尾派らの圧力によってではありますけれども、参加しておる。あるいは大阪でも松原三中などは、やはり子供を、裁判に対する糾弾闘争、こういうことに動員しておるわけです。そういう状況はもう一ぱいあるわけです。こういうことについて、こういうことは今後やっちゃいかぬということを、はっきりここで言明されたらどうですか。
○永井国務大臣 私は先ほどからはっきりと言明しているつもりでございます。政治運動というものを教育の場と混同して、そして政治活動によって教育を左右しては絶対にいけないということを申し上げております。
○村上(弘)委員 その一般論が現実にどのように適用されるのかということが、いま問題なわけですよ。ですから、具体的に起こったこういう事態について、あなたは、それは政治活動に子供を動員していることだからよくないことだ、こうはっきり認めるのか、いや、それはどうかわからぬということなのか、やってもよろしいことになるのか、その判断がはっきりしないわけです。いまのような糾弾闘争に学生、生徒を動員する、これはあとでも触れたいけれども、橋本先生糾弾闘争というのがある。ここにはこの写真がありますが、こんなに生徒をたくさん動員して、そしてその家を包囲して、そして糾弾をやっておるんですよ。こういうことに生徒を参加させること自体が、あなたの言う教育の中立の趣旨に合うかどうか、このことをはっきり言うてください。
○永井国務大臣 私が申し上げておりますのは――これはよく見ました。大学で長く教えておりましたし、非常に私よくわかるのです。どの党派に限らず、政治活動というものを教育と混同するのは絶対にいけない、そういうことです。そして、しかしながら具体的に事態が生じた場合、兵庫県八鹿高校のケースについて申し上げましたが、それについて、今度は文部省はどういうふうにやっていくか、そのやり方については、それぞれのケースがあります。そしてそのケースに応じて、それはまた、わが国の法律に基づいたところの組織でございますから、でき得る限りこの原則というものを貫徹すべく努力するという、そういう決意であります。
○村上(弘)委員 そのケースはどうですか。
○永井国務大臣 これは、政治活動というものが教育というものの中に混同されているというケースであるというふうに認定いたしますならば、これはいけないということでございます。
○村上(弘)委員 学校の先生の糾弾行動ですよ。そういう問題に対する一つ一つの教育行政というものを、ほんとうに正確に、厳密に、厳正にやるということが非常に重要だと思うわけです。今日までこういう問題に対する文部省や教育委員会の態度がきわめてあいまいであったり、あるいは事実上それを許しておる、こういうことがあるために、教育の中の荒廃というものが非常な状態になってきておる。この問題を少し私は指摘したいと思うのです。
たとえば、大阪の浪速区の難波中学校というところがあります。ここの学校では、大阪の場合は、朝田、上田、こういうメンバーが解同の幹部であるわけですが、朝田・上田派、彼らの支配というものは非常なものですよ。
その結果、学校の先生方が、部落解放同盟あるいは同和地域の生徒に対しては、もう何か間違ったことをやっておっても、それについて正当な指摘ができないわけです。もしそれを指摘して差別者だと言われたら、もうその先生はたいへんなことになるからです。ですから、もうここでは生徒がどんな行動も自由自在にやっておるわけです。この浪速区の難波中学校の場合は、教室で生徒がタコ焼きを焼きおる。それから教室の中に爆竹を投げ込む。授業時間中に自由に出歩くわけです。しかも、その生徒が自由に出歩いている地域の解同の幹部からは、子供が自由に出歩くのを先生が見のがしておるのは差別だ、こういう批判を受ける。そうすると、これはもうほっとけないから、出歩くのについてくる。ついていっても帰らないですね。そうすると、帰れば糾弾されるから、その生徒のあとについておるほかない。引き戻すことができない。一日じゅうその生徒のあとについておる、そのクラス委員なんかもついていく、こういうような状態であって、十月二日以来一週間授業ができなかった、こういうふうなことも起こっておるわけです。これは非常な教育の荒廃ではないか。朝来でも、不法集会に先ほど言ったように生徒を動員して行っておる。
こういう教育の荒廃が生まれるような状態、これに対して、文部大臣はもっと現地を実際に見て、それを調査してこれをただす、もっと具体的な事実に即してあなたの一般論を適用する、こういう措置をとる必要があるのじゃないか。どうですか。
