75-参-予算委員会-10号 昭和50年03月17日

○宮之原貞光君 同和教育の問題を論じますと、非常に広範囲にわたると思います。教科書の問題あるいはまた副読本の問題等いろいろありますが、きょうは時間の制約もありますから、私はこれから残された時間、八鹿高校事件の問題についてお尋ねをいたしたいと思います。
 いま八鹿高校事件というと即暴力事件一色に宣伝をされておりますが、確かに暴力の伴うというそのこと自体は、これは厳しく批判をされなきゃ、糾弾されなきやならぬと思います。問題は、単にこの問題を暴力事件として私は片づけるわけにまいらないと思うんです。教育的な見地から、同和教育という立場から見て一体どう見るか、このことはきわめて私は重要な問題だと、こう思います。そういう立場から、これから若干文部大臣の所見をただしてみたいと思います。
 文相は、全国同和教育研究協議会がこの事件について出されたところの見解というのを御存じでしょうか。いま私、手元に持ってきておりますから、だれかにまず読ましていただいて御見解を承りたいと思う。

○説明員(奥田真丈君) 「八鹿高校問題について、全同協見解 一九七五年二月八日(全国同和教育研究協議会)」
 「八鹿高校問題をわれわれは重大かつ深刻な問題と受けとめた。こうした事態を、父母と教師の間で二度と繰り返したくない。
 一、全同協は、過去二十数年間にわたって、解放運動との強い連帯の中で、主体的に部落解放を教育分野から追求し、教育上、その問題の解決にあたってきた。これが同和教育運動である。
 二、部落問題の教育上の問題は、学力、進路保証など、児童生徒が、部落差別の歴史的、社会的圧迫によってその保障が制約されていること。また、部落問題が正しく教育されていないために、児童生徒及び一般市民が、一定の差別観念を日常生活において身につけている社会的条件のもとで、部落問題を教育として位置づけることなどとして存在する。
 三、同和教育は、これらの問題を部落差別の本質に従って、教育の分野においてそれぞれ正しく解決にあたることである。四、今回の八鹿高校問題において提起された問題は、同校教職員が一定の取り組みをしてきたにもかかわらず、調査の結果、以下の問題が指摘できる。
 1 部落の生徒に焦点を置いた教育の機会均等の保証を意図する教育実践が行われていたか。
 2 さらに、同和教育上もっとも初歩的、かつ基礎的な営みである部落の生徒への働きかけに教育的配慮を欠いていたのではないか。
 3 部落の父母と教師集団の緊密な関係がうちたてられていなかったのではないか。
 五、八鹿高校問題の要因は、行政上の施策を欠いていたことによって、部落の人々がきわめて劣悪な生活を余儀なくされているにもかかわらず、部落差別の本質である就職の機会均等を不十分にしか保証せず、部落差別を観念の問題としてきたところにある。
 六、今回の問題によって、部落出身の生徒は、すでに八鹿高校を去っていかざるを得なかったし、他の出身生徒も毎日の通学が困難になってきている事実がある。また、部落にたいする差別的事象が一層顕在化してきている。したがって、差別的事象を一層増幅させるような一切の行動を慎み、関係者は事態の正しい解決にあたろうではないか。
 七、全同協は、この事態発生に重大な責任を担っており、問題の解決に全力を傾倒するものである。なお、全同協はこの見解を明らかにするにあたり、資料を別途公開する用意がある。」
 以上です。

○宮之原貞光君 いまお聞き及びのとおりですが、全国同和教育研究会というのは、もう大臣一番御存じだと思いますがね、いわゆる昭和二十八年にできましたところの民間の教育団体ですね。学校の先生もおれば、社会教育指導主事も、いろんな層の、しかし最大のあれです。この団体がこういう八鹿高校問題に対しますところの見解を出しておるんですがね。大臣はそれをお聞きになって、どういうふうにお感じになりますか。

