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ドライバーへの周知徹底が先
自転車歩道通行違反取締り

誤解蔓延「自転車歩道通行×義務

 自転車の歩道通行原則禁止、車道・自転車道通行義務化は歩行者・自転車双方の安全確保のためにも基本的には必要ですが、その前に、ドライバーの一部に「自転車は歩道通行」だと誤解していて、わざと幅寄せして脅したり、停車させて「自転車は歩道を走れ!」と怒鳴り付け説教していくのが居るほど誤解が深刻に浸透していて、自転車をこのまま車道に追い出すと重大事故の激増が懸念される「誤った一般常識」があります。自転車歩道通行の取り締まりを行うという警察にこの認識があるのでしょうか?

 ごくたまに行うのですが、ツアー車で甲州街道から都心を通って千葉街道へ60kmほど走りますと、その間、一番怖いのが追い越し様に減速左折するトラックによる「左折巻き込み事故」、次いで右折衝突事故で、大きな交差点ごとにこれが懸念されて、注意力の7割を背後の音に集中し左側に逃げ込めるだけの幅を取りながら走り、追い越していくトラックが左折ウインカーを出して強引に曲がり始めるとあわててブレーキを掛けながら歩道敷石近くに待避するのを繰り返して、3時間弱で走り抜ける訳ですが、このときによく「歩道を走れ!」と怒鳴られるわけで、白バイからスピーカーで「歩道に上がりなさい!」とやられたことさえあります。ドライバーに自転車が30km/h以上で走行する認識がないのでしょう。

 ところが法の建前としては、自転車は軽車両に分類されていて、本来車道通行が原則で、特に許可された歩道だけは「通っても良い」=「歩道通行可」という位置づけのはず。
 それが一部ドライバーの常識としては「自転車は歩道を通らなければならない」と誤って信じられていて、今改めて自転車保護義務と、自転車原則車道通行規則を重い罰則付きで周知徹底してからでないと、車道通行義務化が交通弱者である自転車の多数の犠牲を出すことになりかねません。

 さらに、白線しかない上下2車線の狭い街道も多くて、ここは怖い。たとえば東千葉インター近くの京葉道路から東側の東金街道など全く余裕がありませんから特別の用事がなければ通りたくありませんし、途中白井中付近の50m余もの標高を登る坂のあたりでは、あごを出して側溝の蓋の上をごとごと言わせながら登るありさまで、自転車で安心して走れるドライバー啓蒙とインフラ整備が先でしょう。

 多摩−千葉間の信号待ちのある60kmの道中を3時間弱で平均速度20km/h余で走り抜けるためには最高速度は30km/h〜40km/h、毎秒11mに達して、人の歩く歩道は危なくて到底通れませんし、小径ごとの段差で自転車が壊れてしまいますから、そんな場合はかなり構えて車道を走るわけです。特に3.11震災後は地震による細かな地割れ段差が多数発生して歩道部や路側帯は多くが放置されていて、710C規格などの細いタイヤでは地割れに車輪を取られたり段差で走れなくなっていますから、ドライバーの眼に強烈に目立つカラフルな服装をして車道に出て、左に逃げ込めるスペースを十分に取ったコース取りで、なるべく車の流れに乗った必死の高速度で、リスクを減らして走らなければなりません。

 ちょっと前に、久しぶりにこの60kmコースを走ったら絶不調で3時間弱どころか4時間半余も掛かってしまい、歳かもなぁ、と長嘆息。かっては過労沈没防止に月1回高尾山歩きを目途に体を使っていたのに、過負荷軽減でサボるようになって大きく衰えました。先々週はン10年振りに尾瀬を歩いて鳩待峠から尾瀬ヶ原−尾瀬沼長蔵小屋−沼山峠下−御池まで晩秋の高原の鮮烈な紅葉・黄葉を堪能してきましたが、翌日から腿の筋肉がパンパンに張って数日間は爺さん歩き気味だったものの、それを過ぎると足が軽くなり、ややもすると先頭争いの女性に抜かれる程遅くなっていた歩く速度が昔に戻りました。体力維持には運動不足だったって〜ことですねぇ。

