74-参-本会議-4号 昭和49年12月18日
○春日正一君 私は、日本共産党を代表して、緊急に解決が求められておる国政上の問題について、総理並びに関係大臣に質問します。
まず、昨日、衆議院の代表質問でわが党金子議員が取り上げた兵庫県南但馬地方に生じた部落解放同盟朝田・丸尾派による暴力・不法行為の問題であります。この問題は単に一地方のある分野に生じた事件にとどまるものではなく、わが国民主主義の根幹にかかわる国政上の重大な問題であります。
昨日、福田国家公安委員長はその答弁の中で、残虐な集団的暴行の結果、五十八名の教職員に傷害が加えられたことを認め、暴力と民主主義は絶対に相いれないと答え、永井文部大臣も、八鹿高校で学内に暴力があったことを認め、教職員の安全、教育の中立性の重要なことを強調する答弁をされました。これはきわめて当然なことであります。しかし、事件発生の原因についての福田国家公安委員長の説明の中に不正確な点があるので、あらためてこの点を含めて伺いたいのであります。
その第一は、教育に対する暴力的介入の問題であります。昨日の答弁によると、校長の説得を拒否して教師が集団下校したと言っています。しかし、事実は次のとおりであります。
解放同盟朝田・丸尾派の糾弾と称する教師に対する暴力襲撃の動きは、数日前から糾弾の動員がかけられ、当日は早朝からこれを実行するという異常な状態が迫っていました。すでに、この地方では、脅迫と暴力を伴う糾弾なるものがひんぱんに行なわれており、しかも八鹿高校では校長、教頭らがこの暴力集団に加担していたので、教師たちは切迫した身の危険を感じ、その理由を生徒たちに説明し、集団で下校したのであって、この教師の行動は当然のことであります。校長や県の指導主事たちが教師の下校を制止したのは、その安全を守るためではなく、暴力的糾弾の場に引きとめようとしたのであります。国家公安委員長の答弁はこの点でも認識を誤っているのであります。
また、昨日の福田国家公安委員長の答弁では、事件は八鹿高校の解放研が教師との話し合いを持つことを要求したのに対し、教師が拒否したことから発生したかのように言っています。しかし、事実は、八鹿高校には長い歴史を持つ生徒の部落研活動が存在し、教師の自主的な同和教育への取り組みとともに、地域の人たちから高く評価されていました。これに対して、解同朝田・丸尾派は、部落民以外はすべて差別者であるなどと言い、同校の教師や生徒を思いのままにしようとしましたが、これが成功しなかったので、彼らは自分たちの行動隊として解放研をつくり、これを認めさせようとしたものであります。同校の職員会議や生徒会が、暴力による学校支配を意図する解放研を自主的な生徒のサークルとして認めなかったのは当然なことであり、特に教師たちが、外部からの介入として解放研を承認しなかったのは、「教育は、不当な支配に服することなく、」という教育基本法第十条の規定から見ても当然のことであります。
私は、国家公安委員長に、以上の点について事態を正確に調査することを求めるものであります。
次に、この事件で最も重要なことの一つは、この残虐な集団リンチ事件に教育委員会関係者及び学校当局も協力、加担していたということであります。県教育委員会指導主事など数名は、事件の起こった五日前から八鹿高校内に泊まり込み、校長、教頭とはかって校内応接室を共闘会議なるものの現地本部に提供し、解同朝田・丸尾派らは、それ以後連日青年行動隊、他校の高校生解放研などを動員し、校内に宣伝車を乗り入れ、校舎にポスターを張りめぐらし、職員室に乱入してハンドマイクで怒号したり、糾弾会のための投光器をつけるなど、校内を騒然とした異常な事態におとしいれたのであります。この中で彼らは、解放研生徒二十数名を職員室前にすわり込ませ、事件の前日、午後四時過ぎ、この生徒らにビフテキランチなどを食べさせたあと、ハンスト宣言なるものを出し、しかも、翌朝暴力的糾弾の開始とともに、その生徒たちは姿を消すという、はなはだ作為的なことを行なったのであります。
こうして起こった十数時間に及ぶ朝田・丸尾派の残虐な集団リンチに対して、県教育委員会の関係者や校長らが現場にいて、リンチに耐え、血みどろになっている教師に対して屈服を迫り、リンチを加える側に協力、加担したのであります。しかも、さらに驚くべきことには、教育委員会関係者と校長などは、警察に対して、「校内は平穏な話し合いが続いている」などと、全く虚偽の報告を続け、いまに至るも「暴力はなかった」などと言い続けておるのであります。これでは、教育委員会関係者や校長などは、まさに暴力リンチの共犯者になっていることではありませんか。これが教育行政担当者のとるべき正当な措置と考えるかどうか、関係大臣の見解を問うものであります。