○国務大臣(永井道雄君) 私は、いまいただいたこの文書は初めて読んだのですが、八鹿高校の事件については私自身いろいろ考えました。宮之原委員も先ほど御指摘になりましたけれども、暴力事件というものが発生したことは、これは否定できない事実だと思います。私は、暴力事件というものが起こってはならない、学校教育というものは教育の中立でなきゃいかぬということを非常に強く主張いたしましたし、いまもそう考えております。
 ところで、問題は、このいま文書を伺っていても感じたのでありますが、本当にわが国の差別というものは歴史的にも根深い、深刻なものがあると思います。そこで、いろいろこれに努力をする人があり、そしてこの解決に努力をする人があり、その立場というものがさまざまになる。そのさまざまな立場というものが存在してしかるべきものだと思いますのですが、問題はさまざまな立場があるという場合に、それが激しい衝突になってしまって、そして差別解消を実は主要なるテーマとしながら、そこに深刻な対決が起こるというのでは私は困る、そう思うんです。それで結局、本当にこの差別の問題というものがなかなか解消されていかなかったというところに、この八鹿高校事件の一つの側面があるというふうに思います。
 そこで、目標は何と申しましても差別を解消するというところにあるのでありますから、私はそれに努力する異なった団体というものが、異なった立場をとりつつも、いかにして終局の目的を達成するために協力することができるかという方向に向けまして、暴力的事件とかあるいは政治的紛争というものにならずに問題が解決の方向に向かっていくということができるということがあれば、それこそが八鹿高校事件の教訓ではなかろうか。
 また、われわれいま政府におります者といたしましてはどう考えるべきかというと、そういう形における対立がありながらも、しかしながら協調ができるというのを促進するように努力すべきであると思いますし、また、そのほかに事実部落におけるところの、同和地区におけるところの教育などにおくれた面があるのでございますから、その条件整備というものにはわれわれは全力を上げていかなきゃいけない。しかし、八鹿高校事件の一つの教訓というのは、暴力的対立とかそういうものにならないで、何とかしてみんなが考えている目的を達成する道を探り得ないか、そのことを考えることが最も重要であるというふうに思います。この文書はいま承っただけで、一つ一つの文を検討する時間がございませんけれども、伺っておりましても、私自身あの事件以来考えておりましたことはその点にあるということを申し上げることができるように思っております。

○宮之原貞光君 一般論としてはまことに優等生の答弁ですがね。しかし、やっぱり問題は現実の問題として起きておるところの問題ですからね、私はいろいろお尋ねしたいと思うんです。
 この事件の発端は、御承知のように、教師集団が被差別部落の生徒たちの教育要求に対するところの話し合いを、職員会議の決定だということでかたくなにまで拒んだ。最終態度を決めましたところの職員会議が十一月十六日ですけれども、全職員の九十九名中四十六名が出席をし、話を受けるか受けぬかで採決をして、話し合い反対二十六、賛成十六、保留四と、こういう職員の中でも全部の教師の意思統一というかっこうで拒否をされておらないんですよ。そういう状態の中でこの拒否をしたということから、御承知のように発端をするわけでございますが、ただ問題の焦点は、そのときにクラブ活動として正式に認可をされておったところの部落問題研究会と、ぜひつくってもらいたいと言われておったところの部落解放研究会、これは部落研、解放研とそれぞれ現地では呼んでおりますがね。そういうものの構成とかそういうものについては、大臣としてはどのように理解されていますが。

○国務大臣(永井道雄君) 私も若干勉強をしまして、部落研、解放研という二つのグループがあるけれども、一方のグループの方がそれまではそれほど存在しなかったのに、他のグループの方があったというところが一つの問題点になったということを理解しております。問題は、いま宮之原委員がある文書をお読みになって、そのときになかなか会わないと言った、これはおかしいじゃないか――私はその個所をとればそれはおかしいと思うんです。ところが、今度はそういうふうなことがきっかけになって暴力的事件になった。そこのところをとれば今度は暴力的事件をと、これはまたおかしいんです。問題は、そういうふうに対立が事実起こったんですが、私が先ほど申し上げたことは優等生的な答弁であるとおっしゃいましたけれども、それは私は、現実はなかなかそうはいかないんだとおっしゃいましたけれども、しかし、何と言っても目標は差別をなくすということにあるんですから、私は宮之原委員のように有力な方がですよ、こういうふうな対立が起こるということをなるべく緩和いたしまして、そしてでき得る限り最終の目標というものを達成するために御活動になるというようなことを、私たち文部省にいる者はまた御協力申し上げなければいけない。しかし、それは宮之原委員に限らず、また宮之原委員と違うお立場の方もございますでしょう。その方とも御協力しなければいけない。
 そういうふうな努力によって、私が申し上げたことは非常に高望みみたいでありますけれども、しかし、本当に差別解消ということを願いながら一つ一つの事例を挙げると、あれは悪かったじゃないか、これが悪かったじゃないかということになると、どうでしょうか、私は終局の目標というものをなかなか達成し得ないのではないだろうか。そこで、どうしてもその相互に対立が起こりそうなときには、自己抑制というものを相当持ちながら、そして根本的なところでは目標を達成するということを目指さなきゃいけないんじゃないかというふうに、実は先ほどの引用されましたこの事実についてのお話を承っても、なおそう感じる次第でございます。