○永井国務大臣 ただいまの問題も、まず文部大臣が現地をよく視察して、そしてその原則ということだけではいけない、よく調べろ、それは全く調べるということは必要であると思っております。
そこで、大阪の問題についても、私は非常に重大であると考えましたので、いままで調べたことを申しますと、おっしゃいますように、十月二日時点において授業が行なわれておりませんでしたので、学校側が学年集会を開催して注意をいたしました。ところがなかなか簡単に解決いたしませんでしたけれども、幸いにして十月十一日から通常の時間割りでもって授業が行なわれるようになりました。そこで学校側では、学年集会のために欠けた授業時間をどうやって補充するかという問題がございますために、冬季休業期間中に、その一年生のみを対象として三日間補習授業を行なうという段階に到達いたしましたので、御報告をいたしたいと思います。
かように一つ一つケースがございますが、私はただ原則を申し上げているのでなく、そのケースにあたって原則の貫徹というものをはからなければ教育の荒廃が救えないという点において、非常に重要なポイントであると考えております。
○村上(弘)委員 次は、自治体が八鹿高校事件の問題でとった態度の問題についてお聞きしたいと思うのですが、同和予算の性格や目的はどういうところにあるか、これは総務長官にお聞きしておきましょう。
○植木国務大臣 同和問題は、憲法の人権の基本的な保障にかかわる重大な問題でございますから、同和対策審議会の答申があり、四十四年から同和対策事業特別措置法ができましたし、また長期計画が立てられまして、今年は後期の第二年に当たっている状況でございます。
現在まで、四十四年度には二十七億円の予算でございましたけれども、四十九年度には二百四十八億円というふうにたいへん大きな予算をとっておるわけでございます。私どもといたしましては、ことし同和対策室が総理府の中にできましたので、各官庁において行なわれます行政を総合的に調整いたしているのでございまして、地方に対しまして……(村上(弘)委員「あなたのところが何をしているか聞いているのじゃないのです。同和予算の性格と目的を聞いている」と呼ぶ)その予算を各地方の実情に応じて即応して使用していただくというのが、これは本来のひとつのたてまえでございます。同時にまた、地域住民がひとしく公平にその恩恵にあずかるということが、私どもがいまとっております諸施策の理念でございます。
○村上(弘)委員 同和予算の性格、目的とは的はずれのことを言っているわけですが、この八鹿町その他但馬一帯の自治体が同和財政というものをいろいろ組んでいるわけですね。たとえば先ほどのような八鹿高校のリンチを行なう場合のはち巻きだとかゼッケンだとか、こういうものも全部この同和予算で出ておるわけです。いわゆる糾弾行動、それから青年行動隊の制服、解放車という名の自動車、それから八ミリのフィルム、それからその現像費、彼らが行動するものはすべて自治体が保障しているわけですよ。このひどい蛮行、暴力の行動を、全部自治体が予算で保障していっているわけです。こういうような予算は、一体同和予算の性格からいっていいのかどうか。ゼッケンやはち巻きが同和予算の性格や目的に合致しておるのかどうか。これはひとつ福田自治大臣、どうですか。
○福田(一)国務大臣 いま御指摘になったようなものがその目的のみに使う意味で購買されておったとしたら、私は若干同和予算の使い方としては間違いであると思っております。
○村上(弘)委員 これはあとでも触れますが、その目的のために先に出して、もうこの予算化する前に使っておるのですよ。こういうようなひどい状態になっているわけですが、財政面だけでなく、人の動員も町当局が実際上加担している。
糾弾会へ町の職員を動員する。また町の保健婦、看護婦も現場へ行かして、リンチで失神した人たちにカンフル注射して、そしてそれで意識が回復したらまた糾弾する。こういうふうなことにまで町が実際上協力しているわけです。また、この地方自治体の事務所の中に、こういう彼らのいろんなたむろができていく。また事務の中にもそういう仕事が一ぱい含まれている。こういうふうな行動に地方自治体が参加するということは、これは地方自治体の本来の姿からいってどういうことになるか。どうでしょうか。
○福田(一)国務大臣 私は、この同和行政ということについては非常に理解をいたしておるつもりでございまして、従来恵まれなかった立場にある人たちを救うということは政治の目的である。私も同和問題には大いに協力をいたしております。しかし、いまお話しのようなことがあったことはまことに悲しむべきことだ、そういうことで、ほんとうの意味での同和の人たちの境遇をよくすることができるかどうかということを、実は私としては残念に思っております。