 多摩川沿いですと羽田空港手前産業道路から中央高速先立川市まで多摩川の左右を縫って40km以上も堤防サイクリングロードが続いていますし、高尾山も近くて昼過ぎからでも充分出掛けられ、重大事故の確率が低くくて体力維持には理想的で良かったのですが、千葉には身近に山らしい山が無く、サイクリングロードも一般道と平面交差ばかりの形だけのもので、あまり運動向きではありません。都立公園は新宿御苑や神代植物公園などが入場無料で、多摩在住の過労性労災患者たちの病状回復・メンタルヘルスの取り組みに大変都合良かったのですが、保守都政になったとたんの有料化で低収入の患者にとって日常的には使えなくなり、高尾山行きが増えました。

お巡りさんも自転車歩道通行が常態

「自転車の走行/車道強要せず」
警視庁総合対策
歩道 歩行者優先を徹底 東京12/12夕刊

 自転車事故を防ぐため警視庁は十二日、「自転車総合対策推進計画」を定めた。各警察署が街頭指導を行う「重点地区・路線」を設け、歩道を走る自転車には車道通行を無理強いせず徐行運転を促す。自転車が車道を走りやすくするため、駐車違反の取り締まり強化も盛り込んだ。・・・・・・・・(以下略)
 場所は書きませんが、交番には警官は常駐せず、毎朝地域の警察署から自転車で交番に来るスタイルが警視庁(≡東京都警察。各県警に相当)では標準の様ですが、その自転車は車道通行指導方針が発表されてからもずっと歩道を走って交番と往復しています。身の安全を考えたら、日常は車の多い車道など走れたものではありません。警察キャリア官僚の机上から降ってくる命令よりも、現場の人達の判断を支持します。運転者に自転車車道通行優先を徹底し、レーン標記などインフラ整備が完成してからでないと、危なくて迂闊に車道など走るものではありません。義務付けは反対!(この節2011/12/10追記)

「自転車の走行/車道強要せず」 歩道 歩行者優先を徹底

 自転車の車道通行義務化は、誰がみても無理がある方針だったけれど、12/12東京夕刊トップで「強要しない」というのは実態を知る運用現場が、お馬鹿キャリアの単純化された方針を巧くなだめて+に転換させた様に見えますねぇ。どこも下僚は大変で(w。車に恐怖感がなければ、誰もが走りやすい車道を走りますが、かなりの車が、自転車保護など眼中になく、「歩道を走れ!」と思ってる中で、車道通行の義務化なんかしたら何人殺されていたか、。警察へのクレームも多かったんでしょう。

 ちょっと前のTV鑑識ドラマ(テレ朝系)に「自転車競技のオリンピック選手が、歩道を暴走して幼児を跳ねて死なせてしまう」という設定がありましたが、ツアー競技用のごく細いタイヤでは、凹凸の激しい歩道を高速では走れず、あれこそ車道を走っているはずのものです。歩道に乗り入れるための段差も25mmが標準らしいですから、高速で乗り上げるとチューブか車輪を壊してしまいます。

 ツアー車が一般通行人と交錯する場所は、堤防上のサイクリングロードでしょう。そこは良くみないで突然横断しますのでかなり怖い場所です。あのドラマは設定ミスですね。(この節2011/12/12追記)