○宮之原貞光君 答弁に的確にお答え、ただいておらないのですけれども、まあいいでしょう、前に進みます。
 十二月五日付の朝日新聞は、先ほど私が紹介しましたところの二つの研究会を、このように報告きれておるんです。正式のクラブ活動として設置をされていた部落研は生徒八人、教師五人で、部落出身の生徒は一人もいない。設置していただきたいとして要求があり、校長が認め、部屋を与え、教頭が指導しておったところのいわゆる未公認の解放研は生徒十九名で、うち部落出身が十六名というこの朝日新聞の記事があるんですよ。私はここに同和教育のあり方の問題点があると見ておるんですよ。部落出身者の入っておらないこの部落研が存在をしておるという、そこにも問題がある。これは少なくとも同和教育の初歩的な基礎的な営みでありますところの、部落の生徒への働きかけ、営み、配慮というものが全然正式に認めたものにはなされておらない。言うならば、先ほど私がお尋ねいたしましたところの教育方針の心理的な差別というものをすでにここでなされているんです。
 そういうところに私は、一体八鹿高校にこの同対審で言うところの真の同和教育という問題が存在しておったのかどうかということさえも疑わしくなるんですよ、部落出身の者を一人も入れないんですから。そこに一体、この同和教育のあり方という立場から考えて、大臣はどうお考えになりますか。

○国務大臣(永井道雄君) 私は、この解放の問題というものに取り組んでいくのはもちろん部落、同和地区の方々、非常に大事だと思います。しかし他方、これは日本国民全体の問題でありますから、そうでない人たちも努力していかなければいけない。それで、できれば一番望ましい姿は、どちらの人たちも本当に協力するというふうにいくのがいいと思います。でありますから、いま述べられた朝日新聞の記事、この場合には分かれちゃっていますから、それは決して望ましい姿とは思いません。こういう場合どうしたらいいかということなんですが、やはりこういうときに一つの問題は、私たちはどういうふうに考えていくかというと、これはそれぞれの教育委員会がお考えになるんでしょうが、何よりもやはりそれぞれの学校の中でそういう違う解決の問題が起こっていくときにどうしたらいいか、そこの自主性というものを重んじていくことが原則だと思うんです。そして、いまのような形の二つの分かれ方があるという場合に、何とかしてそうでない方向というものを生み出していくということができたならば望ましかったのではなかろうか。その過程において本当に激しい対決というものにならないでいければよかった。そして、今後はそうでないような方向に進んでいくことが望ましい。しかし、その場合にもそれぞれの学校でそういうふうにお考えになっていただくことができるならば望ましいというふうに考えております。

○宮之原貞光君 これは同和教育の本質的な問題じゃありませんからね。それはその学校の自主性に任かせたというふうに逃げるわけにいかないと思うんですよ。同和教育という問題をやるんですからね、クラブ活動があるんですからね。部落の生徒が入れないと、それなら私どものためにもつくってくださいと。言うならば、それは片一方をつぶせとは言いませんよ。二つ認めて、その中で一体部落というのはどういうものかという中から統一を求めていくという方向ならわかりますよ。しかし、片一方は職員会議の決定だと言って認めないという形の中で、果たしてこれで同和教育と言えますかどうか。そこをお聞きしておるんですよ。これはもう一般論でもいいですから、この八鹿から離れてもいいですから、一般論として今度はお聞かせください。