○村上(弘)委員 地方財政が丸尾らによって支配されて、彼らの蛮行のために自由自在に使われておる。先ほどの集団リンチの全体の状況がフィルムにも撮影される、それの現像費まで払わされる、こういうことがはたして同和予算といえるのかどうか。あるいは自治体がやっていいことかどうかということになるわけですが、そういうことのために、他方この地域住民は非常に大きなしわ寄せを受けておるわけですね。
たとえば八鹿町は、九月議会で同和対策費六百六十万円、十二月議会で九百四十一万円、これは計上見込みですが、合計して二千万円、先ほど言いましたように議決する前に支出しておるわけです。事後承認です。これはむちゃくちゃじゃないですか。近くの山東町は九月の補正予算二千九百三十万円のうち二千万円が同和予算です。解同らの要求で組まされているのです。こういうことはこの南但馬すべての町で起こっているわけです。全郷の予算規模は大体十億程度ですよ。ところが彼らは、七町から、四月から十一月までの間にざっと一億一千三百万円、彼らのための金を出さしておるわけです。こういうために町財政は全く破綻してしまっておる。朝来町では九億円の借金の上にさらに借金なする。
これは兵庫県だけじゃないですね。大阪はどうかというと、大阪府の同和予算は衛星都市を含めて五百七十三億円、これは政府の同和予算五百七十五億円と全く同額ですよ。大阪府だけで五百七十三億円も出しておるわけです。これは好きこのんで出している状態じゃないですよ。もう全く暴力、脅迫、彼らの押しつけでそうなっているのですよ。その結果、たとえば泉南市というところは、同和予算が泉南市の総予算の四九・七%を占めておる。ここの同和人口は、全人口の六・一八%です。六%のために四九%の財政が支出されておる。大阪市は、民生費の中の建設事業費は、たとえば保育所とか老人ホーム、この事業費のうちで同和対策事業費が七七%。あまり大きいので、ちょっと数字が間違いじゃないかと、私自身が思ったくらいです。こんなにひどい状態になっておる。大阪市の同和人口は二・二%です。民生費の中の建設事業費の七七%がそのために使用されておる。
大阪の学校の建設、これは大阪のほとんどの人が知らぬ人はないような状態にいまなってきております。たとえば、同和地域の学校にはたいへんな要求が出され、彼らがそのための利権を一人占めにし、そして建てられる学校というのはまさに、ここに奥野さんおられますが、あなたがこの前質問されて、夢のような話だといって、大阪ではもうたいへんよく知られているわけですが、栄小学校の建設総額五十億五千万円です。普通の学校は一校大体五億円くらいですよ、大阪の場合。これは広さ三万平方メートルです。三十二教室です。特別教室が二十あるのです。プールが二つあるのです。プラネタリウムの教室まであるんです。そうして矢田南小学校というのは四十六億七千万円、こういうのがどんどん要求されておるんです。そうして他方プレハブ教室でどうにもならぬ学校がいっぱいありますよ。緊急整備を要する小中学校が三百七十九校もあるんです。彼らはむちゃくちゃなんですね。暴力と脅迫のもとに屈服させられた地方自治体が、おちいり、しかも彼らと結びついて、いまやその罪の意識すらなくなっている、そういうところもあるのです。
そういう形で、住民は全く腹に据えかねる思いをしているわけです。しかしながら、いままであれだけの残忍な、残虐な行動が行なわれるときに、やっと十一人逮捕される。いま初めてこうして大問題になりつつあるというようなことになってきておるわけです。
もう一つ、私ここで言っておきたいのは、これほどたくさん同和予算を引き出しておる。それではさぞや同和地域の内部はみんな非常によくなっておると思われるかもしれない。しかしそうじゃないのです。そうではなくて、解同朝田・丸尾らが窓口一本化と称して、自分らだけを相手にせよ、その他の組織、同和会だとか、あるいは部落解放同盟正常化連絡会議だとか、こういう組織は相手にするな、部落差別を撤廃する運動はわしらが正しいんだ、わしらの言うことを聞け、こういうやり方で窓口一本化を押しつけて、そのために同じ同和地域の人も、こんな膨大な資金を出させながら、差別をされて、適用されていないのです。
たとえば同和住宅の家賃まで差別されておるのですよ。大阪市の浪速区の三島同和住宅では、朝田、上田らの組織に入っておる者は家賃を上げない。その他の者は全部家賃を上げておるのです。四倍以上上げていますよ。三DKで、いままで千百円だったものが、四千七百円払わされておるのです。
