75-参-本会議-4号 昭和50年01月29日

○星野力君 日本共産党を代表して、国政諸般の問題について三木総理並びに関係大臣に質問いたしますが、一昨日来の総理の答弁をお聞きして、どうしても見過ごすことのできない問題がありますので、まず、その方からお聞きいたします。
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 そこで最後に、同和教育の問題について質問します。
 わが党、は未解放部落の子供たちの教育の機会均等を完全に保障し、憲法に反する一切の部落差別の誤りと基本的人権の大切さを自覚させる自主的、民主的な同和教育の確立を求めるものであります。しかし、部落解放同盟朝田派と言われる連中は、学校教育は部落解放運動の要請に従えなどと要求して、学校教育の民主的原則に乱暴な攻撃をかけております。兵庫県八鹿高校教職員に対する集団暴行事件や、彼らが全国各地で実行し、最近では、東京都にも要求してきておる朝田派講師による全教員の研修やPTAに対する啓蒙活動、すべてそのあらわれであります。このような学校教育への乱暴な介入、干渉を放置するならば、子供たちの教育全体が大きくゆがめられていくだけでなく、その影響が学校教育、国民生活の全般に及ぶことが憂慮されるのであります。

 一昨年四月、福岡県豊前市にある築上中部高校の入学式で村田膜一郎校長が、築上中部高校は、豊前築上の名門校と言われてきた学校であります、と述べたその一言を解同朝田派がとらえて、それは周辺の学校を差別するものだと激しい糾弾を加え、校長は降任願を書き、後に校長職から他の職へ移されたという事件があります。県の教育次長とか同和教育課指導主事が、解同朝田派との交渉で、校長の発言は差別であると認めておるのであります。もう何たることでしょうか、これは。解同朝田派の連中は、差別者に人権はない、犬ころだ、こう称して、校長の腰に長いロープを結んで、白昼、他の高校に連れていき、そうして、犬が逃げるかもしれぬと、なわの端をいすにつながれた状態で校長は生徒に陳謝させられたということもありました。文部大臣、これで教育ができますか。このような事件に対して、県教育委員会が朝田派に屈服し、事件の処置をあいまいにし、文部省をそれを許してきた責任というものはきわめて重大であります。この事件について文部大臣の責任ある見解をお聞きいたします。

 昨年の八鹿高校事件について、文部省はその後、兵庫県教育委員会に対してどのような指導をなされておられるのか、御答弁願いたい。兵庫県教育委員会の態度というのは少しも改まってはいないと思われるのであります。一月十八日、八鹿町で、部落解放同盟朝田・丸尾派による南但中学校解放研集会というものが、町長や中学校長の積極的な協力のもとに開かれた。この集会は、八鹿高校職員に対する糾弾、逮捕された丸尾らの法廷闘争の支援などを目的としたところのものであります。との件について十七日の閣議で文部大臣は、県教育委員会に対し事実の確認と適切な措置をとるよう指示したと、こう報告されたというのであります。十六日に指示したと、こう報告されたというのでありますが、文部省はどのような指示をされたのか。また、文部省の指示にもかかわらず、教育の中立性を大きく逸脱したこの集会に、生徒を駆り出すなど積極的な協力をやった校長などの行為について、文部大臣はどう考え、今後どのような措置をなされるつもりか、お答え願いたいのであります。文部大臣、総理は、教育を静かな場に置くのがあなたの使命だと、こう言っておられる。しかし、教育を静かな場に置くということは、暴力者たちの教育への不当介入を教育行政機関が黙って放置することであってはならないし、まして、彼らに屈服、迎合、加担することであってはならないと思うのであります。必要な措置は必ず実行する、言ったことは必ず実行するということをしっかり腹に踏まえて、はっきりした御答弁を文部大臣に求めるものであります。以上をもって私の質問を終わります。(拍手)

   〔国務大臣三木武夫君登壇、拍手〕・・・・・・略・・・・・・ ○国務大臣(永井道雄君) 星野議員の御質問に対して答弁申し上げます。
 まず第一は、非常に原則的な問題についての御質問がございました。それは、教育の場に暴力というようなものが入って、それによって教育がゆがめられることはいけないであろう、これは全くそのとおりであると考えます。したがって、教育からあらゆる暴力というものを排除するというこのお考えについて、私は全く同じ考えを持っております。