○国務大臣(永井道雄君) 一般論ということになりますと、これはたとえば私自身実は関東出身で、相当期間を関西に暮らした人間でありますが、関東地区では同和教育というのは一般に弱いです。その場合にはこの同和地区出身の方が少ないですから、そういうところでもこの同和教育というのはやっぱりやらなきゃいけないと思います。しかし、関西の方に参りますというと、同和地区の方々が多い。そういうところでは、当然同和地区の方々が参加しているそういうクラブ活動のようなものが多いんですが、一般論ということで言いますならば、私は関東のようなところは同和地区のないところもあるわけですから、そうでないグループもあっていいと思いますが、しかし、望ましい形態ということをお聞きになるんならば、一般論としては相互に阻害しないで、そして何とかして統一の方向に向かっていくということが最も望ましいんだと思います。

○宮之原貞光君 まあ一般論というと少しは口がほぐれてきますけれどもね。しかし、私は本当はこの問題一般論じゃ済まされない同和教育のあり方の基本的な問題が介在しているだけに、執拗にお聞きしているんですよ。だから、先ほども申し上げたような教師集団の多くの配慮ですから、これは部落以外の生徒の中にやっぱり影響していくんです。だから、見ておってござんなさい。職員室に座り込んだところの部落の生徒たちに、おまえらそれくらいのことしかできぬのか。えたのやることはそんなもんかという、こういうもう心臓部にも突き刺さるような言葉が平気でやっぱり一般の生徒からこう出ておる。それを教師は見て黙っておるという、こういう中からは、先ほど来私が相当時間かかって論じてまいりましたこの同和という問題に対するところの、これは本当の理解に立ったところの教育が行われておるとは言えないんですよ、これは。これはまた文部省が何も言えませんという形では私は困ると思うんです。暴力使ったのは悪いければ、それは悪いと、しかしこれはこうなんだという、物のやはり明確な、この指導指針の中から照らしてどうなんだという、ここのところを私はやはり文部省としてもこれは自主性に任せますと逃げるわけにはまいらないと思う。よく自民党の皆さんは、事、日教組の問題となると、目くじら立ててわんわんわめく、こういう大事な教育のこの問題について、私は見逃すわけにはまいらないと思う。だから、私はここにまた問題ある。
 もう一つ、私はここで指摘をしたいというのは、教師のあり方の姿勢という問題もやはりこれはひとつ私どもに問題提起されておる。一体先生というものはどういうものなのか。教員というのは、よしたとえ、自分と子供たちの、生徒との意見が違うにしても、教師という立場からその意見を十分聞き、話し合いをして、説得するものは説得し、いろんな指導を与えるというのが教師ではございませんでしょうか。こういう姿が、これはすでに放置をされておる。現にこれは、部落出身の子供たちでないところの八鹿高校の生徒会の執行部からも、十一月二十一日には先生方に、生徒はそれぞれ意見を持っていますが、先生、どうしても話し合ってほしいと、絶対に話し合ってほしいという申し入れさえやっておるわけなんです、これは。これは問題の重要性に生徒自身もやはり敏感に感じておるからだと思う。それをけるという、この姿勢というものが教育上教師のあり方としてどうなのか。そこの所見を承りたい。

○国務大臣(永井道雄君) 私は原則として先生はこの児童あるいは生徒の方からこういう問題について話し合ってほしいというときには、そうですかと言ってその話し合いに応ずることが最も望ましいと考えております。