これは大阪だけじゃないです。あるいは但馬だけじゃないです。東京もそうですよ。ひざもとの東京も。東京では、御承知のように、美濃部都政のもとで、生業資金の貸し付けの問題について、この朝田派らの研修を受けなければ金を貸さない。この年の瀬を迎えて、いまだに生業資金を貸し付けないのです。朝田派らの研修を受けて、彼らの言うことを認めたら金を貸してやる、こんなやり方がありますか。これは明らかに、憲法や地方自治法、つまり法のもとの平等、あるいはひとしく役務を受ける権利がある、こういう憲法や地方自治法の重大な逸脱じゃないですか。この問題について、私は、自治大臣と三木総理の考えをお聞きしたいと思うのです。
○福田(一)国務大臣 ただいま御指摘されましたことの内容につきましては、私はそうであるということはここで申し上げることはいたしませんが、しかし、そのような差別が行なわれておるといういささかの事実は、私も聞いております。実はそういうことも聞いております。したがって、これからの地方自治体に対する態度としては、そういうような疑義を生ずるような予算の使い方というものは慎むべきであるということを私は指示をするようにしたいと思っております。それかといって、じゃあいままでのはどうするかというおことばもあるいはあるかもしれませんが、私はいままでのことは、ちょっとこれですぐ、いまあなたが言われたような大きなりっぱな学校ができたから、それをつぶしてなんというわけにはいきません。そういうわけにはいきませんから、とにかくこれからはそういうことがないようにして、そして何とか部落の関係の方が仲よくしていただきたい、私は、ほんとうのことを言うと。そしてほんとうにその人たちの利益が守られるように、ぜひ私はお願いをいたしたいと思います。すべて、差別が行なわれておるということのために使っておる予算がまた差別のために使われておるということは、まことに悲しむべきことである、かように私は考えておる次第でありまして、今後はそのことがないようにひとつできるだけ努力をさしていただきたい。これが自治大臣、というと失礼ですが、私の考え方であり、その方針で臨んでいきたいと思っております。
○村上(弘)委員 もう一言。福田自治大臣の基本的なお考えは、それとしてわかるわけですが、いまこの際、もう一つ私はあなたにはっきりここで述べていただきたいと思うのは、部落の人たちが仲よくしてほしい、こう言われたが、部落の人たちと部落でない人たちも仲よくしなくちゃならぬ。この問題の、いま非常なひどい状態が起こっておるこの一番のかなめになっておるのは、部落解放同盟の朝田派が、自分たちだけを認めよ、自分たちだけを交渉の相手にせよ、自分たちだけに、この同和予算だとか同和教育についてものを言わせよ、そして自分たちの言うことだけを聞け、こういうふうな態度をとっているわけですね。これは窓口一本化といっていますよ。こういう窓口一本化というものは誤りであるということ、これを明らかにする必要があると思うのです。三木内閣、新たに社会正義をいい、社会的公正ということをいって、ここで皆さんが責任を持ってやろうという限り――いままでこういう問題があいまいにされたために、こんなにひどい状態が起こっておるのです。こんなことが続いていいとは、よもやあなた方も思っておらぬと私も思うのです。であるならば、こういうまさに不公正な同和行政の、彼らの旗じるしになっておる窓口一本化というのは間違いだということを、この際ぜひはっきりしていただきたいと思うのです。
○福田(一)国務大臣 私は、部落と一般とがほんとうに平等な立場になるためのこの部落予算といいますか、部落解放に対する施政をやっておるわけでありますから、そういう意味では、いまあなたが私にただされたことについては同意をいたしております。そこで、あなたのおっしゃるのは、その何とか一派というものと――私は名前を言うことは、それさえもいま差し控えたいと思う。私は仲よくしてもらいたいというのが目的であります。だから、あなたのおっしゃることが正しいことであれば、何とかそれをよく、いまここでそういうお話がございましたから、ひとつそういうことを踏まえて、部落の方たちが手を握って、そしてほんとうの部落の幸福を願う態度をとっていただくようにお願いをいたしたい、こういうことでございます。
○村上(弘)委員 もう一言。じゃ逆の面からお伺いしますが、仲よくと言うあなたは、どなたに対しても、どれかを差別するということはもちろんお考えでないと思う。ということは自治大臣は、この部落解放同盟朝田派であろうと、部落解放同盟正常化連であろうと、全日本同和会であろうと、その他どんな団体であろうと、あなた方は対等に当然つき合いもするし、交渉もするし、予算の支出についても、それは当然公正に相手にする、こういうふうに理解していいですか。どうですか。