 次に、教育というものを静かな場に置かなければならないと言うが、しかしまた、政争に巻き込まれているというふうに言うけれども、それは何を意味するのか、そしてまた、それのよって来るところは何であると考えるかという御質問がございます。政争に巻き込まれていて、静かな場で教育が議論されていないということを申しますのは、こういうことでございます。
 私、考えますのに、わが国の国民、特に子供の立場に立って考えますというと、非常に共通に、政治的な立場を異にする人々も考えなければならない多くの問題がある、これは具体的にあるかと思います。たとえば、学校教育におけるダイヤの過密化と申しましょうか、教育課程の過密化の問題がございます。また、そういう中で正しく美しい日本を学習するのにはどうしたらいいかという問題もございます。また、わが国におきましては、戦後、体格というものは非常によくなったのでございますが、しかしながら、それに伴って体力というものが必ずしも向上していないという多くの報告がございます。こうした事柄というものは、私は政治の立場を離れまして、本当に国民の立場、とりわけ学習している子供の立場に立ちまして議論をできるはずであるのに、それが十分に深められていないということは、政争というものによって必ずしも教育が静かな場で論じられていないということの意味でございます。そのよって来る理由は何であるか。そのよって来る理由は、これはどこの国にもあることですが、当然政治というものには保守、革新の対立というものがございます。わが国においてもこれがあるのでございますが、その対立というものが、いささか不必要なまでに教育の場に持ち込まれたきらいがあったのではなかろうか、かように考えているわけでございます。(拍手)

 次に御質問の点は、同和教育に関する問題がございます。これはきわめて多岐にわたっている問題でございますが、まず八鹿高校の問題あるいは南但馬における中学の問題、さらにまた福岡県における校長先生の問題、こういう点についての御質問がございました。で、この同和教育につきましての考え方というのは、これは私も繰り返し申し上げておりますように、まず教育の中立性というものが大事であることは申すまでもないんでありますが、それと同時に同和対策審議会の答申というものがあるのでございます。私はそれは非常に重要であると思いますから、その答申のきわめて原則的な部分を答申の中から申し上げたいと思います。それは、「法のもとの平等の原則に基づき、社会の中に根づよく残っている不合理な部落差別をなくし、人権尊重の精神を貫ぬくことである。」というのでございます。この立場に基づいて私たちは八鹿高校の問題その他に対処していかなければならないと考えております。
 そこで、まず八鹿高校の事件につきましては、山崎政務次官を兵庫県庁に派遣するという方法をとりましたし、また兵庫県教育委員会からの報告を繰り返し受けるという方法をとることによりまして、学校運営の正常化を図って授業の回復ということを目標といたしましたが、授業は回復されるに至りました。

 ところが、さらに御指摘のように南但馬中学校解放研集会というものが一月十八日に開かれるという問題があったわけでございますが、これについて校長などが関与したのではなかろうかという御質疑がございましたが、私どもが兵庫県教育委員会から受けました報告によりますと、一月十八日に開催されました但馬青少年解放研交流学習会は、中学校の解放研生徒の自主的な集会でございまして学校はこれに関与しなかった。したがって、校長がこの集会に協力するといったことはなかったという報告を受けております。しかし、文部省といたしましては、中学生がこのような社会的な行動の場に参加することについても、それは適切でないと考えて、こうした立場からの指導を引き続き兵庫県教育委員会を通じて行っております。

 さらに、次に福岡県豊前市築上中部高校の校長先生の訓示、これは昭和四十八年四月に行われたものでございまして、その後、その校長先生の訓示についていろいろの見解がある、さらに校長先生の異動があったことについてのさまざまな見解があったが、これについてどのように考えるかという御質疑でございますが、これについて教育委員会から受けております報告によりますと、校長先生の人事は通常の異動であって、そしてそれは委員会の自主的な判断に基づくものであるということであります。われわれといたしましては、任命権者である教育委員会というものが、人事を進める上において判断と責任を持って行わなければならない、そしてまた、それは繰り返しになりますけれども、教育というものの内容を尊重し、そして中立性に基づいていかなければならないという考えをとっております。


※→八鹿高校事件関連国会質問一覧 1974/11/22〜1975/03/31