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曲線途中の両渡分岐!近鉄京都線脱線

 近鉄京都線の京都駅29日初電4両編成京都駅折返し始発が両渡分岐を通過中に中間の2軸づつが脱線、載線出来ずに終日運休となる事故が発生。 現場は複線の急カーブ途中に設置された両渡分岐器で発生。
赤旗新聞2026/06/30(11面)
詳細原因は調査中で未発表だが、「複線急カーブ途中の両渡分岐」というのは直線中設置に比べ元々不安定で管理の単純な基準直線が得られず多くの鉄道会社では採用が忌避されて、日本中で2〜3箇所しか存在しない構造のはず。

 プラットホームを出ていきなり急曲線という線路配置は、京王線新宿駅、千葉駅総武本線・成田線側(略図)、台湾高鉄台北駅、京急羽田線蒲田駅などにも見られ約90度方向を変えているが、渡り線は急カーブ中には設けず、曲線部を廻って直線になってから設置するのが一般的な方法だ。

千葉駅総武線。成田線の両渡分岐は約600mある
曲線部を出た東千葉駅付近の直線部に設置
直線を基準に諸位置を管理できる。 曲線途中の渡り線という構造には基準線が得られず元々無理がある例外的な構造だ。 その日常メンテナンスには特別の技術や体制を必要として、欠けるとトラブルになり易い。

 そんな例外構造の有名どころでは小田急本線と御殿場線の連絡線で、複線カーブ途中に上下線の渡りと、曲線外方向の御殿場線分岐があって逆カントを超えてゆく配線が珍しい。 それも下り線から上り線への片渡りと、御殿場線連絡線への逆カントでの分岐で、近鉄京都の様な曲線中の両渡ではない。 この連絡線を小田急-御殿場線直通特急が連日3往復6本通過している。連絡線分岐に向け曲線部の上下線渡りをする下り列車が1日に3本だ。頻度が近鉄京都駅での曲線中の上下線渡りとは2桁違いである。

 カーブを出てからの渡り線設置にする事の不利は、折返し時間が渡り線までの曲線長分余計に掛かって、列車間隔を詰められなくなることだ。
 京都駅事故現場の写真を見る限り両渡部のガードレールは最大限設置していて、曲線フログも採用、クロッシング部は欠線部の無い「可動K字」構造だから脱線リスクには可能な限りきちんと備えていながら今般の脱線事故となった。

 それ以上の解決策として考えられるのは、新幹線など高速分岐用の可動フログの採用か、両渡分岐を曲線外=直線部に移設するために、プラットホームを延長して連結車両数を増して輸送容量を維持確保することになる?

 カーブ外の直線部に両渡を設けている京王新宿駅は3本の線路の両側に10連ホームがあり、先の笹塚駅で都営新宿線からの乗入があって埋めている。 かっての京王線新宿駅は4本の線路の両側に6両編成用プラットホームが配されていたのを、現在、線路一本を埋めて3本化して10両編成用に延長、別途都営地下鉄新宿線直通島式ホーム1本2線の構造だ。
 総武本線・成田線千葉駅も同様で500Rで約90度方向転換して東千葉駅直近の直線部になってから4本を合流、両渡分岐を設けている。こちらが日本の鉄道での常識になっている。 そこを敢えて外して「曲線部での両渡」を採用して今回事故になっているから、曲線中の両渡分岐の特別の管理体制とその継承措置の説明を求められることになる。(保守管理できれば採用して問題ない。事故になってしまっては追及され気を抜けない∴多くの鉄道が忌避)

2026/06/30 23:55

黒部第4発電所メンテ鉄道が新規公開
黒部峡谷鉄道、能登震災から復活  <2>

 黒部第4発電所のメンテナンス軌道が「宇奈月黒部キャニオン・ライン」として今年10月から広く一般公開されるニュース!

黒部峡谷鉄道終点欅平−黒部第4ダム間の「上部軌道」は、従前は関西電力に見学を申し込んで10名余づつ見学が許可される例外的プラチナ・ルートだったものが、今般、関電トンネルなど他の黒部観光ルート同様の一般公開となり、能登震災2024/01で不通となっていた黒部峡谷鉄道の全面復活に合わせて運航開始という(See→)。

 黒部第4ダムの観光ルートしては、これまで篠ノ井線大町駅側扇沢から電動バスで関電トンネルを通ってダム展望台に登り、ダム堤上を渡ってケーブルカーとロープウェーを乗り継ぎトンネルを抜けて立山雄山下の室堂山小屋に出て観光道:立山有料道路をバスで美女平駅(立山ケーブル上)まで下り、富山地鉄立山に降りるコースだったが、今回はそれに加えて、黒部峡谷鉄道終点欅平駅から黒部第4ダムまでのルートが解放されることになる。
 この新ルートの見どころは、ほとんど全部がトンネルとエレベータだから、「体験コース」ではあっても、地下発電所&地下変電所見学でも挟まないと見る処はまずない。 それが、これまで工事用軌道の一般公開が宇奈月-欅平間の黒部渓谷鉄道に限られていた基本的理由だった。
 黒部第4ダムの工事現場は非常に急峻で、建設工事中に大雪崩に見舞われ作業員宿舎が跡形もなく吹き飛ばされて数10人が遭難、計179名殉職の大変な難工事であったが、結局はそれでも電力需要に足りず、若狭湾岸は関西圏の電力需要で原発銀座となっていくのだったが、人口密集の都会地に近すぎる原発群となった。 東電の場合100km圏の東海村原発は早期に廃棄・縮小されて250km圏の福島・新潟になっている。中部電力の御前崎浜岡原発も震災懸念地域で有りながら大都市圏にやや近すぎである。