○福田(一)国務大臣 私の申し上げたことばの意味を、どういうふうにおとりになろうと御自由でございます。私はいま申し上げたような態度で政治に当たってまいりたい、かように考えております。
○村上(弘)委員 やはりこういう問題に対して、非常に奥歯にもののはさまったような、だれが考えてもどうしてそんなことがはっきりできないのだろうかと思うような感じのことを言っておられますが、いま私が問題にした点について、三木総理の、どういう組織に対しても、どういう地域の人であろうとも、公正に民主的に対処するという問題を含めて、今日までの地方自治体の状況、これに対するお考えをお聞きしたいと思うのです。
○三木内閣総理大臣 いま村上議員からいろいろお話を承って、本問題の深刻さというものの認識を深めたわけでございます。政府は、同和対策事業特別措置法及び同和対策長期計画に基づいて、同法の趣旨にのっとって、総合的に同和問題の解決に一そう努力をいたす決意でございます。
○村上(弘)委員 警察のとった措置について、やはりお聞きしておきたいと思うのですが、路上の問題で、一体警察はどうしていたのだろうかということが町の人たちの疑問です。一体どうしておりましたか。なぜ逮捕しなかったか。
○福田(一)国務大臣 その問題については、政府委員から答弁をいたさせます。
○山本(鎮)政府委員 お答えいたします。
警察がこの事件を認知いたしましたのは、当日九時五十七分ごろ、一一〇番によって、この路上でけんかがあるということでございましたので、署長以下直ちにパトカーで現場に急行いたしたわけです。そうしますと、狭い通りに共闘会議の人たちが百五十名ぐらいおる、それから群衆もいるということで、なかなか近づけない。さらに署員が応援に行きまして、大体二十名ぐらい、小さな署でございますので、直ちに応援できるのはそのくらいの部隊ですが、これも近づこうとしたけれどもなかなか近づけない、押し戻されるというような状況のうちに、先生、学校の教職員の人たち数十名が学校の中に連れ去られたという状況で、何とか救い出そうとしたのですが、物理的にできないという状況であったわけです。したがいまして、署長としては直ちに隣接署の応援を求める、さらに神戸の兵庫県警察本部のほうに応援を求めるという形で、いろいろと時間の経過はございますが、最終的には、部隊を編成してその救出に当たったということになりますが、最初の現場の状況は、そういうことでいろいろとやったのだけれども、現場で逮捕するという事態に至らなかったという状況でございます。
○村上(弘)委員 じゃ、学校で、十時過ぎから夜の十一時ごろまで長時間のリンチが行なわれておったわけですが、なぜ学校には救出に入らず、また現行犯逮捕をやらなかったか、この点はどうですか。
○山本(鎮)政府委員 この点については、先ほどもちょっとお話が出ましたけれども、十時過ぎから、署長としては、学校の当局者その他関係の当局のほうに、学校の中はどういうことになっているのだということを聞いたところ、いま平和に、平穏に話し合いが行なわれているのだ、学校の内部の問題だ、教育問題である、そこに警察が出てぐるといろいろ紛淆を起こすので、ぜひこれはやめてもらいたい、そういうことを、再三にわたって確かめたところ、言ったわけです。御承知のところ、十回にわたってそういったことがあったわけです。それからまた共闘会議のほうにも二度にわたって、どうなんだ、あまり時間が長いじゃないかという申し入れをしたわけですが、なかなかそういうことで、当局の、いわば当面の相手の責任者がそういうことを言うので、しばらく事態を見守らざるを得ない。そしてその間に部隊が逐次出てきたので、その部隊の力をもって強制的に中に入るという経緯になるわけでございます。
○村上(弘)委員 路上では動くことができなかった、こういうことを言っているわけですね。学校の中では校長が十回にわたって、入れば一そう紛糾するから、こう言ったから入らなかった、こう言っているわけです。これは非常に奇怪な態度だと思うんですね。事実もまたそういうものでなかったわけです。路上では集団があって警官が近寄れなかったとか、そんな状況じゃないのです。