○宮之原貞光君 あの場合はどうなんですか。それはわからぬというわけですか。自主性ですか、やっぱり。あの場合。

○国務大臣(永井道雄君) 私は自主性ということもちろん大事だと思います。非常に大事だ。しかし、文部省はこれについて方針がないかと言うと、一つは暴力はいけないということを申しましたけど、それだけではないと思うんです。差別をなくす、そして平等を達成する、基本的人権を重んずる、これはそうなんですが、そのときにそれを達成しようとするいろいろな教育の団体あるいは教育の考え方があると思うんですね。文部省の立場というのは何であるかというと、その教育の立場というものがお互いにぶつかり合うときに非常に激しい政治的な対立のようなふうなものになってほしくないということです。いまの一つ一つの事柄を取り上げられて、これはどうですか、あれはどうですかということを言われますと、これはいまの解放研、部落研、いろいろ申し分があること、そういう歴史的経過をたどって、そしてまあ私はあすこの但馬地方のいままでの去年の歴史について聞きますと、相当緊張状態ができている。ですから、その緊張状態の中でいまのようなことが起こる。だから、先生方は子供の言うことを聞かなくていいということにはなりません。なりませんが、問題はその緊張状態を何とかして解きほぐすようなふうに考えていくというのが、これは未来の問題です。そういう教訓として八鹿高校の事件を受け取るべきではないかと私は申し上げている。宮之原委員が私にお聞きになっているのは、一つ一つの事実をつかまえて、これについてあのときどうだったというふうにおっしゃいますが、私はその事実についての基本的考え方を申し上げて、これからどういうふうにしていこうかという場合に、いま言ったようなふうに対立がなるべく起こらないように、そして原則として先生は学生、生徒の方から疑問があったら、それは自分が本当に賛成でないようなことでも胸襟を開いて話すという立場をつくっていくように、そういうふうにしなきゃならないということは全く当然であると考えております。

○宮之原貞光君 問題はそれだけじゃないんです。もう一つはやっぱり学校とこの地域という観点からとらえてみても、これはまた教育上一つの問題点を提起する。特にやはり同和地区という区域を持っているところの校区の先生であるならば、これはできるだけやっぱり日常の接触ということが大事なんですよ。そういう観点から見ますと、これまた決定的に欠けているところの要素がある。全然断絶をされておる。ここにも一つの私は問題提起がなされていると思うんですがね。いわゆる今後の戒めという、まああなたは現状については語りたがらぬから、私はもうそれ以上申しませんけれども、そういう立場から見れば、この問題は将来の教訓としてどういうふうにお考えになりますか、それなら。

○国務大臣(永井道雄君) 将来の教訓としていま学校と地域のことをおっしゃいましたが、これはもう同和地区があるところの学校というような場合には、当然同和地区の人たちの考え方というものを十分に聞きながら学校教育を推進すべきであると思います。これは同和地区に実は限らないで、学校と地域という関係の場合にすべてそうであるべきでありますが、とりわけ同和地区の場合にはそうでなければならないと考えております。

○宮之原貞光君 私は学校の教師の姿勢の問題について若干申しましたけれども、と言ってこの問題は教師の側だけ責任あるんじゃない。県の教育委員会のこの指導のあり方というのも、現に二十二日にそこに来ておるんですから、常駐しておるんですから、そこにも非常に私は問題があると思うんですがね。一体文部省としては教育委員会のいろんな事情も聴取されたと思いますが、どういうふうに指導されましたか。

○国務大臣(永井道雄君) 文部省もこれは山崎政務次官が現地に行くというようなこともいたし――現地というのは兵庫県の教育委員会でございますが、行くということもいたしましたし、それ以後兵庫県の教育委員会の方々の御意見というものも伺い、またわれわれの意見も申し述べておりますが、それは繰り返すと長くなりますから要点だけ申しますと、要点は先ほどから申し上げたことに尽きております。つまり、いろいろな立場があるんだけれども、同和教育達成の目標のために本当に教育の中立性というものを守って教育が発展していくようにこれから指導をしてほしいといろことを、兵庫県の教育委員会に繰り返しお願いしている次第です。

○宮之原貞光君 もうこれでやめますが、私が教師のあり方の問題を言ったのは、それはかつて自分も教組の責任者でおって、非常に悲しい気持ちを込めながら申し上げておるんですよ。教育という立場から見るならば、相当やはりこの問題は同和、特に同和教育のあり方の問題として非常に多くの問題があるだけに申し上げておるわけでございますから、その点を理解していただいて、積極的なやはり同和教育のあり方というものをやっていただきたいと、これだけ申し上げて、私質問を終わります。

※→八鹿高校事件関連国会質問一覧 1974/11/22〜1975/03/31