辛亥革命100周年    <2>

 辛亥革命100周年のニュースを見ていた我が支配者が「これって毛沢東だっけ?」と曰いまして、こちとらを技系バカと蔑んで日頃毛沢東チェ・ゲバラ・フリークの暦女として文系は任せてと言いたげな雰囲気なのに、実際は技術屋流に詳細を詰めて学んだことはなく、高校の授業では近代史部分は割愛されて全く教わってなかったんだろうなぁと推察。当方も授業では近代史は省略でしたけど。
 そこへパッパラ息子が「孫文だ〜〜!」と割って入って来まして、さらに「日本は清朝に反対する孫文を助けたのに、清朝が滅ぼされると今度は中国に喧嘩を売って日中戦争を仕掛け、清朝の末裔を皇帝に立てて満州国をでっち上げたんだよねぇ」と、超勉強嫌いの低空飛行だったのに意外に詳しい?
 この間までは、右翼に捕まってしまった友だちがその大先生の講義参加者の動員を命じられて困ってたのを助けて、その他大勢で講演会に参加してきて「南京大虐殺ってのはデマなんだって〜?」などと私にぶつけてきていたのに、インターネットでは多数派の「幻」説を棄却、「16,000人も殺して『幻』はないだろ!」と。右翼講演会に誘ってきた友達にそう言うと「そんなこと言うな!リンチに遭うかもしれないぞ」と止められたとか。そうかレンタルDVDの「ラストエンペラー」を繰り返し観たお陰か!と納得(w。
 義和団の乱での出兵や、孫文保護支援から大陸で毛沢東が政権を取ると今度は台湾政権支持だし、中国全体を無茶苦茶にした毛沢東の権力闘争:文化大革命絶賛支持だったから、確かに日本の行動の中国中央政権弱体化狙いは一貫していますねぇ。スルドイッ!日本中が挙げて文革礼賛だったのは中国を転けさせる深謀遠慮だったのか!(w。
 革命貢献の老幹部を引きずり出して三角帽を被せてデモに巻き込みなぶる蹴るの暴挙までは私もマスコミに乗せられて文革支持だったのですが、こりゃ違う!嘘だ!と評価が反転した事件でした(共産党を除く、・・・・・・と書いておかないと叱られそう(w。中国の見解に賛同しなかったことで北京駐在の特派員らが紅衛兵らの集団リンチに遭って重傷を負い、以降30年前後、日本国内に全く別の中国派日本共産党を作られて、それと闘ったとか、中国のヴェトナム侵攻を報じた赤旗新聞高野特派員が中国の狙撃兵に射殺された事件など、世論としては極少数派の時でも矜持を守った歴史は無視できません。自社公民&全マスコミが文革マンセイの中で文革不同意を貫くのは大変だったでしょう。現在は日中両共産党関係正常化で中国から中国派日共への金銭支援・交流が無くなり「人民の星」などすべて活動停止状態です。ソ連派日共「日本の声」などももっと早く活動停止の様です。)

【MEMO】

清朝→中国

1851/   咸豊帝(1831-1861,在位1859-1861,文宗)病死のあと、
1861/   同治帝(1856-1874,在位1861-1874,穆宗)が5歳で立ち病死
1874/   光緒帝戴冠、西太后 独裁
1898/   戊戌の政変、光緒帝を幽閉
1899/〜 義和団の乱始まる。反植民地志向
1900/  北清事変「義和団の乱鎮圧」口実に列強出兵。日本最大。不平等条約押しつけ
1905/    中国革命同盟会設立、於日本、孫文
1908/   光緒帝&西太后没
      宣統帝(1906-1967,在位1908-1912,溥儀=光緒帝の甥)に受け継がれた
1911/10/10 辛亥革命 孫文を首班とするアジア初共和制政権成立
1912/  中華民国成立、孫文臨時大総統、2月袁世凱に交替
1913/   第2辛亥革命:袁世凱が奪権、孫文日本へ亡命
1915/8月、袁世凱、皇帝になる旨の宣言
1915/12月 第3革命、袁世凱排除
1916/   袁世凱死去

1924/   第一次国共合作(対軍閥)
1931/  満州事変日本が清朝末裔薄儀を立て東北部に1932/満州国を設立。
1936/   西安事件1937/盧溝橋事件を受け、第2次国共合作抗日民族統一戦線」構築
1937/   盧溝橋事件からは本格的な日中戦争状態に突入。
    南京大虐殺発生。犠牲者は1.6万.石原・小林〜40,000.森〜20万.通説〜30万.中国
1945/08/15 日本の敗戦とともに、中国全土での主権回復。
1947/02/28 2・28事件、 台湾で国民党軍により島民28,000人惨殺の大虐殺事件発生!
   台湾の対日感情が悪くない裏の理由。台湾独立論の背景でもある
   翻って日本統治下では国民党のような腐敗はみられず、
   台湾が日本国内という建前で水利、鉄道、学校など社会インフラ整備の貢献に支持。
   国民党政権は、台湾を大日本帝国から奪い取った植民地・占領地扱いにしていた。
   国民党により「共産党による蜂起」としてタブーにされた模様で日本に報道がない。
1949/  中華人民共和国成立
1966/〜1976/ 文化大革命:毛沢東の奪権闘争、一部内乱化
1979/02/  ヴェトナム領侵攻、「ヴェトナム懲罰」を云い大軍56万を国境に集結し
   10万で侵攻したが、戦術・装備とも越軍に劣り越軍主力の展開で約1ヶ月で全面撤退す。
   中国軍歩兵が隊列を組み、ラッパに合わせて前進するという古代戦術採用に、
   極少数のヴェトナム側は兵員の損害は少ないが銃弾が尽きて撤退という報道もあった。


2011/10/11 23:55

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