現に先生方の証言では、これは宮谷という先生ですが、一人の警官の足とピストルのバンドにつかまって、無理に引っぱられようとするのを警官につかまって、何とか引っぱられていかれぬようにがんばっていた。ところがその警官は、その丸尾らの暴徒に対して、やめとけやめとけ、こう言った。それで実際には連れて行かれた。もう一人の先生は、やはり警官のバンドにつかまったわけですが、今度は、つかまったらそれをはずされた、警官から離された、こういうことを言っているわけです。ですから警官は、目の前で暴徒も見ており、リンチを受けて無理やりにけられながら連れていかれる先生につかまられながら、それをふりほどいておる、こういう状況があるわけですよ。
それから学校の状態についていえば、校長が、平穏に話し合っておるとか、あるいは入れば一そう紛糾するとか――入れば一そう紛糾するというのは、それまでに紛糾しておることを認めておることにもなるわけですが、第一に、この路上でこれだけのむちゃくちゃなことをやって学校に連れていったわけですから、何が起こっておるかは、当然警察は判断できるわけですよ。
第二は、救急車が午前十時ごろから十回にわたって出入りして、八鹿病院にどんどん負傷者を運んでおるわけでしょう。それから、家族や生徒や保護者から保護願いが来ておる。生徒たちは泣いて、警察署の前へ来て、先生が殺される、先生を助けてくれ、とこう言って訴えておるわけです。これはもう全くひどいじゃないですか。そうして八鹿病院にどんどん負傷者が入っておることを、警察官も病院に行って、それは現認しておるわけですよ。
しかも学校の中から、体育館やそれから本館から悲鳴が聞こえておることが、その側の道路に聞こえてきておるのです。町の人はそれを聞いているのです。その上に、平松先生、これは婦人の先生ですが、その御主人は、奥さんが呼んでおるからといって電話で呼び出されて、そうして呼び出された学校で、この奥さんが言うことを聞かぬのはおまえが悪いのだということで、一緒に糾弾を受けて、そしてまたリンチの場に連れていかれた。その強行連行するところも、自動車に押し込んで連れていくところも、その出るときに、警官をこの先生は現に見ておるわけです。こういうふうな状態があるのですから、これはもうその警察力を発動する判断ができなかったとか、あるいはそういうことはわからなかったなどというようなことは絶対に言えないわけです。
しかも、学校の校長の判断をかりにたてとしたとするならば、一番最後に学校に入ったのは、一体だれと話し合うて入ったのですか。運動側の二人と話し合うて、もう入ってもええか、もう入ってもよろしい、こういう話し合いがついて入っておるじゃないですか。学校側の了解を得られないからといって入らなかった警察が、どうして最後のときには運動側の了解を得て入ることになったのか。この運動側の了解で入ったということは、これは兵庫県警本部長も確認しておるんですよ。これについてどういうことをあなた方は言えるのですか。どうですか。
○山本(鎮)政府委員 最後に入ったときはどういう状況であるかということでございますが、こちらの聞いておりますことによりますと、そういうことで部隊の編成が成って、そしてやはり長時間にわたって相変わらず不穏な状況があるのじゃないかという独自の判断で、最後には入ったというふうに聞いております。
○村上(弘)委員 もう万事リンチが終わって、丸尾らがもう彼らの目的を達成した、全部にまさに瀕死の重傷を負わせて、そうして無理やりに自己批判書なるものを書かせた。だからこれは、入ってもよろしいという状態を確認して、自己の判断で入ったという以外の何ものでもないわけですよ。事実の状況はそうなんです。学校の校長は、そのときには運動側の二人と話し合うて入りました、こういうふうな状況になっておるわけです。さらに百歩譲って、学校長がそういうようなことを――これは県警本部長はあとで、こんなたくさんの重傷者が出たじゃないか、結果からいえば、校長が平穏に話し合っておると言ったのはうそだったということになるじゃないか、それはそうだ、うそだった、それじゃ、学校長のとった態度はどういうことになるのだ、けしからぬことだと思っておる、こう言うのです。じゃ、けしからぬことだと思っておるのなら、この先生方は、学校長も教頭も、またそのときはち巻きを巻いておった教育委員会の当事者も、全部告訴しておるのです。これは共犯者じゃないかということで告訴しておるのです。じゃ、この校長や教頭に対して、いま警察当局は、どういう捜査をし、どういう取り調べをしておるか、これを聞きたいのです。