 こんな秘境に発電ダムを作った理由は、WW2戦後の日本の復興に大電力を必要とし、当初は「水主火従」政策で燃料の要らない水力発電が追求されて、先ずは天竜川の大規模発電ダム、佐久間ダム建設が行われ、その成功で、秘境黒部第4、只見川系田野倉ダム、奥只見ダム、尾瀬ヶ原ダムがほぼ同時に着工されて、尾瀬ヶ原ダムを除いて1960年頃に相次いで運転開始したものであるが、電力需要は指数関数的に増大、以降の新規水力発電の立地が無くなり、電力消費地近傍の湾内に火力発電所群を建設、「火主水従」状態に変わったが、それでも足らず更に遠方に原子力発電所群を建設した経過が有る。 原子力発電は元々「絶対安全」の筈が無く、事故のリスクが特に大きいものを厳重な管理で運転するものだから大都会から距離を置いて原発を設置するのであり、当初の東海コールダーホール型原発100kmでは足りず耐震性不足もあって早々に解体、福島・新潟の250km圏の原発設置としたものである。 世論の抵抗を抑える虚偽宣伝「絶対安全」に原発現場まで毒されて、津波対策が遅れての福島第一原発事故であった。

 ダム湖というのは一面、大規模な自然破壊であるが、人知れぬ秘境の場合には反対の世論が起こる前に工事を完成させてしまう。 黒4や只見・田野倉、奥只見はこれである。田野倉-奥只見両巨大ダムを結ぶ川沿い道路が存在しない超秘境渓谷である。 尾瀬が原ダムが途中で工事中止になったのは尾瀬の自然が世に知られて自然保護要求・ダム建設反対運動が大きく盛り上がり「環境庁」という役所を作らせるほど大きくなったことが効いている。
 その引き金が、戦後すぐにNHKラジオ歌謡として発表された♪夏の思い出♪江間章子作詞・中田喜直作曲の大ヒットで尾瀬の存在が一般に知られて尾瀬ヶ原ダム反対運動を大拡大させたことが挙げられる。 江間章子も中田喜直も尾瀬ヶ原を一度も訪れた事のないままのイメージで作詞・作曲していて、たとえば、尾瀬での水芭蕉の花の盛りは5月末から6月なのに対して、歌詞通りに夏が盛りなのは江間章子の育った東北岩手県の山間!直接体験では尾瀬を歌っていないのである。 東電は切歯扼腕か(笑)、貴重な国民資産:尾瀬ヶ原を全面水没破壊しないで済んだのは幸である。

 尾瀬ヶ原ダム工事中止要因としては強い反対世論のほか、日本海側阿賀野川に注ぐ尾瀬水系の太平洋側への送水計画に反対する東北各県との水利権争いに結着が付けられなかったこと、 燧岳の火山熔岩流による地質がダムの水圧で抜けてしまう危惧があったこと、 尾瀬ヶ原湖は冬季氷結で四季を通じた定常運転困難で、揚水式発電とせざるを得ない=出力調整が困難な原子力発電の夜間電力を蓄積してピーク時に利用する蓄電装置としての運転が主となること、 只見、奥只見水系での総発電量の5%前後で切り捨て可能だったこと、 などが重なり、日本としては戦前の日本発送電以来で東京電力に引き継がれた国家計画が奇跡的に中止された。

 なお、電力は消費と発生が同時であり、発電側に急変の余裕が求められて最低3%程度の発電余力が求められるが、原発は急峻な負荷変動を嫌うので、他の水力、火力発電がこの電力変動分の辻褄合わせを担っている。 負荷急変動に備えて常時捨てているエネルギー分を水力発電と火力発電が担うから、原子力発電の見掛けの効率が高くなるが、実態を見れば本来原子力が担うべき余裕分を水力と火力が担って見掛けの効率を落として居ることは留意されるべきである。 原発が「ベース電力」を強調するのは、実態は出力調整困難の別表現であり、明らかに原子力の優良誤認を誘発している。

 体力が残っていれば是非とも行ってみたいコースだが、もう高齢で、関電トンネル・バス終点のダム下から黒4ダムまでの100段近い階段を登りきれるかどうかの強い不安がある。 陣馬-高尾縦走で体力維持を図っていた時代からもう20年近くも経ってしまった!

2026/07/07 23:55

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