さらに、事件直後、兵庫県教育委員会但馬事務所長などは、この残虐な集団リンチ事件の監禁、致傷罪で現在検挙、勾留中の丸尾良昭などを講師にして、「八鹿高校闘争の成果と課題に学ぶ」と称し、解放行政推進総括学習会なるものを開こうとし、但馬地域の各自治体の首長、議長、教育委員長、教育長を招集していた事実があったということが、わが党国会議員団の調査によっても明らかにされております。このような教育事務所長らの態度は、暴力犯人を先生に仰いで、暴力肯定、暴力賛美の学習会なるものをやるということで、狂気のさたであります。このような教育関係者に対して、政府、文部省は、今日まで一体どのような措置をとってこられたのか、明らかにしていただきたいのであります。
なお、政府、文部省は、兵庫県教育委員会及び但馬地方の教育委員会と学校長のとった行為を、教育基本法に照らしてどのようなものと考えておられるのか、見解を伺います。
第二は、地方自治体の暴力集団への協力、加担の問題であります。
こうした解放同盟朝田・丸尾派の不当な糾弾闘争なるものに自治体当局が多数の職員を動員し、加担させたばかりか、彼らの暴力行為のための経費を同和予算の名目で支出しているという事実があります。たとえば、集団リンチが起きた八鹿町では、ことし九月にきめた補正予算だけでも、彼らが暴力事件で使った動員用のマイクロバス二台、各種の糾弾会現場などの撮影のためのカメラ、撮影機、マイクの購入費など七百四十三万円が支出され、さらに十二月提出の補正予算案では、町財政が窮迫し、財源見込みも立たないにもかかわらず、解同朝田・丸尾派の糾弾闘争費や動員用マイクロバスの追加購入費、ゼッケン、腕章など九百四十一万円余りが計上されようとしているのであります。しかも、これは単に八鹿町だけにとどまらず、但馬地方の大多数の自治体で発生している事態であります。本来、未解放部落住民の生活安定と福祉向上のために使わるべき同和予算が、このような暴力行為のための費用として支出されるなどということが、一体、許されていいものかどうかお伺いしたいのであります。地方財政の健全な運営を義務づけた地方財政法を踏みにじる明白な違法行為だと思いますが、政府の見解を伺いたいのであります。
私は、以上のような事態が緊急に解決されなければ、わが国の法も、民主主義も、暴力によって根底からくつがえされてしまうことを特に強調し、政府がすみやかに厳正な措置をとることを強く要求するものであります。
○国務大臣(福田一君) 春日議員にお答えをいたします。
同高校事件は、部落内の対立によって生じたものでありますが、その結果、暴力事件が起こったことはまことに遺憾であり、暴力行為はその種類のいかんを問わず、民主主義と相いれないものでありますから、断固として取り締まる方針であります。
ただいま春日議員から事件の内容について説明を求められましたが、同事件は目下捜査、取り調べの段階でありますので、国会の場といえども、現段階において、昨日衆議院本会議において述べた以上に事実関係に触れることは、捜査、裁判等に悪影響を与えるおそれがありますので、差し控えさせていただきます。
また、地方自治体が部落問題に関連して不当に予算を支出していたかどうかにつきましては、御質問の趣旨を参考としつつ取り調べを行ない、適当なる措置をとることといたします。(拍手)
〔国務大臣永井道雄君登壇、拍手〕
○国務大臣(永井道雄君) 春日議員の県立八鹿高校事件についての御質問に答弁させていただきます。
学校教育の中に暴力というものがあってはならないということについては言うまでもないことであります。そこで、これについて教育行政上どういうふうに考えるか、またどういうふうにしているかという御質問だと思いますが、これにつきまして経過を申し上げますと、十二月三日、山崎政務次官が兵庫県に行かれまして、兵庫県教育委員会関係者に会いました。会われた方は副知事、それから教育委員長、教育長であります。そして指導、助言をいたしました。指導、助言の内容は、学校教育の中から暴力を排除して授業を再開する。そして教育を正常化するということであります。幸いに授業は再開されるに至りました。その原則は何であるかということでありますが、原則は、同和教育においても教育の中立性というものを守っていくということであります。
次に、十二月十四日の会合についての御質問がございましたから、それについてお答え申し上げます。
十二月十四日の会合の問題は、十一月二十五日付、但馬自治会長、それから兵庫県教委但馬教育事務所長、さらに兵庫県立但馬文教府長の名義で、十二月十四日に昭和四十九年解放行政推進総括学習会を開催する旨の通知を出したという事実があります。で、これはこの地方の関係者の間で計画されたものでありまして、兵庫県教育委員会の本庁は承知しておりませんでしたが、最近に至ってこれを知りました。そして教育委員会は、十二月十三日、現地に対して、十四日におけるこの会の開催を中止するように指示いたしましたので、会は開催されませんでした。それは、先ほどから申し上げました考え方に私たちが立っておりますから、会が中止になったということは、教育の中立性という教育行政の立場をとったものと考えております。
以上をもって御答弁といたします。(拍手)
〔国務大臣大平正芳君登壇、拍手〕
※→八鹿高校事件関連国会質問一覧 1974/11/22〜1975/03/31