○山本(鎮)政府委員 警察本部といたしましては、事件の起きました翌日、二十三日から特別捜査本部を設けて、多数の捜査員を専従させて捜査をいたしております。その過程で、そういういま御質問のあったほうの問題についても十分捜査をしておりますので、事実がはっきりすれば、具体的な処置をとるものというふうに考えております。(村上(弘)委員「取り調べをやっておるわけですか」と呼ぶ)まだ取り調べをするという段階に至っておりませんけれども、いろいろとそういう方面をも兼ねて、捜査を進めておるというふうに聞いております。
○村上(弘)委員 この警察のとっている態度というのはきわめて奇怪だと思いますよ。三木総理もほんとうにそうだとうなずいておられるわけですが、だれが聞いても、こんなことを、ああそうか、わかった、と思うような者はおらぬわけですよ。大体警察は、現地の町民の非常な憤りと告訴によって、放置できなくなって、やっと十一名までは逮捕したわけです。しかしながら、こういう状態を許し、警察を入れないたてとなった校長を、県警本部長に言わせれば、けしからぬと――実はこれは責任を他に転嫁しておるということに、先ほどの状況からいったらなるわけですが、それじゃ、その校長がそういう態度をとったからだというのであれば、なぜ校長を調べないのか。まだ調べていないわけですよ。こんなことは、世間が、そうですかと納得できることですか。
しかも、現在十一名逮捕しておりますけれども、この負傷した人たちは五十八名いるわけですよ。五十八名に十一名でこんな重傷を負わしたわけじゃないのです。数百名が入った中でやっており、もうそれこそ意識もうろうで、現認できる人の数は限られておったけれども、それでもちゃんと特定の人を指定して告訴しておるんですよ。その数は相当たくさんの人を告訴していますよ。なぜ十一名にとどめているのか。なぜいまでもこういう暴徒に対して放置しているのか。学校の校長や教育委員会の当事者に対する取り調べ、それから逮捕の問題、同時に、この丸尾らの集団暴行に加わって、現認しておって告訴している者に対してなぜ早く逮捕しないのか、このことをお聞きしたいと思うのです。
○山本(鎮)政府委員 お答えいたします。
告訴、告発も多数、この事件の起こる前の朝来関係を兼ねて、出ておることは承知いたしております。この全貌をはっきりさせるために、いま鋭意捜査を広範にわたってやっておるわけでございまして、十一名の逮捕者でこれで終わりというのではございません。その関連についてはさらに徹底的な捜査をして、この事実を解明して適正な措置をとる、そういう所存でございます。
○村上(弘)委員 そういうことをいま言っておるわけですが、しかし、事ここに至るまでに、兵庫県警あるいは現地の警察がとった態度の問題、これも非常に重大だと思うわけです。まさに無法状態に南但馬一帯はなっておったわけですね。これは去年の十一月ごろからで、それ以前はあそこには部落解放の運動はいわば普通の状態であったし、それから有志連合会というのがありまして、非常に正しい態度でいこうという運動もあったわけです。ところが、この丸尾らが地方の部落解放同盟朝田派の指導と組織のもとで行動を始めてから、急速にこの丸尾らの力が大きくなっていくわけです。そのてこは、先ほど言ったような糾弾ですよ、暴力、脅迫ですよ。そうしてもう自治体も教育も教育当局も学校も全部ずうっと屈服させられていくわけです。
こういうことはもう枚挙にいとまないのです。昨年十一月以来南但地域で、確認会、糾弾会、これはもう無数と言ってもよいでしょう。そうしてことしの五月段階になると、すべての自治体を彼らは制圧するのです。みんな屈服させられてしまう。そうしてすべての学校に解放研という組織がつくられていくわけです。
そうしてことしの十月には、この朝来中学校の橋本先生宅を――この先生はそういう彼らの集団的な威圧に屈服せずに、正しい態度を守り抜いておったわけですね。これがおるからけしからぬということで、この橋本先生宅を、十月二十日から一週間、連日三百名から、最後には三千人を動員して、ここには先ほど見せた生徒、女子の生徒まで動員して、そうして連日朝から晩まで――朝の四時も夜中も投光器で照らしつけて、マイクでがなり立てる。この家族は八十九歳のおばあさんと六十一歳のおかあさん、小学校一年生、三歳と一歳八カ月の子供さん。子供さんはもう一日じゅう泣き詰め、こういうふうな状態を続けて、裁判所がこれはもう排除すべきだという仮処分をやっても、なおかつ続ける。毎日毎日糾弾行動をそういうふうにむちゃくちゃにやっておるのに、機動隊はおるんですが、おってもそれに手を出さない。こういうふうな状態が続いてきておるわけです。つまり、この八鹿高校事件一つだけをとってみると、全く想像もできないような状態が起こっておるし、世間から見ると、そんなことはうそだろう、まさかそんなことはないだろうと思うような状態になっておるわけです。しかし、去年の十一月からずっと積み上げられてきた糾弾行動、暴力行動、その間、橋本先生事件では百名からの負傷者が出ておるわけです。この問題でも告訴、告発しておるわけです。負傷者がたくさん出てきておって、相当たくさんの告訴をやっておるにもかかわらず、警察はそれに対して全く手を出してこなかった。こういうことが今日八鹿高校事件をつくり出したのだというように事態はなっておるわけです。
そこで警察は、あのときは手が出せなかったとか、あるいは校長が平穏に話し合っておるからだとか、そんなことを言って、それでいろんな逃げ口上を言っているわけですが、結局のところ、これは警察が、事ここまで大きな猛威をたくましくしたあの状態のもとで、よう手を出さなかったというのが実情じゃないのか。こわかったというのが実情じゃないのか。実際にこの問題に対しては、現地の生徒たちが警察署に抗議に行ったんですよ。先生を早く助けてくれと言ったら、五十人の人が一人の人を殺そうとしておっても、こちらの数が少なかったら見ているほかないのだ、殺されてもしかたがないのだ、こんなことを言ったというんですよ。こんな警察があるか、警察はこんなことを言うものかといって、生徒は作文集に書いていますよ。ですから、一つ一つの暴力を見のがして、泳がしてきた結果が、結局こういう事態をつくり出し、その事態に直面した警官は、それに対して逃げ口上をもうけて手を出さない、これが事の真相なんですよ。
だから私は、最後に公安委員長にお聞きしたいのだけれども、こういう一つ一つの暴力のあらわれに対して、ほんとうに厳正な態度で立ち向かうか、取り締まるか、これをはっきり聞いておきたいと思うのです。
○福田(一)国務大臣 本会議でも申し上げましたが、これははっきり申し上げておきます。実は、いままでの経緯においていささか手ぬるいところがあったと言われますが、私といたしましては、国家公安委員長になってから、暴力は断じて許さない、どういう種類の暴力であろうと、どういう階級に属する者であろうと、民主主義というものは暴力を認めてはできません。議会政治もできません。でありますから、暴力は断じて許さないという態度で、これから対処してまいりたいと考えております。
○村上(弘)委員 最後に総理にお聞きしたいのですが、こういうひどい状態の中で、しかし町の人たちや、それから学校の生徒、先生方は、こういう暴力に対して雄々しく立ち向かい、自分たちの自由を守り、安全を守るために立ち上がっていっておるということです。特に十二月十日、八鹿高校の生徒自治会総会は、次のような決議をやっています。「八鹿高等学校生徒自治会綱領」「学園の自由と平和を我々の自治活動の中で確立しよう。」「我々は、本校の教育、自治へのいっさいの外部団体の介入に反対する。」「我々は、いかなる困難な状況においても学生の本文である勉学に励む。」「我々は、真の民主主義、民主教育を確立するために、団結していくことをここに確認する。」「生徒、職員の手で、今後より積極的に民主的同和教育を進めていく。」こういうふうに生徒たちは、あの中で、おとなたちのふがいなさや警察に対する憤りを胸に深く抱きながら、しかし自分たちで、自分たちこそが学校、自分たちの教育の場を守っていこう、それで勉学にほんとうに一生懸命になろう、こういうような決議をやっておるわけです。
地方自治体やそういう方面でも、また新しい動きも出ております。近くの大屋町の区長協議会でも、「一切の暴力を否定し「明るい真の民主社会の実現を目ざしての部落解放であることを確認されたい」、町当局にこういう要望書を出しております。いままでこういうことをやったら、もうそれだけでも糾弾されておったのです。ひどいリンチを受けておったのです。しかし、いまやほうはいとしてこういう団結の動きが起こってきておるわけですが、こういう一つ一つの暴力に立ち向かいながらも、自由と民主主義、暴力を一掃する、自由にものが言える社会、自由にものが言える町を、職場を、学校をということでがんばっておる人たちに対して、公正な、民主的な同和行政、教育の自治と中立、それから地方自治を守るという問題について、いまの朝来町の皆さんに対して、総理からひとつあいさつをしてあげてください。
○三木内閣総理大臣 同和問題に限らず、福田国家公安委員長の申されるように、民主主義の社会と暴力とは絶対に相いれないものでありますから、今後暴力事犯が起こりますならば、必要な捜査を行なって、厳正な措置をとって、法秩序の維持をはかる決意でございます。
※→八鹿高校事件関連国会質問一覧 1974/11/22〜1975/03/31